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2011年1月30日 (日)

梅は咲いたが桜はまだかいな・・・

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01091 上野散歩

先に紹介のように上野の山の梅はほぼ満開の状態になっている。ここのところ冷え込みがきつかったので、足踏みしていたようだが・・・。


01093  一方、早咲きのカンザクラはどうかと、カメラを向けてみても先の方に一つか二つ。やっと開いたという風情で蕾も固い。まだしばらくは時間がかかりそうである。

01092_2 「梅は咲いたが桜はまだかいな」「マダデス」といったところ。一月は気忙しく過ぎようとしている。
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2011年1月29日 (土)

ご朱印帖(神奈川県)

鎌倉33観音霊場

3314 第14番 随我山・来迎寺(らいこうじ

時宗
鎌倉市材木座2-9-19
参拝 2011年1月21日
記事 2011年1月28日参照

3315 第15番 円龍山・向福寺(こうふくじ)

時宗
鎌倉市材木座3-15-18
参拝 2011年1月21日
記事 2011年1月28日参照

3316 第16番 内裏山・九品寺(くほんじ)

浄土宗
鎌倉市材木座5-13-14
参拝 2011年1月21日
記事 2011年1月27日参照

3317 第17番 南向山・補陀洛寺(ふだらくじ)

真言宗
鎌倉市材木座6-7-31
参拝 2011年1月21日
記事 2011年1月27日参照

3318 第18番 天照山・光明寺(こうみょうじ)

浄土宗
鎌倉市材木座6-17-19
参拝 2011年1月21日
記事 2011年1月25日参照

3319 第19番 天照山・蓮乗寺(れんじょうじ)

浄土宗
鎌倉市材木座6-16-15
参拝 2011年1月21日
記事 2011年1月26日参照

3320 第20番 天照山・千手院(せんじゅいん)

浄土宗
鎌倉市材木座6-12-8
参拝 2011年1月21日
記事 2011年1月26日参照

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2011年1月28日 (金)

「念仏弘通」諸国遍歴の一向上人

01061 寺社集印=鎌倉市(9)

九品寺から北に向かうと第15札所・圓龍山・向福寺(こうふくじ)がある。「時宗・遊行派」に属している寺院であるという。総本山は藤沢の遊行寺。

01062_2 開基は弘安5年(1282年)一向俊聖上人とされている。ご本尊・阿弥陀如来、聖観音・勢至の両脇侍仏は重文に指定されている。
一向上人は浄土門に学び、諸国を遍歴、もっぱら念仏勧進を行としておられたようだ。念仏弘通の旅を続けながら弘安10年11月このお寺で入寂された。

01063一寸東に行くと、 同じ「時宗」の随我山・来迎寺(らいこうじ)第14番札所がある。(同じ名前の満光山・来迎寺・第5番札所は西御門にある)
建久五年(1194年)源頼朝は鎌倉幕府の基礎となった三浦大介義昭の霊を弔うため真言宗・能蔵寺を建立、頼朝死後、音阿上人が入山、おそらく「時宗」に改宗して能蔵山・来迎寺と号して法燈を継承しているという。
ご本尊は阿弥陀如来、札所本尊は聖観音。以上の経緯から一向上人も念仏弘通の旅でこの寺に立ち寄ったものと推察される。
(材木座から横須賀線を渡り大町に向かう。つづく。)

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2011年1月27日 (木)

頼朝や義貞の名の出る鎌倉てら

01058_2 寺社集印=鎌倉市(8)

南向山・帰命院・補陀洛寺(ふだらくじ)鎌倉33観音霊場第17番札所は養和元年(1181年)源頼朝が「祈願所」として開基、開山は文覚上人。創建当時は七堂伽藍を構えた大寺院であったが、度重なる火災や竜巻の被害に遭い、現在の本堂を残すのみとなったという。別名「竜巻寺」と呼ばれる。立派なサルスベリの木が目立つ。
ご本尊は十一面観世音菩薩、ほかに不動明王、薬師如来、日光・月光菩薩、地蔵菩薩などをお祀りしてあるという。

01059 内裏山・霊嶽院・九品寺(くほんじ)鎌倉33観音霊場第16番札所は新田義貞が勅命を奉じ北条攻めで鎌倉に下り、当地を本陣内裏とした。この双方の戦没者を弔うために新田義貞が建武三年(1336年)一宇を創建したのが九品寺である。

01060ご本尊は阿弥陀如来(聖徳太子の作・市重文)、札所本尊は聖観音。
境内から発掘された薬師如来石像は当寺建立以前の1296年の制作で、県重文に指定され、鎌倉国宝館に寄託展示されている。
(つづく。写真をクリックすると拡大)

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2011年1月26日 (水)

光明寺ささえる浄土の寺ふたつ

01055 寺社集印=鎌倉市(7)

さきの光明寺に向かって右手に蓮乗院、左手に千手院がある。

天照山・蓮乗院(れんじょういん)鎌倉33観音霊場第19番札所は、光明寺草創以前より、この地にあって蓮乗寺と称し真言宗に属していたようだ。

01056 光明寺創建の折、良忠上人は落成に至るまで当院に居住して督励された由緒により、その後の新住職は入山に際して、必ず一度当院に入ってから改めて本山方丈に入るという慣例が残されているという。
ご本尊は阿弥陀如来立像、札所本尊は十一面観音、勿論現在は浄土宗のお寺。

01057天照山・千手院(せんじゅいん)鎌倉33観音霊場第20番札所は左手にある。
かっては光明寺の僧坊だったと伝えられる。浄土宗のお寺。
ご本尊は千手観音、江戸時代には住職が子供たちに「読み・書き・そろばん」を 教え、明治時代には桑楊学校と呼ばれたという。
(つづく。写真をクリックすると拡大)

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2011年1月25日 (火)

葵と菊あちこち見られる光明寺

01050
01051 寺社集印=鎌倉市(6)

今日から材木座周辺の巡拝。鎌倉駅前から小坪経由逗子行きのバスに乗り材木座6丁目光明寺前で下車。広い駐車場を抜けると堂々たる二層の山門。(近く瓦葺き替え工事が始まるという。)

01052 鎌倉33観音霊場第18番札所=天照山・蓮華院光明寺(こうみょうじ)浄土宗の大本山である。創立は寛元元年(1243年)開山は浄土宗第三祖・然阿良忠上人、浄土宗に関する多くの書物を残され、89歳で入寂、生前の功績が認められ伏見天皇から「記主禅師」の号を賜ったという。

01053 ご本尊は阿弥陀如来、札所本尊は如意輪観音。
鎌倉幕府歴代執権の帰依をうけ、七堂伽藍を整え、関東における総本山として念仏道場の中心となった。
江戸時代に入り徳川家康は当山を関東十八壇林の筆頭におき、学問・修業の道場として、多くの僧が集まったという。
一方、皇室との関係も深く、後花園天皇から山門の「天照山」の掲額を、後土御門天皇から「関東総本山」の称号を受け、国と国民の平安を祈る「勅願所」となった。以後、引声阿弥陀経と引声念仏による十夜法要が勤められるようになり、今も古式によって毎年10月12日~15日に続けられているという。
(つづく。写真をクリックすると拡大)


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2011年1月21日 (金)

ご朱印帖(神奈川県)

鎌倉市のご朱印帖

3304 海光山 長谷寺(はせでら)

鎌倉33観音第4番札所
鎌倉市長谷3-11-2
参拝 2011年1月14日
記事 2011年1月16日参照

3307 岩蔵山 光触寺(こうそくじ)

鎌倉33観音第7番札所
鎌倉市十二所793
参拝 2011年1月14日
記事 2011年1月20日参照

3308_2 飯盛山 明王院(みょうおういん)

鎌倉33観音第8番札所
鎌倉市十二所32
参拝 2011年1月14日
記事 2011年1月20日参照

3321 普明山 成就院(じょうじゅいん)

鎌倉33観音第21番札所
鎌倉市極楽寺1-1-5
参拝 2011年1月14日
記事 2011年1月19日参照


3322 霊鷲山 極楽寺(ごくらく)

鎌倉33観音第22番札所
鎌倉市極楽寺3-6-7
参拝 2011年1月14日
記事 2011年1月17日参照

3323 大異山 高徳院(こうとくいん)
鎌倉大仏
鎌倉33観音第23番札所
鎌倉市長谷4-2-28
参拝 2011年1月14日
記事 2011年1月15日参照

09 鎌倉大仏

上に同じ





07 権五郎神社

鎌倉江の島七福神・福禄寿
鎌倉市長谷3-
参拝 2011年1月14日
記事 2011年1月17日参照

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2011年1月20日 (木)

朝比奈の切通しには寺二つ

01044寺社集印=鎌倉市(5)

鎌倉市内中心部を金沢街道朝比奈切通しを抜ける途中の十二所(じゅうにそ)の入口に明王院(みょうおういん)がある。
01045 門から車は入れず、境内は一切撮影禁止とあって、茅葺の本堂も外からの撮影。
飯盛山・寛喜寺・明王院は真言宗御室派のお寺で鎌倉33観音霊場第8番札所。
ご本尊は五大明王で「五大堂」とも称される。札所本尊は十一面観音。寛喜3年(1231年)鎌倉幕府4代将軍・藤原(九条)頼経の発願・開基、鎌倉時代には鶴岡八幡宮、永福寺、勝長寿院とともに重要な寺院であったようだ。

01047 カーブの多い道を登ると右手奥に光触寺(こうそくじ)がある。
鎌倉33観音霊場第7番札所の岩蔵山・光触寺は真言宗の寺を弘安2年(1279年)一遍上人の開基として時宗の寺とした。
01046 ご本尊は阿弥陀三尊(重文)、札所本尊は聖観音。
境内には塩嘗地蔵の石仏がある。

(つづく。次回からは材木座周辺の予定)

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2011年1月19日 (水)

成就院眺めうるわし由比が浜

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01043 寺社集印=鎌倉市(4)

極楽寺切通し西側斜面を登ると成就院の山門があり、材木座海岸が一望できる。見事な眺めである。ここはアジサイの咲く丘としても知れれるという。
普明山・法立寺・成就院(じょうじゅいん)鎌倉33観音霊場第21番札所。
01042 真言宗大覚寺派のお寺でご本尊は不動明王、札所本尊として聖観音菩薩
が祀られている。
創建は承久元年(1219年)開基は北条泰時とされているが、空海によって開かれたという説もあり、いずれにしても鎌倉時代には執権北条氏の帰依を得ていたようである。

(つづく。)

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2011年1月17日 (月)

極楽寺「地獄の谷」に移りけり

01037 寺社集印=鎌倉市(3)

長谷寺の駐車場を抜けて「西の切通し」へ向かう途中に、御霊神社(権五郎景政の霊を祀る)権五郎神社がありお参りする。当社は鎌倉江の島七福神の「福禄寿」を祀り、その意味でも参拝者が目立った。

01038鎌倉七口の一つである「極楽寺坂切り通し」近くに 茅葺の山門のあるのが霊鷲山・感応院・極楽律寺(りょうじゅさん・かんのういん・ごくらくりつじ)鎌倉33観音霊場第22番札所で、ここは真言律宗のお寺である。ご本尊は釈迦如来、札所本尊は如意輪観音。

01039念仏系の寺院を正元元年(1259年)北条重時が、当時「地獄谷」と呼ばれていた現在地に移したもので、僧・忍性が実質的な開祖であるという。
ここに極楽寺が建てられたのは、現実に死骸が遺棄されたり、行き場を失った者達が集まる「地獄」ともいうべき場所になっていたためであろう。現在は立派な「極楽寺坂切通し」になっている。
(つづく。写真をクリックすると拡大。)

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2011年1月16日 (日)

大和から流れ着いたか鎌倉へ

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01033 寺社集印=鎌倉市(2)

鎌倉33観音霊場第4番札所 海光山・長谷寺(はせでら)は二度目の参拝である。前回は2006年11月の坂東33観音(同じく4番札所)巡拝の折であった。天平8年(736年)大和の長谷寺の徳道上人を藤原房前が招請して開山された。大和の十一面観音の同木(末木)から刻した観音像が15年後に相模国の三浦半島に流れ着いたものとされる。

1101 山門からだらだら坂を登る途中に地蔵堂、お堂の周囲にズラリと並んだ千体地蔵に驚かされたものである。小ぶりながら今なお健在であった。

01035 大きな本堂・観音堂(ご本尊は十一面観音、トップの写真)を中央に、右手に厄除けの阿弥陀堂、左手に出世大黒天(七福神で賑わっていた)と堂々たる構えで、高台からきらめく太平洋が望まれる。

01034 境内もよく整備されているが、梅は時期的に一寸早く、1~2輪見られるのみであった。
(つづく。写真をクリックすると拡大)

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2011年1月15日 (土)

鎌倉のシンボルなるぞ大仏さん

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01029寺社集印=鎌倉市(1)

鎌倉33観音霊場第23番札所 大異山・高徳院・清浄泉寺(こうとくいん・しょうじょうせんじ)鎌倉大仏が余りにも有名なので、観音霊場との印象が薄かったが、大仏さんの裏手にしっかりと観音堂はある。札所本尊は聖観音。

01031 ご本尊は大仏・阿弥陀如来座像(国宝)。2004年に境内一帯が「鎌倉大仏殿跡」の名称で国の史跡に指定されたが、その開基、開山、大仏殿の規模・構造は不明と云う。また大仏の造立経緯や、大仏殿の倒壊時期についても諸説があり定かでない。
江戸時代の正徳年間(1711~16年)江戸・増上寺の祐天上人による再興以降は浄土宗に属し、材木座の光明寺(浄土宗関東総本山)の末寺となって現在に至っているそうである。
(つづく)

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2011年1月10日 (月)

上野山春の息吹はすぐそこに

上野散歩

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01025 今日は成人の日。松は取れたが、まだ寒のうち、東京でもこの2~3日は結構冷え込みが厳しい。そんななかお天気がいいので散歩道の南面の日溜まりでは、春の息吹が確実に聞えてくる。

01027中の写真は忍岡中学の日溜まり、三学期の始まりを待たず紅梅がはや7~8分咲き。見事な咲きっぷりである。

トップの写真は五条天神社の白梅。こちらはまだ蕾が膨らみはじめ2~3輪の開花と云ったところ。その上を見上げると(写真下)コブシが一斉に芽吹き、朝日に輝いていた。これから寒桜も咲き始め、にぎやかな季節の到来を予感させている。
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2011年1月 3日 (月)

地味ながら垣根の「ボケ」も咲き始め

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01023 上野散歩

カメラをもって上野散歩を再開。今年一番に目に入ったのがサザンカ。国立博物館裏通り、垣根の中に早くも花をつけていた。(あと動物園の脇にも比較的まとまったものがあった)。
01024 それにつづいて車道と歩道の境の生垣は「ボケ」。地味だが、小ぶりで薄いピンクと白が混じっている。半分くらい咲き始めている。春先に咲く一番好きな花である。

01021 話は違うが元日にスカイツリーの定置撮影をしておいた。随分高くなつた。そろそろアンテナが伸びてくるのではないだろうか。

また元日から東照宮では恒例の冬牡丹園が開幕している。冬牡丹にはやはり雪が欲しい。今年も期間中に雪が降れば、覗いてみようと思っている。

昨日の続き、箱根駅伝は復路、早大が山下りで東洋大を逆転、そのまま逃げ切った。21秒差の大接戦、通算タイムは二校とも新記録のようであった。

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2011年1月 2日 (日)

大禍なく「えと」一巡を過ごしけり

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01003_2 元日はまづ実業団ニユーイヤー駅伝競走のスタートを横目で見て、氏神様である元三島神社、入谷鬼子母神、鷲神社(トップ写真)それに飛不動までの初詣が定番になっている。
01004 飛不動・正寶院(航空安全)では「辰」から始めた十二支の小さな一刀彫を毎年いただくのが常で、今年の「卯」で丁度一巡したことになった。12年間、大病もせず大禍なく
平凡ながら日々を送れたことに大感謝である。
左の写真は正寶院の六地蔵と洗心童子。他に羅漢さん、風神・雷神、それに奉納された多くの石仏が祀られている。

さて、今年の駅伝は富士通、日清食品、トヨタ自動車3社の大接戦が続き、ゴール200m前からのスパートでトヨタが競り勝って、初優勝を飾った。2位富士通、3位日清。天皇杯サッカー決勝は鹿島が清水を2-1で降した。二日からの箱根大学駅伝はトップの早稲田大が山登りで東洋大にかわされ往路2位、優勝は東洋大。以上、元日、二日は毎年テレビ観戦三昧である。

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2011年1月 1日 (土)

新年も厳しく当たれ自分には

2010_
2010_11  
謹賀新年
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。

さて、今年も荒良寛先生のカレンダーから始まる。正月早々に厳しいことをおっしゃるが、自分に厳しく、救済の精神をもってゆかねばなるまい。

左の写真は年賀状に使ったポストカード。琵琶湖竹生島の都久夫須麻神社と宝巌寺(西国33観音霊場第30番札所、2009年5月11日参拝)を水彩で描いたもの。

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