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2008年8月30日 (土)

ご朱印帖(北国)北海道

北海道36不動尊霊場(24~28)

24 第24番 高野山・遍照寺
(こうやさん・へんじょうじ)
虻田郡留寿都村三の原270
TEL013-646-3773
参拝08年8月19日
記事8月29日参照

26 第26番 白龍山・真言寺
(はくりゅうざん・しんごんじ)
寿都郡黒松内町360
TEL013-672-3695
参拝08年8月20日
記事8月29日参照

27 第27番 密乗山・菩提院
(みつじょうざん・ぼだいいん)
寿都郡寿都町字新栄町236
TEL013-662-2632
参拝08年8月20日
記事8月29日参照

28 第28番 成田山・函館寺
(なりたさん・はこだてじ)
函館市松風町1-5-17
TEL013-822-0862
参拝08年8月18日
記事8月26日参照

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2008年8月29日 (金)

ヤン衆が不動信仰の後ろ楯

寺社集印=北海道・留寿都村、寿都町

0808_023 長万部から高速道に乗り虻田・洞爺湖ICで降り、洞爺湖を右に見て北上、虻田郡留寿都村(あぶたぐん・るすつむら)に入る。北海道36不動尊霊場第24番札所高野山・遍照寺。明治41年瀧沢善澄和尚の説教所として設立されたのが始まり。五穀豊穣のお不動さんとして篤い信仰を集めているという。さきの洞爺湖サミットでは大変な警備陣が敷かれたようだ。

0808_024 今夜は洞爺湖畔のホテル、グランド・トーヤに泊まる。遊覧船のハーバー入口のホテルでロケーションはいいはずが、写真左のように厚い雲に覆われ、中ノ島も霞んで頭が見えない。まだ暫く天気の回復は望めないようだ。左手にあるはずの、洞爺湖サミットの山上ホテルも霞んでいて、写真にならない。当日の走行距離は247㎞、累計265㎞であった。比確的狭い範囲の道東ながら、やはり北海道は「デッカイドー」と実感した。

明けて今日は長万部まで引き返し、そこから北上して黒松内町、北海道36不動尊霊場第26番札所白龍山・真言寺に参拝。大正10年、次に訪問する菩提院の説教所として開設され、総本山智積院より不動明王、両大師像が下付されている。ここ黒松内町は酪農の盛んなところで、またブナ林の北限の町としても有名なのだそうだ。
0808_028 更に北上して日本海に達した寿都町(すっつまち)字新栄町、北海道36不動尊霊場第27番札所密乗山・菩提院に参拝。明治23年、智山派本山より北海道開教使として渡道した中山桂学師による建立。本尊の不動明王は長年、秋田県佐竹藩主の持念仏であって、鎌倉時代の作と認定されている。ここ寿都から江刺にかけて、ニシン漁のヤン衆らの不動尊信仰が、菩提院を発展させた歴史があるようだ。
また北海道33観音霊場第三番札所菩提院・奥の院は少し小高い丘にある観音堂。同じく山中桂学師の建立。霊場本尊は千手千顔観世音菩薩。(つづく)写真をクリックすると拡大。

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2008年8月28日 (木)

カニめしのホカホカなのは旨くない?

寺社集印=北海道・函館市

0808_016 函館山を東南に迂回した山腹の谷地頭に函館八幡宮がある。御祭神は品陀和気命(ほんだわけのみこと・応神天皇)配祀は住吉大神、金刀比羅大神である。社伝によると後花園天皇文安2年(1445年)亀田郡領主・河野加賀守政通が函館に城を築き、その東南の外郭に八幡神をお祀りしたのが、始まりとされる。その間、幾多の変遷を経て明治29年に国幣中社になったもの。
今日はこれまでとして、八幡宮下の厚生年金系のウエル・サンピア函館に泊まる。ここには昔一度泊まった事があり、谷地頭と聞いて思い出して予約したが、9月一杯で営業中止、老人ホームになると聞いた。本日の走行距離は18㎞と僅かだった

0808_017 一夜明けると雨になった。函館ICから東に入る陣川町にある北海道33観音霊場第二番札所明光山・神山教会。ご本尊は弘法大師、霊場本尊は十一面観世音菩薩。明治36年、高野寺(前号)住職・小山智道の説教所として開創されたもの。現在は無住職寺で高野寺でご朱印はもらう。左の写真は神山教会の入口に並ぶ観音像群、後列右の聖観音の後ろのお地蔵さんの麦わら帽子が面白い。

0808_019 これで函館市は終わり、洞爺湖に向う途中、大沼公園に立ち寄ったが、今回も駒ケ岳は雲に隠れていた。一時間ほどお茶を飲んで粘ってみたが、雨が更に強くなり、どうも駒ケ岳には縁が無いようだ。止む無く小沼の睡蓮を撮って(写真左下2枚)、長万部に向う。
0808_021 目的は駅前の「かなや本舗」カニめし駅弁。味噌汁と甘ったるい茶碗蒸しつきのホカホカのカニめし、有名なほど味のほうは今一だった。やはり駅弁は冷めかかった、折り箱の隅をつつく様にして茶を啜りながらが、旨いのかもしれないと思った。(洞爺湖へつづく)。

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2008年8月27日 (水)

函館が山本ラクさんの振出地

寺社集印=北海道・函館市

0808_011 午後一番に北海道33観音霊場第一番札所北南山・高野寺に参拝。因みに「北海道33観音巡礼」は徳島県出身の山本ラクさんが、大正2年、33体の観音像を道内の真言宗寺院に奉安されたのが、きっかけとなった。北海道の雄大な自然の中、ほぼ一周するように配置されている。
さて、この一番札所である高野寺は霊場最南端、函館山の麓の住宅地のなかにある。明治17年の開創と歴史は古く、北海道開拓とともに歩んできたといえる。火災や幾多の辛苦を乗り越えて現在に至った、風格あるお寺であった。ご本尊は高野山からお迎えしたという金剛界大日如来坐像(国定重文)霊場本尊は如意輪観音菩薩(前記山本ラクさんの念持佛)。ここで第二番札所明光山・神山教会のご朱印も頂いた。

0808_012 0808_015 潮見丘の見晴らしのよい位置に函館護国神社(写真左)がある。御祭神は戊辰の役・函館戦争から太平洋戦争にいたる函館市、渡島・桧山・後志支所管内の戦没者1万3千余柱。明治2年5月、函館戦争の官軍勝利が決定、大森浜で招魂祭が行われて招魂社として創建され、昭和29年に函館護国神社になったのであるという。写真右は潮見丘から函館市の眺望。クリックすると拡大(函館市つづく)。

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2008年8月26日 (火)

残暑さけ集印先は北海道

寺社集印=北海道・函館市

盆前は厳しい暑さに見舞われていたが、明けるのを待って、不届きながら??足は涼しい北海道へと向った。目標は北海道33観音霊場巡り、関連して所在地の神社、それに北海道36不動尊霊場巡りである。
0808_008 例の如く函館空港でレンタカーを調達、函館駅すぐ近くの松風町にある北海道36不動尊霊場第28番札所成田山・函館寺を第一に参拝。記念にご朱印帖を頂く。明治16年ごろ篤信者・山田亀吉氏の献身的努力によって創建、後にご本尊の分霊を勧請され成田山別院が設立されたものという。真言宗智山派のお寺。数度の大火に見舞われながら、再建が繰り返されたようだ。

0808_009 駅を過ぎて元町の船魂神社(ふなたまじんじゃ)に参拝。北海道最古の神社とされ、御祭神は塩土老翁神(しおつちおじのかみ)=浦島太郎の竜宮城伝説、大綿都見神(おおわたつみのかみ)=海を司る神、それに須佐之男神(すさのうのかみ)=この世を初めて治めた神とされる。ここには義経伝説があり、それは文治の末(1190年)義経一行が津軽から蝦夷地に渡る時、暴風雨に襲われ船がまさに沈もうとしたとき、船魂明神の奇跡により難を逃れたという話。

0808_010 この辺で午前の部は終わりとし、埠頭に降りて海鮮市場を覗いたり、昼食にイカ・ソーメンにお寿司などをつまんだ。いいお天気に冷たい風は最高であった。(午後に続く)写真をクリックすると拡大。

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2008年8月24日 (日)

お天気は世界遺産にバラをそえ

My Pictures

081410_2 新作発表

★制作番号 081410
★画 題 ヴィスビー
 旧市街(ゴットランド島)
★サイズ 38㎝×28㎝
★ 仕 様 マーメイド紙
     ホルベイン水彩
  水性アルキッド樹脂
2007年シルバー・シャドー号バルト海クルーズ第三の寄港地はスエーデン領・ゴットランド島。(記事07年8月30~31日参照)。ここ城壁に囲まれた旧市街は「バラと廃墟の町」として、世界遺産に登録されている。崩れ落ちた三角屋根の梁を残すカテリーナ教会が象徴的であった。町中は綺麗なバラに包まれていた。    

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2008年8月23日 (土)

横断して辿り着いたぜStガレン

仏領アルザスからスイスの村々(13)

0807041スイスの首都バレンから北部の大都市チュリッヒを迂回して東部のザンクトガレンに着いた。3時間の長旅だった。ザンクトガレンはドイツ、オーストリアとの国境近くの街。7世紀、アイルランド人の修道士グラルスが、この地に修道士の独居室を作ったことから始まり、このささやかな独居室がヨーロッパ最大のベネディクト派の修道院に発展したのだという。(写真上は修道士グラルスの銅像)。
0807042 何世紀もの間、修道院の僧たちがザンクトガレンの町とその周辺地域を支配してきたが、町は1415年に修道院支配から独立し、その後にザンクトガレンの町と修道院は共にスイス盟約社団と同盟関係を結び、さらに1803年スイス盟約社団(現スイス連邦の前身)に正式加盟したという歴史を辿ってきた。
0807043
写真中は壮麗な大聖堂、下はバロック様式の修道院付属図書館で、両者を含めてザンクトガレンは世界遺産に登録されている。この図書館の蔵書の古さと数はそれこそ世界的に有名であるという。またザンクトガレン大学は経済学の有名校である。
「エルカー」と呼ばれる出窓の美しい家々が建ち並ぶ旧市街を散策して、ホテルにチエックイン。その名は大変な「アインシュタイン」。ここを起点に北に南に、小さな村々の訪問が始まる。(つづく)写真をクリックすると拡大。

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2008年8月22日 (金)

夕焼けも又見事なりベルナー山

仏領アルザスからスイスの村々(12)

0807037 ベルンで有名なものがもう一つあった。穀物倉庫。1711~18年にオスタームンド産の砂岩で建設された石藏。ベルン・バロック最盛期の代表作といわれる。2~4階に穀物が貯蔵され、1階が市場に、地下にはワインの大樽が並んでいた。「ヴェニスは水の上にあるが、ベルンはワインの上にある」との諺があるそうで、その貯蔵量は相当の量だったようだ。
0807038 現在は、この地下への堂々とした階段が取り付けられ、レストランになっている。12本の大支柱にはベルンを代表する民族衣装をつけた婦人画が懸けられ、リブ・ボールドの間にはルネッサンスのドイツ民族衣装姿の音楽隊が描かれているというが、照明は暗く、ローソクの明かりだけではよく判らず、もったいない気がした。
食後、ホテルの部屋に帰ると、南の窓から写真上(20:59撮影)暫くして、周りがやや暗くなり写真中(21:14撮影)月までサービスの、ベルナー・オーバーランド山群の夕焼けが眺められ、やや遠いがジックリ堪能できた。写真をクリックすると拡大
0807040 明日はスイスを横断、チュウリッヒを抜け、ドイツとの国境の町ザンクトガレンに向う予定。今回の旅で最長のドライブになるようだ。
ところで東京の帝国ホテルに匹敵するといわれた「ベル・ビューパレス」を朝の散歩で、アーレ川の対岸から撮影しておいた。旧市街に向って眺めるホテルはさすがに堂々たるものである。想い出の一枚になるだろう。(つづく)

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2008年8月21日 (木)

古くから時を刻んだ時計塔

仏領アルザスからスイスの村々(11)

0807034 ベルンの街はゼーリンゲン家のベルクトルト5世によって1191年に創設された。街は三方を自然の要害アーレ川に囲まれた丘の上に建てられ、一方に城壁・堀が築かれた。さらに1405年の大火の後は、より堅固な石造りの街に再建された。旧市街に入りメインストリート・マルクト通りをブラブラした。広場があちこちに点在し、そこには銅像あり、噴水あり、賑やかなことである。
0807036 なかでも有名なのが、16世紀から休むことなくベルンの時を刻み続けた時計塔。巨大な歯車が組み合わされた精巧な作りで、カラクリ人形も現れる。動力は今でもゼンマイというから驚く(写真上)。
買い物があるわけでもなく、高い塔のある大聖堂に寄ってみる。カテドラルと呼ばれ、16世紀末に建造されたという。ゴシック様式末期の教会(写真中)であるといわれ、鐘楼の高さは100㍍というから何処からでも見えるわけである。
0807035 脇にある公園の下に輝くアーレ川が流れていて(写真下)のどかな風景であった。この少し上流の川沿いに並んで宿泊先のベルヴュー・パレスがあることに気づいた。わざわざホテルの前を通り越して、隣の連邦議会・議場を確認して帰ってきた。
写真をクリックすると拡大。(つづく)。

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2008年8月20日 (水)

ベアーからベルンの名前生まれけり

仏領アルザスからスイスの村々(10)

0807028_3 今日は晴天に恵まれ10年ぶりにアイガー・メンヒ・ユングフラウの三山を含むベルナー・オーバーランド雪山群に、眺望ながら面会できて、気分をよくして出掛けられる。まず旧市街を取り巻くアーレ川を渡って対岸の丘に登り、市街の全貌を眺める(写真上)。
15世紀初頭に大火に見舞われ、街は石造の家々に生まれ変わった。その石造りの町並みが、ほぼそのままの姿で残されているといる。中世の面影を残した旧市街全体が世界遺産に登録されたのだそうである。
0807030 丘の上にバラ公園があり、しばし散策する。いろんな品種のバラが植えられているが、時季が悪かったのか今ひとつ色が冴えないような気がした。
0807031 その隣に熊公園があり立ち寄る。ベルン市の名前の元になったベアーさんにご挨拶するためだ。公園といっても一匹しかいないとか。淋しそうに水辺で朝食中と見えた。工事のため、ほかの熊はどこかに疎開させられているのだろう。
ウンタートーア橋を渡って、かっての船着場を見学、その後旧市街へと向う。(つづく)

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2008年8月18日 (月)

なつかしや伊豆の山々天城越え

My Pictures

00_627


ここのところ海外の記事が続いたので気分転換に、1993年の第65回新構造展に出品した古い作品だが、紹介する。
★制作番号00-627 ★画題:天城ループ橋 ★サイズ:145㎝×97cm ★仕様:麻キャンバス、リキテックス(アクリル絵具)
あの当時は私も現役で仕事をしており、休みというと何でも珍しいもの、新しい風景と画材いを求めて歩き回っていた想い出がある。この作品も伊豆に飛んで行った記憶があり、それだけに肩に力の入っている感じがする。難しいものだが、どれもこれも経験か??

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2008年8月17日 (日)

見ましたよベルナ山群朝焼けを

仏領アルザスからスイスの村々(9)

0807039 ドイツ・フランス・スイス三国の接点に近い国境の町、ハーゼルの検問所を通過して、三ヶ国目のスイスに入国する。それから一時間、夕方にスイスの首都ベルンに到着。「中世の面影をそのままの姿で残した」として世界遺産に登録されているベルン旧市街の、その中心部にあるべルビューホテルに泊まる(写真上)。後で知ったが、隣はスイス連邦議会・議場(右奥)と聞いて驚いた。しかも帝国ホテルに匹敵するホテルと聞かされて二度びっくり。
0807025あてがわれた部屋がNO.220、入ってみると3階南西の角部屋。南側のカーテンを開くと写真(中)の風景が窓越しに飛び込んで来て、またまた驚き、しばらく茫然と眺めたものだった。雨で水は少々濁っているが迫力ある水量、旧市街をここから左に蛇行するアーレ川の入口だとわかった。お天気で、今の時間ならば、やや左手にベルナー・オーバーランド山群が眺望できると聞いていたが、今日は厚い雲に覆われていてお預け、明日の晴天を祈るのみである。

0807027 一夜明けると快晴。5時半頃から感激して望遠のシャッターを切り始め(写真下)、一寸暗いが、ほほ朝焼けの瞬間を捉える事が出来たと思う。時刻は6:06のコマ。今日はベルン旧市街の散策を予定している。
(つづく)。
写真をクリックすると拡大。

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2008年8月16日 (土)

コルマール木組みの家を残しけり

仏領アルザスからスイスの村々(8)

0807022 アルザス街道を南へ向う。車はコルマールへの途中からハイウェイをはずれて一般道に入ってくれて、とうもろこしやキャベツ、それに麦の畑の広がる、のどかな田園風景を味わわせてもらった。さらにヴォージュ山麓に「ブドウ畑が増えてきたな」と見ているとビール工場や、ワイン工場が点在するようになる。いわゆるワイン街道と称する田舎道。通過する小さな町々には必ずと言っていいほど、垣根や窓辺に花壇が飾られ花一杯である。またアルザス地方のシンボルであるコウノトリが自然繁殖し、木々や屋根のテッペンに大きな巣を作っていた。
0807023 コルマールに着くと、まずウンターリンデン美術館へ(写真上)。ここではイーゼンハイム祭壇画が有名と聞かされて、見開きの絵を見てきた。この日のガイドさんは熱心さの余り、嫌というほど旧市街を次々と連れ回されて閉口したものであったが、ここでも木組みの家(写真中)が見事に並んでいた。
0807024 川沿いのプチ・ヴェニスと呼ばれる界隈では、まさにヴェニスをホウフツさせる風景(写真下)がみられた。こちらの方が静で落ち着きを感じたものだ。
これでドイツから仏領アルザス地方の旅を終えて、いよいよ本命のスイスに入って行くことになる。(つづく)
写真をクリックすると拡大。

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2008年8月15日 (金)

普・仏との争いの源アルザスよ

仏領アルザスからスイスの村々(7)

0807019 アルザス地方は「青い空」「窓辺の花々」実に心和む地方である。フランスの北東部に位置し、ライン川とヴォージュ山脈に挟まれた南北に細長いところ。都市としては現在歩いているストラスブールと、次に訪れる予定の南のコルマールが代表的。住民の大部分はドイツ系アレマン人、ドイツ語の方言であるアルザス語を話すという。
0807020 前号紹介の通り、交通の要所であるこの地域は、ライン川の利権、あるいは鉄鉱石や石炭など豊富な資源をめぐって、国境を接するドイツとは紛争の絶えない苦くて長い歴史がある。1648年:30年戦争で神聖ローマ帝国(ドイツ)からフランスに割譲、1870年:普仏戦争でドイツに返還、1919年:ヴェルサイユ条約でフランス占領、1940年第二次世界大戦でドイツ侵攻、1945年:ドイツ降伏でフランス領として現在に至っている。
0807021
さてイル川巡りの水上遊覧であるが、ボートがプラスチックの屋根つきであるため、写真はダメだった。そんななか無理した写真上は水門を開閉して水位を上下させる所の見物人、中と下は欧州議会・議場。ボートが旧市街を一周して足を伸ばしてくれた。ドイツとフランスの歴史的背景から、ここ「ストラスブール」に欧州議会が置かれているのも何かの因縁といえるのだろうか。明日は更に南下してコルマールへ向う。(つづく)
写真をクリックすると拡大

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2008年8月14日 (木)

水辺から立ち上がったか島の街

仏領アルザスからスイスの村々(6)

0807016_2 ストラスブールとは「道の町」。アルザス地方が「ヨーロッパの十字路」と呼ばれるように、ストラスブールはこの地方の中心都市として、中世から今日に至るまで交通の要所として繁栄してきた。1988年に世界遺産に指定された旧市街はイル川に囲まれた「大きな島」、その入口のプチ・フランスに一夜を明かしたわけだ。
0807017 イル川から引き込まれた運河に沿って木組みの家(写真上)が建ち並ぶ。水を多く必要とする製粉業、皮なめし業、それに魚業者など、独特な様式の家々があり、それぞれの軒下に差し出す職業を示す「絵看板」も楽しいものだ。水門に架かる橋(写真中)を渡って聖トーマス教会、その合間を進むと中心部にノートルダム大聖堂に至る。
0807018 大聖堂の尖塔(高さ142㍍)は街のシンボル、1176年から完成まで300年を要し、バラ色の砂岩で出来た荘厳な聖堂(写真下)はゴシック建築の傑作といわれる。ここの「からくり時計」(1842年製)、12~15世紀の「ステンドグラス」など見るべきものが数多くある。広場のたもとにイル川遊覧ボートの乗り場があり、これで水上から町並みを見る事にする。(つづく)

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2008年8月12日 (火)

このBLOGお蔭さまにて500号

My Pictures

081409 新作発表

★制作番号 081409
★画 題 港の風車たち
     コペンハーゲン
★サイズ 38㎝×28㎝
★仕 様 マーメイド紙
   ホルベイン水彩絵具
   アキーラ・アルキッド
昨年7月、いい船だからと誘われて、シルバー・シャドー号のバルト海クルーズに出かけた。(記事07年8月9日号参照)コペンハーゲン港の対岸に風力発電所だろう、多くの風車が林立していた。出港するとき、気にして数えてみると、航路に沿って立てられた風車の数は約30本まで伸びていた。「ECO先進国」を見せつけられた思いがしたものだ。

>>> お知らせ <<<
お蔭さまで私のBLOG「明日も行こうぜ西東」が本号にて500号になりました。ご支援、ご協力ありがとうございました。

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2008年8月11日 (月)

古き町ハイデルベルクよさらばなり

仏領アルザスからスイスの村々(5)

0807013 ドイツ南西部の都市ハイデルベルクを去る前に、今一度、ネッカー川とそれに架るカール・テオドール橋まで歩いた。橋は工事のためネットに包まれていて、残念であった。この橋は通常アルテ・ブリュッケ(古い橋)と呼ばれ、文字通り町で最も古い橋という。昔は屋根のある木造の跳ね橋で、洪水の度に流され、現在の橋は8代目。長さは200mの石橋で、作者のカール・テオドールの名前がつけられている。
0807014 橋の袂にサルの像がある(写真上)。手には鏡を持っている。「偽善者ぶって人を裁けるか」という皮肉を込めたものという。そのサルの傍にネズミがいるが、これは近くの穀物倉から「納屋にネズミ」を連想して、強引に引張り出されたようだ。ユーモアを感じながら振り返るとハイデルベルク城が、なお静に佇んでいた。
0807015 車は南下を始め、ライン川を渡って1時間ほどで独仏国境の検問所に差しかかる。EU加盟で国境通過は極めてスムーズになったようだ。これからサブタイトルの「仏領アルザス地方」に入っていく。フランスで二ヵ国目の入国となる。さらに1時間、謎の交通渋滞に巻き込まれ、それ以上をかけてストラスブールに到着。プチ・フランス地区にあるリージェント・プチフランスNO116に荷を降ろした。
写真をクリックすると拡大。(つづく)。

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2008年8月10日 (日)

市場跡平和な時期を過ごしけり

仏領アルザスからスイスの村々(4)

0807010 ハイデルベルクはバーデンヴュルテンブルク州に属し、オーデンワルドの森の端にあり、ネッカー川に挟まれた地形にあって、穏やかな気候に恵まれているという。雪もそんなに多くなく、ドイツのどこよりも、早く春の花が咲くともいわれる。3月にはアーモンドの満開期を迎え、日本の桜に譬えられるそうだ。
0807011 ハイデルベルク旧市街は、何処の都市にでも見られるような広場が沢山あり、どこが何広場だったか定かでないが、学園都市に相応しいモニュメントがあちこちに見うけられた(写真上)。聖霊教会の前を通り、市庁舎から通称穀物広場なるものが展開し、市場も開かれていた。
0807012_2 いい匂いに誘われ、その近くの「騎士の館」なるところで食事をした。1592年豪商カール・ベリエによって建てられたもので、正面玄関の上に聖人ゲオルグ(騎士)の像がある。食後、音に誘われて、穀物広場に戻ると、市場は取り払われ、何かのフェステェバルが開かれていて、少年少女達が美しい民俗衣装に着替えて華やいでいた。何処の国でも子供は可愛いもの。少年の足元=サンダル履きも微笑ましい。平和なときを感じた。
写真をクリックすると拡大。(つづく)。

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2008年8月 9日 (土)

酷暑日に涼しいスイス偲ばれる

仏領アルザスからスイスの村々(3)

0807007 ハイデルベルクはドイツ最古の歴史を誇る大学のある町といわれる。その一方で第二次世界大戦後はアメリカ軍が駐屯し、現在はNATOの事務系統の司令部がおかれている、基地の町という側面もあるようだ。人口は14万、うちアメリカ軍関係者が2万人、学生が2万6千人といわれる。そのうち3千人もの外国人留学生を受け入れ、出身国は世界80ヶ国にわたるとのこと。
0807008 ハイデルベルク大学は1386年、プファルツ選帝侯ループレヒト1世によって創立され、正式には「ループレヒト・カールス大学ハイデルベルク」。ベルリン大学などと並んでドイツ有数の世界的な大学とされる。町中に学生牢なるものがあった。大学当局の管理下で1712~1914年まで機能したという。学費の滞納狼藉乱暴な振る舞いをした学生を入牢処分としたというから滑稽だ。
0807009 写真上は旧市街からみたカール・デオドール橋の橋門ブリュッケン・トーア。30年戦争ではフランス軍の攻撃に耐え抜いたとされる。平時には牢獄として使われ、税金滞納者を投獄するというから面白い。中は大学図書館前の広場から。下はマルクト広場から振り仰ぐハイデルベルク城。クリックすると拡大。(つづく)。

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2008年8月 8日 (金)

山腹に選帝候の居城あり

仏領アルザスからスイスの村々(2)

0807004_2 フランクフルトから仏領のアルザス地方に向う途中、ドイツ南西部の町、ハイデルベルクに立ち寄る。ライン川の一つの支流であるネッカー川に沿ったこの町は選帝候の居城だったハイデルベルク城と、ドイツ最古の歴史を誇る大学のある街として有名だそうだ。
0807005_2 まずはケーニッヒ・シュトゥール山の中腹に聳えるハイデルベルク城に登ることにする。登り道の周囲にはクラシックなトンガリ頭の民家までが城の威風を示すように点在している。また城の広場からは遥かに流れるネッカー川にへばり付くように赤い屋根の旧市街が展開し、それはいい眺めであった。
0807006 城の中心部に中庭があり、それを取囲むように城壁を兼ねた多くの館が蜂の巣状に連なって、ちゃんと残っていた。背後にケーニッヒ・シュトゥル山、前面の見渡せる位置にネッカー川を配した天然の要害振りがよくわかった。写真下はエリザベートの門。フリードリッヒ5世がイギリスから娶ったホームシックのエリザベート姫のために誕生日前夜に、一夜にして造らせたという門。写真をクリックすると拡大(つづく)

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2008年8月 7日 (木)

避暑を兼ねスイス取材へ飛び立ちぬ

仏領アルザスからスイスの村々(1)

0807001 7月11日の午後、JAL407便で成田からフランクフルトへ旅立った。スイスにはかなり前に3回旅しているが、当時は山へ山へと心が動いていた。今回は平地をのんびり歩くことになる。
12時間かけてドイツ・フランクフルトの空港に到着した。現地時間は時差を7時間差引いて、まだ11日の18時である。初めての空港で入国手続きを終わらせ、第一の宿泊先のメリディアンパークホテルNO861に落着く。ここは中央駅のすぐ近くだと聞いた。
0807002 夕食の後は「まず寝ることだ」とベッドに潜り込んだが、21時を廻っているのにまだ外は明るく飛行機でもらったアイ・マスクをかけるほど。
早朝、ホテル前の公園で一服して駅の方まで散歩する。早出の通勤者の姿がチラホラ見られる中、駅前ロータリーから市電路を渡って駅構内まで入ってみる。0807003 広い構内には何本かの列車がホームにあり、駅中のファーストフード店は大きな荷物を持った旅行者で賑わっていた。
こちらも空腹を感じ、ホテルに帰り朝食とする。これからバス移動がはじまる。仏領アルザス地方へ向う予定である。(つづく)
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2008年8月 5日 (火)

若き日の想い出深し男鹿の沖

My Pictures

06_628 想い出の一枚

★制作番号 06-628
★画 題 舞台岩
★サイズ 55㎝×40㎝
★仕 様 マーメイド紙
   ホルベイン水彩絵具

秋田男鹿半島シリーズ最後の一枚(07年1月29日参照)。同窓会をきっかけに前号まで秋田の寺社集印記録を紹介したが、秋田といえばこの一枚の絵も忘れられない。
2000年に亡き師T先生とスケッチ旅行をし、その直後、再度訪問して、漁船をチャーターして沖合いから描いたもの。男性的な岩場の連なりに感動し何枚か描いたものの一枚。若き日の懐かしい未発表だった作品である。
写真をクリックすると拡大。問い合わせはコメント欄で

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2008年8月 4日 (月)

ご朱印帖(北国)秋田県

秋田県の神社

01 太平山・三吉神社
(みよしじんじゃ)
秋田市広面字赤沼3-2
TEL018-834-3443
参拝08年7月17日
記事7月26日参照

  02
古四王神社

(こしおうじんじゃ)
秋田市寺内児桜1-5-55
TEL018-845-0333
参拝08年7月17日
記事7月26日参照


03_4 大館八幡神社

(おおだてはちまんじんじゃ)
大館市字八幡1番地
TEL018-642-1328
参拝08年7月18日
記事8月2日参照

秋田県の寺院

01 鳳凰山・玉林寺
(ほうおうざん・ぎょくりんじ)
大館市・・不詳
TEL018-649-2267
参拝08年7月18日
記事8月2日参照

お詫びと訂正
7月11日に小杖サンからコメントあり。「BLOG7月7日付関東六阿弥陀のご朱印帖の東京23区内のものの局番(03の後ろ)がすべて3ケタになっているが、これは意図的なものか?」との問い合わせ。
これは古いデータから不注意に引き写したもので、全く意図はありません。問い合わせ「03の後ろは全て3をつけて4ケタにする」旨の返事をいただきました。お詫びします。訂正してください。

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2008年8月 3日 (日)

ご朱印帖(北国)秋田県

東北36不動尊のご朱印 
第七番~第十二番

367 第七番 普光山・普伝寺
(厄除不動)
秋田市大町4-5-37
TEL018-862-9821
参拝08年6月17日
記事7月26日参照

368 第八番 永福山・嶺梅院
(嶺梅院不動)
秋田市土崎港中央2-8-22
TEL018-845-0268
参拝08年6月17日
記事7月27日参照

369 第九番 湯殿山・多聞院
(波切不動)
秋田市土崎港南1-14-16
TEL018-846-4224
参拝08年6月17日
記事7月27日参照

3610 第十番 幸福山・吉祥院
(波切不動)
秋田県男鹿市船川港椿字家の後45
TEL018-572-2721
参拝08年6月17日
記事7月29日参照

3611 第11番 日王山・玉藏寺
(鯉川不動)
秋田県山本郡三種町鯉川85
TEL018-587-4137
参拝08年6月18日
記事7月29日参照

3612 第12番 医王山・遍照院
(長久不動)
秋田県大館市上町6
TEL018-642-3178
参拝08年6月18日
記事7月30日参照

ご朱印をクリックすると拡大になる
 

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2008年8月 2日 (土)

光なす 仏住まわん 公孫樹

寺社集印=秋田・大館市

0806_061 能代から内陸の大館盆地に入り、市内の医王山・遍照院(いおうざん・へんじょういん)に参る。東北36不動霊場第12番札所にあたり、秋田最後の霊場である。開基は小場義成(後に佐竹姓を名乗る)であるというが、「大館城と関係社寺」から由来をみると、至徳3年(1386年)小場大炊助が小場城外に一宇建立、本尊に薬師如来を安置すとなっている。現在真言宗智山派のお寺。
0806_062 和尚に大館市内の寺社を数軒教えてもらい、まず大館八幡宮(写真右)、次いで下の寺・蓮荘寺、中の寺・松榮山浄応寺=真宗大谷派を訪ねたが、この2寺は不在。
0806_066 最後に鳳凰山・玉林寺(ほうおうざん・ぎょくりんじ=写真左下=ご本尊は馬頭観音)を参って、同窓会を兼ねた秋田の集印の旅はとりあえず終った。次の青森県は何時になることやら・・。合掌・・・。

サブタイトルは遍照院のご詠歌から引用。写真をクリックすると拡大

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2008年8月 1日 (金)

古代ハス 暑さにめげず 色をみせ

上野散歩

0808_001 今日から八月、葉月である。文字通り山は濃緑一色に包まれ、連日の猛暑でさすがに動物園の動物たちはグッタリ、入場者もマバラか?。
0808_003 あえて「色」を求めるなら不忍池のハス。まさに満開ではあるが、カメラマンも満開、群がっている。
そんな中、両大師の本堂脇に「古代ハス」も見ごろになっている。今年は例年より丈が伸び、大人の身長を上回るほど。
0808_004 発見者=大賀一郎博士の名にちなんで付けられた「大賀ハス」は2000年以上も前に地上に落ち、泥中に眠っていた實が、発芽、成長、開花したものを株分けしたものといわれる。その成長力と美しさには深い感動を覚える。
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