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2009年1月30日 (金)

秩父路の萩咲く里に不動尊

寺社集印=埼玉・長瀞町

090147_2 埼玉・長瀞街を訪ねたお目当ての一つは関東36不動尊霊場第29番札所不動山・白山寺 洞昌院(どうしょういん)である。この不動尊こそ奥の院である「苔不動尊」の聖地。秩父青石が採掘された遺跡で関東一円に出される板碑の原料となった。屏風のように削り取られた岩面に苔がまつわり付き、不動明王のお姿が浮かび上がる。そこから「岩不動尊」といわれるようになったという。
090146_3  一方、この寺は「長瀞七草の寺」のうち「萩寺」として有名。秋のお彼岸の節には、境内いろんな萩で覆い尽くされるという。中には2mを超すほどのものもある。現在はすべて刈り取られ、株だけになっている。寺の入口に「萩塚」なる石碑(写真下)があり、拡大してみると(写真をクリック)野萩・山はぎ・錦萩、紅はぎ・白萩・つくし萩、宮城野薩摩仙台萩や、とあり、種類の多さを誇るかのようであった。
註; タイトルはご詠歌から引用。

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2009年1月29日 (木)

火祭りは秩父の里に春を呼ぶ

寺社集印=埼玉・長瀞町

090144 「秩父路に春を告げる」として有名な長瀞火祭りを主催するというお寺が隣にあると聞いて、宝登山ロープウエイ山麓駅を跨いで、長瀞山不動寺(ふどうじ)を訪ねる。ご本尊は五大力尊、総本山は京都・伏見の醍醐寺。前の駐車場になっている大広場が火祭り会場である。
090145 火祭りとは「柴燈大護摩・火渡荒行」をいい、総本山醍醐寺座主監修のもとに行われる秘法の火渡祈願だそうで、この柴燈大護摩供による智慧の火をもって各自の煩悩が清められ、国土の和平、家庭の興隆をお願いする。
今年は3月1日(日)午前10時から行われる。
写真をクリックすると拡大。

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2009年1月28日 (水)

宝登山は商売繁昌火伏せ宮

寺社集印=埼玉・長瀞町

090143 道路の凍結の始まる前にと、今年の初ドライブとして埼玉県・長瀞を選んだ。関越高速・花園インターから国道140号線に入るコース。
早立ちしたので9時頃には寶登山神社(ほどさんじんじゃ)に到着した。建立は景行天皇(西暦110年)の時代、今から1900年前という古い神社。ご祭神は神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと・神武天皇)大山祇神(おおやまづみのかみ・山の神)火産霊神(ほむすびのかみ・火の神)とされる。
日本武尊が東征の折、山火事にあい山の神のお使いである犬達によって難を逃れ、山上に神霊を拝し、ここを「火止山」(ホドヤマ)と名付けられたのだそうだ。
目下、本殿の改修工事中であったため下の仮拝殿に参拝した。(本年11月に完工の予定という)。

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2009年1月26日 (月)

ご朱印帖(テーマ別)

隅田川七福神のご朱印帖

6 三囲神社(みめぐりじんじゃ)
大国神・恵比寿神
東京都墨田区向島2-5-17
TEL 03-3622-2672
参拝 09年1月6日
記事 09年1月22日参照

5 弘福寺(こうふくじ)
布袋尊
東京都墨田区向島5-3-2
TEL 03-3622-4889
参拝 09年1月6日
記事 09年1月23日参照

4 長命寺(ちょうめいじ)
長命水・弁財天
東京都墨田区向島5-4-4
TEL 03-3622-7771
参拝 09年1月6日
記事 09年1月24日参照

3_2 向島百花園(むこうじまひゃくかえん)
花やしき・福禄寿
東京都墨田区東向島3-18-3
TEL 03-3611-8705
参拝 09年1月6日
記事 09年1月25日参照

ご朱印をクリックすると拡大。

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2009年1月25日 (日)

百花園老人パワーで溢れけり

寺社集印=東京・墨田区

090141 隅田川七福神めぐり(6)
向島五丁目から東向島三丁目まで大した距離ではないと思ったが、白髭橋からくる明治通の脇なので、相当の道のりだった。向島百花園である。話には聞いていたが訪ねるのは初めて。
文化元年(1804年)骨董屋で財をなした仙台出身の佐原氏が隠退して多賀屋敷跡を買い求めて開いた。親しかった文化人たちから寄贈された梅360株を植えて梅園としたので、亀戸の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と、また梅は百花に先駆けて咲くので「百花園」とも呼ばれた。その後、名花・名草の多くが集められたようだ。
090142 片隅の小さな祠に福禄寿が祀られているが、お参りするのに、この行列だ。私が訪れた今の時期にはまだ花には早いのだが、園内は老人パワーで溢れていた。鉢植えの牡丹でも撮って退散したものである。

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2009年1月24日 (土)

長命水弁財天を引き寄せる

寺社集印=東京・墨田区

090140隅田川七福神めぐり(5)
前号の弘福寺の北側、隣り合わせに弁財天を祀る長命寺(ちょうめいじ)がある。創建は元和元年(1615年)とされ、天台宗の常泉寺と号していた。
寛永年間(1624~44年)に三代将軍家光が鷹狩りの途中腹痛のためこの寺に休憩した。境内の井戸水から薬を服用したところ、たちどころに痛みが消え快癒した。喜んだ家光はその井戸に「長命水」の名を与えたところから、以後、寺号まで長命寺と改めた。ただし、この長命水は自然災害で枯れてしまい、水道水で”復元”されたという。
また江戸時代の本堂は安政二年、大正十二年と大地震に見舞われているが、ご本尊の阿弥陀如来像だけは都度難を逃れ、現在の本堂に安置されている。弁財天は水辺に多く祀られる神様で、当寺の弁財天は長命水に因んだものと考えれれ、琵琶湖竹生島の弁財天の分身だそうだ。

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2009年1月23日 (金)

世の人の共感得たり布袋尊

寺社集印=東京・墨田区

090138_2 隅田川七福神めぐり(4)
隅田川土手沿いに北上すると、向島・花町の一角に凛然と立つ山門が見えてくる。牛頭山・弘福寺(こうふくじ)布袋尊を祀る禅寺である。ご本尊は祥雲の作といわれる釈迦如来像
延宝二年(1673年)鉄牛禅師により現在地に移されて来たもの。隣接していた牛嶋神社(1月18日号参照)のご祭神・スサノウノミコトの別称が牛頭天王で、古くから地主神として祀られていたことから山号を「牛頭山」としたという。
090139 布袋尊は七福神のなかで唯一実在した中国・唐時代の禅僧で、名を契此、号を長汀子。大きな布袋を背負い、物を貰えば袋に蓄え、困る人にはそれを施し、その中身は尽きることが無かった。無邪気で欲がなく、おおらかな性格と合わせて人気があり、幸せを願う世の人の共感を誘い、七福神の仲間入りしたのだという。この世の幸福とは「金銭欲や物欲を満足させるだけではない」ことを教えている神様。

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2009年1月22日 (木)

夕立や田を見めぐりの神ならば

寺社集印=東京・墨田区

090136隅田川七福神めぐり(3)
台東区の循環バス・北めぐりん号に乗り、リバーサイド・スポーツセンターで下車して隅田公園を抜けると、「桜橋 」がある。隅田川に架かる唯一の歩道橋で初めてわたって墨田区へ。(写真は墨田区側からのもの)土手を右に降りると恵比寿神と大国神を祀る三囲神社(みめぐりじんじゃ)がある。
文和年間(1352~1356年)近江国三井寺の僧・源慶が東国を巡礼中、ここ牛嶋の地に小祠を見つけ、村民に聞くと弘法大師創建の由緒ある祠であった。源慶は自ら社殿の修理に取りかかると、埋もれた壺が出てきた。その壺に納められていたのは白狐に跨った神像。その時、何処からともなく現れた白狐が神像の周りを三度回って消えた。この故事から「みめぐり」の名がついたと伝えられている。
090137 恵比寿神は鯛を抱え釣竿を背負ったお姿から「豊漁の神」大国神は米俵に乗り小槌をもったお姿から「台所を司る神」であるが、室町時代頃から商業が盛んになり、共に市場の神、一対で商売繁昌の神として信仰されるようになったという。
タイトルに使わしてもらった俳句は、境内にある石碑、俳人・室井其角の「雨乞いの句碑」に刻まれたもの。其角はひどい旱魃に見舞われた農民の熱心な雨乞い祈願を見て短冊にこの句を記して奉納したところ、翌日から雨が続き、農民の苦難は救われたと伝えている。

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2009年1月21日 (水)

ご朱印帖(東京都)

東京の神社のご朱印

0901001 牛嶋神社(うしじまじんじゃ)
「撫で牛」
東京都墨田区向島1-4-5
TEL 03-3622-0973
参拝 09年1月6日
記事 09年1月18日参照

ご朱印帖(テーマ別)
隅田川七福神のご朱印

1 隅田山吉祥院・多聞寺(たもんじ)
毘沙門天
東京都墨田区隅田5-31-13
TEL 03-3616-6002
参拝 09年1月4日
記事 09年1月19日参照

2_3 白鬚神社(しらひげじんじゃ)
寿老神
東京都墨田区東向島3-5-2
TEL 03-3611-2750
参拝 09年1月4日
記事 09年1月20日参照

ご朱印をクリックすると拡大。

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2009年1月20日 (火)

寿老人隅田の場合は神様なり

寺社集印=東京・墨田区

090134隅田川七福神めぐり(2)
墨堤道路を南下して白鬚橋東詰を一寸入った所に寿老神を祀る白鬚神社がある。ここも進入路が狭く、駐車場も見当たらず閉口した。
天暦五年(951年)慈恵大師が関東に下った際、近江国に鎮座する白鬚大明神に勧請し、ご分霊をここに祀ったのが起源で、ご祭神は猿田彦命、隅田川沿いの道祖神として厚く信仰されてきた。平成二年に放火により全焼、現在の社殿は平成四年に再建されたもの。
090135 白鬚大神は中国出身の神様で、道教思想から出ており、「寿星」を人格化した神さま。一説には福禄寿の別名ともいわれている。さて隅田川七福神では「寿老人」を「寿老神」と書く。これは選出に際して寿老人を祀ってある寺社がなく、「白い鬚の老人の神様だろう」として、白鬚大明神に白羽の矢が立ったという。
五月五日に行われてきた「ぼんでん祭」はこの一帯が農村であった頃の習慣を伝える江戸時代からの神事。五穀豊穣と川の氾濫防止を祈願するため、竹につけた色とりどりの御幣を舟に乗せて、隅田川に乗り出す。現在は五年に一度のお祭になっている。

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2009年1月19日 (月)

茅葺の山門可愛く建ちにけり

寺社集印=東京・墨田区

090132 隅田川七福神めぐり(1)
隅田川が蛇行し荒川に最も接近する三角地帯、墨田区の一番北にある墨田5丁目に毘沙門天を祀る隅田山吉祥院・多聞寺がある。隅田川沿いは高層団地が並ぶが、東側荒川土手にかけては戸建住宅が密集し、道路は狭く、車で行って難渋した。
創建は天徳年間(957~960年)と古いが享和三年(1803年)の火災によりすべて焼失、のちに再建されたとある。茅葺の山門(18世紀中葉に再建、写真上)はかっての風情を残し、強い愛着が感じられた。
090133
ご本尊は不動明王、併祀された毘沙門天は木造の立像。また庫裡の前に「坐姿六地蔵」と呼ばれる非常に珍しい形の六地蔵尊像が祀られている。
生粋の江戸っ子だった幕府海軍奉行・榎本武揚は晩年向島に隠居、墨堤の散策を好み、多聞寺に「隅田川七福神碑」の書を残したという。

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2009年1月18日 (日)

丑年で撫で牛忙し牛嶋宮

寺社集印=東京・墨田区

090130 現役時代の通勤で通った水戸街道の言問橋東詰に牛嶋神社があるのは知っていたが、お参りしたことはなかった。今年は丑年、ここの「撫で牛」が初詣で賑わっているとテレビで聞いて集印に出かけた。国道6号線から通り一本入った所に鎮座。珍しいといわれる三輪鳥居(みわとりい)をくぐると総檜権現造りの東都屈指の大社殿(大きさを聞いてみたが寸法は不詳)が建っている。かっては向島須崎町・水戸徳川邸跡にあったが、震災後現在地に再建された。創建は古く、貞観二年(860年)とある。ご祭神は須佐之男命、天之穂日命、この地で亡くなった清和天皇第七皇子貞辰親王命の三柱で、郷土守護神とされている。
090131_2 「撫で牛」は境内右手にあり、黒い石座に乗っかった格好で座っている。「身体の悪い部分にあたる牛の部分を撫でると快癒する」といわれるが、そのいわれは不詳。丁度、子供がおじいちゃんに勧められて撫でまくっていた。写真をクリックすると拡大。

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2009年1月17日 (土)

寅さんよ明日はどちらへ北?南?

寅さんの銅像 フォトギャラリーから

090118 柴又七福神めぐりで何年振りかで京成・金町線の柴又駅に降立った。話には聞いていたが、駅前通りのど真ん中に、ほぼ等身大の「寅さん銅像」が立っていたので、まずはワンショット。これで見ると六等身どころか五等身ぐらいに映るので、なおさら懐かしく微笑ましかった。地元で愛されている寅さん、「男はつらいよ!」で全国区にのし上がったものね・・・・。あまり「さくらチャン」を泣かせるな!!
写真をクリックすると拡大。

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2009年1月15日 (木)

ご朱印帖(テーマ別)

柴又七福神のご朱印

5 宝生(ほうせいいん)
{出世大黒天}
東京都葛飾区柴又5-9-18
TEL 03-3657-0275
参拝09年1月5日
記事09年1月12日参照

6 医王院(いおういん)
[恵比寿]
東京都葛飾区柴又5-13-6
TEL 03-3658-9777
参拝09年1月5日
記事09年1月13日参照

7 観蔵寺(かんぞうじ)
{寿老人}
東京都葛飾区高砂5-5-2
TEL 03-3607-3569
参拝09年1月5日
記事09年1月14日参照

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2009年1月14日 (水)

かわいいな高さ9㎝の寿老人

寺社集印=東京・葛飾区

090129 柴又七福神めぐり(7)
京成線本線の高砂駅のすぐ近くに寿老人を祀る金亀山神宮院・観蔵寺(かんぞうじ)がある。ご本尊は聖観世音菩薩、真言宗豊山派の寺院。
観蔵寺に祀られている寿老人像は高さ9㎝木造の可愛らしい座像で、一般的に見られるような寿老人とは違い、鹿を連れず頭巾もかぶっていないという(その由来は不詳)。
現在の本堂は大正四年(1915年)に建てれれたもので、大震災、それに戦災をも免れて来たものである。

柴又めぐりはこれで終わった。七福神がすべて寺院に祀られ、神社が一社もないのが珍しかった。さて次はどこへ?。ご朱印をみながら「フーテンの寅さん」にでも聞いてみよう。写真をクリックすると拡大

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2009年1月13日 (火)

復興に一役かった蕎麦組合

寺社集印=東京・葛飾区

090127 柴又七福神めぐり(6)
宝生院を出て右手東に行くと北総公団線・新柴又駅にでる。高架になっており、それをくぐると山門が見える。「恵比寿さん」を祀る薬王山・医王寺(いおうじ)で真言宗豊山派の寺院。建立は応永14年(1407年)ご本尊は薬師如来、当時流行した赤目病平癒の祈願所として建立されたとある。
090128恵比寿像(秘仏)は 中興の祖・源珍(げんしん)によって由来し、川底から砂金があふれるほど見つかったことから、商売繁盛の御利益があると崇敬をあつめてきた。また昭和11年に24世・隆道によって蕎麦地蔵尊像が祀られると麺業の組合員による「えびす講」ができ信仰の輪が広がったようだ。昭和19年の戦災で、本堂が消失した際も組合員らの協讃により、いち早く復興出来たという。

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2009年1月12日 (月)

寶尽きずうちでの槌の月と花

寺社集印=東京・葛飾区

090126 柴又七福神めぐり(5)
萬福寺から更に南下して柴又街道を左手に行くと、寶生院(ほうせいいん)大黒天がある。かって徳川家の寺の一つとして上野にあったようだが、関東大震災で被災し、昭和2年(1923年)に現在地に移ったようだ。
ご本尊の大黒天は鎌倉時代の作と伝えられ、「出世大黒天」と呼ばれて崇敬を集めている。いかつい全身が真っ黒、口の中だけ真っ赤。一目見たら忘れられない形相である。将軍家からの信心も篤かったようだ。タイトルは本堂前にある句碑から引用。

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2009年1月10日 (土)

ご朱印帖(テーマ別)

柴又七福神のご朱印

1 良観寺(りょうかんじ)
{宝袋尊}
東京都葛飾区柴又3-33-13
TEL 03-3607-1872
参拝09年1月5日
記事09年1月6日参照

Photo 真勝寺(しんしょうじ)
{弁財天}
東京都葛飾区柴又7-5-28
TEL 03-3657-8448
参拝09年1月5日
記事09年1月7日参照

3 題教寺(だいきょうじ・柴又帝釈天)
{毘沙門天}
東京都葛飾区柴又7-10-3
TEL 03-3657-2886
参拝09年1月5日
記事09年1月8日参照

4 萬福寺(まんぷくじ)
{福禄寿}
東京都葛飾区柴又6-17-20
TEL 03-3657-4588
参拝09年1月5日
記事09年1月9日参照

ご朱印をクリックすると拡大

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2009年1月 9日 (金)

四国路の御影をうつす柴又に

寺社集印=東京・葛飾区

090125 柴又七福神めぐり(4)
帝釈天の近く、南に下った所に福禄寿を祀る聖閣山・萬福寺(まんぷくじ)がある。曹洞宗の寺院。前身は「柴又新四国八十八か所霊場」で、弘法大師の遺徳を讃えるため昭和五年に篤信者中村・柴山の両氏の発願、四国から土砂を取り寄せて築山したものが始まりという。戦後の昭和52年に親しまれてきた築山と旧堂宇を解体して現在の本堂になった。
お祀りしてある福禄寿の製作年代は不明であるが、穴戸家に伝えられていた家宝仏で、これを萬福寺に奉納されたものだそうだ。
タイトルは萬福寺のご詠歌から引用。写真をクリックすると拡大。

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2009年1月 8日 (木)

寅さんが産湯をつかった帝釈天

寺社集印=東京・葛飾区

090124_2 柴又七福神めぐり(3)
映画「男はつらいよ!」で一躍全国的に有名になった柴又帝釈天(しばまた・たいしゃくてん)、正式には経栄山・題教寺(だいきょうじ)と称する日蓮宗の寺院。寛永年間(1624~44年)の創建とされ、日蓮聖人親刻と伝えられる板彫りの帝釈天像がご本尊として祀られている。七福神の毘沙門天は帝釈堂内陣、その本尊の左に祀られている。毘沙門天は別称「多聞天」と呼ばれる四天王の一人、北方守護神である。
090123 さて映画によく出てきた子供たちの遊び場であった仁王門から境内にかけては(写真下)もっと広かったように思うが、人出のせいか狭く感じた。ここの裏手が江戸川土手「矢切りの渡し」のあるところ。

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2009年1月 7日 (水)

恐ろしいお姿見せる弁財天

寺社集印=東京・葛飾区

090121 柴又七福神めぐり(2)
柴又街道を戻り、帝釈さんの参道の手前を左に入った所に石照山・真光寺・真勝院(しんしょういん)「弁財天」がある。大同元年(806年)の創建といわれるから古い。真言宗豊山派の寺院である。写真にあるように、ここの弁財天は八本の手に弓や剣なとを持ち、頭上に人頭蛇身の宇賀神が載るという異なるお姿。これが本来の弁財天なのだそうだ。一般によく拝見する「琵琶を弾くふくよかな弁天さん」とは大違いである。
090122 境内には江戸時代初期の作と伝えられる五智如来(薬師如来・宝生如来・大日如来・阿弥陀如来・不空成就如来)石像が祀られている。またイチョウの大樹が鐘楼の前に聳えていた。

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2009年1月 6日 (火)

七福神今年は葛飾柴又から

寺社集印=東京・葛飾区

090119 柴又七福神めぐり(1)
三が日が過ぎいよいよ5日から寺社集印の第一歩を踏み出す。「寅さん」でおなじみの葛飾・柴又を選んだ。日暮里から京成電車に乗り換え、さらに高砂乗り換えで柴又へ。
駅を出て柴又街道を金町方面へ行くと踏切越しに良観寺(りょうかんじ)の山門が見える。ここに祀られているのが「布袋尊」ならぬ「宝袋尊」と記すのが特徴。
090120 江戸の初期ある商人が都からの帰りに山中で日が暮れ民家に一夜を過ごした。朝になってそこは民家ではなく大木の「うろ」の中。「うろ」の中に「布袋尊像」があり、これを店に持ち帰りお祀りしたところ、商売大繁盛。商人はこのご利益を多くの人に分かち合いたいと「宝袋尊」と称して良観寺に奉納したのだそうだ。
その「宝袋尊」は昭和20年の東京大空襲で焼失、現在は新らたな尊像が本堂に祀られているという。写真の「デッカイ宝袋尊」石像は境内にあり、立像なので、また珍しいと思った。写真をクリックすると拡大。

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2009年1月 4日 (日)

タスマニア季節はずれの雪に泣く

私の絵画 新作発表

091501

☆制作番号:091501  
☆画題:グレイドル山への道(タスマニア島)
☆大きさ:F60号、130㎝×97㎝ 
☆仕様:綿キャンバス・リキテック・アキーラ

2008年2月始めに「南の国」タスマニアを訪ねた。場所は島の北西部にあるドウオブ湖畔。この湖を一周するハイキングをやった。強い風と季節はずれのミゾレに泣かされたものだ。そのため標高の高いグレイドル・マウンテンはうっすら雪化粧。雲の切れ間の一作。
本ブログ08年3月23日号参照。絵をクリックすると拡大。

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2009年1月 3日 (土)

三が日元気をもらうテレ観戦

初詣 フォトギャラリーから

090117

正月三が日は毎年のことながらスポーツ観戦が楽しみである。お目当ては元日の二ユーイヤー駅伝、それが終わるとサッカー天皇杯決勝、二日・三日は箱根駅伝だ。今年の3試合はいずれも稀に見る大接戦で、大いに楽しませてもらい元気をもらった。

ニューイヤー駅伝は富士通、日清食品G,それに旭化成が三つ巴の大接戦でアンカー勝負に持込まれ、ラスト200mのデッドヒートで、富士通が9年ぶり二回目の優勝。
天皇杯決勝はガンバ大阪が柏レイソルを延長後半のラスト5分で1-0として優勝。
二日の箱根駅伝は往路5区の山登りで東洋大が大逆転優勝。三日復路は二位早稲田に再三脅かさながら逃げ切り、東洋大が初優勝。昨年優勝校・駒沢大は13位のシード落ちになった。キビシーイ・・・・。

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2009年1月 1日 (木)

ありがとう感謝の気持ち忘れずに

姫路城 フォトギャラリーから

090101 謹賀新年

今年もよろしくお願いします。
写真・姫路城のように
どっかり腰をすえ、かつ行動的にありたいと願うものです。
「ありがとう」を忘れずに・・・・。
荒了寛カレンダー1月。英訳は
Always remenber to say "Thank you"

090105

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