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2008年12月31日 (水)

差し引けば幸せ残る年の暮れ

大晦日の不忍池 フォトギャラリーから

090102

いいお天気の大晦日を迎えた。揚句(清水哲男・増殖する俳句歳時記から)のように、この一年、悪いことばかりが印象として残るが、成果はどうあれアクティヴに、思いのままに過ごせたことは有難いことであった。健康であることの幸せを感謝するのみ。来年もこうありたい・・・。合掌。

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2008年12月30日 (火)

怒る人「頭が悪い」とお釈迦さま

090104 12月5日号で紹介の播州御嶽山・清水寺を参拝の折『荒了寛カレンダー』なるものを求めてきた。写真はその表紙。その英訳は
An angry person is not wise,Even shakyamuni Buddha has said that.
面白いので来年1月から拝借して毎月連載の予定です。
作者である荒了寛(あら・りょうかん)氏は1928年福島県生まれ、大正大学大学院で天台宗専攻、天台宗米国ハワイ開教総長、大僧正。
多くの著書のほか、独自の技法で仏画を描き、画文集も出版、毎年米国本土・日本各地で個展を開くなど、今なお「仏画伝道」を続けておられるという。
写真をクリックすると拡大。

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2008年12月29日 (月)

ご朱印帖(千葉県)

千葉県松戸市の寺院

12 長谷山・本土寺(はせざん・ほんどじ)
日像菩薩霊場
千葉県松戸市平賀63
TEL 047-341-0405
参拝08年12月22日
記事12月24日参照

13 仏法山・東漸寺(ぶっぽうざん・とうざんじ)
関東18檀林のひとつ
松戸市小金359
TEL 047-345-1517
参拝08年12月22日
記事12月25日参照

14 法王山・萬満寺(ほうおうざん・まんまんじ)
中気除不動尊
松戸市馬橋2547
TEL 047-341-3009
参拝08年12月22日
記事12月26日参照

松戸市の神社

04 松戸神社(まつどじんじゃ)
松戸市松戸1457
TEL 047-362-3544
参拝08年12月22日
記事12月28日参照

ご朱印をクリックすると拡大。

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2008年12月28日 (日)

鬱蒼と森に包まれし古き宮

寺社集印=千葉・松戸市

082 第40代・景行天皇の時代、日本武尊の東征の折、吉備武彦、大伴武日の両軍と、この地で待ち合わせをした。そこで地名は「待つ処」⇒「待土」⇒「松戸」となったのだそうだ。
この松戸の市街地のほぼ中央部に松戸神社(まつどじんじゃ)がある。度重なる火災、震災ののち、現在の社殿は文久三年(1863年)に再建されたものという。その間、水戸家、北条氏、千葉家高城領主などの篤い崇敬を集めてきたという。
083 神苑3,500㎡の中には樹齢千年というご神木をはじめ、多くの樹木に包まれた、まさに鎮守の森である。さらに秋葉神社、水神社、三峰神社、稲荷神社、厳島神社、松尾神社、八坂神社、庚申社、浅間神社、金毘羅神社、八幡神社などが祀られ、何でもありの感じであった。写真下はご神木にギッシリ懸けられた絵馬。クリックすると拡大。

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2008年12月26日 (金)

苦難超え再建進む萬満寺

寺社集印=千葉・松戸市

080 国道6号線を東京方面に向かいJR馬橋駅入り口を右折して駅の手前を右に入ると法王山・萬満寺(ほうおうざん・まんまんじ)がある。建長八年(1256年)下総国守護職・千葉頼胤が良観上人を請じて「大日寺」を創建したのが始まりという、水戸街道きっての古刹とある。次いで関東管領足利氏満が康暦元年(1379年)古天周誓和尚を招いて堂宇を建立し、時の将軍足利義満の満と氏満の両満を取って「萬満寺」と改め、真言律宗から臨済宗に転じたのだそうだ。
081 戦国時代に太田道灌が持仏の阿弥陀如来を奉納して武運を祈願し、徳川時代には家康をはじめ歴代の将軍により朱印寺として栄えた。しかし明治41年汽車の煙火による火災で類焼、仁王門を除いてすべての堂塔を焼失した。また廃仏毀釈、農地解放で、寺領地の大半を失ったという。
現在の本堂は昭和62年に80年ぶりに完成、境内の整備もすすみ弁天堂、不動堂、山門、鐘楼と昔の面影を取り戻しつつあるそうだ。ご本尊の阿弥陀如来は藤原期の作で、木造の大仏像、両脇に観音・勢至の菩薩を配した、いわゆる阿弥陀三尊。また幾度かの火難をくぐり抜けた不動明王(鎌倉期の木造秀作)は中気除不動尊として有名である。

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2008年12月25日 (木)

本堂はしだれ桜に彩られ

寺社集印=千葉・松戸市

078 千葉県で最も歴史のある旧水戸街道小金宿は東漸寺を中心に形成されたといわれる。正式には仏法山・一乗院・東漸寺(ぶっぽうざん・いちじょういん・とうぜんじ)。浄土宗に帰依した徳川家康により関東十八檀林(僧侶の修業寺)に列せられた名刹。文明13年(1481年)創建とされる。広大な境内と多くの伽藍を擁した当山も、明治の廃仏毀釈によって荒廃、さらに経済基盤になっていた広大な寺有田も昭和の農地解放で失った。
079 しかし歴代住職の尽力、関東屈指の多くの文化財、境内古木・巨木の森が保存されて、復興の力になった。熱心な檀信徒の協力を得て昭和40年から開創五百年記念事業として本堂、鐘楼、中雀門、山門、総門、観音堂などの再建が成った。
樹齢三百年を誇る「しだれ桜」や「鶴亀の松」、参道の沿いの梅、アジサイ、モミジなど四季折々の自然に触れ、伝統美を感じることのできる寺として多数の参詣者を集めているという。
写真をクリックすると拡大になる。

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2008年12月24日 (水)

朗門の三長三本三聖人

寺社集印=千葉・松戸市

075 年末の墓参を済ませて、足を延ばし同じ松戸市にあるお寺を訪ねた。いったん国道6号線に出て北上、JR北小金駅北口入り口を左折、鉄道を跨いですぐ右に入るともう参道だ。日蓮宗本山である長谷山・本土寺(はせざん・ほんどじ)。松杉の大木に囲まれた参道5丁。丹塗の仁王門を抜けて境内に入ると右手に諸堂が連なる。一万坪と云われる浄域は起伏に富み、桜・楓の樹木、夏の菖蒲・紫陽花、水連が、まさに「東国花の寺」63番にふさわしい風情を漂わせていた。時季がわるかったが・・・・。
076 当山は、もと源氏の名門・平賀家の屋敷跡と伝えられ、建治3年(1277年)領主曽谷教信の協力で地蔵堂を移して法華堂とした。そして日蓮大聖人より「長谷山・本土寺」の寺号を授かったことが始まりという。池上の長栄山・本門寺、鎌倉の長興山・妙本寺とともに『朗門の三長三本』とよばれているそうだ。
077 度々の不受不施の法難と維新後の排仏運動によって衰退したが三聖人出生で再興された名刹であるという。「三聖人」とは平賀家の三兄弟で、長男である日朗聖人は師孝第一と讃えられ、法難つづきの伝道を日蓮と共にされた。また日像聖人は日蓮に次ぐ偉聖と崇められ、そして本門寺、妙本寺の大成者たる日輪聖人の三人である。

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2008年12月22日 (月)

暖冬かいや騙されまいぞ冬至かな

上野東照宮・おばけ燈篭 フォトギャラリーから

200812_009 ここのところ暖かな日和が続いているので「今年は暖冬なのか」と思わせるものだが、どっこいそうはいくまい。冬至を過ぎ、明日から冷え込むそうだ。
東照宮の「おばけ燈篭」は何も「騙す」のではなく「巨大」なところから来た名前だ。これもゆく秋を偲ぶかのように佇んでいる。

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2008年12月20日 (土)

お天気で羽子板市も盛んなり

下町散歩=納めの観音・浅草寺

200812_010

200812_011 浅草寺の「納めの観音ご縁日」が19日までと聞いて、夕方あわてて浅草まで足を延ばしお参りしてきた。暖かかったせいもあって、相変らずの人出、特に羽子板市の開かれている雷門から宝蔵門にかけての混雑は流れに逆らえないほどの物凄さだった。今年の話題は例の最年少のプロゴルファーだったので、一枚だけ羽子板の写真を撮って早々に引き揚げた。一金十五万円だそうだ。ノーコメント。写真をクリックすると拡大。

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2008年12月19日 (金)

ご朱印帖(西国)大阪府・兵庫県

西国33観音霊場 第22,24番

3322_2 第22番 補陀洛山・総持寺(ふだらくさん・そうじじ)
亀に乗る観音様
大阪府茨木市総持寺1-6-1
TEL 072-622-3209
参拝08年11月6日
記事12月16日参照

3324 第24番 紫雲山・中山寺(しうんざん・なかやまでら)
明治天皇勅願所
兵庫県宝塚市中山寺2-11-1
TEL 079-787-0024
参拝08年11月6日
記事12月17日参照

近畿36不動尊霊場 第8番

3608 第8番 大聖山・不動寺(たいせいざん・ふどうじ)
大阪府豊中市宮山町4-7-2
06-855-0079
参拝08年11月7日
記事12月18日参照

ご朱印をクリックすると拡大。

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2008年12月18日 (木)

来春の巡拝願いなにわ去る

寺社集印=大阪・豊中市

073 大阪に戻り、今年の西国巡拝の最後となる豊中市に入る。国道176号線豊中駅前から箕面街道に入り、約2㎞宮山バス停を西に入った住宅街の丘の上にあった。大聖山・不動寺(たいせいざん・ふどうじ)近畿36不動尊霊場第8番札所である。ご本尊は木造の座像・五大力不動明王、弘法大師による弘仁年間の創建といわれるが、年号不明。
074 二段構造になっている境内の階段を登り切った所に寺院らしからざるモダンな鉄筋コンクリート造の本堂がある。本堂に入った壁面いっぱいに青い不動明王が描かれており、実に圧巻であった。(写真撮影は不調)。さらに二階に上ると、建物とは対照的な質素な広い畳の間があり、その奥にご本尊が祀られてあった。
これで一応、今年の西国巡拝の旅は終わる。出来ることなら来春から再開したいものと念願して「なにわ」をあとにした。

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2008年12月17日 (水)

北摂に紫雲たなびく中山寺

寺社集印=兵庫・宝塚市

070宿の関係で再度兵庫県に帰り、宝塚市にある紫雲山・中山寺(しうんざん・なかやまでら)西国33観音霊場第24番札所にお参りする。「北摂の地に紫の雲がたなびく」といわれる中山寺は聖徳太子創建になる、わが国最初の観音霊場とされている。ご本尊は十一面観音菩薩、インド勝鬘夫人(しょうまんぶじん)のお姿をうつした尊像と伝えられる。

071_2 中古の代、日本霊跡33所観音巡拝が唱えられると「極楽中心仲山寺」と称され、中山寺は第一番札所と決まった。のちになって、花山法皇の巡礼が行われ、その道順に従って、第24番札所になったのだという。

072 草創以来、1400年の歴史を誇る中山寺は多くの物語で飾られ、世に名高い謡曲「満仲」や歌舞伎「菅原伝授手習鑑」などが残っている。
一方、代々皇室の崇信厚く、安産祈願本邦随一の霊場として武家、庶民より深く信仰されてきた。ことに秀吉は当山に祈願して秀頼を授かり、秀頼が再建させたのが現在の伽藍であるという。幕末に明治天皇のご安産もあり、さらに霊徳を高めている。

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2008年12月16日 (火)

恩返し何でもご利益観音様

寺社集印=大阪・茨木市

068 大阪府の北東部・茨木市に向かう。町名も総持寺、「亀に乗った観音さん」として有名な補陀洛山・総持寺(ふだらくさん・そうじじ)西国33観音霊場第22番札所がある。平安時代に中納言藤原山蔭卿によって開かれた。ご本尊はいわゆる亀に乗った千手観音。「亀の恩返し」の話は今昔物語、源平盛衰記などに紹介されている。
069山蔭卿の父である高房卿は大宰府に赴任の途中、漁師たちが一匹の大亀を捕らえていたのを見て哀れに思い、自分の着物と交換して川に戻してやった。翌日川に落ちた山蔭はその大亀の背に乗せられ、元気の姿で現れた。「これひとえに観音様のお陰」と感謝した高房卿は観音像の造像を発願、亡くなった父の遺志を継いで山蔭卿が創建した、というもの。
この話に因んで、子育て、火除け、厄除けの観音さんと呼ばれ、親しまれている。また本尊造立に際し、千日間料理をお供えした縁で「包丁道の祖」として祀られているという。(次回は第24番・山中寺)。

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2008年12月14日 (日)

「変」よりも「乱」ではないかこの一年

200812_001 上野散歩

師走も半ばまでやってきた。誕生日を迎えて七十七才に相成った。長生きしたものだ。実感はないが歳にはかなわないのか。気力、体力ともに衰えているに違いない。
今年の漢字は「変」と聞いた。どこかの国では「チェンジ」で大統領になつたが、身近なところでは表面上は何も変わらず、見聞きするものは「乱」に近いと感じるものである。
200812_005 上野の山は早くも不要なものは削ぎ落とし、春を目指して着々と準備をしているように見受けられる。昨今あやしくなってきたが「自然」に逆らわない前向きの生き方が出来ればいいと願うものである。
写真は寛永寺裏のイチョウとその落ち葉、クリックすると拡大。

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2008年12月13日 (土)

里山の原形残す能勢・長谷

棚田百選=大阪・能勢町

200811_009 兵庫県と京都府の間を北の突き出たような恰好の大阪府豊能郡能勢町長谷、能勢電鉄・山下駅から車で15分、ここに棚田百選ー63・長谷(ながたに)棚田はある。山田川の支流・長谷川に沿って扇状に6ha、約200枚の棚田が展開する。
200811_010 ほぼ集落を中心に、その周りを取り囲むように作業用の道路が巡っており、農繁期を除けば車で進入できる。
夏の終わりから秋口にかけては盆地から底霧が立ちのぼり、高台から見下ろす雲海漂う風景は一幅の名画のようだという。それで、今日もスケッチをしにグループが訪ねていた。
200811_011_2 ここでも何軒かの茅葺屋根が残っており嬉しかった。これぞ、まさに「日本の里山の原風景」ではあるが、後継者の不足などで棚田の維持、また茅葺屋根の保存には並大抵の努力がいるのも事実であろう。
高台の一画ではオーナー制の棚田として一般市民に開放されていた。
写真をクリックすると拡大。

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2008年12月12日 (金)

ご朱印帖(西国)京都府・大阪府・兵庫県

西国33観音霊場 21番、23番、番外1

3321 第21番 菩提山・穴太寺(ばだいさん・あなおじ)
丹波屈指の古刹
京都府亀岡市曽我部穴太東辻46
TEL 077ー124-0809
参拝08年11月6日
記事12月10日参照

3323 第23番 応頂山・勝尾寺(おうちょうざん・かつおうじ)
王に勝つ寺
大阪府箕面市勝尾寺
TEL 072-721-7010
参拝08年11月6日
記事12月11日参照

01 番外1番 東光山・花山院菩提寺(とうこうさん・かざんいんぼだいじ)
花山院御廟
兵庫県三田市尼寺352
TEL 079-566-0125
参拝08年11月5日
記事12月9日参照
ご朱印をクリックすると拡大。

     ◎ お知らせ ◎
お蔭さんでこのブログ本号で600号になりました。駄文の連続ながら何とか、健康でここまで参りました。ご支援の方々に深くお礼申しあげます。因みにご朱印の方は、607ヵ社寺を数えております。

 

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2008年12月11日 (木)

箕面山勝運もとめて登らんや

寺社集印=大阪・箕面市

065この旅も終盤になり、大阪府北部の箕面国定公園の山間部に入る。応頂山・勝尾寺(おうちょうざん・かつおうじ)西国33観音霊場第23番札所である。開山は神亀4年(727年)開成(かいじょう)による。ご本尊は十一面千手観世音菩薩。写真の楼門様式の立派な山門を入ると、参道沿いに多くの堂宇が本堂まで続く。
066  平安時代以降、山岳信仰の拠点として栄え、天皇、貴人などの参詣も多かったようだ。元慶4年(880年)清和天皇の病気平癒を祈祷して「勝王寺」の寺号を賜ったが、「王に勝つ」では畏れ多いとして「勝尾寺」に差し控えたのだという。勝尾寺が勝利祈願の寺として有名になったのは源氏、足利氏の歴代の武将が勝運祈願をしたことに由来するようだ。勝負事に勝ったものは「勝ちだるま」を奉納する(写真中)。奉納所以外にも境内あちらこちらに「だるまさん」が置かれていた。
067 元暦元年(1184年)源平の一ノ谷の合戦のあおりを受けて焼失。文治4年(1188年)源頼朝の命により、熊谷次郎直実・梶原景時によって再建されたという。現存する当時の建物としては「薬師堂」がある。
承元4年(1210年)に隠岐の島流罪から戻った法然上人が、帰京前に4年ほど、当寺の「二階堂」に滞在したといわれる。その後帰京した法然上人は1212年79歳で亡くなっている。
写真をクリックすると拡大。

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2008年12月10日 (水)

あなお寺は丹波屈指の古刹なり

寺社集印=京都・亀岡市

062_2 大阪府に接し京都府の南西部に位置する亀岡市に菩提山・穴太寺(ぼだいさん・あなおじ)西国33観音霊場第21番札所がある。駐車場から仁王門に向かう道すがら垂れ下がる見事な柿にまづ一枚(写真左)。
奈良時代末期の慶雲2年(705年)文武天皇の勅願により大伴古磨が創建。丹波屈指の古刹である。
063 ご本尊は薬師如来、札所本尊は木彫聖観音立像(仏師感世の作、像高110㎝)であるそうだが、1968年11月に盗難にあい未発見という。
またこの聖観音には次のような伝説がある。曽我郡郡司・宇治宮成は都から仏師を招いて聖観音を刻ませ、代賞に名馬を仏師に与えた。ところが宮成は馬が惜しくなり、途中で待ち伏せして仏師を射殺、馬を持ち帰った。
064 家に戻ると観音像の胸に矢が刺さっており、馬もいなくなった。驚いた宮成は人を遣わし都の仏師の家を訪ねさせると、仏師も馬も無事に帰宅していた。宮成は改心して出家。彼の夢のなかに観音が立ち「胸の傷を治したいので薬師如来のところへ連れて行け」と告げた。そこで穴太寺の本尊の脇に納めたのだという。
話は代って本堂内に木彫涅槃像(室町時代の作)が祀られ、病魔平癒の「なで仏」として名高い。
写真をクリックすると拡大。

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2008年12月 9日 (火)

法皇は巡礼信仰の聖者なり

寺社集印=兵庫・三田市

060_3 大阪・神戸のベッドタウン三田市から北へ約6㎞、標高約400mの坂道を登った山上に東光山・花山院菩提寺(とうこうざん・かおういんぼだいじ)西国33観音霊場・番外一番札所がある。
開基は651年・法道仙人(仙人の開基伝承をもつ寺院は兵庫県東部地域に集中している)ご本尊は薬師瑠璃光如来、札所本尊は十一面観音、ほか花山法皇を祀る法皇殿がある。

061_2 第65代・花山天皇は権謀術策を受け、騙されて退位して法皇となられ、992年(正暦3年)ごろ西国33観音霊場を巡って、巡礼信仰の基礎をつくりあげた「中興の聖者」として千年以上の時を経た今も尊崇を受けておられるそうだ。なお法皇は当山を隠棲の地として晩年に帰京されるまで、14年間過ごされたとある。眼のあたりに秀峰有馬富士を見、南には六甲連山、西には広く播州平野から播磨灘を一望に収める絶景の聖地といえる。
写真をクリックすると拡大。

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2008年12月 7日 (日)

「いさりがみ」七百年の重みあり

棚田百選=兵庫・多可町

200811_008 2007年11月16日本号(出雲)以来のまさに一年ぶりの棚田訪問となる。
姫路市から北東の方向、中国山脈の山懐に約700年も前に作られたという棚田百選ー66・岩座神(いさりがみ)はある。「農のピラミッド・天国への階段」とシャレた名前で呼ばれているという。
200811_006 多可町役場(TEL 079-535-0080)で資料をもらい、道を教えてもらって棚田に向かう。入口に写真上の大きな看板があり、まずは車で入れる所まで登る。古い土地柄から「七不思議」なるものがあり、その発端はどうも一番奥の標高480mのところにある萬霊山・神光寺(真言宗御室派)にあるようだ。少し下った所に「クラインガルテン」なる滞在型市民農園施設があった。
200811_007棚田は石垣でガッチリ組まれ、最も高いもので5㍍、最も長いもので106㍍、この地区の棚田総面積12ha、350枚の規模という 立派なもので重量感十分である。また少なくなったとはいえ点在する茅葺屋根の家も印象的である。久しぶりの棚田入りで気分爽快であった。
写真をクリックすると拡大

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2008年12月 6日 (土)

ご朱印帖(西国)兵庫県

西国33観音霊場 第25~27番

3325 第25番 播州御嶽山・清水寺(ばんしゅうみたけさん・きよみづでら)
東条湖県立自然公園内
兵庫県加東市平木1194
TEL 079-545-0025
参拝08年11月5日
記事12月5日参照

3326 第26番 法華山・一乗寺(ほっけさん・いちじょうじ)
法道仙人開山の勅願寺
加西市坂本町821-17
TEL 079-048-4000
参拝08年11月5日
記事12月4日参照

3327 第27番 書写山・円教寺(しょしゃざん・えんぎょうじ)
「西の比叡山」
姫路市書写2968
TEL 079-266-3327
参拝08年11月4日
記事12月2日参照

兵庫県の神社

01 白鷺宮・護国神社(しらさぎのみや・ごこくじんじゃ)
姫路城下、姫山
姫路市本町
TEL 不詳
参拝08年11月4日
記事12月3日参照

ご朱印をクリックすると拡大。

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2008年12月 5日 (金)

山の上登山道路あり清水寺

寺社集印=兵庫・加東市

059 東条湖県立自然公園内に位置し、海抜500mの高地に専用登山道路まで完備する名刹、播州御嶽山・清水寺(ばんしゅうみたけさん・きよみずでら)西国33観音霊場第25番札所を訪ねる。開山は前回の一乗寺と同じくインドより来日した法道仙人
058_2 推古天皇の推古35年(627年)勅願により根本中堂を建立、仙人一刀三礼の秘仏・十一面観世音菩薩、脇士毘沙門天王、吉祥天女聖像を安置した。また聖武天皇の神亀2年(725年)行基菩薩に勅願して大講堂を建立、ご本尊に千手観世音菩薩を安置して、永く講経の道場として、法灯を中国地方まで輝かされた。
057 紅葉もまぶしい広大な境内に幾つものお堂が立ち並び、ほとんどが指定文化財。一方山上からは六甲の山並み、瀬戸内海、淡路島、明石海峡大橋、四国まで見渡すことができる。
写真上は駐車場から仁王門、中は根本中堂、下は大講堂側面。

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2008年12月 4日 (木)

春は花夏は橘秋は菊

寺社集印=兵庫・加西市

054_2姫路市から東の方向、国道372号線から入山。早めの紅葉が鮮やかに迎えてくれる。ここから300余段の石段を登る。法華山・一乗寺(ほっけさん・いちじょうじ)西国33観音霊場第26番札所である。開山はインドから来日した法道仙人。白稚元年(650年)孝徳天皇の勅願により創建され、以来鎮護国家の道場とされてきた。
055 ご本尊は法道仙人伝来の銅造・聖観世音菩薩 (重文・秘仏)。現在の本堂である金堂・大悲閣(重文)は梁間九間、奥行八間の堂々たる構えで、長い300余段の石段の奥にある。寛永五年(1628年)、姫路藩主本多忠政公が再建したものという。

056 大悲閣(本堂)廊下から見下ろせる(写真左)国宝・三重塔は承安四年(1174年)に建造されたもので、藤原様式の秀作として建築史上名高いという。現在のそれは昭和16~8年に解体修理が行われたもの。
そのほか文化財多数ある中、法道仙人を祀るという開山堂(奥之院)をお参りして、下山する。合掌。
写真をクリックすると拡大、タイトルは花山法皇(永延元年・987年)の御詠

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2008年12月 3日 (水)

説明は無用であるよ白鷺城

寺社集印=兵庫・姫路市

051 せっかく姫路に来たので、姫路城を見たいものと、お堀端に出て駐車場を探していると、幸いにして白鷺宮・護国神社(しらさぎぐう・ごこくじんじゃ)があったので、ここの駐車場を拝借して参拝、ご朱印を頂く。全国52社ある護国神社の一社で、姫路城下・姫山の麓にあるところから「しらさぎ宮」と呼ばれ親しまれているという。明治元年戊辰の役以来国難に殉じた兵庫県西部地域(12市、15郡)出身の57,000余柱が祀られているとのこと。

052 時間が無くなったので、お濠の手前でワンショット。天下の名城=姫路城。望遠しても、夕日に映えるその雄姿は見事なものであった。写真をクリックすると拡大。下手な説明は無用というもの。

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2008年12月 2日 (火)

老朽化気になる西の比叡山

寺社集印=兵庫・姫路市

048 今回の西国行きは新幹線・姫路駅から始まり、同・新大阪駅に終わるというコース。西国33観音札所巡りが主体で、久しぶりの棚田、それにお不動尊もという4泊5日の行程である。

まずはレンタカーを調達、姫路・書写山のケーブルカー駅へと車を走らせる。山陽自動車道の真下が駐車場になっており、ケーブルに乗って5分という便利さである。
049 書写山・円教寺(しょしゃざん・えんぎょうじ)西国33観音霊場第27番札所である。ご本尊は如意輪観世音菩薩。当山は康保3年(966年)性空上人によって開山、「西の比叡山」と言われるように、鎮護国家の道場として大講堂を中心に重要文化財多数、樹齢数百年を数える樹林に囲まれ深厳さを保ち続けている。
050摩尼殿( 観音堂・上の写真2枚)それに開山堂(奥の院)、根本堂(写真下)大講堂などそれぞれのご朱印を頂いて、茶屋でお汁粉などで寛ぎながらも、多くの建物の老朽化が非常の気になるところだった。

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2008年12月 1日 (月)

冬晴れよ落葉を照らし師走入り

上野散歩

200812_007 今年も押詰まり、残すはひと月、12月師走入りである。散歩道は月曜日のせいもあり、静かな佇まいである。「冬晴れ」にふさわしく、いい天気で空気も引き締まっている。
銀杏の黄葉は総体的に七分方といったところだろうか・・・、桜は赤い葉を大半落としてしまい(写真)、落ち葉が朝日に映えて輝いている。掃除が大変な時期ではある。

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