« 2010年1月 | トップページ | 2010年3月 »

2010年2月27日 (土)

待てば来る三月もまた幸せも

上野散歩

雪の朝、東照宮の冬ぼたん園を覗く。今週いっぱいと聞いた。やはり花そのものは痛んでいたが、「雪にぼたん」の風情はなかなかいいものであった。写真をクリックすると拡大。
1003_2 1003_3

1003_6

1003_5

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月26日 (金)

春の雪一寸の風にすぐ消える

上野散歩

18日の朝、予報通り東京にも雪がかすかに積った。早速カメラ持参で何時ものコースに出掛ける。科学博物館のクジラは背中にウッスラ雪を背負っている。東照宮ぼたん園の小さなエリカも.淡い雪に埋まっている。両大師の福寿草は元気に自己主張していた。写真をクリックすると拡大。
1003
1003_4

1003_7 1003_8

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月24日 (水)

コーチンよあっという間のお別れよ

クイーン・メリー2 インド洋横断クルーズ(12)

02076_2 一休みして、気分も持ち直したので、出港のアナウンスで7デッキ甲板に出てみた。本船はゆっくり岸壁を離れている。船尾の方に回ってみると、出港を眺める人、そうでない人、相当に込み合っている。上部のサンデッキにも見物人が並んでいる。
02080 対岸にも人々で出港を見守っている。今日も晴天、波穏やかでいい一日だった。(風邪さえひかなければ・・・)
これで初のインド訪問はあっけなく終わった。下船観光の後半、すなわちセントフランシス教会と入り江のクルーズ(本船全景写真の撮影)、それにチャイニーズフィッシングネットのある漁村の訪問は、中断してつくづく惜しまれるものだった。
02081 フィッシング・ネットの漁村の脇を本船は通過(写真下)。ここにも別れを惜しむ人々が岸を埋めている。さらばインドよ!コーチンよ!である。
さて本船はスリランカの南を迂回し、タイのプーケットに向かう。二日連続の航海をつづける。

(ここでクルーズ前半はひとまず終わりとして、後半は来月早々からの連載となります。)写真をクリックすると拡大。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月23日 (火)

風邪のため下船観光中断す

クイーン・メリー2 インド洋横断クルーズ(11)

02072 風邪気味で辛いので、香辛料、サリーの商店、また土産物屋の立ち並ぶシナゴグを路地伝いに抜けて表通りに出る。そこには三輪車を改造したオンボロ・タクシーが何台も砂ぼこりを立てて往来しているので、その一台を止めて、港までの交渉。10米㌦でいいというので、途中でタバコをねだられながら、とにかく帰ってきた。予定していたフォート・コーチン地区、入り江のクルーズなどをキャンセルしたのが非常に惜しまれた。
02073 エーナクラム港に帰って来るとQM2の巨体が、まるで10階建のビルのように聳えている。南国特有の風景にほっとしながら、検問を通り、クルーズ・カードを提示して、持物検査をうけて、やっと「船の人」になる。
02074 とにかく軽い昼食を摂り、持参の風邪薬を飲んで、出港までの数時間、寝ることにする。下船観光の日中の船内は極めて静かで、十分に休むことが出来た。
(つづく)写真をクリックすると拡大。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月22日 (月)

ヒンズーの身分制度は今もなお?

クイーン・メリー2 インド洋横断クルーズ(10

02068 港で現地ガイド・ヤコブさんと合流して、コーチンの市内観光に向かう。まず、かってのマハラジャの住居だったダッチ・パレスへ。ここでは、ケーララ州で生活していた人々、また王族の様子を知ることが出来た。
02069 二階から共存するキリスト教会、その先にはヒンズー教会が眺められた。最も多いヒンズー教にまつわる身分制度・カースト制度の影響は今でも残っており、複雑な身分制社会を形成しているという。貧困に苦しむ人の多い国ともされるが、近年の経済発展で、低所得者層の生活も改善傾向にあるとする見方もある。
02070 歩いて数分のところにユダヤ人街のシナゴグに移動。2000年も前からこの地にユダヤ人がやってきたて、住みついたという。彼らは交易を盛んにして、そのため美しいシャンデリヤや中国製のタイルなども多く見られた。また、香辛料を商いスパイス・マーケットも存在していた。

02071 小さな店の立ち並ぶ中、狭い道路には地元の人、QM2からの下船観光客でごった返し気分が悪くなり、これ以降の観光は見合わせ、船に帰ることとした。
(つづく)写真をクリックすると拡大。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月21日 (日)

デッカイなつくづく見上げるQM2

クイーン・メリー2 インド洋横断クルーズ(9)

02064 いよいよ第一の寄港地、南インド・コーチン・エーナクラム港の埠頭に右舷から接岸。正面には検問ゲートが設けられ、銃を持った兵士も散見される。
昨日は船内で、インドの審査官が乗船しての入国審査が行われた。下船観光でも入国ビザが必要だった。(パスポートの携帯は不要)通貨はルーピー、米㌦と交換するが、市内でも米㌦は使えるという。
02065_2 インドは南アジア随一の面積と、世界第二位の人口を持つ大国と聞く。10億を超える国民は多様な民族、言語、宗教によって構成されている。州境を超えると全く違う言語が話され、それぞれの文化芸術があるため、「インドは国と云うより大陸である」と表現されるという。
02067中央政府とは別に各州に政府があり、大臣がいる。言語が15を超えるため、中央政府の発行する紙幣には17の言語が印刷されているという。
いよいよ、朝食もそこそこに、下船だ。インドの大国ぶりを学習したが、埠頭の降り立つて見上げる本船のバックスタイルも、また違った意味でデッカイもの
ではある。
(つづく) 写真をクリックすると拡大。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月20日 (土)

初めてのインド訪問多難かな

クイーン・メリー2 インド洋横断クルーズ(8)

02061 1月31日 早朝に南インド・ケーララ州のコーチン・エーナクラム港に入港する。インド訪問は初めての体験で、気もそぞろであったが、先日からの風邪で体調は不良。正確な船のポジションを見忘れ、ドバイからの距離が1,463海里(約2、700km)であったことだけを確認。一方時差調整で時計を30分早める。
02057_2 本船の右舷にオリエンタル風の建物も点在し始め、小舟も周りを行交うようになった夜明けである。昨夜 確か北緯25°東経73°あたりにおり、緯度が下がった分気温も28℃ぐらいまで上昇してきて蒸し暑く感じる。
02058 左舷には石油を搬送するのであろう浮き屋とパイプラインが延々と岸の方まで伸びている。
コーチンは1503年ポルトガルによって占領されたインド南部の町で、その後、オランダ、マイソール王国、イギリスなどの支配を受けたという。
(つづく)写真をクリックすると拡大。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月19日 (金)

インド洋トップリ暮れる穏やかに

クイーン・メリー2 インド洋横断クルーズ(7)

02054 1月30日 今日で終日クルーズ三日目、船内の事情も分かり毎朝キャビンに届けられるDAILY PROGRAMME(日本語版)、共同通信の日本語版、添乗員の発行するワールド通信をそれぞれ一読、一日の行事を確認して、ごそごそ動き始める。
02055 今日はビデオで逐一レポートされる航海の様子を整理してみると、
まず船の位置は29日20:35北緯16°52′東経68°09′から30日07:08北緯14°45′東経71°36′と一晩で南東に1233海里移動している。スピードは18~17ノットで少しダウン、気象は気温25、5℃→25.7℃、湿度83%→70%、気圧1010→1008hpaといった具合。
02056 海は全く穏やかで29日のRippled(さざ波 0
m)→Slight(少ない 0.5-1.25m)→Moderate(穏やか 1.25-2m)と云った表現がされている。インド洋のクルーズとは思えない静かさ。お天気もPritty cloudy(晴時々曇り)と安定していて湖上を行くかの如き感じである。
キャビンは冷房がきき、テラスは25-26℃と熱いぐらいで、風邪をひいたようだ。明日はコーチン下船観光と云うのに・・・。インド洋の日没(写真)は見事だった。
(つづく)


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月18日 (木)

QM2世界一周102日

クイーン・メリー2 インド洋横断クルーズ(6)

02082 1月29日 今日も終日クルーズ。そこで本船の辿る世界一周の航路を辿ってみよう。
写真はその全体を表現したビデオ。スタートは1月4日ニューヨーク、大西洋を東に一週間かけて1月11日に英国の母港のサウサンプトン。同日出港、13日リスボン(ポルトガル)地中海に入って16日チビタベッキヤ(ローマ・イタリア)、19日ポートサイド(エジプト)スエズ運河を通過して21日サファガ(エジプト)紅海から26日マスカット(オマーン)27日ドバイ(アラブ首長国連邦)で第一区24日間の航海を終えたところ。
02052_f 27日に我々が乗船してドバイ出港から第二区18日間の航海がはじまる。31日コーチン(インド)、2月3日プーケット(タイ)、4日ペナン(マレーシア)、5日ポート・ケラン(クアラルンプール・マレーシア)、6日シンガポール(ここでさらばの10日間、一割足らず)、8日レム・チャバン(バンコク・タイ)、プンタウ(ホーチミン・ベトナム)、12日香港(中国)で終わる。
02053_f_2 第三区24日間は上海、17日長崎、19日横浜からグアム、ここから南半球に入ってラバウル、ニュージーランド、シドニー(オーストラリア)まで。
以下は省略するが第四区から第五区4月15日ニューヨークまで102日の長旅はつづく。
写真下は後部サンデッキから。

(つづく)写真をクリックすると拡大。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月17日 (水)

でっかいよ15万トンQM2

クイーン・メリ-2 インド洋横断クルーズ(5)

02049_f 1月28日 第3日目は終日のクルーズでインドに向かう。
6時に起きて7デッキ甲板に出て見る。ここが船を一周出来る甲板だ。写真は本船の顔ともいうべき8~11デッキ前面部分。そそり立つカーブが美しい。11デッキが操舵室。
02050_f 折しも朝日が昇ってきた。今日も好天、穏やかな海である。
ここでシップ・データを紹介すると ★初就航:2004年 ★船籍:英国 ★巡航速度:28.5ノット(最大30ノット) ★総㌧数:15万1,400㌧ ★乗客定員数:2,592人 ★全長:345m ★最大幅:40m ★喫水:9.7m。
02051_f これによっても本船が世界最大級の客船であることが頷ける。7デッキ甲板は一周で750mのジョギング・コースになる。
デッキプランはデッキ2~3は劇場、ショップ、カジノ、ロビー、レストランなど。
デッキ4~6が客室、デッキ7が周りを甲板が、内側は各種のビュッフェ、バー
が配置されている。
デッキ12にパビリオン・プール、最上階のデッキ13にはスポーツセンターとサンデッキになっている。
初日につき、船内の主な配置を確認して回った。夕方は早速ドレスコード・フォーマルときた。食事前にコモドア(キャピテンの上の役職)主催のウエルカム・カクテルパーティが開かれたのでやむを得ない。あっという間に一日は終わった。
(つづく)写真をクリックすると拡大。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月16日 (火)

お互いに汽笛を鳴らし別れなむ

クイーン・メリー2 インド洋横断クルーズ(4)

02044 乗船すると、まず救命胴衣をもって指定された7デッキに集合、避難訓練を受ける。
トランクがもたもた運ばれてくると、今度は箪笥に整理する(船を降りるまでそのままで、この点は楽だ)という仕事がある。
日もとっぷりと暮れ、18時出航がやや遅れたが7デッキ甲板にあがつて見た。
02045_qe 折しも本船はQE2の傍を左にターンしていた。お互いに汽笛をならしながら、最後の別れを告げた。涙が出そうに感動したものである。
今夜はレストランに行かず、ビュッフェで簡単に済ませた。
02047 キャビンではビデオで航海の状況を逐一レポートされる。これがまた船旅の楽しみである。
写真は本船がソマリア沖からオマーンに沿ってドバイに入港。ドバイを出港してアラビア海を南東に向かって次の寄港地インドのコーチンへ。その先はスリランカの南を回ってベンガル湾に入ると示している。現在位置は赤マークのついたところで、地図の下にSHIP'S  POSITION(船の位置)として、北緯25度05分70秒、東経058度03分19秒を示している。
今日は長い長い一日だったので、くたくたに疲れ、早々にベッドに入る。穏やかな航海である。
(つづく)写真をクリックすると拡大。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月15日 (月)

砂ぼこり街全体を覆いけり

クイーン・メリー2 インド洋横断クルーズ(3)

02036_qe2 いよいよQM2に乗船のため港に向かう。同じ岸壁に廃船になりホテルに変身するというクイーン・エリザベス2が、改装工事のため停泊していると聞き、回ってバスの中から別れを告げた。あれに私が乗船した北海クルーズは2005年7月のことだった。
02039_qm2 一方、これからの乗ろうとするQM2はさすがにデッカイ。岸壁に用意されたテントの中で、乗船手続き。世界一周の途中の船に便乗しょうという訳だ。
キャビンのカギとクレジット機能を持たせた「クルーズ・カード」を受け取り、ボデ―チェックを受けて6デッキ右舷の6157キャビンに入る。船内ではこのカードですべて清算され、現金は不要。(ただし、カジノは現金)
02043_2 02041_qm2                                
船は右舷に接岸しているので、まずキャビンのテラスに出て夕暮れのドバイの町を撮ったが、風で砂ぼこりが舞い上がり、特に右手の828mのビルも霞んでいた。そういえば確かに午後の写真はすべて霞んでしまった。工事中止の現場が、市内では目立ったものだ。
(つづく)写真をクリックすると拡大。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月14日 (日)

砂漠から天にも届け828

グイーン・メリー2 インド洋横断クルーズ(2)

020133 市の中心部にあるドバイ博物館。ここではドバイの発展の歴史、特に水源の発見、当時の人々の生活の様子などをしめす模型、実物などが展示されていた。ちょうど小学五年生グループが見学に訪れており、どこの国も同じで、にぎやかであった。
020233 今度は市内を二分するドバイ・クリーク(入り江)を「アブラ」と呼ばれる水上バスに乗って対岸に渡る。両岸はビルまたビルの大都会である。その中に今でも木造の水上バス、それに木造の運搬船が行き交うという面白さがある。
02028 十分足らずで、対岸に上陸。そこは香辛料を取扱うマーケット、小さな店が所狭しと多数並んでいる。水運利用の典型を観た。この少し先はゴールド・スークと呼ばれる「金」をはじめとする貴金属店が軒を連ねる一角がある。丁度港に停泊しているQM2の下船観光団もここを目当てに集まり大変な賑わいだった。
02034_6 市内観光の最後の目玉は、世界最高828mの高さを誇るパージュ・ハリファ・ビルのよく撮れる場所。昼食を兼ねてホテル「ザ・パレス・オールドタウン」に立ち寄る。ここから広角目一杯で、やっと捉える事が出来た。大きなホテルの正面玄関が小さく見えるから桁外れだ。巨大宇宙船が発射台に取りつけられたような格好で、天にも届かんばかりにそそり立つ様はまさに圧巻であった。
(つづく)写真をクリックすると拡大。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月13日 (土)

イスラムの国を実感アザーンの音

クイーン・メリー2 インド洋横断クルーズ(1)

02006 1月26日夕方成田を発って香港経由アラブ首長国連邦のドバイに飛んだ。14時間の長旅、時差4時間を差引き、現地時間27日午前5時にドバイ空港に到着。空港には民族衣装「アバヤ」に身を包んだ日本人現地ガイド「タカコさん」の出迎えを受ける。ここからQM2に乗船するわけだが、その前に駆け足でドバイ見学。
02002_2 空港からバスでグランドハイアット・ドバイに向かい、そこで朝食と、休憩を取る。近代的な建物の連なる中、朝の祈りの時を告げるアザーンが音が鳴り響き、「イスラムの国に来たな」という実感がわいてくる。ホテル内は砂漠の国だけに緑と水を求めるのだろう、それらが満ち溢れていた。
02004 いよいよ貴重な時間内に市内観光だ。まづは市内のビル街を通り、かってのドバイ名物であった七つ星ホテル「バージュ・アル・アラブ」の眺められる海岸に向かう。眩しい日差しの下、ホテルを眺望しながら砂浜を散歩する人、ジョギングする人などがみられた。
020071 つぎはドバイで最も美しいといわれるジュメイレ・モスクを訪ねた。モスク内は立ち入り禁止で外から回って眺めるだけだが確かに美しい近代的なモスクだった。
(つづく)
写真をクリックすると拡大。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月12日 (金)

棚田の記録・長野 4

2005年4月 棚田百選の旅

030栃倉 長野中条村  034大西 同中条村
0504192_5050419_2







   余録・松代城址の桜 
050420 0504202   

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月11日 (木)

棚田の記録・長野 3

2005年4月 棚田百選の旅

032 塩本(しおもと) 長野信州新町
050419 0504192_3








026 田沢沖(たざわおき) 長野中条村 A
0504191 0504192_4

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月10日 (水)

棚田の記録・長野 2

2005年4月 棚田百選の旅

023 青鬼(あおに)長野白馬村B
05041950504196







    余録・北アルプスを望む
0504197 0504198 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月 9日 (火)

棚田の記録・長野 1

2005年4月 棚田百選の旅

029 重太郎(じゅうたろう)長野八坂村
0504182_3 0504183








023 青鬼(あおに)長野白馬村A
0504194 0504192_2 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月 8日 (月)

ご朱印帖(関東)神奈川県

鎌倉33観音のご朱印

3326 第26番 海蔵寺(かいぞうじ)
十一面観世音菩薩
鎌倉市扇ガ谷4-18-8
TEL 046-722-3175
参拝 2010年1月19日
記事 2010年2月2日参照

332525番 浄光明寺(じょうこうみょうじ)
千手観世音菩薩
鎌倉市扇カ谷2-12-1
TEL 046-722-1359
参拝 2010年1月19日
記事 2010年2月3日参照

3324 第24番 寿福寺(じゅふくじ)
千手観世音菩薩 鎌倉五山
鎌倉市扇ガ谷1-17-1
TEL 046-722-6607
参拝 2010年1月19日
記事 2010年2月2日参照

3302 第二番 寶戒寺(ほうかいじ)
仏母准胎尊
鎌倉市小町3-5-22
TEL 046-722-5512
参拝 2010年1月19日
記事 2010年2月5日参照

ご朱印をクリックすると拡大

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月 7日 (日)

ご朱印帖(関東)神奈川県

鎌倉の神社
05 鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)
一の宮、旧国幣中社
鎌倉市雪ノ下2-1-31
TEL 046-722-0315
参拝 2010年1月19日
記事 2010年2月4日参照

06 旗上弁財天社(はたあげべんざいてんしゃ)

鎌倉市雪ノ下2-1-31
TEL 不詳
参拝 2010年1月19日
記事 2010年2月4日参照

鎌倉の寺院
05_2 薬王寺(やくおうじ)

鎌倉市扇ガ谷3-5-1
TEL 046-722-3749
参拝 2010年1月19日
記事 2010年2月3日参照

06_2 妙隆寺(みょうりゅうじ)

鎌倉市小町2-17-20
TEL 046-723-3195
参拝 2010年1月19日
記事 2010年2月5日参照

08大巧寺(だいこうじ)

鎌倉市小町1-9-28
TEL 不詳
参拝 2010年1月19日
記事 2010年2月6日参照

07_2 本覚寺(ほんかくじ)

鎌倉市小町1-12-12
TEL 046-722-0490
参拝 2010年1月19日
記事 2010年2月6日参照

ご朱印をクリックすると拡大。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月 6日 (土)

聖人の努力が実る本覚寺

2010_0119_0170 寺社集印=
    神奈川・鎌倉市

長慶山・大巧寺(たいこうしょうぎょうのじ)。かっては大行寺と称して真言宗のお寺で、市内十二所の梶原屋敷内にあった。源頼朝が寺内で軍評定をしたところ、その合戦に勝利したため、「大巧寺」と改め現在地に移転させたのだという。
日蓮聖人鎌倉在住の折、真言宗から日蓮宗に改宗。開山は日澄上人、天文元年(1532年)に「産女霊神」を寺内に勧請した。再度の火難に遭い現在の本堂は明治三年に再建されたもの。

2010_0119_0181 この地に源頼朝の建てた夷堂(えびすどう)があった。夷の文字は人が弓をもつ姿、幕府の守り神の一つとして、夷神を祀ったようだ。
夷はまた商業の神様であり、鎌倉の発展につれ、この辺りは船から荷揚げする港となり、「市」のたつ町となった。この「市」の守護神としても信仰を集めた。
日蓮聖人は多くの迫害に遭いながらも、この町を中心に法華経の布教に努めたようだ。夷堂は鎌倉幕府が倒れるときの戦火で焼けてしまった。
日蓮上聖人没後160年後、僧・日出が聖人ゆかりの地で布教を再開したが、多くの迫害に遭って苦難をつづけた。時の公方・足利持氏はその意志と結束の強さに感心して、夷堂の跡地を与え、寺を開くよう勧めた。これが
東身延・本覚寺(ひがしみのぶ・ほんかくじ)誕生の略歴である。
(このルートは完)写真をクリックすると拡大。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月 5日 (金)

北条の霊を慰む寶戒寺

2010_0119_0150 寺社集印=
    神奈川・鎌倉市

八幡宮を出て若宮大路の左側は小町、寺町風の一帯である。その一番北に金龍山・寶戒寺(ほうかいじ)鎌倉33観音第2番がある。開基は後醍醐天皇、開山は慈威和上、元弘三年(1333年)この地は北条執権の屋敷跡で、北条滅亡後その霊を慰めるため、また人材の養成修行の道場として、後醍醐天皇が足利尊氏に命じて建立させたとされる。ご本尊は子育経読地蔵菩薩。
2010_0119_0151 二世惟賢和上は国家鎮護のため、和合仏たる歓喜天尊像(聖天)を造立した。
天文七年(1537年)の火災で七堂伽藍ことごとく焼失した。江戸時代に入り、天海大僧正は「寶戒寺は関東における天台律宗の本寺である」として、徳川家康に懇願、再建されたのだという。秋には200株ともいわれる「シロハギ」が見事で「萩の寺」と呼ばれている。

2010_0119_0160 叡昌山・妙隆寺(みょうりゅうじ)。頼朝の家人・千葉常胤の旧地で、至徳二年(1385年)日英上人を迎えて開山、中山法華経寺末寺として七堂伽藍を建立した。第二祖日親上人は足利義教の政道を諌めようとして捕らえられ、焼鍋をかむせれれるなどの極刑をうけたが、よく耐え法華経弘通に努め「なべかむり日親」の名を残したという。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月 4日 (木)

鶴が岡源氏の氏神八幡宮

2010_0119_0141 寺社集印=神奈川・鎌倉市

浄光明寺を後に南に下り、踏切を東に取ると鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)の境内南西の端に着く。
大鳥居から中に入ると左が平家池、右が源氏池(写真上)その奥に神苑ぼたん園があり賑わっていた。

2010_0119_0130 参道をすすむと舞殿(下拝殿)それを迂回して大石段があり、その上に本宮となる。一の宮、旧国幣中社である。
御祭神は応神天皇、比売神、神功皇后。康平六年(1063年)源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、材木座に源氏の氏神として八幡宮をお祀りしたのが始まり。その後頼朝が現在地に遷宮、現在の建物は文政11年(1828年)造営で、流権現造りの代表的江戸建築で国の重要文化財に指定されている。
2010_0119_0140_2 源氏池の中の島に
旗上弁財天社(はたあげべんざいてんしゃ)がある。朱塗りの綺麗な橋を渡って入る。頼朝の旗上げにちなみ、源氏の「二引きの旗」に願をかける御祈祷を受けられる。
(つづく)写真をクリックすると拡大。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月 3日 (水)

時流をば静かに見守る寺院かな

2010_0119_0111 寺社集印=
    神奈川・鎌倉市

横須賀線のガードをくぐって左に登っていくと日蓮宗の大乗山・薬王寺(やくおうじ)がある。
このお寺はかって真言宗に属し、梅領山・夜光寺と呼ばれていたが、永仁元年(1293年)日像聖人が改宗して法華経受持ちの寺院となり、薬王寺が創立された。
2010_0119_0112 明治元年の排仏毀釈によりその後惨状を呈し、無住職時代がつづいたが、大正から昭和にかけ、東身延・本覚寺の日振上人、東京池上本門寺の日照上人らの70年の努力により、現在の山容を整えることが出来たという。

2010_0119_0120 戻って東に進むと泉谷山・浄光明寺(じょうこうみょうじ)鎌倉33観音第25番がある。
小さな山門をくぐるとすぐ右に不動堂があり、その横を通り抜け、石段を登ると槇の大木を前にして本堂である阿弥陀堂がある。ご本尊は阿弥陀三尊。真言宗・泉涌寺派のお寺。
2010_0119_0121 源頼朝が文覚上人に建てさせたという説、また頼朝の子といわれる島津忠久が建てた寺という説などがあるが、その後六代執権・北条長時が僧・真阿を招いて再興したという。鎌倉幕府が崩壊し、後醍醐天皇の皇子・成良親王の祈願所となる一方では、浄土、華厳、真言、律の四つの勧学院が建てられ、四宗兼学の寺院になった。また、足利尊氏は一時この寺に蟄居したことがあり、後醍醐天皇を裏切る覚悟を決め、新田義貞の軍を撃破して一挙に京に上り、京を支配下に置いたといわれるなど、さまざまな歴史上の舞台となったようだ。
(つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月 2日 (火)

源氏山裾野に広がる寺院群

2010_0119_0090 寺社集印=
     神奈川・鎌倉市

二回目の鎌倉訪問、今日は扇ガ谷・小町ルートと名付ける。
横須賀線鎌倉駅で下車、西口から右に折れ、線路に沿って行くと左側に
亀谷山・寿福寺(じゅふくじ)鎌倉33観音第24番、鎌倉五山第三位がある。
2010_0119_0093 やや色あせた朱色の総門を抜け、杉やカエデの鬱蒼と茂る石畳の参道を行くと山門は閉ざされており、右手のくぐり戸から庫裏に至る。挨拶代わりにご朱印を先に頂く。本堂は奥にある。
ご本尊は釈迦如来、開山は栄西、開基は北条政子。因みに栄西は日本に初めて臨済禅を伝えた人物、宋から茶の種を持ち帰ったことでも知られる。
この辺は源頼朝の父・義朝の屋敷跡で、背後に源氏山が控えて、歴史の重みを感じさせる一帯といえる。

2010_0119_0100 来た道を線路沿いに行くと扇谷山・海蔵寺(かいぞうじ)鎌倉33観音第26番がある。
山門をくぐると「十六ノ井」の案内があり、境内はなだらかな山裾に石と植栽を配置した美しい庭園風、開放的な仏殿には「啼き薬師」と呼ばれるご本尊・薬師如来が鎮座。
2010_0119_0101 鎌倉幕府滅亡後、応永元年(1294年)足利氏満の命により上杉氏定が再建したものとされる。
「十六井戸」は境内南の岩窟内にある鎌倉時代の16の丸井戸(直径約70㎝)。これは十六金剛菩薩を表現しているといわれる。窟の中央に石造の観音菩薩像を祀り、その下に弘法大師像を安置してある。
(つづく。写真をクリックすると拡大)


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月 1日 (月)

悩むのは一晩だけのことにせよ

123 早くも今日から2月。もうしばらくは寒い日が続くのか。
さて今月の
荒良寛カレンダーをお贈りする。おっしゃるように一夜明ければ悩むことをやめられるか。どうしても後を引くものではあるが・・・。難しいことだ。この英訳は
When you are troubled,be concerned. But let it concern you for only one night.

4 正月に紹介したニュータワーの工事は心持上に伸びたような気がしなくもない。毎月月末に観察して紹介しよう。(1月23日午前11時撮影)
写真をクリックすると拡大。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年1月 | トップページ | 2010年3月 »