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2013年5月31日 (金)

那須33所観音のご朱印

那須33所観音第9~12番

09 第9番 揚源寺(ようげんじ)
那須郡那須町芦野2901
TEL 028-774-0548
参拝 2013年4月22日
記事 2013年5月27日

10
第10番 与楽寺(よらくじ)
那須町寄居1083
TEL 028-774-0529
参拝 2013年4月22日
記事 2013年5月28日

11 第11番 長久寺(ちょうきゅうじ)
那須町豊原丙2204
TEL 028-772-6097
参拝 2013年4月23日
記事 2013年5月29日

12 第12番 楽寺(ちょうらくじ)
那須町寺子丙1404
TEL 028-772-1089
参拝 2013年4月23日
記事 2013年5月30日

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2013年5月30日 (木)

疱瘡神と 一緒に鎮守 長楽寺

33_1201 那須33所観音
第12番 小島山・長楽寺
       (ちょうらくじ)

寛永7年に羽黒明王寺の末寺とし、ご本尊薬師如来を暁祥和尚が創建したと伝えられるが、確たる文書記録はない。

33_1202 また裏山に鳥居が山門と並びたち、登り口に仁王の石立像がある。疱瘡神を鎮守と祀った神社があるそうで、黒羽藩の庇護が厚かったようだ。

札所本尊は准低観音、真言宗智山派のお寺。

33_1204_2 当寺には地獄図10本あり、人間界の「三密の教え」を忘れたものの末路の姿を描き、衆生の戒めとしたもの。
この地獄図は春秋の彼岸、8月のお盆に本堂内にかけ、供養するという。

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2013年5月29日 (水)

関東で 最北の地なり 長久寺

33_1104

33_1101 那須33所観音
第11番 嬰洛山・長久寺
      (ちょうきゅうじ)

最北端に位置する寺で、高野山真言宗に属する。札所本尊は聖観音。寛永2年(1625年)宥澄和尚の開山、明治42年(1909年)類焼により寺宝、什物、記録などを失ったが、翌43年、狸久保にあった廃寺・延命院の建物を譲り受け、再建した。

33_1102 歴代の住職の墓、石塔など多数あり、在銘の最古のものが元禄3年(1690年)のものがあるなど、江戸時代初期のものとみられる。

ここ豊原の地は天正18年(1590年)ごろは黒羽藩の治領であり、荒漠たる那須野はもとより肥沃で、灌漑の便の良いところではなかった。その間、地の利を求めて小さな集落ができた。

33_1103_2 戦後、那須野開拓者の入信者多く、交通の便もよくなり、那須高原の別荘地に定住者が増え、活気を帯びてきた。

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2013年5月28日 (火)

名残の花 樹齢150年の 山桜

33_1001 那須33所観音
第10番 抜苦山・与楽寺
         (よらくじ)

万延元年に堂宇は灰燼に帰し、沿革など不明であるが、延暦の昔、徳一大士が持仏の聖観世音菩薩を安置したのが開創と伝えられる。

33_1002 寛永年間、奥州街道開通以来、下野最北の宿場として隆盛を極め、当山も宿場役所を兼ね、堂宇伽藍林立したと伝えられる。左の写真は観音堂。

33_1003_3 境内中央部に立派な桜があり、まだ名残の花を付けていた。
「那須の名木」と命名されている山桜の大木で樹齢150年といわれる。

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2013年5月27日 (月)

石段の 脇に聳える 「あすなろ」の木

33_0903 那須33所観音
第9番 東蘆山・揚源寺
       (ようげんじ)

永禄7年僧都・源海和尚の開基と伝えられる。現在の芦野集落センターの所が古い跡地。江戸初期の寛永年間に栄賢和尚が中興開山、現在地に移った。

33_0901 札所本尊・聖観音は那須町大字寄居境明神の本地仏であったが、廃仏の際、地元の庄屋の笠井建平氏が預かり、明治21年10月に奉納されたという。現在は天台宗のお寺。

石段のわきに立つ「あすなろ」の大樹は町指定の天然記念物。

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2013年5月23日 (木)

熱海のご朱印

熱海の神社・仏閣のご朱印

06 護国山・興禅寺
   (こうぜんじ)
熱海市桜木町5-8
TEL 055-781-2851
参拝 2013年5月14日
記事 2013年5月20日

04 来宮神社
(きのみやじんじゃ)
熱海市西山町43-1
TEL055-782-2241
参拝 2013年5月14日
記事 2013年5月21日

05 伊豆山神社
(いずさんじんじゃ)
熱海市伊豆山708-1
TEL 055-780-3164
参拝 2013年5月15日
記事 2013年5月22日

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2013年5月22日 (水)

歴史の 流れを見る 伊豆山神社

31_2 関八州総鎮守
伊豆山神社(いずさんじんじゃ)

見上げる石段(825段)を登り、さらに12段を登る切ると伊豆大権現、または走湯(そうとう)大権現の本殿に辿り着く。現在の伊豆山神社の社名は明治になってから改称されたようである。

32 昭和3年に国弊小社に列格され、戦後は宗教法人として現在に至っている。
ご祭神はマメノオシホミミノミコト、タクハタチチヒメノミコト、ニニギノミコトの三神で、創立は定かな記録はないが第五代孝昭天皇の時代と伝えられる。
源頼朝が源氏再興を祈願し、鎌倉幕府を開くにおよび、箱根とともに最高の崇敬社として関八州鎮護とした。

33 戦国時代には小田原の北条氏に厚く庇護されたが、そのため豊臣秀吉の小田原征伐で、一山残らず焼失させられた。
徳川の時代に入り伊豆大権現は再建復興され、歴代将軍も崇敬した。
一方、久しく神仏習合の社であり、役小角をはじめ、弘法大師、富士開山の僧・末代上人など、多くの山嶽仏教徒、修験者が入峰して、東国一の霊場として聞こえた。

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2013年5月21日 (火)

大楠は 齢二千年の 神木なり

21伊豆国霊社
来宮(きのみや)神社

JR伊東線 来宮駅の山側に鎮座する来宮神社のご祭神は大己貴命(オオナモチノミコト・営業繁盛、身体健康、縁結びの神)「大黒様」と五十猛命(イタケルノミコト・樹木と自然保護の播種の神)それに日本武命(ヤマトタケルノミコト・武勇と決断の神)とされ、平安初期の征夷大将軍・坂上田村麻呂侯が勝利を神前に祈願、各地にご分霊44社を祀ったとされる。

22_2  ご神木・大楠は「神にお降り願う木、尊び聖なる木」として古代から崇められ、二千年以上の長い間、世の天変地異にも耐え、青々とした葉を茂らしている。昭和28年文部省指定、樹齢二千年以上、周囲24m、高さ25m。

禁酒の神徳
古くから一般に「禁酒の神」として信仰され、毎日禁酒のために参拝される人が跡を絶たないという。

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2013年5月20日 (月)

松島の 瑞巌寺と 縁深し

5月14日、最後にしようという同窓会、静岡・熱海に12名が集った。当日、翌日と1寺、2神社を参拝してきた。

12
11 最初は念仏山・山腹にある護国山・興禅寺。臨済宗妙心寺派のお寺。完全耐火造の本堂の周りに石仏・堂塔多数が祀られている。
創建は南北朝の暦応7年(1341年)授翁和尚、すなわち藤原藤房卿の開山とある。

13_2 寛永7年(1630年)この寺を中興した雲居国師は、心に欲しないことがあって、奥州松島の瑞巌寺を逐電し、名を隠して諸国を行脚し、この地に来て興禅寺に寄宿していた。
ある日、国師の弟子二人が保養に来て、門前で草取りをしていた国師の姿を見て驚き、地にひざまずいて国師の名を呼び、来錫(らいしゃく)の理由を訪ねていた。

14_2 この寺の住職はこの様子を見て、行脚の僧が「雲居国師」であることを知り、本堂の壁に詩を題して住職を雲居国師にゆずり、裏門からいずれともなく立ち去ってしまったという逸話が残っている。
寛永13年(1636年)雲居国師は仙台藩主伊達政宗の要請により松島瑞巌寺を中興している。
ご本尊は十一面観音。熱海市桜木町5-8。TEL 055-781-2851。伊豆四国札所第25番札所。

 

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2013年5月18日 (土)

那須33所観音のご朱印

第五番~第八番のご朱印

05_2 第五番 正福寺(しょうふくじ)
聖観音
那須町伊王野2003
TEL 028-775-0401
参拝 2013年4月22日
記事 2013年5月13日

06 第六番 会三寺(えさんじ)
聖観音
黒磯市寺子1246
TEL 028-763-6913
参拝 2013年4月22日
記事 2013年5月14日

07 第七番 最勝院(さいしょういん)
聖観音
那須町芦野2870
TEL 028-774-0037
参拝 2013年4月22日
記事 2013年5月15日

08 第八番 三光寺(さんこうじ)
千手観音
那須町芦野2836
TEL 028-774-0054
参拝 2013年4月22日
記事 2013年5月17日

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2013年5月17日 (金)

日本三歓喜天の 一つとか

33_0801_2 那須33所観音霊場
第八番 台明山・三光寺
        (さんこうじ)

第七番最勝院の北隣が歓喜天(聖天)を祀る三光寺。弘仁9年の疫病流行の際、弘法大師が勅命を奉じ、香木にて一木三体の歓喜天像を彫刻して、その一体を応永年間に宥覚上人が当地に勧請されたと縁起にある。

33_0802 正面石段の右側の登り口の石柱には「日本三所歓喜天参詣道」と刻されている。

また文化8年白河城主・松平定信公が奉納された「聖天」の扁額は寺宝となっている。

更に、伽藍裏手にそそり立つ高野槇は芦野城跡の東端にあり、天然記念木に指定されている。

33_0803 石仏林立する中、筑波山からやってきたというカエルを発見。
「むかえる」無事かえる」「原点にかえる」の石標があった。
なお、当寺は高野山真言宗に属し、札所本尊は千手観世音菩薩。

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2013年5月16日 (木)

余録 16羅漢像

第17番 最勝院の登り口に16羅漢像並んで、迎えてくれた。表情が豊かなので、余録として紹介する。

33_0705_3 33_0706_3          

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2013年5月15日 (水)

旅籠屋が 軒を連ねた 芦野宿

33_0701 那須33所観音霊場
第七番 米沢山・最勝院
    (さいしょういん)

一旦、伊王野に戻り、国道294号を北上する。ここ芦野宿は江戸から43里の地にあり、「みちのく」への最後の宿駅として古くから発達、幕末には四十軒余りの旅籠屋が軒を並べたようだ。

33_0702もと律宗のお寺として永禄の初め(1558年)開山、玄燐和尚を中興開山として曹洞宗に改める。ご本尊は聖観世音菩薩、旗本芦野侯の知行地で、城下町でもあり、またその菩提寺でもある。
33_0703 境内には観音堂を建立して33観音を安置した。
寺の入り口の石段沿いには16羅漢が居並び圧巻であった。

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2013年5月14日 (火)

宿場町の 賑わい薄れた 寺子郷

東に八溝山、北に那須連山をのぞみ、余笹川の清流の音がのどかに聞こえる黒磯市最東端に位置する寺子の郷は、寛永年間の奥州街道の賑わいはなく、国道、鉄道の開通により、かっての宿場町の面影は薄れてしまった。

33_0601 那須33所観音霊場
第六番 普門山・会三寺
        (えさんじ)

室町後期元亀元年(1750年)謙応により開山されたと伝わる。大火によりデータなし。

33_0602_2 境内に地蔵堂があり、中央に大地蔵尊像のほか大小百余体の仏像が居並ぶという。これらは檀信徒の浄財によって再建したもので、現在の本堂は昭和61年建造。
真言宗智山派のお寺で、札所本尊は聖観世音菩薩。

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2013年5月13日 (月)

伊王野は 徳一和上の 通り道

33_0501 那須33所観音霊場
第五番 補陀洛山・正福寺
        (しょうふくじ)

平安時代の初期、弘仁4年(813年)徳一上人の開創、千百有余年の歴史がある。徳一和上は法相宗、奈良興福寺の高僧で、会津地方開発の恩人とされ、常陸筑波山も開き、その往復途中に、ここ伊王野の釈迦堂山に当寺を開創されたという。室町初期、宥印法印により中興開山され、以後、真言宗の中心的道場であったとされ、ご本尊は聖観世音菩薩、脇侍仏に不動明王、地蔵菩薩を奉安している。

33_0502 ここ伊王野のあたりは下野国で早くから開けた地方の一つで、縄文弥生の遺跡の多いところとして知られる。また奈良平安の昔には集落をぬって「東北みちのく」への官道・東山道が開かれ「白河の関」へと通じている。

33_0503 東山道は後に関街道、秀衡街道とも呼ばれ、周辺に義経伝説が多く伝えられているという。
寺の背後は伊王野氏の山城で、古木が茂り県立八溝自然公園に指定されている。

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2013年5月10日 (金)

那須33所観音のご朱印

那須33観音第一番~第四番のご朱印

01 第一番 明王寺(みょうおうじ)
聖観世音
栃木県那須郡黒羽町黒羽向町185
TEL 028-754-0717
参拝 2013年4月22日
記事 2013年5月6日

02 第二番 不動院(ふどういん)
十一面観世音
那須郡黒羽町久野又467
TEL 028-759-0403
参拝 2013年4月22日
記事 2013年5月7日

03 第三番 光厳寺(こうごんじ)
聖観世音
那須郡黒羽町寺宿303
TEL 028-759-0350
参拝 2013年4月22日
記事 2013年5月8日

04 第四番 養福院(ようふくいん)
千手観世音
那須郡那須町蓑沢656
TEL 028-775-0728
参拝 2013年4月22日
記事 2013年5月9日

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2013年5月 9日 (木)

無名君 要害山麓に 眠れるか

33_0401 那須33所観音霊場
第四番 妙賀山・養福院
      (ようふくいん)

無住の寺と聞いたので別当寺(第一番・明王寺)でご朱印を用意して向かったのであるが、どうして立派な寺。明王寺の末寺、真言宗智山派のお寺。

33_0402 ご本尊は薬師如来、札所本尊は千手観音をお祀りしている。
ここ簑沢(みのさわ)は高戸山を主峰として自然の山々に囲まれ、東山道を主道として福島県との県境に位置し、白河の関所跡まで数分の所にある小さな集落である。

33_0403 その集落の背後に要害山いう戦時の山城があった。元文2年(1737年)里人が、この要害の谷を開墾したところ、石棺を発見、中に朱漆を目に、金箔を歯にした遺骸があった由で、小33_0404 高いところに改葬、無名君碑を建立したと伝えられる。
部落は再三の大火で、寺も焼失していて文献はなく、開創年次は不明というが、境内にある諸碑塔により、江戸中期以前の建立と推定される。
写真は門前の民家の庭に植えられた見事な芝桜。

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2013年5月 8日 (水)

創建は 那須与一と 覚えけり

33_0301 那須33所観音霊場
第三番 正覚山・光厳寺
        (こうごうじ)

寺伝によれば、那須与一・宗隆が高舘城にいた当時、唐国の沙門一円禅師を請じ、城の南地に寺を建立したのが始まりとされる。

33_0302 くだって康元2年那須肥前の守・資村の代に現在地の寺宿に移し、鎌倉建長寺の可翁禅師を招請して再建された。札所本尊は聖観音。
往年、那須家のゆかりの寺であったが、那須家の衰微とともに寺も廃頻していった。

33_0303 後に天正6年、那須家に代わって黒羽城主・大関高増が京都・妙心寺より大蟲禅師を屈請し、再中興開山とされた。よって現在は臨済宗妙心寺派のお寺。
左の写真は釈迦堂。

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2013年5月 7日 (火)

縄文の 歴史を偲ぶ あまの台

33_0201 那須33所観音霊場
第二番 明王山・不動院
       (ふどういん)

天文2年(1533年)の創建と伝えられるが、文政元年(約170年前)寺宝を焼失してしまった。ご本尊は木彫青黒不動尊、真言宗智山派のお寺。

33_0202 寺院の歴史を物語るものに推定樹齢500年のカヤの大木があり、町の天然記念物にしていされていて、その目通り直径は1m60㎝、観音堂裏手のある。

33_0203 その観音堂は昭和9年、弘法大師1100年忌に再建されたもので、札所本尊は厄除十一面観音。黒羽藩主・大関家に水戸佐竹藩家老・源義久の姫が嫁入りの折の持仏とされている。

33_0204 この寺は百花が四季に彩りを添えることで知られ、信者によるボタン200株は6月に見事な花を付けるという。今は芝桜が見事であった。
また、境内より出土した縄文土器を堂内に展示、この台地が当時「天の台」と呼ばれる景勝地であったことを物語っている。

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2013年5月 6日 (月)

一番に 相応しきかな 明王寺

33_0101 那須33所観音霊場
第一番 高岩山・明王寺
      (みょうおうじ)

北に那須連山、東に八溝山、西に日光連山に囲まれ、那須山から流れ出る清流・那珂川を基として発展した山紫水明の地、黒羽町にある。

33_0102 真言宗智山派のお寺で、札所本尊は聖観音。
寺伝によれば天文2年(1533年)室町時代後期に僧・興定法印により、石井沢の地に創建され、天正4年(1576年)黒羽城・築城の際、現在地に移転されたという。

33_0103 明治12年(1879年)町内大火により全焼、以来時代を経て、昭和30年(1955年)現本堂が完成、つづいて庫裡、山門と建立され、堂々たる風格を備えて現在に至っている。

33_0104_3 本来は檀家寺であるが、昨今は那須33所観音霊場第一番札所、八溝七福神・恵比寿尊、奥の細道霊場関東第31番札所などの霊場として、多くの参拝者で賑わっている。

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2013年5月 1日 (水)

5月の荒良寛カレンダー

05
今日から5月。寒い、暑いといいながら、季節は暦通りに、すがすがしい時期を迎えた。例月のカレンダーを紹介する。

33_0804 外観だけ変えても本質は変わらないということか。左様、借り着はあくまでも借り着、付け焼刃はすぐに剥がれるということ。

下の写真は那須観音八番・三光寺に見た、筑波からやってきた「かえる」だそうだ。上のカレンダーとは関係はないが、「温かく迎え、無事に帰り、常に原点にかえる」そうありたいものである。

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