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2011年8月29日 (月)

小坂町日本一の滝の町

寺社集印(余録)=岐阜・小坂町

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2_2小坂の滝めぐり

高山から下呂に向かう途中の道端に「小坂の滝めぐり」という幟が沢山出ていて、それにつられて入ってみた。
御嶽山の山麓に位置する下呂市小坂町は豊かな水と急峻な地形から滝の多い町として知られているそうで、落差5m以上のものが216も存在するという。

3_2滝めぐりは本格的登山技術を要する上級、中級クラスから、ウオーキング程度の初級クラスと、なんでも13のコースがあるという。(岐阜の宝物認定一号)

前面に立ちはだかる天然記念物の巖立(がんだて)を見ながら、初級のまづ「三ツ滝コース」を選ぶ。右に左に架け橋を渡って奥の滝に到着。(写真左上の3枚、下左は巖立、右はがんだて公園案内所)


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2011年8月27日 (土)

御嶽山の恵みをうけるナカイ棚田

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棚田百選NO.48 ナカイ田

2第5日、今日は下呂から高山までのほぼ中間点、飛騨川にかかる赤い橋を渡り、小坊集落にいたる。棚田100選NO48のナカイ田。所在地は高山市久々野町小坊、棚田規模は2.1ha、43枚。

3山の上には砂防堤がものものしく、果樹園が形成され、ここでも棚田の大きな役割である地滑りと土砂崩壊の防止に、役立っていた。

4こちら側は木曽御嶽山の水系か、乗鞍岳かは定かでないが、いずれにしても水源に恵まれ、稲はすくすくとシッカリ株を張っていた。

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2011年8月26日 (金)

ご朱印帖(岐阜)

岐阜の神社のご朱印

05 飛騨一宮・水無神社
高山市一之宮町5323
TEL 057-753-2001

参拝 2011年8月5日
記事 2011年8月10日参照

06 飛騨天満宮
高山市天満町2-30
TEL 057-732-1466

参拝 2011年8月5日
記事 2011年8月11日参照

07 飛騨山王宮・日枝神社
高山市城山156
TEL 057-732-0520

参拝 2011年8月5日
記事 2011年8月12日参照

08 白川八幡宮
大野郡白川村荻町559
TEL 057-696-1624

参拝 2011年8月6日
記事 2011年8月13日参照

09 桜山八幡宮
高山市桜町178
TEL 057-732-0240

参拝 2011年8月7日
記事 2011年8月16日参照

10 長瀧白山神社
郡上市白鳥町長瀧138
TEL 057-585-2663

参拝 2011年8月8日
記事 2011年8月25日参照

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2011年8月25日 (木)

美濃側の白山信仰の拠点なり

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寺社集印=岐阜郡上市

Photo_4滝から降りて白鳥町の南端に長滝白山神社と長滝寺がある。明治維新前は一緒に白山中宮長滝寺(はくさんちゅうぐう・ちょうりゅうじ)と称したが、神仏分離により二つに分離された。今も同一境内にあり、白山信仰の美濃国側の中心であったことに変わりはない。

2_3養老元年(717年)白山本地中宮長滝寺と号し、「越(こし)の大徳(だいどこ)」と呼ばれた泰澄(たいちょう)が創建。
天長9年(833年)白山信仰の
三馬場(馬場とは加賀の白山寺白山本宮、越前の平泉寺白山神社の三つの禅定道の起点のこと)に加わった。
平安時代には白馬三所、若宮社、大講堂、鐘楼、護摩堂、神楽殿、三重塔、法華堂、薬師堂、など30を超す堂宇が立ち並んでいたというが、文永8年(1271年)の火災で半数以上を焼失した。

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2011年8月24日 (水)

涼風とソーメン流しで大満足

Photo_2寺社集印(余録)
     =岐阜郡上市

棚田100選NO/55 正ケ洞(しょうがほら)から同じ沢を登ると今度は滝100選 阿弥陀ケ滝に通じる。

駐車場から整備された山道を行くと30分ほどで滝に着く。途中岩石がごろごろして、滝の水量が多く期待された。多分、白山山系の伏流水の多さを物語るものと考えられた。

2_2期待通り落差60mの阿弥陀ケ滝は迫力満点、水量も十分であった。また両岸に迫る岩盤はスケールの大きさを感じられた。滝の右側に祠があったそうだが,気付かずに来てしまって残念であった。

3_2それよりも山道の取っ付きにあるソーメン流しの店が気になった。店はウイークデーにもかかわらず、大変な混みようだったが、沢を渡る涼風に当たりながらの「ソーメン流し」はなかなか風流で美味、それにヤマメの塩焼きも結構だった。


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2011年8月23日 (火)

張った株から若穂がチラホラ

棚田百選=NO.55 正ケ洞(しょうがほら)

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2第4日 今日は郡上市白鳥町の基盤整備課を訪ね、     NO.55 棚田=正ケ洞のデータをもらう。教えられた道をやや通り越し、かえって先に反対斜面のカメラスポットから撮影。ちょっと逆光気味ではあった。

3さらに斜面を反対側に回って現場に到着。
所在地は岐阜県郡上市白鳥町前谷。2.7ha、24枚の規模。決して大きな規模ではないが、白山水系の水源に恵まれ、日当たりがよく稲はすくすくと伸び、張った株から若い稲穂も付き始めている。しかしここでも後継者不足で、
.上のほうでは休耕田らしきものもみられた。
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2011年8月22日 (月)

ご朱印帖(岐阜県)

飛騨の寺院のご朱印

08_2 飛騨国分寺
高山市総和町1-83
TEL 057-732-1395

参拝 2011年8月6日
記事 2011年8月15日参照

09 相応院
高山市桜町149
TEL 057-733-9620

参拝 2011年8月7日
記事 2011年
8月17日参照

10高山別院・照蓮寺
高山市鉄砲町6番地
TEL 057-732-0688

参拝 2011年8月7日
記事 2011年8月19日参照

11 雲龍寺
高山市若達町1-86
TEL 不詳

参拝 2011年8月7日
記事 2011年8月20日参照

12 大雄寺
高山市愛宕町67
TEL 不詳

参拝 2011年8月7日
記事 2011年8月21日参照

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2011年8月21日 (日)

念仏の根本道場大雄寺

Photo_5寺社集印=岐阜高山市

ここ高山の寺院群の中で最も古い歴史を持つという東林山・大雄寺(とうりんざん・だいおうじ)は天正14年(1586年)に建てられた。時の高山城主・金森長近が眼病を患い京都より薬師・堀安信を呼び寄せた。眼病が治った褒美に彼が望んだものは「私は念仏の信者であるから、この地に念仏道場が欲しい」とのことで、国府町上広瀬追分にあった証空上人開創の大雄寺が「飛騨の本願念仏根本道場」として、この地に移築された。ご本尊は阿弥陀仏。江戸時代に入り飛騨の国の徳川家菩提寺に制定され、葵御紋を賜った。

2_5高山市指定文化財である山門は総本山知恩院の山門を思わせる立派なもので、二代目水間相模の作。寛政3年の台風で倒壊したそうだが、徳川家よりの寄進で再建されたものという。

3_7境内にある池には蓮が水面を埋めるよう繁茂し、幾輪かの花も見受けられた。

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2011年8月20日 (土)

山門は高山城の黄雲閣

Photo_4寺社集印=岐阜・高山

曹洞宗には両本山(越前・永平寺と横浜鶴見の総持寺)
五院(普蔵院、妙高庵、洞川庵、伝法庵、如意庵)があるそうだが、この海蔵山・雲龍寺の開山は五院筆頭・太源禅師の直弟子・了堂禅師によることになっている。

2_4応永2年(1395年)了堂禅師の直弟である竹窓智厳禅師が飛騨を訪ね、白山権現の別当・妙観寺の荒廃を嘆き、堂宇を修復、天台密寺を曹洞宗に改め、了堂禅師の名で招請開山したとされる。

石段を登った正面に立派な鐘楼門があるが、これは金森藩が移封になり、高山城破却の際、城内二の丸にあった黄雲閣なる建物を下付され移築したもので、市の指定重要建造物になっている。

3_6歴代金森藩の庇護を受け、菩提寺であっただけに境内は見事に整備され、慶長五年(1600年)と1729年二度にわたる大火にあったのだが、見事に復興を遂げている。

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2011年8月19日 (金)

焼失と再建の照蓮寺

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寺社集印=岐阜・高山

2_3光曜山・照蓮寺(しょうようざん・しょうれんじ)は京都の東本願寺を本山とする真宗大谷派の高山別院。
その起源は鎌倉時代、開基は親鸞聖人の弟子嘉念坊善俊。当初は白川郷鳩ヶ谷(大野郡白川村)に、その後白川郷飯島に専修念仏道場を構え正蓮寺と称した。

3_4天正13年(1585年)現在地に堂宇を建立、末寺70を数える大寺となったが軋轢が生じ、東本願寺に献上、「高山御坊」となった。明治以降は高山別院と公称している。

照蓮寺は8回に及ぶ火災にあい再建するという歴史を繰り返してきた。最近でも明治8年(類焼)昭和20年(類焼)昭和30年(放火)と三度焼失したが、飛騨門徒の浄財と労力を結集して、昭和39年に耐火建築で建立,、現在に至っている。






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2011年8月17日 (水)

相応院廃仏きしゃくを乗越える

Photo_2寺社集印=高山市

桜山八幡宮のすぐ右隣に桜雲山・相応院がある。高野山真言宗のお寺で、高山聖天といわれる。飛騨観音霊場第2番、中部薬師霊場第40番の札所である。

2_2以前は隣の桜山八幡宮の別当寺で「長久寺」と称したが、明治初年の神仏分離令(廃仏きしゃく)によって廃寺となった。当時の住職兼神官・桜山識雄和尚は必死で仏教を守り、代官所(高山陣屋)に願い出て、高野山から相応院の寺号と阿弥陀三尊を祀る本堂をこの地の建立した。

3_3当院は高山陣屋から正鬼門に当たり、不動明王をお祀りして鬼門除けと住民の安全を祈願した。現在のご本尊である。

また飛騨で唯一、大聖歓喜天をお祀りしている。

円空が飛騨を訪れた際に刻んだとされる稲荷尊天、薬師如来の2体がある。

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2011年8月16日 (火)

高山祭時代絵巻きを繰り広げ

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2寺社集印=岐阜高山市

第3日、今日は高山市の寺社を参拝する。まず市内北東部にある桜山の桜山八幡宮。
仁徳天皇の御代(377年頃)飛騨山中に両面宿儺(りょうめんすくな)という凶族が猛威を振るい人民を脅かした。征討将軍・難波根子武振熊命(なにわねこ・たけふるくまのみこと)は官軍を率いて飛騨に入り、先帝・応神天皇のご尊霊を祀り、戦勝祈願をここ桜山で行ったのが、創始と伝えられる。(日本書紀)したがって主祭神は応神天皇。

3昭和51年造営の拝殿は流造(ながれづくり)総檜の立派なもの。
秋の例祭である高山祭は10月9日本殿で例祭斉行、境内・参道に11台の屋台が集合、夕刻には屋台提灯にそれぞれ点灯して曳き別れが行われる(宵祭り)。翌10日に宮司はじめ400名で時代絵巻さながらの御神幸行列が氏子内を巡幸する。屋台11台は国指定有形民俗文化財、高山祭は国指定無形民俗文化財。

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2011年8月15日 (月)

重文がどっさり詰まる国分寺

寺社集印=岐阜・高山

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2_4高山駅から5分、市の中心部に三重塔が聳える。文政4年再建された高さ22m、国内唯一の塔建築とされる(県重文)。
高野山真言宗の史跡、医王山・飛騨国分寺がある。聖武天皇の勅願になるもので、創建
は天平18年(746年)開基は行基菩薩。鎮護国家の願所、第一の古刹である。
本堂(室町時代)は国重文、間口26.6m奥行10m、単層入母屋造、銅板葺。

3_3ご本尊の薬師如来、それに聖観世音菩薩像、不動明王像は国重文、県・市指定の重文が多数詰まっているという。

境内に立つ樹齢1200年の大イチョウは孝女八重菊の悲話とともに授乳の信仰があり、乳イチョウと呼ばれている。

4山門右手には子供の成長を願う「飛騨のさるぼぼ」がぎっしり掛けられ、親心を表していた。どこの親も同じだと感じた。



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2011年8月14日 (日)

でっかいぞ合掌造りの明善寺

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2_2寺社集印=岐阜・白川郷

浄土真宗の古刹・明善寺。約260年前の寛延元年(1748年)に創建され、江戸時代に建てられた本堂、鐘楼門、庫裡ともに茅葺の合掌造りのまま保存されている全国でも珍しい寺。

3_2五階建ての庫裡は白川村でも最大級の合掌造りで、郷土博物館として公開され、一階は囲炉裏の間、二階に当時の暮らしぶりを偲ばせる農機具、民具などを展示している。
当日は土曜日とあって観光客で大賑わいであった。

2_6天気が良くないし、人ごみなので、村内を一望できる展望台に登るのは中止して、高山に戻ることにした。

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2011年8月13日 (土)

どぶろくで実りを感謝八幡宮

寺社集印=岐阜・白川郷

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2第2日目、高山から東海北陸自動車道に乗り世界遺産に登録された白川郷に入る。小雨の中、大勢の観光客が押し掛けていた。まずは一番奥まった白川八幡神社へ。

3右手に合掌集落にふさわしい茅葺屋根の釈迦堂が目につく。寛永4年(1627年)に創建されたという神仏混合時代の遺物。阿弥陀、釈迦、日輪、月輪の四体の仏像は当神社の社宝になっている。
白川八幡宮は和銅年間(708~715年)創建、ご祭神は応神天皇。「どぶろく祭り」で知られている。

Photo_2左手にその「どぶろく祭りの館」が建っている。毎年10月14~15日が例祭で、神にお供えしたこの年のどぶろくの御神酒が村の人々、遠来の参拝者一同に振るまわれる。山々が紅葉する秋、郷土芸能が奉納され、氏子と参拝者が一緒になって、この年の収穫を神に感謝するという昔ながらの伝統的な祭り。今年も豊作を約束するように稲穂がぼつぼつ出始めた白川郷の夏ではあった

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2011年8月12日 (金)

飛騨匠精緻を凝らす屋台曳き

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寺社集印=岐阜・高山

2高山市の城山にある飛騨山王宮・日枝神社に参拝。ご祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)。古事記に「近つ淡海の国の日枝の山に坐し(今の日吉大社)また葛野松の尾(京都松尾大社)に坐す」とあり山林の主神であると同時に殖産興業の神として崇められて来た。

3永治元年(1141年)飛騨守平時輔朝臣が石光山城(現在の片野町地内)に近江の日吉大神を勧請したのが始まりという。高山市の南半分の氏神「山王さま」として親しまれている。

例大祭である「山王まつり」は国指定重要無形民俗文化財に指定され、12台の「屋台」が曳き出される。なかでも龍神台、三番曳、石橋台の三台には精緻なカラクリ人形があり、飛騨匠の技が彫刻に、金具に、塗に、染色に余すことなく発揮されているという。
京都の祇園祭、秩父の夜祭とともに日本三大祭りの一つで、毎年4月14,15日に行われる。




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2011年8月11日 (木)

菅公の三男坊が建てた宮

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2寺社集印=岐阜・高山

日枝神社に向かう途中、飛騨天満宮を発見、さっそく参拝。本殿右手には石牛がお使いとして控えている。また左手には願掛けの「撫で牛」。

3延喜元年正月、菅原道真公は九州大宰府に配流となり、時を同じくして三男・兼茂(かねもち)は飛騨の国府に近いこの花里の地に流された。延喜三年、父の死を聞かされ悲嘆のあまり、この地にあった梅の木に像を刻み祠を建立した。

4延長元年、一族の無実が認められて、帰都の際、里人にいつまでも祭祀を続けるよう懇請された。これが飛騨天満宮の創建とされている。

写真下は高山市指定文化財の飛騨地方最古の石造りの鳥居。

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2011年8月10日 (水)

木の国にふさわしきかな杉檜

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2寺社集印=岐阜・高山

8月4日に出発して飛騨に来ている。下呂に宿をとり、高山市、白川郷、それに郡上市を約一週間取材する?予定。
まず初日は飛騨一宮・水無(みなし)神社にご挨拶する。

3御祭神は水無神、日本の分水嶺に坐し、水源と交通の要所を鎮め「作神さま」として、美濃、信濃、越中など広い地域にわたって農業を奨励し、民生の安定を進められた神様。
古来、飛騨一宮として名高く、創始年代は神代といわれるが、清和
天皇の貞観九年(867年)神位を授けられたという。明治四年国幣小社に列せられた。

4前を流れる宮川の川床が上がり伏流して水無川の地名ともなっている。源流は「位山」にあり、神体山として奥宮がある。この霊山は一位(櫟・イチイ)の原生林で覆われ、天然記念物に指定されている。
中の写真は境内にある御神木「杉の大樹」で齢800年、下の写真は700年を超すといわれる二本檜、まさに「木の国」にふさわしい大樹である。
一方、「大原騒動」は
暗い影を残す。飛騨一円を巻き込んだ一大農民一揆で、この神社は最後の砦として大集会場になり、悲しい終焉の地になったという。
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2011年8月 7日 (日)

ご朱印帖(神奈川)

箱根の寺院のご朱印帖

10_2 興福寺
箱根七福神・布袋尊
元箱根
TEL 046-083-6612
参拝 2011年7月24日
記事 2011年7月26日参照

11_2 守源寺
箱根七福神・大黒天
畑宿
TEL 046-085-5237
参拝 2011年7月25日
記事 2011年7月29日参照

12阿字ヶ池弁財天
箱根七福神・弁天
芦の湯
TEL 046-083-6531
参拝 2011年7月28日
記事 2011年8月4日参照

14_2 本還寺
箱根七福神・寿老人
箱根町
TEL 046-083-7686
参拝 2011年7月27日
記事 2011年8月3日参照

花の寺=神奈川の2寺
12_2 長安寺
神奈川第12番
千石原
TEL 046-084-8187
参拝 2011年7月26日
記事 2011年8月2日参照

13 本還寺
神奈川第13番
箱根町箱根
TEL 046-083-7686
参拝 2011年7月27日
記事 2011年8月3日参照

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2011年8月 6日 (土)

ご朱印帖(神奈川)

箱根の神社のご朱印帖

08 箱根神社
箱根七福神・恵比寿神
元箱根
TEL 046-083-7123
参拝 2011年7月24日
記事 2011年7月25日参照

09 駒形神社
箱根七福神・毘沙門天
箱根町
TEL 046-083-7659
参拝 2011年7月24日
記事 2011年7月27日参照

10 箱根元宮
駒ケ岳山頂


参拝 2011年7月25日
記事 2011年7月28日参照

11 山王神社
箱根七福神・福禄寿
小涌谷
TEL 046-082-4126
参拝 2011年7月28日
記事 2011年8月4日参照

(ご朱印をクリックすると拡大)

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2011年8月 5日 (金)

最終日やっとおがんだ富士の山

寺社集印(余録) 神奈川・箱根

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2_4大涌谷に登ってみるとガスのかかった中、結構な賑わいを見せていた。またロープウェイも霧の中をせつせと運航していた。箱根といえば芦ノ湖、大涌谷、それに富士山の景観だろうが、一週間近くいて富士山は一向にお目にかかれなかった。

3_3ボヤキながら駐車場を出ようとしたら、やっと雲に包まれながらも、その姿をちょっと見せてくれた。旅の終わりを飾るにふさわしい一枚となり、安全な旅に感謝。これにて「箱根の旅」は一旦おわり。
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2011年8月 4日 (木)

一通りj巡拝終えたよ七福神

Photo_3寺社集印=神奈川箱根

元箱根から国道1号線を登ると小涌園までのほぼ中間(7月31日号に掲載した石仏群を通り過ぎる)左手に芦之湯温泉があり、その手前に阿字ケ池弁財天はある。箱根七福神に属する。阿字ケ池なるものを探したが、ほんの小さな沼であった。

Photo_4小涌園に広がる一大リゾート施設の中心に藤田伝三郎の別荘があり、守り神としての山王神社の分霊として建立されたのが箱根七福神の福禄寿御堂。ユネッサン3階から出た庭園内に設けられている。静かなたたずまいの中にある。

Photo_5道路を隔てて山中に山王神社はある。これも箱根神社の末社に当たるのだろう。箱根の山並みを望むリゾート地特有の喧騒の中で、ひっそりと鎮座していた。

これで箱根七福神は一通り巡拝したことになる。
(写真をクリックすると拡大)




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2011年8月 3日 (水)

境内に野草園持つ本還寺

寺社集印=東国花の寺 神奈川第13番

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2_2箱根関所が置かれた元和4年(1618年)雲霊という僧によって関所近くに開かれたという本還寺(ほんげんじ)。浄土宗のお寺で、東京港区にある心光院が本寺、その住職が兼務しているという。

3_2箱根七福神・寿老人を祀るお社が本堂左手にある。

花の寺にふさわしく境内に「芦ノ湖野草園」が設けられている。これは裕福な檀家が整備したもので、園内には日本国内はもちろん、世界各地から集められた山野草、花木が約1800種植栽されているという。

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象徴とされるヤマユリは今が見頃と訪ねたのだが、イノシシに根ごと荒らされたとかで、あまり多くは見れず、さびしいので宿の駐車場に咲いていたものをここに紹介する。(写真をクリックすると拡大)






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2011年8月 2日 (火)

驚いた五百羅漢の賑やかさ

寺社集印 東国花の寺=神奈川第12番

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2箱根は今日もお天気が芳しくないので、宿(湖尻)から最も近い仙石原にある龍虎山・長安寺を訪ねる。
延文3年(1356年)姥子山・長安寺として創立されたが、明暦元年(1655年)現在地に機山労逸和尚が開山、山号を龍虎山と改めそうだ。

3曹洞宗のお寺で、ご本尊は釈迦如来。花の寺としてシュウメイギクが代表に挙げられているが時期がやや早かったようだ。紅葉は見事と聞いた。それに石仏の多さには驚いた。上2枚の写真は庫裏玄関の左右におかれた石仏。

4弁天池の中、周囲、さらに参道いたるところに石仏が点在し、墓地に至る山林に五百羅漢がおかれ、昭和60年から建立が始まり、現在なお進行中。喜怒哀楽の表情を浮かべた、人間味のある仏たちであった。
(写真をクリックすると拡大、なお趣味人クラブ石仏サロンに連載)





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2011年8月 1日 (月)

貧乏はまだ序の口と悟らねば

2010_8
今日から8月。まだ暑い暑いと言いながらあと一か月か、二か月の辛抱と云うところだろう。月遅れの盆が過ぎれば何とかなるだろう。

今月も荒良寛サンのカレンダーをお届けする。節電だ、クールビズだと騒いでいるが、世の中飽食に明け暮れ、贅沢な毎日を送っている昨今、まだまだ贅沢の極みだと思う。本当の貧乏は序の口でしかない。気を引き締めてかからねば…。

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