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2012年12月30日 (日)

奈良・京都のご朱印帳

奈良・京都の寺院のご朱印

24 元興寺(がんごうじ)
智光曼荼羅
奈良市中院町11
TEL 074-223-1377
参拝 2012年12月14日
記事 12月18日

25 元興寺(がんごうじ)
西国薬師第5番
奈良市中院町11
TEL 074-223-1377
参拝 2012年12月14日
記事 12月18日

26 岩船寺(がんせんじ)
関西花の寺第15番
京都府木津川市加茂町岩船
TEL 077-476-3390
参拝 2012年12月15日
記事 12月21日

27 浄瑠璃寺(じょうるりじ)
九体阿弥陀仏
京都府木津川市加茂町西小
TEL 不詳
参拝 2012年12月15日
記事 12月27日

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2012年12月29日 (土)

当尾の石仏めぐり(完)

ツジンドの焼け仏

0057 0059                                                       西小、大門、高田、尻枝の交差点に当たる十字路にあったが、1927年の火災で焼け仏になったという。

約2mほどの花崗岩で出来ており、像高は167㎝、焼けただれて赤く変色、表面がボロボロに剥離し、頭部を中心に放射状に亀裂が入っている。かなり気の毒に痛んでいる。

0062 大門仏谷の
如来型大磨崖仏

当尾で最古・最大といわれ、坂の上から谷底にある磨崖仏が、辛うじて望遠できた。

6mの花崗岩に彫られた像高3mの阿弥陀磨崖仏である。

これで当尾の石仏めぐりは完了。翌16日に訪ねた法隆寺は来年正月からご披露することになる。お付き合いいただき有難うございました。よいお年を・・・・・。

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2012年12月28日 (金)

当尾の石仏めぐり 6

0053_2

0055_4 小西地蔵(たかの坊地蔵)

小さな石仏群の中に船形の光背の矢田形の地蔵尊という。大和矢田寺の地蔵が右手を阿弥陀の印相である施無畏(せむい)印に結ぶことから、そう呼ばれるという。

0051_4

長尾の阿弥陀磨崖仏

立派な屋根石をかざされ、美しい蓮弁(れんべん)の台座に座られる。

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2012年12月27日 (木)

薬師様 池を隔てて 阿弥陀様

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0045_2 当尾エリアの中心部に小田原山・浄瑠璃寺(じょうるりじ)がある。真言律宗のお寺。
真言律宗とは大和西大寺を総本山に大和・山城・伊賀・河内一帯、北は福島県いわき市、西は四国・九州まで広がっている奈良仏教の宗派で、いわゆる西大寺流を伝えるという。

0047_2 山門を入ると正面に宝池があり、池を挟んで左手東側に薬師如来を祀る三重塔(国宝)、右手西側に九体阿弥陀如来像(国宝)を祀る阿弥陀堂(国宝)という構成になっている。
寺名は創建時のご本尊・薬師仏の浄土である浄瑠璃世界からつけられたといわれ、薬師仏は東方浄土の教主、現実の苦悩を救い、目標の西方浄土へ送り出す遺送仏とされている。一方、本堂の阿弥陀仏は理想郷である西方浄土へ迎えてくださる来仰仏とされている。
この寺では、まず東の薬師仏に苦悩の救済を願い、振り返って池越しに、彼岸の阿弥陀仏に来迎を願うのが本来の礼拝なのだそうである。

0048 本堂裏の渡り廊下の端で見つけた石仏。

「当尾の石仏めぐり6」につづく。
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2012年12月26日 (水)

当尾の石仏めぐり 5

中三仏磨崖仏0038
0040_2

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                首切り地蔵(処刑場跡と伝えられる)

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2012年12月25日 (火)

当尾の石仏めぐり 4

阿弥陀・地蔵磨崖仏

00310033 磨崖仏には銘文が刻まれており、康永2年(1343年)に造られた。東面の阿弥陀如来は「恒性」という人物が、西面の地蔵菩薩は「勝珍」という人物が、それぞれ極楽往生を願って刻したとされる。

0034 阿弥陀仏は像高90㎝の半肉彫りで、船形の光背が描かれている。

0036_2    

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2012年12月24日 (月)

当尾の石仏めぐり 3

岩船寺(がんせんじ)を皮切りに「当尾エリア」の小道を抜けて石仏巡りが始まる。

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0027 岩船阿弥陀三尊磨崖仏

(笑い仏)

0028 埋もれ地蔵0029

           カラスの壺
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2012年12月23日 (日)

岩船寺余録ー石塔石仏 2

0023_2 0022_2                     

0024_3 0025_3                                  

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2012年12月22日 (土)

岩船寺余録ー石塔石仏 1

岩船寺の境内には多くの石塔・石仏が祀られ、歴史の重さを感じるものばかりであった。

0018石室不動明王立像


(鎌倉時代・重文)


花崗岩製で前面二本の角石柱を立て、その上に寄棟造り一枚石の屋根をかけた造り。その奥壁の一枚石に薄肉彫りの立像を見ることができる。写真はその内部。

0019_4五輪塔

(鎌倉時代・重文)

東大寺別当・平智僧都の墓と伝えられる。

0020_2十三重石塔

(鎌倉時代・重文)
正和3年(1314年)妙空僧正の建立と伝えられる。



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つづく

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2012年12月21日 (金)

当尾の里 まづ始まりは 岩船寺

15日JR関西本線「加茂駅」東口からコミュニティバスで「当尾(とうお)の里」石仏めぐりが始まる。岩船寺(がんせんじ)からのスタート。

0016
0015_6山門を入ると正面に池があり、右手に庫裡と本堂がある。阿弥陀如来坐像(像高約3m、ケヤキ一木造・重文・行基作)と左右に四天王立像などが中心に祀られている。

0017_2池の正面奥に聳えるのが三重塔(重文)。仁明天皇が智泉大徳を偲んで建立したと伝えられるが、現在の塔は室町時代・嘉吉2年(1442年)の建立とされる。

聖武天皇が天平元年(729年)僧・行基に命じて阿弥陀堂を建立したのが始まりで、嵯峨天皇が皇子誕生のこともあり弘仁4年(813年)に堂塔伽藍が整備され、寺号も岩船寺(がんせんじ)となった。再度の戦乱・兵火をくぐり、明治14年に真言律宗西大寺の末寺となって現在に至っている。

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2012年12月20日 (木)

元興寺余録ー奈良町屋と御霊神社

元興寺から南に下ると「格子の家」が点在する中、「砂糖傳」という米飴の店が目立った。その先には「ならまち格子の家」二階まで奈良町屋の風情を開放していた。

0011
0012御霊神社
(ごりょうじんじゃ)

延歴19年(798年)50代桓武天皇が勅命で、ご祭神である井上内親王(49代光仁天皇の皇后)を祀ったとされる。前記の元興寺(がんごうじ)の旧敷地内にある。

0013当時は疫病が大流行し、奈良の町に疫病が入らないように、平穏・健康で産業発展をお祈りし、平和の神として信仰が厚かったようだ。
現在でも氏子区域は広範囲で県下第一の75町5千余戸に及ぶという。

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2012年12月19日 (水)

元興寺余録ー智光曼荼羅と石仏群

0010新しく渡来した異国の宗教の受容の問題を巡って、進歩派の蘇我氏が崇仏を、保守派の物部氏が排仏を、それぞれ主張、両者の対立が激化、用明2年(587年)蘇我馬子はその甥にあたる厩戸王(聖徳太子)とともに軍を起こして物部守屋を打ち破り、日本の仏教受容の道を開いた。

0007飛鳥寺は平城遷都に伴い養老2年(718年)に新京・奈良に移転、法興寺から元興寺に法名を改めた。
奈良時代の終わりに出た智光は三論の学僧として有名で、晩年浄土教の研究に専念して智光曼荼羅として浄土変相図(写真上)を遺した。

0008平安前期まで元興寺は南都七大寺の中で指導的な役割を果たし、数々の名僧を産み、日本仏教の発展に寄与した。
平安時代後期になると中央政府の権力が衰え、天台、真言系の寺院の興隆などで、官寺と同様衰退の道をたどる。

0009そうしたなかで元興寺の命脈を支えたのが智光の遺した「智光曼荼羅」で、浄土信仰の波に乗って極楽坊ー曼荼羅堂と呼ばれ、南都系浄土信仰の中心となった。
鎌倉期以後、この寺は智光曼荼羅を中心とする浄土信仰のほか、地蔵信仰、聖徳太子信仰、弘法大師の真言信仰など庶民中心の混然とした群衆を集め、辛うじて近世まで伽藍と伝統を伝えられたといわれる。


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2012年12月18日 (火)

日本初 仏寺建立の 飛鳥寺

12月14日に趣味人クラブの京都オフ会参加のため奈良入りした。午後の時間で「なら町」あたりを散策。まづ世界遺産に「古都奈良の文化財」として登録されている元興寺(がんごうじ)を訪ねた。

0004
0005崇峻元年(588年)仏教伝来以来、わが国で初めて正式の仏寺建立に着手されたという飛鳥寺(法興寺)が、この寺の前身であると聞き、ベラボーに古いお寺であることが解かった。
当時、百済の国王は仏舎利を献じたのをはじめ、僧・寺工・瓦工・画工など多くを派遣してくれたようだ。

0006_2日本最初の瓦は、平城遷都の際(この寺は元興寺と改名・718年)奈良の現在地に運ばれ、現在でも本堂、禅室の屋根の一部に数千枚使用されているという。

極楽堂ー曼荼羅堂(智光の残した曼荼羅を祀る)と本堂の間にスリランカ型の仏足石(下の写真)を中心に整然と石仏群が並んでいる。これは次項で紹介予定。




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2012年12月 8日 (土)

今日は 最後の日であり 最初の日

00
今日、12月8日は私の誕生日。手元に来年の「荒良寛カレンダー」が届いた。来年一年、毎月一日に紹介する。
上の写真がその表紙。「今日が我が人生最後の日、今日が人生最初の日」とある。最後の日、最初の日として一日一日を大事にしたい。

荒良寛(あら・りょうかん)氏=1928年福島県生まれ。大正大学大学院で天台学を専攻。天台宗米国ハワイ開教総長、大僧正。
著書多数のほか独自の技法で仏画を描き、毎年アメリカ本土、日本各地で個展を開催、今なお「仏画伝道」を続けておられます。

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2012年12月 7日 (金)

湖北五山のご朱印

61その一
方広寺・半僧坊(ほうこうじ・はんぞうぼう)
浜松市北区引佐町奥山1577-1
TEL 053-543-0003
参拝 2012年11月19日
記事 11月23日

62その二
大福寺(だいふくじ)
浜松市北区三ケ日町福長220
TEL 053-525-0278
参拝 2012年11月19日
記事 11月28日

63_3その三
摩詞耶寺(まかやじ)
浜松市北区まかや421
TEL 053-525-0027
参拝 2012年11月19日
記事 11月29日

64その四
龍譚寺(りょうたんじ)
浜松市北区いなさ井伊谷1989
TEL 053-542-0480
参拝 2012年11月20日
記事 12月3日

65その五
初山 宝林寺(しょさん ほうりんじ)
浜松市北区細江町中川65-2
TEL 053-542-1473
参拝 2012年11月20日
記事 12月6日

ご朱印をクリックすると拡大。



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2012年12月 6日 (木)

 明朝風 様式のこす 宝林寺

湖北五山その五 初山・宝林寺

52_2
51初山・宝林禅寺(しょさん ほうりんぜんじ)は江戸時代の初期、寛文4年(1664年)旗本金指近藤家二代目当主・登之助貞用公の招きで、明国の僧・独湛(どくたん)禅師によって開創された黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院。

55以来、金指近藤、気賀近藤両家の菩提寺として寺領百石を有し、黄檗禅(おうばくぜん)の専門道場として、遠州(静岡西部)地方の黄檗文化の中心として栄えた。

53創建当時は七堂伽藍が整い、その建物の多くは中国明朝風の建築様式で、現在でもその面影を残している。
仏殿正面にご本尊の釈迦三尊像(釈迦如来,、迦葉尊者カショウソンジャ、阿難尊者アナンソンジャ)左右に達磨大師像に武帝像、両側の壇上に二十四天の善神像を祀る。

54_2京都宇治萬福寺の諸仏像と同じ中国様式を伝える黄檗宗独特のものという。

仏殿、方丈、山門は国指定重要文化財である。












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2012年12月 4日 (火)

龍譚寺・余録

龍譚寺庭園

410
47小堀遠州の作とされる龍譚寺庭園は、江戸時代初期に造られた池泉鑑賞式庭園といわれ、国指定文化財・名勝記念物になっている。

48小堀遠州は滋賀・長浜の出身で「遠州流」の茶道を興し、二条城二の丸庭園の作庭などをした当代一の文化人であるという。また駿府城の作業奉行を務めた。

49井伊直孝(25代)は小堀遠州とは親しく、その依頼により造られたといわれている。
四季折々の変化に富み、多くの来観者が訪れるという。

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2012年12月 3日 (月)

井伊氏の 菩提寺なるぞ 龍譚寺

浜名湖・湖北五山その四 
         いなさ龍譚寺(りゅうたんじ)

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三ヶ日オレンジロードを通って井伊家の菩提寺・龍譚寺向かう。境内一万余坪に立つ堂塔六棟は県の有形文化財に指定されている。
歴史は古く奈良時代の行基菩薩の開創とされる。また井伊氏は平安時代に遠江の有力武士として名を連ねていた。

43南北朝時代には後醍醐天皇皇子・宗良親王を井伊城に迎え北朝軍と戦った名門。
24代井伊直政は徳川家康に仕え、井伊の赤鬼と恐れられ、徳川四天王の筆頭まで出世して、関ケ原合戦の後、彦根に移る。

45幕末、井伊大老直弼が開国の偉業を成し遂げ、桜田門外で散った。
龍譚寺はその千年余り、祖霊を祀る井伊氏の菩提寺として、彦根龍潭寺とともにその歴史を今日に伝えている。

次回は龍潭寺庭園を余録として掲載予定。






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2012年12月 1日 (土)

知恵と元気で 生き抜きましょう

12
今日からいよいよ12月です。全く「光陰矢のごとし」です。それでも生きなければならない、知恵を出して…。

荒良寛サンのカレンダー、今年最後の一枚になりました。知恵を出して元気に生き抜きましょう。

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