2009年3月 7日 (土)

青梅市の花の名所は塩船山

0903010_2  寺社集印=東京・青梅市

青梅市北東部、塩船山を行くと茅葺切妻造の仁王門が見えてくる。門を入ると正面に阿弥陀堂、左手参道奥に本堂がある。手前左右に大杉の巨木が鬱蒼と立つ。大悲山・塩船観音寺(だいひざん・しおふなかんのんじ)関東88ヵ霊場第72番札所である。大化年間(650年)若狭の国・八百比丘尼(やおひくに)が千手観音を安置したのが開山とされている。ご本尊は十一面千手観世音の木彫立像(4尺6寸)鎌倉時代の作という。
0903011 現在の本堂(写真左)は室町時代末期の建立で、いわゆる密教堂形式をとっているという。外観は簡素で桁行7間,梁間6間の大きさ、屋根は茅葺の寄棟造のドッシリしたものであった。真言宗醍醐派の別格本山。
山はつつじ、あじざい、ゆり、はぎ等年間を通して花の名所とされている。
写真をクリックすると拡大

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2009年3月 6日 (金)

福生町七福神をも産みだせり

0903008 寺社集印=東京・福生市

義兄が青梅の病院に転院したと聞き見舞いに出掛ける。八王子まで中央高速を走り16号を帰る格好になるのだが、青梅街道で都内を抜けるよりかなり速かった。
途中、福生にある熊川神社(くまがわじんじゃ)をお参りした。資料によると「一社七福神」とあったので、興味半分で立ち寄った次第。「福生まれる」町で、一か所で七福神を参られるという、目出度いことではある。
0903009 ご祭神は大国主命、創建は明らかではないが、江戸時代に熊川村の守護神として建立されたようだ。また平安時代に地元の長者が守護神として弁財天をお祀りしたのが始まりという説もある。いづれにしても境内に七福神の石像が祀られてあった。
市内最古といわれる本殿は桃山時代の木造建築で、都指定有形文化財に指定されているという。宮司不在、ご朱印はなし。
所在地 東京都福生市熊川660 TEL 042-551-0720

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2009年1月25日 (日)

百花園老人パワーで溢れけり

寺社集印=東京・墨田区

090141 隅田川七福神めぐり(6)
向島五丁目から東向島三丁目まで大した距離ではないと思ったが、白髭橋からくる明治通の脇なので、相当の道のりだった。向島百花園である。話には聞いていたが訪ねるのは初めて。
文化元年(1804年)骨董屋で財をなした仙台出身の佐原氏が隠退して多賀屋敷跡を買い求めて開いた。親しかった文化人たちから寄贈された梅360株を植えて梅園としたので、亀戸の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と、また梅は百花に先駆けて咲くので「百花園」とも呼ばれた。その後、名花・名草の多くが集められたようだ。
090142 片隅の小さな祠に福禄寿が祀られているが、お参りするのに、この行列だ。私が訪れた今の時期にはまだ花には早いのだが、園内は老人パワーで溢れていた。鉢植えの牡丹でも撮って退散したものである。

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2009年1月24日 (土)

長命水弁財天を引き寄せる

寺社集印=東京・墨田区

090140隅田川七福神めぐり(5)
前号の弘福寺の北側、隣り合わせに弁財天を祀る長命寺(ちょうめいじ)がある。創建は元和元年(1615年)とされ、天台宗の常泉寺と号していた。
寛永年間(1624~44年)に三代将軍家光が鷹狩りの途中腹痛のためこの寺に休憩した。境内の井戸水から薬を服用したところ、たちどころに痛みが消え快癒した。喜んだ家光はその井戸に「長命水」の名を与えたところから、以後、寺号まで長命寺と改めた。ただし、この長命水は自然災害で枯れてしまい、水道水で”復元”されたという。
また江戸時代の本堂は安政二年、大正十二年と大地震に見舞われているが、ご本尊の阿弥陀如来像だけは都度難を逃れ、現在の本堂に安置されている。弁財天は水辺に多く祀られる神様で、当寺の弁財天は長命水に因んだものと考えれれ、琵琶湖竹生島の弁財天の分身だそうだ。

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2009年1月23日 (金)

世の人の共感得たり布袋尊

寺社集印=東京・墨田区

090138_2 隅田川七福神めぐり(4)
隅田川土手沿いに北上すると、向島・花町の一角に凛然と立つ山門が見えてくる。牛頭山・弘福寺(こうふくじ)布袋尊を祀る禅寺である。ご本尊は祥雲の作といわれる釈迦如来像
延宝二年(1673年)鉄牛禅師により現在地に移されて来たもの。隣接していた牛嶋神社(1月18日号参照)のご祭神・スサノウノミコトの別称が牛頭天王で、古くから地主神として祀られていたことから山号を「牛頭山」としたという。
090139 布袋尊は七福神のなかで唯一実在した中国・唐時代の禅僧で、名を契此、号を長汀子。大きな布袋を背負い、物を貰えば袋に蓄え、困る人にはそれを施し、その中身は尽きることが無かった。無邪気で欲がなく、おおらかな性格と合わせて人気があり、幸せを願う世の人の共感を誘い、七福神の仲間入りしたのだという。この世の幸福とは「金銭欲や物欲を満足させるだけではない」ことを教えている神様。

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2009年1月22日 (木)

夕立や田を見めぐりの神ならば

寺社集印=東京・墨田区

090136隅田川七福神めぐり(3)
台東区の循環バス・北めぐりん号に乗り、リバーサイド・スポーツセンターで下車して隅田公園を抜けると、「桜橋 」がある。隅田川に架かる唯一の歩道橋で初めてわたって墨田区へ。(写真は墨田区側からのもの)土手を右に降りると恵比寿神と大国神を祀る三囲神社(みめぐりじんじゃ)がある。
文和年間(1352~1356年)近江国三井寺の僧・源慶が東国を巡礼中、ここ牛嶋の地に小祠を見つけ、村民に聞くと弘法大師創建の由緒ある祠であった。源慶は自ら社殿の修理に取りかかると、埋もれた壺が出てきた。その壺に納められていたのは白狐に跨った神像。その時、何処からともなく現れた白狐が神像の周りを三度回って消えた。この故事から「みめぐり」の名がついたと伝えられている。
090137 恵比寿神は鯛を抱え釣竿を背負ったお姿から「豊漁の神」大国神は米俵に乗り小槌をもったお姿から「台所を司る神」であるが、室町時代頃から商業が盛んになり、共に市場の神、一対で商売繁昌の神として信仰されるようになったという。
タイトルに使わしてもらった俳句は、境内にある石碑、俳人・室井其角の「雨乞いの句碑」に刻まれたもの。其角はひどい旱魃に見舞われた農民の熱心な雨乞い祈願を見て短冊にこの句を記して奉納したところ、翌日から雨が続き、農民の苦難は救われたと伝えている。

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2009年1月20日 (火)

寿老人隅田の場合は神様なり

寺社集印=東京・墨田区

090134隅田川七福神めぐり(2)
墨堤道路を南下して白鬚橋東詰を一寸入った所に寿老神を祀る白鬚神社がある。ここも進入路が狭く、駐車場も見当たらず閉口した。
天暦五年(951年)慈恵大師が関東に下った際、近江国に鎮座する白鬚大明神に勧請し、ご分霊をここに祀ったのが起源で、ご祭神は猿田彦命、隅田川沿いの道祖神として厚く信仰されてきた。平成二年に放火により全焼、現在の社殿は平成四年に再建されたもの。
090135 白鬚大神は中国出身の神様で、道教思想から出ており、「寿星」を人格化した神さま。一説には福禄寿の別名ともいわれている。さて隅田川七福神では「寿老人」を「寿老神」と書く。これは選出に際して寿老人を祀ってある寺社がなく、「白い鬚の老人の神様だろう」として、白鬚大明神に白羽の矢が立ったという。
五月五日に行われてきた「ぼんでん祭」はこの一帯が農村であった頃の習慣を伝える江戸時代からの神事。五穀豊穣と川の氾濫防止を祈願するため、竹につけた色とりどりの御幣を舟に乗せて、隅田川に乗り出す。現在は五年に一度のお祭になっている。

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2009年1月19日 (月)

茅葺の山門可愛く建ちにけり

寺社集印=東京・墨田区

090132 隅田川七福神めぐり(1)
隅田川が蛇行し荒川に最も接近する三角地帯、墨田区の一番北にある墨田5丁目に毘沙門天を祀る隅田山吉祥院・多聞寺がある。隅田川沿いは高層団地が並ぶが、東側荒川土手にかけては戸建住宅が密集し、道路は狭く、車で行って難渋した。
創建は天徳年間(957~960年)と古いが享和三年(1803年)の火災によりすべて焼失、のちに再建されたとある。茅葺の山門(18世紀中葉に再建、写真上)はかっての風情を残し、強い愛着が感じられた。
090133
ご本尊は不動明王、併祀された毘沙門天は木造の立像。また庫裡の前に「坐姿六地蔵」と呼ばれる非常に珍しい形の六地蔵尊像が祀られている。
生粋の江戸っ子だった幕府海軍奉行・榎本武揚は晩年向島に隠居、墨堤の散策を好み、多聞寺に「隅田川七福神碑」の書を残したという。

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2009年1月18日 (日)

丑年で撫で牛忙し牛嶋宮

寺社集印=東京・墨田区

090130 現役時代の通勤で通った水戸街道の言問橋東詰に牛嶋神社があるのは知っていたが、お参りしたことはなかった。今年は丑年、ここの「撫で牛」が初詣で賑わっているとテレビで聞いて集印に出かけた。国道6号線から通り一本入った所に鎮座。珍しいといわれる三輪鳥居(みわとりい)をくぐると総檜権現造りの東都屈指の大社殿(大きさを聞いてみたが寸法は不詳)が建っている。かっては向島須崎町・水戸徳川邸跡にあったが、震災後現在地に再建された。創建は古く、貞観二年(860年)とある。ご祭神は須佐之男命、天之穂日命、この地で亡くなった清和天皇第七皇子貞辰親王命の三柱で、郷土守護神とされている。
090131_2 「撫で牛」は境内右手にあり、黒い石座に乗っかった格好で座っている。「身体の悪い部分にあたる牛の部分を撫でると快癒する」といわれるが、そのいわれは不詳。丁度、子供がおじいちゃんに勧められて撫でまくっていた。写真をクリックすると拡大。

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2009年1月14日 (水)

かわいいな高さ9㎝の寿老人

寺社集印=東京・葛飾区

090129 柴又七福神めぐり(7)
京成線本線の高砂駅のすぐ近くに寿老人を祀る金亀山神宮院・観蔵寺(かんぞうじ)がある。ご本尊は聖観世音菩薩、真言宗豊山派の寺院。
観蔵寺に祀られている寿老人像は高さ9㎝木造の可愛らしい座像で、一般的に見られるような寿老人とは違い、鹿を連れず頭巾もかぶっていないという(その由来は不詳)。
現在の本堂は大正四年(1915年)に建てれれたもので、大震災、それに戦災をも免れて来たものである。

柴又めぐりはこれで終わった。七福神がすべて寺院に祀られ、神社が一社もないのが珍しかった。さて次はどこへ?。ご朱印をみながら「フーテンの寅さん」にでも聞いてみよう。写真をクリックすると拡大

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2009年1月13日 (火)

復興に一役かった蕎麦組合

寺社集印=東京・葛飾区

090127 柴又七福神めぐり(6)
宝生院を出て右手東に行くと北総公団線・新柴又駅にでる。高架になっており、それをくぐると山門が見える。「恵比寿さん」を祀る薬王山・医王寺(いおうじ)で真言宗豊山派の寺院。建立は応永14年(1407年)ご本尊は薬師如来、当時流行した赤目病平癒の祈願所として建立されたとある。
090128恵比寿像(秘仏)は 中興の祖・源珍(げんしん)によって由来し、川底から砂金があふれるほど見つかったことから、商売繁盛の御利益があると崇敬をあつめてきた。また昭和11年に24世・隆道によって蕎麦地蔵尊像が祀られると麺業の組合員による「えびす講」ができ信仰の輪が広がったようだ。昭和19年の戦災で、本堂が消失した際も組合員らの協讃により、いち早く復興出来たという。

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2009年1月12日 (月)

寶尽きずうちでの槌の月と花

寺社集印=東京・葛飾区

090126 柴又七福神めぐり(5)
萬福寺から更に南下して柴又街道を左手に行くと、寶生院(ほうせいいん)大黒天がある。かって徳川家の寺の一つとして上野にあったようだが、関東大震災で被災し、昭和2年(1923年)に現在地に移ったようだ。
ご本尊の大黒天は鎌倉時代の作と伝えられ、「出世大黒天」と呼ばれて崇敬を集めている。いかつい全身が真っ黒、口の中だけ真っ赤。一目見たら忘れられない形相である。将軍家からの信心も篤かったようだ。タイトルは本堂前にある句碑から引用。

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2009年1月 9日 (金)

四国路の御影をうつす柴又に

寺社集印=東京・葛飾区

090125 柴又七福神めぐり(4)
帝釈天の近く、南に下った所に福禄寿を祀る聖閣山・萬福寺(まんぷくじ)がある。曹洞宗の寺院。前身は「柴又新四国八十八か所霊場」で、弘法大師の遺徳を讃えるため昭和五年に篤信者中村・柴山の両氏の発願、四国から土砂を取り寄せて築山したものが始まりという。戦後の昭和52年に親しまれてきた築山と旧堂宇を解体して現在の本堂になった。
お祀りしてある福禄寿の製作年代は不明であるが、穴戸家に伝えられていた家宝仏で、これを萬福寺に奉納されたものだそうだ。
タイトルは萬福寺のご詠歌から引用。写真をクリックすると拡大。

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2009年1月 8日 (木)

寅さんが産湯をつかった帝釈天

寺社集印=東京・葛飾区

090124_2 柴又七福神めぐり(3)
映画「男はつらいよ!」で一躍全国的に有名になった柴又帝釈天(しばまた・たいしゃくてん)、正式には経栄山・題教寺(だいきょうじ)と称する日蓮宗の寺院。寛永年間(1624~44年)の創建とされ、日蓮聖人親刻と伝えられる板彫りの帝釈天像がご本尊として祀られている。七福神の毘沙門天は帝釈堂内陣、その本尊の左に祀られている。毘沙門天は別称「多聞天」と呼ばれる四天王の一人、北方守護神である。
090123 さて映画によく出てきた子供たちの遊び場であった仁王門から境内にかけては(写真下)もっと広かったように思うが、人出のせいか狭く感じた。ここの裏手が江戸川土手「矢切りの渡し」のあるところ。

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2009年1月 7日 (水)

恐ろしいお姿見せる弁財天

寺社集印=東京・葛飾区

090121 柴又七福神めぐり(2)
柴又街道を戻り、帝釈さんの参道の手前を左に入った所に石照山・真光寺・真勝院(しんしょういん)「弁財天」がある。大同元年(806年)の創建といわれるから古い。真言宗豊山派の寺院である。写真にあるように、ここの弁財天は八本の手に弓や剣なとを持ち、頭上に人頭蛇身の宇賀神が載るという異なるお姿。これが本来の弁財天なのだそうだ。一般によく拝見する「琵琶を弾くふくよかな弁天さん」とは大違いである。
090122 境内には江戸時代初期の作と伝えられる五智如来(薬師如来・宝生如来・大日如来・阿弥陀如来・不空成就如来)石像が祀られている。またイチョウの大樹が鐘楼の前に聳えていた。

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2009年1月 6日 (火)

七福神今年は葛飾柴又から

寺社集印=東京・葛飾区

090119 柴又七福神めぐり(1)
三が日が過ぎいよいよ5日から寺社集印の第一歩を踏み出す。「寅さん」でおなじみの葛飾・柴又を選んだ。日暮里から京成電車に乗り換え、さらに高砂乗り換えで柴又へ。
駅を出て柴又街道を金町方面へ行くと踏切越しに良観寺(りょうかんじ)の山門が見える。ここに祀られているのが「布袋尊」ならぬ「宝袋尊」と記すのが特徴。
090120 江戸の初期ある商人が都からの帰りに山中で日が暮れ民家に一夜を過ごした。朝になってそこは民家ではなく大木の「うろ」の中。「うろ」の中に「布袋尊像」があり、これを店に持ち帰りお祀りしたところ、商売大繁盛。商人はこのご利益を多くの人に分かち合いたいと「宝袋尊」と称して良観寺に奉納したのだそうだ。
その「宝袋尊」は昭和20年の東京大空襲で焼失、現在は新らたな尊像が本堂に祀られているという。写真の「デッカイ宝袋尊」石像は境内にあり、立像なので、また珍しいと思った。写真をクリックすると拡大。

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2008年10月 9日 (木)

清水を求めて集まる人の列

寺社集印=東京都・中野区

0810007 沼袋から西武新宿線を跨いだ南側に新井天神・北野神社がある。ご祭神は菅原道真公(天神様)。これから尋ねる梅照院の縁起に「開基・行春より数代あとの住持・玄鏡が、天和年間に手植の梅一株を北野天満宮に献じた」とあるように、当時は天満宮として、「新井の里の鎮守」あったと推定される。天神様に妙正寺川の水害からの守護を、また保食神として豊作を祈願して来たものと思われる。

0810008 中野通りをはさんで、新井薬師・梅照院がある。ご本尊は薬師如来と如意輪観音の二仏一体の黄金仏。高さ一寸八分(約5.5㎝)のお像は弘法大師の作。鎌倉時代の武将・新田家代々の守護仏であった。この仏像は鎌倉時代から南北朝にかけての戦乱のさなかに城の仏間から忽然と消失したといわれていた。
0810010 それが不思議なことに天正14年(1586年)、清水の湧きいずるこの地に草案を結んだ僧・行春によって、梅の木の穴から発見されたという。これが梅照院の始まり。不思議な出来事から出現した薬師如来は、その後「眼の薬師」また「子育て薬師」と呼ばれ、江戸時代から今日まで篤く信仰されているという。清水と言えば大きなペットボッルに何本も「お水」を頂きに来る人の列が見られた。
写真をクリックすると拡大

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2008年10月 7日 (火)

秋晴れに誘われにけり百観音

寺社集印=東京都・中野区

0810005 やっと秋晴れのお天気に恵まれ、久しぶりに新目白と新青梅の両街道を乗り継いで、中野区の沼袋までドライブする。最初のお寺は百観音・明治寺。百観音といわれるごとく、広い境内には「百観音多宝塔」、「十三重の塔」に始まり、西国33観音、坂東33観音、秩父34観音の百観音像が札所順に、また、ほかに魚藍観音、龍頭観音、夫婦観音など、番外を含めると百八十体の石仏が林立している。一か所にこれほどの石像群が集められているとは驚きであった。
0810004 代表的な観音様として聖観音(しょうかんのん)十一面観音、千手千眼観音、如意輪観音、不空ケン索観音(ふくうけんざくかんのん)准テイ観音(じゅんていかんのん)馬頭観音の「七つ」があるのをマトメテ勉強した。観音様との「出会いの場」として最高であると思った。「かんのんさまの散・歩・道」という小紙も寺務所に用意されている。

0810006 同じ沼袋に氷川神社がある。ご祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)武蔵の国一宮・大宮氷川神社の分霊により当地にお祀りしたのが始まりという。境内末社として天王社、稲荷神社、御嶽神社が祀られ、鎮守の森として、先祖の大切な遺産として保存されていると感じた。写真をクリックすると拡大

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2008年10月 5日 (日)

アメ横に担がれている摩利支天

寺社集印=東京都・台東区

0810001_2 昨年6月1日号の上野散歩で一度取り上げたパゴダ塔だが、まだ御朱印を頂いて無かったので今日は散歩の足でお参りし、清水観音でいただいた。パゴダ本尊は薬師如来で、大国主命と一体で拝まれ、米山薬師、峯薬師、薬師山などなど全国に「開拓の神」として祀られている。特に徳川家康公は参州鳳来寺薬師仏の権現(身代わり)であると自称して全国を平定し、江戸300年の太平をもたらした。
0810002 上野大仏は寛永八年(1631年)越後の村上城主・藤原直寄公が、自分の屋敷地に釈迦如来の大仏像を創建し、戦乱に倒れた将兵の冥福を祈った。その後幾多の戦火、火災、大地震など経て、尊顔のみが寛永寺の保管されていた。昭和47年に関東大震災50回忌に旧縁の地に迎えられたもの。
0810003 足を御徒町までのばしてアメ横のど真中にある妙宣山・徳大寺にお参りした。現在はアメ横に担がれた格好になっているが、およそ400年前、ここ「忍が岡」に慈光院・日遣上人によって創建、開運大摩利支尊天を勧請されたもの。「気力、体力、財力」を与え、「厄除け、招福、開運」のご利益があるそうだ。写真をクリックすると拡大。

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2008年10月 3日 (金)

吉祥寺開村以来の氏神さま

寺社集印=東京都・武蔵野市

0809_001 それこそ半世紀振りに、JR中央線武蔵境駅・南口に降りて、まるで他の国に来たような変貌ぶりに驚いた。かってこの駅には北口しか出口はなく、南側に何があったか全く記憶にない。この駅から高校、大学に7年間通ったのだが・・・・。
さて日赤武蔵野病院に某氏を見舞った後、目と鼻の先にある杵築大社(きづきたいしゃ)に参拝した。武蔵野らしい境内がやっと残っている感じ。江戸のはじめ徳川家康の外孫にあたる松江藩主・松平直政公(1601~1666年)が出雲大社と松平稲荷社とを合祀・創建されたのだそうだ。

0809_004 吉祥寺駅に途中下車して、北口からアーケード通を抜けて左手にある武蔵野八幡宮を参拝。桓武天皇時代,延歴八年(西暦800年頃)坂上田村麿が宇佐八幡大神の分霊を祀ったといわれるから古い。徳川四代将軍・家綱が江戸小石川「吉祥寺」大火災ののち、周辺住民をこの地に移住させた。この吉祥寺村の開村(約340年前)以来、村民たちに氏神様として崇拝されているという。
写真をクリックすると拡大

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2008年7月 6日 (日)

みなが今 この世で種を 蒔けよ田端に

寺社集印=東京・北区と江東区

0806_083 田端の宝珠山地蔵院・与楽寺関東六阿弥陀第四番である。阿弥陀堂は本堂左手にある。真言宗豊山派のお寺で、ご本尊の地蔵尊像は弘法大師の作、秘仏とされている。御府内88ヶ所伊予国泰山寺移し第56番として知られているという。このお寺も戦災にあい、復興したという本堂は戦後のものとは思えない重厚な威厳に満ちあふれていた。

0806_086 JR亀戸駅約1㎞、北十間川に沿ったところに関東六阿弥陀第六番西帰山常光寺がある。開山は行基菩薩と伝えられるが、戦国時代の天文12年、勝庵宗・最大和尚による中興開山という。このお寺も戦災に遭ったが、一週間前にご本尊の阿弥陀如来(六寸の坐像)を納骨堂に移して、難を逃れたという。近代的というかカーブのある本堂は特徴的で、庶民に親しみやすい曹洞宗のお寺である。
タイトルは与楽寺のご詠歌から

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2008年7月 5日 (土)

ありがたや 阿弥陀じょうどよ 西ヶ原

寺社集印=東京・北区

0806_077 本郷通りから西に入り、西ヶ原で何回か道を尋ねて関東六阿弥陀・末木観世音=補陀山昌林寺に辿りつく。三番への道すがらである。このお寺も戦災にあい、戦後いちはやく再興されたそうだ。ご本尊は行基菩薩が六阿弥陀像を刻んだ余った末木で彫られたという観音像で、大きさは7~8寸、台座は無いという。曹洞宗のお寺。

0806_079 昌林寺と背中合わせの格好で、狭い道から駐車場を見つけほっとする。関東六阿弥陀第三番仏宝山西光院・無量寺、寺号は徳川九代将軍家重時代に改名されたもので、以前は長福寺、何百年続いたかは定かでないという。
0806_080 ともあれ山門をくぐると吸い込まれるような静寂さだ。戦災をまぬがれたという現在の建物は江戸末期のものといわれ、その百年の歳月を感じさせる「寺らしい寺」という感じ。真言宗豊山派のお寺。昨今はやりのコンクリート造とは一味違う落着いた重厚な風貌であった。本堂入口の両側に立つ「小僧さん姿」の狸の焼物が可愛かった。(タイトルは無量寺のご詠歌から)

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2008年7月 4日 (金)

南の字から まわる元木に 縁となるらん

寺社集印=東京・北区

0806_075 JR王子駅から西新井方面へ約1㎞、豊島2丁目の交差点を右折して50mほど、細い道の奥まった所に関東六阿弥陀第一番三縁山・西福寺がある。
0806_076 戦災後復興したこのお寺は本堂・客殿・文殊堂などすべて完全耐火造と見受けられた。ご本尊だった阿弥陀仏(行基菩薩が元木で彫ったとされる)は一丈六尺もある木造で、国宝に指定されていたが、東京大空襲で焼失。阿弥陀如来の胎内佛といわれる小さな仏様だけが、防空壕のなかで類焼をまぬがれ、現在のご本尊であるという。創建は足立姫伝説のころ、聖武天皇と伝えられている。真言宗・豊山派のお寺。
なお、後で聞いたが、このお寺に有名な「よさこい節」の主人公お馬サンの墓があるという。五台山・竹寺の僧・純信と鋳かけ屋の娘・お馬との恋愛物語。お馬は明治18年に高知を離れ上京、この寺の近くに住んでいたらしい。明治36年に66歳で波乱にみちた生涯を閉じ、当寺の墓地内「寺崎家」の墓に合祀されていることが確認され、その菩提をともなうために「お馬塚」が建立されたという。
写真をクリックすると拡大。タイトルは西福寺のご詠歌から引用。

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2008年6月 9日 (月)

厄除けの 双璧のたるや 西新井

寺社集印=東京・足立区

0805_207 今日は足立区皿沼から南下して環状七号線を東へ向かい西新井にいたる。西新井大師は弘法大師自ら開創した関東随一の霊場=関東88霊場特別札所=である。真言宗豊山派のお寺で五智山・遍照院・総持寺が正式名称。関東36不動霊場第26番札所でもある。
0805_209 天長三年(826年)弘法大師が関東を巡ったとき当地に立寄り、十一面観世音菩薩のお告げを受けてこれを刻みご本尊として祀る一宇を建立したのが西新井大師の始まりという。
0805_213 中世期には数度にわたり兵火に巻き込まれて建物も度々焼失したが、その都度ご本尊は火厄の難をまぬがれて無事であり、旧に倍する伽藍の復興を続けてきた。
0805_214 これを世人は畏敬して「火伏せの大師」「厄除け火防の大師」と呼ぶようになる。こうして西新井大師は厄除け大師信仰の一大霊場として著名になり、川崎大師(08年5月8日号で紹介)と並んで双璧とされている。
現在、本堂は大改装中で写真は遠望となった。右は不動堂、下は塩地蔵と門前町。
次回からいよいよ東北地方の寺社紹介が入る予定。
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2008年6月 8日 (日)

皿沼も 念仏講から 成田講

寺社集印=東京・足立区

0805_200 荒川土手から北上、ほぼ埼玉県・川口市に接する皿沼に向う。この辺も工場地帯と云っていいだろう。関東36不動霊場第25番札所皿沼山・永昌院皿沼不動尊である。当初は阿弥陀如来を安置する小さな庵であったそうだ。徳川幕府が開かれ、このあたりは直轄の舎人領とされたが、火災で一帯は焼け野原と化し当院草堂も焼失した。だが、ご本尊は焼け残り仮堂に祀られていた。
0805_203 寛永二年(1625年)上野の東叡山・寛永寺が創建されると、幕府は寺領として皿沼一帯を寄進した。これを機にご本尊の阿弥陀仏を拝する念仏講が結成され、その活動を中心に寺盛を発展させた。その後江戸を中心に成田不動への信仰が盛んになるとこの講社を組んで大挙詣でるようになり、ついには御前立不動明王のご本尊を拝領して現在に至っている。
天台宗・寺門系のお寺。写真上はシャレた二階建ての本堂、下は御前立不動明王・立像。天台宗関東総本山・寛永寺の神領代務であったため、関係者が毎朝礼拝に訪れ、「立ち寄り不動」と親しまれるようになった。明日は第26番・西新井大師。

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2008年6月 7日 (土)

木余りの 弥陀の浄土へ 繁る菩提樹

寺社集印=東京・足立区

0805_193 今年2月12日号で訪ねた調布の常楽院(第五番)で聞いた江戸六阿弥陀のうち、足立区の二寺を廻る。日暮里から尾久橋通りを北上、扇大橋を渡って初めの信号を左折、殆ど荒川沿いの工場の建ち並ぶ一角に「木余り」性翁寺がある。静かな佇まいである。
0805_194 ここに行基菩薩が六体の阿弥陀像を刻んだ後、余った木で彫ったといわれる阿弥陀仏が安置されている。高さ四・二㍍の金色の美しい坐像(都重文)だそうだ。足立姫伝説の姫(法名・蓮相浄池大姉)の墓もここにある。入水自殺した足立姫の遺体は見つからず、愛用の数珠を埋めたところ、一夜にして菩提樹がおいしげったという伝えがある。今でも「一夜菩提樹」として姫の墓標になっているという。浄土宗のお寺。

0805_196 荒川土手に出て上流にのぼり江北橋北詰を、右に一寸入ったところに第二番・恵明寺(けいみょうじ)はある。この辺もまわりに工場が多い。正式名称は宮城山・円明院・恵明寺なのだそうだ。足立姫伝説による二番寺は延命寺となっているが、明治初期に荒川放水路改修のおり当寺に合併され、阿弥陀如来(行基菩薩の作)も転座されたという。
0805_197 先代住職は毎夜のように「阿弥陀様が暑いといわれ、汗をかかれる夢」を見たので大谷石で藏を作り阿弥陀様とお不動さんをお移ししたところ、その直後に空襲で寺は全焼、御本体は昔のままの姿で残ったのだそうだ。綺麗な庭のある真言宗系単立寺院。

明日は足立区の二つの不動尊。タイトルは性翁寺のご詠歌からの引用。写真をクリックすると拡大。

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2008年5月19日 (月)

最高の 立地を誇る 寺二つ

0805_035_2 寺社集印=東京・八王子市
        (板橋区)

高尾山を下りて八王子市内の慈高山・金剛院を訪ねる。関東88霊場第63番にあたり、弘法大師の法灯を継ぐ古義真言宗のお寺。天正四年(1576年)僧真清によって開山、明王院と号し、本尊として不動尊像を安置していた。その後に高野山内にあった慈眼院(現高崎観音・慈眼院)の末寺となり、現在は別格本山と成っている。また、八王子七福神の福禄寿、寿老人を祀っている。真っ直ぐ八王子インターに出る。

0805_037 早目に都内に帰り、もう一つ板橋区の宝勝山・南藏院を訪ねる。ご本尊は十一面観音(秘仏)真言宗・智山派のお寺。国道17号線(中仙道)に面した最高の立地である。
0805_039当院の不動堂が 関東36不動霊場・第12番札所。この不動尊は当院の末寺にあたる命王山・金剛院のもので、蓮沼・志村一帯を代表する不動尊であったことから「志村不動」として広く知られていた。昭和二年、当院が金剛院を合併した際、そのご本尊と本堂をそっくりここの境内に移築したものが写真右の不動堂(ご本尊は不動明王)であるという。

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2008年5月18日 (日)

久々の 高尾登山で 冷や汗を

0805_024 寺社集印=東京・八王子市

大型連休明けで道路も空いた時期を見計らって、何十年振りかで高尾山に登った。車でどこまで登れるか不安だったが、途中、「許可証が要る」の、またお寺では「事故を起こせば事故証明が出ないので保険は下りない」とか、さんざん脅かされながら、何とか上まで登り、また早々に無事に下山できた。合掌。
0805_029 天平16年(744年)聖武天皇の勅願により、行基菩薩は自ら薬師如来像を刻んで、高尾山に安置して東国鎮護の霊場として開山し、高尾山・薬王院・有喜寺と名付けた。関東36不動霊場・第八番札所である奥の院不動堂は江戸初期の建築といわれ(都重文)飯縄大権現(不動明王の化身)を祀る。真言宗・智山派のお寺。右上の写真は本堂脇の二天狗青銅像。
0805_032道路と車の事で、 気をもみながらも勧められるまま、脇のシヤクナゲ園を覗いてみた。今まさに満開のシャクナゲが山の斜面に咲き誇っていた。
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2008年2月26日 (火)

東国で最も古い天神さん

20080101_111 寺社集印=東京・国立、多摩市

甲州街道を国立市へと西へ進むと天満宮前という信号があり、すぐ脇に駐車場があった。谷保天満宮(やぼてんまんぐう)境内に入ると下へ降りる石段があるという珍しい形態で、本殿は傾斜地の中腹にある。同様なのが群馬県にあった。(上野国一之宮・貫前神社・ぬきさき=07年5月26日記事参照)
20080101_112 入口にこれまた珍しい抽象的な座牛の石像があったのでワン・ショット。さて菅原道真公が筑紫大宰府に流されたとき、第三子・道武公は武蔵国多摩郡栗原郷(現在地)に配流された。父逝去の報に、思慕の情から父君の尊容を刻み鎮座したのが起りという。従って東日本で最も古い天満宮であり、関東三天神に挙げられている。(08年1月9日のご朱印帖に追加)

20080101_114多摩市の小野神社・武蔵国一之宮をお参りする。一之宮に相応しく堂々たる構え。広い境内の奥に赤い社殿が印象的だった。
20080101_115しかし 社務所は不在で、よく分からないが、火災に遭って再建された模様である。正面右手にある総代の太田さん宅を訪ね、無理にご朱印を頂いた。

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2008年2月25日 (月)

くらやみの祭りで名高き大国魂

20080101_105 寺社集印=東京・国分寺、府中市

奈良時代(8世紀中頃)の創建といわれる武蔵国分寺。ご本尊は薬師如来。山門は如何にも時代を偲ばせるもの(写真右)。
20080101_106 ひっそりと立つ当寺の周辺からは、かっての国分寺の造営からその維持に係わったと考えられる人々の竪穴住宅跡、出土品が数多く発見され考古資料として都の有形文化財に、また「真姿の池」湧水群、「東山道・武蔵路」など都指定の史跡・名勝が存在しているという。

20080101_108 甲州街道に廻り、欅(ケヤキ)並木で有名な旧官幣小社、武蔵総社・大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)。主祭神は大国魂の大神(大国主命)、ほか武蔵の国中の著名な神社六所を合祀したものとされる。
20080101_109 当社は武蔵国はもとより関東一円の崇敬者が多く、毎年五月の例大祭には夜間八基の御輿が、古式の行列を整え、闇夜に御旅所へ渡御するので、俗に「府中の闇夜祭(くらやみまつり)」といわれ、非常に賑わうそうである。

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2008年2月24日 (日)

武蔵野に武将の夢ぞ名残りけり

20080101_099 寺社集印=東京・杉並区

青梅街道から一寸入った森に荻窪八幡神社がある。この境内の樹木は美観風致を維持するため、東京都の指定樹林になっている。
20080101_100 第59代・宇多天皇の寛平年間(約1100年前)の創祀とされ、以後、源頼義の東征、太田道灌の石神井攻略などなど、多くの武将の前進基地になったものと推定される。
主祭神の応神天皇は武勇に優れ、かつ漢字の輸入、農工を勧めるなど進取な方で130歳?の長寿を保たれたとか。

20080101_102 青梅街道を西に進むと、同じく応神天皇を祀る井草八幡宮。写真左下の赤い門が秀麗である。南に善福寺川の清流をのぞみ、一万坪の境内には今なお「武蔵野」の面影が残つている。
20080101_103 善福寺川の源泉である善福寺池が豊富な湧水であったことから、この付近にはかなり古くから人々が生活していたと考えられ、縄文の住居跡や土器なども発見されているという。

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2008年2月19日 (火)

龍神は「一楽萬開」雨を呼ぶ

寺社集印=東京・西東京市

20080101_095 JR三鷹駅北口からバスに乗り東伏見に向う。東伏見稲荷神社へ。武蔵野の一角、青梅街道から僅かに残る雑木林があり、近づくとお稲荷さんの赤鳥居が見えてくる。
当社は昭和四年に京都の伏見稲荷神社(旧官幣大社)の分祀として奉斉されたもので、主祭神は宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)。
京都の伏見から東にお遷ししたので「東伏見」の地名まで出来た次第とか。

20080101_097 「一楽萬開」の故事にある水の神「龍神」を祀る田無神社。昔この地域では水が少なく、江戸時代に「田無用水」が引かれるまで、人々は水を大変貴重にしており、水の神「龍神」を崇めた。「龍神昇りて雨龍となりて雨降らす。民これをと呼び、よろず開かれ村榮ゆ」とある。
当社は鎌倉時代の創建といわれ、現在の拝殿は桁行7.3m、梁間6.4mの入母屋造、明治8年(1875年)建築のもので、都重文に指定されている。

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2008年2月17日 (日)

元木とも汗かきともいうお不動さん

寺社集印=東京・日野市

20080101_090

三鷹上連雀から日野市へ移動。通称「高幡不動」高幡山・明王院・金剛寺(みょうおういん・こんごうじ)を訪ねる。関東36不動霊場第九番札所、真言宗智山派のお寺で、ご本尊は勿論不動明王。本堂左手の五重の塔が圧巻である。
20080101_091 関東三不動の一つに数えられ、「元木の不動尊」とも呼ばれる当山は1100余年前の平安時代のはじめ、慈覚大師・円仁が清和天皇の勅願により東関鎮護の霊場と定められたのに始まるという。
室町時代には戦乱の度ごとに不動明王が、全身に霊汗を流されて奇端を表わされたため、「汗かき不動」と呼ばれて武人の尊崇を集めたという。

20080101_093_2 日野市万願寺にある田村山・安養寺(あんようじ)関東88霊場第68番札所を訪ねる。地名の万願寺は、当寺の前身の名が残ったのだという。真言宗智山派のお寺。
江戸時代中期の建立といわれる本堂には、本尊・阿弥陀如来(都重文)のほか、毘沙門天、大日如来など古仏が奉安されている。
いまも「王手は日野万願寺」といい伝えられるのは、新田と北条軍との戦いで、新田軍が先にこの地を抑えて「王手をかけた」という故事によるといわれる。

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2008年2月16日 (土)

寒空に聳えるばかりの不動像

寺社集印=東京・三鷹市

20080101_086 三鷹で所用を済ませ、上連雀の通称「三鷹不動」神龍山・井口院(いこういん)を訪ねる。樹木におおわれた参道から山門をくぐると、左に地蔵堂、不動明王殿(地下には四国霊場)と続き、何よりも11mの青銅の不動明王像が聳えている。圧巻だった。
20080101_087_2 正面に入母屋造り銅葺唐破風向拝付、間口九間、奥行七間の本堂、右に閻魔堂、庫裡、客殿とある。
万治元年(1658年)中野村宝仙寺(07年11月4日記事)の僧・清長が石神井村の井口春重と協力して堂宇を建立し薬師如来を奉安したのが開基とされる。
紀州根来寺(07年12月16日記事)の流れをくむ新義真言宗の寺院で、関東88霊場第70番札所にあたる。

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2008年2月13日 (水)

門前の蕎麦はうましと誰もいう

寺社集印=東京・調布市

20080101_079 調布ヶ丘の布多天神社(ふだてんじんしゃ)を訪ねる。創建は延長5年(927年)といわれる多摩地方有数の古社。ご祭神は少彦名神(すくなひこなのかみ)大国主神の弟神で協力して国造を進められたという。
20080101_080_2 文明9年(1477年)に多摩川の洪水を避け、古天神というところから現在地に遷座され、そのとき学問の神様・菅原道真公を配祀したそうだ。
「古天神の調布伝説」から木綿を布を織る方法を、当社に現れた「白髪の老人」に教わり、多摩川べりで手作りの布が多く作られ、「武州調布(てづくり)の里」と呼ばれたとか。

20080101_083 蕎麦と公園と碑(いしぶみ)で有名な浮岳山・深大寺(じんだいじ)約1300年の歴史を持つ天台宗の名刹。確かに境内いたるところに著名な俳人・歌人の碑が点在する。
20080101_084 茅葺の山門を入ると正面に本堂、ご本尊は白鳳仏。合掌。
左手に元三大師堂があり、背後に神代植物公園を控えた、武蔵境通りと三鷹通りにまたがる広大なものである。

註:タイトルは清水比庵の歌より引用。写真をクリックすると拡大。

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2008年2月12日 (火)

調布とは布を調(みつぎ)ておこりけり

寺社集印=東京・調布市

20080101_073 三鷹に所用があり、早目に出て調布市の四寺社を訪ねる。道順から甲州街道を行き、つつじヶ丘の常楽寺(じょうらくじ)。天台宗の静で清々しいお寺。ここは「足立姫伝説」による江戸六阿弥陀の第五番に当たる。上野不忍池の近くにあったが関東大震災で焼失、ここに移転復興したという。今でも東天紅の裏手に仮堂があるそうだ。

20080101_075 国領町の医王山・常性寺(じょうしょうじ)真言宗豊山派。ご本尊は薬師如来、関東88霊場の第69番札所に当たる。
20080101_076 正面に本堂、左に不動堂、右に地蔵堂・客殿・庫裡(納経所)など、いろいろある大きな構えである。
まず、このお寺は「調布不動尊」で知られ、成田山・新勝寺より勧請した不動尊が近在の人々の信仰を集めている。
20080101_077 また、調布は織物の縞(縞木綿)の産地で八王子の呉服商人が馬を引いて買いに来た。その道中の安全と商売繁盛を祈念して馬頭観音像も作られた。
大化の改新(645年)の律令制度で祖庸調〔そようちょう)の税制がしかれ、この付近からは調(みつぎ)として布が献上されたことから「調布」の地名が起ったとか。写真をクリックすると拡大

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2008年2月 5日 (火)

寒中の陽だまりに見る梅一輪

寺社集印=東京・品川(4・4)と北区

20080101_067 前記の路地伝いに第一京浜道(国道15号)に出ると正面右手に鳥居と石段のある小山がある。信号を渡ると写真右の大黒サンのお出迎え。5~60段の石段の上が品川神社元准勅祭・東京十社の一つ。
20080101_068 文治3年(1187年)源頼朝公が安房国の洲崎明神をお祀りしたのが創始。のちに徳川家康公が関が原合戦に出陣のおり、当社で戦勝を祈願されたという。
20080101_069 境内を一巡したところで、日当りのいい場所にまだ2~3輪ながらこの寒空に紅梅の咲き初めを発見し、春を感じた。(おわり)

20080101_070 時間があったのでJR品川駅から京浜東北線で王子に向う。目指すは王子神社元准勅祭・東京十社の最後の一社である。王子駅からだらだら坂を登ったところに大銀杏の木(写真右)があった。
20080101_071 王子の地名は熊野三社の御子「王子大神」から来ており、領主の豊島家が熊野から当社を勧請したことから起こったとされる。
江戸時代、春日局が当社に祈願し、めでたく家光の将軍就任が叶った故事から、「子育大願」の神社として知られ、今でもお宮参りや七五三などで賑わうという。

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2008年2月 4日 (月)

品川宿裏鬼門には一心寺

寺社集印=東京・品川区(3・4)

再度、旧東海道に戻り、しばらく上ると右側に不動尊のノボリが並んだ一心寺(いっしんじ)。昨年暮に江戸33観音巡りで訪れたときは、通過したところ。寿老人を祀る。
このお寺は幕末の安政二年、品川の土地に町民一体となり町内発展と守護のために創建されたという。旧東海道筋で裏鬼門の方向にある。本尊は不動明王。(写真は省略、12月25日参照)

20080101_066 20080101_065_2 正面の細い路地(京急線・新馬場駅への近道)を入ると養願寺(ようがんじ)布袋尊を祀る。正安元年の創建と伝えられ、天台宗のお寺で、ご本尊は虚空蔵菩薩。「品川の虚空蔵さま」と呼ばれ、ひろく信仰を集めているという。本堂には鎌倉時代の作といわれる阿弥陀如来三尊、江戸時代の作の不動三尊像と布袋尊が安置されているという。
(つづく)

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2008年2月 3日 (日)

恵比寿さん鳥居の前でお出迎え

寺社集印=東京・品川区(2・4)

20080101_062 京急線をさらに二駅戻った「青物横丁駅」で降り「ジュネーブ平和通り」というシャレた名前の通りを右手に、さらに旧東海道を右に行くと品川寺(ほんせんじ)昨年12月21日に江戸33観音でお参りして今回二度目、12月25日に紹介。また江戸六地蔵の一つ(写真右、1月29日紹介)でもある。毘沙門天をお祀りしてある。御丈三尺余の毘沙門天は足利期のものといわれている。

20080101_063 旧東海道をしばらく上ると目黒川に出て、左手に荏原神社(えばらじんじゃ)に渡る赤い橋が目に入る。
20080101_064 橋を渡ると鳥居の前に丸々太った恵比寿さんの石像がお出迎えだ。
和銅二年(709年)創建とされる当社はまた龍神を祀り、元品川宿の総鎮守、天王社と称している。この天王祭りの神面御輿の海中渡御は全国に知られている。
(つづく)

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2008年2月 2日 (土)

東海道品川宿の七福神

寺社集印=東京・太田・品川(1・4)

東海道五十三次の第一の宿場「品川」の沿道に由緒ある社寺が展開している。それを束ねたのが東海七福神、これを巡る。

20080101_060 JR品川駅で京急線に乗り換え「大森海岸駅」まで行く。左手の第一京浜(国道15号線)に沿って南に下ると、磐井神社(いわいじんじゃ)のまさに正面に着く。弁財天を祀る。
千四百年の歴史を誇る当社は、江戸名所図絵には「鈴森八幡宮」の名で記録されており、幾度かの戦火をくぐり、現在は鉄筋コンクリート造に生まれ変わっている。

20080101_061 京急線で一駅戻った「立会川駅」から立会川に沿って左にいくと旧東海道、これを右に曲がると天祖諏訪神社(てんそしわじんじゃ)。福禄寿尊を祀る。写真左。
浜川町と元芝の鎮守の御社・氏神様として親しまれ、かつては神明宮と諏訪社と称して、東京湾に面し、立会川をはさんで並び祀られていたようで、寛永8年(1631年)の創建とされている。

写真をクリックすると拡大。(つづく)

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2008年1月27日 (日)

江戸情緒豊かな町よ深川木場

20080101_054_2 寺社集印=東京・江東区

深川七福神巡り、前々回余りに混んでいたのでパスした冬木の弁財天・冬木弁天堂。一寸道路より小高くなっているので、境内は混みあう。町内のボランティアが手分けして活動していた。

20080101_051 地下鉄清澄白河駅の脇にある江戸六地藏尊第五番の霊巌寺を訪ねる。通りに囲まれているが奥に広い境内があり、本堂左手に大きな地蔵尊像が立っている。

20080101_052 前回に紹介した深川稲荷神社から小名木川を渡る万年橋のたもとに芭蕉稲荷神社があった。この辺は芭蕉の住居があったのだろう、彼に因んだ庭園、記念館などが散在している。深川木場は江戸情緒豊かな町である。写真をクリックすると拡大

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2008年1月26日 (土)

七福神一番北の神明宮

20080101_057 寺社集印=東京・江東区

前回に続き深川七福神巡り。今回は三好1丁目20080101_058龍光院毘沙門天から。比較的スッキリしたお堂であった。ここも次々と参拝者が訪れていた。

次は清洲橋通りに出て西へ。道すがらオレンジ色のノボリ旗がひらめいて案内役を務めている。白河交差点を少し隅田川の方へよった清澄2丁目の深川稲荷神社。ここにふっくら布袋尊が祀られている。

20080101_059 北上して新大橋通りに出る手前、森下1丁目の深川神明宮。ここは寿老神である。神殿の屋根が全面に大きく突き出した特徴のあるお宮。ここが深川七福神巡りの一番北に当たる。
あとパスしてきた弁天サンは次回。

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2008年1月24日 (木)

七福神今年のお参り江東深川

20080101_053 寺社集印=東京・江東区

前回の富岡八幡宮に深川七福神恵比寿神が祀られている。本殿左手に並んでいる。因みに右から大島神社・鹿島神社、恵比須社・大国主社、金刀比羅社・富士浅間社の三宮。

20080101_055_2 冬木町の弁天サンは参拝者が歩道にあふれていたので、あとまわしにして深川2丁目の心行寺・福禄寿尊をお参りする。2~3のウオーキング倶楽部が来ているようだった。

20080101_056 つぎは平野1丁目の円珠院・大黒天。まるまると太った福々しい大黒さんであった。
何度も云うようだが正月の七福神参りは何処もこんな具合なんだろうと思つた。

写真をクリックすると拡大

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2008年1月22日 (火)

門仲の駅から不動へ連なりぬ

20080101_048 寺社集印=東京・江東区

東京メトロ東西線の門前仲町駅で降りてみると、深川不動まで続く人の列でまづ驚いた。正月も三が日ならいざ知らず、松も取れようかという時期にだ。それに従ってまづ成田山・深川不動堂(深川不動)に参る。関東不動霊場20番札所。ここは新車購入時に御祓いをしていただくので度々詣でてはいるが、人ごみの中、正面からご朱印を頂くべく、お参りするのは初めて。

20080101_049 隣の富岡八満宮(深川八幡)へ。寛永四年(1627年)菅原道真公の末裔とされる長盛法印が当時永代島と呼ばれていた小島に創祀したものとされ、以来周りの砂州の埋め立てが進み、深川発展の基礎となったのだそうである。元准勅際神社・東京十社の一つ、また江戸八所八幡の一つでもある。ここも大賑わいである。
20080101_050_2 いま大相撲初場所中であるが、ここはその前身である江戸勧進相撲の発祥の地。本殿の右手奥に「横綱力士碑」がある。第12代横綱・陣幕久五郎が発起人となり明治33年(1900年)に建立されたもので、歴代の横綱の名が刻まれている。

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2008年1月11日 (金)

境内は石仏群でおお賑わい

20080101_044 寺社集印=東京・目黒区

JR目黒駅から暮に通った坂道(目黒行人坂)を下ったほぼ中間点に江戸三大黒の一つ、松林山・大円寺(だいえんじ)がある。天台宗のお寺。江戸城の裏鬼門(西南)に当たるため、守護神として祀られたという。また山手七福神の札所とあって賑わっていた。
20080101_045 境内の左手に江戸期の作といわれる五百羅漢の石仏群が小さいながらギッシリと立体的に祀られている(写真左)。
20080101_047 写真右はにこやかな七福神の石像。ここで山手七福神巡りは省略させて頂くことにした。なにしろ当山には様々な仏が祀られ、国宝・重文が数多くあるそうだ。
写真をクリックすると拡大。

ご案内の件
私の水彩画・個展(第13回)を来る1月14日から1月20日の一週間、東京駅八重洲地下街のギャラリー八重洲で開きます。興味のある方はご遠慮なく、お立ち寄り下さい。開場時間はAM10:00~PM6:30(20日はPM4:00)です。

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2008年1月 8日 (火)

内藤宿エンマと「ばあさん」名コンビ

20080101_036_2 寺社集印=東京・新宿区

新宿御苑の近くの霞関山・本覚院・太宗寺(だいそうじ)をお参りする。右手に大きな銅製の地蔵尊坐像(像高267㎝)、江戸六地蔵尊の一つで甲州街道沿いに建立された。浄土宗のこのお寺は僧侶・太宗の草庵「太宗庵」が前身とされる(慶長年間・1596年)。

20080101_037_3 並んで閻魔堂。金網越しにワンショット。江戸三閻魔の一つ。「内藤新宿のお閻魔さん」「しょうづかのばあさん」として庶民に親しまれ、信仰を集めている。「ばあさん」とは奪衣婆(だつえば)、閻魔大王に仕え三途の川を渡る亡者から衣服をはぎ取り、罪の軽重をはかるとされている。

20080101_039_2 写真右は不動堂。額の上に銀製の三日月をつけた通称「三日月不動」とよばれる不動明王像を安置してある。また新宿山の手七福神の布袋尊も祀られていた。写真をクリックすると拡大。

ご案内の件
私の水彩画・個展(第13回)を来る1月14日から1月20日の
一週間、東京駅八重洲地下街のギャラリー八重洲で開きます。興味のある方は、遠慮なくお立ち寄り下さい。開場時間はAM10;00~PM6:30(20日はPM4:00)です。

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2008年1月 3日 (木)

ありがたや目黄に託して心叶えん

20080101_024 寺社集印=台東・江戸川区

元日に初詣で三ノ輪まで足を伸ばし江戸五色不動尊の目黄不動の一つ養光山・永久寺(えいきゅうじ)を訪ねる。三ノ輪交差点(地下鉄日比谷線三ノ輪駅の隣)・明治通に面した体育館風の建物。ご朱印を頂いたが、何だか無愛想なので何も聞かずに退散。

20080101_029 翌二日、江戸川区まで車で出かけ、同じく通称・目黄不動の牛宝山・最勝寺(ごぼうさん・さいしょうじ)を訪ねる。天台宗のお寺で本堂にはご本尊の釈迦如来、別に不動明王を安置する不動堂が右手にある。立派な不動明王坐像であった。関東36不動霊場第19番札所である。

20080101_032 次いで平井聖天・燈明寺(ひらいしょうてん・とうみょうじ)を訪ねる。聖天様は本名を歓喜天といい、数ある仏さんの中でも一番聖なるゆえに「聖天」と名付けられたのだそうだ。07年6月2日に紹介の待乳山・本龍院(まつちやま・ほんりゅういん=台東区浅草7丁目)も歓喜天・聖天さまをお祀りしていた。

20080101_034 そのお隣に諏訪大神を祭る平井諏訪神社があり、初詣で賑わっていたので、詣でてご朱印を頂いてきた。

註;①写真をクリックすると拡大。②タイトルは最勝寺のご詠歌から引用。

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2007年12月30日 (日)

不動瀧めぐろの杜におわす観音

6_026 寺社集印=東京・目黒区

JR目黒駅から約20分は歩いたか、この辺もすっかり変わっていた。江戸33観音第33番札所である目黒不動尊別当・泰叡山・瀧泉寺(りゅうせんじ)に辿りついた。これで江戸33観音霊場巡り「結願成就」と相成った。
6_027 ご本尊は不動明王(関東36不動霊場第18番札所・目黒不動)札所本尊は聖観世音菩薩。天台宗のお寺である。写真右上はミズカケ不動、左が本堂、石段を降りた左に寺務所、その隣に薬師堂と観音堂が並んでいる。

6_028 坂道を下ると天恩山・五百羅漢寺(ごひゃくらかんじ)があるので、年納めにお参りした。ご本尊は釈迦牟尼仏。合掌。
6_029 「目黒のらかんさん」で親しまれている羅漢像は元禄時代に松雲元慶禅師が、江戸の町を托鉢して集めた浄財を元に、十数年の歳月をかけて作りあげたものだという。五百体以上の群像が300年の星霜を重ね、現在は305体、都の重文に指定されている。もともと本所五つ目に創建され[本所のらかんさん」として人気があったが、維新で没落、明治41年に目黒に移ったものの衰退し、昭和54年になって、日高宗敏貫主により、甦ったという。表に出て境内の身の丈3.5mの真っ白な「再起地蔵尊像」は美しかった。(写真左下、右下は本堂)
註; ①クリックすると拡大。②タイトルは瀧泉寺のご詠歌から引用。

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2007年12月28日 (金)

今まさに赤く染まれり豪徳寺

6_010 寺社集印=東京・世田谷区

前回の世田谷八幡宮と松陰神社の中間に位置する豪徳寺(ごうとくじ)彦根藩主・井伊家の墓所。都内における近世大名墓所の中で占有面積、墓石数ともに最大を誇り、威厳と風格を備えている。
井伊家は遠江国井伊谷(浜松市引佐町・いなさ)を中心に勢力をもつ武家で、今川氏の配下にあったが、24世とされる直政は家康に仕え、関が原合戦で活躍、近江国(滋賀県)を与えられ初代彦根藩主となり、のちに徳川四天王の一人とうたわれた。二代直孝も大阪の陣の功績で近江国のほか下野国佐野領、武蔵国世田谷領を授かり30万石の大名となった。また井伊家は徳川幕府譜代大名の中で筆頭格にあり、歴代藩主のうち五人は大老職にあったという。写真右は最近落慶したという三重宝塔と紅葉。

6_011 とりあえず世田谷の最後は下馬の通称世田谷観音、世田谷山・観音寺(かんのんじ)江戸33観音第32番札所。ご本尊は聖観世音菩薩。境内には特攻観音(若き命を国のために捧げた特攻隊員4615柱の安息所)、不動明王、阿弥陀如来、仁王尊など祀るお堂が建並んでいる単立のお寺。

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2007年12月27日 (木)

世田谷の鎮守の森は八幡様

6_007 寺社集印=東京・世田谷区

東急世田谷線・宮ノ坂駅の近くに世田谷八幡宮がある。ご祭神は応神天皇(おうじんてんのう)仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)神功皇后(じんぐうこうごう)とされている。源義家は1091年[後三年の役」に勝利し、帰途中に、ここ世田谷の里で豪雨にあい、天候回復を待って10日ほど滞在した。その折、今度の戦勝は日頃信仰する八幡大神のご加護と感謝し、豊前国(大分県)の宇佐八幡宮の御分霊をこの地にお招きすることになったといわれる。現在の社殿は昭和39年に改築されたもので、世田谷の鎮守の神様として親しまれている。

6_008 小田急線・豪徳寺駅の近く、国士舘大学に並んで松陰神社がある。いうまでもなく、幕末の志士の多くを育てた吉田松陰を祀る神社。
6_009 境内に山口県萩市から移設したものか?松下村塾(しょうかそんじゅく)が建っており、看板には志士の写真と業績の説明がされている。

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2007年12月26日 (水)

もろびとを助けたまえる目青不動

6_004 寺社集印=東京・世田谷区

等々力渓谷が境内を流れる等々力不動。紀州の根来寺(12月16 日記事掲載)を開いた興教大師(こうぎょうだいし)が日頃信心する役行者(えんのぎょうじゃ)の作られた不動明王から「武蔵野国に霊地がある」と夢に告げられ、たずねて等々力の地に霊地を発見。奉持した不動尊を安置したものといわれる。
6_005 瀧轟山 明王院・満願寺別院(りゅうごうざん・みょうおういん・まんがんじ・べついん)関東36不動霊場第17番札所。ご本尊は大聖不動明王。
五千坪の境内には都内唯一の渓谷を擁し、五百本を超える桜、樹齢数百年の大銀杏、秋には五色に紅葉する楓などの木々、野鳥も多く遊ぶ。

6_006_2
東急世田谷線・三軒茶屋駅のすぐ前に目青不動尊、「縁結びの不動」として崇高を集めているのが竹園山・最勝寺・教学院(きょうがくいん)ご本尊は阿弥陀如来。不動堂には目青不動尊をお祀りしている。関東36不動霊場第16番札所
王城鎮護の四神に習い、江戸城の四方に配置したのが目黒・目白・目赤・目青の四不動で、のちに将軍家光がこれに目黄不動尊を加えて「五目不動」「江戸五色不動」としたとされる。

註; ①タイトルは教学院のご詠歌から引用。②写真をクリックすると拡大

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2007年12月25日 (火)

東海の街道沿いに七福神

6_022 寺社集印=東京・品川区

JR品川から京浜急行線に乗換え青物横丁駅下車。南に行くと旧東海道、それを右折すると街道に面して海照山・普門院・品川寺(ほんせんじ)がある。江戸33観音第31番札所。また江戸六地藏の第一番。そういえば門前に大きなお地蔵さんが立っている。本堂は土藏造り、ご本尊は水月観世音菩薩(寺宝)と聖観世音菩薩。合掌。真言宗醍醐派のお寺。旧東海道の街道沿いに東海七福神があり、当寺は毘沙門天。

6_023

西に2-3軒並び隣に龍吟山・千体荒神殿・海雲寺(かいうんじ)がある。初めは庵瑞林といい臨済宗のお寺であったが、曹洞宗に改め海雲寺となった。
6_024 写真右の奥に輝いているのが観音堂(十一面観世音菩薩がご本尊)、左の大きなお堂は千体荒神殿。江戸33観音番外札所

6_025 街道を東に移動すること約15分、成田不動だと思い込み行過ぎた。豊盛山・延命院・一心寺(いっしんじ)真言宗のお寺である。江戸33観音第30番札所となつて居る。札所ご本尊は聖観世音菩薩。和尚さんは成田からいらして、品川・成田山不動尊でもある。東海七福神・寿老人。ここまで来ると京浜急行・新馬場駅が近い。

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2007年12月22日 (土)

ひばり鳴く武蔵野恋しや多聞の寺

072 寺社集印=東京・北多摩地区

更に西の東久留米市へ。武蔵野33観音霊場第五番 寶塔山・多聞寺(たもんじ)。元仁年間(鎌倉時代)の草創、天満宮を安置して梅本坊と号していた。100年後祐観上人によって毘沙門天を本尊としたが、今なお学問の神様としての参詣者も多いという。札所本尊は十一面観音、真言宗智山派のお寺。

074_2 清瀬市の武蔵野33観音霊場第六番 安松山・全龍寺(ぜんりゅうじ)。開山は慶長元年といわれるが、二度の火災により記録、什物の類は殆ど焼失、詳細は不明。
ご本尊は釈迦如来、札所本尊は一葉観音。曹洞宗のお寺。

東村山市の武蔵野33観音霊場第七番 福寿山・徳藏寺(とくぞうじ)。臨済宗大徳寺派に属し、ご本尊は白衣観世音菩薩(白は清浄菩提心を表し、白衣で石上に座すといわれる)合掌。

076 東大和市の武蔵野33観音霊場第八番 愛宕山・円乗院(えんじょういん)。村山貯水池(多摩湖)のほとり、武蔵野台地に静に佇む。
紀州根来寺からキリモミ不動尊を写して本尊とした。札所本尊は如意輪観音。合掌。真言宗智山派のお寺。

註;①タイトルは多聞寺のご詠歌を引用。②写真をクリックすると拡大

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2007年12月15日 (土)

光明の保谷のみほとけ如意輪寺

068 寺社集印=東京・西東京市

西に向って北多摩の西東京市・二寺を訪ねる。
武蔵野33観音札所・第四番 光明山・如意輪寺。総本山は京都東山七条の智積院。当寺の草創は寛永16年・1639年、慶安5年・1651年と、諸説があるが、いずれにしても古い。
ご本尊はかつて不動明王であったが、本堂焼失後、新本堂建立と共に大日如来を本尊として安置、観音堂は難をまぬがれ、大正2年現在地に移築され、如意輪観世音をお祀りしてある。「保谷の観音さん」として皆に親しまれている。真言宗豊山派のお寺。

070 西武新宿線・田無駅から一寸入ったところに関東36不動霊場第10番札所の田無山・総持寺(そうじじ)。開創は古く元和年間(1615~23年)といわれるが、様々な変遷をへて、明治8年(1875年)恵亮和尚によって寺号を田無山・総持寺と改め中興一世となった。
ご本尊は大聖不動明王。田無不動と呼ばれる真言宗智山派のお寺。

註; タイトルは如意輪寺のご詠歌から引用。

お知らせ; 本号にて発刊300号になりました。
        皆さん、ありがとう!

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2007年12月10日 (月)

大仏さん昼と夜とで向きをかえ

6_001 寺社集印=東京・世田谷区

首都高用賀インターを降り、右折して環八に入り、世田谷通りを砧方面に進むと左手に「おおくら大仏」が高台に見える。動く大仏といわれ台座から一回転できるのだという。朝9時から夕方5時までは本堂の方を、夕方5時から翌朝9時まで世田谷通りを向いて居られるそうだ。訪ねたときは早朝につき、まだ世田谷通り向きだった。東光山・妙法寺(みょうほうじ)日蓮宗のお寺。境内には沢山の木が植えられた立派な庭園となっている。今はモミジが美しかった(写真右上)。

6_002 玉川大師・玉眞院(ぎょくしんいん)。このお寺は何といっても地下霊場・遍照金剛殿。この仏殿は本堂の直下より境内の地下一円におよび、深さ5m、参道約100mの鉄筋コンクリート造の隧道?。その中に四国88ヶ所・西国33両霊場の大師様、観音様を悉くお迎えしてあるという。(一寸足を踏み入れたが気分が悪くなり撤退)。

6_003九品仏」(くほんぶつ)の名で親しまれているお寺(浄土宗)。九品山唯在念仏院・浄眞寺(くほんざん・ゆうざいねんぶついん・じょうしんじ)。境内三万六千坪、カヤ・トチ・高野マキ・菩提樹・イチョウなどの大木が多く、往古の面影を残している。本堂にはご本尊の釈迦牟尼如来が安置されている。また九品仏とは「九体の阿弥陀如来」であり、三体づつ上品堂、中品堂、下品堂の三つのお堂に安置されていて、この三仏堂も見事な紅葉に包まれていた。(京都府下の浄瑠璃寺とで、東西の九品仏の双璧とされている)。

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2007年12月 8日 (土)

はるばると高野の仏移しけり

062 寺社集印=東京・練馬区

練馬区で友人の葬儀があり、これを機に武蔵野33観音霊場巡りに足を踏み入れる。
まずは第三番札所 亀頂山・三寶寺(さんぽうじ・関東36不動の11番、ご府内88ケ所霊場札所)。ご本尊は不動明王、札所本尊は如意輪観音。合掌。通称石神井不動、真言宗智山派のお寺。
応永元年、豊島一族の祈願寺としたのが始まりだそうだ。山門は三代将軍家光がお成りになったときのもので、これを残して二度の火災で焼失し、再建されたもの。

064 総欅材といわれる三重塔に誘われるように、隣にある武蔵野33観音・第二番札所 豊島山・道場寺(どうじょうじ)へ。因みに塔内には金銅薬師如来坐像とスリランカ国から拝受した仏舎利が奉安されている。ご本尊は釈迦如来、札所本尊は聖観音。合掌。曹洞宗のお寺。
開創は天平元年(729年)と伝えられ、現在の堂宇は天平の往時を偲び、唐招提寺金堂を模したものといれれる。

066_2武蔵野33観音・ 第一番札所 東高野山・長命寺(ちょうめいじ・ご府内88ヶ所霊場札所17)。高野山奥の院を模して寺域が造られ、江戸時代中期から「東の高野」として市民の信仰を集めたという。ご本尊は十一面観音。合掌。真言宗豊山派のお寺。
境内には多くの供養塔、石仏群が整然と配置され、この一帯は残された自然と共に深い静寂を漂わせている。

註;①タイトルは長命寺のご詠歌を引用。②写真をクリックすると拡大

 

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2007年12月 2日 (日)

ありました江戸の「お伊勢さん」芝明神

056 寺社集印=東京・港区

JR浜松町駅から増上寺へ向い、国道15号線赤門の一つ手前を右に入ったところに芝大神宮(しばだいじんぐう・東京十社)がある。何回も通っている道だが一本はいっているので気づかなかった。
主祭神は天照大神(内宮)豊受大神(外宮)の二柱、平安時代・一条天皇の御代に創建、関東の[お伊勢さま」(芝明神)として、崇敬されてきたという。

060 次は東京タワーの真正面、勝林山・金地院(こんちいん)江戸33観音第二十八番札所。ご本尊は聖観世音菩薩、臨済宗南禅寺派のお寺。
まわりは場違いな雰囲気だが、なるほど昭和20年3月10日の東京大空襲ですべて焼失し、昭和31年に再建された鉄筋防火構造のモダンなもの。本堂には新刻の伽羅一本造の聖観世音菩薩立像が祀られている。

058_2 先に神主さん不在でご朱印を頂けなかった(増上寺の西隣)芝東照宮によって見ると、芝大神宮で頂けるとの事。
帰り道なので、三度目の正直でやっと頂くことが出来た。

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2007年11月18日 (日)

三田の町山坂こえて三寺社へ

145 寺社集印=東京・港区

JR田町駅下車、まず江戸八社八幡御田八幡宮(みたはちまんぐう)を参拝。大きなレンガ色のビルの先に急な石段。その上に鎮座。この辺は想像以上の山坂がある。

150 隣のレンガビルの裏手にエレベーターがあり、それに乗って上がると、墓地の裏手に着く。この墓地がこれからお参りする周光山長寿院・済海寺(さいかいじ)のもの。写真左がコンクリート造の本堂、左ののっぽビルが例のエレベーターの所有者。ご本尊は亀塚正観世音菩薩。合掌。浄土宗のお寺。江戸33観音第26番札所

152
前の道をだらだらと下り右折すると、道端に赤門がある。ここが三田山・魚藍寺(ぎょらんじ・藍は竹冠が正解)ご本尊は魚藍観世音菩薩。合掌。浄土宗のお寺で、ご本尊は唐の国に金沙灘という全く仏教信仰のなかった地方に、竹篭に魚を入れて売り歩く麗しき乙女のお姿で、仏の道を広められた。そのお姿という。江戸33観音第25番札所

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2007年11月17日 (土)

驚いたエスカレータ付の日枝神社

137 寺社集印=東京・港、千代田区

西麻布に移動。桜田神社を参拝。ここは港・七福神=寿老人をお祀りしている、こじんまりしたお宮であった。⇒

139 次に東京十社に入る氷川神社。ご祭神はスサノウノミコト、稲田姫命、大国主命。
江戸幕府の尊信篤く、八代将軍吉宗が現在地に遷宮、開運・厄除け・良縁の鎮守神として尊崇された。
140 都内の神社としてはかなり広大な境内が、小高い丘の森の中にあつた。また、勝海舟ゆかりの四合稲荷(しあわせ)すなわち古呂故(ころこ)稲荷、地頭(じぬし)稲荷、本氷川稲荷、玉川稲荷の四社を合祀したものも現存するという。

142 近くにある千代田区の日枝神社(ひえじんじゃ、東京十社・旧官幣大社)でエスカレーターが付いていたのには驚いた。左の写真の右側〔クリックすると拡大)新参道・山王橋である。それこそ東京のど真ん中の神社だ。
143 ご祭神は大山咋神(おおやまくひのかみ)=「大山の主」であるとともに、ひろく地主神として崇められ、大地を支配し、万物の成長・産業の成育を守護される広大無辺の神様とある。
参道は三つ(男坂、女坂、それと新参道)、それぞれに独特の鳥居が立ち、広い境内には本殿(写真右下)山王夢御殿、宝物殿など。なお摂社は日本橋茅場町(6月23日に掲載)にある。

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2007年11月11日 (日)

うららかや麻布の台のちょうこく寺

128 寺社集印=東京・港区

東京メトロ銀座線・外苑前で降り、青山通りを少し赤坂方面に戻ると、ビルの間にそこらの風景と異なる青々と立つ竹林。ここが長青山・梅窓院(ばいそういん)江戸33観音第24番札所の入口(写真右)。
129_2 浄土宗のお寺。参道を抜けると山門があり、正面が寺務所、ご朱印帖を預け右手が境内、正面に本堂への階段、左下が観音堂入口(写真左)。まさにビルの玄関。
130 まず本堂をお参り。それから階段を降り観音堂へ。札所本尊は泰平観世音菩薩(写真右)合掌。

墓地を迂回して外苑西通を青山霊園に沿って西麻布交差点まで歩くこと20分。幅80㎝足らずの細い歩道に道路行政のお粗末さに腹が立った。

132 着いてみると境内の広さにまずビックリ。それと福井の永平寺の東京別院だったこと。補陀山永平寺別院・長谷寺(ちょうこくじ)江戸33観音第22番札所。曹洞宗のお寺で、ご本尊は十一面観世音菩薩。合掌。
134_2
135 コンクリート造二階ぶち抜きの観音堂(写真右)の天井まで届きそうな大きな観音像(写真左)、いずれも驚嘆に値する、ものばかりだった。
註;①タイトルは長谷寺のご詠歌から引用。②写真をクリックすると拡大。

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2007年11月 4日 (日)

うつろなるこの世にありて頼みする

119 寺社集印=東京・中野区

中野区に入り、如意輪山・宝福寺(ほうふくじ)真言宗豊山派のお寺、江戸33観音第十七番札所を訪ねる。道が細く進入に一寸苦労した。
120 ご本尊は如意輪観自在菩薩。合掌。
当山の始まりは聖徳太子が諸国巡行された際、紫雲たなびくこの地を霊地と定め、堂を建立されたのだそうだ。
くだって寛元のころ、守海上人が諸堂を改修し中興第一世と称され、この間遠近の人々から「中野観音」と慕われ、信仰を集めたといわれる。写真左は改修中の観音堂。

124 つぎに関東36不動霊場第十五番札所である明王山・聖無動院・宝仙寺(ほうせんじ)を訪ねる。中野の中央部に広大なお寺があるとは驚かされた。真言宗・豊山派。
125 中野不動尊で知られる当寺のご本尊は不動明王(五大明王)合掌。
当山は平安時代後期の寛治年間に源義家が開山創建されたとされる。
126 そのとき地主稲荷の神が現れ、義家に宝珠を与え「この珠は稀世之珍、宝中之仙である。これをもって鎮となさば、武運長久、宝燈永く明かならん」と告げたことから、山号を宝仙寺としたと伝えられる。
註;①タイトルは宝福寺のご詠歌から引用。②写真をクリックすると拡大

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2007年11月 2日 (金)

杉並で閻魔大王にご面会

112 寺社集印=東京・杉並区

大宮八幡宮から松ノ木の華徳院(かとくいん)に向う。通りから参道をゆっくり入り(写真右)本堂前に車を置かせてもらう。丁度法事が行われていたので、昼食に出て時間を稼ぐ。
113 写真左が本堂。このお寺はエンマさんで有名、「上がってどうぞ」と誘われて、ご本尊と本堂右手に安置されている閻魔大王に面接。合掌。
114 そこでパチリ(写真右)坐像で高さ1.2mはあろうかと思われる立派な像だった。

つぎに「厄除け」の妙法寺に向ったが、当日は縁日か何かで大変な人出、車を置くところが見当たらず、和田のにある東円寺(とうえんじ)へと変更。
116 写真左は本堂。医王山と称し、真言宗豊山派のお寺でご本尊は聖観世音菩薩。合掌。
117 写真右は観音堂。江戸33観音第十九番札所で、昭和41年に再建された鉄筋コンクリート造の綺麗なもの。江戸時代には多くの参詣者で賑わい「香煙絶え間なし」と言われほどだったそうである。
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2007年10月28日 (日)

武蔵野の面影残す都心の杜

109 寺社集印=東京・杉並区

武蔵野台地東端、東京に流れ込む善福寺川の流域を「大宮」と呼ぶらしい。この地の大宮遺跡は初の方形周溝墓の発掘地として知られ、大宮八幡宮(おおみやはちまんぐう)鎮座の以前から「聖なる地」とされていたようだ。

110 ご祭神は応神天皇(おおじんてんのう・第十五代)とご両親。境内は約一万五千坪、武蔵野の面影が色濃く残る緑豊かな都心の杜。写真右上が神門、左が総檜流造りのご本殿。

121 この神域の広さから「多摩の大宮」と呼ばれ、秩父の大宮(秩父神社)足立の大宮(大宮・氷川神社)をもって武蔵国の三大宮と称される。

写真右下は、当日偶然に挙式の列の出会ったもの。嫁さんの顔が殆ど見えない失敗作。(写真クリックで拡大)。

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2007年10月21日 (日)

勘わるし細道近道うろうろと

103 寺社集印=東京・港区

今日は難しい道を選んで歩いているようで、わき道からヒョイと泉岳寺(せんがくじ)の脇に出てきた。
104 当寺は赤穂四十七士の霊廟所で、余りにも有名で、説明は不要だ。
都営地下鉄泉岳寺駅で下車、坂を登ると左手にある。

106 泉岳寺で聞いてきたのだが、やはり行ったりきたりで、苦難の末に辿りついたのが来迎山・道往寺(どうおうじ)江戸33観音第27番札所。ご本尊は聖観世音菩薩と千手観世音菩薩。合掌。
107 入口が墓地と一緒というか、墓地を抜けて本堂へ。周りは駐車場とマンションばかり。土地柄已むをえないのかも知れない。
寛文年間の創立、観音講中の月参講の参詣で、また出開帳なども行われ、おおいに賑わっていたのだという。

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2007年10月20日 (土)

ありがたや高野の寺の観世音

096_3 寺社集印=東京・港区

品川プリンスホテルで野暮用を済ませ高輪三丁目に向ったが、ホテル群から一歩細道に入ると方向音痴になった。住居表示の番号を追って辿りついたお寺が東禅寺(とうぜんじ)。
097 境内は広く左手に三重の塔、正面には寺院群が整然と並ぶ。ご朱印をいただき、やっと名前が判ったと言うお粗末。禅寺のようだった。

099 そちらで場所を伺い細い路を上り下りして高野山・東京別院(こうやさん・とうきょうべついん)にいたる。江戸33観音29番札所、また関東88ヵ所霊場の特別霊場
100 ご本尊は弘法大師、札所本尊は聖観世音菩薩。合掌。
現在の建物は昭和63年春に落慶したものであるが、江戸に幕府が開かれた際に高野山の宝門・寿門の学侶方の在番所の寺として開創されたのが始まりであるそうだ。
写真右は堂々たる正門であるが、写真を撮りにきて隣が高輪警察署だと知つて、難しい路を辿ったものだと思った。
タイトルは高野山東京別院のご詠歌から引用写真をクリックすると拡大

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2007年10月 7日 (日)

愛宕山エレベーターで登るとは

089 寺社集印=東京・港区

天徳寺で「愛宕山はトンネルを抜け、エレベーターで登れる」と聞いて早速向かう。なるほど西新橋方面に抜けるトンネルが出来ていて、こちらから右、出たところに自動エレベーターがあった。上がって通路を行き広場に出ると、左がNHK放送博物館、右が愛宕神社(裏参道かな?)である。

090 これなら参拝は楽である。NHKには入らず参拝する。霧のような小雨が降り始めたなか、しっとりとしたお参りになった。091 写真左が参道裏門、右が本殿。

ここ愛宕山は「愛宕の山に入り残る月を旅路の友として・・・」と鉄道唱歌に歌われた名山、海抜26m、広さ6千坪、正面の男坂の石段は86段。かつて曲垣平九郎がこの坂を馬で登り降りしたという話も有名だ。

JR新橋駅に向かう途中に(新橋四丁目か?)木立の中に日比谷神社とあったので、お参りする。
093 昔は日比谷公園の大塚山というところにあったが、慶長年簡に江戸城・日比谷御門が造営されたときに当地に移転した。
094 この神社は新橋にあったお稲荷さんと合併したようで、鯖稲荷、また鯖明神とも呼ばれ、鯖(さば)がこの神社のシンボルとなっている。虫歯・虫封じとして霊験あらたかで、民間の信仰を集めているそうだ。

ここも道路計画に引っかかり、2年後には汐留の方に移転が決まっているという。変わっていくのだ。写真をクリックすると拡大

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2007年10月 6日 (土)

金刀比羅さん表通りは高層ビル

083 寺社集印=東京・港区

虎ノ門・桜田通に面した金刀比羅宮は地上何階建か?とにかく高層タワービルに生まれ変わっていた(写真右はビル・プレート)。
084_2 写真左は本堂から参道を通して桜田通を見たもの。高層ビルを支える太い円柱が並んで立ち、何とも不思議な感じであった。これも都心の行き方か?

085 参道から直角左奥に本堂。重厚な造りは以前と同じでホッとする。高層ビルの裏側とはいえ、十分な境内が確保されていた。社務所もビルの片隅に綺麗になっており、まさにオフィスの感じだった。

087 通りを西に三丁目まで歩いて何とか江戸33観音20番札所、明光山和合院・天徳寺を発見した。一寸奥まったところで静かな雰囲気。浄土宗・江戸四ヵ寺の一つといわれ、八角形・二層の本堂はすっきりした感じだった。ご本尊は聖観世音菩薩。合掌。

なお、このお寺には、安政6年樺太・北蝦夷国境問題で、ロシヤ使節ムラビエフとの交渉議定の会所になったという歴史があった。
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2007年9月30日 (日)

根津権現千駄木からのお引越し

096 寺社集印=東京・文京区

上野池之端通りを西へ、この通りから左に一寸入ったところに根津大権現・根津神社がある。今から千九百余年の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社。文明年間には太田道灌が、社殿を奉建した。さらに江戸時代、五代将軍綱吉は世継ぎが定まった際に、現在の社殿を奉建、千駄木から根津に遷座された。東京十社の一つ。

098 写真右上は権現造の社殿、左は楼門、共に国の重要文化財に指定されている。一方、六代将軍家宣は当社の祭礼を定め、江戸全町から山車を出し、俗にいう天下祭なる壮大な祭礼を執行した。現存する江戸三大祭(9月27日号の神田祭、それに山王祭)である。

099 写真右は裏手にある乙女稲荷神社。七千坪に及ぶ広大な境内に数十種、三千株のツツジが植えられた名勝である。
097 写真左は「お宮参り」に来ていたハピーなファミリー。
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ご挨拶 この九月でBLOG開設一周年になります。投稿数228になりました。ひとえに愛読者各位の応援・支持の賜物と、厚く御礼申上げます。

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2007年9月29日 (土)

「なで石」に願をかけなば叶うらん

092 寺社集印=東京・文京区

東京ドームの裏側(北側)の小高い岡の上に牛天神で知られる北野神社がある。願いが叶う「なで岩」発祥の神社。鎌倉時代、奥州へ討伐に向かう源頼朝公が当地にあった岩に腰掛け、休息した時、夢に牛に乗った菅原道真公が現れ、「二つの喜びがある」と告げられた。討伐は成功、翌年頼朝はこの岩を奉り牛天神を創立。以来、境内にある「牛の形をした岩」を撫でると願いが叶うと言い伝えられた。

093 写真左の牛石は伯牛と呼ばれ、牛を大変可愛がられた天神様をお祀りしているすべての神社にあるそうだ。

094 また、牛天神の境内にある太田神社は天細女命(あまのうすめのみこと)を祀り、芸能上達、開運招福のご利益があるとされている。京都では八坂神社、関東ではここ牛天神のご末社として祀られ、ここにお参りすると、ついている貧乏神を追い払い、福の神を招き入れることが出来るそうだ。

写真右は板を牛の形に切り抜いた「おみくじ結び」。面白いのでワンショット。
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2007年9月27日 (木)

大江戸で一番古い氏神さま

087 寺社集印=東京・千代田区

千代田区と文京区との接点にある江戸総鎮守・神田明神。正式には神田神社。ご祭神は大己貴命(だいこく様)、少彦名命(えびす様)、平将門命(まさかど様)。拝礼。東京十社の一つ。

090 そういえば(写真左)境内に石像では最大を誇るといわれる大黒様がいらっしゃる。
088 神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内、旧神田市場、築地魚市場など108ヶ町会の総氏神

社伝によると天平二年(730)の創建とあり、東京でも最古の神社であるという。写真右上は随神門、総ヒノキ・入母屋造で昭和51年の建立。写真右下は権現造・鉄筋鉄骨コンクリート・総漆朱塗りの本殿。昭和九年の完成というから、東京大空襲にも耐えたことになる(国の指定文化財)。

089

ここのお祭りは天下祭と呼ばれ、日本三大祭、江戸三大祭に一つで、徳川将軍の上覧にあずかった由緒ある祭礼とされている。現在でも祭礼行列が、広大な氏子108ヶ町を巡行する神幸祭と、町神輿200基が練り歩き、迫力ある宮入と、二年に一度賑やかに行われている。
写真左下は、たまたま出会った結婚式に向かう行列。写真をクリックすると拡大

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2007年9月26日 (水)

人の列とげぬき地蔵に流れ行く

082 寺社集印=東京・豊島区

JR巣鴨駅を出ると大半の人の流れが右の方向に向いている。てっきり、かの有名な「とげぬき地蔵」と、これから訪ねる真性寺と同じお寺と思い込んでいた。それは参道の取っ掛かり左側にあった。正しくは医王山・東光院・真性寺。山門をくぐると境内左手に高さ2m68㎝のお地蔵さんが鎮座まします(写真右上)。江戸六地藏尊の第三番にあたる。右奥が本堂。ご本尊は薬師如来。合掌。

083_2 写真は「とげぬき地蔵」参道のにぎわい。「老人(9割はご婦人?)の原宿」といわれる所以がよくわかった。
084 正式には満頂山・高岩寺、ご本尊は延命地蔵菩薩。合掌。
写真左下は山門から境内に向けての混雑。警察官085_2 が警備に当たるほど。こちらはサッサ、全体はぞろぞろ、スピード差が余りにも大きく、合間を縫って写真右のご朱印を頂いて早々に退散した。

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2007年9月25日 (火)

百基もの神輿で賑わう祭りかな

078 寺社集印=東京・豊島区

JR大塚駅を南に出ると、あちこちに祭りのぼりが立っている。これからお参りするのは駅の近くにある天祖神社(てんそじんじゃ)。

天祖神社は、昔の巣鴨村(今の豊島区のほぼ東半分=池袋サンシャインビルから巣鴨駅までぐらいか?)の鎮守さま。鎌倉時代末の元亨(げんこう)年間(1321-4)に領主の豊島氏が伊勢の皇大神宮の神様をお迎えしてお祀りしたのが、始まりとされている。

079写真左は準備中の可愛い子供神輿。
080 例大祭は毎年9月17日で、その前後の土・日曜日には近在から百基近くもの、お神輿が繰り出され、とても盛大なお祭りになるのだそうである。
写真右は境内でセット・アップされている本神輿。

(豊島区つづく)写真をクリックすると拡大

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2007年9月24日 (月)

驚いた潮がここまで上がるとは

073 寺社集印=東京・新宿区

JR四谷駅を出て四谷見附交差点を西へ、新宿方面に向かう。四谷一丁目を過ぎて二丁目に入って左に真っ直ぐ見通せる通りがあり(西念寺横丁と云うのだそうだが)その突き当たりに大きな墓地がある。塀に写真右上のカンバンがある。これに従い右折してしばらく行くと、こんどは左に下りる急な坂道がある。(長さ四十六間、幅二間の観音坂とある)。

074 これを降りて、坂の下から左に坂に沿って鉄筋鉄骨コンクリート8階建ての堂宇(四谷霊廟を併設・写真左)。これが金鶏山・真成院(きんけいざん・しんじょういん)高野山・真言宗のお寺。昭和47年に再建。
075 坂の中頃、三階部分に写真右の玄関があり、奥が本堂になっている。ご本尊は潮干(しおひ)十一面観世音菩薩。合掌。
江戸誌によると、驚くことに、昔はこの辺が海岸であり、潮の干満によって「観音像の台座がしっとりと濡れた」としている。
076 江戸33観音第18番札所。また、御府内八十八ヶ所第39番札所、関東九十一お薬師霊場第13番札所と聞いて、右のご朱印も頂く。
現在では癌など難病の駆け込み寺として有名であるという。
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2007年9月23日 (日)

市ヶ谷のビルの谷間を宮参り

068 寺社集印=東京・新宿区

JR市ヶ谷駅のホームから見たお堀の向こう側(写真右)。とてもお宮がある雰囲気ではないが、地図を頼りに八幡町にむかう。
069  赤いカンバンと青いカンバンの乗ったビルの間に10mもあろうか路地があり、その奥に急勾配の石段、左に赤いノボリがはためいていた(写真左)。
石段を登り中間に左に入口があり、そこは本殿ではなく茶ノ木稲荷神社。まず参拝、さらに石段を登るとかなり広い境内に辿りつく。

070 境内の右側に金毘羅宮も祀られ(写真左)、正面に亀岡八幡宮の本殿が建つ。
071 城西鎮護の意味を持つ由緒ある八幡宮で町名にまで残っている。江戸八所八幡にも数えられている。静かな佇まいが保たれてはいたが、土地柄からビルに囲まれるのも已むを得ないのだろう。

(新宿区つづく)。写真をクリックすると拡大

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2007年9月18日 (火)

聖天と身をあらわして福聚海

064 寺社集印=東京・新宿区

JR飯田橋駅から神楽坂を登りきった神楽坂上の交差点右向かいに安養寺(あんようじ)。慈覚大師(天台宗第四世)の創建、はじめは江戸城内にあったが、家康公の入城に際して平河口から当地に移されたという。
ご本尊の薬師如来は丈六(約2㍍)の坐像(写真右)。別棟二階の聖天堂に奉安されている。本堂には十一面観世音菩薩。合掌。江戸33観音第十六番札所

066 降り出した雨の中、駅の方に一寸帰った右手に赤い門と目立つ本堂のある神楽坂・善国寺(ぜんこくじ)。日蓮宗のお寺で、新宿七福神の毘沙門天を祀ってある。
雨はドシャ降りになり傘など用を足さない状態になったので、本堂で一時間ほど雨宿りした。
写真左はひどい雨にさらされた赤い門と神楽坂の通り、雨宿り中の本堂から。

註; ①タイトルは安養寺のご詠歌から引用。②写真をクリックすると拡大

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2007年9月16日 (日)

もろもろの苦悩を救う観世音

059 寺社集印=東京・文京区(豊島区)

東京環状のほぼ中央に位置する神齢山・護国寺(ごこくじ)。ご本尊は如意輪観世音菩薩。合掌。真言宗豊山派のお寺。

061 創建は天和元年(1681)五代将軍綱吉公が生母・桂昌院の発願により、上野国(群馬県)碓氷八幡宮の別当・大聖護国寺の亮賢僧正を招き開山したと伝えられる。
060_2 元禄十年(1697)の大造営で現在の観音堂(本堂・国の指定重文)が完成し、その雄大さは都下随一のものと称されている。江戸33観音第十三番札所。写真右上は大門、右下は境内で開かれている骨董市。

062 西巣鴨に入り、狭い道をくねくねと、エンマ様に面会?善養寺(ぜんようじ)。天台宗のお寺。江戸三大閻魔はここと杉並の華徳院、新宿の太宗寺であると聞いた。

註;①タイトルは護国寺のご詠歌から引用。②写真をクリックすると拡大

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2007年9月12日 (水)

まことの道しるしまみえん宿坂の里

053 寺社集印=東京・豊島区

新目白通をバックして明治通りを左折てしすぐ、右に入ったところに神霊山金乗院・慈眼寺(じがんじ)がある。ここは昔の高田宿坂下といわれ、本尊の聖観世音菩薩を勧請して観音堂を建立したのが創草とされる。合掌。江戸33観音第十四番札所(写真右)。

054 また小石川関口駒井町の東豊山浄竜院・新長谷寺が戦災にあったため昭和25年にこちらに合併、目白不動明王を安置した。目白不動尊である。江戸五色不動関東36不動第十四番札所である(写真左)。

056 明治通りを北へ、雑司ヶ谷の鬼子母神に詣でる。威光山・法明寺。長い参道の奥に厳然と立つ(写真右2枚)。

057 江戸三大鬼子母神(入谷・真源寺、千葉市川・法華経寺)の一つとして余りにも有名である。

註;①タイトルは慈眼寺のご詠歌から引用。②写真をクリックすると拡大

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2007年9月11日 (火)

いちのみや昔も今も栄えぬるかな

046 寺社集印=東京・新宿区

ルートの関係で新宿区の西早稲田と下落合に入る。光松山・放生寺(ほうじょうじ)高野山真言宗。当寺は寛永十八年、次にお参りする穴八幡の造営に尽力した良昌上人の開創とされる。ご本尊は聖観世音菩薩。合掌。江戸33観音第十五番札所

048 馬場下町交差点に接した小高い丘の上に穴八幡宮がある。東北鎮護の社として祀られてきた。宮守の庵を造るため南側の山裾を切り開いたところ「神穴」が出現し、このときから穴八幡宮と称された。また維新後、天皇家親王誕生の折り、御虫封じを謹修し、お守札を献上する関係にあるという。

050 ちょっと足を伸ばし下落合に入ったが道路が狭く、ぐるぐる探してやっと裏口に辿りついた。東長谷寺・薬王院。真言宗豊山派に属し、ご本尊は薬師瑠璃光如来。合掌。東国花の寺に指定され、牡丹が広い境内に約40種、千株植えられていると言う。五月には見事になるだろう。
註;①タイトルは放生寺のご詠歌から引用。②写真をクリックすると拡大

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2007年9月10日 (月)

ありがたやまことの道をふむ人は

039 寺社集印=東京・文京区

台風一過、晴天に恵まれ、都内は空いているだろうと車で出かける。言問通りを文京区に入り根津を抜けてそのまま直進、本郷通り、白山通りを横切って三叉路突き当りが「こんにゃく閻魔」の源覚寺。また「身代わりエンマ」とも呼ばれ、閻魔王木造坐像は鎌倉期の作と云われ、文京区が文化財に指定している。

041 写真左は無量山伝通院寿経寺の本堂。昭和63年に再建された堂々たる構えで、徳川家康公の生母・於大の方(法名傳通院殿)の菩提寺としても知られている浄土宗のお寺。

042 写真右は観音堂に安置されている観音像。合掌。江戸33観音第12番札所

043 写真左は付属幼稚園にあると聞いて訪ねた福聚寺のスタンプ(不在)。大黒天をお祭りしている。幼稚園の庭にも大黒像がおかれていた(写真左下)044

註;①写真をクリックすると拡大。②タイトルは寿経寺のご詠歌を引用。

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2007年9月 5日 (水)

まどかれと教えのままに導かれ

031 寺社集印=東京・文京区

本郷通り西側に都立向丘高校があるが、その背中合わせに金龍山・大円寺。曹洞宗・江戸33観音第二十三番札所。ご本尊は聖観世音菩薩。合掌。七観音でも知られている。

032 境内に写真左の石碑が立ち、曰く「花の匂いは母のにおいよ、甘えたし」。面白いので撮ってきた。

034 西に白山に抜けると江戸33観音第十一番札所の南縁山・円乗寺。天台宗のお寺でご本尊は聖観世音菩薩と釈迦牟尼如来。合掌。

035 左右に民家が迫り奥まったところだが、表に八百屋お七の地蔵尊、また境内にそのお墓がある(写真左)。

037 都営三田線白山駅の近くに白山神社があり参拝。東京十社の一つで、准勅祭神社に数えられる。どっしりした雰囲気がただよう。

註; タイトルは円乗寺のご詠歌から引用。写真をクリックすると拡大

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2007年9月 4日 (火)

観音に十声となうればかないぬる

024寺社集印=東京・文京区

本郷通りを南へ。これまた道路に面して東光山・定泉寺(じょうせんじ)。ご本尊は阿弥陀如来、そのほか十一面観世音菩薩も奉安。合掌。江戸33観音第九番札所

026 向丘2丁目の交差点を東に150mほど行った所に江戸33観音第八番札所、東梅山花陽院・清林寺(せいりんじ)浄土宗のお寺がある。
ご本尊は聖観世音菩薩。合掌。

028 先の交差点にもどり、本郷通りを南に行くと、道路に面して大きな布袋尊像が立っており、その先が正面になっている常光院・浄心寺(じょうしんじ)浄土宗(子育・桜観音とも呼ばれている)。江戸33観音第十番札所。ご本尊は阿弥陀如来と、十一面観世音菩薩。合掌。

029 写真は目印になる布袋尊像。左にもお寺があるので、どちらに属するものか聞かなかったが、いずれにしても大きなものであった。

(文京区つづく)写真をクリックすると拡大
タイトルは清林寺のご詠歌から引用。

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2007年9月 3日 (月)

「せんだん」は双葉のときより「かんばしき」

016 寺社集印=東京・文京

飯田橋で所用を済ませ、東京メトロ・南北線に始めて乗って、寺町の本駒込・向丘に向かう。本駒込駅をおり昼食をとろうと、ぶらぶら歩いているとデッカイお寺があり、山門(写真右)に栴檀林(せんだんりん)の額が掛かっている。本堂が霞んで見えるぐらい、500mはあろうか。予定にはないが、飛び込んでみた。諏訪山・吉祥寺

017 由緒によると「明暦の大火」によって、神田駿河台にあったものが焼失、この地に移された。栴檀林とは宗門の禅学を修得する道場として江戸期の学林として威容を誇った古刹である。駒澤大学の前身とある。
ちなみに武蔵野市吉祥寺は往年当寺の開墾地であったために、その名称が残ったという。写真左は山門を入り中間あたりで本堂を望む。

019 本郷通りの反対側に、これまた曹洞宗のお寺があったので訪ねた。禅寺らしい引き締まった雰囲気が漂っていた。繁栄山・養昌寺(写真右)。

021本郷通りの並びを 南に進むと道路に面して江戸五色不動(写真左)の赤不動尊、大聖山・南谷寺があった。。関東36不動の13番札所に当たる。

022 ここもこじんまりと、しかも整然とした、ただずまいであった。
軒並みと言えばオーバーだが、お寺の多い地域ではある。

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2007年9月 2日 (日)

文京は湯島天神手始めに

010_2 寺社集印=東京・文京

まず最寄のJR山手線・御徒町駅下車、上野松坂屋の本館と南館の間を抜けて、西に真っ直ぐ歩くこと約10分、湯島天満宮の男坂石段に突き当たる。文京区の寺社集印の始まりである。

011 ここは学問の神様として余りにも有名。受験生の居る家庭では、シーズンは大変だ。また「うめ」の名所でもある。
御祭神は天之手力雄命(あまのたちからをのみこと)と菅原道真(すがわらみちざね)公であると略記にある。拝礼。
現在の社殿は平成七年に,聡ヒノキで造営され,同時に春日通に面した切通口に登竜門も造られたという。境内を巡ると摂社は戸隠神社、末社に稲荷神社がある。また梅の名木がいたるところに配置されている。

013 登った男坂石段を降りた左手に天台宗のお寺、柳井堂・心城院(湯島聖天・ゆしましょうてん)がある。江戸33観音第七番に当たる。
ご本尊は大聖歓喜天、さらに十一面観音、宝珠弁天、出世大黒天などをお祭りしているという。合掌。

014_2 写真左は江戸の名水の一つ「柳の井」。ここから柳井堂と称されている。曰く「この井は名水にして女の髪を洗えば、はらはらとほぐれ、気晴れて、風・新柳の髪をけずる」そうである。

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2007年8月27日 (月)

寺社集印猛暑に負けて二ヶ月振り

002 寺社集印=東京・中央区

全国的に猛暑に見舞われていて、都内の「集印」もしばらく休んでいたが、待ちきれずに日本橋に車で出かけた。

003 両国橋のたもとにある薬研堀不動院(やげんぼりふどういん)、川崎大師東京別院・関東36不動尊・第21番に赴いたが、カーナビの案内は写真左の矢ノ庫稲荷に着いて、びっくりした。背中合わせに本院があった(写真右上)。道路からストレートに石段がある。ご本尊は不動明王尊像。合掌。目黒、目白と並んで江戸三大不動としても古くから知られているという。

005 つぎに椙森神社(すぎのもりじんじゃ・写真右)日本橋七福神・恵比寿。都心の神社として完全耐火造の本殿、神楽殿が印象的だった。

007 ここも耐火造の大安楽寺(だいあんらくじ・写真左下)江戸33観音第五番にあたる。また新高野山・準別格本山の格式がある。

008 昭和通り近くの宝田恵比寿(写真右)日本橋七福神・恵比寿。両サイドが駐車場に囲まれた小さな社。正月だけ七福神の札所としてお付き合いしている感じ。勿論、不在でご朱印はなし。

ご朱印が溜まってきたので、江戸33観音、関東36不動尊を計画的に訪ねたいと思っている。写真をクリックすると拡大

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2007年7月 5日 (木)

通し矢の的にされたかお稲荷さん

177 176 寺社集印=東京・台東

道具屋街で有名な「かっぱ橋通」の西側に一寸入ったところに浅草七福神・福禄寿にあたる矢先稲荷神社がある。その昔、三十三間堂がこのあたりにあり、「遠し矢」の的先にあったので「矢先」と名付けられたという。そのためか、馬乗史に縁があるらしく(写真右)社殿天井に100枚もの馬上武者絵が飾られている。神武天皇から楠正成、源義経、また織田信長、伊達政宗、さらに昭和の西中尉までの姿絵は見事である。付箋が吊るしてある。

179 通りに面して江北山 清水寺(せいすいじ)江戸33観音第二番札所がある。写真左のようにビルの谷間にマッチした風情。本堂は二階に上がる。ご本尊は千手観音。合掌。

ここで浅草七福神と下町八社のご朱印が揃ったので次回から続けて紹介する。まずは写真をクリックして武者絵の一部だがご覧あれ。

180 また「かっぱ橋通」にちなんだ「かっぱ河太郎」のゴールド像がたっていたので、ワンショット。

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2007年7月 4日 (水)

半年の締めくくりかなオオハラエ

170 寺社集印=東京・台東

神社はいたるところでオオハラエの準備で「茅(ち)の輪」が作られ、6月30日に行われるという。「夏越の祓(はらえ)」ともいい、罪トガを人形に移して川に流し、半年の締めくくりとするそうである。
JR上野駅から浅草にむかう浅草通、稲荷町交差点の手前右側にビルを支えるように朱の鳥居が目につく。下町八社下谷神社。当社は昔から「正一位下谷稲荷社」と称されたので、稲荷町の名も生まれたという。また寛政10年(1798年)に江戸で始めて寄席が開かれ、ために「発祥の地」とされている。

172 関東36不動第22番寿不動院、真言宗・智山派のお寺。浅草通と国際通の交わる手前右に入ったところ。静かな佇まいである。写真左。

174 浅草通を挟んで北側に浄土真宗 東本願寺派の本山 東本願寺がある。さすがに堂々たる構えである。「本願を信じ、念仏を申さば仏になる」という教え。現在の本堂は昭和14年に再建されたもの。写真右。

つづく。
註;写真をクリックすると拡大

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2007年6月29日 (金)

下町をねって渡るは千貫や

159 寺社集印=東京・台東

両国橋の一つ上の蔵前橋を渡ると台東区。蔵前交差点を左折(国道6号線)それのすぐ左側に銀杏の森が第六天榊神社(だいろくてん・さかきじんじゃ)下町八社の一つ。日本武尊(やまとたけるのみこと)東征の折に拠点とされた場所。榊の大神とは天照大神の祖父に当たる方というから、とにかく古い。当社のシンボルマークは七曜星、北斗七星を意味するという。
氏子組織である柳浅町会が中心となって毎年6月第一日曜にお祭りがあり、当然お神輿もでる。

161 6号線を北へ、一つ上の厩橋の手前左に入ったところに蔵前神社。こちらは五代将軍綱吉公が元禄6年(1693年)山城国(京都)男山の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)を当地に勧請(かんじょう)し、江戸城鬼門除の守護神とされたのが、始まりという。当寺は江戸時代から相撲と深い関係にあり、境内で勧進大相撲がたびたび開かれたそうだ。現在の「縦番付」はここの本場所から始められたとのこと。

163 蔵前交差点までバックして右折。少し行くと右側に鳥越神社。戦前は職人の町、戦後は製造・卸・小売商店の並ぶ町並みと、下町の雰囲気を色濃く残しているといえる。当社も日本武尊東征の頃からというから古い。
当社の例祭は毎年6月9日に近い日曜日、氏子十八ケ町睦会が受けもつ。ここの千貫神輿が有名である。写真をクリックすると拡大。

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2007年6月28日 (木)

昔から無縁供養の回向院

寺社集印=東京・墨田167_1

中央区湊(鉄砲州)から隅田川沿いに上ると永代橋のたもとに出る。橋を渡ると墨田区。川沿い東岸をさらに上ると清洲橋、新大橋、両国橋。JR総武線・両国駅の北側に相撲の国技館、南側に行くと京葉道に出る。その筋向いが江戸33観音第四番 諸宗山 回向院(えこういん)

166_1 回向院は明暦三年(1657年)に開かれた、法然上人を宗祖とする浄土宗の寺院。この年、明暦の大火「振袖火事」で十万人以上の死者を出し、その大半が身元不明者であったという。幕府はこの無縁仏を供養するため、当院に「万人塚」という墳墓を設けた。写真右上が明暦大火の供養塔。

168 江戸時代の回向院は「諸宗山 無縁寺 回向院」といわれ、あえて一宗一派にとらわれずに無縁供養を行う寺、という意味を込めてこう名付けられたのだそうである。

165 かかる事情でその後の火災、風水災、震災などの無縁仏を葬るならわしが、幕府、市民の間に生まれ「御府内総檀家」の寺として発展したようだ。そのため境内には写真左上のように多数の供養塔が建てられている。左下は万霊供養塚の上に、平成14年に建てられた聖観世音像。

かつては「開帳寺」として庶民の参拝で賑わい、また観音霊場巡り、弁天社参り、地蔵尊参りなどの札所としても庶民の信仰を集めたようだ。写真右下は塩地蔵尊。

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2007年6月27日 (水)

埋め立ての昔を偲ぶ隅田口

150 寺社集印=東京・中央区

梅雨の合間を見て隅田川河口の三社を訪ねる。
佃にある下町八社の一つ住吉神社。江戸湊の入口に位置し、月島、勝どき、豊海、晴海と埋め立てがすすみ、この地域の産土神(氏神)として信仰されている。毎年8月6-7日に例祭があり、八角形をした「八角神輿」が有名。写真右上が川沿いに立つ鳥居。

152
勝鬨橋を渡って左側、築地市場のど真ん中に鎮座まします波除稲荷神社。四代将軍家綱公が手がけた最後の埋め立て工事は、この築地海面で難工した。人々は毎夜海面を照らす光を不思議に思い、船を出してみると稲荷大神の御神体であった。早速現在の地に社殿を建てお祭した。その後、風波がおさまり、埋め立ても順調に進んだという。
151 153 写真左上は弁財天お歯黒獅子下は厄除天井獅子の巨大獅子頭で、上は右はご朱印。

八丁堀から川のほうへ入ったところに鉄砲州稲荷神社。足利義輝の治世(1554年から)に京橋地区一帯の土地生成の産土神。その後埋め立てが進み、新しい海岸となった現在の新京橋へ遷座になり、八丁堀稲荷と称した。

154 徳川幕府が開かれ、いよいよ埋め立てが進み、現在の鉄砲州に遷座。そこは湊であるからである。
155
米、塩、酒、薪炭をはじめ殆どの消費物資がこの湊に入ったので鉄砲州の名は海上守護神として、全国に広がったという。

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2007年6月24日 (日)

都市の中神社はビルに取り込まれ

142 寺社集印=東京・日本橋

水天宮を出て新大橋通りを東へ。二つ目の左側路地の2-3軒目に赤鳥居が見える。完全にビルの中に組み込まれた松島神社。ビルの所有者である。日本橋七福神の大黒さん。その昔、この辺は東京湾で松の生えた小島があり、その一つに祠があり、それの名前を取ったのだそうだ。今はビルの中に鎮座。時代は代わったものだ。

144_1 そのさき遊歩道公園のなかを北に行き、途切れたところを東へ、清洲橋通りの手前、右角に笠間稲荷神社東京別社。江戸屋敷跡に建てられたという。日本橋七福神寿老人に当たる。本社は日本三大稲荷(茨城県笠間市)である。

146 西に戻って水天宮通りにいたる中間あたりに末廣神社。ビルに囲まれながら、紫陽花が可憐に咲いている。日本橋七福神の毘沙門天。かって沼地を開拓、江戸町1,2丁目、京町1,2丁目と定め、遊女町を開き、後の吉原へと引き継がれたのだそうだ。

148 東京メトロ人形町駅の交差点脇に、今回唯一のお寺、大観音がある。江戸33観音第3番札所。高台にあり石段は端を剥ぎ取られたように路地に、そそり立っている。ご本尊は聖観世音。合掌。

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2007年6月23日 (土)

茅場から小網に入る日本橋

134 寺社集印=東京・中央区

133 日本橋エリアの集印に向うが、まずは東京メトロ茅場町駅で降りて、株屋街の中心にある日枝(ひえ)神社から始める。ここは永田町の日枝神社(官幣大社)の日本橋支店?証券会社に立ち寄ったとき、時々、神頼みでお参りしている。

135 日本橋川を渡って日本橋小網町、ビルの谷間になるのは止むを得ない地域だ。小網神社下町八社、また日本橋七福神福禄寿にあたる。写真右。

138 蛎殻町交差点に戻り、水天宮交差点の手前の路地に当たりをつけて入ると、赤いノボリが立っていた。茶の木神社。本当の袋小路だ。日本橋七福神の布袋尊。写真左。不在で「ご朱印は水天宮で」とあるのでそちらへ。

140

水天宮は説明不要であろう。土曜日のせいばかりではないだろうが安産祈願、お礼参りと若いカプルであふれ、ご朱印をいただくのに、巫女さん4人の前に4列に、しばらく並ばされた。茶の木神社のご朱印は別のところと、大変だった。下町八社日本橋七福神の弁天さん。(つづく)

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2007年6月 6日 (水)

ひっそりと静まり返る鷲神社

084 寺社集印=東京・台東

「酉の市」で賑わう鷲(おおとり)神社下町八社・商売繁盛、また浅草七福神・寿老人だがこの時期、ひっそりと静まり返っている(酉の市の記事06年12月12日、バック・ナンバー12月をクリップ・アップしてご覧ください)

087 吉原神社(浅草七福神・弁財天)では写真左の千束稲荷神社=竜泉2-19にて、ご朱印がいただけると掲示がありそちらへ。

086 ついでといっては何だが、右のご朱印と写真(左)を撮って、本命の吉原神社のご朱印を頂く(写真左下)。

085_1 あっちこっちしている間に吉原神社の写真を撮り損なった。お粗末至極である。今日最後の朝日弁財天・弁天院(下谷七福神・弁財天)にたどり着けば、今度は留守。

089写真右が朝日弁天。ご印が置いてあったのでそれだけ頂く。ここで下谷七福神のご朱印が揃ったので、次回はご披露。

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2007年6月 5日 (火)

自転車で千束・竜泉ひと回り

061 寺社・集印=東京・台東

金杉通りからちょいと小路を入ると下谷七福神の大黒天英信寺。ここを皮切りに今日は、自転車で動く。

080 写真右は英信寺の本堂正面に吊るしてある巨大数珠。これが当寺のシンボルか?引張ると「しゃらしゃら」といい音がする。

写真左は三ノ輪の寿永寺(下谷七福神・布袋尊)。これは説明不要。なんともユーモラスではある。正面に東泉小学校があり二宮金次郎像もある。

082 南に下って海外旅行でおなじみ、飛行お守り(関連記事06年10月19日参照)飛不動尊・正宝院(下谷七福神・恵比寿神)。お参りするたびに気に入っている「洗心童子」右下を紹介する。(つづく)

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2007年6月 2日 (土)

「めぐりん」で区内を巡る集印路

073 寺社集印=東京・台東

今日は台東区が運行している循環バス「めぐりん」号で、北回りを利用して集印に出かける。⑱鶯谷駅→29終点。浅草で所用を済ませ、東北方向に歩いて、小高い丘にある待乳山(まつちやま)本龍院。ご本尊は十一面観音菩薩、大聖歓喜天(聖天さま)。浅草名所七福神<毘沙門天>大根をたくさんお供えしてある。(写真右上)

074 さらに北に歩いて今戸神社へ。下町八社の一つ、また浅草名所七福神<福禄寿>写真左。「招き猫」の発祥と聞いたが、なるほど本堂の入り口に大きな招き猫が二体並んで控えていた。

076 ④リバーサイドSS前→⑧清川一丁目。東へ10分ほど歩いて砂尾山・不動院(橋場不動)ここは関東36不動・23番札所にあたる。不動明王を本尊とし、現在の本堂は江戸時代のもので、関東大震災、また戦災をも免れたものという。浅草名所七福神<布袋尊>をまつる。

078 来た道を帰り、一寸先の東禅寺江戸六地蔵②)正面にドカンと、像高271㎝の「銅造地蔵菩薩坐像」が鎮座ましましている。

⑨東浅草二丁目→⑰根岸三丁目。これにて「めぐりん」北回りの旅はおしまい。 註; 写真をクリックすると拡大。

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2007年5月22日 (火)

集印で隣の町まで足のばす

045_2 寺社集印=東京(荒川・北)

JR日暮里駅から来た道をそのままダンダン坂を降りて「谷中ぎんざ」のカンバンを(写真右)右に行くと修性院谷中七福神⑤布袋尊)

047_2 写真左はこの地区が江戸の昔、次の青雲寺も含め「ひぐらしの里」と呼び、行楽地であった。またこの布袋サンは「日ぐらし布袋」と呼ばれ、大変親しまれたとある。(クリックしてご覧ください)。その先が青雲寺谷中七福神⑥恵比寿)

051_4 ここに来てJRの駅二つ分歩いたことになり、いささかクタビレタので次の田端駅まで電車に乗る。北区に入った。

052_1 北口から動坂の方向へ。この辺は高層ビルがあちこちに建ち随分変わった。北田端バス停を右に入ると東覚寺谷中七福神⑦福禄寿)写真右の赤紙仁王尊が真っ赤に染まっている。左の奥に本堂がある。

053_1 境を接して田端八幡宮があったので、石段を登り参拝。留守の奥さん?から御朱印(写真左)の紙を頂いた。

(明日は谷中七福神の御朱印を紹介予定) 

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2007年5月20日 (日)

時期はずれ七福神の谷中かな

039_1 寺社集印=東京・台東

038_5 JR鶯谷駅北口から階段を登ると、言問通り寛永寺橋、これを渡って台東区北西部の集印に向かう。上野桜木の信号の手前、右側に浄名院江戸六地蔵①写真右。お参りして、墓守の奥さんに御朱印(写真左)の紙をいただく。住職は殆ど留守で、月に2-3回京都(六角堂)からお出でかけになるとか。

上野公園に入り護国院谷中七福神②大黒天)「ここの大黒さんはお若いよ」といわれ、許可を貰って撮影041

したが、フラッシュを焚いても暗い。写真左、クリックしてご覧あれ。

043 谷中墓地に入り、交番、慶喜の墓を通りすぎ天王寺へ(谷中七福神③毘沙門天)御朱印を書いていただく間に毘沙門天の撮影。右上。なかなか壮観なもである。合掌。

ここから交番まで帰り、西へ。長安寺谷中七福神④寿老人)ここは檀家専門とかで、本堂には鍵がかかっていたが、時期はずれながら御朱印は頂いた。次は日暮里(荒川区)にはいる。(明後日につづく)。

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2007年5月17日 (木)

江戸のなか芝で名高き増上寺

0035_1 寺社集印=東京・港区

久しぶりに新橋のI歯科医院に出かけた。治療もそこそこ向かうは芝の増上寺、すなわち 浄土宗大本山 増上寺だ。

0034_1 日比谷通りを南に、御成門から芝公園。威風堂々たる大門ーー正式には「三解脱門」(さんげだつもん)--。三戸楼門、入母屋、朱漆塗り造。まさに当寺の顔である。

広い境内の正面に大殿(だいでん)ご本尊は阿弥陀如来。合掌。(写真右上が大殿の入り口)。お堂のなかは、さすが浄土宗大本山に相応しい根本道場である。昭和49年に伝統的寺院様式の、しかも現代建築の粋を結集した現在のものが再建されたという。

0037 0036 人も知る徳川家の菩提寺でもある。境内の南側外に東照宮があり、立ち寄ってみたが留守であった。

境内の右手の林の中にひっそりと建つのが増上寺・西向聖観音。合掌。(江戸33観音第二十一番札所となっている)

大殿右手にある安国殿(あんこくでん)にて2枚の御朱印をいただいて帰る。

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2007年5月15日 (火)

集印で向こう三軒ひとっとび

0028_1 寺社集印=東京・台東

5月13日に紹介した、拙宅の根岸の両隣に次いで、通り一つ(金杉通り)東側の下谷。この「向こう三軒」の寺社紹介。

0029_1 とつっきが「学芸の神」として信仰を集める小野照崎神社。拝礼。また、この境内にある「大きな?富士山」は国の文化財に指定され、江戸時代からの山岳信仰を彷彿させるもの。東京下町八社の①。

0031_1 その隣が日照山・法昌寺。法華宗の道場で、ご本尊は観世音菩薩。また日蓮大聖人の開基となる毘沙門天像をも奉安している(写真左)。合掌。下谷七福神②の「おたのみ下谷の毘沙門天」・・勇気授福の神・・である。

0030_1 南に行くと言問通に出る。これを隔てて正面に「おそれ入谷の鬼子母神」で有名な仏立山・真源寺がある。(写真右は通からの全景?)ご本尊は日蓮大聖人、それに鬼子母尊神(一寸八分の木像という)をお祭りしている。合掌。下谷七福神③福禄寿・・人望福徳の神・・もお祭りしている。

0032_1毎年7月6,7,8日、JR山手線・鶯谷駅南口から 鬼子母神の先、入谷交差点まで朝顔市が立つ。

0033_1 江戸の嘉永・安政時代に、下谷坂本村字入谷に住む植木師「成田屋・山崎留次郎」という朝顔作りの名人がいたという記録があるそうだ。下谷繁盛記(大正三年)によると、「朝顔を造る植木屋十数軒を数え、入谷の通は、毎朝往来止めとなる・・・」とある。今でも通りは広くなったが、この期間中の賑わいは大変なものだ。(現在は、生産者は他所から)

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2007年5月13日 (日)

忘れるな氏神さまと両隣

0023_1 寺社集印=東京・台東

今日は遅まきながら、私の住まいの町内の氏神さまと、両隣にあるお寺のご紹介。

0024_1 JR山手線・鶯谷駅北口を出て、右手の小高いところに台東・中根岸の氏神さま。元三島神社。拝礼。

初詣にしかお参りしない不良な氏子だが、御朱印と御縁起をいただいた。それによると四国唯一の大社・大山祇神社がご本社。

0025_1 瀬戸内海に臨む愛媛県越智郡宮浦村にあり、ことに三島水軍の活躍した時代に、戦勝御礼で栄えたとある。下谷七福神①寿老神・・延命長寿の神もお祭りしてある。

0026_1 写真左は拙宅の右隣、真言宗の千手院。合掌。(ご朱印は右)根岸・第六番札所とある。門の前に大きな石碑が立っている。

0027_1 鶯谷駅南口、上野公園の反対側の階段を降りると、浅草から来る言問通り。ここまで来ると真正面に写真右の看板が目に入る。法住山・要伝寺。通りを渡り、右奥にある。合掌。(ご朱印は左)根岸・第七番札所とある。(拙宅の左隣にあたる)

双方とも本堂には鍵がかかり、ご朱印が台に置いてある。Freeに頂いてきた。

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2007年5月12日 (土)

乃木神社となりに建つは新美術

0021_2 寺社集印の旅=東京・六本木

国立新美術館(地下鉄日比谷線・六本木)で絵仲間と落ち合いK会展を見てお隣の乃木神社を参拝。

0020_1 明治天皇の崩御に殉じて乃木将軍ご夫妻が自刃された。ご夫妻の英霊を祀り、国民崇敬の場とするため、大正12年に鎮座された。都心のド真ん中にしては、緑に包まれた厳粛なところだ。

0022_1 帰途、日比谷線・築地で下車、築地本願寺にお参りする。正式には「浄土真宗本願寺派本願寺築地別院」と言うのだそうだ。京都の西本願寺の江戸の別院として1617年、横山町に建立されたが、振袖火事で消失した。旧地への再建が幕府から許されず、代替地として下付されたのが、八丁堀の海上。そこで「海を埋め立て土地を築いた」のが、「築地の地」で、「築地本願寺」の発祥だそうだ。関東大震災でも罹災し、1934年現在の古代インド様式の本堂が再建された=写真右。御朱印は宗義?で、頂けなかった。

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2007年5月10日 (木)

天神さん藤の祭りと葛餅と

0017_2寺社集印の旅=東京・江東

0018_3 今日はこどもの日。隅田川を渡って江東区の亀戸天神社へ。ここは藤の名所で、ちょうど[藤まつり」が開かれている。境内にはズラリと屋台が並び、喧騒のなかに下町らしさが漂っている。今年は時期的に一寸早いせいか、房も小さく、色も今一である。東京十社①。

0016_2 早々に太鼓橋を渡って本殿に。拝礼。

御朱印をいただき、すいている東参道から退散。しかし、ここへ来ると葛餅が買いたくなる。名物だから・・。連休はどこに行っても人々だ。

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2007年5月 8日 (火)

連休だ代々木の森から九段まで

0019_1 寺社集印の旅=東京(代々木・九段)

上野の山は一段落として、連休なら空いているだろうと今日は都心部へ。

0014_1 地下鉄銀座線・表参道で降り、JR原宿駅経由でブラブラ歩くつもりがどうだ。新しい商業地域が出来たこともあって、大変な人出だ。「原宿族」をかきわけて、やっと明治神宮に辿りつく。ここも大祭で混んでいたが、さすが「初詣日本一」厳粛な雰囲気。拝礼。御朱印をいただき今年が皇記2667年であることを、つくづくと実感した。

0015_2つぎに参ったのが、九段の靖国神社。対中韓の問題で時々話題になるが、日本人(戦中派)の心は変わらないと思う。ただ「英霊に感謝」である。拝礼。外の大鳥居の袂には戦争を知らない、右翼のオニイチャン達が多くの車を着けて、休んでいた。(思えば今日は憲法記念日であった。)

写真は明治神宮の発行したものを引用。

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2007年5月 6日 (日)

カメラもち納経帖と旅立たん

0003_1寺社集印の旅=東京・上野

昨日に続いて上野の集印に出かける(旅立ちといえるかどうか?)。写真右は年明けに屋根工事が完成した弁天さん。綺麗なエメラルド・グリーンに輝いている。

0009_1 0010_1 左の御朱印は動物園の左隣にある上野・東照宮。寛永4年(1627年)に造営されたが、家光公は満足せず、慶安4年、江戸の象徴・金色殿として改築したという。徳川家康、吉宗、それに慶喜公が祭られている。東照宮の南、上野精養軒の隣が、五条天神社(主神に二柱の薬祖神と相殿に菅原道真公とをお祭りしているという。)と花園稲荷神社(忍岡稲荷が正しい名称らしく、石窟の上にあったことから穴稲荷ともいわれている)。合掌。同じ境内にあるので一頁に並べて御朱印をいただいた。

0012_2右の御朱印は石段を舞台にまで登りきって東叡山・清水堂江戸33観音第六番札所。「京都の清水寺の江戸支店」といったら失礼か?人形さん供養で有名だとか。

0013_1 左の写真は清水堂の正面欄間に掛かっている東郷平八郎の直筆の書といわれる(許可を得て撮影。クリック拡大してご覧ください)。

0011_7 位置がおかしくなつたが、左の御朱印は山を下って不忍池・弁天堂谷中七福神①。トップの写真のように池に囲まれた、これも上野公園の象徴といえないか?夏か秋か、周りは蓮の花一杯になる。

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2007年5月 5日 (土)

初夏の風寺社集印を思い立ち

0001_1 寺社集印の旅=東京(浅草・上野)

坂東33観音を週一回連載して、早いもので22回を数え、取材日程の見通しが立ってきて、「次は」と考えた。西国33観音のデータを探しているうちに「寺社仏閣 御朱印の旅」http://voyage-mylife.net/syuinを発見。「これだ」と思った。遅まきながら「御朱印は神社でも頂ける」ことを知らされ、早速、浅草寺で納経帖(白紙のもの)を求め、手始めに浅草・上野散歩と相成つた。旅ではないか?。

0005_30004_3右の御朱印は金龍山・浅草寺(坂東33観音第13番札所で1月5日に紹介、また江戸33観音第1番札所)と、同じ境内にある浅草神社。三社祭りはここが基点のなる、通称「三社さま」合掌。

0006_2 0007_1 上野公園に帰り、左の御朱印は東叡山・寛永寺上野輪王寺門跡・両大師。元三慈恵大師(げんざんじえいだいし)と慈眼大師(じげんだいし・天海さま)をおまつりしてあるという。合掌。トップの写真はご存知の浅草・雷門。

では又、明日。(註;写真、御朱印をクリックすると拡大になります)

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2007年1月 5日 (金)

深きとがつみ浅草にまいる身ぞ

33013 坂東33観音(5)

第十三番 金龍山 浅草寺 (せんそうじ・浅草観音)

浅草といえば「観音さん」といわれるほど全国に、否世界にソノ名が通っている。隅田川で名もなき三人の漁民のウチ網の中に聖観音像を感得、これを浅草寺に祀ったのが草創といわれるだけに、大衆との深い縁でむすばれている。そのうえ江戸時代にいり、徳川家の祈願所となり、その保護のもと坂東無双の巨藍となった。

33014 33015 「江戸自慢十三番がこのくらい」という川柳のように坂東きっての大伽藍の浅草寺が一番でないという、一番好きの江戸庶民の本当の気持ちをよく表現していて微笑ましい。

戦災の傷もすべて復興し、正月三が日の初詣では百六十万人、普段でも数万の参詣者。表参道の仲見世はいつも人が絶えない。

ご本尊は聖観世音菩薩。合掌。写真は昨年12月17日羽子板市の際に撮影した上=本堂、下左=五重塔、右=雷門。なおタイトルはご詠歌から引用。

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