省略がきいて明るい烏瓜
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My Pictures
☆制作番号 081414
☆画 題 リガ新市街
(バルト海クルーズ)
☆サイズ 28㎝×38㎝
☆仕様 マーメイド紙
ホルベイン水彩絵具
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昨年夏に出掛けたバルト海クルーズ、ゴットランド島から反転してラトビアの首都リガに降り立った。(本号07年9月6-7日号参照)
世界遺産に登録されているこの町は、なかなか洒落た都市で、新市街と旧市街がはっきり区別されている。この絵は新市街を見ている。ユーケントシュティル様式の建物群が立ち並ぶ。
◎ ご案内 ◎
下記の要領で私の個展を開きます。今回から会場を銀座2丁目に移しました。ご来場をお待ちしています。
☆ 第14回 水彩画展 ☆
☆ 会期 2008年11月16日(日)~22日(土)
☆ 時間 AM11:30~PM6:30
(初日はPM1:00から、最終日はPM4:00まで)
☆ 会場 銀座ふそうギャラリー
東京都中央区銀座1-7-16
TEL 03-3561-7908
http//www.ginzafusou.com
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京都府の寺院
蓮華王院・三十三間堂(れんげおういん・さんじゅうさんげんどう)
京都市東山区三十三間堂廻道657
TEL075-525-0033
参拝08年10月6日
記事10月19日参照
臨済宗総本山・東福寺(りんざいしゅうそうほんざん・とうふくじ)
東山区本町15丁目
TEL075-561-0087
参拝08年10月7日
記事10月21日参照
妙徳山・華厳寺(みょうとくざん・けごうじ)
=鈴虫寺(すずむしでら)
京都市西京区松室地家31
TEL075-381-3830
参拝08年10月7日
記事10月24日参照
嵯峨嵐山・法輪寺(さがあらしやま・ほうりんじ)
=虚空蔵さん
西京区嵐山虚空蔵山町
TEL075-861-0069
参拝08年10月7日
記事10月25日参照
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寺社集印=京都・西京区
松尾大社に向かう途中、月読神社があったので寄ってみた。伊勢神宮に関係あるとだろうと思ったが、松尾大社の末社のようだ。ベルを押して、巫女さんから紙に書かれたご朱印をもらった。
松尾山山麓に12万坪の境内を擁する松尾大社(まつおたいしゃ・旧官幣大社)は「松尾さん」とよばれ親しまれ京都最古の神社といわれる。
ご祭神は大山咋神(おおやまぐいのかみ)と中津島姫命(なかつしまひめのみこと)平安時代以降は賀茂両社とともに皇城鎮護の社とされた。一方近世から醸造祖神として、全国の酒造家から篤く崇敬されているという。現在の社殿は天文11年(1541年)に大修理されたもので、建坪35坪、桁行三間・梁間四間の特殊な両流れ造りで「松尾造り」と称され重文に指定。(写真中)
京都の名勝・嵐山の中腹に嵯峨嵐山・法輪寺(ほうりんじ)がある。ご本尊は虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)、今昔物語、枕草子、平家物語などに記述され、知恵・福徳・技芸上達の仏様として、また「針供養」「漆祖神」のお寺として全国から信仰を集めているという。「十三参り」で有名。ここで西京区をいったん終わり、桂川・渡月橋から右京区の嵯峨野に入る。
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寺社集印=京都・西京区
京都市の南西、南に長岡京市、西に大阪府にほぼ接する大原野に西山・善峯寺(にしやま・よしみねでら)西国33観音霊場第20番札所がある。長元二年(1029年)源算上人の開山。上人は鳥取の出身、恵心僧都の弟子で、横川(比叡山)に従い、47歳の時にここ西山に小堂を結んで十一面千手観世音菩薩像を刻み本尊とした。長元七年、後一条天皇より鎮護国家の勅願所と定められ、善峯寺の寺号を賜った。
「応仁の乱」で焦土と化していたものを徳川五代将軍・綱吉の生母・桂昌院によって復旧され、山林四十二万坪の寺領賜り、今日に至っているという。三万坪に及ぶ境内は観音堂(本堂)のほか釈迦堂、阿弥陀堂、薬師堂、また桂昌院廟など、立体的に整備されている。
国道九号線を市内に戻り、区役所の北西に位置する松尾地区を訪ねる。西芳寺(さいほうじ)通称「苔寺」は「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。開基は僧・行基、阿弥陀如来を本尊とする臨済宗のお寺。駐車できずに残念ながら通過。
ちょっと下った所に四季を通じて鈴虫の音色を聞くことの出来るという寺、妙徳山・華厳寺(みょうとくざん・けごんじ)がある。江戸時代中期の享保8年(1723年)華厳宗再興のため、鳳譚上人(ほうたんしょうにん)によって開山、ご本尊は大日如来(地蔵菩薩も安置)現在は臨済宗に属する禅寺。タイトルは桂昌院お手植えの樹齢300年を超す「しだれ桜」と「もみじ」から引用。写真をクリックすると拡大。
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寺社集印=京都・東山区
東山区の南部、東大路通から左方向への泉涌寺通に入り、通称「今熊野観音」新那智山・観音寺(しんなちざん・かんのんじ)西国33観音霊場第15番札所を訪ねる。平安時代825年ごろ嵯峨天皇の勅願によって弘法大師が開創した。ご本尊は大師が熊野権現から授かった「一寸八分の観音像」を体内仏として、自ら彫刻された十一面観世音菩薩。四季を通じて山の緑が美しく、春の梅・桜、秋の紅葉と、訪れる人が多いという。
東大路通に戻り、これを南下して、臨済宗大本山・東福寺(とうふくじ)を訪ねる。京都五山の一つに挙げられる大伽藍群は、わが国最古にして最大、禅宗建築の粋を集めたものとされている。開山は聖一国師こと円爾弁円(1202~1280年)。本堂(仏殿兼法堂)は建長七年(1255年)に建てられ、ご本尊の釈迦如来(総丈約15㍍)を安置したことにより、「新大仏寺」とも称されたそうである。(現在のものは昭和九年築)。
東福寺の日下門を出て右に行くと臥雲橋(がうんばし・写真下)渡って左手の三軒目に十方山・同衆院(じゅっぽうざん・どうしゅういん)近畿36不動尊霊場第21番札所がある。日本で一番大きい不動明王座像があると聞いたが、残念ながら諸事情により住職不在で閉鎖。山門外からの遥拝とあいなった。ご朱印は第18番・聖護院門跡代行とのことである。{タイトルは同衆院のご詠歌から引用。}
ここで東山区をいったん終わり、次回から京都市を南に大きく迂回して西京区に向かう。
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寺社集印=京都・東山区
三十三間堂の入口の右筋向いに養源院(ようげんいん)はある。この寺は豊臣秀吉の側室・淀殿が、父・浅井長政の追善のため、秀吉に願って文禄三年(1595年)建立した。その後火災にあい、徳川秀忠の夫人・崇源院の願いにより、元和七年(1621年)伏見城の遺構をもって再建したのが、現在の本堂である。この本堂の正面と左右三方の廊下天井は、伏見城落城の際、鳥居元忠らの武将が自刃した板の間を使って、彼らの霊を弔っているもの。、「血天井」の名で知られている。以来徳川家の菩提所となって、歴代将軍の位牌を祀ってある。
三十三間堂から七条通に出て、東大路通への突き当りが真言宗智山派の総本山・智積院(ちしゃくいん)近畿36不動尊霊場・第20番札所である。この教団は成田山・新勝寺、川崎大師・平間寺、高尾山・薬王院の大本山をはじめ、高幡山・金剛寺、大須観音・寶生院を別格本山とする全国三千余の寺院、約三十万人にのぼる壇信徒を擁している。
鎌倉時代の中期、頼兪(らいゆ)僧正が高野山から大伝法院を根来山に移した。(07年12月16日号和歌山・根来寺参照)これにより学問が栄え、智積院は多くの学頭寺院の一つであった。巨大勢力に発展した根来寺は豊臣秀吉と対立、天正13年(1585年)に「根来攻め」にあい、玄宥(げんゆう)僧正は難を京都に逃れ、秀吉死後の慶長三年(1598年)智積院の再興の第一歩をここ洛北の地に印した。以来、真言教学の正統な学風を伝える寺院に成長してきたという。
{タイトルは智積院のご詠歌から引用}。写真をクリックすると拡大。
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寺社集印=京都・東山区
東山区のほぼ中央部にある国立博物館北側隣に豊国神社(とよくにじんじゃ・旧別格官幣社)がある。旧大仏殿遺跡地だそうだ。ご祭神は関白太政大臣・豊臣秀吉公、明治13年に造営された。境内摂社・貞照神社に夫人の北政所=吉子の方「おねねの方」が祀られている。因みに豊国廟は東の阿弥陀ヶ峯の麓にあり、桜、紅葉の名所として知られているという。
国立博物館南側隣に蓮華王院・三十三間堂(れんげおういん・さんじゅうさんげんどう=国宝)がある。長寛二年(1164年)平清盛が造営したもので、再度の大修理によって700余年保存されている。長いお堂は入母屋・本瓦葺きの総檜造りで、長さ約120㍍、正面の柱間が33あるところから「三十三間堂」と通称されている。
堂内には日本唯一の「千体観音」が祀られている。中央に中尊巨像(国宝)、その左右に各500体(重文)の1001体の「十一面千手千眼観世音」がご本尊である。すべて檜材の「寄木造り」、水晶をはめ込んだ「玉眼」と、漆を塗って彩色仕上げされた観音像群はまさに圧巻であった。
毎年1月中旬に行われる「楊枝のお加持(やなぎのおかじ)」と古儀にもとずく「通し矢」は有名で、全国から二万人もの参拝者を集めるという。
写真をクリックすると拡大。
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寺社集印=京都・東山区
東山区のほぼ中央、国道1号線の北側、音羽山の中腹に「清水の観音さん」「清水の舞台」「音羽の滝」などなどで、内外によく知られる清水寺(きよみずでら)西国33観音霊場第16番札所がある。奈良時代の末778年に延鎮上人が観音像を彫造し、音羽の滝上の草庵に祀ったのが始まりとされる。間もなく坂之上田村麻呂公が本堂を寄進、十一面千手観音を安置して、寺観を整えたとされる。
現在の本堂と舞台は寛永10年(1633年)に再建されたもので、正面36㍍、側面30㍍,棟高18㍍の優美な曲線を見せる寄棟造,檜皮ぶきの大堂、それに錦雲渓の急崖に約190㎡、総檜板張りの「舞台」を懸造りにして張り出し、12㍍強の巨大な欅の柱を立て並べて下から支えている。まさに「清水の舞台」は音羽山の翆緑と見事に調和していた。
境内にはそのほか阿弥陀堂、音羽の滝、不動堂など、また大国主命を主祭神とする縁結びの地主神社(じしゅじんじゃ)がある。清水寺の鎮守社であったとされるが、社名からして本来は当地の地主神であるとする説もあるそうだ。(地主神社はご朱印なし)。
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寺社集印=京都・東山区
今回はすこし下ったところ、祇園の三寺社の紹介。
まず八坂神社(やさかじんじゃ・旧官幣大社)。明治元年まで「祇園社」と称したので、「祇園さん」の名で親しまれている。ご祭神はスサノウノミコト。大神は直情径行のご性格で、随分乱暴な所作もあったが、艱難辛苦のすえ清浄な心境に到達されたことから罪滅ぼしの神、すがすがしさを表す神として、信仰されているという。日本三大祭の一つ「祇園祭」は有名である。
補陀洛山・六波羅密寺(ふだらくさん・ろくはらみつじ)西国33観音霊場第17番札所。天歴5年(951年)醍醐天皇第二皇子・光勝空也上人によって開創された。源平の興亡、北条・足利と続く時代の兵火の中心となってきたが、その都度修営され、現本堂は昭和44年(1969年)開創千年を記念して解体修理が行われ、丹の色鮮やかに、かっての姿をしのばせているという。
大椿山・六道珍皇寺(たいちんざん・ろくどうちんおうじ)「六道さん」の名で親しまれ、お盆の精霊迎えに参詣する寺として名高いという。「六道」とは仏教の教義でいう地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道をいい、人は因果応報により、死後はこの六道を輪廻転生する。この世とあの世との境(分岐点)の辻が当寺の境内あたりで、「冥界への入り口」、また東の墓所であった鳥辺野に至る道筋に当たり、「野辺の送り」をされたことにより、冥土への通路として中世から世に知られていたようだ。開基は弘法大師の師に当たる慶俊僧都、平安前期の延暦年間(782~805年)の開創とされている。{タイトルは服部嵐雪作}
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寺社集印=京都・東山区
一寸紅葉には時期的には早いと思ったが、混雑を避ける意味から西国・京都へ旅立つ。今回は東山区、西京区、右京区、それに中京区にまたがる西国33観音霊場、近畿36不動尊霊場と有名寺社の参拝・集印が目的。
まずは東山・北部にある「念仏のふるさと」浄土宗総本山・知恩院(ちおんいん)から始まる。鎌倉時代に法然上人が住まわれ、徳川家康、秀忠、家光の三代に亘って、現在の寺域が形成されたという。
浄土宗は1175年法然上人によって開かれた。上人は1133年岡山県久米郡の生まれ。「恨み、報復のない、すべての人が救われる仏の道を求めよ」という父の遺言に従い、15歳で比叡山に登って仏道修行に励まれた。そして「南無阿弥陀仏」と唱えることですべての人が救われるという「専修念仏の道」を開かれた。1212年80歳で亡くなられた。
全国に七千余の寺院と、六百万人もの壇信徒を擁する浄土宗の総本山として、矍鑠たる風貌を備えていた。
さらに北側にある青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)近畿36不動尊霊場第19番札所を訪ねる。天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つ。多くの国宝・重文を有する中にあって国宝・「青不動明王画像」は日本三不動の一つとして、特に有名である。
{タイトルは青蓮院門跡のご詠歌から引用。写真上は智恩院三門・国宝、中は知恩院・阿弥陀堂。下は青蓮院・四脚門。クリックすると拡大}
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寺社集印=東京都・中野区
沼袋から西武新宿線を跨いだ南側に新井天神・北野神社がある。ご祭神は菅原道真公(天神様)。これから尋ねる梅照院の縁起に「開基・行春より数代あとの住持・玄鏡が、天和年間に手植の梅一株を北野天満宮に献じた」とあるように、当時は天満宮として、「新井の里の鎮守」あったと推定される。天神様に妙正寺川の水害からの守護を、また保食神として豊作を祈願して来たものと思われる。
中野通りをはさんで、新井薬師・梅照院がある。ご本尊は薬師如来と如意輪観音の二仏一体の黄金仏。高さ一寸八分(約5.5㎝)のお像は弘法大師の作。鎌倉時代の武将・新田家代々の守護仏であった。この仏像は鎌倉時代から南北朝にかけての戦乱のさなかに城の仏間から忽然と消失したといわれていた。
それが不思議なことに天正14年(1586年)、清水の湧きいずるこの地に草案を結んだ僧・行春によって、梅の木の穴から発見されたという。これが梅照院の始まり。不思議な出来事から出現した薬師如来は、その後「眼の薬師」また「子育て薬師」と呼ばれ、江戸時代から今日まで篤く信仰されているという。清水と言えば大きなペットボッルに何本も「お水」を頂きに来る人の列が見られた。
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寺社集印=東京都・中野区
やっと秋晴れのお天気に恵まれ、久しぶりに新目白と新青梅の両街道を乗り継いで、中野区の沼袋までドライブする。最初のお寺は百観音・明治寺。百観音といわれるごとく、広い境内には「百観音多宝塔」、「十三重の塔」に始まり、西国33観音、坂東33観音、秩父34観音の百観音像が札所順に、また、ほかに魚藍観音、龍頭観音、夫婦観音など、番外を含めると百八十体の石仏が林立している。一か所にこれほどの石像群が集められているとは驚きであった。
代表的な観音様として聖観音(しょうかんのん)十一面観音、千手千眼観音、如意輪観音、不空ケン索観音(ふくうけんざくかんのん)准テイ観音(じゅんていかんのん)馬頭観音の「七つ」があるのをマトメテ勉強した。観音様との「出会いの場」として最高であると思った。「かんのんさまの散・歩・道」という小紙も寺務所に用意されている。
同じ沼袋に氷川神社がある。ご祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)武蔵の国一宮・大宮氷川神社の分霊により当地にお祀りしたのが始まりという。境内末社として天王社、稲荷神社、御嶽神社が祀られ、鎮守の森として、先祖の大切な遺産として保存されていると感じた。写真をクリックすると拡大。
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寺社集印=東京都・台東区
昨年6月1日号の上野散歩で一度取り上げたパゴダ塔だが、まだ御朱印を頂いて無かったので今日は散歩の足でお参りし、清水観音でいただいた。パゴダ本尊は薬師如来で、大国主命と一体で拝まれ、米山薬師、峯薬師、薬師山などなど全国に「開拓の神」として祀られている。特に徳川家康公は参州鳳来寺薬師仏の権現(身代わり)であると自称して全国を平定し、江戸300年の太平をもたらした。
上野大仏は寛永八年(1631年)越後の村上城主・藤原直寄公が、自分の屋敷地に釈迦如来の大仏像を創建し、戦乱に倒れた将兵の冥福を祈った。その後幾多の戦火、火災、大地震など経て、尊顔のみが寛永寺の保管されていた。昭和47年に関東大震災50回忌に旧縁の地に迎えられたもの。
足を御徒町までのばしてアメ横のど真中にある妙宣山・徳大寺にお参りした。現在はアメ横に担がれた格好になっているが、およそ400年前、ここ「忍が岡」に慈光院・日遣上人によって創建、開運大摩利支尊天を勧請されたもの。「気力、体力、財力」を与え、「厄除け、招福、開運」のご利益があるそうだ。写真をクリックすると拡大。
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寺社集印=東京都・武蔵野市
それこそ半世紀振りに、JR中央線武蔵境駅・南口に降りて、まるで他の国に来たような変貌ぶりに驚いた。かってこの駅には北口しか出口はなく、南側に何があったか全く記憶にない。この駅から高校、大学に7年間通ったのだが・・・・。
さて日赤武蔵野病院に某氏を見舞った後、目と鼻の先にある杵築大社(きづきたいしゃ)に参拝した。武蔵野らしい境内がやっと残っている感じ。江戸のはじめ徳川家康の外孫にあたる松江藩主・松平直政公(1601~1666年)が出雲大社と松平稲荷社とを合祀・創建されたのだそうだ。
吉祥寺駅に途中下車して、北口からアーケード通を抜けて左手にある武蔵野八幡宮を参拝。桓武天皇時代,延歴八年(西暦800年頃)坂上田村麿が宇佐八幡大神の分霊を祀ったといわれるから古い。徳川四代将軍・家綱が江戸小石川「吉祥寺」大火災ののち、周辺住民をこの地に移住させた。この吉祥寺村の開村(約340年前)以来、村民たちに氏神様として崇拝されているという。
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上野散歩
今日から10月。今年もあと四分の一を残すのみとなった。
猛烈な暑さからやっと解放されたと思えば、今度は連続の雨模様、九州や四国は大雨が降っているとニュースが伝えている。
上野散歩はここ2~3日サボっているが、上野公園には群生ではなく、片隅にちらほらと弱々しく咲く曼珠沙華があり、盛りを過ぎたこれ等の花も雨に濡れているだろう。
曼珠沙華といえば色目の少ない時期に咲くので、その赤さにハッと驚くのだが、反面、有毒であったりして「彼岸花」「死人花」「捨て子花」「幽霊花」などの別名があるように、世の因果を強く感じさせる花ではある。
政界、経済界、そして社会面でも暗い話がいっぱいで気分は曇りがちの神無月入りではある。
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