雄大な太平洋の眺めかな
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関東88ヵ所霊場(第5~10番)
第五番 今宮山・蓮華院(れんげいん)
前橋厄除大師・真言宗智山派
前橋市下増田町1626
TEL 027-266-1243
参拝 2009年6月20日
記事 2009年6月25日参照
第七番 日輪山・南光寺(なんこうじ)
大日如来(胎蔵界)・高野山真言宗
みどり市笠懸町阿左見967
TEL 027-776-7109
参拝 2009年6月20日
記事 2009年6月26日参照
第八番 瑠璃光山・光栄寺(こうえいじ)
柿薬師・真言宗智山派
みどり市大間々町大間々1056
TEL 027-772-1542
参拝 2009年6月20日
記事 2009年6月26日参照
第九番 慈丸山・聖眼寺(しょうげんじ)
大日如来・高野山真言宗
桐生市元宿町15-19
TEL 027-744-6302
参拝 2009年6月20日
記事 2009年6月27日参照
第十番 諏訪山・観音院(かんのんいん)
日限地蔵尊・真言宗豊山派
桐生市東2-13-18
TEL 027-745-0066
参拝 2009年6月20日
記事 2006年6月27日参照
御朱印をクリックすると拡大。
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寺社集印=群馬・桐生市
大間々から国道122号線を南下して「絹織物の町・桐生」に入る。絹織物は淳仁天皇(758~63年)の頃からの歴史を伝えるという。
慈丸山・聖眼寺(しょうげんじ)関東88ヵ所霊場第九番を訪ねる。周囲は樹齢200年を超える高野槇をはじめ古木繁茂し、落ち着いた雰囲気。
寺伝によると大永年間(1521~28年)の開創、戦火、災火を繰り返して、現在の本堂は昭和40年に再建されたものという。ご本尊は大日如来、高野山真言宗のお寺。
今日の最後は桐生の繁華街を過ぎて3㎞ほど南の諏訪山・観音院(かんのんいん)関東88ヵ所霊場第十番である。日限地蔵尊の名で呼ばれている。
本堂は寄棟造本瓦葺、間口6間半、ご本尊は聖観世音菩薩、江戸時代の作と伝えられ秘仏になっている。
本堂左手前には日限地蔵尊を祀る地蔵堂があり、香煙が立ちこめ参拝者が絶えないという。真言宗豊山派のお寺である。
タイトルは聖眼寺のご詠歌から。写真をクリックすると拡大。
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寺社集印=群馬・みどり市
国道50号線を東に、太田市と桐生市に挟まれた恰好の笠懸町阿佐見に日輪山・南光寺(なんこうじ)関東88ヵ所霊場第七番を訪ねる。
樹木に覆われた境内に間口6間入母屋造瓦葺の本堂、ご本尊の白衣観世音像は僧・行基の作とされる。高野山真言宗のお寺。明治7年には寺を仮校舎に寺子屋活動が始まったようで、現在も幼稚園につながっている。
渡良瀬川に沿って北西に登ると大間々町、この辺では「柿薬師」で通っている瑠璃光山・光栄寺(こうえいじ)関東88ヵ所霊場第八番を訪ねる。
仁王門を入ると元禄二年(1689年)に再建された本堂、ご本尊は薬師如来。寺伝によるとこの薬師如来は柿木に刻まれた一本造(一尺三寸の秘仏)僧・行基の作という。ほかに閻魔大王、霜除観世音などの諸仏が安置されている。真言宗智山派のお寺。
写真をクリックすると拡大。
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寺社集印=群馬・前橋市
梅雨の合間を縫って関越高速・北関東道(駒形IC)をドライブして前橋市に向かう。古代、上野国の国府が置かれたという「古墳が多く、文化史跡の多いところ」と聞いてきた。
前橋市の東南、伊勢崎市に近い郊外地・下増田町の今宮山・蓮華院(れんげいん=前橋厄除弘法大師)関東88ヵ所霊場第五番の駐車場についてびっくりした。広い駐車場を見渡す巨大七福神の石像群である。
広い境内に入ってもやたらと石仏像が目立つ。
元禄3年(1690年)建立の入母屋造瓦葺の本堂には聖観世音菩薩と厄除・弘法大師が祀られてある。真言宗智山派のお寺である。
寺伝によると、開祖は僧・玉泉、中興は僧・舜賀、明治21年には川崎大師との縁結びで、名実ともに庶民の霊場となっている。境内にひと際目立つ大天狗の面は高尾山・薬王院(08年5月18日号参照)と関係があるようだ。
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岐阜県の寺院
谷汲山 華厳寺(たにぐみさん・けごんじ)
大悲十一面観世音
岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23
TEL 058-555-2033
参拝 2009年5月13日
記事 2009年6月14日参照
華厳寺 満願堂(けごんじ・まんがんどう)
西国33観音霊場満願寺
同上
同上
参拝 同上
記事 同上
両界山 横蔵寺(りょうかいざん・よこくらじ)
薬師如来
岐阜県揖斐郡谷汲村横蔵地区
TEL 058-555-2811
参拝 2009年5月14日
記事 2009年6月14日参照
横蔵寺 観音堂(よこくらじ・かんのんどう)
十一面観音
同上
同上
参拝 同上
記事 同上
金鳳山 正法寺(きんぽうざん・しょうほうじ)
岐阜大仏
岐阜市大仏町8
TEL 058-264-2760
参拝 2009年5月14日
記事 2009年6月16日参照
金生山 明星輪寺(きんせいざん・みょうじょうりんじ)
赤坂 虚空蔵尊
岐阜県大垣市赤坂町4610
TEL 058-471-0124
参拝 2009年5月14日
記事 2009年6月17日参照
瀧壽山 元正院・養老寺(りゅうじゅざん・げんしょういん・ようろうじ)
岐阜県養老郡養老町養老公園
TEL 058-432-1021
参拝 2009年5月15日
記事 2009年6月18日参照
ご朱印をクリックすると拡大。
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岐阜県の神社
南宮大社(なんぐうたいしゃ)
美濃国一之宮、旧国幣大社
岐阜県不破郡垂井町宮代1734
TEL 058-422-1225
参拝 2009年5月13日
記事 2009年6月13日参照
伊奈波神社(いなばじんじゃ)
旧国幣小社
岐阜市伊奈波通り1-1
TEL 058-262-5151
参拝 2009年5月14日
記事 2009年6月16日参照
御首神社(みくびじんじゃ)
平将門を祀る
岐阜県大垣市荒尾町1283
TEL 058-491-3700
参拝 2009年5月14日
記事 2009年6月17日参照
橘・八幡神社(たちばな・はちまんじんじゃ)
大垣城内
大垣市西外側町1-1
TEL 不詳
参拝 2009年5月15日
記事 2009年6月18日参照
ご朱印をクリックすると拡大。
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今回の旅も最後になった。瀧寿山・このた元正院・養老寺(ろうじゅざん・げんしょういん・ようろうじ)で頂いた「養老志」によると明治13年太政官布告で開設の由緒ある公園。往古には元正、聖武の二帝の行幸があるほど、名瀑と名水がある歴史、景観兼備の名勝地とされている。
瀧からだらだらと下って来ると養老神社があり、わきに「菊水霊泉」なる湧水池、さらにその下には滔々と流れ出る水汲み場があった。
美濃国・多度山で「滝の水」が酒になり、父親を喜ばせたという貧しい孝行息子・源丞内の話は奈良の都にまで聞こえ、元正天皇は霊亀3年(717年)当地に行幸になり「老を養う水」と褒められ、年号まで養老元年と改められたという。養老二年には七堂伽藍が創建され、寺号を賜り、滝守護不動明王(県重分)を勅納されたという。
大垣市に帰り、橘・八幡神社(たちばな・はちまんじんじゃ)に参拝。御祭神は応神天皇・神功皇后、後醍醐天皇の正慶建武の頃、南都梨原宮(東大寺鎮守)を藤江村に勧請、宝徳3年に大垣に遷座された。社殿は昭和20年空襲で焼失、26年に再建されたものである。
(びわ湖と西美濃の旅ー10 完)
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大垣市に移動して、美濃荒尾の御首神社(みくびじんじゃ)に参拝。平将門公の御首をお祀リして、霊を慰めるために創建されたという。その由来とは今から一千年前「天慶の乱」で将門は首を打たれ、京で晒し首にされた。その首が関東に向け飛び立ったので、美濃国南宮神社は隼人神にその首を射落させた。落ちた処がここ「荒尾の地」であったというのである。
赤坂の虚空蔵尊、金生山・明星輪寺(きんせいざん・みょうじょうりんじ)をお参りする。持統天皇の勅願により朱鳥元年(686年)役行者・小角の創建という。ご本尊は虚空蔵菩薩。被災復興を繰り返し、慶長14年美濃高須の城主・徳永寿昌公によって、ほぼ再建され、江戸時代に入り大垣藩主・戸田家の代々の祈願所として保護されてきた。
金生山は海抜200m、当寺は濃尾平野を一望できる3万坪の境内を有する。その中に名勝・岩巣公園を含み、巧みな造形により、カルスト台地の縮小版として、石灰岩層の無数の奇岩怪岩が群立している。
(びわ湖と西美濃の旅ー9)
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寺社集印=岐阜市
岐阜市に出て井奈波神社(いなばじんじゃ=旧国幣小社)に参拝。御祭神はイニシキイリヒコノミコト(第11代垂仁天皇の長男、第12代景行天皇の兄)武事に秀で、内政、土木、軍事など、あらゆる面で活躍されたという。薨去の翌年(景行天皇14年)遺徳を偲び現在の丸山の地に鎮斎されたのが始まりという。
当地は揖斐、長良、木曽の三大河川に恵まれた反面、洪水に悩まされても来た。その意味で伊奈波神社は水を防ぐ信仰の神社であったようだ。
近くにある日本三大仏の一つ「岐阜大仏」で知られる金鳳山・正法寺(きんぽうざん・しょうほうじ)にお参りする。当山11代の惟中(ユヰチュウ)和尚は大地震、大飢饉の災霊の祈願を立て、奈良東大寺大仏の聖徳を敬って、ここに大釈迦如来像の建立を計る。
周囲1.8㍍の大イチョウを真柱として、骨格を木材で組み、外部は竹材にて編み、粘土を塗り、漆を施し、金箔をおいたという日本一の乾漆仏。
惟中和尚は苦業25年の末、完成半ばで没し、12代の肯宗(コウシュウ)和尚が志を継ぎ、さらに苦業13年を費やして、天保3年に完成したという。
因みに大仏の像高は13.7㍍、顔長3.6㍍、胎内仏として薬師如来像が安置されている。写真をクリックすると拡大。
(びわ湖と西美濃の旅ー8)
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西国33観音霊場(31番~結願)
第30番 竹生島・宝厳寺(ちくぶじま・ほうごんじ)
滋賀県東浅井郡びわ町早崎竹生島
TEL 074-963-4410
参拝 2009年5月11日
記事 2009年6月4日参照
第31番 姨綺耶山・長命寺(いきやさん・ちょうめいじ)
千手十一面観世音菩薩
滋賀県近江八幡市長命寺町157
TEL 074-833-0031
参拝 2009年5月12日
記事 2009年6月7日参照
第32番 繖山・観音正寺(きぬがさやま・かんのんしょうじ)
千手観世音菩薩
滋賀県蒲生郡安土町石寺2
TEL 074-846-2549
参拝 2009年5月12日
記事 2009年6月7日参照
第33番 谷汲山・華厳寺(たにぐみさん・けごんじ)
大悲十一面観世音菩薩
岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23
TEL 058-555-2033
参拝 2009年5月13日
記事 2009年6月14日参照
◎お知らせ◎
谷汲山・華厳寺のご朱印にて寺社集印が丁度700に達しました。
感謝!合掌。
ご朱印をクリックすると拡大。
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寺社集印=岐阜県・揖斐川町
2007年11月13日那智勝浦・青岸渡寺(第一番)を皮切りに、西国33観音霊場札所巡りも一年六ヵ月を経て、ここ谷汲山・華厳寺(たにぐみさん・けごんじ)第33番札所で満願となる。「坂東」に次いで「西国」の満願には、やはり独特の達成感に満ちたものがあった。
桓武天皇の延暦17年の創建とある。奥州白川郷の大口大領が京で大悲十一面観世音像を求めての帰途、この谷汲に至って尊像が動かなくなり、この地に精舎を建てたのが始まりという。この話に醍醐天皇は勅願され、谷汲山の山号と華厳寺の扁額を賜ったという。
両界山・横蔵寺(りょうかいざん・よこくらじ)は伝教大師自作の薬師如来を祀った寺で、比叡山の薬師如来と同じ木から作ったといわれる。平安、鎌倉時代にはこの辺の本山として、学問や文化の中心として栄えたが、戦国時代には次々と寺領を侵略され、元亀の法難には信長に全てを取上げらるという苦難の時代があったようだ。
舎利堂に妙心上人の舎利仏が自然のまま安置されている。妙心上人は天明元年(1781年)ここ横蔵で生まれ、巡礼の旅に出て全国を巡り、信濃・善光寺で受戒、その後、自ら富士大行者と称して富士講の先達を勤めた。文化12年(1815年)洞窟で断食して入定。上人の遺体は山梨の村民によって祀られてきたが、明治23年に出生地の横蔵寺に帰ってきたのだという。
(びわ湖と西美濃の旅―7)
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(6月5日号)長浜市・東雲寺で伺った米原市間田にある伊吹山寺の山麓本堂・発心堂に吉田慈敬住職を訪ねる。
仁寿年間(851-854年)創建になる大乗山・伊吹山寺(だいじょうざん・いぶきさんじ)役行者霊蹟は「三修」の開基、それを昭和60年に吉田住職によって山麓に発心堂を、八合目(標高1200m)に行者堂を、さらに山頂に覚心堂をそれぞれ再建されたのだという。
予報通り伊吹山は完全に雲に覆われ、残念ながらここの遥拝場で御無礼することにし岐阜県にむかった。
美濃国一之宮とされる南宮大社(なんぐうたいしゃ=旧国幣大社)を参拝。主祭神は金山彦命(かなやまひこのみこと)天照大神の兄にあたる神様。全国の鉱山、金属業者の総本宮として、深い崇敬を集めている。
慶長五年(1600年)関ヶ原の合戦の兵火で焼失したものを、寛永19年(1642年)家光公によって再建されたのものが現在の建物。広い境内には本殿・拝殿・楼門など、朱塗りの華麗な姿を並べ、江戸時代の神社建築の代表的遺構18棟が国の重文に指定されているという。写真をクリックすると拡大。
(びわ湖と西美濃の旅ー6)
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滋賀県の寺院のご朱印
滋賀院門跡(しがいんもんぜき)
慈眼堂
滋賀県大津市坂本4-6-1
TEL 077-578-0130
参拝 2009年5月10日
記事 2009年6月3日参照
竹生島・宝厳寺(いくぶじま・ほうごんじ)
ご本尊・大弁才天
滋賀県東浅井郡びわ町早崎竹生島1664
TEL 074-963-4410
参拝 2009年5月11日
記事 2009年6月4日参照
江州・木之本地蔵尊(きのもとじぞうそん)
難波の浦に流れ着く
滋賀県伊香郡木之本町木之本944
TEL 074-982-2106
参拝 2009年5月11日
記事 2009年6月5日参照
渡岸寺観音堂(どうがんじ)
国宝・十一面観世音
滋賀県伊香郡高月町
TEL 074-985-2632
参拝 2009年5月11日
記事 2009年6月5日参照
役行者霊蹟
大乗峰・伊吹山寺(だいじょうほう・いぶきさんじ)
山麓本堂・発心堂
滋賀県米原市間田204
TEL 074-958-0368
参拝 2009年5月13日
記事 2009年6月5日参照
ご朱印をクリックすると拡大
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滋賀県の神社のご朱印
日吉東照宮(ひよし・とうしょうぐう)
「権現造り」の発祥
滋賀県大津市坂本5-1-1
TEL 077-578-0009
参拝 2009年5月10日
記事 2009年6月3日参照
日吉大社(ひよしたいしゃ)
山王総本宮・西本宮
大津市坂本5-1-1
TEL 077-578-0009
参拝 2009年5月10日
記事 2009年6月3日参照
日吉大社(ひよしたいしゃ)
東本宮
大津市坂本5-1-1
TEL 077-578-0009
参拝 2009年5月10日
記事 2009年6月3日参照
竹生島神社(ちくぶじまじんじゃ)
都久夫須麻神社
東浅井郡びわ町早崎竹生島1664
TEL 074-963-4410
参拝 2009年5月11日
記事 2009年6月4日参照
近江神宮(おうみじんぐう)
旧官幣大社
大津市神宮町1-1
TEL 077-522-3725
参拝 2009年5月12日
記事 2009年6月6日参照
建部大社(たけべたいしゃ)
近江国一之宮
大津市神領1-16-1
TEL 077-545-0038
参拝 2009年5月12日
記事 2009年6月6日参照
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寺社集印=滋賀・近江八幡、安土
大津市から琵琶湖沿いに北上した近江八幡市、八百八段の石段と聞いてはいたが、山上まで狭くくねってはいるが自動車登山道があり、たまたまタクシーの先導もあって、助かった。姨綺耶山・長命寺(いきやさん・ちょうめいじ)西国33観音霊場第31番札所である。
景行天皇20年に武内宿禰(たけのうち・すくね)が当山に登り、「寿命長遠・諸願成就」を柳の巨木に記し、300歳までの長寿を保ち、六代の天皇にお仕えしたという。その後、聖徳太子が当山に来られ、千手十一面聖観音三尊一体の聖像を刻み伽藍を建立して「長命寺」と名付けられたという。
近江国は日本のほぼ中央に位置し、「日本の臍・へそ」ともいうべき所に繖山(きぬがさやま=標高433m)別名は観音寺山。この山中に佇むのが繖山・観音正寺(きぬがさやま・かんのんしょうじ)西国33観音霊場第32番札所である。寺伝によると聖徳太子が来臨の折、紫雲たなびくこの山をご覧になり、「これぞ霊山」と思われ、千手観音像を刻まれ、堂塔を建立されたのが縁起であるという。
近江国守護職・佐々木六角がこの山に居城を築いたため兵乱に巻き込まれ、六角が永禄11年(1568年)信長に滅ぼされたので、慶長2年(1597年)にやっと再建出来たようである。万事吉祥・縁結びの祈祷道場として老若男女の尊崇を集め、四季を通じて「景勝の名刹」とされてきた。しかし整備はされていたが駐車場から本堂までの坂道は大変のものだった。
(びわ湖と西美濃の旅―5)
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寺社集印=大津市
再び大津市に戻り、近江神宮(おうみじんぐう)旧官幣大社を参拝する。昭和15年昭和天皇の勅許を得て創建された新しい神宮。境内地は6万坪、社殿は近江造り、あるいは昭和造りと呼ばれる。御祭神は天命開別大神(あめみことひらかすわけのおおかみ=天智天皇)古都・近江大津京ゆかりの錦織・南志賀(現神宮町)に鎮座、天智天皇の事績は政治、経済、文化の多方面にわたり、わが国の法律の源であリ、国の大本を確立する近江令を制定された。
次いで近江国一之宮である建部大社(たけべたいしゃ)旧官幣大社を参拝。御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)景行天皇の第二皇子で文武・智勇に優れ、熊襲征伐、東夷平定で活躍、32歳の若さで崩御された。天皇は尊の死をいたく嘆かれ御名代として「建部」を定め、功名を伝えられた。源頼朝が14歳で伊豆に下向の折、永歴元年(1160年)当社に参籠して前途を祈願したと伝えられ、源氏再興を果たした故をもって、出世開運の神として武門・武将の崇敬が篤いという。
(びわ湖と西美濃の旅―4)
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寺社集印=滋賀・湖北
竹生島から長浜市に戻り、役行者霊蹟札所のある大乗峰・伊吹山寺の情報を得るために東雲寺(とううんじ)を訪ねる。住職・吉田慈敬氏は伊吹山寺の復興に尽力されているからである。山麓本堂・発心堂(米原市間田204)でお会いすることにした。当寺は天台宗の檀家寺、弘仁8年(817年)伝教大師最澄上人の創建といわれる古刹、ご本尊は薬師如来。
びわ湖沿いに北上して江州・木之本地蔵院(きのもとじぞういん)を訪ねる。ご本尊の地蔵菩薩像は天武天皇の時代に難波の浦に流れつかれたもので、勅命を受けた祚蓮上人(それんしょうにん=奈良薬師寺を開山)が諸国行脚の末、安置する場所として北国街道筋の木之本の地に定められたという大変な古刹である。
すこし南の高月町にある 国宝・十一面観世音菩薩を安置する渡岸寺観音堂(どうがんじ・かんのんどう)を訪ねる。聖武天皇の天平8年に疱瘡が大流行し、除災の祈祷を僧・泰澄に命じられた。そこで十一面観世音菩薩を刻み一宇を建立したのが始まり。以来、病除の観音様として敬仰され、桓武天皇の延暦20年(801年)には比叡山の僧・最澄が勅命により七堂伽藍を建立して、多くの仏像を安置して隆盛を極めていた。ところが浅井・織田の戦火ですべてを焼失、寺領も没収された。住職・巧円と住民は観音像を兵火の中から搬出、しかも土中に埋蔵して難を逃れたという。明治に入り特別国宝に指定され、また昭和28年に新国宝の指定を受けた十一面観世音菩薩の像高は六尺五寸の一木彫成で、重文・胎蔵大日如来座像とともに完全耐火・耐震構造の慈雲閣(収蔵庫)に納められている。
(びわ湖と西美濃の旅―3)
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長距離ドライブの翌日なので、のんびりしょうと琵琶湖に浮かぶ竹生島(ちくぶじま)に渡った。船からは野生の桐の花があちこち見受けられ、それが満開で美しいものであった。
船はそんなに混んでいなかったが上陸して驚いた。島は巡拝者で溢れ返っている。その列に従い坂道を登って、まず都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ=竹生島神社)へ。島の玄関口といったところ。
竹生島・宝厳寺(ちくぶじま・ほうごんじ)西国33観音霊場第30番札所は神亀元年(724年)聖武天皇の勅願による行基菩薩の開基になる。行基は弁才天像を刻してご本尊として本堂に安置し、翌年に観音堂を建立して千手観音像を安置した(札所本尊)。
神仏分離令により廃寺の危機にあったが、何とか免れて本堂の建物のみを神社に引渡し、本堂のないままに仮安置の弁才天は日本三弁才天の一つとして昭和17年に現在の本堂が再建された。
古くは平経正が琵琶を弾いて戦勝を祈願し、謡曲「竹生島」などこの島の美しさは讃えられ、いまなお神秘とロマンが秘められた島とされているが混雑ぶりには参った。タイトルはご詠歌から引用。
(びわ湖と西美濃の旅ー2)
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寺社集印=滋賀・大津市坂本
今回の「びわ湖と西美濃の旅」は土日祝日の高速料金が安くなったことでもあり、マイカー利用の旅とした。日曜日に東名・名神高速を使って、京都東インターまで一気に500kmのスタートである。
比叡山に登るロープウエイの出発駅の脇に比叡山高校があり、そのグランド脇に駐車して上を見ると日吉東照宮(ひよしとうしょうぐう)とあり、まずそこに参拝。元和九年(1623年)に造営され、「権現造り」の原形といわれる。ご祭神は中央に家康公、右に日吉大神、左に何故か秀吉公。かつては延暦寺の管轄にあったが分離令により、これからお参りする日吉大社の末社になつたという。ここで頂いた「全国東照宮連合会会報」には久能山、日光、上野のほかに23社もの東照宮があるのには驚いた。
滋賀院門跡・慈眼堂(しがいんもんぜき・じげんどう)は道路の下にある。元和元年(1615年)天海大僧正が後陽成上皇から京都御所高閣を頂いて、ここに移築したのが創建、「滋賀院」の号を頂いた。一万坪にも及ぶ天台座主の御座所として、地元では滋賀院御殿と呼ばれたという。慈眼堂は家康、秀忠、家光の三代将軍に仕え、黒衣の宰相といわれた慈眼大師・南光坊天海大僧正を祀る廊所、また境内には歴代天台座主の墓地もある。
山王総本宮・日吉大社(ひよしたいしゃ)には東西本宮を中心に数多くの社殿が鎮座している神々の一大拠点。世にいう山王21社とは上七社、中七社、下七社の総称で、なかでも上七社=西本宮、東本宮、宇佐宮、牛尾宮、白山宮、樹下宮、三宮宮、は重要な位置を占めているという。全国に3800余社の分霊社があり、その総本宮である。
西本宮の御祭神は大己貴神(おおなむちのかみ)、大和国三輪山(大神神社)より分霊され、大津京をはじめ国家鎮護の神といて祀られた。この神は国土開拓、統治される神。
東本宮の御祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)、神代の昔から比叡山の地主神で、五穀豊穣、生活の守り神とされる。現在の社殿は信長の焼き討ち後に再建された桃山・江戸初期のものであるという。境内地は13万坪という広大なもの。
(びわ湖と西美濃の旅ー1)
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