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2012年4月29日 (日)

チェニス湖の先端部分にラグレット港

100msc49MSCファンタジア号の地中海クルーズと
トリノ・アオスタ峡谷の旅(9)

4月11日早朝、本船は第三の寄港地チュニジア共和国の首都チェニス・ラグレット港に接近している。

507:00ラグレッタ港に接岸。テラスから岸壁を見下ろすと綺麗な絨毯に座れされ、飾られたラクダが5匹見える。これはお客を載せて一帯を回り、写真などを撮らせる観光用のもののようだ。

5002ターミナルは平面的ながら如何にもオリエンタル風の建物で、その先にバス専用の駐車場が広がっている。空路から入った時とは、勝手が違う感じ。海岸部分とその奥の運河に挟まれた帯のように伸びた恰好になっているようだ。

5102整理すると首都チュニスの市街地はチュニス湖と西部の塩湖の間の地峡部にあり、チュニス湖はこれを横断する運河で地中海に流れている。この出口がラグレッタ港というわけ。
5103港では日本でいう鷹匠のようなもの、地元楽器による演奏などアトラクションが続いている。
今日はチュニス郊外から市内と盛り沢山の観光が組まれている。これらは
次号は5月3日から掲載予定。(写真をクリックすると拡大)















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2012年4月28日 (土)

まさに文化交流の変遷を見る

100msc_3MSCファンタジア号の地中海クルーズと
トリノ・アオスタ峡谷の旅(8)

4月10日9:00本船はシチリア島パレルモ港に接岸。下船許可を待って、専用バスで市内観光へ。

45まづはノルマンニ宮殿。かってのシチリア王の宮殿という。9世紀にパレルモを支配したアラブ人太守の下で建設が始まり、12世紀ルッジェーロⅡ世とその後継者ノルマン王達によって拡張完成したという。

46_2宮殿内には12世紀にシチリアで流行した、アラブ・ノルマン・ピザンティンの各様式を混合したカッペッラ・パラティーナ(パラティーナ礼拝堂)がある。素晴らしいモザイク、精密な稲妻文様で彩られた天井、壁の下部と床は大理石の化粧張りがされている。法案審議の「赤の間」ダンスホールの「黄色の間」など一部が残り、1946年からシチリア地方議会の議場になっている。

47
カテドラル大聖堂

800年以上前に創建されたというが、幾度となく時代の様式ごとに増改築されたシチリアの象徴的存在である。


48マッシモ劇場

ヨーロッパでも有数といわれる劇場。総客席数3200、内部に木材を多用して音響効果は抜群といわれる。

午後は本船に戻り、17:00出航までのんびり船内で過ごした。明日は最近革命のあったチュニジアを、それこそ10年ぶりに訪ねることになる。
つづく。(写真をクリックすると拡大)

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2012年4月27日 (金)

活火山懐に抱くシチリア島

100msc_24301MSCファンタジア号の地中海クルーズとトリノ・アオスタ峡谷の旅(7)

4月10日5:45本船は第二の寄港地、シチリア島パレルモ港に接近。9:00入港予定。

4403シチリア島は地中海最大の島で、イタリア最大の州、州のシンボルはトリナクリアと呼ばれギリシャ神話のメデューサの顔と3本の素足からなる。この3本の足はパレルモ、メッシーナ、シラクサの岬を表すとされる。

4404シチリア島第2の都市カターニヤ付近にはヨーロッパ最大の活火山・エトナ火山がある。
イタリア本土とシチリア島を結ぶメッシーナ海峡大橋の建設は2009年から始まっており2016年完成予定という。


4405_2州都パレルモは人口70万の商工業中心の町。その歴史は古く、地理的条件からアラブやノルマンといった南北から度重なる侵略をうけた結果、異文化のいり混じった奇妙で、興味深い文化が創造された。ゲーテも「世界で一番美しいイスラムの都市」といい、北ヨーロッパ人の心をときめかせた魅力的な街であるようだ。

つづく。








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2012年4月26日 (木)

ナポリでは市内も島も人溢れ

100msc_2MSCファンタジア号の
地中海クルーズと
トリノ・アオスタ峡谷の旅(6)

371101_2ナポリ入港からカプリ島へ

本船は4月9日12:00第一の寄港地ナポリ港に入港。15階のトップセールラウンジからその様子を見ていると正面にヴェスヴィオ火山が立ちはだかっていた。

39_2昼過ぎに下船許可を待って下船開始。ターミナルビルを出ると、これまた正面にナポリ要塞が行く手を阻むように立ちはだかり、あたかも左手にあるカプリ島行きの高速船に誘導するかのようだった。予想通り船内はほぼ満員だった。

4101_240分ほどかけて高速船はカプリ島に到着。各方面から出入りする船着き場は狭く、大混乱。時間がかかり過ぎそうなので予定のケーブルカーは断念、海岸通りを散策するにとどまった。

4202帰途ももみにもまれて満席の高速船でナポリ港の本船までたどり着く有様だった。
ナポリ市内に出かけた人の情報では市内も人であふれていたそうだ。
 

19:30本船はシチリア島バレルもに向け出港。
つづく。(写真をクリックすると拡大)

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2012年4月25日 (水)

ナポリとは「何もナーポリ」私には

100msc32901MSCファンタジア号の地中海クルーズとトリノ・アオスタ渓谷の旅(5)

4月9日早朝目覚め、ビデオをみると写真右肩。本船はナポリに大分接近している。

3003時刻は5:47、ようやく朝日が昇ってきた。本日も晴天。
ナポリは南イタリヤの歴史的都市、カンパーニヤ地方ナポリ州の100万人の首都。近郊都市圏含めると300万人、以前からから過密人口が社会問題になっているという。
「ナポリを見てから死ね」(日本の諺・日光見ずして、結構というな)といわれるほど風光明媚な土地。現在では「ナポリが死なないうちに見ておけ」という皮肉も含まれているそうだ。

3104ナポリといえばピッツア。語源はアラブ圏のパンの一種ピタがナポリに伝わり、ピッツアと呼ばれるようになる。ナポリ・ピッツアの代表がマルゲリータ、統一イタリア王妃が1889年ナポリ来訪の折、ブランディという店がイタリアの三色旗を模して、トマト(赤)バジリコ(緑)モッツァレッラチーズ(白)で飾って献上したことに由来するという。

35904本船は12時に入港。ナポリは二度目の訪問。前回は10年も前、南イタリヤ田舎町めぐりで山側から。そのとき黒焦げのデッカイ・ピッツアを出され、クレームを付けた、ニガイ思い出がある。
36905今回は海側から。しかも埠頭に足を掛けただけで、繋がった埠頭からボートに乗移ってカプリ島に渡るという。
ナポリといっても市内は「何も見ナーポリ」になりそうだ。
つづく。
(写真をクリックすると拡大)











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2012年4月24日 (火)

流石に手早いヨットクラブ乗船

100mscMSCファンタジア号の
地中海クルーズとトリノ・アオスタ峡谷の旅(4)
2801

4月8日 15:00ジェノヴァ市内を回り、新港に停泊中のMSCファンタナ号に乗船。

24_01埠頭から見上げると本当にデカイ。流石ヨットクラブ、案内係が埠頭まで出迎えて、トランクの搬入を手配して、乗客を乗船手続きの窓口まで案内してくれ、速やかに手続き完了、クルーズカード手にした。NO16023。

25_02クルーズカードとは、写真入りのルーム・カードでキャビンの鍵、船内でのクレジット機能のあるもの。
かって10年ほど前、コスタ社のヴィクトリア号で大西洋カサブランカ・カリアナ諸島までクルーズをした同じ出発のジェノヴァ港で、大変な違いだった。
26_0316階左舷023室テラスからジェノヴァの町を見下ろした。かなり高い位置からの眺めで、素晴らしい。
16:00から避難訓練。早めに指定された「6階D」に降りて待つことにした。帰りはエレベータは大混雑、やむを得ないことではある。
27_04本船は17:00ジェノヴァ港を出港、テイレニヤ海を東から南東、イタリア半島の沿岸を第一の寄港地ナポリへ向かった。右肩のカットは翌9日9:45撮影した本船の位置。

つづく。(写真をクリックすると拡大)


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2012年4月23日 (月)

古くから貿易でたつジェノヴァかな

100mscMSCファンタジア号の
地中海クルーズと
トリノ・アオスタ渓谷の旅(3)

専用バスでミラノを発ってジェノヴァへ。午後からの乗船まで、昼食をはさんで市内観光。

0401ジェノヴァはリグーリア州ジェノヴァ県の首都で、周辺コムーネを含め約90万人の人口を抱えるイタリア有数の大都会。さらに海港を備え、古くからアマルフィー、ヴェネツィア、ピサなどとともに海洋国家として栄えた。

0903_3現代でもイタリア最大の貿易港であり、地中海でも有数のコンテナ取扱量を誇っている。
ミラノ、トリノという北イタリアの産業都市の工業製品や輸入品のみならず、ジェノヴァ自体も大きく発展しさまざまな産業が生まれているという。

10012006年にはレ・ストラーデ・ノーヴェ及びパラッツィ・デイ・ロッリが世界文化遺産に登録された。歴史ある街並みが市内中心部に大きな規模で残っており、貴族の邸宅から庶民の町まで、中世自治都市の栄華を伝える雰囲気がある。また旧港を中心とした旧市街は未整備のままだったが、1992年に万国博を開催、都市内部の再開発事業などで、歴史を生かした港湾都市を目指している。
一方、第二次世界大戦後は郊外の新港を中心に発展してきている。

16_01写真説明
上から昼食をとった「レ・ルネ」町の中心部の路地を入った店で、美味であった。
みごとな噴水のあるフェッラーリ広場。
コロンブスの館。青年期を過ごした家。
22_02_4四季折々の花で飾られる花壇のある広場。

左がサン・ロレンツオ大聖堂。20_3

右は旧港通りに面し、壁一面に壁画で飾られたピエテロ教会。

つづく。写真をクリックすると拡大。





20



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2012年4月22日 (日)

乗船の前夜はミラノ花見かな

100msc_2MSCファンタジア号の
地中海クルーズと
トリノ・アオスタ峡谷の旅(2)

ヘルシンキで乗り継ぎ夕刻ミラノ・マルペンサ国際空港に到着。いよいよ旅の第一歩を踏み出す。

01hotel01ミラノは日本の稚内とほぼ同緯度というが、比較的温暖地。イタリア全土で首都ローマに次ぐ第2の商業、工業、金融の都市。2011年の近郊を含む都市圏人口は436万人、イタリア最大の首都圏を形成。服飾・繊維産業などファッション関連の産業が盛んな土地柄であったが、近年は航空機、自動車、精密機器の工業が発達してきておりイタリア最大級の経済地域を形成している模様。

02hotel02ミラノは地中海クルーズの交通の要衝で、到着、出発、あるいは乗り継ぎで、一番多く利用している空港。比較的温暖とはいってもアルプスの麓、吹雪・積雪で足止めを食った思い出もある。

03hotel03空港近くのクラウンプラザ・ミラノ マルペンサ エアポートに宿を取ったが、駐車場周囲に植えられた八重桜が満開で、歓迎してくれているようで、うれしかった。

明日はジェノバに出ていよいよMSCファンタジア号に乗船だ。
つづく。写真をクリックすると拡大。 

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2012年4月21日 (土)

地中海一回りしたファンタジア号

100msc101mscMSCファンタジヤ号の
地中海クルーズと
トリノ・アオスタ峡谷の旅
(1)

旅の概要 

102msc4月7日9:00 成田からフィンランド航空AY074便にてヘルシンキへ。所要時間10時間15分、時差マイナス6時間。
AY795便に乗り継ぎミラノへ。所要時間3時間、時差マイナス1時間。
ミラノ近郊のホテル泊。

4月8日 ミラノからジェノヴァへ。乗船までジェノヴァの街並みを散策。
15:00乗船。さすがファンタジア号のヨット・クラブ、乗船手続きは極めて順調、荷物も同時に16023キャビンへ。まづは避難訓練、6デッキDまで降りる。それから夕食となる。
17:00本船はナポリへむけ出港。
(写真は4月10日シチリヤ沖5:42撮影の朝日)

103msc_24月9日 11:30ナポリ到着。フェリーにてカプリ島観光。
19:30 本船はシチリヤ島パレルモへ向け出港。

4月10日 9:00パレルモ到着。専用バスで市内観光。
17:00 本船はチュニジア・チュニスに向け出港。

4月11日 7:00チュニスに到着。専用バスで市内観光。
17:00 本船はバルセロナに向け出港。
(写真は4月11日チュニス出港直後の18:47撮影の夕日)

4月12日 終日クルーズ。

4月13日 9:00バルセロナ到着。終日自由行動。
18:00 本船はマルセイユに向け出港。

4月14日 8:00マルセイユに到着。港町カシスからボートでレ・カランク周遊。
17:00 本船はスタートしたジェノバへ向け最後の航海へ。

4月15日 8:00ジェノバに到着。クルーに別れを告げて順調に下船。専用バスでトリノに向かい、旧市街を散策。司教館を2004年に改装・オープンしたという、ヴィラ風の「ルレ・ヴィラ・マティルデ」で丘の一夜を過ごす。

4月16日 専用バスでアルプスの峡谷最深部チェルビニヤまで入ったが,秀峰マッターホルンはガスで見られず。ローマ時代からの要所・アオスタの町を観光してヴィラで二泊。

4月17日 専用バスでミラノに出て、AY794便でヘルシンキ、乗り継ぎAY073便で4月18日に無事帰国。

右上の写真は船内ビデオによる航海図。(赤点から時計回り)

MSCファンタジア号のシップ・データ
★就航:2008年12月 ★速力::23.3ノット ★全長:333m ★全幅:38m
★総トン数:133000㌧ ★客室::1637室 ★乗客数:3274名 ★乗組員:1325名
ちなみに我々のヨットクラブ専用エリアは14~18階の前方上層部分。

明日から詳細を連載予定。写真をクリックすると拡大。


103msc

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2012年4月16日 (月)

有馬の寺院のご朱印帳

有馬の寺院のご朱印

06温泉寺(おんせんじ)
神戸市北区有馬町1641
TEL 078-904-0650
参拝 2012年3月18日
記事 2012年4月13日参照

05極楽寺(ごくらくじ)
神戸市北区有馬町1641
TEL 078-904-0235

参拝 2012年3月18日
記事 2012年4月14日参照

04念仏寺(ねんぶつじ)
神戸市北区有馬町1641
TEL 078-904-0414
参拝 2012年3月18日
記事 2012年4月15日参照

(ご朱印をクリックすると拡大)

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2012年4月15日 (日)

高台に北の政所の別荘が

神戸・有馬の旅10(完)

Photo_2念仏寺(ねんぶつじ)

奈良時代の高僧・行基が温泉療養を行うために薬師如来を祀る温泉寺を建立して以来、繁栄を取り戻したという。念仏寺は天文7年、谷之町に創建されたもので、慶長年間に現在地に移った。

2_2ここは見晴らしの良い高台で、太閤秀吉・北の政所の別荘の跡地であった。
本堂は有馬温泉で最も古い建造物で、正徳2年(1712年)の建立。ご本尊は快慶作と伝えられる阿弥陀如来立像、法然上人ゆかりの浄土宗のお寺。

3_3全国各地で耳にする高僧・行基だが、ここ有馬温泉を訪れて初めてその肖像にお目にかかったので、一枚!。
初夏には庭に咲く沙羅(しゃら)樹の花が咲くという。樹齢250年といわれ、この花は咲いて一日で散るところから無常を感じる花とされ、次から次へと咲き、そして散りゆく花は苔の庭一面にちりばめられるそうである。花の見ごろは6月中下旬、6月18~20日には一弦琴と沙羅の花鑑賞会が催されるという。

(「神戸・有馬の旅」はこれにて完了。写真をクリックすると拡大)



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2012年4月14日 (土)

太閤の湯屋跡が出た極楽寺

Photo神戸・有馬の旅9

極楽寺(ごくらくじ)

有馬温泉の中心地に位置し、伝承によると聖徳太子の創建。後に衰退したが奈良時代に僧・行基が建立した。鎌倉時代に僧・仁西が12宿坊を創り、その一つとして復興されたいう。法然上人もこの地で説法し、中興の祖とされている。

3ご本尊は万治2年(1659年)厭求(えんぐ)上人の作とされる阿弥陀如来座像。
念仏の道場として栄えたが数度の焼失・移転などを経て、現在の堂宇は1782年に再建されたもの。
平成6年太閤さんが使った湯屋(浴場)の跡が、当寺・書院の床下で確認された。

2寺の裏手には極楽泉源があり、湯を引いた跡や、排水路などが備わっている。広さは約40畳、屋根が付き、木製の風呂桶があったとされる。
徳川家康の代になり秀吉のものはすべて打ち壊されたといわれるが、ここだけは奇跡的に残ったようだ。
つづく。
(写真をクリックすると拡大)

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2012年4月13日 (金)

温泉街で「お薬師さん」と親しまれ

神戸・有馬の旅8

Photo_2温泉寺(おんせんじ)

薬師如来の導きで有馬温泉を訪れた僧・行基によって神亀元年(724年)開基されたと伝えられる古刹。有馬温泉の歴史とともに盛衰を同じくしたお寺。

2幾たびもの火災にあい、現在の本堂は1782年に上棟されたもので、ご本尊は勿論阿弥陀如来(重要文化財)、それに十二神将像が安置されている。地元では「お薬師さん」と、親しみを込めて呼ばれている。

3_4本堂右の奥に、かって屋根を飾った多くの鬼瓦が残してあったので、記録してきた。

4_5毎年1月2日に当寺に祀られる行基菩薩像と仁西上人像を初湯で清め、温泉街を練り歩く「入初式」が新年行事として行われるという。
つづく。

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2012年4月11日 (水)

太閤さん湯治のための御殿まで

神戸・有馬の旅7

Photo有馬温泉と湯泉神社

湯泉神社は有馬温泉を発見されたというオオナムチノミコトとスクナヒコナノミコトなどの神々が祀られ、有馬温泉の守護神として親しまれている。

3有馬温泉が世に広く知られるようになったのは、奈良時代に行基菩薩が温泉寺を建立し、鎌倉時代に仁西上人が12の宿坊を建ててからといわれ、さらに太閤秀吉が湯治のために度々訪れ、戦乱や、大火で衰退した有馬の改修を行い、また湯山御殿を建てた。江戸時代に入るとその効能が全国で評判の湯治場となって、有馬千軒といわれ、繁盛するに至った。
温泉
神社の周りに3寺院が並んでいる。つづく。

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2012年4月 9日 (月)

神戸の神社・ご朱印帖

神戸市の神社

02湊川神社(みなとがわじんじゃ)
旧別格官幣社
中央区多門通3-1-1
TEL 078-371-0001
参拝 2012年3月17日
記事 2012年3月30日参照

03生田神社(いくたじんじゃ)
旧官幣中社
中央区下山手通1-2-1
TEL 078-321-3851
参拝 2012年3月18日
記事 2012年4月5日参照

04一宮神社(いちのみやじんじゃ)

中央区山本通1-3-5
TEL 078-221-1281
参拝 2012年3月18日
記事 2012年4月7日参照

05二宮神社(にのみやじんじゃ)
中央区二宮町3-1-12
TEL 078-261-0275
参拝 2012年3月18日
記事 2012年4月8日参照

06三宮神社(さんのみやじんじゃ)
中央区三宮町2-4-4
TEL 078-331-2873
参拝 2012年3月18日
記事 2012年4月4日参照

(ご朱印をクリックすると拡大)

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2012年4月 8日 (日)

昔日を偲ぶ齢七百年の大ケヤキ

神戸・有馬の旅6

Photo_5二宮神社
一宮神社の東側、二宮筋商店街の近くにあり、ご祭神は正勝吾勝・カチハヤヒアメノオシホミミノミコトという長いお名前、天孫降臨の裏舞台を指揮したと伝えられる。「二宮さん」また「正勝さん」と愛称されている。この神様をお祀りする神社は数少なく、神戸市内では北区の杉尾神社だけのようだ。

2_3当社の創祀に関しては明らかではないが、神功皇后が生田大神に縁のある八柱の神々を祀る宮(一宮から八宮まで)に巡拝され、二番目に参拝されたことから二宮神社と称するようになったと伝えられる。その後、源平、南北朝、戦国時代、大東亜戦争と、時代とともに重なる戦禍を被り、昔日を偲ばせるものは樹齢七百余年を数える「ケヤキ」のみであるという。(上の写真の左側)

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2012年4月 7日 (土)

旧北野村の鎮守さま

神戸・有馬の旅5

Photo_4一宮神社
生田神社の北東部、山手・北野の一角にある一宮神社、ご祭神はタゴコロヒメノミコト、大国主命の后としてご一緒に日本国土開発と経営に協力されたと伝えられる。また神功皇后が三韓からの帰途巡拝された一社で、いらい生成発展、交通安全、厄除け、縁結びの守護神として、旧八部郡北野村の鎮守様とされてきた。

2_2元禄三年(1690年)の書に「市の宮」と記され、神社を中心に一定の日に市が立ったと推定され、以来商売繁盛の霊験あらたかとして、信仰されている。
本殿は戦災で焼失、昭和30年再建され、阪神淡路の大震災では無事であったという。すっきりした春日造り。

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2012年4月 5日 (木)

幾たびも被災から復興「蘇る神」

神戸・有馬の旅4

Photo_3生田神社(いくたじんじゃ)
御祭神はワカヒルメノミコト 旧官幣中社、かって中央区の一帯が社領であり、これが「神戸」という地名の語源。神宮皇后以来の歴史を有し、地元では「生田さん」として親しまれてきた。

2社殿は、昭和13年(1938年)神戸大水害、昭和20年(1945年)神戸大空襲、平成7年(1995年)阪神・淡路大震災など何度も被災しながら、その都度復興され、「蘇る神」としても崇敬されている。

3境内北側に「生田の森」と呼ばれる鎮守の森が広がっていて、かっては源平の戦場にもなって、今では市民の憩いの場になっている。

西北門を抜けて一宮神社に向かう。

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2012年4月 4日 (水)

国難救える烈士・滝善三郎正信

神戸・有馬の旅3

Photo三宮神社
国際港・神戸市の中心をなす繁華街に天照大御神の御子タキツヒメノミコトを祀り、交通安全、商工業の繁栄を守る神、また知恵授けの神として崇敬篤い神社である。

Photo_2明治維新ごろまでは一面田園に過ぎず西国街道沿いの、鬱蒼とした森の中にあったようだ。享保17年(1732年)の創祀と推定されるきわめて古い神社。境内に清水の湧き出る井戸があり、航海中の飲料水として重宝されていたという。

神戸事件 この神社の前で突発した日本外交史に特筆される事件。大政奉還の前後に、備前藩の隊列の前を外人が横断しようとして傷害事件を起こしたもので、港に停泊していた米、英、仏、和などの軍艦の陸戦隊と銃火を交えることになった。明治天皇の勅使として東久世通禧が神戸運上所(現在の神戸税関)で六ヶ国代表と談判、備前藩士・滝善三郎正信が責を一身に負い切腹して落着したもの。

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2012年4月 2日 (月)

ダブリンの聖パトリック大聖堂

私の絵画(第四作)

聖パトリック大聖堂

121804
QE 英国周遊の旅、イングランド・リバプールから西へ、アイルランド・ダブリンへ。アイルランド守護聖人パトリックがキリスト教への改宗を勧めた拠点。ギネス社の莫大な資金援助で再建されたという。

★制作番号 121804
★題 名  聖パトリック大聖堂
★サイズ  F40号 94㎝×78㎝
★仕 様  マーメイド紙にホルべイン水彩絵具

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2012年4月 1日 (日)

志を高く目標に取り組め

4
寒かった3月もやっと終わり、今日から4月入り。チジコマっていないで、大きく胸を張りたい季節入り、新年度入りだ。
荒良寛先生も「志を高く、目標を立て、人生に取り組め」とおっしゃる。「意味のある人生」を送りたいものである。

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