2009年12月13日 (日)

雲割れて小春日和の師走かな

寺社集印=栃木・足利市

119 関東88ヵ所霊場巡拝は群馬県(発心道場1~15番)から栃木県(修業道場16~30番)へと進む。
足利市郊外の
青蓮山・宝性寺(ほうじょうじ)関東88ヵ所霊場第17番、通称堀込薬師。ご本尊は十一面観世音菩薩、八間四面入母屋造瓦葺のがっちりした本堂に奉安されている。開山は文永四年(1267年)現在地には天明三年(1783年)僧・栄範の時に移ったとされる。真言宗豊山派のお寺。
本堂左手前に薬師寺があり、ここから「堀込の薬師さん」で知られ、またこのお寺には八木節宗本家の初代・堀込源太の墓があり、隣接する八木宿から八木節と名付けられたという。

120 足利市の中心部に「足利の大日さま」で親しまれる金剛山・鑁那寺(ばんなじ)関東88ヵ所霊場第16番がある。隣が最古の学校跡「足利学校」。寺域は四万㎡、足利氏の居館跡で、四周は堀と土塁に囲まれ、南側の反り橋奥に建久七年(1196年)建立の楼門、正面には文治五年(1189年)建立の大日堂(十間四面入母屋造)がある。ご本尊は大日如来(胎蔵界)真言宗大日派の本山である。
現在は瓦の葺き替え工事の最中で、境内は何かとごたごたしていた。
(写真は霊場会公式ホームページから引用)

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2009年12月12日 (土)

やきもちに「焼餅」供えよ地蔵尊

寺社集印=栃木・館林市

108 太田市の四寺を巡拝後、館林市に入る。
宝塔山・観性寺(かんしょうじ)関東88ヵ所霊場第14番。赤門を入ると平成八年に新築された本堂(入母屋造り、瓦葺)がある。左手に婦人病に効験のある「山王権現堂」、右手に目の薬師の「薬師堂」がある。ご本尊は大日如来、如意輪観音、それに不動明王。
当寺は時代の流れのなかで、廃寺・統合を繰り返されるが、明治末期に観音寺と自性院が合併して「感性寺」になったという。観音寺は天正四年(1576年)僧・弘喜の創建になる。一方、自性院の由来は不明。ただ合併の時に現在の赤門(仁王門)と薬師堂が自性院から移築されたものという。真言宗豊山派のお寺。

109 次に「住職は不在かも・・・」と聞かされて館林市郊外の田園地帯に光明山・常楽寺(じょうらくじ)関東88ヵ所霊場第15番に向かう。住職は闘病中で病院通いとのこと。
宝暦四年(1754年)再建の間口12間の本堂、ご本尊は不動明王。社伝によると開山は僧・行基、弘安三年(1280年)僧・宥尊が開基して以来、法灯が維持され現住職で40世を数えるという。やはり不在で、幼稚園の園長さんからご朱印をいただく。
境内に地蔵菩薩の立像があり、通称「やきもち地蔵」台座に延命経が刻まれ、男女の「やきもち」を解消するという。願いが叶うと餅を焼いて、お礼詣りにお供えする習慣があるそうだ。
(写真は霊場会公式ホームページから引用)

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2009年12月 7日 (月)

太田市に霊場四つ際立てり

寺社集印=群馬、太田市

106 前回の十輪寺からここまでわずか15㎞ほどの近さ。米珠山・吉祥寺(きちじょうじ)関東88ヵ所霊場第12番。ご本尊は不動明王、元録時代(1700年ころ)仏師・法橋運良の作といわれる。飛地境内の観音堂には聖徳太子の作と伝える馬頭観音像が奉安されているという。
寺伝によると鎌倉中期(1275年ころ)僧・叡範の開山、安永年間(1775年ころ)僧・祐意の中興とある。
現在の本堂は朱塗りコンクリート造、平成二年に再建されたもの。高野山真言宗のお寺。
107
如意山・教王寺(きょうおうじ)関東88ヵ所霊場第13番。ご本尊は如意輪観世音菩薩(僧・行基の作と伝えられる)。僧・良賢が祈願所として草創、新田氏の子孫、金山城主・横瀬宗悦国繁が開基とされている。

(写真は霊場会公式ホームページより引用)

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2009年12月 6日 (日)

日替わりの晴天日和寺詣り

寺社集印=群馬・太田市

104 日替わり天気の晴日を利用して群馬県太田市に向かう。関東88ヵ所霊場巡拝はほぼ半年ぶり。
まず
医王山・長明寺(ちょうみょうじ)関東88ヵ所霊場第六番。
足尾と深谷を結ぶ「銅街道」と呼ばれたこの地域は水田と畑作地帯であるが、新田義貞ゆかりの地。ご本尊は大日如来と薬師如来、明治13年の災火を免れたという。
寺伝によると永禄三年(1560年)僧・重圓により開創、長福寺と称した。その後昭和28年に明源寺と合併し現在の「長明寺」になった。
現在のお堂は平成四年に再建された間口七間の入母屋造り瓦葺の重厚なもの。高野真言宗のお寺である。

105 延命山・十輪寺(じゅうりんじ)関東88ヵ所霊場第11番、高野真言宗のお寺。
ご本尊は愛染明王と延命地蔵菩薩。開山は新田政義の弟、僧・覚義、八幡宮の別当も務めたようだ。ここも度重なる災火にあって、本堂は昭和53年に再建されたもの。関東霊場の開創を記念して二間四面、宝形造り、銅板葺きの大師堂も建てられた。

(写真は霊場会公式ホームより引用)

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2009年11月26日 (木)

でっかくて極彩色の妙見様

寺社集印=千葉市

011 千葉神社の主祭神は天之御中主大神(アメノミナカヌシノオオカミ・妙見さま)、天の中央を定位(じょうい)とし全宇宙の諸星諸神を掌握した尊貴なる北辰、すなわち北極星と北斗七星の神霊であるとされている。千葉常重が大治元年(1126年)千葉城より現在地に移し、妙見様の本宮として深い尊崇を集めて来た。
上の写真は我が国初の重層社殿で、平成二年に造営された鉄筋コンクリート造二階建。二階拝殿を「北斗殿」、一階拝殿を「金剛殿」と称される。

010 左の写真は左右に月天楼(光輝柱)と日天楼(陽明柱)を開いた中心部の尊星殿。妙見様が掌握する日月星の三光のそれぞれの役割を中央に八角形に配された八つの宮(福徳殿)と、左右の楼が担っているのだそうだ。(由緒から)
いずれにしろ朱色と金色とが配された眩いばかりの極彩色に彩られた巨大構造物は、異様な雰囲気を醸し出していた。その中に着飾った七五三のお参りが何組か吸い込まれていく
。(写真をクリックすると拡大)

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2009年11月25日 (水)

大イチョウ欅造りの鎮守さま

008 寺社集印=千葉市

次に登渡神社(とわたりじんじゃ)通称;登戸神社(のぶとじんじゃ・千葉市中央区登戸3-3-8)を参拝。
正保元年(1644年)千葉家の遺族が祖先を供養するため千葉妙見寺(現在の千葉神社)の末寺として妙見大菩薩を奉斉したのが始まりという。御祭神はアメノミナカヌシノカミ、タカミムスビノカミ、カミムスビノカミの造化三神、それにアメノヒワシノカミの四柱といわれるが不詳。
009 当神社の氏子崇敬者が千葉市西部に及ぶことから西千葉総鎮守と広く尊崇されているという。そういわれればご神木の大イチョウを始め木々に覆われた、まさに鎮守さまで、本殿は総欅造り、銅板瓦葺屋根、四間四方の伽藍構造、昭和六年(1931年)の大修理を経て現在に至っている。(千葉市文化財に指定されている)

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2009年11月24日 (火)

新婚は小春日和に日傘さし

006 寺社集印=千葉市

久しぶりのお天気で、野暮用もあり、京葉道路を千葉に向かって車を走らせる。松が丘インターで降りて市内に入る。祭日とあってかなりの混みよう。それにマラソンとぶつかったようだ。
007
千葉県護国神社(中央区弁天3-16-1)。幕末の嘉永6年(1853年)以降約一世紀に亘り、ひたすら「国安かれ」と、その尊い命を捧げられた千葉県民の方々をお祀りしてある。軍人のみならず従軍看護婦、児童・生徒に至るまで、身分、勲階、男女の区別なく、祖国に殉ぜられた尊いみ霊として祀られ、その数は現在五万七千余柱に及ぶという。現在の社殿は平成七年に創立115年を記念して大修復された鉄筋コンクリート造。綺麗過ぎて味気ない感じはする。
さて昨日は小春日和の勤労感謝の日。新婚のカップルが数組、境内で記念写真の撮影をしていた。(
写真をクリックすると拡大

お知らせ;このブログは本号で三年余で900号を数えました。ありがとうございました。

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2009年9月 4日 (金)

関東の総守護神の磯前社

寺社集印=茨城・水戸市、大洗町

08003 水戸から国道51号線を大洗方面に700mほど、右手の台地に佛国山・寶蔵寺(ほうぞうじ)関東88ヵ所霊場第33番がある。参道石段を登り山門を入ると入母屋造瓦葺、七間四面の豪壮な本堂、広い境内には大師堂、客殿、庫裏、地蔵堂、薬師堂など、別格本山の風格が漂っている。文明二年(1470年)僧・賢禅の開基、元禄年間(1688~1704年)中興されたと伝えられている。ご本尊は大日如来、高野山真言宗のお寺である。

08004大洗町旅館街の正面高台に大洗磯前神社(おおあらいいそまえじんじゃ・旧国幣中社)があり、航海の安全を祈願する。御祭神は大国主命、関東一円の総守護神として鎮座されている。水戸藩主徳川光圀公により元禄三年に造営されたものが、現存しているという。本殿からは眼下に太平洋が展開している。壮大な風景である。

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2009年9月 3日 (木)

俗世から隔離されたる二霊場

寺社集印=茨城・城里町、常陸太田市

08001 第三次北海道の旅は大洗港から商船三井フェリーで苫小牧に渡る計画を立て、出航が夕方6時30分とあって、その前に茨城の霊場を回ってということにした。
常磐高速からまづ旧・桂村にある
高根山・大山寺(たいさんじ)関東88ヵ所霊場第31番を訪ねる。長禄元年(1457年)建立の山門を入ると、正面に本堂がある。開創は弘仁元年(810年)弘法大師によるとされ、ご本尊は大日如来、真言宗豊山派のお寺であった。

08002そこから 東に当たる旧・金砂郷町の五佛山・鏡徳寺(きょうとくじ)関東88ヵ所霊場第32番に向かう。上利員の集落より老木の生い茂る参道を登りつめると昭和9年に改造されたという重厚な本堂(入母屋造瓦葺、唐破風付向拝)がある。まさに俗界から隔離された閑寂境といえる。大同年間(806~810年)慈覚大師の開創、ご本尊は十一面観世音菩薩、真言宗智山派のお寺である。
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2009年6月27日 (土)

わたらせを渡る旅人仰ぎ見る

寺社集印=群馬・桐生市

6113 大間々から国道122号線を南下して「絹織物の町・桐生」に入る。絹織物は淳仁天皇(758~63年)の頃からの歴史を伝えるという。
慈丸山・聖眼寺(しょうげんじ)関東88ヵ所霊場第九番を訪ねる。周囲は樹齢200年を超える高野槇をはじめ古木繁茂し、落ち着いた雰囲気。
寺伝によると大永年間(1521~28年)の開創、戦火、災火を繰り返して、現在の本堂は昭和40年に再建されたものという。ご本尊は大日如来、高野山真言宗のお寺。

6114 今日の最後は桐生の繁華街を過ぎて3㎞ほど南の諏訪山・観音院(かんのんいん)関東88ヵ所霊場第十番である。日限地蔵尊の名で呼ばれている。
本堂は寄棟造本瓦葺、間口6間半、ご本尊は聖観世音菩薩、江戸時代の作と伝えられ秘仏になっている。
本堂左手前には日限地蔵尊を祀る地蔵堂があり、香煙が立ちこめ参拝者が絶えないという。真言宗豊山派のお寺である。

タイトルは聖眼寺のご詠歌から。写真をクリックすると拡大。

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