2009年9月 4日 (金)

関東の総守護神の磯前社

寺社集印=茨城・水戸市、大洗町

08003 水戸から国道51号線を大洗方面に700mほど、右手の台地に佛国山・寶蔵寺(ほうぞうじ)関東88ヵ所霊場第33番がある。参道石段を登り山門を入ると入母屋造瓦葺、七間四面の豪壮な本堂、広い境内には大師堂、客殿、庫裏、地蔵堂、薬師堂など、別格本山の風格が漂っている。文明二年(1470年)僧・賢禅の開基、元禄年間(1688~1704年)中興されたと伝えられている。ご本尊は大日如来、高野山真言宗のお寺である。

08004大洗町旅館街の正面高台に大洗磯前神社(おおあらいいそまえじんじゃ・旧国幣中社)があり、航海の安全を祈願する。御祭神は大国主命、関東一円の総守護神として鎮座されている。水戸藩主徳川光圀公により元禄三年に造営されたものが、現存しているという。本殿からは眼下に太平洋が展開している。壮大な風景である。

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2009年9月 3日 (木)

俗世から隔離されたる二霊場

寺社集印=茨城・城里町、常陸太田市

08001 第三次北海道の旅は大洗港から商船三井フェリーで苫小牧に渡る計画を立て、出航が夕方6時30分とあって、その前に茨城の霊場を回ってということにした。
常磐高速からまづ旧・桂村にある
高根山・大山寺(たいさんじ)関東88ヵ所霊場第31番を訪ねる。長禄元年(1457年)建立の山門を入ると、正面に本堂がある。開創は弘仁元年(810年)弘法大師によるとされ、ご本尊は大日如来、真言宗豊山派のお寺であった。

08002そこから 東に当たる旧・金砂郷町の五佛山・鏡徳寺(きょうとくじ)関東88ヵ所霊場第32番に向かう。上利員の集落より老木の生い茂る参道を登りつめると昭和9年に改造されたという重厚な本堂(入母屋造瓦葺、唐破風付向拝)がある。まさに俗界から隔離された閑寂境といえる。大同年間(806~810年)慈覚大師の開創、ご本尊は十一面観世音菩薩、真言宗智山派のお寺である。
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2009年6月27日 (土)

わたらせを渡る旅人仰ぎ見る

寺社集印=群馬・桐生市

6113 大間々から国道122号線を南下して「絹織物の町・桐生」に入る。絹織物は淳仁天皇(758~63年)の頃からの歴史を伝えるという。
慈丸山・聖眼寺(しょうげんじ)関東88ヵ所霊場第九番を訪ねる。周囲は樹齢200年を超える高野槇をはじめ古木繁茂し、落ち着いた雰囲気。
寺伝によると大永年間(1521~28年)の開創、戦火、災火を繰り返して、現在の本堂は昭和40年に再建されたものという。ご本尊は大日如来、高野山真言宗のお寺。

6114 今日の最後は桐生の繁華街を過ぎて3㎞ほど南の諏訪山・観音院(かんのんいん)関東88ヵ所霊場第十番である。日限地蔵尊の名で呼ばれている。
本堂は寄棟造本瓦葺、間口6間半、ご本尊は聖観世音菩薩、江戸時代の作と伝えられ秘仏になっている。
本堂左手前には日限地蔵尊を祀る地蔵堂があり、香煙が立ちこめ参拝者が絶えないという。真言宗豊山派のお寺である。

タイトルは聖眼寺のご詠歌から。写真をクリックすると拡大。

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2009年6月26日 (金)

柿の木の一本造だよ薬師さん

寺社集印=群馬・みどり市

6111 国道50号線を東に、太田市と桐生市に挟まれた恰好の笠懸町阿佐見に日輪山・南光寺(なんこうじ)関東88ヵ所霊場第七番を訪ねる。
樹木に覆われた境内に間口6間入母屋造瓦葺の本堂、ご本尊の白衣観世音像は僧・行基の作とされる。高野山真言宗のお寺。明治7年には寺を仮校舎に寺子屋活動が始まったようで、現在も幼稚園につながっている。

6112 渡良瀬川に沿って北西に登ると大間々町、この辺では「柿薬師」で通っている瑠璃光山・光栄寺(こうえいじ)関東88ヵ所霊場第八番を訪ねる。
仁王門を入ると元禄二年(1689年)に再建された本堂、ご本尊は薬師如来。寺伝によるとこの薬師如来は柿木に刻まれた一本造(一尺三寸の秘仏)僧・行基の作という。ほかに閻魔大王、霜除観世音などの諸仏が安置されている。真言宗智山派のお寺。
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2009年6月25日 (木)

境内に所狭しと石仏群

寺社集印=群馬・前橋市

6109 梅雨の合間を縫って関越高速・北関東道(駒形IC)をドライブして前橋市に向かう。古代、上野国の国府が置かれたという「古墳が多く、文化史跡の多いところ」と聞いてきた。
前橋市の東南、伊勢崎市に近い郊外地・下増田町の
今宮山・蓮華院(れんげいん=前橋厄除弘法大師)関東88ヵ所霊場第五番の駐車場についてびっくりした。広い駐車場を見渡す巨大七福神の石像群である。6110 広い境内に入ってもやたらと石仏像が目立つ。
元禄3年(1690年)建立の入母屋造瓦葺の本堂には聖観世音菩薩と厄除・弘法大師が祀られてある。真言宗智山派のお寺である。
寺伝によると、開祖は僧・玉泉、中興は僧・舜賀、明治21年には川崎大師との縁結びで、名実ともに庶民の霊場となっている。境内にひと際目立つ大天狗の面は高尾山・薬王院(08年5月18日号参照)と関係があるようだ。

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2009年5月26日 (火)

元校長テレホン法話で親しまれ

4067 寺社集印
群馬・高崎市、藤岡市

高崎市の南東部「山名」の地に、八幡山を背に山名八幡宮(やまな・はちまんぐう)がある。源氏の一族新田氏の祖・義重の子・義範が安元年中(1175~77年)豊前の国(大分県)の宇佐八幡宮を勧請して社殿を造営したのが始まりとされている。御祭神は玉依比売命(たまよりひめのみこと)応神天皇、神功皇后の三柱、社殿を飾る神獣をかたどった彫刻群は見事であった。

4068 更に南下して藤岡市の宝憧山・光明寺(ほうどうざん・こうみょうじ)関東88ヵ所霊場第四番を訪ねる。延文四年(1359年)僧・浄義によって開創、昭和59年に再建されたコンクリート造の本堂は入母屋瓦葺、ご本尊は十一面観世音菩薩、戦没者の冥福を祈って奉安されたという。住職の佐光慈豊師は高校長を辞めてテレホン法話集「心のダイヤル」を出すなど、布教活動に専念されている。
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2009年5月25日 (月)

妙義山ふもとの町に二観音

4063 寺社集印=群馬・松井田町

松井田町の龍本山・不動寺(りゅうほんざん・ふどうじ)関東88ヵ所霊場第二番を訪ねる。この町は慶長(1596~1615年)のころ、碓氷峠超えの中山道の宿場として栄えたところで、現在でも怪岩、奇岩で知られる妙義山が近くに迫っている。
寛元元年(1243年)僧・慈猛の開山と伝えられ、ご本尊は千手観音菩薩。元亀・天正の頃は武田信玄から寺領を得、また江戸時代には家光から朱印地を与えられるなど、この地では大寺で知られたという。

4065 ついで同じ町にある碓氷山・金剛寺(うすいざん・こんごうじ)関東88ヵ所霊場第三番を訪ねる。
当地の名門の出である橘定光は早く両親を失つたが、成長して源頼光四天王の一人として勇名をはせ故郷に錦を飾った。そして碓氷峠で村民や往来の人を悩ませていた大毒蛇と対決、、十一面観世音の加護と大鎌を振って大蛇を滅ぼした。定光ゆかりの観世音と蛇骨とを納めたのが当山開基、長元年中(1036年)のこととされる。


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2009年5月24日 (日)

リンとした風情ただよう達磨寺

4058 寺社集印=群馬・高崎市

観音山の正面山麓、鬱蒼と茂る森の中に群馬県護国神社(ぐんまけん・ごこくじんじゃ)がある。明治維新から第二次世界大戦に至るまで、国のために尊い命を捧げられた群馬県出身関係者47000余柱を合祀してある。毎年夏のお盆の8月24日に万灯の「みあかし」を社頭に掲揚してご祭神をお慰めしているという。目下献灯を募集中であった。

4059 観音山から西に迂回して安中方面の途中に「だるま市」で有名な少林山・達磨寺(しょうりんざん・だるまじ)に立ち寄る。
本堂に当たる「霊符堂」には北辰鎮宅霊符尊(ほくしん・ちんたく・れいふそん=天地日月星辰の総帥として中心に位置する北斗星を神格化したもので、妙見菩薩とも呼ばれる)、初祖達磨大師、それに開山心越禅師をお祀しているという。お堂の両脇に所狭しと「だるまさん」が納められている。左隣には勿論「達磨堂」、右下に茅葺屋根の「観音堂」がある。禅寺らしいキリッとした空気が流れていた。
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2009年5月23日 (土)

その高さ41メートルの白衣観音

4055 寺社集印=群馬・高崎市

高崎の近くを走るたびに横目で見ていた高崎白衣大観音の足元まで今日は入る。鳥川を渡り観音山(海抜200㍍)を目指すと白衣大観音(像高41㍍)が眼前に現れる。昭和41年に高崎市の実業家・井上保三郎氏の建立になるといわれ、当時としては「日本一」の大きさだったそうだ。像の胎内は九層に分かれ、二十体の仏像が奉安されている。
4056 この大観音像をお前立にして
高崎観音・慈眼院(じげんいん)関東88ヵ所霊場第一番がある。慈眼院は寛喜年間(1229~32年)鎌倉幕府二代執権・北条義時の三男・重時の創建になり、ご本尊の聖観世音は鎌倉由比ヶ浜の海中より漁師によって引揚げられたと伝えられている。
境内からは高崎市街をはじめ、上毛三山(妙義、榛名、赤城)も眺望できる。
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2009年4月19日 (日)

コブシ咲く田園のなか勝覚寺

0903129 寺社集印=千葉・山武市

銚子犬吠崎をあとに東洋のドーバーといわれる屏風ヶ浦から九十九里平野の田園地帯をぬけて、そのど真ん中にある松ケ谷の萬徳山・勝覚寺(まんとくざん・しょうかくじ)関東88ヵ所霊場第46番を訪ねる。
0903130 寺伝によると天暦元年(947年)の創建、弘法大師が唐より請来した釈迦如来像をご本尊としているという。明応9年(1500年)僧・長覚が中興して、江戸時代には幕府より寺領が寄進され、七堂伽藍が整い荘厳を極めたという。
度々の災火で伽藍は焼失、当時のものは朱塗りの釈迦堂(本堂)と鐘楼を残すのみという。本堂は入母屋造銅葺きの五間四面、廻廊をめぐらし、右手に客殿、庫裡がある。折りしもコブシが満開であった。
千葉は一旦これまでとし、関東88ヵ所霊場巡拝は群馬県の第一番から再開する。写真をクリックすると拡大。

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2009年4月18日 (土)

巡拝のメッカたるべき満願寺

0903127_2 寺社集印=千葉・銚子市

本州最東端・銚子犬吠崎に向かう。屏風ヶ浦の北端に愛宕山があり、その東側中腹に補陀洛山・満願寺(ふだらくさん・まんがんじ)関東88ヵ所・特別霊場がある。まさに三方が太平洋である。愛宕山の岩肌を背に約五千坪の境内に伽藍群が立ち並ぶ。
0903128 中門左手より本堂に入ると回廊式になっていて、まづ観音巡礼の元祖・徳道上人と閻魔大王が、つづいて四国88か所の本尊が奉安されている。中心部に本堂、ここ
にご本尊の十一面観世音菩薩(像高一丈三尺・尾州檜)向拝には宝塔様式の舞台造り二層の「さざえ堂」になっている。それから回廊に沿って西国・坂東・秩父の百観音満願堂を巡拝して中門右手に戻る。(写真下はさざえ堂の二階窓から正面犬吠崎灯台を見る)。
通称・犬吠崎観音は真言宗(独立法人)のお寺で、坂東33観音第27番・圓福寺の奥の院に当たるが、諸国霊場を巡拝した人々の浄財によって開創建立されたものという。

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2009年4月17日 (金)

山倉様厄除難除の霊場や

寺社集印=千葉・香取市

0903126_2 香取神宮をあとに田園地帯をカーナビ任せで南下、山倉町にある山倉山・観福寺(やまくらやま・かんぷくじ)関東88ヵ所霊場第45番を訪ねる。
弘法大師が東国を巡り人々が伝染病に苦しむのを見て、大六天・子育観音を勧請して断食修行をなされた。夜ごと現れる龍神の勧めで栗山川で捕獲した生鮭を献納して、それを村民に与えたところ病魔が退散した。そこで大師が「厄除難除根本霊場」と定められたという。通称「山倉様・大六天」の大本山であり、山倉信仰は関東一円に広まったようだ。
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2009年4月12日 (日)

深き森権現造を包み込み

0903124 寺社集印千葉・香取市

利根川沿いを下って香取市街を通り過ぎて香取神宮(かとりじんぐう・旧・官幣大社)を参拝する。ご祭神は経津主大神(フツヌシノオオカミ)、鹿島の大神とともに建国の基を築き東国開拓の大業を完遂された。下総国一の宮である。伊勢の上参宮に対して下参宮といわれ広く尊崇を集めっている。
0903125 神宮の神域は3万7千余坪とされ、県の天然記念物に指定されている。社殿は伊勢神宮と同じく20年ごとに造替えられて来たが、現在の社殿は元禄13年(1700年)徳川綱吉の造営になるという。構造は本殿、中殿、拝殿と連なる檜皮葺き黒塗り権現造である。その脇には樹齢千年と称される根回り10㍍余りのご神木が何本も立つていて、荘厳さを醸し出していた。写真をクリックすると拡大。

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2009年4月11日 (土)

楠老樹なんじゃもんじゃと呼ばれけり

寺社集印=千葉・香取市

0903123 さらに利根川沿いに下ると神崎大橋、その西詰の高台に大日山・神崎寺(だいにちざん・こうさきじ)関東88ヵ所霊場第44番がある。大きな楠の老樹・「なんじゃもんじゃの木」が目印。隣というかひっついて神崎神社もある。
ご本尊は不動明王、江戸時代には天台宗に属して東照院と称していたが明治に入り衰微し、近在の人が大師像を奉安する草案を残すのみだったという。昭和26年修験僧・秀宝が機縁あって伽藍を再建し中興となり、以来真言宗醍醐派に属して祈願寺と密教修業道場になっているようだ。不在で、ご朱印は不調であった。

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2009年4月10日 (金)

こみかどの森にねむれる文貞公

0903121 寺社集印千葉・成田市

成田山から北東へ、利根川の手前、名古屋(旧香取郡下総町)にある小御門神社(こみかどじんじゃ・旧別格官幣社)を参拝。ご祭神は後醍醐天皇の忠臣・藤原師賢公とある。境内は鬱蒼とした樹木に覆われ、「小御門神社の森」と呼ばれ、県の天然記念物に指定されている。
0903122 師賢公は内大臣藤原師信公の御子で、後醍醐天皇の側近として仕え、元弘の変(1331年)では志遂げざるまま天皇の身代わりとなって下総国に下り、32歳の若さで、この地で亡くなられた。翌年天皇は公の功績をたたえ、「文貞公」のオクリナを贈られ、その後明治天皇は「建武の中興の礎」として当社を創建され、「国の守り神」として毎年勅使を参向されたという由緒のある神社である。

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2009年4月 9日 (木)

二年ぶり「結願」なった新勝寺

寺社集印=千葉・成田市

0903119 今回はいよいよ関東36不動尊霊場・第36番札所で結願寺となる成田山・新勝寺(なりたさん・しんしょうじ)参拝となる。お不動さんといえば成田山と親しまれてきた(日本三大不動)新勝寺、ご本尊は大聖不動明王である。車を置いた関係で裏から入山し、山頂にある「平和大塔」にてご朱印を頂く。(写真上)真言宗智山派のお寺。
0903120 右手の坂道を伽藍の間を下ってテレビでお馴染みの大本堂に至る。ご本尊は嵯峨天皇の勅命により弘法大師が自ら敬刻開眼して、護魔法を修められたという秘仏。永く京都の高雄山・神護寺に奉安されていたという。
初詣に始まり、全国から年間に一千三百万人を超す参拝者があるという。大本堂から直線で見下ろせる総門は最近改造工事が完成したばかり。2007年5月26日、第26番札所・台東区橋場の不動院(橋場不動・記事6月2日号)に始まり、紆余屈折の末、ほぼ2年ぶりで結願したことになる。
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2009年4月 5日 (日)

千葉寺に詣でるわが身のたのもしや

寺社集印=千葉市

0903118 さらに北上して千葉市に入る。かって(07年3月14日)坂東33観音霊場巡りで詣でたことのあるお寺。京葉道路を松ヶ丘インターを出て大網街道を2㎞も行くと、右側にある樹齢800年を超える大銀杏が迎えてくれる。
海上山・千葉寺(かいじょうざん・せんようじ)関東88ケ所霊場第47番・坂東33観音霊場第29番札所でもある。天保十二年(1841年)に造られたという仁王門を入ると広い境内の右手に例の大銀杏、奥正面に昭和51年に再建された本堂(入母屋銅葺き・間口九間・鉄筋コンクリート造)である。ご本尊は十一面観世音菩薩、真言宗豊山派のお寺。
寺伝によると和銅二年(709年)僧・行基が三界六道と称されるこの地を巡り、聖武天皇に奏聞し堂宇を建立して勅願寺としたのが始まりという。のちに千葉氏の祈願寺になり、寺運は隆盛をきわめた。その間度々の災火に遭いながら都度再興されてきたという。

タイトルはご詠歌から引用。写真をクリックすると拡大。

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2009年4月 4日 (土)

蔵波のひろく福よぶ不動尊

寺社集印=千葉・袖ヶ浦市

0903117 木更津市から海沿いに北上、袖ヶ浦市に入り、JR長浦駅南口、開発が進む住宅地の一角に頂宝山・弘福院(ちょうほうざん・こうふくいん)関東88ヵ所霊場第48番がある。
かっては緑豊かな地域であったようだが、今では住宅地の中にあるような格好。しかし残された寺山の緑と、石庭を思わせるような白砂がまかれ、大小の木化石(もっかせき)の配置されている境内は新しい時代のお寺としてシンプルで素朴な佇まいを感じさせた。現在の本堂は平成6年に完成したもので、行基菩薩作といわれる不動明王座像がご本尊として祀られている。信貴山真言宗のお寺。
古くは「海上安全の仏様」として「蔵波(くらなみ)の浪切不動尊」として地元漁民の信仰を集め、海苔養殖が盛んになると豊作祈願の大般若転読会が盛大に催うされたようだ。
タイトルはご詠歌から引用

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2009年4月 3日 (金)

海運で栄えし土地に橋架かる

寺社集印千葉・木更津市

0903116 千葉内陸の丘陵地帯から海側(東京湾)に出て、木更津に帰ってくる。かっては江戸への海運で栄えた木更津も、東京湾アクアラインの開通で、今では陸運の玄関口の様相を呈してきた。
木更津港に近い住宅・商店の密集した中に
成田山・新宿不動堂(しんじゅくふどうどう)関東88ヵ所霊場第49番がある。入母屋瓦葺・六間四面の本堂には仏師・浅子の作とされる不動明王が祀られている。真言宗智山派のお寺。
明治初期、不動行者・深山観全がこの地に堂宇を建立し、成田山新勝寺より勧講したご本尊を奉安したのが始まりで、成田山木更津教会とも称しているようだ。また新上総観音霊場第25番札所になっている。

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2009年3月27日 (金)

静かなるしみずの不動に参りきし

0903114 寺社集印=千葉・君津市

JR久留里線シモゴオリ駅とオビツ駅のほぼ中間、小高い山の上に清水山・圓明院(しみずざん・えんみょういん)関東88ヵ所霊場第54番がある。駐車場から砂が敷かれた「おへんろ道」を登ると「かや」の大樹が境内を覆い、参拝者を迎入れてくれる。
0903115 ご本尊は不動明王、真言宗智山派のお寺。入ってひと際目につくのが黄金色の巨大な婆羅観音像。お出かけ前の慌ただしい時にご朱印を貰ったので、由緒については不詳。
平安時代の後期に入定寺末の秋葉山三尺坊の別当寺として創建され、天台修験を継承してきたようだが、無住の時もあり、慶安年間(1650年)に再興され、天保年間(1830~43年)に鹿野山・神野寺末になっている。
タイトルはご詠歌から引用。写真をクリックすると拡大

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2009年3月26日 (木)

円如でらにょらいたまいし日々の幸せ

0903112 寺社集印=千葉・君津市

JR久留里線を抜け、久留里の町から山中700mほどはいった鵜山(小市部)の中腹に山王山・円如寺(さんおうざん・えんにょじ)関東88ヵ所霊場第55番がある。ご本尊は大日如来、真言宗・智山派のお寺。
参道を登りつめると簡素な仁王門、山を背にして入母屋造・瓦葺の本堂、左に薬師堂、右に客伝・庫裡がある。
0903113 寺伝によると神亀二年(725年)僧・行基が薬師如来を祀って創建、後に慈覚大師が山王権現を移遷するなどして盛んであったが、元弘・建武の兵乱で荒廃した。時代は移り応永二年(1395年)僧・円如によって壮大な伽藍が再建・中興されたという由緒のあるお寺だそうだ。また現在の本堂は昭和33年の台風で裏山が崩壊して全壊、昭和62年に再建されたものという。
タイトルはご詠歌から引用。写真をクリックすると拡大。

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2009年3月25日 (水)

ぬひあげて錦綾なす如意のもり

寺社集印=千葉・君津市

0903111 房総丘陵といわれる海抜2~300mの山地の中で、鹿野山は標高353mの最高峰。この東山麓・西猪原に如意山・久原寺(にょいさん・くはらじ)関東88ヵ所霊場第52番がある。真言宗智山派のお寺。
境内1500坪に文化11年(1814年)に建てられたという比較的質素な仁王門と鐘楼、昭和53年再建の本堂は入母屋造・瓦葺、そして千体地蔵堂がある。ご本尊は聖観世音菩薩、寺伝によれば聖徳太子の開創、永延年間(987~989年)僧・源信が堂宇を建立したとある。
元禄年間(1688~1704年)に地域の人々の様々な願いを込めて、千体地蔵堂が建てられた。不動明王と大黒天の左右に500体づつのお地蔵さんが納められているという。
周辺は人家もまばらな山村地帯で、遍路にとっては心静かに辿れる別天地の感がある。
タイトルはご詠歌から引用。写真をクリックすると拡大。

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2009年3月24日 (火)

なだらかな田園のなか長泉寺

0903109 寺社集印=千葉・君津市

今週は千葉県中南部、久留里線を挟んで君津市の四寺を訪ねる。まず市に中心部に一番近い南仙山・長泉寺(なんせんざん・ちょうせんじ)関東88ヵ所霊場第53番。ご本尊は不動明王=通称・浪切不動、真言宗智山派のお寺。
0903110 なだらかな山並みが小糸川を挟んでつづき、水源に恵まれた田園地帯が広がる。寺は樹齢五百年あまりの老樹におおわれ、本堂前のコブシの大樹が印象的だった。(写真下、まだ芽吹いたばかり)開創の年代は不詳だが、古木や伝承からして500年以前と推察される。
現在の本堂と鐘楼は大正に入ってから建立されたものだそうだが、関東大震災に耐えただけに堅固なもので、内部の彫刻など、当時の建築技術の粋が集められたものだという。さらに境内には仁王石像、馬頭観音・修行大師・水子地蔵・六地蔵などの諸仏が、所狭しと安置されていた。
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2009年3月17日 (火)

法灯は岩瀬の土地に連綿と

寺社集印=千葉・富津市

0903108 さらに東京湾に沿って北上、富津市・岩瀬に普和山・最上寺(ふわざん・さいじょうじ)関東36不動尊霊場第32番札所岩瀬不動尊を訪ねる。
天地天皇の時代(668~671年)修験道の祖といわれる役行者が当時の四海道路を開き、ここにお堂を建立し、本尊不動明王を勧請したというから古い。そして役行者を神変大菩薩と崇める行者たちの修験者道場として、大いに発展したようだ。
その後興亡輪廻を繰り返しながらも法灯は連綿と引き継がれて今日に至り、第22世・義昭僧正は檀信徒の教化活動に励む一方で、托鉢修行に奔走し、昭和47年に現在の本堂再建が成ったと伝えられている。
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2009年3月16日 (月)

大日のなかにすぐれし光もる

寺社集印=千葉・富津市

0903107 竹岡から東京湾沿いに更に北上、富津市八幡に入る。山間部にあるのが医王山・円鏡寺(いおうざん・えんきょうじ)関東88ヵ所霊場第50番である。緑の木々に囲まれた境内はいたって地味な感じではあるが不動堂、ちよっと下って本堂(大日如来)がある。開創は不詳。住職は最近亡くなられ、不在と聞いたせいでもあろうか。
ここから約200メートル離れた像法寺(ぞうほうじ)の住職の息子さんが兼任していると聞いて、電話してそちらに向かいご朱印を頂く。ともに真言宗智山派、こちらは新上総国33観音霊場第16番札所であった。
タイトルはご詠歌から引用。写真をクリックすると拡大。

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2009年3月15日 (日)

海山の深きめぐみになむ不動

0903105 寺社集印=千葉・富津市

内房を東京湾沿いに北上、富津市竹岡の石洞山・不動院(せきどうざん・ふどういん)関東88ヵ所霊場・第51番をお参りする。
永仁二年(1294年)僧・願行がここ竹岡に巡礼し、たまたま夜光を発して海岸に漂着した霊木から不動明王を刻み、堂宇を建立,、お祀りしたのが開創とされる。
0903106 その後たび重なる戦火に見舞われるが、尊像は無事で本堂裏の一段高い山の中腹の竹林に囲まれた不動堂(写真左)に安置されている。
(写真上)入母屋造瓦葺、間口七間の本堂には阿弥陀如来を祀る。真言宗智山派のお寺である。
タイトルはご詠歌から引用。写真をクリックすると拡大。

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2009年3月14日 (土)

補陀洛はよそにはあらじ那古の寺

寺社集印=千葉・館山市

0903104 国道128号線に出て館山市に向かう。坂東33観音霊場めぐりの結願寺でもある補陀洛山・那古寺(ふだらくさん・なごじ)関東88ヵ所霊場第56番、二度目の参拝(2007年7月6日,記事7月24日号参照)である。前回は丁度観音堂改修工事中で、下の本坊にご本尊・千手観世音菩薩が移されており、近くで拝観できた。
参道の坂道を登ると珍しい「たぶのき」の大樹があった。仁王門を入ると左手の鐘楼、阿弥陀堂、多宝塔、それに入母屋造・瓦葺の本堂と続く(いずれも元禄16年の大震災後に再建されたものという)。
養老元年(717年)僧・行基の創建、慈覚大師が修行したというゆかりの寺とされている。後に真言密教の道場となり、里見氏が帰依したことから盛大を極めたという。
タイトルはご詠歌から引用。写真をクリックすると拡大。

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2009年3月13日 (金)

高倉山アカシヤ匂う花の寺

寺社集印=千葉・南房総市

0903103_2 国道410号線を海沿いに北上、128号線に至る手前、左手の山中に2㎞ほど入ると「真野の大黒さん」で親しまれている高倉山・真野寺(たかくらさん・まのじ)関東88ヵ所霊場第57番がある。
さすがに山中、駐車場の脇に見事なアカシアの大木が黄色い花をいっぱいにつけていた。今年は早く咲きはじめ、そろそろ終わりという。間もなくツツジ、アジサイなどが咲き乱れるという「花の寺」にふさわしい風情を漂わせていた。
本堂は高倉山を背に入母屋造・銅板葺き、ご本尊は慈覚大師ゆかりの千手観世音菩薩(覆面観音と称され、お姿は丑年と午年のお開帳にしか拝せないとか)と大黒天が祀られている。開創は神亀二年(725年)僧・行基によるとされている。
写真をクリックすると拡大。

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2009年3月12日 (木)

外房の海を見渡す大聖院

0903101 寺社集印
=千葉・南房総市

いよいよ関東36不動尊霊場巡りも終盤。今日は天気予報を信じて、外房・千倉に向かう。海と山に挟まれたせまい海浜の地・千倉に妙高山・大聖院(みょうこうざん・だいしょういん)関東36不動尊霊場第33番札所はある。真言宗智山派のお寺で、高塚不動と呼ばれている。ご本尊は不動明王(秘仏)。
0903102 本堂左手からストレートに不動堂への石段があり(写真左)上から千倉海岸が望めたが、写真は天気不良で失敗。また「奥の院」はさらに上と聞いた。
天平年間(729~766年)東大寺の初代別当・良弁僧正は、生き別れになっていた母に再会できたものの、すぐに亡くなられた。母の死を深く嘆いた僧正は、その報謝と追悼のため諸国修行の旅に出る。その途中にここ安房の国に至り、裏山頂上に一宇の堂を設けられた。これが開山とされている。
写真をクリックすると拡大。

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2008年12月28日 (日)

鬱蒼と森に包まれし古き宮

寺社集印=千葉・松戸市

082 第40代・景行天皇の時代、日本武尊の東征の折、吉備武彦、大伴武日の両軍と、この地で待ち合わせをした。そこで地名は「待つ処」⇒「待土」⇒「松戸」となったのだそうだ。
この松戸の市街地のほぼ中央部に松戸神社(まつどじんじゃ)がある。度重なる火災、震災ののち、現在の社殿は文久三年(1863年)に再建されたものという。その間、水戸家、北条氏、千葉家高城領主などの篤い崇敬を集めてきたという。
083 神苑3,500㎡の中には樹齢千年というご神木をはじめ、多くの樹木に包まれた、まさに鎮守の森である。さらに秋葉神社、水神社、三峰神社、稲荷神社、厳島神社、松尾神社、八坂神社、庚申社、浅間神社、金毘羅神社、八幡神社などが祀られ、何でもありの感じであった。写真下はご神木にギッシリ懸けられた絵馬。クリックすると拡大。

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2008年12月26日 (金)

苦難超え再建進む萬満寺

寺社集印=千葉・松戸市

080 国道6号線を東京方面に向かいJR馬橋駅入り口を右折して駅の手前を右に入ると法王山・萬満寺(ほうおうざん・まんまんじ)がある。建長八年(1256年)下総国守護職・千葉頼胤が良観上人を請じて「大日寺」を創建したのが始まりという、水戸街道きっての古刹とある。次いで関東管領足利氏満が康暦元年(1379年)古天周誓和尚を招いて堂宇を建立し、時の将軍足利義満の満と氏満の両満を取って「萬満寺」と改め、真言律宗から臨済宗に転じたのだそうだ。
081 戦国時代に太田道灌が持仏の阿弥陀如来を奉納して武運を祈願し、徳川時代には家康をはじめ歴代の将軍により朱印寺として栄えた。しかし明治41年汽車の煙火による火災で類焼、仁王門を除いてすべての堂塔を焼失した。また廃仏毀釈、農地解放で、寺領地の大半を失ったという。
現在の本堂は昭和62年に80年ぶりに完成、境内の整備もすすみ弁天堂、不動堂、山門、鐘楼と昔の面影を取り戻しつつあるそうだ。ご本尊の阿弥陀如来は藤原期の作で、木造の大仏像、両脇に観音・勢至の菩薩を配した、いわゆる阿弥陀三尊。また幾度かの火難をくぐり抜けた不動明王(鎌倉期の木造秀作)は中気除不動尊として有名である。

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2008年12月25日 (木)

本堂はしだれ桜に彩られ

寺社集印=千葉・松戸市

078 千葉県で最も歴史のある旧水戸街道小金宿は東漸寺を中心に形成されたといわれる。正式には仏法山・一乗院・東漸寺(ぶっぽうざん・いちじょういん・とうぜんじ)。浄土宗に帰依した徳川家康により関東十八檀林(僧侶の修業寺)に列せられた名刹。文明13年(1481年)創建とされる。広大な境内と多くの伽藍を擁した当山も、明治の廃仏毀釈によって荒廃、さらに経済基盤になっていた広大な寺有田も昭和の農地解放で失った。
079 しかし歴代住職の尽力、関東屈指の多くの文化財、境内古木・巨木の森が保存されて、復興の力になった。熱心な檀信徒の協力を得て昭和40年から開創五百年記念事業として本堂、鐘楼、中雀門、山門、総門、観音堂などの再建が成った。
樹齢三百年を誇る「しだれ桜」や「鶴亀の松」、参道の沿いの梅、アジサイ、モミジなど四季折々の自然に触れ、伝統美を感じることのできる寺として多数の参詣者を集めているという。
写真をクリックすると拡大になる。

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2008年12月24日 (水)

朗門の三長三本三聖人

寺社集印=千葉・松戸市

075 年末の墓参を済ませて、足を延ばし同じ松戸市にあるお寺を訪ねた。いったん国道6号線に出て北上、JR北小金駅北口入り口を左折、鉄道を跨いですぐ右に入るともう参道だ。日蓮宗本山である長谷山・本土寺(はせざん・ほんどじ)。松杉の大木に囲まれた参道5丁。丹塗の仁王門を抜けて境内に入ると右手に諸堂が連なる。一万坪と云われる浄域は起伏に富み、桜・楓の樹木、夏の菖蒲・紫陽花、水連が、まさに「東国花の寺」63番にふさわしい風情を漂わせていた。時季がわるかったが・・・・。
076 当山は、もと源氏の名門・平賀家の屋敷跡と伝えられ、建治3年(1277年)領主曽谷教信の協力で地蔵堂を移して法華堂とした。そして日蓮大聖人より「長谷山・本土寺」の寺号を授かったことが始まりという。池上の長栄山・本門寺、鎌倉の長興山・妙本寺とともに『朗門の三長三本』とよばれているそうだ。
077 度々の不受不施の法難と維新後の排仏運動によって衰退したが三聖人出生で再興された名刹であるという。「三聖人」とは平賀家の三兄弟で、長男である日朗聖人は師孝第一と讃えられ、法難つづきの伝道を日蓮と共にされた。また日像聖人は日蓮に次ぐ偉聖と崇められ、そして本門寺、妙本寺の大成者たる日輪聖人の三人である。

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2008年7月21日 (月)

さすがなり 法華経寺の 鬼子母神

寺社集印=千葉県市川市

三大鬼子母神の一つ、日蓮宗大本山・正中山法華経寺(ほけきょうじ)は京成中山駅の近くにある。鎌倉時代に日蓮上人が最初に開かれたお寺という。
0806_097 駐車場に近い本院・大客殿(左の写真)は平成九年に再建されたもので、地下一階地上一階延べ面積九百坪の立派なお堂である。この奥に日蓮上人「小松原法難」の際、一命を救われたという鬼子母神像が安置されている。爾来行者擁護の神として、さらに「中山の鬼子母神」として広く一般にも信仰されている。
0806_098 写真右が租師堂、大堂とも言われ、日蓮上人像を祀る。これも平成九年建立当時と同じ様式で復元されたもので、十八間四面、比翼入母屋造。
0806_099 左が刹堂。十羅刹女と鬼子母神を安置し、罪障消滅の霊場として参詣者で賑わっている。
このほか総門・仁王門に始まり五重塔、多くの伽藍、石像などが建ち並び、多くの国宝・重文が保存され、大本山の威容を示していた。
写真をクリックすると拡大

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2008年7月20日 (日)

伝え聞く 里の娘の 手児奈哀話

寺社集印=千葉県・市川市

八柱霊園(松戸市)でお盆の墓参りを済ませてから足を伸ばし、市川市の三寺社を訪ねた。
0806_092 最初は市川市真間、千葉商大の隣にある日蓮宗本山・真間山弘法寺(ままさん・ぐほうじ)。
0806_093 奈良時代の天平九年(737年)行基菩薩がこの地に立ち寄られ、里の娘「手児奈(てこな)哀話」を聞き、いたく心情を哀れに思われ、一宇を建て求法寺(ぐほうじ)と名付けた。それから100年ほど経った平安時代の弘仁13年(822年)弘法大師がおいでになり、求法寺に七堂伽藍を再建・追加され、寺名も現在の「弘法寺」と改称されたという。ご本尊は釈迦仏・四大菩薩と四大天王像(本殿)大黒堂には太刀大黒尊天が祀られている。
因みに「手児奈哀話」とはこの真間の里に手児奈という娘がおり、美貌がゆえに男たちがめとらんとして争った。心優しい彼女は、男たちが互いに争い傷つくのを厭い、真間の入り江に身を投げてしまったという物語。

0806_094 京成八幡駅の近くに下総の国・総鎮守葛飾八幡宮があった。御祭神は神功皇后、応神天皇、玉依姫命(たまよりひめのみこと)創建は平安朝の寛平年間(889~898年)宇多天皇の勅願により鎮座、以来歴朝の崇敬篤く、代々の国司・郡司をはじめ、広く住民の信仰をあつめ、葛飾文化、八幡信仰の中心となって今日に至っている。毎年九月のご例祭に広大な境内で催される農具市は関東一と称され、盛況を極めるという。

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2007年7月25日 (水)

一の宮二つ並んだ安房の国

029_1 寺社集印・千葉

那古から町中に入ると格式のあるお宮があったので参拝。鶴谷八幡宮。しかし社務所は留守でご朱印も縁起も貰えなかった。

写真右の御手洗山(みたらしやま)に鎮座する洲崎神社へ。120段もの石段には参った。しかし境内からの見晴らしはよかった。比較的新しい記録では江戸時代後期、房総の沿岸警備を巡視した奥州白川藩主老中松平定信が「安房国一宮洲崎大明神」の扁額を奉納したいう。

032 写真は官幣大社・安房国一之宮の安房神社。始まりは2660年も以前のものというから、気の遠くなるような話。神武天皇の勅命により天富命が阿波徳島の忌部一族を率いて、肥沃な土地を求め、海路黒潮に乗りこの地に到着。産業地域を広げた。開拓を終え祖先のご加護によるものと、祖父にあたる天太玉命を祀ったのが、このお宮という。

洲崎神社にも同じ記録があるという。いずれにしても古い神社二つである。

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2007年7月24日 (火)

補陀洛はよそにはあらじ那古の寺

33133 坂東33観音(33)

第33番 穂陀洛山・那古寺(ふだらくさん・なごじ)真言宗智山派・那古観音

昨年11月21日に発願杉本寺から始まりこの7月6日の結願那古寺まで、約8ヶ月の坂東33観音巡りが終わった。長かったようで、もう終わったかという感じも。
山の上の観音堂が現在改修工事中のため、ご本尊千手観音像が本堂に移されているということで、偶然とはいえ間近に拝むことが出来た(写真右上)。合掌。

33146 本堂右前に蘇鉄(そてつ)の大樹がある。幹は根本近くで12本に枝分かれしており、樹高6m、樹齢不明。囲石に「嘉永七年一力長五郎奉納」とあり力士が奉納したもののようである。見事なものである。

お蔭で無事に観音巡りが出来たので、早速長野の善光寺サン別所温泉町の北向き観音にお礼参りをせにゃならんと考えた。また那古寺を一番とする「安房国札観音霊場巡り」にも食指が動いている。まだまだ、いろいろあるものである。

註;①タイトルはご詠歌から引用。②写真をクリックすると拡大。

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2007年7月21日 (土)

でっかいよ常楽山の涅槃仏

023_2 寺社集印・千葉

房総半島南部・安房の国に入る。丸山町の長安山・石堂寺(天台宗)。今から千三百年前、奈良の僧恵命・恵照が秘宝アショカ王塔を護持して当地を訪れ、草庵を結んでこれを祀ったのが始まりという。古いお寺だ。写真右が本堂、合掌。

033_3 本堂、多宝塔(写真左)、薬師堂、旧尾形家住宅などが国指定重要文化財で、県指定有形文化財も多数あるという。例のアショカ王塔は勿論秘宝として、今も伝えているという。

025_2 天気を気にしながら館山市に入り洲宮の常楽山・満徳寺に登って驚いた。広い境内正面にドカンと雨ざらしの涅槃仏。体長16m、高さ4m(重量は30㌧)青銅製、世界最大だそうである。

026_1 履物を脱ぎ中央で合掌。ゆっくりと仏の台座の周りを三周。らせん状に道が作られていて、上段の足紋に達する(写真左)。そこで転法輪に触れてお願い事をする。

いよいよ33観音・満願の那古寺に向かう。
写真をクリックすると拡大。

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2007年7月20日 (金)

上人が勉学・修行の清澄寺

018_2 寺社集印=千葉

千光山 清澄寺(せんこうざん・せいちょうじ)は天台宗のお寺であったが度重なる火災と戦乱で衰退、江戸時代の初めには真言宗智山派が再興に尽力した。大正時代に日蓮宗との間に改宗の話し合いが始まり、昭和24年に改宗、宗門直轄の大本山として今日に至ったという。

019_2 さて、遡つて1233年に日蓮上人12歳でこの山に入り、勉学・修行に励み、16歳で得度、鎌倉、比叡山などに遊学、32歳でこの山に戻り、布教活動を始められたという。まさに上人を育てた山といえよう。写真右上=仁王門、左は閻魔堂。

021_2 鴨川市の郊外にある小松原山・鏡忍寺(日蓮宗)。日蓮上人がこの地で地頭の東条景信とその配下に襲われ、九死に一生を得たが、弟子鏡忍と工藤吉隆(妙隆院)を失った。吉隆の遺子は出家して上人の弟子となり、法難の17年目に一寺をこの地に建立し、殉教の鏡忍と父の両聖人を弔い、祖師と崇め、妙隆山・鏡忍寺と称した。祖師堂は現在改修中。写真をクリックすると拡大。

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2007年7月19日 (木)

日蓮にゆかりの深い興津・小湊

011_2 寺社集印=千葉

日蓮上人ゆかりの三寺のご紹介。写真右=勝浦市興津にある広栄山・妙覚寺。このお寺は興津の領主佐久間重貞公が寄進した釈迦堂を、日蓮上人が最初の法華経道場とし、妙覚寺と名付けたとされている。「十日間説法」の霊場。

013_2 写真左=鴨川市小湊にある両親閣・妙蓮寺。名の通り日蓮上人のご両親のお墓。孝道について「孝と申すは高なり、また孝は厚なり。聖賢の二類は孝の家より出たり。いかにいわんや仏法を学せん人、知恩報恩なかるべしや」(開目しょう)とある。

015_2 写真右下=国道を跨いで海側に入ると日蓮上人の誕生・貞応元年(1222年)生家の跡地に創建された誕生寺。

016_3 大本山 小湊・誕生寺が正式名称で、さすがに大本山の風格と威厳を感じる。広い境内の片隅に上人の少年像が建っている。

次回も日蓮上人関連二寺の紹介を予定。写真をクリックすると拡大。

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2007年7月18日 (水)

山海の産品集めた幸野山

005_3 寺社集印=千葉

いすみ市の三寺を訪ねる。まず苅谷の夷隅不動関東36不動の第34番)。当寺は正式には幸野山・宝勝院・聖王寺(さいのさん・ほうしょういん・しょうおうじ)という。夷隅地区は山海の産品の集散地であり、住むによいところの不動尊として知られているという。写真右上。

007_2 次に港に近い大原の波切不動関東36不動の第35番)。一寸小高いところに茅葺がひっそりと建つ。如何にも港町の「お不動さん」といった感じ(写真左)。

009_2 路地を隔ててお寺があったのでお参りした。浄土真宗の照願寺。この宗派はご朱印をいただけないかなと思いながら尋ねてみると、「印があるので、気に入ったものを好きなように押すように」いわれたので、頂いてきた。

次回は南下して勝浦・興津に向かう。
写真をクリックすると拡大

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2007年7月17日 (火)

濁るとも千尋の底は澄みにけり

33129 坂東33観音(32)

第三十二番 音羽山 清水寺(きよみずでら・清水観音)

外房海岸夷隅川の河口に位置するいすみ市岬町の少し内陸に入った鴨根の山間、あたりが京都の音羽山に似ているといわれるところに清水観音はある。坂の参道を行くが霊験所らしき雰囲気が漂う。

33130 銅柿葺き、重層入母屋造り、正面唐破風付きの仰ぎ見るような楼門、完成された建築美である(写真右上)。

門を入ると左手に奥の院、右手に百体観音堂(写真右下)、閻魔堂、石段を登ると観音堂(写真左)に鐘楼、実に整然とした伽藍配置である。

33131 八間四面,江戸期建築の粋を集めた立派なお堂。ご本尊は千手観世音。合掌。

うつし霊場」は西国、坂東、秩父の百観音巡礼の結願は庶民の夢で、その実現が難しかったため、この要求から生まれたのだろう。右の百体観音もいかに多くの人たちの願いに、こたえて来たことだろう。

註;①写真をクリックすると拡大。②タイトルはご詠歌から引用。

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2007年7月14日 (土)

驚いた長い名前の長福寿寺

003_2 寺社集印=千葉

前項の笠森寺と同じ長南町にある三途台・長福寿寺を訪ねる。桓武天皇の勅号が「三途河頭極楽東門蓮華台上阿弥陀坊太平埜山本実成院長福寿寺」(正式の読みは聞かなかった)と漢字28文字からなる日本一長いもの。

002_2 ご本尊は阿弥陀如来。合掌。ご朱印を頂きに裏手に廻るとバンガロー風の研修道場が数棟、それにテニスコートが何面か、とにかく変わった風情だ。写真左は「スモーク・ツリー」、中国、ヒマラヤが原産の「けむりの木」6月末から7月にかけて真っ白の花になるという。このときはもう一寸ピンクがかってきていた。

これに接して3千㎡の畑が続き、房総の古花である「べに花」を栽培している。
また、かつては房総三国の学問所で、立派な経藏があつたが、寛政の大火(1790年)で焼失した。その復興を目指し、二万冊余の蔵書をもつ「三途台文庫」がある。ユニークなお寺であつた。(次回はいづみ市に移動)

註:写真をクリックすると拡大。

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2007年7月13日 (金)

雨は降りかかる旅路を頼むかさもり

33125_1 坂東33観音(31)

第三十一番 大悲山 笠森寺(かさもりじ・笠森観音)

千葉中央部を東に横断する。長生郡長南町、樹齢数百年の杉や楠がそびえ、きわめて恵まれた自然環境だ。参道をだらだら100段もの石段を登る。途中に「子授けの楠」(写真右)が覆いかぶさるように立つ。

33126_1 参道を登りきり仁王門を入ると景観一変、すごいの一言。(写真左)有名な四方懸崖造りの本堂が空に向かって伸びている。

靴を脱ぎ七十余段を登ると本堂の回廊にでる。ここの高さは30m。ここからの眺望はまた見事である。真言宗・豊山派、ご本尊は十一面観音(七尺六寸の楠の木像だそうである)合掌。

33127 過去に一度焼失、現在のものは安土桃山時代の再建と記録にあるそうで、岩丘の上に縦横に架け組まれた束柱の配列は見事で、木匠の腕の冴えを見せられる。写真右は回廊から見下ろした境内。まさに古刹の風格が周辺一帯に漲っている。

註;①次に同じ長南町の長福寿寺を訪ねそこを紹介する。②タイトルはご詠歌から引用。③写真をクリックすると拡大。(つづく)

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2007年7月12日 (木)

はるばると登りて拝む高倉や

33121 坂東33観音(30)

第三十番 平野山 高蔵寺(こうぞうじ・高倉観音)

梅雨の合間を見て、33観音札所巡りの「満願」を目指して千葉に向かう。木更津北インターで降り、南へ一寸行くと樅や杉の巨木が生茂る小山がそれ。

33122 真言宗豊山派のお寺でご本尊は正観世音菩薩。合掌。

ここの本堂は(写真=右上と左)「構造は壮大にして古朴なる稀に見るべきもの」と評されているように、高床式の特異な建物のようだ。重層入母屋造り、床の高さは1.8m、床を支える柱の数は88本の堂々たるものである。享保年間(1716~36年)に大修理が行われたようだが、中世建築の面影を十分残している。
33123 ことに斧で削ったままのような一抱えもある十六角の柱に木匠たちの非凡な腕がうかがえる。

境内にお掃除小僧の小さな像があり、微笑ましいのでワンショット。重厚な趣のなかに、ほのぼのとした気分を十分に味わえた。「小僧さん、またね・・・、さようなら」

註;①タイトルはご詠歌を引用。②写真をクリッすると拡大。(つづく)

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2007年6月20日 (水)

茂左衛門ゆらいを聞けば涙あり

127 寺社集印の旅=群馬県・みなかみ町(2)

話題の千日堂・茂左衛門地蔵尊を訪ね、その由来を聞いた。写真右は千日堂。

およそ300年前、上州沼田領3万石の城主・真田伊賀守信直(さなだいがのかみのぶなお)は華美放漫の政治をしたため、藩の財政は窮乏、この立て直しのため、領民の苦境をも顧みず、寛文年間、再度にわたり約5倍もの増税をし、その上、凶作続きで困苦のどん底にある百姓に更なる諸税をかけ、滞納者には残酷な刑罰に処した。

128 この惨状を見かねて利根、吾妻、勢多177村の領民のために一命を捨てる覚悟で立ち上がったのが、月夜野の百姓茂左衛門であった。天和元年正月、領主の非行、領民の惨状をしたためた訴状を懐に、ひそかに江戸に上り、上野輪王寺宮から巧妙な方法で、直訴に成功。時の将軍(5代綱吉)は取調べの結果、罪状が明確として伊賀守は改易、沼田城は破却となった。

茂左衛門は本望を遂げたのを見届け、自首を決意して江戸に向かう途中で幕吏に捕らわれ、所成敗(ところせいばい)で天和2年11月5日、月夜野竹之下河原で処刑された。

領民はその死をいたみ、刑場あとに地蔵尊を建て、供養してその遺徳を偲んできたが、大正11年旧領地民をはじめ各地の篤志家の浄財により、茂左衛門を祀る現在の千日堂が建立されたのである。(月夜野町観光協会の文書より)

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2007年6月19日 (火)

みなかみの禅寺三つ訪ねけり

121 寺社集印の旅=群馬県・みなかみ町(1)

前回の関興寺にて紹介された「みなかみ町」の禅寺を訪ねる。水上インターで降り、まずは「たくみの里」近くの曹洞宗・泰寧寺へ。東国花の寺35番アジサイの寺のようだ。ご本尊は秋葉三尺坊大権現(静岡県袋井市秋葉総本殿より奉安)合掌。火防守護の霊場として広く信仰されているという。本堂脇に車を止めたため、拝見できなかったが当寺の山門は県重要文化財に指定されている。二階建てで文殊・普賢菩薩、迦葉・阿難の尊者を脇侍に、釈迦牟尼仏を中心に左右16羅漢像を安置しているという。

123 上越新幹線上毛高原駅西側、月夜野町、沼田市、それに赤城山、三峰山を一望できる高台にある。それが曹洞宗 大峰山 嶽林寺。明るい禅寺。ご本尊は釈迦如来。合掌。涅槃佛も気持ちよさそうである。次回紹介予定の義民・茂左衛門の菩提寺でもあるという。

125

さきの泰寧寺の本寺にあたる 参峰山 玉泉寺(曹洞宗・写真右)を訪ねる。周辺の道路は観光?でかなり整備されているように見かけた。ここでも義民・茂左衛門の話が出て、次回この由来を紹介する。つづく。

写真をクリックすると拡大。

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2007年6月15日 (金)

立ちいづる吾が行く末はいづくなるらん

33086_1 坂東33観音(29)

第十七番 出流山 満願寺 (いづるさん・出流観音)

栃木インターから北西へ15㎞ほど、石灰を積んだダンプが行き交う街道。左右に石灰石を掘り出した山肌が露出、これを加工する工場から噴出するホコリ・・・

やっと抜けると一変、写真右上の山門に達する。1735年の建立という雄大な構えである。

33087_1 左側には信徒会館やら建物が階段状に並列しており、写真左の本堂へと続く。ご本尊は千手観世音菩薩。合掌。6月9日紹介の中禅寺・立木観音の開基・勝道上人は、ここ出流山で修行された由。

33088 本堂右手から奥の院(観音霊窟)へ通ずる山道が始まるが、ご辞退。この山・剣ケ峰の中腹には七つの霊窟(鍾乳洞)があり、自然に造形された鍾乳石の現す容姿を観音として崇めるという。

帰途、左に変わった鐘楼があり(写真右)前面の池には噴水があり、大きな鯉がひしめき、水しぶきを上げていた。

写真をクリックすると拡大。タイトルはご詠歌から引用。

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2007年6月13日 (水)

名を聞くもめぐみ大谷の観世音

                          33083 坂東33観音(28)

第十九番 天開山 大谷寺(大谷観音)

宇都宮市内から西北西に約10㎞、東北道を潜り抜けて大谷地区に入る。大谷石の産地で採掘の跡が、見られるようになる。

33082 「内陣は山、外陣は御堂なり」と坂東霊場記にあるように、大谷石の山そのものを崇める自然崇拝からここの信仰が起こったという。

山門(写真右上)を入ると行く手をさえぎる高い岩壁、これをくりぬいて建てられた御堂(写真左上)、まさに「石の寺」である。

本堂には像高4.5mのご本尊、千手観世音菩薩が岩面に彫り込まれており、放射状に四十二本の御手が美しい律動感をもって配されている。合掌。続く脇堂には釈迦、薬師、阿弥陀の三尊が同じく彫り込まれている。合掌。

33085_1 お寺から出て大きな背中を見せる石像。左から廻ると昭和31年に造られたという、これまた大谷石の像高27mの観音像。太平洋戦争の殉難者の慰霊と平和祈念のために建てられた。合掌。

写真をクリックすると拡大。タイトルはご詠歌から引用。

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2007年6月12日 (火)

ふたあらやま日光と違う宇都宮

104 寺社集印の旅=栃木・宇都宮

日光湯元温泉から下山途中、「いろは坂」下りラインに入る一寸前、華厳の瀧に寄らずに通過する手はあるまい。相変わらずの迫力だった。

106 高速を使って宇都宮へ。宇都宮二荒山(ふたあらやま)神社。日光のそれとは全然別の神様で、下野国一之宮・国幣中社・名神大社とあり、由緒ただしい総氏神様として信仰を集めているという。

105 JR宇都宮駅から来る大通りに面して大鳥居があり、石段をかなり登る。正面が馬場通りの起点。裏は県庁通りを背負って、官庁街があり、まさに宇都宮の政治、経済の中心地にある。

これから坂東33観音第十九番大谷寺(大谷町)、第十七番満願寺(栃木市)とお参りして帰京する。ともに関東きっての名刹と聞いており、二回に分けて紹介する予定。

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2007年6月10日 (日)

中宮詞男体山への登り口

102 寺社集印の旅=栃木(中禅寺湖)

立木観音から湖を迂回する格好で日光二荒山神社中宮詞に参拝。

099 ここも石段を登り、丁度男体山を背負う格好の高台にあり、眺望はいいはずだが、天気が悪かったので、湖面も空も白く飛んでしまった。

100 左はここのご朱印。(中宮詞の「し」は「ネへん」なのだが活字見当たらず、「言べん」を使う)。右はここを登山口として頂上を目指し、日光二荒山神社奥宮で頂くのが本来だが、神主さんも居られぬ由、便宜上頂いた。

101 左も同様、湯元温泉の温泉神社のご朱印もここで頂く。何とか元気に「寺社集印の旅」を続けられるよう、まずは健康を祈念して、今夜は日光湯元温泉に泊まる事とする。

103 途中、「竜頭の瀧」でカメラ・ストップしたが、これまた天候不良で、新緑の美しさは撮れなかった。梅雨前でままならない。通りすがりで、いいものと撮ろうというのがおこがましいか?「戦場ヶ原」は止まらず通過。

写真をクリックすると拡大。期待薄だが・・・。

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2007年6月 9日 (土)

みずうみの歌ケ浜辺にたつは白波

33078 坂東33観音(27)

第十八番 日光山 中禅寺 (立木観音)

「いろは坂」の上りルートを一気に登って中禅寺湖畔に。湖に沿って左手に進むと山の中腹に突き出た朱色の本堂が見えてくる。

33081 ご本尊は立木千手観世音菩薩。合掌。開基勝道上人が中禅寺湖を周遊された折(延暦三年・784春)湖上に千手観音の尊容を感見され、桂の巨木を選び、立木のまま6mもの尊像を刻まれたのがご本尊といわれる。

33079 中禅寺湖は海抜1,300mの高地にあり、それまで馬返し、いろは坂、華厳の瀧と大変な難所で知られ、しかもこの霊場は女人禁制、女性は「いろは坂」の途中にあった「女人堂」から遥拝したものだという。

33080 本堂からの眺めは山と湖、四季折々、まさに絶景であろう。当日は曇りでいい写真が撮れなかった。辛うじて男体山の頂が雲間から、うかがえる時がある程度。

次回はここから来た道を戻り、湖の右側対岸の日光二荒山神社中宮詞に向かう。写真をクリックすると拡大。タイトルはご詠歌から引用。

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2007年6月 8日 (金)

広いぜよ世界遺産の二社一寺

095_2 寺社集印の旅=栃木(日光)

世界遺産「日光の寺社」を、指定後、初めて訪ねる。

091 日光市の山内地区にある下野国一の宮・国幣中社=日光二荒山神社(ふたらさん)写真右、別格官幣社=日光東照宮(写真右下2枚)の二社と輪王寺の一寺、103棟の建造物群と、これを取り巻く「遺跡(文化的景観)」が指定の理由だそうである。

097因みに建物の内訳は国宝9棟重要文化財94棟という膨大なもの。

092 まず日光二荒山神社(写真右上)の本殿・拝殿、別宮・本宮神社、別宮・瀧尾神社が国宝、別社・大国殿など重要文化財が多数ある。写真左上から二荒山神社、日光の原点=本宮神社、日光の聖地=瀧尾神社、幸運を招く=日光大国殿のご朱印を頂いた。

098_1

日光東照宮。写真右中が石鳥居、下が表門のはずである。

093 本殿・石の間・拝殿、正面・背面の唐門、東西の透塀(すきべい)、陽明門、それに東西の回廊が国宝と、これまた大変なもの。ちなみに登録遺産の面積は50ha,緩衡地帯面積373ha,合計423haという広さ(伊勢神宮に次ぐ全国二位)だそうである。

096 とてもとても、この紙面では紹介できるものではないので、ほどほどにして「いろは坂」を登ることにする。

094 なお、写真右は日光東照宮の一枚だけ、ご朱印をいただいた。次は坂東33観音 第十八番 日光山・中禅寺を訪ねる。

写真をクリックすると拡大になります。

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2007年5月28日 (月)

水沢に深き願いをうるぞうれしき

33074 坂東33観音(26)

第十六番 五徳山 水澤寺 (水沢観音)

33075 道路から正面に堂々たる仁王門(写真右)約百段の石段を登ると広い境内正面に本堂。元禄から天明(1688-1789)にかけ年々改築を加えたものという。朱塗りのお堂は見事なもの(写真左)ご本尊は千手観世音菩薩。合掌。

33076 右手に六地蔵尊をお祭りする六角堂(写真左下)それにつづいて十二支の守り本尊石像が並んでいる。33077_1

広い駐車場のほうへ進むと、新築平屋建ての釈迦堂(写真右)入り口から右奥正面に釈迦三尊像、裏手に坂東33観音木像、右手にいろいろな仏像、まさに大変な数の仏像と掛け軸などで、質・量ともに見事なものだ。

057 056 ご朱印は左が六地蔵尊と右が釈迦三尊で、ご本尊とは別々に頂いた。

タイトルはご詠歌から引用。

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2007年5月27日 (日)

白岩に祈る心は頼もしき

33071 坂東33観音(25)

第十五番 白岩山 長谷寺 (白岩観音)

33072 高崎から榛名湖へ向かう[高浜」の信号を右に入り山道を登ると、整備された駐車場が道の右側にある。

33073 道路に面して長方形に裏山を切り取った格好。仁王門からストレートに境内が本堂に通じる(写真右上)。左側に大きな不動明王像(写真右下)が輝いている。あまりオープンで山寺の風格は感じられない。また右側に二階建ての寺務所を新築中で、これまた境内の美観を損ないかねない??

本堂は武田信玄の息子・勝頼が天正八年(1580)に再建したものだそうで、唐破風の見事なもの。ご本尊は十一面観世音菩薩、美術史家が賞賛する名作という。合掌。

タイトルはご詠歌から引用。

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2007年5月26日 (土)

花の寺朝日に輝く五重塔

070 寺社集印の旅=群馬(2)

066 伊香保町から東国花の寺34番 船尾山・柳沢寺<北群馬郡榛東村>を訪ねる。榛名山の山懐に抱かれた静かなお寺。平成10年に完成の新しい五重塔が眩しいほどだ。反面、本堂はしっとりしている。ご本尊は千手観音。合掌。

067 062 上州七福神のうち毘沙門天もおまつりしている。

富岡市に移動。275段という大変な石段を登る妙義神社<富岡市妙義町>。上毛三山(赤城、榛名、妙義)の一つだけに山岳神社にふさわしい。黒塗りの社殿(重要文化財)も有名という。

068 次に上野国一の宮として崇高を集めている一之宮貫前神社(ぬきさき)<富岡市一之宮>を参拝。

058 こちらは総門(道路に面したレベル)から石段を降りて楼門、本殿に至るという、めずらしい形式のお宮であった。

059 次回から坂東33観音第十五番 白岩山・長谷寺、第十六番 五徳山・水澤寺へとつづく。

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2007年5月25日 (金)

榛名山百年杉を抱えこみ

063 寺社集印の旅=群馬(1)

早朝車で出発、関越道を高崎まで。まず坂東33観音第十五番長谷寺(別のカテゴリイで27日投稿予定)から榛名神社<高崎市榛名山町>へと走る。

054 ダラダラ坂を登ること20分、所々の説明板、等身大の七福神像を眺めながらである。杉の大木、大岩など、すばらしい景観とおいしい空気を満喫した。064 写真右上は本殿、下は双龍門、左は御朱印と坂の一番上にあった大黒さん。

榛名湖を左に見て30曲りの坂を下りて伊香保神社<渋川市伊香保町>へ。本来なら下の温泉街から500段の参道を登るのが名物だそうだが、横着をして山の上の裏側を教えられ、車を停めてサイドから本殿に回り込んで参拝。ご利益半減か?

065 社務所は不在、下の鳥居の脇の商店を訪ねたところ偶然にそのお店で預かっていた。

055 安堵して御朱印の紙を頂いてきた。写真右下。坂の町伊香保の温泉街を抜けて坂東33観音第十六番水澤寺に向かう。(別のカテゴリイに28日投稿予定)

(旅はつづく)

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2007年5月19日 (土)

詣りきて仏のひかり山も輝く

33067_1 坂東33観音(24)

第二十一番 八溝山 日輪寺 (やみぞさん・にちりんじ)

八溝山の山頂にある八溝嶺神社から一寸下ったところに(写真右)日輪寺がある。「八溝知らずの偽坂東」といわれ、山に登らず下の遥拝所で済ませるという不届者がいるほど札所一番の難所といわれる。

33069_2 33070_1境内でひと際目に付くお地蔵さんがあるが(四国巡礼講の記念らしいが・・・)その裏側にご覧の小さなお地蔵さんの隊列が、しかも左右にあり、面白かった。

33068 写真左下は白馬像と弁天さんの石像。これも印象的だった。

これで茨城・栃木の予定は終わり、帰途は栃木側の太田原市に降りて、矢板ICから東北道を使った。

タイトルはご詠歌から引用。                                               

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2007年5月18日 (金)

袋田は今も変わらず落ち続け

022_2 茨城の坂東33観音・集印の旅

今回は常陸太田市から、「坂東33観音めぐり」のうち最北にある大子町・八溝山(やみぞさん)に向かう途中の道草。

写真左上=強風の中、まず「竜神大つり橋」に寄った。(4月末のこと)時期が遅れたが、竜神峡をはさんで「こいのぼり」を流す準備中。

023_1 写真右=袋田の滝。30年ぶりの訪問で、周囲の変化に驚いた。すっかり観光スポットに変身している。だが、滝は昔と変わらず、今も落ちていた。

024_1 写真左=頂上の案内板。お天気を気にしながら茨城・栃木・福島三県の境にある八溝山に登る。細く、カーブの多い道で、しかも上に行くと雪さえ積もっていた。

025_1 写真左下=頂上(1020m)にあるお城の天守閣もどきの展望台。風は冷たく展望どころか、ちよっと下にある目指す日輪寺に逃げ込んだ。建物の廻りには薄っすら雪がある。(明日につづく)。

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2007年5月11日 (金)

ひとふしに千代をこめたる佐竹寺

33062 坂東33観音(23)

第二十二番 妙福山 佐竹寺(北向観音)

お天気を気にしながら常陸太田市に向かう。天神林の台地にある佐竹寺門前につく。写真右。佐竹城の鬼門除けとして建立され「北向観音」とよばれる。

                   写真左の33063 本堂は単層「もこし付」寄棟造り、唐破風の見事な建物なんだそうだが、佐竹氏の秋田移封により、衰えは否めないか。建物の傷みがひどい。

ご本尊は十一面観世音菩薩。合掌。本堂正面の木柵の前、左右に分かれて、小さなお地蔵さん(身長20㎝ほどか?)が横一列に並んでいる。微笑ましく、可愛らしいかった。33065タイトルは御詠歌から引用。 33064                                    

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2007年5月 4日 (金)

佐白山たえなる法やひびく松風

33059 坂東33観音(22)

第二十三番 佐白山 観世音寺(さはくかんのん)

笠間市に戻り笠間城址(現・つつじ公園)内に「佐白観音堂」の石柱が目に入る(写真左上)。ツツジには一寸時期が早かったようだ。33060_1

ご本尊は、鎌倉時代初期の秀作といわれる十一面千手観世音菩薩。また両脇の不動・毘沙門の侍尊は室町時代初期の作といわれる(写真右が本堂)。合掌。33061境内の左手に(写真左下)法師像に並んで大きな馬頭尊が目立った。

静かなひとときを過ごした。因みに観世音寺の入り口に並んで「そば屋さん」その先に日動美術館があった。美術鑑賞などいかが・・・。タイトルはご詠歌から引用。

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2007年4月27日 (金)

へだてなき誓をたれも仰ぐべし

33055 坂東33観音(21)

第二十四番 雨引山 楽法寺(雨引観音)

再度、茨城県・桜川市に入り、筑波連峰の端を占める雨引山の中腹にある真壁城址の黒門へ。ここが当寺の入り口(写真右上)。

33056 黒門から表参道の145段の石段と左右の景観は[山寺」としての、まさに絶景である。また仁王門を抜けると(写真左)左手に展開する大石垣は、やはり城址の名残。中央に[宿かり椎」といわれる大古木が見える。

33057 観音堂(写真右)は入母屋造り、本瓦葺の大伽藍である。ご本尊は木彫一木造り、像高170㎝の延命観世音菩薩・合掌。

33058 観音堂の左手、本堂をはさんで、安産の効験あらたかといわれる三重の塔がある。境内、その周辺は「関東の吉野」と言われるほどの、桜の名所とのこと。また孔雀が多く放し飼いにされていた。

タイトルはご詠歌から引用。

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2007年4月20日 (金)

尋ぬればついのすみかは西とこそ聞け

33051_1 坂東33観音(20)

第二十番 獨鈷山 西明寺(どっこさん・さいみょうじ)

常磐道・北関東道を経由して友部ICを降り、笠間を抜け、栃木県に入り、益子の自然公園に向かう。ここは高舘山の中腹。写真左の参道石段(80段)の左右を暖地性常緑広葉樹林が覆い、椎(シイ)の巨木が森厳さを加える。

33052_1 ご本尊は十一面観世音菩薩・合掌。写真右が本堂。

33053_1 本堂から境内を振り返ると(写真左下)今入ってきた茅葺入母屋造り重層の楼門、その右手に美しい銅板堅葺きの三重の塔、手前にこれまた茅葺の鐘楼と、それほど広くない境内だが、実に穏やかな風情をかもし出している。

33054 写真右下は本堂左手にある閻魔堂の「笑いのエンマ様」。何とも不気味な感じがした。これは見ない方がよかった。タイトルはご詠歌から引用。

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2007年4月13日 (金)

千葉寺へ詣でるわが身たのもしや

33049 坂東33観音(19)

第二十九番 海上山 千葉寺 (せんようじ)

京葉道・松ヶ丘インターを出て大網街道を右折、しばらく行くと街道沿いの右側一角に、広い境内を持つ千葉寺(せんようじ)がある。その象徴である大銀杏が目立つ。写真右=根回し15メートルはあろうかという老樹である。

33050 ご本尊は十一面観世音菩薩。合掌。地理的に江戸、房総、東金、大多喜、佐倉の諸街道の集合地として、おおいに賑わったことが想像できる。千葉笑いの奇習、千葉の戻り鐘の奇譚などが寺史を彩っている。タイトルはご詠歌から引用。

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2007年4月 7日 (土)

飯沼に聞くもならはぬ波の音

33047 坂東33観音(18)

第二十七番 飯沼山 円福寺 (飯沼観音)

「銚子の観音さん」として知られる円福寺は利根川の河口、関東第一の漁港として賑わう銚子市の中心に位置し、この市街はその門前町として発展したという。写真左下は大通りの交差点に面した仁王門。

33048 写真右上=ご本尊は十一面観世音菩薩。五百余坪の境内の中心に「大仏さん」、その奥が観音堂。合掌。

昭和46年に衆庶の信助、総工費二億円によって仁王門とともに再建されたものというからすごい。いずれにしても立派なものではある。タイトルはご詠歌から引用。

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2007年3月30日 (金)

朝日ケ渕あみ衣にて救うなり

33045 坂東33観音(17)

第二十八番 滑河山 龍正院 (りゅうしょういん・滑河観音)

成田の北東に位置する下総町。古くは利根川の水運で栄えた。その滑河に広大な境内を持つ龍正院。ここでは何といっても火伏の仁王尊(写真右)。カヤ葺き、寄棟造、八脚四柱の仁王門はドッシリ構え、火災をまぬがれた下の集落の人々によって「注連飾」が奉納されている。

33046 ご本尊は十一面観世音菩薩。合掌。朱塗り方五間、入母屋造りの観音堂は、もちろん天台宗門の古刹にふさわしい、立派なものである(写真左)。利根川近くの平地であるため、境内にはすがすがしい風が吹き抜けている。タイトルはご詠歌から引用。

ごあいさつ:昨年10月1日にこのBLOGを立ち上げ、今月で丁度半年、82稿を続けることが出来ました。これひとえに皆様のご支援と心から御礼申上げます。一つの区切りとはいえ、通過点に過ぎません。今後とも倍旧のご意見、ご指導を賜りたく、お願い申上げます。

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2007年3月23日 (金)

わが心今より後は濁らじな

33043_1 坂東33観音(16)

第二十六番 南明山 清瀧寺 (きよたきじ)

筑波山をおり125号線をバックする。小田十字路を左折してしばらくして、二本松の信号を直進、一寸した集落を抜けると札所の石標、石段がみえる。その上に天保年間に(1830年)建てられたという仁王門(写真右上)。

33044 ご本尊は聖観世音菩薩。合掌。筑波山の東に位置する鄙びた佇まいだ。それも昭和44年に不審火により、山門を除き消失したのだという。小野集落を中心とする信徒がたの尽力で再建されたのだという。老人会有志が納経所奉仕をなさっている。合掌。

タイトルはご詠歌から引用。

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2007年3月16日 (金)

大御堂かねは筑波の峯に立て

33040 坂東33観音(15)

第二十五番 筑波山 大御堂 (おおみどう)

常磐道土浦北ICをおり、国道125号線で下妻方面へ。北条交差点を右折、筑波山神社の鳥居をくぐり、A旅館の前を斜め左に登った道の左手が写真右の鐘楼。その左奥が本堂。

33041 ご本尊は千手観世音菩薩。合掌。筑波山の中腹に位置し、山に抱かれたように立つ。境内の左手にひと際目立つのが、[筆の石碑」。曰くは写真を拡大してご覧あれ。(クリックして下さい)タイトルはご詠歌から引用。33042_1

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