2015年10月16日 (金)

信濃33観音の御朱印

第5,6,7,11,16番
05_2第5番 倉科山  妙音寺
十一面観音
長野県千曲市倉科
TEL 026-274-1707
参拝 2015年10月7日
記事 2015年10月11日
06第6番 洗淵山 観龍寺
千手観音
千曲市森大峯2650
TEL 026-272-3730
参拝 2015年10月7日
記事 2015年10月12日
07第7番 虫歌山 桑台院
千手観音
長野市松代町豊栄宮崎
TEL 026-278-3967
参拝 2015年10月9日
記事 2015年10月13日
11第11番 明真山 清滝観音堂
千手観音
長野市松代町東条菅間
TEL 026-278-3967
参拝 2015年10月9日
記事 2015年10月14日
16第16番 阿弥陀山 清水寺
千手観音
長野市若穂保科1949
TEL 026-282-3701
参拝 2015年10月9日
記事 2015年10月15日

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2015年10月15日 (木)

登りゆく83mの坂道

信濃33観音札所巡り・27

1508161第16番 阿弥陀山・清水寺

千手観音

ご愛称 保科観音
真言宗智山派

長野市若穂保科1949
TEL 026-282-3701

1508162天平14年(742年)僧・行基が自ら刻んだ千手観音像三体のうち一体を、この地に安置したのが 始まりと寺伝にあり、延歴20年(801年)坂上田村麻呂が東征を果たし、その成就に感謝して伽藍を建立したと伝えられる。

1508163足利時代には八代将軍義政の篤い帰依を受け、三重塔をはじめとする多くの堂宇を連ねた一大霊場をなした。

その後、数度にわたる火災に遭い、中でも大正5年(1916年)五月の保科大火では一山を焼失したため、奈良の石井寺より二十数体の仏像を迎えて再建した。

 

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2015年10月14日 (水)

三体の千手観音像

信濃33観音札所巡り・26
1508111_2第十一番 明真山・清滝観音堂
千手観音
ご愛称 養蚕観音
真言宗
長野市松代町東条菅間
TEL 026-278-3967(福徳寺)
奈良時代に僧・行基がこの地を訪ね、桑の巨木から立木のまま1丈8尺の千手観音像を三体刻まれ、その一体をこの地に安置したのが、起源とされる。(ほかの二体は7番・桑台寺と16番・清水寺に安置されたと伝えられる)
昔からこの三寺を一度に巡礼するとご利益が大きいとされた。
坂上田村麻呂が東国制覇の折、祈願所として寺宇を建立したとされ、最盛期には36坊、7堂の伽藍をそろえ、山岳信仰の一大霊場として栄えたという。

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2015年10月13日 (火)

蚕を供養する桑台院

信濃33観音札所巡り・25
150871_2第七番 虫歌山・桑台院
千手観音
ご愛称 虫歌観音
真言宗
長野市松代町豊栄宮崎6531
別当寺 福徳寺
TEL  026-278-3967
150872寺院名の示すように、この地方では古くから養蚕が盛んで「むしおだの観音さん」または「むしうたの観音さん」と親しまれ、蚕を病害から守り、養蚕の盛隆を祈願する人々が、熱心に参拝したという。信心深い旅人が、さなぎの鳴き声に驚き、僧を呼んで蚕を供養する堂宇を建てたのが始まりという昔語りも伝わっている。一丈八尺の大きな観音像で、僧・行基の作三体のうちの一つという。写真は別当寺の福徳寺。

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2015年10月12日 (月)

坂上田村麻呂の開基か?

信濃33観音札所巡り・24
150861第六番 洗淵山・観龍寺
千手観音
ご愛称「森の観音さん」
真言宗智山派
千曲市森大峯2650
TEL 026-272-3730
別当寺 禅透院
150862平安時代征夷大将軍・坂上田村麻呂の東征に際し妻・高子が戦勝祈願のために勧進したもの、または田村麻呂が苦戦から救ってくれた観音の化身に感謝して開基したとの二説がある。
150863江戸時代に再建されたが、戦後荒廃し,尼僧さんが住んでいた時期もあり、現在無住。地元の信者が大切にまもりつづけているという。写真は別当寺である禅透院本堂と鐘楼。

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2015年10月11日 (日)

青年仏師「故郷に託す」

信濃33観音札所巡り・23
150851_2第五番 倉科山 妙音寺
十一面観音
曹洞宗
千曲市倉科竹ノ尾1192
TEL 026-274-1707
別当寺=朝雲寺
150852ご愛称は「竹ノ尾観音」
坂上田村麻呂が京の青年仏師に頼まれ、東征の折に当地に立ち寄り,一体の十一面観音を安置したのが開基とされている。
150853この観音像は青年仏師の故郷・倉科の里に住む恋しい娘の面影を映した姿とされ、征夷大将軍に託したと、伝説は伝えている。写真右は境内にある六地蔵、上の二枚は別当寺・朝雲寺の本堂と入口。

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2014年9月11日 (木)

行基開山の千手千眼観音

信濃33観音札所巡り・22

33101第十番 妙徳山 高顕寺

千手千眼観世音菩薩
真言宗豊山派
須坂市仁礼中村868
TEL 026-246-8583

33102僧・行基が開山したと伝えられ、鎌倉時代末期には32堂の伽藍を配する荘厳な寺であったとされている。
札所本尊である千手千眼観音像は鎌倉時代の木彫仏で、平成19年に改修された観音堂に安置されている。

33103写真が観音堂。
明治末頃、村有林盗木の嫌疑をかけられた炭焼き老人が、嘘の自白をして、自殺を図ったところ、この観音様が現れて「罪は晴れる」と告げ、死を思いとどまらせたという。その後真犯人が逮捕され、老人は観音様への感謝と、その功徳を伝えようと寺の鐘つき男として生涯をすごしたという実話が残っている。


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2014年9月10日 (水)

被災した観音像は樋口宅へ

信濃33観音札所巡り・21

3391第9番 蓑堂山 蓑堂

べべ出し観音(十一面観音)
樋口正宏サン宅に安置

須坂氏米子61
TEL 026-248-2132

3392名勝米子大瀑布への道筋に見える奇岩壁は雨具の「蓑」に似た山容から蓑堂山と呼ばれる。山頂にあった本堂は昭和40年代の松代地震で被害を蒙り、ご本尊の十一面観音は樋口サン宅に移され、大切に安置されている。

3393俗に「べべ観音」と呼ばれるのは急峻な坂や岩場をよじ登って参拝する際、女性の裾が乱れ、後ろから登る男性の目に思わぬ「ご利益」があったからだとか。季節がら庭の畑に一面にニラの花が咲き始めていた。





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2014年9月 9日 (火)

北信濃の三大修験道場の一つ

信濃33観音札所巡り・20
33191_2第19番 小菅山 菩提寺

馬頭観世音菩薩
真言宗

飯山市瑞穂7082
TEL 026-965-3406

33192戸隠山、飯縄山とともに北信濃の三大修験道場のひとっとして名高い小菅山の本坊、小菅山大聖院の山内寺院の一つ「桜元坊」を前身とする。廃仏毀釈の際、大聖院は小菅神社に、桜元坊は仏教寺院菩提院として残された。

33193この時、本尊画像の両界曼荼羅図(県宝)をはじめとする什器が菩提院に移されたと考えられる。
観音堂の片足立膝の馬頭観音像は弘法大師の作と伝えられ、古くから家畜の病や、災い除けに霊験あらたかと信じられてきたという。

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2014年8月21日 (木)

「信濃高野」とよばれる満願寺

信濃33観音札所巡り・19

33261第26番 栗尾山 満願寺

千手観世音菩薩
真言宗

安曇野市穂高牧1812
TEL 026-383-2088


33262「信濃高野」の異称もある真言宗の古刹。寺伝によると神亀年間(725年頃)現地の上方の山中にある長者ケ池から一寸八分の黄金の仏像が現れ、聖武天皇の勅願により堂宇を建立、これを安置したのが始まりという。
参道入り口にある「微妙橋」は欄干、屋根つきの美しい太鼓橋で、極楽浄土への結界を表しているという。



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