2008年5月 8日 (木)

初詣 常に上位の 大師さん

200804_203 寺社集院=神奈川・川崎市

JR川崎駅前を通り過ぎ、わが国初詣の2~3位を競う川崎大師に向う。金剛山・金乗院・平間寺である。ご本尊は厄除け弘法大師。関東88霊場特別札所。
200804_204 平安時代後期、平間兼乗という武士が、無実の罪で尾張を追われ、川崎の地で漁猟を生業として暮らしていた。深く仏法に帰依し、特に弘法大師を崇信していた。ある夜夢枕に一人の高僧が立ち「我むかし唐にありしころ、我が像をつくり海上に放ち、未だ有縁の人を得ず。汝速やかに網し、これを供養し、高徳を諸人に及ぼせ」と告げられた。兼乗は海に出て、光り輝く場所に網を投じ、一体の仏像を引き揚げた。これが弘法大師のお像であった。200804_207高野山の尊賢上人と兼乗は力をあわせ一寺を建立したのが、当寺の縁起とされる。
不動堂は明治23年、第39世隆健僧正が成田山・新勝寺不動明王の御分体を勧請して創建されたもの。関東36不動霊場第七番札所である。
200804_208 第二次世界大戦で戦禍に遭って焼失した大本堂と不動堂は、昭和39年に再建され、4月28日に落慶したもの。
一昨年に立てられたという経堂には金色に輝く釈迦如来像とともに多くの経文が展示されていた。
訪ねたのはウイークデイであったが、広い門前町はそれなりに賑わっていた。

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2008年4月29日 (火)

つつじ咲く 神木不動は マッカッか

寺社集印=横浜・川崎市

200804_194日吉から川崎に向う途中の港北区師岡町(もろおかまち)に師岡熊野神社(もろおか・くまのじんじゃ)があり、参拝する。地図をみると、丘の上にあり丁度この下を東海道新幹線が抜ける格好である。(写真左は境内から下の道路を見下ろしたもの。駐車場は急勾配で境内脇まで登ったところ)。
ご祭神はその名のとおり熊野三宮(本宮、那智、速玉)と一体である。聖武天皇の時代(724年)全寿仙人による開山といわれるから古い。歴代天皇の勅願所となり、また北条、徳川と代々の将軍家からご朱印地になるなど、崇敬が極めて高かったという。

200804_197 川崎市に入り、神木山・等覚院(しぼくさん・とうかくいん)通称「神木不動尊」を訪ねる。関東36不動霊場第六番札所である。折りしもツツジの満開期に出会い、山門の廻り、石段左右が真っ赤に染まっていた。ご本尊は大聖不動明王(絶対秘仏)天台宗のお寺。智證大師円珍がこの地にいたり、後述の日本武尊の話から霊木で一尺五寸の不動明王を刻み、一宇を建立、本尊として安置したのが当院の始まり。
その話とは日本武尊が東征の際、白鶴に導かれ泉水を得た。尊はこの泉を神の霊水と知り、御礼に一本の木を手植えられた。後にこの地を「神木」と、また泉の辺りを「鶴ケ谷戸」と称する様になったそうである。

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2008年4月28日 (月)

横浜の 西北にある 2不動尊

寺社集印=神奈川・横浜市

200804_185 三浦一族の傑物・和田義盛は源頼朝の重臣を努め、平家追討を悲願としていたが、ある夜夢に不動尊が現れ「我を勧請祈願すれば必ず悲願は成就せん」とのお告げをうけ、早速そのお姿=眼光鋭く、剣を前に突き出した大聖不動明王を刻ませ、安置した。治承元年(1177年)のことという。
200804_187_2 関東36不動霊場四番札所 大聖山・真福寺(しんぷくじ)通称「和田不動尊」である。200804_188_2 恐ろしい不動明王とは別に隣接する幼稚園の通園路の片隅に一休さん(写真右)と子育て地蔵(写真左)の石像の並ぶ様はなんとも対照的で面白かった。高野山・真言宗のお寺。

関東大震災で被害を蒙ったが、第13世・大見が自ら勧進を行い、本堂を千鳥破風瓦葺に改築した。推定350年前に建築されたという庫裏を始め、大書院、観音堂、水天宮などを占める近隣稀な大寺院、これが関東36不動霊場五番札所 清林山・金藏寺(きんぞうじ)通称「日吉不動尊」である。
200804_192 ご本尊は大聖不動明王(秘仏)天台宗のお寺。大梵鐘やキリシタン灯籠など文化財をはじめ日吉の生んだ第33代横綱・武蔵山の「遺愛の松」をはじめ、約二万坪の境内には桜、百日紅、銀木犀などの樹木が繁り、四季を通じて楽しめる「隠れ花どころ」となっているという。(写真は大門から臨まれるキリシタン灯籠と本堂)
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2008年4月27日 (日)

野毛山と 港みらいが 並び立ち

寺社集印=神奈川・横浜市

200804_178 関東36不動霊場巡りで、久しぶりに首都高横羽線で「港みらい」へ向う。出口から1㎞ほどの丘に上にある。第三番札所=成田山横浜別院・延命院(えんめいいん)通称「野毛山不動尊」である。ご本尊は不動明王、理源大師聖宝の作。徳川家累代の秘蔵仏、成田山中興開祖である照範上人が徳川家より祈願をされた際に本尊として賜り、奉安されてきたものという。真言宗・豊山派のお寺で、成田さんの横浜支店といったところ。

200804_181_2 道路を隔てて筋向いに伊勢山皇大神宮(いせやまこうたいじんぐう)がありこれを参拝する。ご祭神は勿論のこと天照大神はじめ伊勢神宮内宮と同じ神々である。
「関東のお伊勢さま」と親しまれるお宮は、かっては久良岐郡戸部村村にあったものが、明治四年に遷宮され、横浜の総鎮守とされた。境内は3900坪、神殿は唯一神明檜造で、太古の掘立造の面影を残している。

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2008年4月20日 (日)

道了尊 樹海の中の 古刹なり

200804_032 寺社集印=神奈川・南足柄市

自然渋滞の246号線、秦野市から南足柄市までいささかクタビレたが、町を抜けて大雄山に入ると一変する。
200804_026 昼なお暗い鬱蒼とした樹海のなかに、壮大な伽藍が建ち並びその威容を誇る。関東36不動霊場 第二番札所大雄山・最乗寺(だいゆうざん・さいじょうじ)である。
200804_028参道には老杉・古松が累々と聳えたち、神秘的な境内は静寂に包まれている。ここ曹洞宗 道了尊は開山より樹木の伐採を禁じていたために素晴らしい美林が全山を覆っている。
200804_029 本堂(写真左上)のご本尊は釈迦牟尼如来、不動堂(写真右下は多宝塔、その左に清瀧と不動堂がある)には中央に本尊・清瀧不動尊 、両脇に天佑不動尊愛染明王が祀られているという。
200804_035 写真左中が御供橋結界門、それをすぎて右に登と御真殿に達する。左下の写真は大きな和合下駄、その周りに数多くの下駄が奉納されていた。
また境内には道了大薩錘(写真右上)のほか、大小の天狗を祀り、「小田原の道了尊」として天狗の御利益でも知られている。千古不斧の樹海の中の古刹であった。
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2008年4月12日 (土)

ここにみる 山嶽神道の 根源地

200804_015 寺社集印=神奈川・伊勢原市

大山ケーブルカーの終点「下社駅」でおりて、大山阿夫利神社に向う。山頂(標高1253m)にある山頂社との関係で下社と呼ばれるが、中腹にあって、長い石段を登る、どうしてどうして立派なお宮である。
200804_016 ご祭神は大山祇大神、高オガミの神、大雷神など。創立鎮座は2200年前の崇神天皇の時代、古来より山嶽神道の根源地とされる。天平勝宝4年(752年)前号紹介の大山寺開山の良弁僧正が入山以来、神仏習合の機が熟し、霊石の由縁で石尊大権現とも称せられた。源頼朝は幕府所在国の霊社として、また徳川家、なかでも家光公は18万両もの巨費を献じて本社、摂・末社を改築するなど崇敬が篤かったといわれる。
200804_018 本殿の脇から降りていくと霊水があると聞いて入ってみると、見事な名水が湧き出でて、綺麗なプールに貯まっていた。柄杓で頂いてみたが美味なものであった。
山を降りて南足柄市に向う。

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2008年4月11日 (金)

山腹に 東国最古の 勅願寺

200804_009 寺社集印=神奈川・伊勢原市

駐車場からおみやげ屋や旅館が軒を連ねるダラダラ坂を500mほど登ってケーブル・カーの追分駅へ(20分間隔運転)。それで中間駅の不動前で下車すると関東36不動霊場一番札所雨降山・大山寺はすぐ傍である。その途中に平和祈願の十一面観音像が200804_012 山中にたっていた。
通称・大山不動は真言宗大覚寺派のお寺で、ご本尊は鉄造不動明王(秘仏)。奈良・東大寺を開いた良弁僧正によって天平勝宝7年(755年)の開山とされる。聖武天皇の勅許の宣下を賜った勅願寺として東国最古の不動尊霊場である。
200804_013 山はまさにサクラの満開で、お天気もよいのでウイークデイにも拘らず、登山客、参拝客でにぎわい、ご本尊のご開帳も行われていた。

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2008年4月10日 (木)

偶然に 投げ込み寺に 足が向き

200804_002 寺社集印=神奈川・伊勢原市

関東36不動霊場の1、2番札所を目指して、まず伊勢原市大山へ。しかしカーナビが東側の日向林道にセットされて途中で通行止め。やむなく引き返す途中、一の沢沿いにお寺があったので「道を聞く」つもりで立ち寄ったのが「木食僧の寺浄発願寺(じょうほっがんじ)。道を聞き、ご朱印と資料を頂き、このお寺が「投げ込み寺」であっると分かった。
200804_003 開山は380余年前、木食弾誓上人、阿弥陀三尊(阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩)を祀る天台宗弾誓派の総本山という。木食とは「断穀の行」=穀物を絶って木や草の実だけを食するという厳しい修行。
200804_004 「駆け込み寺」とは極刑となる殺人・放火犯を除く一般の犯人は、寺域内に持ち物の何かを一つでも投げ込めば、救済されるという寺で、幕府から特別の格式が与えられていたそうである。

200804_008 南面を迂回して大山丹沢国定公園に入る手前に林に囲まれた比比多神社(子易明神)があり、安産守護神とのことで、お参りした。神主さんは不在、ご朱印は帰りに頂くことにした。ここのご神木はケヤキとされるが、特筆すべきはナギの大木(市指定保存木)。暖地に自生するマキ科の常緑樹で、熊野の速玉神社や伊豆の白浜神社、伊豆山神社などでは神木として崇められているという。
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2007年3月 9日 (金)

星の谷迷いの雲を吹きはらへ

33038 坂東33観音(14)

第八番 妙法山 星谷寺  (しょうこくじ・星の谷観音)

小田急線座間駅から徒歩10分。駐車場から境内にかけ全面が舗装され、また建物すべてが完全耐火構造である。防火の備え万全というのが第一印象。

ご本尊は聖観世音菩薩。合掌。

33039 鎌倉時代の兵乱に伽藍の多くを失い、また相模野の野火による観音堂の全焼という度重なる悲運にあい、さらには近年、周辺の土地開発という、こうした環境の変化が、こうさせたのか?そんななかにあって写真上の銀杏の大木は見事である。正面に鋳造の仁王像が左右に二体。その奥にこれまた耐火造の鐘座。この鐘は鎌倉期の名鐘といわれ東日本最古のものだそうだ。

また「風土記稿」によると「暗夜、清泉に星影を映じ白昼の如くなれば、土人星谷と呼べり」とあるが、現状からはとても想像できないほど、発展した町中の風情だ。タイトルはご詠歌から引用。

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2007年3月 3日 (土)

なにごとも誰か祈らむ観世音

33036 坂東33観音(13)

第七番 金目山 光明寺 (かなめ観音)

平塚から秦野に向かう街道の中間地点、金目川のほとりに金目観音別当「光明寺」がある。大きな「わらじ」の掛かった朱色の仁王門を入り本堂へ。間口七間、奥行き八間の観音堂は平塚最古の建造物という。ご本尊は聖観世音菩薩。合掌。

33037 坂東霊場記によると、むかし潮汲みの海女の桶に木片が入り持ち帰った。そこへ一人の僧が来て、これぞ聖徳太子御作の観音像であると告げた。そこで家の奥に奉安したのが、この寺の草創とある。

タイトルはご詠歌を引用。

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2007年2月23日 (金)

梵鐘の余韻若葉の峡渡る

33032 坂東33観音(12)

第六番 飯上山 長谷寺(いいやま観音)

厚木市街を抜け小鮎川を遡ると緋色の欄干。これを渡り、だらだら坂を上ると、タイトルに引用した句碑。これが入り口。

33033_1 33034            やや小振りの仁王門をくぐると、(写真左の2枚)石灯籠のみごとな隊列が整然と格調高き本堂まで続く。

ご本尊は十一面観世音菩薩。合掌。

33035 写真右は句碑に詠われた梵鐘と(光ってしまったが)イヌマキの大木。境内は大木におおわれ、まさに丹沢山塊一帯の修験の場であったことを感じさせる。現在は飯山白山森林公園になっており、ハイキングに、春の花見にと、賑わうとのこと。

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2007年2月16日 (金)

祈る身の船に宝を積むいいづみ

33029 坂東33観音(11)

第五番 飯泉山 勝福寺(いいづみ観音)

小田原市の北東部、酒匂川の東側に境内を構える勝福寺。写真左の仁王門を抜けると、正面に宝船造りの観音堂。ご本尊は十一面観世音菩薩。合掌。

33030 写真右は境内をみると樹齢数百年という大銀杏の巨木、それに寛永六年(1629)と銘うたれた梵鐘が森厳さを加えている。また少年二宮金次郎の本尊礼拝の像がある。彼は「利他に生きる」崇高な精神を授けられたという。さらに仁王門に祀られた仁王尊から曽我兄弟が怪力を授かり、無事仇討ちを成したという話などいろいろ聞いた。

小田原城の鬼門鎮護の道場となり歴代の城主の庇護も厚かったので、この地におおいに栄えたことであろう。

註:タイトルはご詠歌から引用。

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2007年1月12日 (金)

駅を背に真一文字の門前町

33014_3 坂東33観音(6)

十四番 瑞応山 弘明寺(ぐみょうじ)

「弘明寺縁起」によると「真に是れ天下無双の勝境」とあるように高台にあり、大都市「横浜」にあつても存在感は十分である。33015_2

 ご本尊は十一面観世音菩薩。合掌。僧・行基が一刀三礼のうちに刻み奉ったという「チョウナの観音様」。像高180㎝、欅の一木造り。

チョウナ彫りは関東地方に多く見られる仏像彫刻の一形式で、しかもここにきて材種が関東特産の「ハルニレ」と分かり、まさに[関東育ちの観音様}ということになり、いっそう親しみも増すというもの。

写真右は境内から見下ろした山門。それから門前町が直線に伸びる。

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2006年12月29日 (金)

人よ来ませ慈顔たたえて今日もまた

33009 坂東33観音 (4)

第四番 海光山 長谷寺 (ハセデラ・長谷観音)

今回は鎌倉観光の三大スポット、すなわち八幡宮、長谷大仏、それに長谷観音。門前もこれにふさわしいただずまい。(写真右)

33010 山門をくぐり、緩やかな石段を左右に折れながら参道をのぼる。手入れが行き届いた、眺望絶景ながら、霊場の感はあまりなかった。

左の写真が本堂正面。ところが中に入って驚いた。本尊の十一面観世音菩薩像のデカイこと。身の丈10M余の全身が金箔で覆われ、華麗の一言。合掌。

訪れた先月21日は大天気。展望台から「由比の白波」を撮りたいと思ったが、トップライトの逆光でギンギラギンとあって断念。

さて、本稿は年内終わりとし、新年五日にお目見えの予定。原則金曜日に連載したいと思います。よろしく。よいお歳を。(サブタイトルは山田順子さんの「私たちの観音様」から引用しました)

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2006年12月22日 (金)

枯木にも花咲く誓い田代寺

33007 坂東33観音

11月21日のつづき。9時30分逗子から鎌倉に戻り、街道沿いに石垣を築き、数百株ものツツジの植え込みを配したお寺が安養院。

第3番 祇園山 安養院 田代寺(田代観音)

ここは花に風情あふれる霊場とあるが、時期が悪かった。春のつつじの頃は「花の寺」にふさわしいところだろう。

33008 写真上は本堂。昭和3年に建立の新しいもので、庭はきれいに掃き清められていた。境内の樹齢7百年という槇の巨木は見事。本尊は千手観世音菩薩。馬頭観音、聖観音ほか(あと不明)五観音が祀られているとのこと。合掌。

右手に写真の宝けふ印塔。北条政子との深いかかわりがあり、変遷のつど護られてきたお寺だそうだ。(3-33)

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2006年12月15日 (金)

たちよりて天の岩戸をおし開かん

33004 33005 坂東33観音

11月21日鎌倉から逗子へ。静かな住宅地の細い道を縫うようにカーナビに誘導されて山門に辿り着く。

第二番・海雲山・岩殿寺(がんでんじ・岩殿観音)写真トップは入り口。一寸山門にいると眼前に百段ではきかないだろう急な石段が現れる。一段一段踏みしめて登った。日頃から鍛えているつもりでもこの石段には参った。

写真右が江戸期に再建されたという観音堂、ご本尊は十一面観世音菩薩。本堂裏の石窟に十一面観音石像を安置したのが開創と寺伝にある。まづは参拝。

33006 源氏再興への大きな霊験であり、頼朝が生涯守り本尊としていたという。裏山を登ると「瑞光亭」というところがあり、そこからの眺望がすばらしいとのことだが、今日の石段にまいり、勘弁してもらうことにする。

写真左は境内からみた逗子の海。(註;サブタイトルはご詠歌から引用したもの。合掌。2-33)

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2006年12月 8日 (金)

発願だ一気に向かう杉本寺

33001 33002 観音さん(1-33)

さきの私の個展(11月5日付)会場で、友人のM氏から「坂東33観音巡り」の話を聞き、自分自身の修行と関東一円の風景取材を兼ねて実行しようと思い立つ。またBLOGの上で逐次紹介することにする。

11月21日(火)今日は天気だ。風もない。朝6:30マイカーを駆ってカーナビまかせ、一気に鎌倉・杉本寺へ。道がすいていて8:00前に到着。

33003_1 坂東第一番札所・大蔵山の杉本観音。写真トップは道路から見た入山口。石段をすこし上がると茅葺の山門、それから苔むした石段は通行止めのためサブウエイで迂回して本堂へ。

写真上右は茅葺の五間四方の観音堂、鎌倉古寺にふさわしい枯れたただずまいが、心の安らぎを与える。ご本尊・十一面観世音菩薩を参拝する。

写真下は本堂の右手にかたまってある、斯波(しば)一族の供養五輪塔群、わびしげに、互いに寄り添って建つ。合掌。

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