ぐずつくと水辺恋しや浜の町
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群馬県の寺院
高碕白衣大観音(たかさきびゃくいだいかんのん)
別格本山 慈願院
高崎市石原町2710-1
TEL 027-322-2269
参拝 2009年4月23日
記事 2009年5月23日参照
少林山 達磨寺(しょうりんざん・だるまじ)
達磨大師・黄檗宗(おうばくしゅう)
高崎市鼻高町296
TEL 027-322-8800
参拝 2009年4月23日
記事 2009年5月24日参照
群馬県の神社
群馬県護国神社(ぐんまけんごこくじんじゃ)
群馬県関連の戦没者
高崎市乗附町2000
TEL 027-322-6309
参拝 2009年4月23日
記事 2009年5月24日参照
山名八幡宮(やまなはちまんぐう)
高崎市山名町1581
TEL 027-346-1736
参拝 2009年4月23日
記事 2009年5月26日参照
御朱印をクリックすると拡大。
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関東88ヵ所霊場(1~4番)
第一番 高碕観音 慈眼院(じげんいん)
聖観世音菩薩・高野山真言宗
群馬県高崎市石原2710-1
TEL 027-322-2269
参拝 2009年4月23日
記事 2009年5月23日参照
第二番 龍本山 不動寺(ふどうじ)
千手観音菩薩・真言宗豊山派
群馬県安中市松井田町松井田甲987
TEL 027-393-0480
参拝 2009年4月23日
記事 2009年5月25日参照
第三番 碓氷山 金剛寺(こんごうじ)
十一面観世音菩薩・真言宗豊山派
安中市松井田町新堀1058
TEL 027-393-0252
参拝 2009年4月23日
記事 2009年5月25日参照
第四番 寶憧山 光明寺(こうみょうじ)
十一面観世音菩薩・高野山真言宗
群馬県藤岡市中1503
TEL 027-423-2823
参拝 2009年4月23日
記事 2009年5月26日参照
御朱印をクリックすると拡大
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高崎市の南東部「山名」の地に、八幡山を背に山名八幡宮(やまな・はちまんぐう)がある。源氏の一族新田氏の祖・義重の子・義範が安元年中(1175~77年)豊前の国(大分県)の宇佐八幡宮を勧請して社殿を造営したのが始まりとされている。御祭神は玉依比売命(たまよりひめのみこと)応神天皇、神功皇后の三柱、社殿を飾る神獣をかたどった彫刻群は見事であった。
更に南下して藤岡市の宝憧山・光明寺(ほうどうざん・こうみょうじ)関東88ヵ所霊場第四番を訪ねる。延文四年(1359年)僧・浄義によって開創、昭和59年に再建されたコンクリート造の本堂は入母屋瓦葺、ご本尊は十一面観世音菩薩、戦没者の冥福を祈って奉安されたという。住職の佐光慈豊師は高校長を辞めてテレホン法話集「心のダイヤル」を出すなど、布教活動に専念されている。
写真をクリックすると拡大。
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松井田町の龍本山・不動寺(りゅうほんざん・ふどうじ)関東88ヵ所霊場第二番を訪ねる。この町は慶長(1596~1615年)のころ、碓氷峠超えの中山道の宿場として栄えたところで、現在でも怪岩、奇岩で知られる妙義山が近くに迫っている。
寛元元年(1243年)僧・慈猛の開山と伝えられ、ご本尊は千手観音菩薩。元亀・天正の頃は武田信玄から寺領を得、また江戸時代には家光から朱印地を与えられるなど、この地では大寺で知られたという。
ついで同じ町にある碓氷山・金剛寺(うすいざん・こんごうじ)関東88ヵ所霊場第三番を訪ねる。
当地の名門の出である橘定光は早く両親を失つたが、成長して源頼光四天王の一人として勇名をはせ故郷に錦を飾った。そして碓氷峠で村民や往来の人を悩ませていた大毒蛇と対決、、十一面観世音の加護と大鎌を振って大蛇を滅ぼした。定光ゆかりの観世音と蛇骨とを納めたのが当山開基、長元年中(1036年)のこととされる。
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観音山の正面山麓、鬱蒼と茂る森の中に群馬県護国神社(ぐんまけん・ごこくじんじゃ)がある。明治維新から第二次世界大戦に至るまで、国のために尊い命を捧げられた群馬県出身関係者47000余柱を合祀してある。毎年夏のお盆の8月24日に万灯の「みあかし」を社頭に掲揚してご祭神をお慰めしているという。目下献灯を募集中であった。
観音山から西に迂回して安中方面の途中に「だるま市」で有名な少林山・達磨寺(しょうりんざん・だるまじ)に立ち寄る。
本堂に当たる「霊符堂」には北辰鎮宅霊符尊(ほくしん・ちんたく・れいふそん=天地日月星辰の総帥として中心に位置する北斗星を神格化したもので、妙見菩薩とも呼ばれる)、初祖達磨大師、それに開山心越禅師をお祀しているという。お堂の両脇に所狭しと「だるまさん」が納められている。左隣には勿論「達磨堂」、右下に茅葺屋根の「観音堂」がある。禅寺らしいキリッとした空気が流れていた。写真をクリックすると拡大。
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高崎の近くを走るたびに横目で見ていた高崎白衣大観音の足元まで今日は入る。鳥川を渡り観音山(海抜200㍍)を目指すと白衣大観音(像高41㍍)が眼前に現れる。昭和41年に高崎市の実業家・井上保三郎氏の建立になるといわれ、当時としては「日本一」の大きさだったそうだ。像の胎内は九層に分かれ、二十体の仏像が奉安されている。
この大観音像をお前立にして高崎観音・慈眼院(じげんいん)関東88ヵ所霊場第一番がある。慈眼院は寛喜年間(1229~32年)鎌倉幕府二代執権・北条義時の三男・重時の創建になり、ご本尊の聖観世音は鎌倉由比ヶ浜の海中より漁師によって引揚げられたと伝えられている。
境内からは高崎市街をはじめ、上毛三山(妙義、榛名、赤城)も眺望できる。写真をクリックすると拡大。
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西国33観音霊場(28,29番)
第28番 成相山・成相寺(なりあいさん・なりあいじ)
天橋立・札所最北の寺
京都府宮津市成相寺339
TEL 077-227-0018
参拝 2009年4月7日
記事 2009年5月7日参照
第29番 青葉山・松尾寺(あおばさん・まつのおでら)
唯一の馬頭観音
舞鶴市松尾532
TEL 077-362-2900
参拝 2009年4月9日
記事 2009年5月14日参照
京都の寺院
鹿原山・慈恩寺・金剛院(しかはらさん・じおんじ・こんごういん)
波切不動明王
舞鶴市字鹿原595
TEL 077-362-1180
参拝 2009年4月9日
記事 2009年5月17日参照
天香山・桂林寺(てんこうざん・けいりんじ)
丹後最古の禅刹
舞鶴市引土新
TEL 不詳
参拝 2009年4月9日
記事 2009年5月18日参照
福井の寺院
青葉山・中山寺(あおばさん・なかやまでら)
北陸33観音・第一番札所
若狭33観音・第33番札所
福井県大飯郡高浜町中山27-2
TEL 077-072-0753
参拝 2009年4月9日
記事 2009年5月16日参照
御朱印をクリックすると拡大。
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寺社集印=京都・舞鶴市
再び舞鶴に帰り、鹿原山・慈恩寺・金剛院(じおんじ・こんごういん)訪ねる。わきを流れる小川の土手は桜が満開であった。
平安時代初期、天長六年(829年)平城天皇の第三皇子の高丘親王によって創建された。親王は世の無常を感じて仏門に入り、法名を「真如」と称し、弘法大師十大弟子の一人として法を求めて天竺に向かい、途中で消息を絶たれたという。
ご本尊の波切不動明王は白河天皇のご病気平癒のため、永保二年(1082年)若狭の国から勧請されたもの。平癒された帝は荒廃していた当山を復興され、勅願寺として「慈恩寺」の寺号を賜った。
以後このように皇室の庇護厚く、また江戸時代には歴代の田辺城主の保護を受けてきた。
(丹後・若狭の旅ー18)
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寺社集印=福井・高浜町
日引の棚田から港を眺めていると、輝く大きな屋根が見えたので、降りていくと正楽寺(しょうらくじ)若狭観音霊場第32番札所であった。住職不在。近所の人の話では、真言宗のお寺で、ご本尊は聖観世音菩薩、平安時代の仏像・20数体が祀られているそうだ。ご朱印は不調。
その人から教えられ、青葉山・中山寺(あおばさん・なかやまじ)若狭33観音第33番(結願寺)、北陸33観音第1番札所(発願寺)をお参りする。
美しい高浜和田海岸を一望する中山寺は聖武天皇の勅願により、泰澄上人の創建と伝えられている。ご本尊は馬頭観世音菩薩。
青葉山を挟んで東(福井)に中山寺、西(京都)に松尾寺と対峙した格好で同じく馬頭観音を祀るという偶然に合い、この二つをお参りできていい日だった。
(丹後・若狭の旅―17)
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舞鶴市でも最も東の端にある青葉山・松尾寺(あおばさん・まつのおでら)西国33観音第29番札所を訪ねる。
ご本尊は馬頭観世音、折りしも御開帳の時であり、ゆっくり拝見できた。33観音霊場中唯一の馬頭観音像とされ、農耕・畜産に因む守り仏として広く信仰を集めてきたという。
松尾寺は青葉山(海抜699m)の中腹に位置し、隣の福井県から見ると東西に並び立つ二つの山が一つに重なり「若狭富士」呼ばれるほど秀麗なのだそうである。火山が活動していた当時は厳しい表情をたたえ、修験道場となっていたようだ。和同元年(708年)唐の僧・威光上人が草庵を結ばれたのが始まりとされる。
(丹後・若狭の旅ー15)
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京都の神社
元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)
丹後国一宮
京都府宮津市字大垣430
TEL 077-227-0006
参拝 2009年4月7日
記事 2009年5月8日参照
朝代神社(あさしろじんじゃ)
町方の氏神
舞鶴市朝代12
TEL 077-375-0132
参拝 2009年4月8日
記事 2009年5月11日参照
京都の寺院
天橋山・智恩寺(てんきょうざん・ちおんじ)
切戸文珠堂
宮津市天橋立文珠字切戸
TEL 077-222-2553
参拝 2009年4月8日
記事 2009年5月9日参照
慈恵山・円隆寺(じけいざん・えんりゅうじ)
真言宗御室派
舞鶴市引土72
TEL 077-375-1193
参拝 2009年4月8日
記事 2009年5月11日参照
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西舞鶴の宿の近くある慈恵山・円隆寺(じけいざん・えんりゅうじ)にお参りする。ご本尊は阿弥陀如来、薬師如来、釈迦如来のご三躰。
奈良時代に行基菩薩の開創になり、火災、水害を受けながら、仏像は現在に引き継がれてきたという。建物は総門だけが当時(奈良時代)の遺構とされている。真言宗御室派のお寺で、歴代丹後守田辺城主の祈願所とされてきた。
隣に朝代神社(あさしろじんじゃ)があり、ここに参拝。御祭神はイザナギノミコト。舞鶴の産土神(うぶすながみ)。
創建は天武天皇の時代、淡路島の「日の少宮」(ひのわかみや)から奉遷したのが始まりとされている。近世にいたり丹後田辺藩町方の氏神様として、崇められてきたという。
(丹後・若狭の旅―14)
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舞鶴市散策
ノスタルジーを覚えさせる舞鶴市。まづは赤レンガ博物館を訪ねる。建物は旧海軍の水雷庫として明治36年(1903年)に建てられたわが国最古の鉄骨レンガ造、現在は世界四大文明のレンガを中心に各国のレンガを紹介する博物館として利用されていた。隣接して市制記念館を含む赤レンガ倉庫群がある。旧海軍の兵器庫だったもので、平成6年に芸術・文化の交流の場として生まれ変わっている。
つぎに”母は来ました、今日も来た”「岸壁の母」で全国に知られる「舞鶴引揚記念館」。昭和20年10月7日に引揚第一船「雲仙丸」が入港して以来、13年間にわたり66万人もの引揚者と1万6千柱の遺骨を迎え入れた港である。抑留時代の多くの資料が展示され敗戦の惨めさが思い出された。港を見下ろす小高い丘は「引揚記念公園」になっており、引揚桟橋も復元されているという。
勧められて舞鶴が一望できるという五老岳(海抜325m)に登ってみた。その上にさらに50mの展望タワーが建っていた。確かに舞鶴湾は見渡せたが、何分カメラ不調で冴えない・・・。
(丹後・若狭の旅ー13)
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寺社集印=京都・宮津市
天橋立駅の正面・天橋立を側面から望むように張り出した一帯が天橋山・智恩寺(てんきょうざん・ちおんじ)切戸文珠堂である。ご本尊は文珠菩薩、臨済宗のお寺で、七千坪の境内を有する。起源は遠く神話の時代、イザナギ、イザナミの神がこの地に住む悪龍を教化するために、中国の五台山より「知恵の文珠菩薩」をお迎えしたのが始まりという。古い話だ。
山門を出て廻旋橋(切戸)を渡って前号紹介の北浜に至る天橋立は、その昔、神々が天に通うために架けたといい伝えられ長さ6㎞に及ぶ、天然の橋である。写真中はピンボケながら廻旋橋の閉まるところ。
ここ「切戸の文珠」は日本三文珠霊場の一つで、あとの二つは
「大和安倍の文珠」安倍山・文珠院(華厳宗)奈良県桜井市字安倍
「羽前亀岡の文珠」松高山・大聖寺(真言宗)山形県東置賜郡高畠町字亀岡
だそうである。
タイトルは智恩寺のご詠歌から引用。(丹後・若狭の旅ー12)
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日本三景の一つ、天橋立を見下ろす山腹に成相山・成相寺(なりあいさん・なりあいじ)西国33観音霊場第28番札所がある。西国札所最北端のお寺で、慶雲元年(704年)真応上人の開基、ご本尊は聖観世音菩薩。
雪深い草庵に籠って餓死寸前の一人の僧に、観音様が身代わりになって鹿鍋に入って僧の命を繋いだという「身代わり観音伝説」、また「撞かずの鐘伝説」など古刹だけに色々あり、「願うこと必ず成り合う寺」として賑わっている。
× × ×
私事ながら、上の写真を撮り終えた後、石段を踏み外してカメラを地面に落してしまった。その後、動くには動いたので写真は撮りまくったがシャッター絞りが不具合で、下の写真以降はすべてピンボケ写真になってしまった。(丹後・若狭の旅ー10)
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