2013年6月27日 (木)

SMC神奈川オフ会 4

Smc401香林寺(こうりんじ)

大永5年(1525年)川崎市多摩区にある仙谷山・寿福寺の第七世・南樹法泉和尚による開山で、臨済宗建長寺派に属している。開山当初は身代わり観音を祀る観音堂で、「香林坊」と称していたようだ。

Smc402ご本尊の十一面観音菩薩は文政13年(1830年)の火災で焼失してしまったという。この菩薩については縁起が木版となって流布されており、現在、木版印刷された略縁起が檀家から発見・寄贈されて、香林寺に残っているという。これによると、宝亀7年(776年)弘法大師の御作とされている。現在のご本尊は行基菩薩御作の観音像である。

Smc403禅宗様式の五重塔
精緻を尽くした構造と堂々たる風格、美観、崇高さなど、五重塔は建築美の極致とされている。その特徴は基壇、扉、窓、柱、勾欄にあるという。
この五重塔に至る通路に沿って33観音像が並んでいる。

Smc404この観音サンは境内に祀られている十一面慈母観世音菩薩である。合掌。

(写真をクリックすると拡大。)

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2013年6月26日 (水)

SMC神奈川オフ会 3

SMC神奈川オフ会 3

Smc301高石神社
天照皇大神を主神に熊野三社大権現・春日社・八幡社を合祀し、往時は高石神明社と称していたという。
創建は承応3年(1656年)徳川四代・家綱の時代、地頭である加賀美金右衛門正吉とされている。

Smc302_2「厄焼き落し」の神事
茅の輪の中に厄払いの願い事を書き、神官の祈祷を受け、その輪を火炉に投じて、厄を焼き落とす神事で、除夜から元日午後まで行われて来た行事だという。

流鏑馬(やぶさめ)
武田の浪人・加賀美金右衛門正吉が徳川に召されて地頭になったころから始められたという。
最初は近くの馬場で騎射されたようだが、現在は境内で歩射で行われるようだ。

Smc303_2境内からこれから訪ねる香林寺の五重塔が眺望された。そこまで黙々と移動することになる。

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2013年6月25日 (火)

SMC神奈川オフ会 2

Smc201SMC神奈川オフ会2

淨慶寺(じょうけいじ)

元和元年(1615年)の開山、浄土宗のお寺。
ご本尊は阿弥陀如来。

Smc202緑の丘に囲まれ、昭和42年ごろから植えられた1000株ものアジサイが咲き、「柿生のアジサイ寺」と呼ばれている。盛りはやや過ぎた感じではあるが、参道、裏山に見事な花を咲かせていた

Smc203参道といえば石仏やユーモラスな五百羅漢や迎えてくれる。
しかしここの五百羅漢の中には将棋を打つもの、腕相撲を取るもの、パソコンをいじるもの、携帯電話を掛けるもの・・・余りにも現在的で、静かに冥想するには程遠いものと映った。
なお一対の狛犬は東京小石川・伝通院から移されたものという。

Smc204裏山には散策路があり、アジサイと時期遅れの紅葉とが見事なコントラストを見せていた。
ウメ、サクラ、モミジなど季節の花を楽しめるという。
癒やしと不満の半々のアジサイ寺であった。

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2013年6月24日 (月)

SMC神奈川オフ会 1

Smc101SMC神奈川オフ会に参加、小田急線柿生で下車、アジサイ寺・淨慶寺の石仏、五百羅漢、それから百合丘に戻り、坂道を登って高石神社(青面金剛庚申塔)それに33観音石仏と五重塔の香林寺を訪ねた。

Smc102淨慶寺
一寸盛りを過ぎたかもしれないが、1000株といわれるアジサイが参道、裏山に咲き乱れていた。またアクセントに遅れた紅葉が渋いセピアを添えていた。竹林も見事だった。

Smc103参道に点在する石仏とユーモラスな五百羅漢像は心を和ませたくれる。

高石神社
境内に厄払い神事の行われる「厄焼落し」と青面金剛庚申塔がある。

Smc104香林寺
高くそびえる五重塔を目当てに香林寺へ、黙々と歩いた。臨済宗建長寺派の禅寺で、禅寺様式の五重塔として有名だそうである。
詳細については次項以降に連載。

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2013年4月17日 (水)

霊場を 案内するか 手引き観音

333401 三浦33観音 番外1番
龍徳山・光照寺(こうしょうじ)

浄土宗の大本山鎌倉光明寺の末寺。1430年の創建で、ご本尊は阿弥陀如来である。

333402 三浦33観音霊場をお手引きする「お手引き観音」がお祀りされている。風土記によると観音堂本尊は行基作、一尺八寸五分、寺伝によるとこの観音サンは村民の夢中のお告げで土の中から掘り出され、観音堂を建てお祀りしたとされる。その後、堂の屋根に水瓶を逆さに乗せてあったことから瓶庫裏観音(かめくりかんのん)と呼ばれ、また豊作、大漁をもたらす「いなだ観音」「大漁観音」とも呼ばれている。またこの地区で行われるお盆行事「お精霊流し」は県無形民俗文化財に指定されている。三浦33観音霊場めぐり終わり。

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2013年4月16日 (火)

地域での 守り観音 健在なり

333301
333303 三浦33観音 第33番 
白蓮山 心光寺・観音堂

左の写真の一向山・長善寺が兼務寺。江戸時代の宝永年間(1704~10年)にすでに長善寺の末寺となり、以後、檀家も減って寺号を廃し、長善寺の境外御堂となっていた。
333302 ただ、観音さまは古くからこの地区の守り観音として、崇敬され、いまでも地元の奉仕で維持されているという。
門前には立派な庚申塔が建ち並び、庚申信仰の拠点にもなっているようだ。
札所本尊は聖観世音菩薩、浄土真宗本願寺派のお寺。


ここが結願寺とはちょっと寂しい感じもあったが、あと番外の光照寺をお参りして、終わりとする。

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2013年4月15日 (月)

網代湾 見下ろす所に 海蔵寺

三浦33観音 第32番網代山・海蔵寺(かいぞうじ)

333202

333201油壷公園の奥、 108段の石段を登り、小網代湾を見下ろす高台に建つ。曹洞宗のお寺で、ご本尊は十一面観世音菩薩。行基菩薩の作と伝えられる観音像は三浦氏最後の武将、三浦道寸の守り本尊といわれ、この海蔵寺も道寸親子によって建てられたと縁起に残っている。
堂内には嘉永年代の御詠歌の額が残っている。「東の台にのぼれば不二と掌を合わす補陀落浄土」。
ココの進入路も道路が狭く、石段の登り口まで難渋した。

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2013年4月 9日 (火)

ひっそりと 山懐に 建つ観音

333101三浦33観音 第31番
鈴木山・長慶寺(ちょうけいじ)

浄土宗のお寺で、この観音サンは小高い山の中腹に抱かれたようにひっそりと建つ。ご本尊の聖観世音菩薩像は弘法大師の作と伝えられている。

333102 また天井には「谷文晃」作の「八方にらみの龍」が描かれており、平成14年に横須賀市の重文に指定された。
現在は無住の寺で、たまたま墓参のおばあさんに聞いて、堂内に上り込んで、備え付けのご朱印をもらう。

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2013年4月 8日 (月)

銀閣より 古い寺とは 驚きよ

三浦33観音 第30番 禅林山・正住寺

333003

                                     三浦33観音巡拝333001もいよいよ終盤を迎える。
この寺は、有名な京都・銀閣寺(慈照寺)を建てた室町幕府八代将軍・足利義政の開基しかも銀閣寺建立より15年も早い文明元年(1468年)の建立、歴史は古く、格式の高い寺であるという。

333002 しかしその後幾多の転変を経て明治中期にこの地に移ったようである
堂内外は赤く塗られた結界で、堂内は見えないが、内・外陣が仕切られ、正面中央の間に定印観音、その右に地蔵尊、左に不動明王が祀られているという。この定印観音は足利義政の守り本尊である聖観世音菩薩像と伝えられている。現在は無住の寺になっている

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2013年3月29日 (金)

茅葺の 山門チョコリと むりょうでら

332902
三浦33観音 第29番 金剛山・無量寺(むりょうじ)

332901 こんもりとした茅葺の山門が印象的だった。本堂のご本尊・阿弥陀如来の右手に聖観世音菩薩は祀られている。もともとは正面の山に観音堂はあったそうだが、関東大震災(大正12年)で大破し、本堂内に移された。

332903 無量寺の開基は三浦一族の和田義盛により文治5年(1189年)に創建された。建武3年(1338年)鎌倉・淨智寺より中国の僧・竺仙梵僊(じくせんぼんせん)を招請して禅宗寺院の無量寿寺となった。

332904_2 その後、安土桃山時代の天正年間に厳誉寿道上人により現在の浄土宗に変わったようである。

平成10年阿弥陀三尊総修復の折、阿弥陀如来像の体内から発見された銘札から、当初の像は運慶の作であったが、寛文9年(1669年)に火災で焼失、1685年に間宮造酒丞(まみやみきのじょう)の協力で、再興・造像されたことが分かったという。

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