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2012年5月28日 (月)

密教表現の立体曼荼羅

02_3東寺(とうじ)

京都駅の南に真言宗総本山・教王護国寺(きょうおうごこくじ)がある。この東寺の象徴として広く親しまれているのが五重塔(国宝)。天長3年(826年)弘法大師の創建着手に始まるが、焼失すること4回、現在の塔は寛永21年(1644年)徳川家光の寄進により竣工したもので総高55m、現存する日本の古塔中最高の塔とされている。

03_3この寺には「東寺」と「教王護国寺」という二つの名称がある。平安京鎮護のため、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えたところから「教王護国寺」が正式名称のように思える。「東寺」の名称も単なる通称・俗称ではなく、創建当時から使用された歴史的名称といえる。

04_38世紀末、平安京の正面に当たる羅生門の東西に「東寺」と「西寺」という二つの寺院の建立が計画された。それぞれ平安京の左京と右京を守る王城鎮護の寺、さらには東国、西国を守る国家鎮護の寺という意味合いを持った官立寺院であったようだ。

05東寺・金堂

本堂に当たり、現在の建物は豊臣秀頼が再興発願、慶長8年(1603年)竣工したものという。薬師三尊・十二神将が安置されている。

講堂・立体曼荼羅 弘法大師によって建てられたが文明18年(1486年)焼失、現在の建物は 延徳3年(1491年)に再建されたもの。堂内には大日如来を中心に五智如来、五菩薩、五大明王、四天王、梵天、帝釈天の21体の仏像が安置されている。密教の教えを表現する立体曼荼羅という。

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2012年5月27日 (日)

京都駅前の巨大宗教団体

Photo東本願寺(ひがしほんがんじ)

京都堀川七条に位置する「西本願寺」(本願寺)の東に位置するため「お東さん」「東本願寺」と通称される。真宗大谷派の本山として、正式名称は「真宗本廟」というのだそうだ。ご本尊は阿弥陀如来.(阿弥陀堂に鎮座)、創建年は1321年。昭和62年(1987年)から真宗本廟となる。

02阿弥陀堂門から入り正面の阿弥陀堂は修理のため覆いがしてあり、その説明によると、禅宗様式の仏堂で、屋根は瓦葺きの単層入母屋造、間口52m、奥行き47m。現在の建物は明治13年(1880年)起工から28年(1895年)に完成したという。

03_2北側にある御影堂は和様・道場形式の堂宇。屋根は瓦葺きの重層入母屋造。外観が二重屋根であるため、二層建築に見えるが単層建築である。間口76m、奥行き58m、面積において世界最大の木造建築物とされている。内陣本間に「御真影」(宗祖・親鸞聖人の座像)が安置されているという。

04_2暑い日差しを受けながらの参拝であったが、何分工事中とあって、埃っぽく有難味半分。京都駅前にこれだけ膨大な敷地を有する巨大宗教団体の存在を、見せつけられる思いであった。

つづく。 (写真をクリックすると拡大)

 

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2012年5月26日 (土)

さわやかな風に吹かれて巡拝す

Photo比叡山・延暦寺

2008年5月以来4年ぶり、二度目の参拝となる。例のバスで奥比叡ドライブウエイを横川中堂から始まり、西塔・釈迦、東塔・根本中堂と巡拝した。

02伝教大師・最澄が開山して1200年、比叡山は多くの名僧を輩出したことにより、日本仏教の母山と呼ばれる。大きく三塔(東塔、西塔、横川)の地域に分けられ、総称して比叡山延暦寺といい、それぞれ異なった趣きと伝統を今に伝えている。

04東塔 総本堂・根本中堂があり、ご本尊・薬師如来をお祀りしている。

西塔 山上で最も古い天台建築様式の釈迦堂、浄土院(伝教大師ご廟)常行堂、法華堂など美しい杉木立と静寂な空気に包まれている。

横川 平安の昔から多くの文学作品の舞台となっている。この地を開いた慈覚大師・円仁も「入唐求法巡礼行記」を著すなど学究の気風の満ちた修行場となっている。横川中堂、元三大師堂などがある。

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2012年5月25日 (金)

老松が寺域をグッと引き立てる

3近江八景の一つとして有名な堅田の浮見堂。琵琶湖の最狭部西側に位置し、海門山・満月寺と称する京都紫野の臨済宗大徳寺派に属するお寺。本堂はたもとにある観音堂で、聖観音座像と薬師如来像が安置されている。

Photo_4一条天皇の長徳年間(995年)比叡山横川・恵心院の源信僧都が湖中に一宇を建立して、自ら千体の阿弥陀仏を刻んで「千仏閣」「千体仏堂」と称し、湖上通船の安全と、衆生済度を発願したことに始まる。

2_3浮見堂は湖中に突出しているため東に伊吹山、長命山、近江富士、西に比良連峰、比叡山、眼前に湖水を一望できる風景絶佳の地点で、境内の老松も閑静な寺域に相応しいものである。

つづく(写真をクリックすると拡大)

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2012年5月24日 (木)

物故者を偲び比叡を巡るなり

Photo_2今年の同窓会は西へ。

山城君のプランで滋賀・おごと温泉で5月16日に13名が集った。(不参加10名、物故者7名)年々参加者が少なくなったが、続行を確認した。

03翌日、バスをチャーターして堅田・浮見堂から始めて、比叡山・横川中堂、西塔、根本中堂を巡拝してそれぞれ物故者の冥福を祈った。有意義な同窓会であった。
京都駅まで送ってもらい解散。

Photo_3せっかくの京都なので一行と別れ、駅近くの東本願寺、東寺を巡拝して帰京した。

巡拝記事は次回から連載。写真をクリックすると拡大。

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2012年5月21日 (月)

北杜市のお寺巡拝(6,7)

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徳泉寺(とくせんじ)
参拝2012年3月7日
須玉町比志408
TEL 055-145-0284
(石仏写真はSMCマイアルバム参照)

02


7.正覚寺(しょうかくじ)
参拝2012年3月27日
須玉町若神子2739
TEL 055-142-2250


(石仏写真はSMCマイアルバム参照)

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2012年5月20日 (日)

北杜市のお寺巡拝(4,5)

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4.養泉院(ようせんいん)
参拝:2012年3月26日
須玉町下津金751
TEL 055-146-2023
(石仏写真はSMCマイアルバム参照)

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5.遠照寺(えんしょうじ)
参拝2012年3月26日
須玉町穴平2629
TEL 055-142-3452

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2012年5月19日 (土)

北杜市のお寺巡拝(2,3)

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2.養福寺(ようふくじ)
参拝:2012年3月26日
高根町箕輪991
TEL 055-147-2168
(石仏写真はSMCマイアルバムに掲載)

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3.東泉院(とうせんいん)
参拝:2012年3月26日
須玉町下津金2881
TEL 055-146-2443

つづく (写真をクリックすると拡大)

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2012年5月15日 (火)

北杜市(山梨)のお寺巡拝(1)

Photo海岸寺(かいがんじ)
北杜市須玉町上津金1222
参拝:2012年3月26日

約1300年前の養老年間に行基菩薩が庵を構えられたのが、海岸寺の始まりといわれる。

02こんな山の中に「海岸寺」と不思議に思ったが、経文中の「観世音の本所、補陀落山は天竺南海中にあり」に由来し、太古、甲斐の国の盆地一帯が湖水で、この地形に因んだとの説で、納得させられた。

03行基菩薩は土木工事や農業技術を全国に伝えたことで知られるが、ここで千手千眼観音像を二体彫り、一体を海岸寺に、もう一体を信州・津金寺(長野県北佐久郡立科町)を祀つたとされる。

長野県高遠の石仏師・守屋貞治(1765~1832年)が桃渓和尚の依頼を受け、十余年を費やして彫った百余体の石仏は西国、坂東、秩父の百観音像や、延命地蔵尊など、境内いたるところに祀られ、石仏の宝庫の名が高い。TEL 055-146-2017
(石仏写真は趣味人クラブ・アルバムに連載)

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2012年5月13日 (日)

田園に佇む宿よヴィラ・マティルデ

95MSCファンタジア号の
地中海クルーズと
トリノ・アオスタ峡谷の旅(20)

丘に上がってトリノの宿

96ファンタジア号7日間の地中海クルーズを終え、ジェノヴァからトリノに入って2泊、丘の上で宿を取った。その名は「ルレ・ヴィラ・マティルデ」

97トリノ市の郊外、緑の田園の広がる中にある。海と空を見てきたクルーズと一転、目の安らぐ風景である。しかも二階建ての本館から分かれたヴィラ風の別棟ホテルで、すっかり寛いだ。

98窓から眺めると、近隣の農家、納屋、広がる畑、のんびりと時間が流れるようである。しかし、朝晩は冷え込み、集中暖房の調子が悪く、布団を一枚追加して一夜を過ごし、次の夜は結局電気ヒーターを持ち込む騒ぎもあった。

994月17日朝ホテルを発ち、ミラノ→ヘルシンキ→成田と、無事帰国した。変化に富んだいい旅であった。
(完)



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2012年5月12日 (土)

アオスタよ古きローマの縮図かな

90地中海クルーズと
トリノ・アオスタ峡谷の旅(19)

雪のチェルビニアからアオスタへ

91アオスタはスイス、フランスの三カ国の接点にあたる町、イタリア共和国ヴァッレ・ダオスタ特別自治州のコムーネの一つで、ヴァッレ・ダオスタ州の州都、人口3万5千ほどの町である。

92先史時代以前には巨石文明があり、ケルト人が支配していた。ローマ帝国初代アウグストゥス皇帝の率いる軍隊が、山岳地帯攻略の足掛かりとして紀元前20年に彼らを破り、アウグスタ・プラエトリアという町を建設したのが始まりのようだ。

93昼食の後、ローマ帝国時代の面影を残す町中を散策。途中、ローマ遺跡の採掘現場があり、立派なカテドラル(写真は正門)にものぞいてみた。どこからでもアルプスが望める素晴らしい町である。

94最後はローマ時代の劇場跡地。ここに新しい劇場を建てる計画と聞いて、二度驚いた。

再びバスで、トリノ郊外のホテルに帰る。これで地中海クルーズとアオスタ観光はすべて完了した。
つづく。(写真をクリックすると拡大)

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2012年5月11日 (金)

氷点下2度と聞かされ震え上がる

85クルーズ終えトリノから
アオスタ峡谷の旅(18)

トリノで一泊、4月16日朝アルプス峡谷・チェルビニアへ。

86専用バスでアルプスの峡谷深く進入する。チェルビニアはマッターホルン山頂を境にスイスのツェルマットと背中合わせに南北の斜面を分け合っているという。マッターホルンのイタリア名はモンテ・チェルビーノ、ここから名前を戴いてチェルビニア。

87したがって、お天気さえよければマッターホルンの南面が見られるものと張り切って登ってきたのだが、あいにくのお天気で雪山曇天、ガスまでかかっての歓迎となった。駐車場近くで氷点下2度と聞かされ、震え上がった。

88_2それでも何とかならんかと、時間稼ぎにシャーベット状の道を、町の中央部の教会まで登ってみたが雲は切れなかった。奥にはリフトがあり、それに乗って上まで行けばとは思ったが、時間切れ。避暑地には最高のところのように思えた。

89_2時間となり、やむなくスイス・フランスと国境を接する町アオスタまで峡谷沿いに下山する。車は幾重ものカーブの下り道で、殆どエンジンブレーキを掛けながらのゆっくり走行だった。

つづく。
(写真をクリックすると拡大)


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2012年5月10日 (木)

トリノさえ工業都市から観光へ

100msc_2101mscMSCファンタジア号の
地中海クルーズと
トリノ・アオスタ峡谷の旅(17)

ジェノヴァで下船、トリノへ。

79本船は4月15日8:00地中海一周3,000kmを走破してジェノヴァに入港。世話になったクルーに別れを告げて下船。今までお天気に恵まれていたが、今日は雨。物悲しい別れとなり、荷物を受け取り専用バスでトリノへ。

80トリノは自動車を中核とするイタリア国内最大の企業グループ・フィアットの企業城下町として発展して、航空機産業、自転車ジオスの本拠地と、ミラノに次ぐイタリア第2の工業都市である。

古代ローマ時代以前にはタウリニー人が居住し、フランス占領後、サヴォイア家に帰属,、当時の王宮跡が世界遺産に登録されている。(写真上2枚)

81_2王宮広場に続いてサンカルロ広場があり、この一角で昼食。華やかなバロック建築の続く市内を散策。2006年のトリノ・冬季オリンピック開催を機に観光産業にも力を入れつつあるという。

83_2トリノで象徴的な建築物「モーレ・アントネリアーナ」国立映画博物館の入ったビルで、1889年建造されたタワーはドーム屋根まで121m、塔上部まで168m。ユダヤ教の礼拝堂として建てられたようで、世界一高い博物館だそうである。まさにトリノのグランドマーク・タワーだ。
天気が悪く見晴らしはよくなさそうなので、展望台へはお断りした。

その後、大聖堂を見学、バスで郊外のホテルへ。

つづく。(写真をクリックすると拡大)

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2012年5月 9日 (水)

雄々しくも岩場に生える黒松よ

73MSCファンタジア号の地中海クルーズと
トリノ・アオスタ峡谷の旅(16)

カシスのカランク(入り江)クルーズ

75

入り江の中ではカヌー遊びをする若者が結構訪れている。そういえば今日は4月14日土曜日だった。

76_3

周囲は石灰石を切り出したママになっている岩肌が露出し、黒松が健気にも根を下ろしている風景が続く。

77小一時間ほど波に揺られて入り江を一周してマルセイユまで帰ることになる。
今日は午後自由時間。町に出るでもなく、明日の下船準備で、荷造りなど始める。
17:00本船は終着港ジェノヴァへ向け出港。翌4月15日8:00早くも下船となる。

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2012年5月 8日 (火)

小奇麗な街並みつづく港町

100mscMSCファンタジヤ号の地中海クルーズと
トリノ・アオスタ峡谷の旅(15)

マルセイユから漁港の町カシスへ

69_2マルセイユ港から専用バスで海岸に沿って東へ、カシスを目指す。漁港カシスは、その風光明媚な街並みから数々の画家や詩人に愛される街として、今ではヨーロッパ各地から観光客を惹きつけている人気のスポットという。

70たしかに町を歩けばマロニエの並木道がつづき、空気はいいし小奇麗なホテルも建ち並んでいる。町中は道路が狭く、大型バスが入れないので、町の入り口でミニトレインに乗り換えて港まで入ることになる。

72_3トコトコと町中を下り、海岸に出て、小型ボートをチャーターして小一時間ほど石灰岩のむき出しになったカランク(入り江)をクルーズすることになる。

つづく。(写真をクリックすると拡大)

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2012年5月 7日 (月)

フランスの地中海への玄関港

100msc_266MSCファンタジア号の
地中海クルーズと
トリノ・アオスタ峡谷の旅(14)

4月14日8:00本船は第5の寄港地、南フランスのマルセイユに到着。

67マルセイユは初めての訪問。街中を観光すると思いきや、港町カシスに直行するという。

マルセイユはフランス最大の港湾都市、プロヴァンス=アルプ=コートダジュール地域圏の首府で人口130万、ブーシュ=デュ=ローヌ県の県庁所在地である。

68マルセイユの歴史は古く、小アジアから来た古代ギリシャの一民族ポカイア人が紀元前600年に築いた植民市マッサリアにその端を発し、都市は交易で栄えたという。長い歴史の中で栄枯衰退を繰り返したが、第二次世界大戦後は港湾施設が充実し、商工業の発展に伴い高層ビルの立ち並ぶ現代都市に変わった。
現在はフランス南部の貿易、商業、工業の一大中心地、ヨーロッパ第3位の玄関港となっている。反面、観光面での魅力にはやや乏しいという。

つづく。








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2012年5月 6日 (日)

入場者教会周りに列をなし

100msc63MSCファンタジア号の
地中海クルーズと
トリノ・アオスタ峡谷の旅(13)

4月13日9:00本船は第4の寄港地バルセロナに到着。

バルセロナは首都マドリードに次ぐスペイン第二の都市、カタールニヤ地方の州都である。人口は160万、都市圏人口は400万を超える。1992年にはオリンピックが開催されるなど、欧州でも有数の都市である。

64バルセロナは二度目の訪問であり、この町には建築家アント二・ガウディーの残した建築物が多く、既に見たものばかりで、しいて言えばサグラダ・ファミリヤ教会の一階礼拝堂が完成したとのことで、見てみたいと思っていた。
今日は終日自由行動日なので、タクシーで行ってみると、入場者が教会の廻りに列をなしていたので、外部の写真を撮って、タクシーで
本船に帰った。
午後はまたゆったりと船内で、時を過ごした。

18:00本船は第5の寄港地フランスのマルセイユに向け出港。
つづく。


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2012年5月 5日 (土)

のんびりと寛ぐラウンジ3000㎞

100msc60_442MSCファンタジア号の
地中海クルーズと
トリノ・アオスタ峡谷に旅(12)

4月11日17:00本船はチュニス・ラグレッタ港を出港、一路スペインのバルセロナに向け走行中。

58夕食を終え部屋に帰ると左舷の空が燃えていた。地中海の夕焼けだ。今まで左舷キャビンは朝日専門だったが、これからは夕日専門になる。ナビ画面を(写真右上)見るとアフリカ北岸を離れ、地中海の真ん中に位置するサルデーニヤ島の南西を、北東に向け航海中。

594月12日今日は終日航海。狭い船内より、見晴らしの良い15回前方のトップセールラウンジ左(灰皿がある)が、一番寛げる場所だ。ここはヨットクラブ専用の場所で、一般の人は入らず、静寂が維持される。前方をぼんやり眺めるもよし、読書するもよし、まさにフリーな場所なのだ。

61船内の様子を紹介すると、左写真は15階ジョギングトラックから前方操舵室を含む、ヨットクラブ専用部分。雑踏から逃れられる場所ということになる。

62後方部分。この先に我々の専用レストラン「レトワール」がある。レストランまで約300mの距離があるのがちょっと不便。しかし、食前食後の運動と思えば、丁度いいかもしれない。いい空気を吸いながら…。

航海4日目ということで、本船の航跡をたどってみると、ジェノバ→ナポリ=347海里、ナポリ→パルレモ(シチリア島)=166海里、パルレモ→ラグレッタ(チュニス)=183海里の計696海里、約1,300km。これからラグレッタ→バルセロナ=486海里、バルセロナ→マルセイユ=187海里、マルセイユ→ジェノバ=187海里の計860海里、約1,600㎞、合計すると1,556海里、約3,000kmの大航海ということになる。
つづく。(写真をクリックすると拡大)

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2012年5月 4日 (金)

見事なり青と白との共演は

100msc_2MSCファンタジア号の
地中海クルーズと
トリノ・アオスタ峡谷の旅(11)

チュニジアの首都チェニスの近郊

54アントニウス
共同大浴場跡

ローマ時代に造られたという大浴場跡、200haもの広大な浴場で、中央を境に男女の施設が左右対称に造られていたという見事なもの。一種の社交場であったのだろう。

542この施設跡地に隣接して小高い丘があり、国旗が掲げられている。大統領官邸だそうで、今は写真撮影もフリーであるが、かっては大変だったという。この辺も民主化の表れか。ここの名産はナツメヤシの実、土産物屋が並んでいた。

55シディ・ブ・サイド

白い壁に青の窓枠の家が建ち並び、岩場のアップ・ダウンと海、それにお天気が見事に調和して、一層素晴らしい風景を醸し出していた。ここぞ観光のメッカであろう。ここでは揚げながら売っているドーナツ屋が人気という。

56シーサイド・レストラン

近くのレストランで昼食にシーフード料理をいただく。魚介類のスープ、イカのフライ、エビのソテーなど、いずれも新鮮・美味で、景色も料理もともに堪能できた。

57チェニスのスーク

最後にチェニスの市街地、旧市街を散策。アラブ情緒漂う細い雑踏のスークを引っかかりながら通り過ぎて、フランス門までやってきた。これでチェニスは終わりだ。
本船は17:00バルセロナまでの長旅、すなわち4月12日終日航海、13日9:00に到着の予定となる。
つづく。(写真をクリックすると拡大)

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2012年5月 3日 (木)

度々の栄枯盛衰物語る

100mscMSCファンタジア号の地中海クルーズと
トリノ・アオスタ峡谷の旅(10)

4月11日本船は北アフリカのチュニジア共和国、その首都であるチュニスのラグレッタ港に着岸。専用バスでカルタゴの丘に登る。

52古代地中海時代にチュニスの原型は古代フェニキア人によって建設されたカルタゴ近郊の町で、カルタゴの衛星都市として栄えた。
紀元前146年の第三次ポエニ戦争で完全に破壊され、その後ローマの属国アフリカとなり再建された。

522時代は進みイスラム化時代、ハフス朝の時代、オスマン帝国の時代、フランス保護領の時代を経て、第二次世界大戦後に独立、共和国となったが、独裁政権が続き、やっと民主的な国家に変身しようとしているところ。

523見事な風景に魅了されながら、その奥に建つカルタゴ博物館を見学。ここでは当時の生活習慣を物語る出土品や地図、貯水槽・下水道などポエニからローマ時代の都市の遺構の模型など、興味深いものが展示されていた。

53墓地・トーペ(タニ神

かってはタニ神(豊穣の神)に若い男子をイケニエとして祀る習慣があり、その犠牲となった子供の墓地?が集められた場所があった。どんな意味があったのかはわからないが、日本でいう石塔・石仏・地蔵さんが、ゴロゴロ集められていた。供養の意味があったのだろうか。

532石を積んだり、洞窟が彫られたり、きれいに管理はされているが、献花や供物の後は見られなかった。

つづく。(写真をクリックすると拡大)

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2012年5月 1日 (火)

綿密な計画建ててゆっくりと

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今日から5月。一番いい季節を迎える。荒良寛先生のカレンダーを紹介する。高い山ほど綿密な計画を立て、十分時間を取って、ゆっくり登る。すべての行動計画はこうありたいものだ。

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