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2009年5月31日 (日)

ぐずつくと水辺恋しや浜の町

0902114 南国回想=フォトギャラリーから

このところ急に暑くなったり、雨が降り続くなど、すっきりしない気候であるが、そうなると晴れ渡った水辺が恋しくなる。写真はこの1月に訪ねた南カリフォルニア・サンデェゴ市の郊外ラホーヤの海岸通り。当地は新型インフルエンザで大変だろうが、写真を見る限り穏やかな海辺の町である。(カテゴリー海外旅行・2009年2月23日号参照

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2009年5月30日 (土)

新構造定着決めるこの作品

0903036私の絵画

これも古い作品。1992年第64回新構造展に出品したP40号(ヨコ100㎝×タテ70㎝)の水彩画。八ヶ岳ハチマキ道路の大沢に架かる橋を入れたもの。残雪のある春先の風景。
これがマツダ賞(絵具メーカー)を受賞し、会友から「準会員」に推挙された。それでこの
美術団体・新構造社に定着するきっかけとなった次第だ。
新構造展と言えば毎年6月12日~22日上野の東京都美術館で開かれる公募展で、今年も同じ時期に開かれる。そろそろ招待状の発送準備にかからねば・・・。

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2009年5月28日 (木)

ご朱印帖(群馬県)

群馬県の寺院
8 高碕白衣大観音(たかさきびゃくいだいかんのん)
別格本山 慈願院
高崎市石原町2710-1
TEL 027-322-2269
参拝 2009年4月23日
記事 2009年5月23日参照

9 少林山 達磨寺(しょうりんざん・だるまじ)
達磨大師・黄檗宗(おうばくしゅう)
高崎市鼻高町296
TEL 027-322-8800
参拝 2009年4月23日
記事 2009年5月24日参照

群馬県の神社
5 群馬県護国神社(ぐんまけんごこくじんじゃ)
群馬県関連の戦没者
高崎市乗附町2000
TEL 027-322-6309
参拝 2009年4月23日
記事 2009年5月24日参照

6 山名八幡宮(やまなはちまんぐう)
高崎市山名町1581
TEL 027-346-1736
参拝 2009年4月23日
記事 2009年5月26日参照

御朱印をクリックすると拡大。

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2009年5月27日 (水)

ご朱印帖(群馬県)

関東88ヵ所霊場(1~4番)

01_2 第一番  高碕観音 慈眼院(じげんいん)
聖観世音菩薩・高野山真言宗
群馬県高崎市石原2710-1
TEL 027-322-2269
参拝 2009年4月23日
記事 2009年5月23日参照

02_2 第二番 龍本山 不動寺(ふどうじ)
千手観音菩薩・真言宗豊山派
群馬県安中市松井田町松井田甲987
TEL 027-393-0480
参拝 2009年4月23日
記事 2009年5月25日参照

03_3 第三番 碓氷山 金剛寺(こんごうじ)
十一面観世音菩薩・真言宗豊山派
安中市松井田町新堀1058
TEL 027-393-0252
参拝 2009年4月23日
記事 2009年5月25日参照

04 第四番 寶憧山 光明寺(こうみょうじ)
十一面観世音菩薩・高野山真言宗
群馬県藤岡市中1503
TEL 027-423-2823
参拝 2009年4月23日
記事 2009年5月26日参照

御朱印をクリックすると拡大

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2009年5月26日 (火)

元校長テレホン法話で親しまれ

4067 寺社集印
群馬・高崎市、藤岡市

高崎市の南東部「山名」の地に、八幡山を背に山名八幡宮(やまな・はちまんぐう)がある。源氏の一族新田氏の祖・義重の子・義範が安元年中(1175~77年)豊前の国(大分県)の宇佐八幡宮を勧請して社殿を造営したのが始まりとされている。御祭神は玉依比売命(たまよりひめのみこと)応神天皇、神功皇后の三柱、社殿を飾る神獣をかたどった彫刻群は見事であった。

4068 更に南下して藤岡市の宝憧山・光明寺(ほうどうざん・こうみょうじ)関東88ヵ所霊場第四番を訪ねる。延文四年(1359年)僧・浄義によって開創、昭和59年に再建されたコンクリート造の本堂は入母屋瓦葺、ご本尊は十一面観世音菩薩、戦没者の冥福を祈って奉安されたという。住職の佐光慈豊師は高校長を辞めてテレホン法話集「心のダイヤル」を出すなど、布教活動に専念されている。
写真をクリックすると拡大

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2009年5月25日 (月)

妙義山ふもとの町に二観音

4063 寺社集印=群馬・松井田町

松井田町の龍本山・不動寺(りゅうほんざん・ふどうじ)関東88ヵ所霊場第二番を訪ねる。この町は慶長(1596~1615年)のころ、碓氷峠超えの中山道の宿場として栄えたところで、現在でも怪岩、奇岩で知られる妙義山が近くに迫っている。
寛元元年(1243年)僧・慈猛の開山と伝えられ、ご本尊は千手観音菩薩。元亀・天正の頃は武田信玄から寺領を得、また江戸時代には家光から朱印地を与えられるなど、この地では大寺で知られたという。

4065 ついで同じ町にある碓氷山・金剛寺(うすいざん・こんごうじ)関東88ヵ所霊場第三番を訪ねる。
当地の名門の出である橘定光は早く両親を失つたが、成長して源頼光四天王の一人として勇名をはせ故郷に錦を飾った。そして碓氷峠で村民や往来の人を悩ませていた大毒蛇と対決、、十一面観世音の加護と大鎌を振って大蛇を滅ぼした。定光ゆかりの観世音と蛇骨とを納めたのが当山開基、長元年中(1036年)のこととされる。


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2009年5月24日 (日)

リンとした風情ただよう達磨寺

4058 寺社集印=群馬・高崎市

観音山の正面山麓、鬱蒼と茂る森の中に群馬県護国神社(ぐんまけん・ごこくじんじゃ)がある。明治維新から第二次世界大戦に至るまで、国のために尊い命を捧げられた群馬県出身関係者47000余柱を合祀してある。毎年夏のお盆の8月24日に万灯の「みあかし」を社頭に掲揚してご祭神をお慰めしているという。目下献灯を募集中であった。

4059 観音山から西に迂回して安中方面の途中に「だるま市」で有名な少林山・達磨寺(しょうりんざん・だるまじ)に立ち寄る。
本堂に当たる「霊符堂」には北辰鎮宅霊符尊(ほくしん・ちんたく・れいふそん=天地日月星辰の総帥として中心に位置する北斗星を神格化したもので、妙見菩薩とも呼ばれる)、初祖達磨大師、それに開山心越禅師をお祀しているという。お堂の両脇に所狭しと「だるまさん」が納められている。左隣には勿論「達磨堂」、右下に茅葺屋根の「観音堂」がある。禅寺らしいキリッとした空気が流れていた。
写真をクリックすると拡大

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2009年5月23日 (土)

その高さ41メートルの白衣観音

4055 寺社集印=群馬・高崎市

高崎の近くを走るたびに横目で見ていた高崎白衣大観音の足元まで今日は入る。鳥川を渡り観音山(海抜200㍍)を目指すと白衣大観音(像高41㍍)が眼前に現れる。昭和41年に高崎市の実業家・井上保三郎氏の建立になるといわれ、当時としては「日本一」の大きさだったそうだ。像の胎内は九層に分かれ、二十体の仏像が奉安されている。
4056 この大観音像をお前立にして
高崎観音・慈眼院(じげんいん)関東88ヵ所霊場第一番がある。慈眼院は寛喜年間(1229~32年)鎌倉幕府二代執権・北条義時の三男・重時の創建になり、ご本尊の聖観世音は鎌倉由比ヶ浜の海中より漁師によって引揚げられたと伝えられている。
境内からは高崎市街をはじめ、上毛三山(妙義、榛名、赤城)も眺望できる。
写真をクリックすると拡大。

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2009年5月22日 (金)

色鮮やか南国ムードのミユージアム

0902113 南国回想=フォトギャラリーから

南カリフォルニア・サンディエゴ発祥の地=オールドタウン。1800年代のスペイン統治?当時のメキシカンのカラーと見ていいだろう。色華やかなミュージアム・ギフト・ショップ。南国ムートいっぱいである。
(カテゴリー海外旅行、2009年2月20日号参照)

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2009年5月21日 (木)

一般から会友になる縁結び

0903041 私の絵画

これまた物置から引っ張り出した懐かしい一枚。”リンゴの樹”と題するこの作品は、1990年第60回新構造展で入撰し、「一般公募」から「会友」に推薦された記念作品である。大きさP40号の水彩画。津軽アップル街道沿いのリンゴ畑から岩木山を望むもの。春の手入れが始まるころ。
当時はまだどこの会にも所属せず、あちこちの公募展に応募していた頃なので、ここで良し悪しは別として美術団体・新構造社との縁が結ばれたことになる。
さて来月は東北36不動霊場巡りで、津軽地方の訪問を計画しており、いまから岩木山との再会を楽しみにしている。お天気であることを祈るのみ。

絵をクリックすると拡大

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2009年5月19日 (火)

ご朱印帖(京都・福井)

西国33観音霊場(28,29番)
3328 第28番 成相山・成相寺(なりあいさん・なりあいじ)
天橋立・札所最北の寺
京都府宮津市成相寺339
TEL 077-227-0018
参拝 2009年4月7日
記事 2009年5月7日参照

3329 第29番 青葉山・松尾寺(あおばさん・まつのおでら)
唯一の馬頭観音
舞鶴市松尾532
TEL 077-362-2900
参拝 2009年4月9日
記事 2009年5月14日参照

京都の寺院
28 鹿原山・慈恩寺・金剛院(しかはらさん・じおんじ・こんごういん)
波切不動明王
舞鶴市字鹿原595
TEL 077-362-1180
参拝 2009年4月9日
記事 2009年5月17日参照

29 天香山・桂林寺(てんこうざん・けいりんじ)
丹後最古の禅刹
舞鶴市引土新
TEL 不詳
参拝 2009年4月9日
記事 2009年5月18日参照

福井の寺院
3301 青葉山・中山寺(あおばさん・なかやまでら)
北陸33観音・第一番札所
若狭33観音・第33番札所
福井県大飯郡高浜町中山27-2
TEL 077-072-0753
参拝 2009年4月9日
記事 2009年5月16日参照
御朱印をクリックすると拡大。

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2009年5月18日 (月)

ぶらぶらと歩いて桜の禅刹へ

4044 寺社集印=京都・舞鶴市

いよいよ丹後・若狭の旅も最終回となった。レンタカーを返して、西舞鶴駅前をぶらぶら歩いていると桜咲く大きなお寺があったのでお参りした。その名は
桂林寺(けいりんじ)応永八年(1401年)丹波・洞光寺四世・竺翁雄仙大和尚によって創建された由緒ある禅刹であった。
4045 ご本尊は阿弥陀如来木像、右に勢至菩薩、左に観世音菩薩が両脇侍として奉安されている。
境内一面、桜が満開であったが、なにぶんカメラ不調で、ピンボケに終わってしまった。情けなや・・・。

(丹後・若狭の旅ー19・完)

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2009年5月17日 (日)

桜咲く鹿原山の金剛院

寺社集印=京都・舞鶴市

4042 再び舞鶴に帰り、鹿原山・慈恩寺・金剛院(じおんじ・こんごういん)訪ねる。わきを流れる小川の土手は桜が満開であった。
平安時代初期、天長六年(829年)平城天皇の第三皇子の高丘親王によって創建された。親王は世の無常を感じて仏門に入り、法名を「真如」と称し、弘法大師十大弟子の一人として法を求めて天竺に向かい、途中で消息を絶たれたという。
4043 ご本尊の波切不動明王は白河天皇のご病気平癒のため、永保二年(1082年)若狭の国から勧請されたもの。平癒された帝は荒廃していた当山を復興され、勅願寺として「慈恩寺」の寺号を賜った。
以後このように皇室の庇護厚く、また江戸時代には歴代の田辺城主の保護を受けてきた。
(丹後・若狭の旅ー18)

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2009年5月16日 (土)

東西の馬頭観音お参りし

寺社集印=福井・高浜町

4039 日引の棚田から港を眺めていると、輝く大きな屋根が見えたので、降りていくと正楽寺(しょうらくじ)若狭観音霊場第32番札所であった。住職不在。近所の人の話では、真言宗のお寺で、ご本尊は聖観世音菩薩、平安時代の仏像・20数体が祀られているそうだ。ご朱印は不調。

4041 その人から教えられ、青葉山・中山寺(あおばさん・なかやまじ)若狭33観音第33番(結願寺)、北陸33観音第1番札所(発願寺)をお参りする。
美しい高浜和田海岸を一望する中山寺は聖武天皇の勅願により、泰澄上人の創建と伝えられている。ご本尊は馬頭観世音菩薩。

4040 青葉山を挟んで東(福井)に中山寺、西(京都)に松尾寺と対峙した格好で同じく馬頭観音を祀るという偶然に合い、この二つをお参りできていい日だった。
(丹後・若狭の旅―17)

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2009年5月15日 (金)

内浦に輝き見せる棚田かな

棚田百選・42=福井・高浜町・日引

4038若狭富士」と呼ばれる青葉山の西側を迂回して北上すると福井県に入り内浦湾に出る。(東岸には高浜原発がある。)
内浦湾西岸の高台を走る県道12号線を行くと右下に日引(ひびき)の漁港が見えてきて、その辺から棚田一帯が見下ろせるようになる。先には穏やかな内浦湾と対岸の半島が眺望できる。棚田は美しい漁村風景に見事に溶け込んで、水の張られた田圃が輝きを増してくる。
高浜町・日引(ひびき)棚田の規模は4.3ha、204枚といわれるが、時代なのか休耕しているものも何枚か散見され、残念な思いがした。
(丹後・若狭の旅ー16)

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2009年5月14日 (木)

若狭富士その中腹に松尾寺

4036 寺社集印=京都・舞鶴市

舞鶴市でも最も東の端にある青葉山・松尾寺(あおばさん・まつのおでら)西国33観音第29番札所を訪ねる。
ご本尊は馬頭観世音、折りしも御開帳の時であり、ゆっくり拝見できた。33観音霊場中唯一の馬頭観音像とされ、農耕・畜産に因む守り仏として広く信仰を集めてきたという。
松尾寺は青葉山(海抜699m)の中腹に位置し、隣の福井県から見ると東西に並び立つ二つの山が一つに重なり「若狭富士」呼ばれるほど秀麗なのだそうである。火山が活動していた当時は厳しい表情をたたえ、修験道場となっていたようだ。和同元年(708年)唐の僧・威光上人が草庵を結ばれたのが始まりとされる。

(丹後・若狭の旅ー15)

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2009年5月13日 (水)

ネイティブの生活ぶりをかいま見る

0902112 南国回想 フォトギャラリーから

南カリフォルニア・サンディエゴ発祥の地とされるオールドタウン。スペイン統治時代の名残を偲ばせる公園になっている。メキシコ文化とネイティブの文化が入り混じっている。
写真はネイティブの当時の生活振りの一端を垣間見る道具類と民家。(カテゴリー海外旅行=2009年2月20日号参照)

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2009年5月12日 (火)

ご朱印帖(西国)京都府

京都の神社
13 元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)
丹後国一宮
京都府宮津市字大垣430
TEL 077-227-0006
参拝 2009年4月7日
記事 2009年5月8日参照

14 朝代神社(あさしろじんじゃ)
町方の氏神
舞鶴市朝代12
TEL 077-375-0132
参拝 2009年4月8日
記事 2009年5月11日参照

京都の寺院
26 天橋山・智恩寺(てんきょうざん・ちおんじ)
切戸文珠堂
宮津市天橋立文珠字切戸
TEL 077-222-2553
参拝 2009年4月8日
記事 2009年5月9日参照

27_2 慈恵山・円隆寺(じけいざん・えんりゅうじ)
真言宗御室派
舞鶴市引土72
TEL 077-375-1193
参拝 2009年4月8日
記事 2009年5月11日参照

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2009年5月11日 (月)

山の手に寺と神社が並んでた

4033 寺社集印=京都・舞鶴市

西舞鶴の宿の近くある慈恵山・円隆寺(じけいざん・えんりゅうじ)にお参りする。ご本尊は阿弥陀如来、薬師如来、釈迦如来のご三躰。
4035_2 奈良時代に行基菩薩の開創になり、火災、水害を受けながら、仏像は現在に引き継がれてきたという。建物は総門だけが当時(奈良時代)の遺構とされている。真言宗御室派のお寺で、歴代丹後守田辺城主の祈願所とされてきた。

4034 隣に朝代神社(あさしろじんじゃ)があり、ここに参拝。御祭神はイザナギノミコト。舞鶴の産土神(うぶすながみ)。
創建は天武天皇の時代、淡路島の「日の少宮」(ひのわかみや)から奉遷したのが始まりとされている。近世にいたり丹後田辺藩町方の氏神様として、崇められてきたという。

(丹後・若狭の旅―14)

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2009年5月10日 (日)

引揚者66万人の舞鶴港

舞鶴市散策
4028 ノスタルジーを覚えさせる舞鶴市。まづは赤レンガ博物館を訪ねる。建物は旧海軍の水雷庫として明治36年(1903年)に建てられたわが国最古の鉄骨レンガ造、現在は世界四大文明のレンガを中心に各国のレンガを紹介する博物館として利用されていた。隣接して市制記念館を含む赤レンガ倉庫群がある。旧海軍の兵器庫だったもので、平成6年に芸術・文化の交流の場として生まれ変わっている。
4030 つぎに”母は来ました、今日も来た”「岸壁の母」で全国に知られる「
舞鶴引揚記念館」。昭和20年10月7日に引揚第一船「雲仙丸」が入港して以来、13年間にわたり66万人もの引揚者と1万6千柱の遺骨を迎え入れた港である。抑留時代の多くの資料が展示され敗戦の惨めさが思い出された。港を見下ろす小高い丘は「引揚記念公園」になっており、引揚桟橋も復元されているという。
4032 勧められて舞鶴が一望できるという五老岳(海抜325m)に登ってみた。その上にさらに50mの展望タワーが建っていた。確かに舞鶴湾は見渡せたが、何分カメラ不調で冴えない・・・。
(丹後・若狭の旅ー13)

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2009年5月 9日 (土)

久世の戸や松の葉ごしにあまの釣り舟

寺社集印=京都・宮津市

4023_2 天橋立駅の正面・天橋立を側面から望むように張り出した一帯が天橋山・智恩寺(てんきょうざん・ちおんじ)切戸文珠堂である。ご本尊は文珠菩薩、臨済宗のお寺で、七千坪の境内を有する。起源は遠く神話の時代、イザナギ、イザナミの神がこの地に住む悪龍を教化するために、中国の五台山より「知恵の文珠菩薩」をお迎えしたのが始まりという。古い話だ。
4024 山門を出て廻旋橋(切戸)を渡って前号紹介の北浜に至る天橋立は、その昔、神々が天に通うために架けたといい伝えられ長さ6㎞に及ぶ、天然の橋である。写真中はピンボケながら廻旋橋の閉まるところ。
4025 ここ「切戸の文珠」は日本三文珠霊場の一つで、あとの二つは
「大和安倍の文珠」安倍山・文珠院(華厳宗)奈良県桜井市字安倍
「羽前亀岡の文珠」松高山・大聖寺(真言宗)山形県東置賜郡高畠町字亀岡
だそうである。

タイトルは智恩寺のご詠歌から引用。(丹後・若狭の旅ー12)

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2009年5月 8日 (金)

故郷がここだったのかお伊勢さん

4022 寺社集印=京都・宮津市

成相山から降りてきて、天橋立北の玄関口・北浜にある元伊勢・籠神社(もといせ・このじんじゃ)丹後国一宮に参拝。主神は天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)相殿に豊受大神・天照大神をお祭してあり、豊受大神・天照大神が伊勢に移られたので、元伊勢と呼ばれるという。お伊勢さまの故郷ということになる。
4026_2 社殿は伊勢神宮と同じ唯一神明造という最古の様式で、高い格式を表しているという。
籠神社の正面が日本三景の一つ「天橋立北浜」であり、しばし散策したが、カメラ不調でボケ写真

(丹後・若狭の旅-11)

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2009年5月 7日 (木)

願うこと必ず成ると成相寺

4020 寺社集印=京都・宮津市

日本三景の一つ、天橋立を見下ろす山腹に成相山・成相寺(なりあいさん・なりあいじ)西国33観音霊場第28番札所がある。西国札所最北端のお寺で、慶雲元年(704年)真応上人の開基、ご本尊は聖観世音菩薩。
4021 雪深い草庵に籠って餓死寸前の一人の僧に、観音様が身代わりになって鹿鍋に入って僧の命を繋いだという「身代わり観音伝説」、また「撞かずの鐘伝説」など古刹だけに色々あり、「願うこと必ず成り合う寺」として賑わっている。
  
× × ×
私事ながら、上の写真を撮り終えた後、石段を踏み外してカメラを地面に落してしまった。その後、動くには動いたので写真は撮りまくったがシャッター絞りが不具合で、下の写真以降はすべてピンボケ写真になってしまった
。(丹後・若狭の旅ー10)

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2009年5月 6日 (水)

一階が海抜ゼロの舟屋かな

4018 舟屋の里
=京都府伊根町

浦島伝説の本庄浜・浦嶋神社をあとに丹後・若狭の旅を続ける。お馴染みの国道178号線を南東に進み「舟屋の里」に入る。若狭湾から囲い込むように亀島が伸びて、南面に開けた天然の良港=伊根漁港である。
4019 逆光の中、湾内に舟屋がズラリと並ぶ様は壮観である。自分の舟を自宅の一階(海抜ゼロ・メートル)に収容するという「舟屋」が数軒ならず、何十軒も並んでいるのだから、見あきない風情であった。
(丹後・若狭の旅ー9)

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2009年5月 5日 (火)

懐かしや端午の節句に花そえぬ

0903033 私の絵画

この作品も絵を習い始めた1986年のものと記憶する。色紙大(24㎝×27㎝)のパステル画小品。
今日は「こどもの日」
端午の節句に因んで紹介する。バックの黒を塗り込むのに大変苦労した覚えがある。

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2009年5月 4日 (月)

緑こき奥松島や松島や

0903042私の絵画

今日は「みどりの日」ということで、古い作品を紹介する。この作品はかって仙台にアトリエを設けていた時代の後半期(1998~1999年ごろ)宮城の松島町が主催して、「松島を描く」という公募展がありそれに応募して、かろうじて入選だけはしたものと記憶する。いずれにしても10年も前の古い作品。奥松島を描いたもので、大きさF40号(100㎝×80㎝)の水彩画である。まづは、水と緑だけの絵ではある。

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2009年5月 3日 (日)

この一枚記念すべき最初の絵

0903031 私の絵画

物置の整理を始めたところ、1986年正月から横浜の鈴木塾に通い始めて最初に描いた記念すべき作品を発見した。このほか続けて描いた数点の静物画も出てきたので、これからボツボツ紹介する。
この作品は、絵をイロハのイから始めるにあたって、教材に置かれていた「こけし二本」を、パステルを使って、グレイ色の用紙に描いたもの。出来の良し悪しはどうあれ、一生懸命に描いた思いが
ある。まさにこれが私の絵の原点といえる。
大きさは横20㎝×縦30㎝。

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2009年5月 2日 (土)

感染が気がかりであるサンディエゴ

南国回想 =フォトギャラリーから

0902110 南カリフォルニア・サンディエゴ訪問の折、空母ミッドウエイの飛行甲板からの一枚。ダウンタウンの港側が公園になっており、ドでかいネイビーの抱擁像が面白い。ヨットハーバーあり、桟橋が伸び、その奥にはコロラド島を結ぶベイブリッジも見えている。(2009年2月13日号参照)
ところで、昨日今日、豚インフルエンザの感染拡大で、騒々しいが、サンディエゴと言えば発症の地メキシコとの国境間近の町。大変なことになっていないだろうか?気がかりではある。

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2009年5月 1日 (金)

明日からはまさに大型連休よ

090109_2 上野散歩
今日から五月、皐月入り。明日(土)からはまさに大型連休入りで、上野の山も大騒ぎになることだろう。こちらはどこにも出掛けず、静かにしていることにする。
今月も「
荒了寛カレンダー」を紹介しよう。この英訳は
Praised  instead of scolded
Adult and a child alike, Will strive harder.


4052_2 山はツツジが盛んで見事だが、名残の牡丹も見捨てたものではない。写真は両大師境内の野路植えのもの。株数は少ないがそれだけに可憐であり、手間はかかっている。(
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