2009年9月17日 (木)

ご朱印帖(北国)北海道

北海道36不動尊霊場のご朱印

17 第17番 護国山・清隆寺(ごこくざん・せいりゅうじ)
真言宗智山派
根室市松本町2-2
TEL 015-323-2942
参拝 2009年8月21日
記事 2009年9月16日参照

18 第18番 四恩山・西端寺(しおんざん・せいたんじ)
高野山真言宗準別格本山
釧路市米町3-2-10
TEL 015-441-3389
参拝 2009年8月20日
記事 2009年9月15日参照

19 第19番 成田山・松光寺(なりたさん・しょうこうじ)
真言宗智山派
釧路市中島町7-5
TEL 015-424-4349
参拝 2009年8月20日
記事 2009年9月15日参照

20_2

第20番 大聖山・金剛寺(だいせいざん・こんごうじ)
真言宗醍醐派
帯広市東6条南15丁目
TEL 015-523-3929
参拝 2009年8月19日
記事 2009年9月11日参照

(ご朱印をクリックすると拡大) 

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2009年3月 4日 (水)

日光と江戸とを守る五大明王

0903006 寺社集印
=さいたま市岩槻区

人形の町・岩槻市は「さいたま市岩槻区」になった。町名は変わらず本町、岩槻インターを出てすぐの所に光岩山・釈迦院・弥勒密寺(みろくみつじ・岩槻大師関東36不動尊霊場第31番札所・喜多向厄除不動尊がある。ご本尊は薬師如来、札所本尊は五大明王。
0903007 徳川家康が江戸城に入ると、その北方にあって守護の任にあった。家康の没後、東照大権現として江戸の町のさらに北方にある日光に葬られた後のある日、気がついてみるとご本尊が動いていた。その菩薩を守護するために北を向いたのである。日光御成街道沿いにあり、江戸の町と東照宮の双方を守る仏さんとして「喜多向(北向き)厄除不動尊」と称されるようになったという。さて現在はどちらを向いておられるのか、聞いてくるのを忘れた。写真をクリックすると拡大。

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2009年3月 3日 (火)

始った大改修の総願寺

0903004 寺社集印=埼玉・加須市

久しぶりに東北自動車道のドライブ。加須インターを出て加須市不動岡にある総願寺(そうがんじ・不動ヶ岡不動尊)関東36不動尊霊場第30番札所にお参りする。本尊不動明王は仁和二年(886年)智証大師が彫刻されたという、三国無二の霊寶。京都御所にあって歴代天皇の御持仏とされていた。数奇な運命を経て長暦三年(1039年)にここ不動ヶ岡にお移ししたものとされている。
0903005 由緒あるお寺であるが近年その伽藍の傷みが著しく、折りしも「平成の大改修事業」が始まったところ。写真上は完成した山門、まだこれから本堂屋根の葺き替え、大日堂の改修などが進む予定。総事業費は五億円。勧募の真最中である。
因みに所在地は 埼玉県加須市不動岡2-9-18
TEL 048-061-0031

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2009年2月 6日 (金)

川越まで海であったとびっくりし

寺社集印=埼玉・川越市

090153 奈良の昔、ここ仙波あたりには漫々たる海水があったが、仙芳仙人が法力により取除いて住み着き、尊像を安置した。これが喜多院の始まりと伝えられ仙芳仙人を「草創の祖」と仰ぐ所以。
平安時代になり、天長7年(830年)慈覚大師円仁は東国をめぐり川越小仙波に至り、この地が仏法弘道の霊地にふさわしいとみて、淳和天皇の勅願を得て一宇を建立、「無量寿寺」の勅号を受けた。大師は阿弥陀如来を本尊として、さらに不動明王と毘沙門天を祀り、本格的な開山となる。
それが現在の星野山・無量寿寺喜多院(むりょうじゅじ・きたいん)関東36不動霊場28番札所である。
通称・川越大師として訪れた折にはお正月のうちとあって初詣、七福神巡りなど広い境内は大賑わいであった。

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2009年2月 5日 (木)

今もなほ修験の規範照温師

寺社集印=埼玉・川越市

090150 「久保町のお不動さま」と呼ばれる成田山川越別院・本行院(ほんぎょういん)関東36不動霊場27番札所にお参りする。江戸時代の末期嘉永六年(1853年・黒船ペリーが浦賀に来航した年)下総の国新宿にあった石川照温が、川越の本行院を成田山新勝寺の別院として再興して、今日に至った。ご本尊は大聖不動明王(秘仏)真言宗智山派のお寺。
090151 石川照温師は文化二年(1805年)下総国葛飾郡の農家に生まれ、他国に出て苦難生活を送るうち30歳の頃、両眼失明した。ある日自殺を試みたところ光を失った眼前に不動明王が見えた。にわかに仏道に目覚め、成田山新勝寺の不動明王を熱心に信仰する。その甲斐あって両眼も癒え、ますます仏道に励み、大本山貫主・照阿上人に従って受戒得度し「照温」と称し、今も修験者の規範として語り継がれているという。

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2009年2月 3日 (火)

道灌の手植えの矢竹今にあり

寺社集印=埼玉・川越市

090148 長瀞から小江戸と呼ばれる川越市に入り、まずは赤鳥居(明神型・木製・高さ15㍍)をくぐって川越氷川神社を参拝。本殿は入母屋造りで、天保13年起工、嘉永2年の竣工、江戸時代の代表的建造物という。ご祭神はスサノウノミコト、クシイナダヒメノミコトとある。戦国時代、江戸時代を通して川越城主には重臣が配され、江戸北方の守りの総鎮守をはたしてきた。
090149 境内には霊水が湧きいで、巨木が生い茂り、太田道灌手植えの矢竹も現存している。
毎年十月に行われる「川越祭り」は城主となった老中・松平信綱公が江戸の「天下祭」にならったものといわれ、山車が川越城内に参入、また氏子町内をそれぞれ渡御するなど極めて盛大なものである。平成17年には国の重要無形民俗文化財に指定された。

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2009年1月30日 (金)

秩父路の萩咲く里に不動尊

寺社集印=埼玉・長瀞町

090147_2 埼玉・長瀞街を訪ねたお目当ての一つは関東36不動尊霊場第29番札所不動山・白山寺 洞昌院(どうしょういん)である。この不動尊こそ奥の院である「苔不動尊」の聖地。秩父青石が採掘された遺跡で関東一円に出される板碑の原料となった。屏風のように削り取られた岩面に苔がまつわり付き、不動明王のお姿が浮かび上がる。そこから「岩不動尊」といわれるようになったという。
090146_3  一方、この寺は「長瀞七草の寺」のうち「萩寺」として有名。秋のお彼岸の節には、境内いろんな萩で覆い尽くされるという。中には2mを超すほどのものもある。現在はすべて刈り取られ、株だけになっている。寺の入口に「萩塚」なる石碑(写真下)があり、拡大してみると(写真をクリック)野萩・山はぎ・錦萩、紅はぎ・白萩・つくし萩、宮城野薩摩仙台萩や、とあり、種類の多さを誇るかのようであった。
註; タイトルはご詠歌から引用。

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2009年1月29日 (木)

火祭りは秩父の里に春を呼ぶ

寺社集印=埼玉・長瀞町

090144 「秩父路に春を告げる」として有名な長瀞火祭りを主催するというお寺が隣にあると聞いて、宝登山ロープウエイ山麓駅を跨いで、長瀞山不動寺(ふどうじ)を訪ねる。ご本尊は五大力尊、総本山は京都・伏見の醍醐寺。前の駐車場になっている大広場が火祭り会場である。
090145 火祭りとは「柴燈大護摩・火渡荒行」をいい、総本山醍醐寺座主監修のもとに行われる秘法の火渡祈願だそうで、この柴燈大護摩供による智慧の火をもって各自の煩悩が清められ、国土の和平、家庭の興隆をお願いする。
今年は3月1日(日)午前10時から行われる。
写真をクリックすると拡大。

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2009年1月28日 (水)

宝登山は商売繁昌火伏せ宮

寺社集印=埼玉・長瀞町

090143 道路の凍結の始まる前にと、今年の初ドライブとして埼玉県・長瀞を選んだ。関越高速・花園インターから国道140号線に入るコース。
早立ちしたので9時頃には寶登山神社(ほどさんじんじゃ)に到着した。建立は景行天皇(西暦110年)の時代、今から1900年前という古い神社。ご祭神は神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと・神武天皇)大山祇神(おおやまづみのかみ・山の神)火産霊神(ほむすびのかみ・火の神)とされる。
日本武尊が東征の折、山火事にあい山の神のお使いである犬達によって難を逃れ、山上に神霊を拝し、ここを「火止山」(ホドヤマ)と名付けられたのだそうだ。
目下、本殿の改修工事中であったため下の仮拝殿に参拝した。(本年11月に完工の予定という)。

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2008年3月 9日 (日)

あのくたら二世安楽を誓いおく

200803_09 寺社集印=埼玉・所沢市

右手に大きな幼稚園・保育所があり、子供たちの元気な声に押されて曹洞宗の光輪山・妙善院(こうりんざん・みょうぜんいん)に導かれる。
200803_10 ご本尊は白衣観世音、行基の作とされる。山門には仁王様と二階に十六羅漢様が安置され、左手に地蔵堂、右手に慈母観音像がある。武蔵野33観音第14番札所。天正年間(1570年代)源義家の後孫、徳川の旗本、沢次郎左衛門の開基とされる。

200803_11 吟龍山・松林寺(ぎんりゅうざん・しょうりんじ)は道元禅師を開祖とする曹洞宗のお寺。武蔵野33観音第15番札所
200803_12 ご本尊は松久朋琳作の釈迦牟尼仏、札所本尊は千手観音。
薬師六角堂の本尊・薬師瑠璃光如来は東京上野の寛永寺山内・成就院より奉祀されたものという。写真右下は駐車場から迎えてくれる六地蔵尊。

註;①タイトルは妙善院のご詠歌から引用。②写真をクリックすると拡大。

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2008年3月 8日 (土)

名将も願いをかけし山口や

200803_05 寺社集印=埼玉・所沢市

所沢市郊外の雑木林と狭山の茶畑の点在する丘陵地帯。古い梅の木と菩提樹のある曹洞宗のお寺、梅林山・全徳寺(ばいりんざん・ぜんとくじ)を訪ねる。武蔵野33観音第12番札所、ご本尊は釈迦如来と文殊・普賢菩薩の三尊仏、観音堂には普悲観世音菩薩が安置されている。開山は顧山明鑑和尚、永禄年間(1560年頃)とされている。

200803_06 西武ドームの真正面、狭山多摩湖畔の山口観音。武蔵野33観音第13番札所=吾庵山・金乗寺(ごあんざん・こんじょうじ)。
200803_07 ご本尊は千手観音菩薩(行基大士の作といわれる)、真言宗・豊山派のお寺。開基は弘仁年間、弘法大師によるものとされている。
写真左は新田義貞の霊馬の像が祀られている。
200803_08 また、当寺は武蔵野七福神・布袋尊がりっぱなお堂(写真左下)に祀られている。

(つづく)
註;タイトルは金乗寺のご詠歌から引用。

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2008年3月 7日 (金)

遠き世の布施屋のあとと市も立つ

200803_00 寺社集印=埼玉・所沢市

一ヶ月ぶりに車を走らせて所沢市に向う。旧市内元町にある武蔵野33観音第9番札所=野老山・實藏院(ところさん・じつぞういん)。
200803_01 真言宗豊山派のお寺で、ご本尊は大日如来、脇侍に聖観世音菩薩。合掌。
当寺は旧鎌倉街道に沿っており、「野老」とは所沢の古い名称といわれ創建もかなり古いと思われる。

200803_02 所沢観音と呼ばれる武蔵野33観音第10番札所=遊石山・新光寺(ゆうせきざん・しんこうじ)。真言宗豊山派のお寺で、ご本尊の聖観音は行基大士の作と伝えれれている。
200803_03 元弘3年(1333年)新田義貞が鎌倉攻めの際、戦勝を祈願したと伝えれれている。

200803_04 三ツ井戸の水は「疫病を除き、寿命無量の益あり」として無量寺と呼ばれる上洗山・普門院(じょうせんざん・ふもんいん)。武蔵野33観音第11番札所。真言宗豊山派のお寺で、ご本尊は不動明王、札所本尊は千手観音。右下の写真、門の左手前に北向六地蔵菩薩が祀られ、子供の守り本尊として親しまれているという。
(つづく)
註;①タイトルは實蔵院のご詠歌を引用。②写真をクリックすると拡大。

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2007年2月 9日 (金)

吉見よと天の岩戸を押し開かん

33024 坂東33観音(10)

第十一番 岩殿山 安楽寺 (吉見観音)

長い参道をいくと「厄除け団子」を売る店が一軒あった。この辺に巡礼者のための宿が多数あったという。写真右の石段の上に仁王門、その奥正面に五間四面の観音堂が、樹木を背にして建つ。

33025 (写真左)岩窟寺院で、ご本尊は聖観世音菩薩。合掌。

33027 本堂手前に露座の阿弥陀如来。[吉見の大仏]として親しまれているという。和風で穏健さがにじんでいる(写真右)。

33026 写真左の三重塔は、この寺に隠れ住んだ源範頼が、頼朝挙兵に従い領主となり「吉見御所」と呼ばれて建立したものという。

33028 帰りに[吉見百穴」によったが、中には入れず外から眺めるのみであった(写真右下)。

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2007年2月 2日 (金)

後の世の道を比企見の観世音

33021 坂東33観音(9)

第十番 厳殿山 正法寺 (しょうほうじ 岩殿観音)

岩殿山の山腹の磐を削り、千手観音像を岩窟に納めたのが草創と言われる。

物見山の駐車場からトンネルを抜けダラダラ坂を下る感じで(裏参道)進むと五百坪ほどの岩壁に囲まれた本堂(写真右上)にでる。左脇に大銀杏の木が黄金に輝き(訪ねたのは昨年11月)山寺の法悦にひたらせてくれる。

33022 本尊は千手観世音菩薩・坐像。合掌。

33023 表参道は100段近い急な石段を登つて仁王門(写真左)さらに数十段登って本堂に達するという、見下ろすとクラクラするほどの急勾配だ。

仁王門のわきに合戦の折、兵の士気を鼓舞するために、陣中を引きずったキズ跡を残すいう梵鐘があつた(写真右)。

(タイトルはご詠歌を引用)

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2007年1月26日 (金)

聞くからに大慈大悲の慈光寺

33018 坂東33観音(8)

第九番 都幾山 慈光寺 (ときさん・じこうじ)

関越高速道を鶴ヶ島でおり、越生経由で都幾川へ。町中を過ぎて丘陵地帯に入ると、道端の右側に大板碑群が目に入る(写真左)。さらに登って駐車場へ。

33019 丘一帯に散在する建物が、いかにも練行の基点、山岳寺院の風格が感じられた。まず山門を抜け、順路に従い左手に進むと般若心経堂、その脇から坂を上って右手の本堂へ(写真右上)。

ご本尊は十一面千手千眼観世音菩薩。合掌。母親の愛育の象徴をみるお観音さんといわれる。

33020_1 クリの脇に立つ多羅葉樹(タラヨウジュ)は千年を越す樹齢を数えるそうだ。また、ここはシャガの群生地で4-5月に花を付けるという。

足を伸ばして奥に行くと霊山禅院があり墓地の募集をしているようだった。

(タイトルはご詠歌から引用)

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2007年1月19日 (金)

慈恩寺へ詣でるわが身もたのもしや

33016 坂東33観音(7)

第十二番 華林山 慈恩寺 (じおんじ観音)

人形の町、岩槻から北に5㎞の郊外にある。[風土記稿」には「慈恩寺は古蹟にして、しかも大刹なりしかば、その境内(約13万5千坪)、山林、田畑のかかわる所は慈恩寺村と呼ばれた」という。

33017 十三間四面の本堂は、かっての繁栄振りを十分に感じさせる。写真右ご本尊は千手観世音菩薩。合掌。夫婦円満を祈る観音さまとしても知られる。ここで「十句観音経」を頂戴した。

東南300mの田をはさんだところに玄奘三蔵法師の「霊骨塔」があるといわれて寄った。写真左。高さ15m,石造十三重の塔で、慈覚大師が修行した長安の大慈恩寺の縁で分骨されたのだそうだ。

(タイトルはご詠歌から引用)

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