2009年11月10日 (火)

でっかいぞ北のはずれの磨崖仏

026 寺社集印=岩手県・平泉町

毛越寺の前を右に取り、西にしばらく行くと達谷窟・西光寺(たっこくのいわや・せいこうじ)東北36不動尊霊場第23番、通称姫待不動尊がある。大同2年(807年)円珍の開山。八世紀末、何度かの東征にも拘わらず、この達谷窟にこもった悪路王らの勢力が強大になり、国府の手に負えなくなったので、桓武天皇は坂上田村麻呂を征夷大将軍として征服させた。将軍は多門天の加護によるものと、窟の前に九間四面の精舎を建立し、鞍馬山にならって108体の多聞天を安置し、毘沙門堂と名付けて鎮国の社寺とした。度重なる災禍で寺は焼かれたが、ご本尊以下秘仏は難を逃れた。現在の本堂は昭和36年に再建されたもので五代目という。(写真中)
027 さて札所の姫待不動尊であるが、悪路王らが京から攫ってきた姫を「籠姫」に閉じ込め、「桜野」で花見を楽しんだ。逃げようとする姫君を待ち伏せた滝が「姫待ち瀧」、姫君の黒髪を見せしめに切り、その髪を掛けた石が「かつら石」との古事。智証大師がその飛地境内にある「姫待ち瀧」の本尊として祀ったものを寛政元年(1789年)当地に移された。桂材の一木彫、大師様不動の大像が札所本尊である。
134 そのほか堂の西側の大岩壁(高さ約33m)に刻まれた「北限の磨崖仏」がある。高さ16m、顔長3.6m、肩幅約10mの大仏様で全国五指に入る大きさという。(写真下)
これで岩手県の巡拝は一応完了した。合掌。
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2009年11月 6日 (金)

平安の華麗さとどめる遺構群

023 寺社集印=岩手県
                ・平泉町

JR平泉駅の真正面に特別史跡・特別名勝指定の毛越寺(もうつうじ)がある。
嘉祥3年(850年)慈覚大師が東北巡遊の際、一面霧に覆われ進めなくなった。足元に白鹿の毛が点々と落ちており、それを辿ると白鹿がうずくまっていた。なおも近づくと白鹿は消え、何処からともなく一人の白髪の老人が現れて「この地は霊地であるから堂宇を建立すれば仏法が広まる」と告げた。これぞ薬師如来の化身と感じ、嘉祥寺(かしょうじ)を建立した。これが毛越寺開山のお話。
024 かって「大泉が池」の周りには多くの「臨池伽藍」が造営され、「浄土庭園」とともに中尊寺をもしのぐ規模と華麗さを誇ったという。藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭い、すべての建物は焼失したが伽藍遺構はほぼ完全な状態で保存されていた。
025 平安様式の本堂は平成元年に再建されたもの。写真下の遺水(やりみず)は山水を池に取り込む水路で、水底には玉石を敷き詰め、蛇行する流れに「水切り」「水越し」「水分け」などの石組を配し、完全な遺構として日本唯一の物だそうである。
(つづく。
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2009年11月 5日 (木)

義経となぜ引き離された弁慶堂

022 寺社集印=岩手県
                ・平泉町

高館(たかだち)は北上川に面した丘陵で判官館(ほうがんだて)とも呼ばれる。現在では大半を北上川に浸食され狭くなったというが、この一帯は奥州藤原氏の時代から、要害の地とされた。
020 兄・頼朝に追われ、少年期を過ごした平泉に、再び落ち延びた源義経は藤原三代秀衡の庇護のもと、この高館に居館を与えられた。しかし文治5年(1189年)4月30日、頼朝の圧迫に耐えかねた秀衡の子、泰衡の急襲にあい、この地で自害して果てたと伝えられている。丘の頂上には天和3年(1683年)仙台藩主第四代・伊達綱村が義経を偲び建立した義経堂(ぎけいどう)があり、中に義経の木像が安置されている。
021 一方、中尊寺の本堂の手前、参道の左手に何故か弁慶堂があった。言うまでもなく義経の第一の家来で、立ち往生の故事に残る武蔵坊弁慶を祀るお堂。不思議な感じがしたので、わざわざ、ここに採り上げておいた。
(つづく)

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2009年11月 4日 (水)

東北の平和の象徴中尊寺

017寺社集印=岩手県
                ・平泉町

今日は朝から平泉の中尊寺詣りとなる。嘉祥3年(850年)天台宗の高僧・慈覚大師(円仁)によって弘台寿院という寺が開かれたことに始まる。北関東の出身である慈覚大師を、この地方の人々が敬愛し、地域の伝道者として多くのお寺を残している。
長治2年(1105年)には藤原清衡公により多くの堂塔・伽藍が建立され、東北地方の中心と云う意味から「中尊寺」と寺号を改めたという。
018 その時代の唯一の建造物である金色堂には、この地方の産物である金のほか、南海産の貝や木材がふんだんに使われ、経蔵には金・銀を使って書写された「中尊寺経」、中国から輸入された「宗版一切経」などが伝えられている。当寺、京文化を取り入れながら、さらにその枠を超えようという意図が感じられる。
019 初代清衡公の願いは実を結び、東北地方はおおよそ100年、大きな戦争もなく、平和な時代が続き、二代基衡、三代秀衡によって仏教による平和都市建設が進む。「吾妻鏡」によると、その規模は「寺塔四十余宇、禅坊三百余宇」と伝え、さらに毛越寺、無量光院と云った大寺院が都市の中核をなしていたという。
(つづく。)

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2009年11月 3日 (火)

認定の最北端や山吹の田

016 寺社集印=岩手県
               
・大東町

陸前高田市から国道343号(今泉街道)で内陸に入り大東町に至る。亀峰山・長泉寺(ちょうせんじ)奥州33観音霊場第26番札所である。山門は禅宗のお寺の風格がある。開創、開山は不詳。天台宗のお寺であったが、衰退していたものを大原城主・大原広英が再興し、以後曹洞宗のお寺になったようだ。

138 大東町と云えば棚田百選の11番、「山吹の棚田」がある。2005年秋のことになるが、一度訪ねたことがある。印象に残っているのは「棚田百選」認定地区の最北端にあること。(写真中、下は2005年10月19日撮影したもの)。
139山の傾斜をうまく利用して町に向かって展開している。その規模は1.5㌶、約50枚からなっている。ここの集落が「山吹」と呼ばれるように、毎年4~5月には黄色のヤマブキが花を咲かせ、新緑の中にひときわ映えると聞いた。
さて
一関に向かって車を走らせる。(つづく。写真をクリックすると拡大。)

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2009年10月24日 (土)

屋根越しに太平洋を眺めけり

012 寺社集印=岩手・陸前高田市

今日はカーナビまかせで北上から陸前高田までのドライブ。お天気はなお快晴である。市街地に入ったが目標が定まらず、郵便局に飛び込んで教えてもらった。
通称「気仙成田不動尊」山腹に如意山・
金剛寺(にょいざん・こんごうじ)東北36不動尊霊場第24番札所があった。仁和4年(888年)創建とある。ご本尊は如意輪観世音菩薩、不動明王、真言宗智山派のお寺。
013_2 伊達正宗、二代忠宗は地方巡視の際には当寺が宿所に当てられたという。近郷の末寺30余の本寺として 、また徳川時代からは常法談林・法談の中心的役割を果たした。現代でも真言行者の修業道場であるという。境内右側の山頂には千葉・成田山から勧請された不動明王・両童子が祀られた不動堂がある。(写真中)本堂屋根越しに市街地と太平洋が展開していた。

014 曹洞宗の古刹=海岸山・普門寺(ふもんじ)奥州33観音霊場第29番にお参りする。草創は本山・永平寺よりも二年古いとされている。開山した記外和尚は三度宗に渡航して、皇帝より多くの宝物を賜り、現在のご本尊である聖観世音菩薩はその一つ(県有形文化財)であるという。また江戸期の豪華な山門も有名である。
次にバックして内陸の大東町に向かう。

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2009年10月23日 (金)

ありがたや住職夫妻のご接待

寺社集印=岩手・奥州市(水沢、江刺)

009 旅はお天気に恵まれて順調に進み、翌日予定の奥州市に入る。
水沢公園の中に鎮座し、陸中国一の宮である
駒形神社(こまがたじんじゃ・旧国幣小社)に参拝。御祭神はいろいろあり駒形大神としよう。創建については雄略天皇のころ(456年)関東の毛野一族によるもの、日本武尊の東征の時、また坂上田村麻呂の征討の時など諸説があるという。以上のほか、源頼義・頼家親子、奥州に繁栄を築いた藤原一族と多くの武将が武運祈願に立ち寄るなど、武家の崇敬の厚い神社のようである。安政6年(1859年)の大火で類焼、文久3年に11代城主・留守邦命が再興、その本殿はいまなお現存しているという。

010 通称「江刺不動尊」で知られる興性寺(こうしょうじ)東北36不動尊霊場第22番にお参りする。ご本尊は大日如来、不動明王、毘沙門天、元和8年(1622年)宮城県栗原郡から移転したもので、開祖は多聞院興性師、真言宗智山派のお寺である。
011 岩谷堂城伊達氏(岩城氏)の祈願所として、また近隣からも格式高く扱われていたお寺という。ちなみに山門は岩谷堂城の裏門の遺構だそうだ。
予定よりも多くの寺社を、しかも苦難?の峠越えをしてきただけに、お住職ご夫妻のご接待は有り難かった。合掌。
北上駅前に宿を取り、明日は陸前高田までの往復となる。
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2009年10月22日 (木)

みぎひだりカーブを切って遠野市へ

寺社集印=岩手・遠野市

006 宮古・松崎を発ち遠野に向かう。国道45号線を釜石経由の方が道がいいと聞かされたのだが、国道283号まで行かず、途中早めに県道35号に入ってしまい、カーブの多さとアップアウンに閉口した。それでも何とかお昼前には辿り着いた。

007_2 松崎町駒木にある福泉寺(ふくせんじ)東北36不動尊霊場第21番は一山そっくり境内といった感じの広大なもの。遠野盆地が一望できる絶景である。まず開創者・佐々木宥尊住職が20年の歳月を要して彫りあげた総高17mの一本彫(日本一)の大観音像を拝す。坂東33観音、山を降りながら西国33観音の石像を拝しながら本堂に。真言宗豊山派のお寺で、ご本尊は不動明王と聖観音、大正元年(1912年)開創。通称「遠野のお不動さん」で親しまれているという。

008 市内中心部白岩にある遠野郷八幡宮(とうのごうはちまんぐう)を参拝。多くの老松に覆われた境内はまさに鎮守の森。由緒は定かではないが、文治5年平泉の藤原氏追討に従軍した功により、源頼朝から遠野郷を賜った阿曾沼広綱が「館」を築き八幡神を祀つたのが、始まりのようだ。大正2年に本殿・幣殿を改修し、昭和25年に出雲大社の分霊を合祀して現在の名称になったもよう。

難所を抜けて遠野市まで辿り着いた割には時間が早く、もう一山越えて奥州市に向かう。
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2009年10月21日 (水)

極楽の浄土を偲ぶ絶景かな

寺社集印=岩手・宮古市

004 盛岡市から国道106号線で真っ直ぐ宮古市に向かう。今日も快晴、途中「道の駅」などに立ち寄りながら、ゆっくり走って午前中に宮古市に到着。
左の山手「長根」に
長根寺(ちょうこんじ)東北36不動尊霊場第20番札所はある。通称「長根不動」真言宗智山派のお寺で、ご本尊は不動明王。宮古市小山田に、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の折、勧請されたと伝える薬師堂があり鐘が保存されている。その鐘の銘に「黒森に観音、長根に弥陀仏を奉祀し、三所一体の霊場とする」とあり、嘉永元年(1848年)の草創と伝えられている。ここからの眺めも見事だった。

005_2 せっかく宮古まで来たので、午後から浄土ヶ浜に回る。そこでまず「島めぐり」の遊覧船で海から眺めることにした。岸沿いに陸中海岸を北上、白い岩肌と赤松の緑のつづく絶壁を約一時間半に亘って満喫した。
116 下船後、浜に沿って浄土ヶ浜まで散策、さらに展望台にまで登って上空からも十分に堪能した。極楽浄土とはこんなものかと偲ばれた。
ここから少し北にある姉ヶ崎の休暇村に泊まることにする。明日は遠野市に入る予定。
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2009年10月20日 (火)

東北だ、三時を過ぎると冷えてくる

寺社集印=岩手・盛岡市

002_2台風一過の晴天に恵まれ12日、東北道を北へ、東北36不動尊霊場(岩手県分6寺)巡りに出かけた。紅葉にはチト早いかなと思ったが、来月の個展を前にと思い立った。
盛岡インターからほぼ真東に当たる北山に
永福寺(えいふくじ)東北36不動尊霊場第19番札所を参拝。通称「降魔不動尊」真言宗豊山派のお寺で、ご本尊は大聖歓喜天と不動明王。創建は南北朝のころ、青森県三戸に、後醍醐天皇の紹宣によるとされる。元和年間(1615年)藩主利直が居城を盛岡に移し、それを機に城の鬼門除けとして当地に移転して、南部氏の祈願所となったという。

003 盛岡八幡宮(もりおかはちまんぐう)は延宝8年(1680年)第29代南部重信公により建立された。御祭神は品蛇和気命と第15代応神天皇、農業・工業・商業・学問・衣食住の根源となる神様で、地域の人々から多大な崇敬を集めて来たという。現在の社殿は平成9年に竣工したもので、丹塗極彩色彫刻が施された美しい堂々としたものである。
105_2 広い境内の左手に岩手護国神社(いわてごこくじんじゃ)が併設されている。。国の平和と民族を守るために尊い命を捧げられた岩手県出身者三万五千余柱の霊を祀ってある。

午後三時を過ぎると、さすが東北、空気がひんやりとしてきた。明日に備えて、南インター近くに宿を取っておいた。
(つづく。写真をクリックすると拡大)

    

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2009年9月25日 (金)

望洋寺不動巡りの終着点

寺社集印=北海道・登別市、苫小牧市

08023_2 北海道第三次・集印の旅もいよいよ最終日を迎え、観音霊場は昨日{結願}、不動尊霊場はあと二寺を残すのみとなった。二年越し、三回目の訪道であった。
まず登別市の
成田山・滝泉寺(なりたさん・りゅうせんじ)北海道36不動尊霊場第23番を訪ねる。大正6年本間師の開山・創建。当時は登別温泉街の中にあったが、昭和38年に現在地に1500坪の原野を購入して、本堂、庫裏、納骨堂など整備が進んだという。入口にある鐘楼はちょっと変わった形をしていた。真言宗智山派のお寺で、成田山新勝寺・直末寺であるという。

08024 港町苫小牧市にふさわしい名前の成田山・望洋寺(なりたさん・ぼうようじ)北海道36不動尊霊場第22番が最後のお寺となる。開基の吉田守賢師は大正13年に21歳の若さでこの地に至り開教に専念、昭和12年宿願叶い現在地を確保、本堂はじめ寺域を整備して来たという。真言宗智山派のお寺である。

これにて北海道33観音、36不動尊の巡礼すべて無事に完了。夕方、苫小牧港からフェリーで帰路に就く。合掌。
(北海道第三次・集印の旅-13完)

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2009年9月24日 (木)

観音の霊場巡り今日「結願」

寺社集印=北海道・伊達市、室蘭市

08021_2 虻田から洞爺湖に帰って南岸を東へ。途中、昭和新山を左に見ながら伊達市の向かう。
高野山・不動寺(こうやさん・ふどうじ)北海道36不動尊霊場第25番を訪ねる。平田学仙師によって明治13年開山創建された。高野山南院の波切不動明王尊を原寸複製されたものが昭和60年に勧請されたという。

08022 最後の宿泊地の室蘭に{観音霊場・結願寺}である高野山・大正寺(こうやさん・たいしょうじ)北海道33観音霊場第33番がある。境内は北海道にしては、さほど広くなく、港町らしい急坂の途中にある。しかし室蘭の湾が一望できる景勝地。ご本尊は弘法大師、札所本尊は十一面観世音菩薩。明治37年に奈良県の松尾了山師の開創とされている。

(北海道第三次・集印の旅-12)

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2009年9月22日 (火)

小春日和湖々をめぐりて虻田町

寺社集印=北海道・洞爺湖町

08128 今日も天気がいい。千歳から国道275(尻別国道)で支笏湖、それから国道453(有珠国道)に移って洞爺湖にいたる。まさに湖めぐりである。湖の南岸沿に虻田町へ。
08020虻田町には
新高野山・亮昌寺 (しんこうやさん・こうしょうじ)北海道33観音霊場第32番がある。ご本尊は秘鍵大師、霊場本尊は千手観世音菩薩。明治28年新潟県の村上亮昌師により開創された。
境内からは駒ケ岳と内浦湾が望まれる風光明媚な所であった。(写真上は洞爺湖)
(北海道第三次・集印の旅ー11

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2009年9月21日 (月)

川湯から走りに走って千歳まで

寺社集印=北海道・夕張市

08019 ここに来てお天気がやっと安定した。「川湯」を発って「阿寒」を抜けた昨日の移動(帯広泊)それに今日の夕張経由・千歳までの移動で、北海道のほぼ半分強の距離を走ったことになる。
夕張市の
成田山・夕張寺(なりたさん・ゆうばりじ)北海道36不動尊霊場第21番は明治42年、本間賢応師の開山創建によるもの。町から少し登った丘の中腹にある。ご本尊の不動明王は徳島県大滝山から請来した祈念仏で、数度の火難を免れて今日に至ったという。真言宗智山派のお寺である。

(北海道第三次・集印の旅ー10)

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2009年9月20日 (日)

のんびりと寺と湖回りけり

寺社集印=北海道・小清水町、弟子屈町

08017今日もまずまずのお天気。まず同じ斜里町の通称「小清水不動尊」の臥牛山・光圓寺(がぎゅさん・こうえんじ)北海道36不動尊霊場第15番を訪ねる。周りは新興住宅地、「小清水」の名はかつて網走・釧路間に県道が開かれたとき、ポンヤンベツ川付近に湧水があり、これが清涼・良質な飲料水(いわゆるミネラル・ウオーター)として旅人から親しまれ、市街形成の基になったという。 昭和24年菅原隆等師による開山、真言宗智山派のお寺である。

08018 国道334号で美幌まで遠回りし、そこから243号に入り「美幌峠」を越えて弟子屈へ。美幌峠もよく見えた。
護憲山・寶泉寺(ごかくざん・ほうせんじ)北海道36不動尊霊場第16番を訪ねる。昭和17年杉本宥憲師によって創建された。現在の本堂は昭和27年に改築されたもので、真言宗智山派のお寺である。
ここまで来たからには、屈斜路湖、摩周湖、硫黄山を回って「川湯」で泊まる。(これらの写真はまたの機会に紹介。
北海道第三次・集印の旅―9

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2009年9月19日 (土)

久しぶり大快晴にニッコリだ

08103 寺社集印=北海道・斜里町

今日は久しぶりに快晴。移動距離の長い日なのでニッコリ。まずは野付半島の先端まで、そこから国後島は目の前である。国道244から国道335(国後国道)を羅臼に向かう。

08108羅臼から国道334に乗って知床峠越え、「北海道の夏」を初めて満喫した。それほど今年は天候が不順だった。回り道して知床五湖、ここも十分に満足。
ウトロ経由でオシンコシン滝にちょっと寄り、そこから斜里町に向かう。(知床峠、知床五湖の写真は別途の機会に紹介する。)

08016 斜里町本町に護国山・寶光寺(ごこくざん・ほうこうじ)北海道36不動尊霊場第14番がある。開基大僧正は中川隆潮、大正7年に教会所を設けた。現在の本殿(10間四方)は昭和49年に新築されたもの。真言宗智山派のお寺。

(北海道第三次・集印の旅ー8)

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2009年9月16日 (水)

その齢100年誇る桜かな

寺社集印=北海道・根室市

08014 今日の行程は釧路を発って根室まで。国道44号線(根釧街道)の一本道、一寺のみの予定。難所らしい所はないので出来れば納沙布岬まで足を延ばしたいところだが、この雨では難しいようだ。根室に入る頃には風も強まり大荒れになった。
08015_2 根室市のとっかかりを左に入った松本町に
護国山・清隆寺(ごこくざん・せいりゅうじ)北海道33観音霊場第22番同36不動尊霊場第17番がある。町の中にありながら、威風堂々とした山門と本堂は歴史を感じさせる。明治25年福井県の細川卓静師の開創。ご本尊は大日大聖不動明王、札所本尊は千手観世音菩薩。真言宗智山派のお寺。境内には国後島より招来した千島桜があり「日本一遅い開花」また「北海道銘木記念樹」として、樹齢130年を誇っていた。
ともあれこの風雨では如何ともしがたく標津方面、国道244号(野付国道)へ車を走らせる。
(北海道第三次・集印の旅―7)

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2009年9月15日 (火)

天候の不良の中を峠越え

寺社集印=北海道・釧路市

08012 本別から国道392号線で釧勝峠を越えて白糠、そこから国道38号線で釧路市に入る。幸い雨は小降りになった。最初が市の郊外、寺社町の一角にある四恩山・西端寺(しおんざん・せいたんじ)北海道33観音霊場21番、同不動尊霊場第18番を訪ねる。ご本尊は不動明王、札所本尊は聖観世音菩薩。函館高野寺の西幡良純住職によって明治31年に開かれ、昭和40年代に本山より高野山真言宗準別格本山の称号を受けたという。
08013 次に
成田山・松光寺(なりたさん・しょうこうじ)北海道36不動尊霊場第19番を訪ねる。昭和11年、帯広松光寺の住職・小谷松義光師により釧路市に布教所を開設されたものである。昭和20年の戦災に遭つたが再建された。27年寺号公称して橋爪義昌師が初代住職に就任して45年成田山・新勝寺直系末寺となった。現在の本堂は平成元年に新築されたもの。真言宗智山派のお寺である。
(北海道第三次・集印の旅ー6)

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2009年9月14日 (月)

義経の伝説残す本別町

寺社集印=北海道・帯広、本別

08010 今日の行程は帯広から本別を経由して釧路まで。距離的には200㎞は下らないと思われるが、本別までは高速道路が出来ているので、距離ほどにはハードではないようだ。しかし相変わらずの雨には参った。
高速に乗る前にドデカイ神社があったので立ち寄る。緑豊かな一万坪の境内地、
帯広神社であった。御祭神は大国魂神、おおなむらの神、すくなひこなの神の三柱、それぞれ国土の神、開拓の神、医薬・酒造の神とされている。明治16年静岡県松崎村出身の依田勉三らが開拓団「晩成社」を組織し下帯広村オベリベリに移住した頃から祭礼を営んだとある。
                 次に08011 中川郡本別町にある
大日山・密巌寺(だいにちざん・みつがんじ)北海道33観音霊場第20番を訪ねる。ご本尊は大日如来、札所本尊は千手千眼観世音菩薩、コンクリート造の立派なお寺。
当地は十勝平野の真ん中にあり、馬鈴薯ほかワインの産地で有名。またここにも義経伝説が残り、お寺の裏山が義経山、弁慶洞があって、88か所の石仏が祀られているという。
(北海道第三次・集印の旅―5)

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2009年9月11日 (金)

雨の中「天馬街道」帯広へ

寺社集印=北海道・帯広市

08008 新ひだか町の三石から国道236号線(天馬街道)を通り帯広まで、予想以上に順調に来れたので、予定を速めて市内二寺を訪ねる。
成田山・松光寺(なりたさん・しょうこうじ)北海道33観音霊場第19番札所。なにか不動尊霊場のような名前だが、その関連は釧路に行ってわかった。帯広市の区画は広い。その一区画を占める当寺の境内もまた広い。おおくの石仏が祀られ、「不動堂」は帯広で一番古い木造建造物といわれる。
ご本尊は大日如来、札所本尊は千手観世音菩薩。

08009 次に大聖山・金剛寺(だいせいざん・こんごうじ)北海道36不動尊霊場第20番札所を訪ねる。大正11年に祈祷所、14年布教所として開設されたものが昭和21年に「大聖山・不動寺」になったという。開基住職は瀬尾得修師、現在は2代目という。
ご本尊の不動明王は総丈4尺の彩色立像。真言宗醍醐派のお寺。
(北海道第三次・集印の旅ー4)

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2009年9月10日 (木)

雨やまず襟裳岬は断念す

寺社集印=北海道・三石町

08102 第二日、今日は帯広までの移動となり、出来れば襟裳岬を回り、国道336号線・黄金道路ルートを選びたいところだが、朝から雨が降りやまず、やむなく三石町から内陸寄りの国道236号線・天馬街道を通ることにする。この辺も街道名でもあるようにサラブレッドのファームがあちらこちらにあり、雨の中、草をはむ親子の馬が散見された。
08007 牧草地帯の小高い丘の上に
三石山・円昌寺(みついしざん・えんしょうじ)北海道33観音霊場第31番札所がある。赤松並木の参道を登ると、境内はつつじ、さくらと多くの樹木に包まれている。ご本尊は大日如来、札所本尊は聖観世音菩薩、明治29年淡路の藤江龍長氏により開創されたという。
雨は降りやまず、天馬街道を帯広に向かう。つづく
。(北海道第三次・集印の旅ー3)

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2009年9月 9日 (水)

ひだか町サラフレッドのメッカなり

寺社集印=北海道・門別富川町、静内町

08005 苫小牧港から国道235号線で一直線に日高地方に向かう。日高といえばサラブレッドのメッカである。牧場(ファームと云うほうがモダンかな?)が次から次ぎへとつづく。富川町には高野山・日高寺(こうやさん・ひだかじ)北海道33観音霊場第30番札所がある。明治44年に香川県の琢磨宥文氏の開創、ご本尊は胎蔵界大日如来、札所本尊は千手千眼観世音菩薩。

08006 さらに国道を進み、ちょっと海側に入る静内町に清澄山・龍徳寺(きよずみさん・りゅうとくじ)北海道33観音霊場第29番札所を訪ねる。池内ベニヤ㈱の工場の真正面前にあるのには驚いた。(余談ながら私が入社間もない昭和35年ごろ、この工場を見学さしてもらった所である。もう50年も昔の話だ)ご本尊は大日如来、札所本尊は馬頭観世音菩薩、北海道33観音のうち馬頭観音を祀るのはここだけと聞いた。明治44年に大阪の仙田梁応氏によって開創された。
(北海道第三次・集印の旅ー2)

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2009年9月 8日 (火)

北に向け太平洋を船出せり

第三次北海道・集印の旅へ

08101 早めに大洗フェリー・ターミナルに入り、15時から乗船手続きをする。岸壁には14時に苫小牧から帰ってきた商船三井フェリーのサンフラワー・サッポロ号が着岸している。
まづシップ・データによると★総トン数=13,654㌧ ★速力=24ノット(40㎞) ★全長=192m ★全幅=27m ★旅客定員=632名 ★車両=常用100台、貨物180台 ★竣工 1998年10月28日(三菱重工・下関) ★就航 2002年6月3日とある。(先月乗船した新日本海フェリー「ゆうかり」より若干小振りといえる)
18時30分定刻に大洗港を出港、太平洋の乗り出す。天候はうす曇り、波は穏やかであった。21時30分ごろ塩屋崎沖の鹿島灘を北上。陸地にかすかな光が点滅している。夜中に金華山沖と聞いて、寝てしまった。夜明けごろ(4:45)魹ヶ崎(とどがさき・岩手県宮古市南東)を通過、大体半分の所だった。三陸沖、下北半島「尻屋崎」沖、津軽海峡東部から一直線に苫小牧へ、13時30分に到着。お陰で、極めて静かな19時間の航海であった。つづく。

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2009年8月28日 (金)

北海の典型的な寺院かな

寺社集印=北海道・富良野

07031 ラベンダーの丘で、異様な歓迎を受けた中富良野町に慈雲山・弘照寺(じうんざん・こうしょうじ)北海道33観音霊場第17番がある。ご本尊は大日如来、札所本尊は十一面観世音菩薩。明治34年香川県入植者らによって大師堂が建立されたのが基とされる。小高い丘にある境内は大きなエゾマツに覆われ、典型的な北海道の寺院とみえた。
07032 さらに南に下って富良野市に、
護国山・富良野寺(ごこくざん・ふらのじ)北海道33観音霊場第18番に参拝。ご本尊は大日如来、札所本尊は如意輪観世音菩薩、写真左、道際の六角堂に祀られ、随時お参りできるようになっている。明治40年、兵庫県の宮田俊人師が布教所を建立したのが基とされる。
余談ながらドラマ「北の国から」のロケがここであったという。
北海道・集印の旅ー14完)

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2009年8月27日 (木)

人の波美瑛の里の花畑

寺社集印=北海道・東神楽町、美瑛町

第七日、今日は一転朝から雨だ。層雲峡から大雪山系に登山するパーティも取りやめた者があったほどの降りだった。(それらのうち別のルートから登ったパーティが翌日、翌々日の遭難につながった)
07029 お天気ならば大雪山・旭岳を望むことなできる「牧歌的な土地」といわれる東神楽町の
神楽山・春宮寺(かぐらさん・しゅんぐうじ)北海道33観音霊場第15番を訪ねる。ご本尊は大日如来、札所本尊は十一面観世音菩薩。本堂にはアイダモの木が使われ珍しいものという。境内には修行大師と救世観世音菩薩の像が立ち、ここの開拓がヒグマ、それに豪雪との戦いだったことを象徴するようだ。

07030 旭川市の南の郊外東神楽町から国道237号線を南下すると、富良野に入る手前、美瑛町では花畑の歓迎を受ける。宣伝が行き届いたせいか、この雨の中、続々と観光バスが押し寄せてくる。なんとも異様な感じがした。中富良野ではラベンダー園だ。ここもウイーク・デイだというのにマイカー、観光バスが多数入り、傘を片手に回っていた。
(北海道・集印の旅―13)

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2009年8月25日 (火)

樺太から引揚げて来た大聖寺

寺社集印=北海道・留辺蘂町、上川町

07026 同じ常呂郡の留辺蘂町(るべしべまち)に松光山・景勝寺(しょうこうざん・けいしょうじ)北海道36不動尊霊場第10番がある。高野山真言宗のお寺で竹本才順師の開山、大正8年の創建。町を一望できる景勝の丘にあり、春は桜、秋は紅葉が一面を彩るという。新四国、新西国の石仏が安置されている。
07027_2 お天気になってよかった。国道39号線を西に、石北峠を越える。それから層雲峡を抜けて上川郡上川町の
成田山・大聖寺(なりたさん・だいせいじ)北海道36不動尊霊場第5番を訪ねる。真言宗豊山派のお寺で、大正14年樺太・内幌町に大聖密寺として伊藤隆晃師が開山、戦後27年に現在地に移ったものという。幼稚園を併設している。
07028 お寺から出た正面突き当りに大きな神社があったので、今回の旅では初めて一社だけ参拝した。丁度、創祀104年の例大祭の準備で慌ただしかったが、ご朱印を頂く。
相馬妙見宮・大上川神社(そうまみょうけんぐう・おおかきかわじんじゃ)とあった。
層雲峡まで引き返し、ここに泊まる
。(北海道・集印の旅ー12)

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2009年8月24日 (月)

「成田寺」あちらこちらで親しまれ

寺社集印=北海道・北見市、訓子府町

07024 第六日、お蔭で晴天となる。今日の行程は石北峠の峠越えがあるので、まず一安心。
網走から北見へ。市街中心部の北五条東5丁目に
成田山・真隆寺(なりたさん・しんりゅうじ)北海道36不動尊霊場第12番がある。真言宗智山派のお寺で大正7年,谷川隆水師による開創。開教時から「成田寺」と呼ばれ、地域の人々から親しまれて来たという。現在の建物は昭和54年改装されたもの。
07025 北見から常呂郡(ところぐん)に入り、訓子府町(くんねっぷまち)にある
寶珠山・隆光寺(ほうじゅざん・りゅうこうじ)北海道36不動尊霊場第11番にお参りする。ここも真言宗智山派のお寺で、大正9年、福井県から白崎隆照和上が北海道常在布教師を命ぜられ、10年に教会(説教所)を設立、13年には成田山教会所として本山から聖不動明王、弘法大師、興教大師の三像が下付されたのだという。現在の本堂は昭和25年新築落慶したもの。
次いで同じ常呂郡の留辺蘂町に向かう
。(北海道・集印の旅ー11)

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2009年8月23日 (日)

サロマ湖よ雨にたたられ一人泣く

寺社集印=北海道・上湯別、網走

07019_2 第五日。今日の行程は比較的楽なので、点在する湖などを回りたいと思いオホーツクラインを東南に向かう。ところが朝のうち晴れていたのに天気があやしくなってきた。
上湯別の町に入り、
注連山・宝珠寺(ちゅうれんざん・ほうじゅじ)北海道33観音霊場第25番にお参り。ご本尊は大日如来、札所本尊は千手観世音菩薩。明治42年、徳島県の米本龍厳氏により、説教所が設立されたのが開基。四季の彩り最も美しいサロマ湖の近く、平原の真っ只中にあるのだが、雨が厳しくなった。
07022 サロマ湖どころではなくなり、国道238号をまっすぐ網走へ。左に能取湖を、そして今度は右に網走湖を横目で見ながらのドライブ。市内取っ付きの天都山に
成田山・新盛寺(なりたさん・しんせいじ)北海道36不動尊霊場第13番がある。真言宗智山派のお寺で、明治20年成田寶然師の開山とある。網走市内を全貌出来る高台にあり、海には帽子岩、二つ岩、なお正面に知床連山まで見るられるというのに、この雨、残念至極であった。
07023 市内の山手住宅街桂町に
大悲山・弘道寺(だいひざん・こうどうじ)北海道33観音霊場第24番がある。ご本尊は大日如来、札所本尊は十一面観世音菩薩。明治34年高野山から来られた中畑真雄師により開創、境内には堂々とした修行大師像と立派な鐘楼がある。
左様に第五日は雨にタタラレタ一日であった。網走泊
。(北海道・集印の旅ー10)

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2009年8月17日 (月)

流氷の迫りくるかなオホーツク

寺社集印=北海道・中頓別町、紋別市

07017 第四日、今日は昨日よりさらにロング・ドライブとなる。お天気はいい。まずは北の宗谷岬に立ち寄る。宗谷海峡を隔てて樺太がかすかに望めた。そこからオホーツク海に沿って南下、クッチャロ湖を過ぎ、浜頓別から国道275号線に入って牧舎が点在する牧草地帯のつづく中頓別町へ。そこに護国山・大法寺(ごこくざん・だいほうじ)北海道36不動尊霊場第9番及び33観音霊場第23番がある。大正8年総本山智積院より下付された不動明王がご本尊、札所本尊は千手観世音菩薩。真言宗智山派のお寺である。
07018 浜頓別に戻り、お天気がいいのでクッチャロ湖に一寸立ち寄って、またオホーツク海沿い、いわゆるオホーツク・ライン(宗谷国道)を南下、途中
に興部町(おこっぺまち)を通過、この辺も酪農地帯が続いている。ちなみに「オコッペ牛乳」は有名らしく、昼食の時にナマを賞味したが極めて美味であった。
予定より早めに紋別市に入り、
密乗山・大日寺(みつじょうざん・だいにちじ)北海道33観音霊場第26番を訪ねる。ご本尊は大日如来、霊場本尊は聖観世音菩薩、明治34年、流氷の町「紋別」に高野山大師教会紋別支部として創立された。現在のコンクリート造の本堂は平成9年に開基100年を記念して新築されたという。紋別に第五泊。
(北海道集印の旅ー9)

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2009年8月16日 (日)

稚内最北大師の真言寺

寺社集印=北海道・美深町、稚内市

07015 第三日は美深から稚内まで約200㎞のドライブが想定される。お蔭で天気はすっかり回復した。
美深町にあるもう一寺、
天塩山・弘法寺(てしおざん・こうぼうじ)北海道33観音霊場第28番にお参りする。ご本尊は弘法大師、霊場本尊は聖観世音菩薩、清澄なる鮭の川、天塩川にはぐくまれた田園地帯にある。明治39年徳島県の服部智信氏が開創。
07016 さて稚内まで、一直線に北上する。それこそ天塩川を右に左に見ながらのドライブである。
稚内市の中央部に
高野山最北大師・真言寺(こうやさんさいほくだいし・しんごんじ)北海道33観音霊場第27番である。まさに日本の最北端のお寺で、この360度のパノラマは、四国の室戸岬や足摺岬に通じるものがあるのだという。大正2年に高野山大師協会稚内支部として開創された。ご本尊は胎蔵界大日如来、霊場本尊は如意輪観世音菩薩。
比較的順調に走れたので、ノシャップ岬まで行ってみる。空は霞み礼文・利尻の島はかすかに見えるだけだった。稚内泊。
(北海道集印の旅ー8)

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2009年8月15日 (土)

守護するは北の大地に生きる人

寺社集印=北海道・名寄市、美深町

雨は久しぶりに上がって、、右に左に天塩川を眺めながら車は北上を続け、名寄市に入る。成田山・法弘寺(なりたさん・ほうこうじ)北海道36不動尊霊場第7番、真言宗智山派のお寺で、創建は大正元年。佐々木隆興師が開山された当時は、町の南端であったが、町が発展し今では中心部になっている。
07013 「北面不動尊」は、開拓に従事し、厳しい北の大地に生きる人々を守護し、繁栄を期すために奉安された。
中川郡美深町には
真珠山・光願寺(しんじゅさん・こうがんじ)北海道36不動尊霊場第8番がある。こちらは真言宗・豊山派のお寺で、比較的新しい昭和24年、真光尚如師によって開山・創建された。「宝珠不動尊」は山号「真珠山」に由来する。真珠は貝の痛みの中から輝きを生ずるように、心の苦しみを仏心にくるんで心の光を輝かせる「浄菩提心」に目覚めさせるのが、ご本尊の宝珠不動明王とされている。
07014_2 第二の宿泊地「びふか温泉」にはいる。こんな田舎にと思ったが宿泊施設、キャンピング施設、レジャー施設と広い敷地内に色々あり、どうも半官半民の組織の感じがした。

(写真をクリックすると拡大。北海道・集印の旅ー7)

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2009年8月13日 (木)

開拓の成就を祈る不動尊

寺社集印=北海道・比布町、士別市

07011  旭川市から、北へ走るがまだ雨は降り止まない。
上川郡比布町に
雲風山・大照寺(うんぷうざん・だいしょうじ)北海道36不動尊霊場第4番を訪ねる。真言宗・智山派のお寺で、明治28年香川県団体が入植に際して、郷里の雲風山・国祐寺のご本尊の分霊を受けて安置し、開墾成就を祈るとともに、心の拠り所としたのが始まり。堂々たる現在の本堂は昭和62年開祖100年を記念して建立されたもの。
07012 さらに北に進み、士別市に入るころには、やっと雨が小降りになった。
霊水山・不動院(れいすいざん・ふどういん)北海道36不動尊霊場第6番を訪ねる。高野山真言宗のお寺で、大正12年5月3日、開基・阿部照忠師が現境内の霊水滝の前に小堂宇を建立したのが始まりとされる。それは不治の病に伏していた照忠師の夢枕に不動明王が立ち「西方の小山の中腹に小滝あり。その水を服用せよ」と告げられた。滝を探してその水を服用した師は平癒し、この報恩のため霊水滝の前に堂宇を建立したのだという。
(北海道・集印の旅ー6)

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2009年8月 8日 (土)

寺街は道庁からの払下げ

寺社集印=北海道・旭川市

07009 北海道第二日は旭川から北上して中川郡美深町までの予定。
今日もかなりの雨の中、市内中心部にある
成田山・真久寺(なりたさん・しんきゅうじ)北海道36不動尊霊場第1番を訪ねる。明治25年、久志卓道が開教の命を受け、不動明王を背に渡道、旭川に定めたという。明治29年市内に寺街の造営を発願、同庁に陳情して、五町歩(約一万平方メートル)の土地の払下げを受け、これを5ヵ寺で分けたという。そういえばこの周辺には大きなお寺が並んでいた。
07010 同じ五条通りを東に17丁目まで行ったところにインド様式の本堂がある
谷口山・金峰寺(たにぐちざん・きんぽうじ)北海道33観音霊場第16番。ご本尊は大日如来、霊場本尊は千手観世音菩薩、明治38年谷口与三氏の寄進により設立された。お寺の前には時代を感じさせるレンガ造の酒蔵があった。
旭川を離れ北方にあたる比布町へ移動する。
(北海道・集印の旅ー5)

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2009年8月 7日 (金)

気のせいか過疎化の進む留萌港

寺社集印=北海道・留萌市

07007 深川市から留萌にいたる高速道・深川留萌道が殆ど完成しているのには驚いた。予定の時間をかなり短縮できた。
留萌市には
成田山・天祐寺(なりたさん・てんゆうじ)北海道36不動尊霊場第3番がある。真言宗智山派のお寺で、明治38年、夕張寺の本間賢応師がここに創設。その後、小林哲宗氏の代になり大本山成田山新勝寺の直末に加入した。
07008 雨風がかなり強くなったがせっかく留萌まで来たので、港に出てみた。かって、ソ連材の輸入基地として、また貿易港として名をはせたと記憶していたが、閑散とした風情。それでも吹き降りの中「夕陽が美しい」といわれる黄金岬に寄る。日本海の荒波が、冷たく押し寄せるのみだった。
今日は早朝から結構走った第一日目だったので、旭川まで早々に引き揚げる。
(北海道・集印の旅ー4)

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2009年8月 6日 (木)

このブログ回を重ねて800号

寺社集印=北海道・深川市

07005 歌志内から北上して、深川市に入る。深川は屯田兵の入植以来、道内きっての穀倉地帯となったといわれる。
その町中に
石狩山・真言寺(いしかりざん・しんごんじ)北海道33観音霊場第13番がある。ご本尊は大日如来、札所本尊は如意輪観世音菩薩。明治31年香川県の資延行晃氏が説教所を設立したのが開基。
また、ここに霊場会の事務局が置かれ、創始者「山本ラク」さんの遺品が徳島の菩提寺から寄贈されているという。
07006 深川平野に小さな丘がある。その麓に
遍照山・丸山寺(へんじょうざん・まるやまじ)北海道33観音霊場第14番がある。ご本尊は弘法大師、札所本尊は如意輪観世音菩薩。明治28年ごろ地元信者らによって開山したと伝えられる。住職不在。また、この丘の山中に88ヵ所の新四国霊場が作られているという。
(北海道・集印の旅ー3)

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お知らせ
本号で800号を数えました。ご覧頂いた各位のご支援・ご鞭撻のお陰と心より厚く感謝申し上げます。YUZO

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2009年8月 5日 (水)

人間の身勝手のこす「馬魂」の碑

寺社集印=北海道・空知、歌志内

07003 早朝4時には船内慌ただしくなり、簡単に荷物をまとめて下船の準備だ。着船と同時に第3デッキに向かうと、車庫が開き各自の車に乗り込む。係員の指示で下船し、蜘蛛の子を散らすようにターミナルから去ってゆく。
こちらも北海道の地に足をおろして小樽インターへ。札樽道・道央道と高速を乗り継いで美唄(びばい)まで。早過ぎるので途中で朝食をとるところを探したが、どこも開いていない。やむなく8時前に、奈井江町の国道直線距離30㎞で有名な12号線沿いにある
空知山・遍照寺(そらちざん・へんじょうじ)北海道33観音第12番札所を訪ねる。ご本尊は十一面観世音菩薩、境内には「馬魂碑」なるものがあり、これは太平洋戦争で徴用された、軍馬の霊を慰めるために建立されたという。人間の勝手で迷惑したのが馬、馬鹿なのは人間だ。
07004 砂川から歌志内(うたしない)の
成田山・真王寺(なりたさん・しんおうじ)北海道36不動尊霊場第2番を訪ねる。町はずれの小高い丘の中腹にある真言宗智山派のお寺で、開山は明治41年、伊藤智海師。当時17ヵ所の炭坑の主本尊として、信徒10万人を記録したという。そういえば多くの炭鉱もさびれたものである。
(北海道・集印の旅ー2)

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2009年8月 4日 (火)

フェリーにて北海道の寺回り

寺社集印=北海道

07001 7月7日から12日間、昨年に引き続き第二次の北海道・集印の旅に出る。昨年は函館に飛び、レンタカーで回ったが、今年は7月8日10:30新潟港発「ゆうかり号」に自家用車を積んでの小樽行き、翌9日4:30着、18時間の日本海初航海となる。
07002新日本海フェリー「ゆうかり号」のデッキ・プランによれば*全長:200㍍ *幅:26.5㍍ *総トン数:18,300トン *航海速力:22.7ノット *旅客定員:892名 とあり、トラック146台、乗用車58台を積載する。就航は2003年2月2日、6年経過したもの。
出港前のお天気は小雨まじりの曇天、風もやや強い感じだったが、外海に出ると意外と静かな航海となった。
註⇒第一次北海道・集印の旅については
カテゴリー:015寺社集印・北国をクリック、それから日付2008年8月26日~を追ってください。
(北海道・集印の旅ー1)

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2009年7月26日 (日)

青森の発祥の地はウトウ村

寺社集印=青森市

6024 市内中心部の本町1丁目に無量山・正覚寺(むりょうざん・しょうがくじ)津軽33観音霊場第22番がある。このお寺は浄土宗のお寺で、鉄筋コンクリート造の堂々たる本堂には阿弥陀如来、それに札所本尊に聖観世音が祀られている。

6025 同じく中心部の安方に善知鳥神社(うとうじんじゃ)がある。かって青森市が善知鳥村(うとうむら)と呼ばれていた允恭(いんぎょう)天皇の時代に、中納言安方が天照大神の御子・三女神(タキリヒメ・タギツヒメ・イツキシマヒメ)を祭ったことに由来するという。
6026 青森津軽の寺社集印の旅最後は
成田山・青森寺(せいしんじ)東北36不動尊霊場第17番札所となる。開基は明治21年、成田講の人々が不動堂を建立したことに始まる。昭和20年の空襲で灰烬に帰したが、32年に現在の本堂が再建され、35年に本尊・大聖不動明王も開眼・奉安された。
(青森津軽の旅ー14完)

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2009年7月25日 (土)

縄文の時代を偲ぶ遺跡かな

寺社集印=青森市

6023 青森市郊外南東の八甲田に向かう県道40号線沿いの幸畑(こうはた)の地に八峯鎮護・八甲田神社(はっこうだじんじゃ)がある。安倍比羅夫が夷賊征討の時、八甲田山麓に山霊を祀ったというから古い話だが、永く廃絶。現在の社殿は昭和18年、小笠原壽久翁によって建立された。御祭神は八甲田大神、北畠大神、美穂屋姫大神、境内敷地は三千坪。
6107 青森環状44号線から122号線を南下した入内に
入内観音堂(にゅうないかんのんどう)津軽33観音霊場第24番がある。まさに山の中の祠で、聖観世音菩薩を祀るという。
6108 青森環状44号線に戻り市内に向かう途中で
三内丸山遺跡に立ち寄る。ドデカイ「縄文時遊館」なる建物から入り、遺跡を一巡する。大型竪穴住居(写真中)掘立柱建物(写真下)に興味がそそられた。
写真をクリックすると拡大
(青森津軽の旅ー13)

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2009年7月24日 (金)

日本一大日如来の大仏さん

寺社集印=青森市

6021 赤い欄干の橋を渡ると正面に金堂、金仏山・青龍寺(きんぶつざん・せいりゅうじ)東北36不動尊霊場第18番札所である。通称:厄除不動、ご本尊は大日如来と不動明王。単立(高野山真言宗法流)のお寺。青森ヒバの大丸太をふんだんに使った、本格的仏教建築は圧巻であった。
6022 ほかに開山主・隆弘大和尚を祀る開山堂、宗祖弘法大師を祀る大師堂などが整然と並ぶ。
本堂から左手奥に行くと昭和59年に造立されたという、日本一(高さ22㍍)を誇る
昭和大仏が鎮座いている。この昭和大仏は青銅製の大日如来座像で,無限の知恵、無限の慈悲、無限の能力を象徴しているといわれる。

写真をクリックすると拡大(青森・津軽の旅ー12)

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2009年7月23日 (木)

TATINEPUTA圧巻なるぞその館

6115 寺社集印
五所川原市・青森市

つがる市木造の蓮川観音堂をあとにして土砂降りの雨の中、南東に進む。五所川原市街地を抜けて、前田野目にある松倉観音堂(まつくらかんのんどう・松倉神社)津軽33観音霊場第25番に辿り着く。ご本尊は馬頭観世音菩薩というが、外見はまるで神社であった。

市内中央部にある「立ネプタの館」に入った。高さ38㍍、地上6階建ての堂々たるもので、五所川原の特徴である巨大なTATINEPUTAの現物が3基展示してある。エレベーターで4階まで上がり、立ネプタ3基を取り囲んで、らせん状スロープを降りてくる格好。
6104 したがってネプタの裏表側面を見ながら降りてくることになる。写真上は4階部分から撮ったもの、下は1階から高さ22㍍の全体像を見上げて撮ったもの。
立ネプタ祭りは8月4日~8日の5日間、19時~21時まで開かれるという。館の中で制作されたものが、ガラス面が開き、出陣するのだそうだ。まさに圧巻であろう。

6020 青森市に舞台を移し、お天気の回復したところで、津軽観音霊場の最東部に当たる浅虫の安養山・夢宅寺(あんようざん・むたくじ)23番札所を訪ねる。ご本尊は聖観世音菩薩。曹洞宗のお寺で、久しぶりに禅寺の凛とした空気を満喫した。これから時計まわりに青森市郊外を回る。
写真をクリックすると拡大
(青森・津軽の旅ー11)

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2009年7月18日 (土)

土砂降りの雨をかぶって寺巡り

6103 寺社集印=青森・つがる市

お天気だった昨日から一夜明けるとまた曇って来て、北側の宿から岩木山も一寸姿を見せただけ。出掛ける頃には土砂降りとなった。
6018つがる市に入り木造吹原の
「西の高野」・弘法寺(こうぼうじ=通称:身代り不動) 東北36不動尊霊場第16番札所に飛び込んだ。たび重なる洪水などの天災にあつて開創の記録はないが、七代目住職の位牌から、600年以上前と推定される。高野山真言宗のお寺で、ご本尊は不動明王。雨は弱まる気配なし。
6019 県道186号線を東へ、田園地帯を突っ切ってつがる市街の入り口の当たる森田町の
高城八幡・下相野観音堂(しもあいのかんのんどう)津軽33観音第11番を訪ねる。神社の中に如意輪観音を合祀してあるようだ。
つがる市街を迂回して北へ。木造蓮川の
蓮川観音堂(はすかわかんのんどう)津軽33観音第12番を訪ねる。相変わらず雨はやみそうにない。脇を流れる岩木川も増水し始めて気味が悪くなった。ご本尊は千手観世音菩薩。
(青森津軽の旅―10)

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2009年7月17日 (金)

33観音一番西の圓覚寺

寺社集印=青森・西津軽郡

6016 国道101号線に出て左折、西へと進む。久しぶりにお天気が回復し右手に弁天崎、さらに千畳敷の岩場を見ながらの快適なドライブ。ふかうら鳥居崎を過ぎ追良瀬川を渡ってやっと深浦町中に入る。聞いてきた春光山・圓覚寺(しゅんこうざん・えんかくじ)津軽33観音第10番がそれである。津軽霊場の一番西にあるという。久しぶりに古刹らしき堂々たる構え、漁港を見下ろすところにある。真言宗醍醐派、十一面観世音菩薩を祀る。
6027 ここで一緒にご朱印を頂いた
見入山観音堂・大悲閣(みいりざん・かんのんどう・だいひかく)津軽33観音第9番に引返す。追良瀬橋を渡ってすぐを右折、しばらく走ると左側に広い駐車場がある。
6017 石仏の並ぶ中、案内看板(写真中)を見て驚いた。「現在地→のぼり・油ながし300m→油ながし・くだり150m」とある。これを見て登るのを中止。何でも自然の岩を刳り抜いて、お堂を納めたものという。非常に興味はあったが長旅の途中でもあり、駐車場にあるご本尊:如意輪観世音菩薩(写真下)をお参りして引揚げた。

写真をクリックすると拡大。(青森津軽の旅ー9)

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2009年7月15日 (水)

飛滝信仰権現様も観音さん

寺社集印=青森・西津軽郡

6013 弘前を発ち今度は岩木山を大きく迂回して北西へ。県道31号線(大間越街道)を日本海にむかうう。
潮の香が漂いはじめる鯵ヶ沢町・湯舟に入ると
飛龍宮・湯舟観音堂(ゆふねかんのんどう)津軽33観音第6番がある。林の中にひっそりと神社と聖観世音菩薩をまつる。
6014 間道を北へ上がり五能線の鳴沢駅を跨いだところ、鰺ヶ沢町・北浮田に
北浮田弘誓閣(きたうきたこうせいかく)津軽33観音第7番がある。こちらも神社のような「町内の観音堂」といった感じの祠であり、聖観世音菩薩を祀ってある。
6015 いよいよ日本海に出て海岸線沿いに国道101号線を西に向かう。五能線陸奥赤石駅を左折、県道190号線を入りしばらく走った。日照田の町に小さなスーパーがあり、そこにご朱印が置いてあった。それから又数分走って
日照田観音堂(ひでりだかんのんどう)津軽33観音第8番の入口に辿り着く。見上げるとかなりの石段の上にあるので、ここにて遥拝。十一面観世音菩薩を祀る。帰途、先のスーパーで買い物をして、「札所第10番は素晴らしいお寺」と聞いて予定外ではあるがお天気も回復したので、足を延ばすことにした。
写真をクリックすると拡大。
青森・津軽の旅―8)

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2009年7月10日 (金)

本丸は緑に映えて凛と立つ

寺社集印=青森・弘前市

6102_2 青森・弘前の集印の旅もほぼ中間点にさしかかり、弘前市を離れるにあたって、桜の名所(時期ではないが)弘前城を訪ねた。西濠から一陽橋を渡って内堀沿いに歩いたのだが、さすがに樹木が繁茂し緑の風を満喫できた。一方、蓮池からそそり立つ本丸・天守閣は綺麗なものであった。しかし思ったより小さく感じもした。

6012 ほぼ一周した北の角にやはり思惑通り?
青森県護国神社があったので、早速参拝、ご朱印も頂く。戊辰戦争から第二次世界大戦に至る、青森県出身の戦没者=2万9千余柱が祀られている。静かな佇まいであった。.


6029 余談であるが、城の北東側に「津軽藩・ねぷた村」なる
”弘前ねぷたの館”があったので、一通り回って、津軽三味線の実演も聞いてきた。
写真をクリックすると拡大。
(青森・津軽の旅―7

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2009年7月 9日 (木)

町内で面倒見ている観音さん

寺社集印=青森・弘前市

6010 弘前市は広い。県道30号線を北へ、ちょうど岩木山を迂回してリンゴ畑のなくなる北辺あたりから十腰内の林道に入り、厳鬼山・十腰内観音堂(がんきさん・とこしないかんのんどう)=巖鬼山神社を訪ねる。津軽33観音第五番、ここも神社そのもので、十一面観世音菩薩を祀るという。

6011 岩木山に沿って南東に、市内中心部に向うその途中で高杉山下の紫雲山・南貞院(しうんざん・なんていいん)津軽33観音第四番に寄ってみる。祠があり、赤い幟が立っていた。ご本尊に聖観世音菩薩を祀り、まさに地元の観音様という感じであった。町内で輪番で面倒を見ているのだろう。不在、ご朱印不調。

(青森・津軽の旅ー6)、

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2009年7月 8日 (水)

生活のよりどころなり岩木山

寺社集印=青森・弘前市

6008 国道30号線を岩木山に向うと道の両側はリンゴ畑が続く、まさにアプル街道である。今まさに剪定の時期のようであった。岩木高原の取っ付きに岩木山神社があり、駐車して先にその隣にある岩木山・求聞寺(いわきさん・ぐもんじ)津軽33観音第3番を訪ねる。ここも神社に近い造リであるが、聖観世音菩薩を祀った真言宗智山派のお寺のようだった。不在で、ご朱印不調。

6009 岩木山神社(いわきさんじんじゃ)は「お岩木さま」「お山」と親しんで呼ばれ、陸奥津軽の「開拓の神」「農海産物の守護神」として崇められてきた。神山、霊山である岩木山は津軽全土から仰望され、郷土の生活と心のよりどころである。また日本の北門鎮護の名社として旧国幣社でもある。
写真をクリックすると拡大。

(青森・津軽の旅―5)

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2009年7月 7日 (火)

弘前城第二の城郭長勝寺

寺社集印=青森・弘前市

6006 弘前城の裏手(北西)にある太平山・長勝寺(たいへいざん・ちょうしょうじ)を訪ねる。写真の三門からその先の参道両脇に曹洞宗の33ケ寺が軒を連ね、壮観である。大永6年(1526年)父光信の菩提のため大浦盛信が種里に建立、慶長15年に津軽藩の菩提寺としてこの地に移した。その時、津軽城万一の危機に際しては第二の城郭となるという説もある。寺構えからもそれは十分窺える。

6007 県道27号線を岩城山に向かい清水観音堂(きよみずかんのんどう)津軽33観音第2番=多賀神社を訪ねる。ご本尊は千手観世音菩薩とされるが外見はまさに神社。高い石段が続いていたので遥拝で済ませた。
かって仏教伝来の頃、「光明遍照の仏と天照大神は同体である」と説いて、江戸時代まで神仏同化の道を歩んだものの名残といえる。

(青森・津軽の旅ー4)

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2009年7月 6日 (月)

津軽てら塔のもとにぞ法のともしび

寺社集印=青森・弘前市

6004 みちのくの果て津軽に観世音菩薩が紹介されたのは天平年間(739~49年)と伝説は言う。また延暦年間(728~807年)行基菩薩によってもたらされたとも言い、大同年間(807~10年)坂上田村麻呂によってもたらされたともいう。
まずは
護国山・久渡寺(ごこくざん・くどじ)津軽33観音第一番を訪ねる。弘前市内とはいっても坂元・山元の久渡山山麓、鬱蒼と茂る森の中に一筋の石段が見える。その数227段。最初にこのハードな洗礼を受けた。ご本尊は聖観世音菩薩、真言宗のお寺。

6005 いわゆる市内に帰って金剛山・最勝院(こんごうさん・さいしょういん)東北36不動尊霊場第15番を訪ねる。通称:猫突不動、東北地方で「五重塔のある名刹」として知られる。常陸国桜川の弘信法印が天文元年(1532年)に開基したといわれる。
ご本尊は不動明王、真言宗智山派のお寺。

タイトルは最勝院のご詠歌から引用
(青森・津軽の旅ー3)

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2009年7月 5日 (日)

めぐり来てみれば古懸のお不動さん

寺社集印=青森・南津軽

6002 弘前市の南東の平川市、碇ヶ関ICの近くに古懸山・国上寺(こがけさん・こくじょうじ)東北36不動尊霊場第13番を訪ねる。通称:まねり不動。推古天皇御宇18年(610年)北門鎮護のため、聖徳太子の命を受け泰川勝公の開基といわれる古刹。天正16年(1588年)津軽家領域安泰のため、仏殿、山門、護摩堂、大師堂などを造営し、祈願所とした。現在の本堂は昭和54年建立されたもので、ご本尊は不動明王、真言宗智山派のお寺。

6003 大鰐温泉郷の入口に神岡山・大圓寺(かみおかさん・だいえんじ)東北36不動霊場第14番はある。通称:厄除不動尊。聖武天皇の国分寺建立に始るという。ご本尊の大日如来座像は大正9年に国宝の指定を受け、昭和27年に国定重要文化財になった。霊場本尊は不動明王、高野山真言宗のお寺。

タイトルは国上寺のご詠歌から引用。写真をクリックすると拡大。(青森・津軽の旅ー2)

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2009年7月 4日 (土)

寄り道で青龍権現にまみえけり

寺社集印=青森・十和田

6101_2 片道 750㎞の長距離トライブの始まりである。目ざすは青森県。もちろん高速料金が安く、しかも混雑が避けられる日曜日を選んでの出発である。片道380㎞の仙台までは、かつては通い慣れた道であったが、十数年後の今日、その倍近くの行程とあれば、緊張した。それでも早朝5時に出発し、休憩を取りながら午後2時には安代Jctを過ぎ花輪SAに辿り着いた。地元の人の話では往復2時間はかからずに十和田湖まで行けると聞いて十和田湖に寄り道することにした。
6001_2 上の写真は小坂ICから十和田に向かう途中に見た孫左衛門の七滝。湖畔は霧に覆われキョロキョロしていると「休屋」というところに入り込んだ。みやげもの屋で車を置かしてもらって一服。偶然そこが
十和田神社(とわだじんじゃ)の入り口。早速参拝、御朱印第一号を頂く。
6028 御祭神は日本武尊。社伝によれば、大同2年(807年)征夷大将軍坂上田村麿がこの地に一社を建て、武神の祖としての日本武尊を祀ったとされる。また青龍権現で知られ、東北三大霊場として、山伏の修験道場であったという。はからずも、いい所に立ち寄れた。しかも大樹に囲まれた境内の延長に「乙女??の像」もあった。そこからガスと小雨の中、弘前の宿までひた走ることになる。
(青森・津軽の旅ー1)写真をクリックすると拡大。

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2008年9月28日 (日)

デッカイドー走ったわりには840

寺社集印=北海道・札幌市

0808_074_2 札幌市から約30㎞、定山渓温泉の入口に北海道36不動尊霊場第33番札所札幌大師・招福寺がある。ご本尊は寺名のとおり2.5㍍の立像・招福不動尊。弘法大師入定1150年の報恩行として西村聖報僧正が開眼開基、厄除大師として有名。この辺は春から夏にかけてツツジ、牡丹が美しい処といわれる。
0808_083_2  今回の旅の最後は市内中央部「すすきの」のど真ん中にある北海道36不動尊霊場第36番札所成田山・新栄寺。明治18年ごろ、開拓移住者のなかの多くの不動尊信仰者達の請願よって成田山・別院が設置された。別院の格式により代々貫主が住職を兼務される。
0808_081_2 また広い境内に北海道33観音霊場第九番札所もある。霊場本尊は不空牽観世音菩薩。金箔押しの施されない、生地のままの観音像といわれる。
これで今年の北海道33観音霊場、36不動尊霊場巡礼は終わりとする。また来年を楽しみに…。昨日今日の走行距離は57㎞、全走行距離は840㎞で、安全を感謝、合掌。

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2008年9月26日 (金)

宮ヶ丘開拓神が鎮座せり

寺社集印=北海道・夕張市、札幌市

札幌市郊外を時計回りに南下して、夕張川河岸の水田地帯。北海道33観音霊場第11番札所和光山・弘清寺がある。ご本尊は十一面観世音菩薩、霊場本尊は准てい観世音菩薩。ここの両本尊はあくまでも穏やかで、心を和ませてくれる。明治26年長野から中村厚学がこの地に大師教会を設立したのが基。近くに御大師山という名の小高い丘ある。
0808_071 いよいよ札幌市に入り、大谷地インターに接するように北海道36不動尊霊場第34番札所成田山・大照寺が派手な姿がある。本堂にはご本尊と三十六童子、両大師が祀られ、境内には33観音霊場、茶室「意想庵」など盛り沢山。交通安全の寺として有名であるという。
0808_072 北インターのそばに、同36不動尊霊場第32番札所宝寿山・吉祥院がある。大きな道路に面し、境内はなく、大きな講堂風の建物の二階にご本尊・御身丈3㍍に及ぶ赤目不動が祀られてある。
0808_080 宮ヶ丘にある北海道総鎮守北海道神宮に参拝。明治二年に守護神・開拓の神として創祀された。御祭神は大国魂神、おおなむちの神、すくなひこなの神(開拓三神)と明治天皇。鬱蒼とした森に覆われた広大な境内は、まさに北海道の「鎮守の森」といった風情が漂っていた。ちょうど御門の改修工事が行われていた。
写真をクリックすると拡大

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2008年9月24日 (水)

まっしぐら石狩平野を突き抜ける

寺社集印=北海道・石狩市

0808_062 小樽市の宿はニセコ・スコット(写真左)。小樽商大の下にあたり、静かな住宅地にある。明治か大正か、かってはお医者さんの住宅であったものをイタリアン・レストランと宿として使っている。外観はいいが、内部はレトロというかガタビシ、だが食事は結構なものだった。
0808_063 小樽を後にして札樽道・新道を経由して雁来、そこから国道275線を北上した。途中から直線道路になりデッカイドーを実感しながら、またスピードにも気を使いながら石狩市別当町まで走った。北海道36不動尊霊場第35番札所成田山・文教寺がある。大正13年稗貫文十郎氏が一寺建立を発願、私財を投じて私有地に建立。夫人は得度して隆円尼となって昭和38年まで寺務に当たっていたという。
0808_067 札幌方面にかえって、石狩川河口の平坦地「花畔」。かっての入植当時は鬱蒼とした森だったというから驚く。北海道33観音霊場第10番札所覚王山・立江寺がある。ご本尊は地蔵大菩薩、霊場本尊は千寿観世音菩薩。明治32年富山県の村尾恵明氏が石の地蔵をお祭りしたのが基という。
本日の走行距離は209㎞累計783㎞であった。写真をクリックすると拡大。

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2008年9月16日 (火)

今もなお運河倉庫は賑わえり

寺社集印=北海道・小樽市

0808_052 折角の小樽訪問なので、昼食を兼ねて港に降りた。懐かしの埠頭から運河にかけて散策したのだが、相変わらず大変な観光客だった。しかも東洋系の客が目立った。写真上、中がかの有名なレンガ倉庫群、変わりなく運河の畔に佇んでいた。

0808_055 遅い昼食を済ませて、港から奥沢十字路を真っ直ぐ抜けて北海道36不動尊霊場第30番札所無漏山・不動院を参拝。町中とあってのモダンな山門から本堂まで、全てが完全耐火構造である(写真下)。明治15年「無漏一道師」の開基。ご本尊は四国八十八ヶ所79番高照院所蔵の不動明王。

0808_046 港の方に引き返し南小樽駅の近く、住之江に北海道36不動尊霊場第31番札所成田山・新興寺がある。山田秀誓師が大本山成田山・新勝寺の不動明王をここ小樽市に持参、会所を設けたのが開基。以来「住之江のお不動さん」と親しまれ、新勝寺の直末となっている。次に紹介する石狩市・文教寺の住職が兼務しているようだ。
今日はこれまでとして、小樽で泊まることになる。本日の走行距離98㎞、累計574㎞であった。
写真をクリックすると拡大。

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2008年9月14日 (日)

山の手の寺から一望小樽湾

寺社集印=北海道・小樽市

0808_049 「坂の町小樽」で、まず山の手に当たる高級住宅地の富岡にある北海道33観音霊場第七番札所小樽高野山・日光院を訪ねる。ここからは小樽湾が見事に一望できる。明治19年信者が建立した大師堂が始まり。修験僧として名高い和歌山の鷹尾了範が小樽の赤岩山を修行道場にして布教に努めたという。ご本尊は聖観音菩薩、霊場本尊は如意輪観世音菩薩。0808_047

山手を南に大きく迂回して、山の中腹に広がる住宅地「最上」の中ほどにある北海道33観音霊場第八番札所大網山・精周寺。周囲は樹木で覆われ、参道も整備された静かな寺域を形成している。ここからも木々の合間から小樽湾が望まれた。ご本尊は大日如来、霊場本尊は聖観世音菩薩。明治15年に大網精周が建立したとされる。
写真をクリックすると拡大。

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2008年9月13日 (土)

片仮名の地名で残るオタモイよ

寺社集印=北海道・仁木町、小樽市

0808_038 一夜明けても、羊蹄山は雲の中。涙を呑んで倶知安経由、国道5号線を余市に向けて出発した。余市の手前にある仁木町は、なだらかな丘陵地帯にあり、果物の生産が盛んなところ。国道沿いに多くの販売所が並ぶ。
明治22年徳島出身者によって建立されたお寺が北海道33観音霊場第六番札所北明山・仁玄寺。ご本尊は大日如来、霊場本尊は千手千顔観世音菩薩。広い境内に北国には珍しい欅の大木があった。
0808_041 小樽市に入ってすぐに、珍しいカタカナの町名「オタモイ」というところがあり、国道から左手の小高い丘の上に北海道36不動尊霊場第29番札所寶珠山・龍照寺がある。昭和14年祈祷師として龍照師が大師教会を設立したのが始まりで、昭和50年現在地に本堂を建立して不動明王を安置したといわれる。
0808_043 住職に絶景の場所があると教えられ、オタモイ海岸を望む高台に登って見た。西に窓岩、立岩など見事な岩場が、日本海に向って突き出ていた。(写真下)
写真をクリックすると拡大。

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2008年9月11日 (木)

羊蹄山われを嫌って雲の中

寺社集印=北海道・岩内町、倶知安町

0808_032 寿都町で昼食後、国道229号線(通称:ソーランライン)を日本海海岸に沿って北東に進み岩内町に入る。このラインはニシン漁の本場とされ、雷電海岸から積丹半島までは北海道を代表する景勝地。岩内町東山には北海道33観音霊場第五番札所遍照山・本弘寺がある。ご本尊は大日如来、霊場本尊は千手観世音菩薩。
0808_033 明治33年肥田盛道が布教所として建立した。彼は山本ラクさんの霊場開創発願の理事長も引き受けており、よき相談相手であつたようだ。寺内は広く、大師堂内で88ヶ所のお砂踏みもできるという。

0808_036 お天気ならば羊蹄山が綺麗であろう山麓。倶知安町の広々と、かつ整然とした町並みの一角に北海道33観音霊場第四番札所覚王山・金剛寺がある。ご本尊は大日如来、霊場本尊は千手千眼観世音菩薩。明治35年尾道市の石井理源によって開創されたという。
今日はこれまでとして、ニセコ高原の「ニセコ・スコット」に泊まる。部屋の窓からも、大浴場からも羊蹄山は厚い雲に覆われ、全く姿を見せず、極めて残念であった。本日の走行距離は211㎞、累計476㎞であった。写真をクリックすると拡大。

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2008年8月29日 (金)

ヤン衆が不動信仰の後ろ楯

寺社集印=北海道・留寿都村、寿都町

0808_023 長万部から高速道に乗り虻田・洞爺湖ICで降り、洞爺湖を右に見て北上、虻田郡留寿都村(あぶたぐん・るすつむら)に入る。北海道36不動尊霊場第24番札所高野山・遍照寺。明治41年瀧沢善澄和尚の説教所として設立されたのが始まり。五穀豊穣のお不動さんとして篤い信仰を集めているという。さきの洞爺湖サミットでは大変な警備陣が敷かれたようだ。

0808_024 今夜は洞爺湖畔のホテル、グランド・トーヤに泊まる。遊覧船のハーバー入口のホテルでロケーションはいいはずが、写真左のように厚い雲に覆われ、中ノ島も霞んで頭が見えない。まだ暫く天気の回復は望めないようだ。左手にあるはずの、洞爺湖サミットの山上ホテルも霞んでいて、写真にならない。当日の走行距離は247㎞、累計265㎞であった。比確的狭い範囲の道東ながら、やはり北海道は「デッカイドー」と実感した。

明けて今日は長万部まで引き返し、そこから北上して黒松内町、北海道36不動尊霊場第26番札所白龍山・真言寺に参拝。大正10年、次に訪問する菩提院の説教所として開設され、総本山智積院より不動明王、両大師像が下付されている。ここ黒松内町は酪農の盛んなところで、またブナ林の北限の町としても有名なのだそうだ。
0808_028 更に北上して日本海に達した寿都町(すっつまち)字新栄町、北海道36不動尊霊場第27番札所密乗山・菩提院に参拝。明治23年、智山派本山より北海道開教使として渡道した中山桂学師による建立。本尊の不動明王は長年、秋田県佐竹藩主の持念仏であって、鎌倉時代の作と認定されている。ここ寿都から江刺にかけて、ニシン漁のヤン衆らの不動尊信仰が、菩提院を発展させた歴史があるようだ。
また北海道33観音霊場第三番札所菩提院・奥の院は少し小高い丘にある観音堂。同じく山中桂学師の建立。霊場本尊は千手千顔観世音菩薩。(つづく)写真をクリックすると拡大。

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2008年8月28日 (木)

カニめしのホカホカなのは旨くない?

寺社集印=北海道・函館市

0808_016 函館山を東南に迂回した山腹の谷地頭に函館八幡宮がある。御祭神は品陀和気命(ほんだわけのみこと・応神天皇)配祀は住吉大神、金刀比羅大神である。社伝によると後花園天皇文安2年(1445年)亀田郡領主・河野加賀守政通が函館に城を築き、その東南の外郭に八幡神をお祀りしたのが、始まりとされる。その間、幾多の変遷を経て明治29年に国幣中社になったもの。
今日はこれまでとして、八幡宮下の厚生年金系のウエル・サンピア函館に泊まる。ここには昔一度泊まった事があり、谷地頭と聞いて思い出して予約したが、9月一杯で営業中止、老人ホームになると聞いた。本日の走行距離は18㎞と僅かだった

0808_017 一夜明けると雨になった。函館ICから東に入る陣川町にある北海道33観音霊場第二番札所明光山・神山教会。ご本尊は弘法大師、霊場本尊は十一面観世音菩薩。明治36年、高野寺(前号)住職・小山智道の説教所として開創されたもの。現在は無住職寺で高野寺でご朱印はもらう。左の写真は神山教会の入口に並ぶ観音像群、後列右の聖観音の後ろのお地蔵さんの麦わら帽子が面白い。

0808_019 これで函館市は終わり、洞爺湖に向う途中、大沼公園に立ち寄ったが、今回も駒ケ岳は雲に隠れていた。一時間ほどお茶を飲んで粘ってみたが、雨が更に強くなり、どうも駒ケ岳には縁が無いようだ。止む無く小沼の睡蓮を撮って(写真左下2枚)、長万部に向う。
0808_021 目的は駅前の「かなや本舗」カニめし駅弁。味噌汁と甘ったるい茶碗蒸しつきのホカホカのカニめし、有名なほど味のほうは今一だった。やはり駅弁は冷めかかった、折り箱の隅をつつく様にして茶を啜りながらが、旨いのかもしれないと思った。(洞爺湖へつづく)。

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2008年8月27日 (水)

函館が山本ラクさんの振出地

寺社集印=北海道・函館市

0808_011 午後一番に北海道33観音霊場第一番札所北南山・高野寺に参拝。因みに「北海道33観音巡礼」は徳島県出身の山本ラクさんが、大正2年、33体の観音像を道内の真言宗寺院に奉安されたのが、きっかけとなった。北海道の雄大な自然の中、ほぼ一周するように配置されている。
さて、この一番札所である高野寺は霊場最南端、函館山の麓の住宅地のなかにある。明治17年の開創と歴史は古く、北海道開拓とともに歩んできたといえる。火災や幾多の辛苦を乗り越えて現在に至った、風格あるお寺であった。ご本尊は高野山からお迎えしたという金剛界大日如来坐像(国定重文)霊場本尊は如意輪観音菩薩(前記山本ラクさんの念持佛)。ここで第二番札所明光山・神山教会のご朱印も頂いた。

0808_012 0808_015 潮見丘の見晴らしのよい位置に函館護国神社(写真左)がある。御祭神は戊辰の役・函館戦争から太平洋戦争にいたる函館市、渡島・桧山・後志支所管内の戦没者1万3千余柱。明治2年5月、函館戦争の官軍勝利が決定、大森浜で招魂祭が行われて招魂社として創建され、昭和29年に函館護国神社になったのであるという。写真右は潮見丘から函館市の眺望。クリックすると拡大(函館市つづく)。

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2008年8月26日 (火)

残暑さけ集印先は北海道

寺社集印=北海道・函館市

盆前は厳しい暑さに見舞われていたが、明けるのを待って、不届きながら??足は涼しい北海道へと向った。目標は北海道33観音霊場巡り、関連して所在地の神社、それに北海道36不動尊霊場巡りである。
0808_008 例の如く函館空港でレンタカーを調達、函館駅すぐ近くの松風町にある北海道36不動尊霊場第28番札所成田山・函館寺を第一に参拝。記念にご朱印帖を頂く。明治16年ごろ篤信者・山田亀吉氏の献身的努力によって創建、後にご本尊の分霊を勧請され成田山別院が設立されたものという。真言宗智山派のお寺。数度の大火に見舞われながら、再建が繰り返されたようだ。

0808_009 駅を過ぎて元町の船魂神社(ふなたまじんじゃ)に参拝。北海道最古の神社とされ、御祭神は塩土老翁神(しおつちおじのかみ)=浦島太郎の竜宮城伝説、大綿都見神(おおわたつみのかみ)=海を司る神、それに須佐之男神(すさのうのかみ)=この世を初めて治めた神とされる。ここには義経伝説があり、それは文治の末(1190年)義経一行が津軽から蝦夷地に渡る時、暴風雨に襲われ船がまさに沈もうとしたとき、船魂明神の奇跡により難を逃れたという話。

0808_010 この辺で午前の部は終わりとし、埠頭に降りて海鮮市場を覗いたり、昼食にイカ・ソーメンにお寿司などをつまんだ。いいお天気に冷たい風は最高であった。(午後に続く)写真をクリックすると拡大。

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2008年8月 2日 (土)

光なす 仏住まわん 公孫樹

寺社集印=秋田・大館市

0806_061 能代から内陸の大館盆地に入り、市内の医王山・遍照院(いおうざん・へんじょういん)に参る。東北36不動霊場第12番札所にあたり、秋田最後の霊場である。開基は小場義成(後に佐竹姓を名乗る)であるというが、「大館城と関係社寺」から由来をみると、至徳3年(1386年)小場大炊助が小場城外に一宇建立、本尊に薬師如来を安置すとなっている。現在真言宗智山派のお寺。
0806_062 和尚に大館市内の寺社を数軒教えてもらい、まず大館八幡宮(写真右)、次いで下の寺・蓮荘寺、中の寺・松榮山浄応寺=真宗大谷派を訪ねたが、この2寺は不在。
0806_066 最後に鳳凰山・玉林寺(ほうおうざん・ぎょくりんじ=写真左下=ご本尊は馬頭観音)を参って、同窓会を兼ねた秋田の集印の旅はとりあえず終った。次の青森県は何時になることやら・・。合掌・・・。

サブタイトルは遍照院のご詠歌から引用。写真をクリックすると拡大

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2008年7月30日 (水)

新緑も 寂びしかりけり 檜山の里

寺社集印=秋田・能代市

0806_051 大館の途中、能代市檜山に寄ってみた。国道から入ると右手の小山の麓に赤い鳥居が目立ったので、まず入った。鳥居から急な坂道を登ること約150m、檜山神社である。手入れはされているが、社務所も、勿論民家もない。「古四王神社の杉」??と題する能代市指定文化財(天然記念物)の立て札だけが手がかり。(左の写真)中央にある杉の大木がそれで、「千年杉」といい、坂上田村麻呂が戦勝を祈願して神社を建て、この杉を手植えしたものとある。また古四王神社は明治末期に周辺諸社と合祀されて「檜山神社」となったと明記してある。

0806_055 桧山城跡公園の入口に曹洞宗の多宝院。秋田県の有形文化財に指定されている。住職不在で何も分からないので、また、立て看板の説明だ。
0806_053 本院は桧山城代・多賀谷氏の菩提寺。本堂は明治八年に改築されたもので、江戸末期の曹洞宗寺院の特徴を残している。鐘楼は上下に分かれており、上部が長方形、下部は袴腰をつけている(写真右)。山門は文化15年(1818年)建造で(写真左下)二階には禅宗様高欄に花頭窓が残っている。

もう少し部落の中に入ると善城山・浄明寺があったが、ここも留守、しかも真宗大谷派の末寺ということでご朱印は無かった。三寺社不調でがっかりして大館に向う。
写真をクリックすると拡大

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2008年7月29日 (火)

男鹿の島 椿花咲く 不動尊

寺社集印=秋田県男鹿市と三種町

0806_045 土崎港から半島の沿岸を北西に男鹿市を目指す。船川港を見下ろす高台に東北36不動尊霊場第10番札所幸福山吉祥院(きっしょういん)がある。通称;波切り不動。
0806_046 男鹿は仏教の発祥地、本山、真山、毛無山の三山がそびえる、慈覚大師開祖の赤神山日積寺永禅院の信仰の地とされている。永禅院代五世・覚運(953~1007年)の開基とされ、当初は天台宗の寺院だった。明徳(1394年)のころ高野山龍光院の感化を受け真言宗智山派に改宗されたが、その後幾度もの廃寺の危機を経て、昭和18年現在地にその法燈を継承したものという。

0806_047 八郎潟干拓地を横断して三種町鯉川に向う。東北36不動尊霊場第11番札所日王山玉蔵寺(ぎょくぞうじ)通称:鯉川不動。
現在は真言宗智山派に属しているが、その昔、男鹿にあった日積寺永禅院の塔頭の一ケ寺として創建され、天台宗の寺院であった。現在の本堂は昭和58年に建立されたものであるが、内陣の丸柱は神代欅が使われ神々しい光を放っていた。

第12番は内陸の大館市にあり、距離があるので途中能代市に立ち寄るべく車を走らせる。
タイトルは吉祥院のご詠歌を引用。写真をクリックすると拡大。

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2008年7月27日 (日)

荒波を 砕きて渡る 二八の尊

寺社集印=秋田土崎港

秋田の海の玄関口土崎港は近代的な港湾として発展しているが、ここに二つの東北36不動尊霊場がある。
0806_037 その一つが第八番・永福山嶺梅院(れいばいいん)。由来は後醍醐天皇(1318~1330年)の側近、万里小路・藤原藤房卿が東奥に下り、秋田市松原の山中に隠棲した閑居寺を嶺梅院と名付けた。寛延年間(1748年)桂岩極芳和尚が現在地に立派な寺として建立したものという。ご本尊は子安観世音菩薩、札所本尊の不動明王は北300mにある金刀比羅宮の本地仏だったものを維新の神仏分離によって、こちらに移されたもの。また境内には日本三大弁天の一つといわれる丈六の弁財天が祀られている。曹洞宗のお寺。

0806_042 ごく近くに第九番・湯殿山多聞院(たもんいん)がある。通称:波切り不動、天台宗のお寺。開山は慈覚大師、一説には元禄年間(1688年)創建とも云う。羽黒山系天台宗から発展した寺院という説もある。松前船・辰悦丸が航路の安全を祈願し石段と同船の碇などを寄進している。最近に和尚がなくなられたそうで、早々に退散した。

タイトルは嶺梅院のご詠歌から引用

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2008年7月26日 (土)

ありがたや 厄難消滅 南無不動

寺社集印=秋田市

秋田在住のk君の設営で、男鹿温泉で同窓会があり、これを機に東北36不動尊霊場巡り秋田県分の6寺などを訪ねることにした。

0806_025 例のように秋田まで新幹線で行き、レンタカーでまずは秋田市赤沼鎮座の太平山・三吉神社・里宮(たいへいざん・みよしじんじゃ・さとみや)を参拝。ご祭神は大己貴大神(おおなむちのおおかみ)少彦名大神(すくなひこなのおおかみ)三吉霊神(みよしのおおかみ)。ここは秋田藩主の雪見御殿跡地で、山頂の奥宮までの登拝路は険しく遠いため老幼の者が参詣できなかったので、里宮として建立されたもの。
霊峰太平山・奥宮は海抜1171m、天武天皇の白鳳2年(673年)役行者・小角の創建、桓武天皇の延暦20年征夷大将軍坂上田村麻呂が東夷征討のさい、戦勝を祈願して堂宇を建立したといわれる。毎年7月17日山開き、閉山の9月17日までの2ヶ月間は登山参拝者で大いに賑わうという。

0806_027 東北36不動尊霊場第七番札所・普光山普伝寺(ふでんじ)を訪ねる。ご本尊の不動明王坐像は運慶の作風を伝え、秋田市の指定文化財に指定されている。
0806_028 通称:厄除け不動、真言宗智山派のお寺。開基は不明で、現在の義佑和尚が13代といわれることから、初代普光上人は中興と考えられる。
このほか弘法大師坐像、胎蔵界曼荼羅など多くの文化財が所蔵されているそうだ。

0806_031 土崎港に向う旧国道沿いの寺内に国幣小社・古四王神社(こしおうじんじゃ)がある。かつてこの地を高清水岡といい、北辺防備の根拠地とされ、中世秋田城鎮守「古四王大権現」と称されて武人・地方民の崇敬が篤かったといわれる。

タイトルは普伝寺のご詠歌から引用。写真をクリックすると拡大。

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2008年7月15日 (火)

今朝見れば つゆ岡村の 庭の苔

寺社集印=山形県東村山郡

0805_159_2 最上33観音霊場第13番札所は通称・三河村(みかわむら)観音山・常福寺。曹洞宗のお寺。ご本尊の聖観音立像も行基の作とされ、秘仏として開創555年記念のご開帳までの間、一度も開帳されたことがないと伝えられてきた。「若松」と同じ木が使われたという言い伝えから、行基が鈴立山に留まった和同年間のものと考えられるのだそうだ。「長谷堂」から西部農免道路を北に8㎞、須川の西岸、閑静な地に位置する。

0805_155 最上33観音霊場第14番札所は通称・岡村(おかむら)金剛山・正法寺。真言宗のお寺。ご本尊は千手観世音菩薩。大和の長谷寺の観音と同じ白檀を彫刻したというもので、これまた行基の作。創建は元正天皇の養老5年とされている。
ご本尊は俗に「雨乞い観音」と呼ばれ、雨乞いの霊験はあらたかで、農民に深く信仰されている。秘仏として容易に開帳されないが、約50年ほど前の大旱魃の際、農民の熱望により、ときの住職が特別に開帳して祈祷し、皆が大いに救われたという実話があるそうだ。
タイトルは「岡村」のご詠歌から引用。

さて、最上33観音霊場めぐりはいったん中止となる。つぎに山形を訪ねるのは目下未定であるが、機会をつくって是非続けたいと願うものである。

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2008年7月14日 (月)

長谷堂の 山も誓いも 深くなりけり

寺社集印=山形県上山市と山形市

福島に向う国道13号線沿い、上山温泉から南に約1㎞のところに通称・高松(たかまつ)最上33観音霊場第11番札所高松山・光明院がある。真言宗のお寺。ご本尊は正観音坐像、行基の作。
0805_160 行基が高松の里に小さな庵を作り、しばらくの間住んでいたとき、この像を彫り人々に参拝させたのが始まりで、その後上の山にお堂を立てて安置した。この観音の霊験はあらたかで、45代聖武天皇のお耳に止まり御祈祷所に指定されるや、大名から一般人まで参拝者が増えたという。慶応元年山火事でお堂は火に包まれたが、ときの別当・光明法院が猛火の中をくぐってご本尊を運び出したという。現在のお堂は維新後、明治五年に再建されたものである。

山形市に帰り、市の西部、小高い丘の上に通称・長谷堂(はせどう)最上33観音霊場第12番札所長谷山・長光院を訪ねる。真言宗のお寺。根本仏は十一面観世音(一寸八分の黄金胎内仏)ご本尊は三尺ほどの木像。行基の作。
0805_157 源頼義は奥州賊伐に際し大和の長谷寺の観世音を守護仏として兜のなかに収めていた。やがて都に帰還するある夜、夢に観音が「我を永くこの地に止めて祀らしめよ」と命じられたので、お堂を建て、持参した仏像を安置して凱旋した。地名、山号である長谷堂・長谷山は大和の長谷寺の名から付いたものという。
写真をクリックすると拡大。タイトルは長谷堂のご詠歌から引用。

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2008年7月13日 (日)

巡礼者 ひきも切らさず まつのをの山

寺社集印=山形市と上山市

山形市の南、蔵王半郷は蔵王の玄関口に当たる。ここに最上33観音霊場第九番札所・通称「松尾山」(まつおさん)金峰山松尾院がある。ご本尊は聖観音(高さ3.26㍍)脇立の勢至菩薩(高さ3.03㍍)ともに行基菩薩の作。
0805_165 元明天皇の和銅元年行基がここに野宿、夢に無量寿仏、観音、勢至の三仏が桂の木に留るのを見た。行基は山の奥に入ると夢に見た桂の大木があったので、これを切って三仏を彫ったとされる。
観音堂は国の重要文化財に、両像は県の有形文化財に指定されている。白衣の巡礼者の似合う風景である。

上山市に最上33観音霊場第十番札所・通称「上の山」(かみのやま)水岸山・観音寺がある。その昔、境内に共同浴場にお湯をそそぐ滝口があったので、地元では「湯の上」とも呼んでいる。その名残か、大きな岩が見える。
0805_161 ご本尊は聖観世音菩薩、行基の作。鳥羽天皇の天仁2年(1109年)道寂和尚の開山とされる。昔、この山のふもと一帯は湖であって満々と水をたたえていたので山号を水岸山と称したという。
写真をクリックすると拡大

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2008年7月12日 (土)

岩波の 誓いはつきじ 苔のむすまで

寺社集印=山形市

「平清水」から2㎞ほど、西蔵王高原の入口付近に最上33観音霊場第七番札所・通称「岩波」(いわなみ)新福山・石行寺がある。天台宗のお寺で、ご本尊は行基菩薩の作で七尺三寸の十一面観音。
0805_151 元明天皇の和銅元年、行基菩薩が東北地方を巡ったとき、ここの風景が補陀落山に似ていることからお堂を建てた。岩波という地名は、前を流れる瀧山(りゅうざん)の流れが岩にあたって白い波を立てているところから、また石行寺の寺名は行者が石を踏みしめ河原道を行くことから付けられたという。
脇士の不動明王と毘沙門天は慈覚大師の作で、時代を物語る数多くの寺宝が残されているそうだ。

山形市街の南寄り、鉄砲町に最上33観音霊場第八番札所・通称「むつクヌギ六くぬぎ山・宗福寺がある。天台宗のお寺。ご本尊は聖観世音と得大勢至の両菩薩、ともに行基菩薩の作である。
0805_168 慈覚大師が布教に来られ住民から六道の苦しみを救わんものと、檜が無かったのでその代用として「くぬぎ」の木で護摩を焚いたのが「むつくぬぎ」の始まりと伝えられている。
相次ぐ火災で、建造物・書類・器具など全て焼失したが、不思議に観音堂だけはその都度焼け残ったという。
タイトルは「岩波」のご詠歌から引用。

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2008年7月11日 (金)

ひがしやま 流れは同じ ひらしみづと

寺社集印=山形市

山形と仙台を結ぶ国道286号線に沿って流れる馬見ヶ崎川の右岸に最上33観音霊場第五番札所・通称「唐松」(からまつ)がある。唐松山・護国寺である。曹洞宗のお寺。
0805_143 橋のたもとから見上げると、山の中腹にへばり付く形。一条天皇の正歴元年(990年)平清水の郷民・森山氏の妻が戦死した夫の冥福を祈るため、唐松山の霊窟に観音像を祀り川岸に草庵を結んだのが、この寺の始まりという。その後上流に住む炭焼き・藤太のもとに、京都・清水観音のお告げといって美女・豊丸姫がはるばる訪れ、藤太の妻となる。姫の念持仏が弘法大師作の一寸八分金無垢の聖観音像であり、藤太はこれを霊窟の祀り、その前に堂宇を建てて拝殿とした。
ときの山形城主・松平忠弘は鬼門守護仏として、京都の清水観音の舞台を模して大悲殿を建立した。現在の観音堂は信者の浄財により昭和51年に復元したもの。

「唐松」をあとにして最上33観音霊場第六番札所・通称「平清水」(ひらしみず)にむかう。清水山・耕龍寺である。曹洞宗のお寺。左手に釣鐘型の千歳山がある。全山松に覆われ、なだらかな山容は平安のころから名勝地として知られていたという。
0805_148 千歳山から流れ出る川を渡って別当耕龍寺へ、そして段丘のなかを登って観音堂へ。寺伝によれば後冷泉天皇(1050年)のころ源頼義が奥羽の安倍貞任を討ち、凱旋の途中「京都音羽の瀧」に似たここ平清水に、京都清水寺より十一面観世音を勧請して安置したのが始まりとある。また伝説では付近一帯は湖で、そこに住む龍神を白苗和尚が成仏させたところ、湖が立派な耕地に生まれ変わり、耕龍寺の名が付いたという。
この一帯は「焼物の里」と呼ばれ「平清水焼」で知られる。一見「清水焼」を思わせる上品な焼物で、窯元が多数みられる。タイトルは耕龍寺のご詠歌から引用。

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2008年6月28日 (土)

花を見て いまや手折らん 千手堂

寺社集印=山形市

0805_139 最上33観音霊場第三番札所千手堂(せんじゅどう)守国山・吉祥院は山寺から約13㎞、山形市の北の郊外に位置する。聖武天皇の天平年間、出羽の国に悪い病が流行して、この退散祈願のために行基菩薩が派遣された。これが開基とされる. 天台宗のお寺で、ご本尊の千手観世音は175㎝一木造りの立像で平安時代初期の作とみられ、柔和で高貴な容姿を今に伝えている。またこの辺一帯は古墳地帯で知られ、石棺、土器など多く出土しているという。

市内中心部のやや北側の宮町に最上33観音霊場第四番札所=大慈山・円応寺(えんのうじ)がある。室町時代の延文元年(1356年)山形城主・斯波兼頼公が城の北東方に位置した現在地に守護仏として観音を奉安したのが始まりという。
0805_140_2 真言宗のお寺で、ご本尊は聖観世音黄金佛、弘法大師の作と伝えられ、兼頼公自身の兜の前立てに付けていたそうである。火災で建物・宝物すべて失ったが、尊像だけは焼失をまぬがれたという。
註;タイトルは吉祥院のご詠歌から引用。写真をクリックすると拡大。

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2008年6月27日 (金)

閑さや 岩にしみ入る 蝉の声

寺社集印=山形市

0805_135 今日のタイトルにも使わしてもらった芭蕉の句で有名な山寺。まずは立石寺・根本中堂だけお参りして、そこから東方約1km先の山寺・観音堂=宝珠山・千手院(せんじゅいん)最上33観音霊場第二番札所にむかう。
ご本尊は慈覚大師の作とされる千手観音。天長七年慈覚大師円仁が東北を巡り山寺まで来られ、余りにも荘厳・雄大な景観に心を惹かれ、この地に天台宗東北の霊場づくりを決意されたのが始まりと縁起にある。
0805_136 当千手院の裏山にある垂水岩に千手観音を祀り、その東に大日如来、西に本院域を創り薬師如来、阿弥陀如来を祀って山寺・立石寺の草創期とし、さらに整備を続けられた。
この寺は古来「出羽の山寺」としてその名を知られ、景勝は「東北の耶馬溪」とうたわれ、参拝登山者ひきを切らず、法燈の輝くこと千百三十余年、県内きっての霊刹である。
写真下は境内から仙山線のレールを見る。写真をクリックすると拡大

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2008年6月26日 (木)

わかまつや おいにもたのめ とこゑひとこゑ

寺社集印=山形・天童市

今年は子年、「12年に一度の合同ご開帳」が最上33観音霊場で行われると聞いて当観音霊場めぐりを思い立つ。
0805_121 JR天童駅から東へ5㎞、鈴立山の中腹に、「花笠音頭」にも唄われている「若松様」若松寺(わかまつじ)最上33観音霊場第一番札所・通称=若松観音がある。
行基菩薩によって和銅元年(708年)に開山、ご本尊の等身大の聖観世音は行基菩薩が自ら刻んだものとされ、永久秘仏。平安時代には弘法大師空海、慈覚大師円仁らの登山により一大仏教霊地に発展した。
0805_124 室町期の香ただよう重厚な観音堂は撫材を基調とした五間五面・単層入母屋造で、東北地方の数少ない密教本堂の遺跡例であり、昭和38年に重文に指定されている。その他数々の堂宇が点在する境内は神秘的な雰囲気におおわれ、一番札所に相応しい霊場だった。
註;①タイトルは若松寺のご詠歌から引用。②写真をクリックすると拡大。

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2008年6月23日 (月)

大師さん 恵雨を乞われた 雷不動

寺社集印=山形・天童市

0805_078 庄内を去って月山峠(がっさんとうげ)を越えて最上に引きかえす。途中右手に見える月山にはまだ残雪が多く見られた。「温泉と将棋の駒」で有名な天童市、その上山口村に高瀧山・光明院(こうりゅうざん・こうみょういん)東北36不動霊場第三番札所がある。天台法流のお寺で、ご本尊は大聖不動明王、通称:高瀧山不動尊には「行基菩薩が開眼した景勝無双の霊地」と縁起にあり、滝の魔崖佛に土地の信仰を集めている。

0805_126 山形盆地の東端に位置する青野郷は農業地域、丘陵には果樹園が広がる。上埜山・大樹院(じょうやざん・だいじゅいん)東北36不動霊場第四番札所がある。天台宗のお寺で、ご本尊は不動明王。
0805_129 通称:雷不動明王にはまたの名を「請雨瀧不動尊」とも呼ばれ、次の話が伝わっている。弘法大師は湯殿山を開基、下山すると大旱魃に見舞われ雨を乞う民衆を目にする。そこで辰巳の方、この地に山篭りされ雨を乞われたところ、雷不動尊が現れ恵雨を得たとある。

これで山形県内の東北36不動霊場第一から第六番札所を巡ったので、次にご朱印を紹介する。

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2008年6月20日 (金)

杉木立 なかにドッカリ 五重塔

寺社集印=山形・鶴岡市

0805_108_2 鶴岡を去るにあたって何とも気にかかるので、雨の中、出羽神社(いではじんじゃ)表参道から国宝・五重塔まで歩くこととした。
0805_109 羽黒山北西麓の手向から参道を歩く。鳥居をくぐると随神門(ずいじんもん)その右手前に「天拝石」という大きな岩がある。門を入ると下りの階段・継子板の道、右に左に多くの境内社が祀られている。だらだら坂なので余り気にならず進む。
0805_114 祓川(はらいがわ)にかかる神橋を渡ると右手に須賀瀧があり、左に曲るとひと際大きな翁杉が見えてくる。この杉は天然記念物に指定されている。
0805_115 この奥、木立の中に国宝・羽黒山五重塔が建っている。永平年間(1377年)の建立とある。明治41年特別保存建造物、昭和4年国宝建造物、昭和25年重要文化財、昭和41年国宝にそれぞれ指定され、どっしり重量感をもつ。素木造・柿葺、法三間、五層、高さ八丈(24㍍)東北地方「最古・最優秀の塔」と説明されていた。 ここからが2446段、一の坂、二の坂、三の坂と続くのだそうである。ここまでで終わりとする。
明日は月山峠を帰り、天童に向う。写真をクリックすると拡大

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2008年6月17日 (火)

法の光をしるべにて帰り来ませよ荒川の里

寺社集印=山形・鶴岡市

0805_104 立て看板が目につき市内神明町にあった鶴岡天満宮に寄る。一寸、大通りから入ったところだが静かな所。0805_105 天神さんだけあって境内には梅林が広がっている。ここは「化物祭」が有名だそうだ。手拭で覆面し編み笠をかぶって赤い襦袢に黒の股引といったスタイル。社殿を三回廻って、その後知人宅などの家々を廻り、持参した瓢箪の酒を声を出さずに振舞う。この日だけは化物は天下御免で何処の家にも無断で上り込めるという。ご朱印だけ頂く。

羽黒町のガイドマップを参考にして最初に訪ねたのが「高寺」にある高寺山・照光寺(しょうこうじ)庄内観音札所第30番とある。ご本尊は千手観世音である。0805_106

次に羽黒町「川行」の永福寺(えいふくじ)出羽七福神八霊場・吉祥天にあたる。ここに来て雨に風まで加わってきた。

0805_107 今日はこれまでかと思いながら、車を「荒川」に走らせていると「庄内おばこ観音堂」の看板を見つけて立ち寄る。金沢山・荒川寺(きんたくさん・こうせんじ)。
庄内おばこ」とは林守八兵衛の長女で美しい娘。父とともに「おばこ茶屋」を営み、出羽三山詣での客で大いに繁盛した。父を亡くした彼女47歳の安政四年(1857年)両親の供養のため西国巡礼に出かけ、琵琶湖まで来たところで、湖上で嵐にあい、船の同乗者たちの身代りとなって入水自殺したという物語。残念ながらご朱印は無かった。
註; ①タイトルは庄内おばこ観世音ご詠歌。②写真をクリックすると拡大。

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2008年6月16日 (月)

代々の 海難守護ぞ 善寶寺

寺社集印=山形・鶴岡市

0805_091 雨の中、砂田町で二階建の寺院を発見、雨宿りを兼ねて立ち寄った。南岳寺(なんがくじ)お参りして、ご朱印を頂いたが、住職が留守で、由緒など不明。外観だけの写真をかろうじて撮って退散。
0805_096 小雨になったところで市内下川の龍澤山・善寶寺(りゅうたくざん・ぜんぽうじ)に着く。大きな駐車場があり、境内も広い。立派な山門をくぐると左手に五重寶塔がある。この塔は「魚を採り、これを商い、食物とする」魚から授かっている恩恵に感謝して魚の供養のために建立されたものという。長い石段を登って本堂。脇を通ってその上が龍王殿にいたる。
0805_098 権現造り亀甲葺きの龍王殿は、看板によると天保四年(1833年)に再建されたとある。見事な社殿で龍道大龍王戒道大龍女をお祀りしている。何でも海難守護か、漁業のお寺のようである。
0805_101_2 ご朱印を頂き、由緒書が無いまま、その昔、日本海を行き来した松前舟や漁業関係者の魚類の供養と海上安全を祈った様子などを思い浮かべながら退散する。
まだ、時間があるので、昼食後、鶴岡市内を廻ることにする。

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2008年6月15日 (日)

空飛ぶや ここ鶴岡の 龍覚寺

寺社集印=山形・鶴岡市

0805_085_2 予報どおり今日は朝から雨。山坂のない市街地を巡ることにする。市の中心部、泉町の龍覚寺(りゅうかくじ)東北36不動霊場第五番札所。通称「厄除け不動」真言宗豊山派のお寺。ご本尊は大聖不動明王。
0805_086 一千年も前の羽黒山は険しい山であって、老幼婦女の登山は無理であったので、仁安年中(1166年)鶴岡城下の一隅、三ツ曲輪南側の登山口に遥拝所として一宇を建立されたのが龍覚寺であった。
元和八年(1612年)酒井忠勝公が入国、当寺が城の鬼門にあたり、祈願所として指定されて以来、三百年にわたり酒井藩筆頭の地位を占めてきたという。

0805_088 お堀に囲まれた鶴ケ岡城址の本丸跡に荘内神社(しょうないじんじゃ)が鎮座する。前出の酒井忠勝公が庄内就封ののち、二百五十年にわたり善政を施された。
0805_090 庄内一円(現在の二市三町)の人々は藩主酒井家を敬い慕ってきた思いで、明治十年に出羽の国「庄内の産土神」として当社が創建された。ご祭神は酒井家初代忠次(ただつぐ)公、二代家次(いえつぐ)公、三代忠勝(ただかつ)公で、それに九代忠徳(ただあり)公は従三位を贈位されたことを記念して大正十三年に合祀されたという。
写真右下は境内に咲く大輪の白いシャクナゲ。クリックすると拡大。なおタイトルは龍覚寺の御詠歌を引用

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2008年6月14日 (土)

照らすらし 法の切火の 絶えることなく

寺社集印=山形・鶴岡市

0805_081 月山峠を越えて鶴岡市の羽黒山山麓にいたる。出羽神社(いではじんじゃ)の表参道を横目に見て、宿坊の並び立つ一帯を抜けたところに羽黒山・荒沢寺・正善院(はぐろさん・こうたくじ・しょうぜんいん)東北36不動霊場第六番札所がある。
0805_083 通称荒沢不動で知られ、ご本尊は不動明王、また黄金堂(国の重文)には聖観音を祀る。聖徳太子の従兄、蜂子皇子の草創(587年)と伝えられる。皇子は能除照見大菩薩と称され、法名を弘海と号した。諸国修行の途にあって怪鳥に導かれて羽黒山に登り、出羽三山を開いたという。

0805_062 夕方になり出羽神社・三神合祭殿(いではじんじゃ・さんじんごうさいでん)の表参道は1.7km、2446段の難所と聞き、南東を迂回、裏参道からエクスキュウズして参拝。本来は出羽神社のみが鎮座していたが、現在の本殿は月山神社(中央)出羽神社(右)湯殿山神社(左)の三神合祭殿となっている。
0805_071 全国200社ほどある出羽神社の本源社。「修験の山」として広く信仰され、修験者によって全国に祀られたもの。神社の境内には多くの社殿・「ほこら」が点在し、三山あわせて108社の摂末社があるという。また表参道には江戸時代に植えられたという杉の大木は500余本を数えるという。
明日は鶴岡市内を巡る。天気予報は雨とある。
タイトルは正善院・荒沢不動のご詠歌から引用。

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2008年6月13日 (金)

みちのくの 湯殿の山の お不動さん 

寺社集印=山形・鶴岡市

0805_055 今日は寒河江の北西、西川町を経由して月山の峠まで登る。鶴岡市大網に東北36不動霊場第二番札所湯殿山・大日坊(ゆどのさん・だいにちぼう)がある。遥かに月山を望む湯殿山は出羽三山の奥ノ院、弘法大師の開山とある。
0805_057 その昔、湯殿山は山岳信仰の道場で女人禁制の札を守る東北屈指の霊山であったが、大日坊は女人の湯殿詣での悲願を叶えるために開山され、大日如来を安置して遥拝所としたもの。
ご本尊は金胎両部大日如来、不動尊通称は御瀧大聖不動明王、真言宗・豊山派のお寺で、「木食行者・真如海上人即身仏」が安置されいるので有名になったそうである。写真右はすぐ傍を走る高速道の鉄橋。

0805_058 山腹を迂回して、同じく弘法大師が祈祷所として建立したとされる湯殿山・注連寺(ゆどのさん・ちゅうれんじ)を訪ねる。
胎蔵界曼陀羅大日如来を刻んで本尊とし、諸人に祈祷を施して「お注連」(おしめ)をいただけるようにしたのが、数多い密教寺のなかでも注連寺信仰が興隆した特長だそうである。
弘法大師がその下で修行したといわれる双樹「七五三掛桜」は今でも咲き誇り、「鉄門海上人」の即身仏も安置されている。
クリックすると拡大。なお、タイトルは大日坊のご詠歌から引用。明日は峠を越えて鶴岡市羽黒へ。

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2008年6月12日 (木)

出羽路なる大慈大悲の不動尊

寺社集印=山形・寒河江市

今日から西国に対して東北・北海道を括るカテゴリー「15寺社集印・北国」が始まる。東北六県に跨る(一県に六寺づつ)霊場として東北36不動霊場を選んだ。山形県からはじめる。

0805_052 例の如く、山形新幹線で天童駅まで行き、そこでレンタカーを借りるという寸法。むかうは寒河江市(さがえし)、東北36不動霊場第一番札所本山・慈恩寺(ほんざん・じおんじ)通称「犬突き不動」である。
寒河江市は「将棋の駒」で有名な天童市の西、最上川支流の寒河江川に挟まれた農作地帯で慈恩寺の文化を中心に発展したとされる地域。
0805_053 草創は神亀元年(724年)行基菩薩が奏上、天平18年(746年)インド波羅門僧正が勅宣によって開山し、勅願寺と定められたのが始まりと伝えられている。ご本尊は弥靭菩薩と倶利釈迦不動明王で、天台宗と真言宗の二宗兼学によって守られてきたが、のちに山内を統一、一山組織を形成して独立した「慈恩宗」のお寺である。
写真左は古めかしい山門、右は茅葺屋根の重厚な本堂。クリックすると拡大。タイトルは慈恩寺のご詠歌を引用。明日は月山峠(がっさんとうげ)に登る。

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