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2008年7月30日 (水)

新緑も 寂びしかりけり 檜山の里

寺社集印=秋田・能代市

0806_051 大館の途中、能代市檜山に寄ってみた。国道から入ると右手の小山の麓に赤い鳥居が目立ったので、まず入った。鳥居から急な坂道を登ること約150m、檜山神社である。手入れはされているが、社務所も、勿論民家もない。「古四王神社の杉」??と題する能代市指定文化財(天然記念物)の立て札だけが手がかり。(左の写真)中央にある杉の大木がそれで、「千年杉」といい、坂上田村麻呂が戦勝を祈願して神社を建て、この杉を手植えしたものとある。また古四王神社は明治末期に周辺諸社と合祀されて「檜山神社」となったと明記してある。

0806_055 桧山城跡公園の入口に曹洞宗の多宝院。秋田県の有形文化財に指定されている。住職不在で何も分からないので、また、立て看板の説明だ。
0806_053 本院は桧山城代・多賀谷氏の菩提寺。本堂は明治八年に改築されたもので、江戸末期の曹洞宗寺院の特徴を残している。鐘楼は上下に分かれており、上部が長方形、下部は袴腰をつけている(写真右)。山門は文化15年(1818年)建造で(写真左下)二階には禅宗様高欄に花頭窓が残っている。

もう少し部落の中に入ると善城山・浄明寺があったが、ここも留守、しかも真宗大谷派の末寺ということでご朱印は無かった。三寺社不調でがっかりして大館に向う。
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2008年7月29日 (火)

男鹿の島 椿花咲く 不動尊

寺社集印=秋田県男鹿市と三種町

0806_045 土崎港から半島の沿岸を北西に男鹿市を目指す。船川港を見下ろす高台に東北36不動尊霊場第10番札所幸福山吉祥院(きっしょういん)がある。通称;波切り不動。
0806_046 男鹿は仏教の発祥地、本山、真山、毛無山の三山がそびえる、慈覚大師開祖の赤神山日積寺永禅院の信仰の地とされている。永禅院代五世・覚運(953~1007年)の開基とされ、当初は天台宗の寺院だった。明徳(1394年)のころ高野山龍光院の感化を受け真言宗智山派に改宗されたが、その後幾度もの廃寺の危機を経て、昭和18年現在地にその法燈を継承したものという。

0806_047 八郎潟干拓地を横断して三種町鯉川に向う。東北36不動尊霊場第11番札所日王山玉蔵寺(ぎょくぞうじ)通称:鯉川不動。
現在は真言宗智山派に属しているが、その昔、男鹿にあった日積寺永禅院の塔頭の一ケ寺として創建され、天台宗の寺院であった。現在の本堂は昭和58年に建立されたものであるが、内陣の丸柱は神代欅が使われ神々しい光を放っていた。

第12番は内陸の大館市にあり、距離があるので途中能代市に立ち寄るべく車を走らせる。
タイトルは吉祥院のご詠歌を引用。写真をクリックすると拡大。

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2008年7月27日 (日)

荒波を 砕きて渡る 二八の尊

寺社集印=秋田土崎港

秋田の海の玄関口土崎港は近代的な港湾として発展しているが、ここに二つの東北36不動尊霊場がある。
0806_037 その一つが第八番・永福山嶺梅院(れいばいいん)。由来は後醍醐天皇(1318~1330年)の側近、万里小路・藤原藤房卿が東奥に下り、秋田市松原の山中に隠棲した閑居寺を嶺梅院と名付けた。寛延年間(1748年)桂岩極芳和尚が現在地に立派な寺として建立したものという。ご本尊は子安観世音菩薩、札所本尊の不動明王は北300mにある金刀比羅宮の本地仏だったものを維新の神仏分離によって、こちらに移されたもの。また境内には日本三大弁天の一つといわれる丈六の弁財天が祀られている。曹洞宗のお寺。

0806_042 ごく近くに第九番・湯殿山多聞院(たもんいん)がある。通称:波切り不動、天台宗のお寺。開山は慈覚大師、一説には元禄年間(1688年)創建とも云う。羽黒山系天台宗から発展した寺院という説もある。松前船・辰悦丸が航路の安全を祈願し石段と同船の碇などを寄進している。最近に和尚がなくなられたそうで、早々に退散した。

タイトルは嶺梅院のご詠歌から引用

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2008年7月26日 (土)

ありがたや 厄難消滅 南無不動

寺社集印=秋田市

秋田在住のk君の設営で、男鹿温泉で同窓会があり、これを機に東北36不動尊霊場巡り秋田県分の6寺などを訪ねることにした。

0806_025 例のように秋田まで新幹線で行き、レンタカーでまずは秋田市赤沼鎮座の太平山・三吉神社・里宮(たいへいざん・みよしじんじゃ・さとみや)を参拝。ご祭神は大己貴大神(おおなむちのおおかみ)少彦名大神(すくなひこなのおおかみ)三吉霊神(みよしのおおかみ)。ここは秋田藩主の雪見御殿跡地で、山頂の奥宮までの登拝路は険しく遠いため老幼の者が参詣できなかったので、里宮として建立されたもの。
霊峰太平山・奥宮は海抜1171m、天武天皇の白鳳2年(673年)役行者・小角の創建、桓武天皇の延暦20年征夷大将軍坂上田村麻呂が東夷征討のさい、戦勝を祈願して堂宇を建立したといわれる。毎年7月17日山開き、閉山の9月17日までの2ヶ月間は登山参拝者で大いに賑わうという。

0806_027 東北36不動尊霊場第七番札所・普光山普伝寺(ふでんじ)を訪ねる。ご本尊の不動明王坐像は運慶の作風を伝え、秋田市の指定文化財に指定されている。
0806_028 通称:厄除け不動、真言宗智山派のお寺。開基は不明で、現在の義佑和尚が13代といわれることから、初代普光上人は中興と考えられる。
このほか弘法大師坐像、胎蔵界曼荼羅など多くの文化財が所蔵されているそうだ。

0806_031 土崎港に向う旧国道沿いの寺内に国幣小社・古四王神社(こしおうじんじゃ)がある。かつてこの地を高清水岡といい、北辺防備の根拠地とされ、中世秋田城鎮守「古四王大権現」と称されて武人・地方民の崇敬が篤かったといわれる。

タイトルは普伝寺のご詠歌から引用。写真をクリックすると拡大。

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2008年7月24日 (木)

懐かしさ 極めりけりや ベル三山

My Picture

95_101_2 想い出の一枚

★制作番号 95-101
★画 題 クライン
      マッターホルン
★サイズ 40㎝×47㎝
★仕 様 麻キャンパス
      油彩

水彩画を主体に描いている私にとって、極めて数少ない油彩の作品。1994年2回目のスイス訪問のとき、たしかゴルナー・グラード展望台から若干下がったところからの作品と記憶している。若い頃、山の側面を迂回するハイキングをした想い出の一枚である。

今月中旬、まさに15年ぶりにスイスを訪ねた。若い頃と違って今回は、平地をのんびり歩いた湖水巡りであったが、ベルンのホテルから、また、リギ山頂から、はるかに遠望されたベルナー・オーバーランド山群(アイガー・メンヒ・ユングフラウは懐かしさの極みであった。今回の旅日記は写真の整理がつき次第、連載の予定。絵をクリックすると拡大

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2008年7月23日 (水)

ご朱印帖(テーマ別)

三大鬼子母神のご朱印

Photo_3 仏立山真源寺
入谷鬼子母神
東京都台東区下谷1-12
<TEL不詳>
参拝07年5月10日
記事07年5月15日参照

Photo_4 威光山法明寺
雑司ヶ谷鬼子母神
東京都豊島区雑司ヶ谷3-15-20
<TEL不詳>
参拝07年9月8日
記事07年9月12日参照

3 正中山法華経寺
中山鬼子母神
千葉県市川市中山2-10-1
<TEL047-334-3433>
参拝08年7月2日
記事7月21日参照

ご朱印をクリックすると拡大。07年の記事については、お手数ですがバックナンバーで追ってください

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2008年7月22日 (火)

ご朱印帖・千葉県

千葉県の寺社

0 真間山・弘法寺
(ぐほうじ)
千葉県市川市真間4-9-1
<TEL047-371-2242>
参拝08年7月2日
記事7月20日参照

Photo 正中山・法華経寺
(ほけきょうじ)
市川市中山2-10-1
<TEL047-334-3433>
参拝08年7月2日
記事7月21日参照

Photo_2 下総国総鎮守・葛飾八幡宮
(かつしかはちまんぐう)
市川市八幡4-2-1
<TEL047-332-4488>
参拝08年7月2日
記事7年20日参照

ご朱印をクリックすると拡大

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2008年7月21日 (月)

さすがなり 法華経寺の 鬼子母神

寺社集印=千葉県市川市

三大鬼子母神の一つ、日蓮宗大本山・正中山法華経寺(ほけきょうじ)は京成中山駅の近くにある。鎌倉時代に日蓮上人が最初に開かれたお寺という。
0806_097 駐車場に近い本院・大客殿(左の写真)は平成九年に再建されたもので、地下一階地上一階延べ面積九百坪の立派なお堂である。この奥に日蓮上人「小松原法難」の際、一命を救われたという鬼子母神像が安置されている。爾来行者擁護の神として、さらに「中山の鬼子母神」として広く一般にも信仰されている。
0806_098 写真右が租師堂、大堂とも言われ、日蓮上人像を祀る。これも平成九年建立当時と同じ様式で復元されたもので、十八間四面、比翼入母屋造。
0806_099 左が刹堂。十羅刹女と鬼子母神を安置し、罪障消滅の霊場として参詣者で賑わっている。
このほか総門・仁王門に始まり五重塔、多くの伽藍、石像などが建ち並び、多くの国宝・重文が保存され、大本山の威容を示していた。
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2008年7月20日 (日)

伝え聞く 里の娘の 手児奈哀話

寺社集印=千葉県・市川市

八柱霊園(松戸市)でお盆の墓参りを済ませてから足を伸ばし、市川市の三寺社を訪ねた。
0806_092 最初は市川市真間、千葉商大の隣にある日蓮宗本山・真間山弘法寺(ままさん・ぐほうじ)。
0806_093 奈良時代の天平九年(737年)行基菩薩がこの地に立ち寄られ、里の娘「手児奈(てこな)哀話」を聞き、いたく心情を哀れに思われ、一宇を建て求法寺(ぐほうじ)と名付けた。それから100年ほど経った平安時代の弘仁13年(822年)弘法大師がおいでになり、求法寺に七堂伽藍を再建・追加され、寺名も現在の「弘法寺」と改称されたという。ご本尊は釈迦仏・四大菩薩と四大天王像(本殿)大黒堂には太刀大黒尊天が祀られている。
因みに「手児奈哀話」とはこの真間の里に手児奈という娘がおり、美貌がゆえに男たちがめとらんとして争った。心優しい彼女は、男たちが互いに争い傷つくのを厭い、真間の入り江に身を投げてしまったという物語。

0806_094 京成八幡駅の近くに下総の国・総鎮守葛飾八幡宮があった。御祭神は神功皇后、応神天皇、玉依姫命(たまよりひめのみこと)創建は平安朝の寛平年間(889~898年)宇多天皇の勅願により鎮座、以来歴朝の崇敬篤く、代々の国司・郡司をはじめ、広く住民の信仰をあつめ、葛飾文化、八幡信仰の中心となって今日に至っている。毎年九月のご例祭に広大な境内で催される農具市は関東一と称され、盛況を極めるという。

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2008年7月18日 (金)

延々と 岩削りける ナ・パリ・コースト 

My Picture

081408 新作発表
★制作番号 081408
★画題 ナ・パリ・コースト
    ハワイ:カウアイ島
★サイズ 55㎝×40㎝
★仕 様 マーメイド紙
  ホルベイン水彩絵具
  アキーラ・アルキッド

ハワイ四島クルーズ最後の島(07年2月27日号参照)は一番北にあるカウアイ島。この島の呼び物は「シダの洞窟」だが、豪雨被害で立ち入り禁止。
船は島の北東から西に沿って航海し、熊手のように削られた断崖が延々と約10㎞にも及ぶ「ナ・パリ・コースト」を徐行してくれた。まさにクルーズならではの、船からのダイナミックな景観を堪能したものだ。
★個展準備; 11月16日からを予定。お問い合わせはコメント欄で。作品をクリックすると拡大

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2008年7月17日 (木)

ご朱印帖(北国)山形県

最上33観音 第10番~第14番

3310 第10番 上の山(かみのやま)
水岸山観音寺・真言宗
上山市十日町9-29
<TEL023-672-1421>
参拝08年5月22日
記事7月13日参照

3311 第11番 高松(たかまつ)
高松山光明院・真言宗
上山市高松52
<TEL023-672-0440>
参拝08年5月22日
記事7月14日参照

3312 第12番 長谷堂(はせどう)
長谷山長光院・真言宗
山形市長谷堂23-3
<TEL023-688-5901>
参拝08年5月22日
記事7月14日参照

3313 第13番 三河村(みかわむら)
観音山常福寺・曹洞宗
東村山郡山辺町三河尻23
<TEL023-665-7716>
参拝08年5月22日
記事7月15日参照

3314 第14番 岡村(おかむら)
金剛山正法寺・真言宗
東村山郡中山町岡102-1
<TEL023-662-2536>
参拝08年5月22日
記事7月15日参照

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2008年7月16日 (水)

ご朱印帖(北国)山形県

最上33観音 第五番~第九番

335 第五番 唐松(からまつ)
唐松山護国寺・曹洞宗
山形市釈迦堂7
<TEL023-629-2405>
参拝08年5月21日
記事7月11日参照

336 第六番 平清水(ひらしみず)
清水山耕龍寺・曹洞宗
山形市平清水95
<TEL023-631-7570>
参拝08年5月21日
 記事7月11日参照

337 第七番 岩波(いわなみ)
新福山石行寺・天台宗
山形市岩波115
<TEL023-641-6514>
参拝08年5月21日
 記事7月12日参照

338_2 第八番 六クヌギ(むつくぬぎ)
むつくぬぎ山宗福院・天台宗
山形市鉄砲町1-2-20
<TEL023-631-0048>
参拝08年5月22日
 記事7月12日参照

339 第九番 松尾山(まつおさん)
金峰山松尾院
山形市蔵王半郷2
<TEL023-688-3328>
参拝08年5月22日
 記事7月13日参照

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2008年7月15日 (火)

今朝見れば つゆ岡村の 庭の苔

寺社集印=山形県東村山郡

0805_159_2 最上33観音霊場第13番札所は通称・三河村(みかわむら)観音山・常福寺。曹洞宗のお寺。ご本尊の聖観音立像も行基の作とされ、秘仏として開創555年記念のご開帳までの間、一度も開帳されたことがないと伝えられてきた。「若松」と同じ木が使われたという言い伝えから、行基が鈴立山に留まった和同年間のものと考えられるのだそうだ。「長谷堂」から西部農免道路を北に8㎞、須川の西岸、閑静な地に位置する。

0805_155 最上33観音霊場第14番札所は通称・岡村(おかむら)金剛山・正法寺。真言宗のお寺。ご本尊は千手観世音菩薩。大和の長谷寺の観音と同じ白檀を彫刻したというもので、これまた行基の作。創建は元正天皇の養老5年とされている。
ご本尊は俗に「雨乞い観音」と呼ばれ、雨乞いの霊験はあらたかで、農民に深く信仰されている。秘仏として容易に開帳されないが、約50年ほど前の大旱魃の際、農民の熱望により、ときの住職が特別に開帳して祈祷し、皆が大いに救われたという実話があるそうだ。
タイトルは「岡村」のご詠歌から引用。

さて、最上33観音霊場めぐりはいったん中止となる。つぎに山形を訪ねるのは目下未定であるが、機会をつくって是非続けたいと願うものである。

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2008年7月14日 (月)

長谷堂の 山も誓いも 深くなりけり

寺社集印=山形県上山市と山形市

福島に向う国道13号線沿い、上山温泉から南に約1㎞のところに通称・高松(たかまつ)最上33観音霊場第11番札所高松山・光明院がある。真言宗のお寺。ご本尊は正観音坐像、行基の作。
0805_160 行基が高松の里に小さな庵を作り、しばらくの間住んでいたとき、この像を彫り人々に参拝させたのが始まりで、その後上の山にお堂を立てて安置した。この観音の霊験はあらたかで、45代聖武天皇のお耳に止まり御祈祷所に指定されるや、大名から一般人まで参拝者が増えたという。慶応元年山火事でお堂は火に包まれたが、ときの別当・光明法院が猛火の中をくぐってご本尊を運び出したという。現在のお堂は維新後、明治五年に再建されたものである。

山形市に帰り、市の西部、小高い丘の上に通称・長谷堂(はせどう)最上33観音霊場第12番札所長谷山・長光院を訪ねる。真言宗のお寺。根本仏は十一面観世音(一寸八分の黄金胎内仏)ご本尊は三尺ほどの木像。行基の作。
0805_157 源頼義は奥州賊伐に際し大和の長谷寺の観世音を守護仏として兜のなかに収めていた。やがて都に帰還するある夜、夢に観音が「我を永くこの地に止めて祀らしめよ」と命じられたので、お堂を建て、持参した仏像を安置して凱旋した。地名、山号である長谷堂・長谷山は大和の長谷寺の名から付いたものという。
写真をクリックすると拡大。タイトルは長谷堂のご詠歌から引用。

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2008年7月13日 (日)

巡礼者 ひきも切らさず まつのをの山

寺社集印=山形市と上山市

山形市の南、蔵王半郷は蔵王の玄関口に当たる。ここに最上33観音霊場第九番札所・通称「松尾山」(まつおさん)金峰山松尾院がある。ご本尊は聖観音(高さ3.26㍍)脇立の勢至菩薩(高さ3.03㍍)ともに行基菩薩の作。
0805_165 元明天皇の和銅元年行基がここに野宿、夢に無量寿仏、観音、勢至の三仏が桂の木に留るのを見た。行基は山の奥に入ると夢に見た桂の大木があったので、これを切って三仏を彫ったとされる。
観音堂は国の重要文化財に、両像は県の有形文化財に指定されている。白衣の巡礼者の似合う風景である。

上山市に最上33観音霊場第十番札所・通称「上の山」(かみのやま)水岸山・観音寺がある。その昔、境内に共同浴場にお湯をそそぐ滝口があったので、地元では「湯の上」とも呼んでいる。その名残か、大きな岩が見える。
0805_161 ご本尊は聖観世音菩薩、行基の作。鳥羽天皇の天仁2年(1109年)道寂和尚の開山とされる。昔、この山のふもと一帯は湖であって満々と水をたたえていたので山号を水岸山と称したという。
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2008年7月12日 (土)

岩波の 誓いはつきじ 苔のむすまで

寺社集印=山形市

「平清水」から2㎞ほど、西蔵王高原の入口付近に最上33観音霊場第七番札所・通称「岩波」(いわなみ)新福山・石行寺がある。天台宗のお寺で、ご本尊は行基菩薩の作で七尺三寸の十一面観音。
0805_151 元明天皇の和銅元年、行基菩薩が東北地方を巡ったとき、ここの風景が補陀落山に似ていることからお堂を建てた。岩波という地名は、前を流れる瀧山(りゅうざん)の流れが岩にあたって白い波を立てているところから、また石行寺の寺名は行者が石を踏みしめ河原道を行くことから付けられたという。
脇士の不動明王と毘沙門天は慈覚大師の作で、時代を物語る数多くの寺宝が残されているそうだ。

山形市街の南寄り、鉄砲町に最上33観音霊場第八番札所・通称「むつクヌギ六くぬぎ山・宗福寺がある。天台宗のお寺。ご本尊は聖観世音と得大勢至の両菩薩、ともに行基菩薩の作である。
0805_168 慈覚大師が布教に来られ住民から六道の苦しみを救わんものと、檜が無かったのでその代用として「くぬぎ」の木で護摩を焚いたのが「むつくぬぎ」の始まりと伝えられている。
相次ぐ火災で、建造物・書類・器具など全て焼失したが、不思議に観音堂だけはその都度焼け残ったという。
タイトルは「岩波」のご詠歌から引用。

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2008年7月11日 (金)

ひがしやま 流れは同じ ひらしみづと

寺社集印=山形市

山形と仙台を結ぶ国道286号線に沿って流れる馬見ヶ崎川の右岸に最上33観音霊場第五番札所・通称「唐松」(からまつ)がある。唐松山・護国寺である。曹洞宗のお寺。
0805_143 橋のたもとから見上げると、山の中腹にへばり付く形。一条天皇の正歴元年(990年)平清水の郷民・森山氏の妻が戦死した夫の冥福を祈るため、唐松山の霊窟に観音像を祀り川岸に草庵を結んだのが、この寺の始まりという。その後上流に住む炭焼き・藤太のもとに、京都・清水観音のお告げといって美女・豊丸姫がはるばる訪れ、藤太の妻となる。姫の念持仏が弘法大師作の一寸八分金無垢の聖観音像であり、藤太はこれを霊窟の祀り、その前に堂宇を建てて拝殿とした。
ときの山形城主・松平忠弘は鬼門守護仏として、京都の清水観音の舞台を模して大悲殿を建立した。現在の観音堂は信者の浄財により昭和51年に復元したもの。

「唐松」をあとにして最上33観音霊場第六番札所・通称「平清水」(ひらしみず)にむかう。清水山・耕龍寺である。曹洞宗のお寺。左手に釣鐘型の千歳山がある。全山松に覆われ、なだらかな山容は平安のころから名勝地として知られていたという。
0805_148 千歳山から流れ出る川を渡って別当耕龍寺へ、そして段丘のなかを登って観音堂へ。寺伝によれば後冷泉天皇(1050年)のころ源頼義が奥羽の安倍貞任を討ち、凱旋の途中「京都音羽の瀧」に似たここ平清水に、京都清水寺より十一面観世音を勧請して安置したのが始まりとある。また伝説では付近一帯は湖で、そこに住む龍神を白苗和尚が成仏させたところ、湖が立派な耕地に生まれ変わり、耕龍寺の名が付いたという。
この一帯は「焼物の里」と呼ばれ「平清水焼」で知られる。一見「清水焼」を思わせる上品な焼物で、窯元が多数みられる。タイトルは耕龍寺のご詠歌から引用。

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2008年7月 9日 (水)

ときまさに 月の世界に 降りたよう

My Picture

081407 新作発表
★制作番号 081407
★画 題 ハレアカラ火山
     ハワイ・マウイ島
★サイズ 55㎝×40㎝
★仕 様 マーメイド紙
   ホルベイン水彩絵具
   アキーラ・アルキッド

ハワイ四島のクルーズ(07年1月31日参照)での制作シリーズ第三弾はマウイ島。ハレアカラ火山。前回紹介のハワイ島は活火山であるのに対照的にマウイ島は休火山。世界最大の休火山といわれ、標高約三千㍍の位置に見渡す限りの大クレーターが展開していた。絵は一面を表現したにとどまり、背後に180度火山灰の平原が続くのである。まさに月面に降り立った神秘的な感じであった。
★個展準備; 11月16日からを予定。お問い合わせはコメント欄で。作品をクリックすると拡大。  

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2008年7月 7日 (月)

ご朱印帖(テーマ別)

関東六阿弥陀のご朱印

Photo 第一番 西福寺(さいふくじ)
・真言宗豊山派
東京都北区豊島2-14-1
<TEL03-3911-2266>
参拝08年6月28日
 記事7月4日参照

Photo_2 第二番 恵明寺(けいみょうじ)
・真言宗系単立
足立区江北2-4-3
<TEL03-3890-0897>
参拝08年5月27日
 記事6月7日参照

Photo_3 第三番 無量寺(むりょうじ)
・真言宗豊山派
北区西ヶ原1-34-8
<TEL03-3910-2840>
参拝08年6月28日
 記事7月5日参照

Photo_4 第四番 与楽寺(よらくじ)
・真言宗豊山派
北区田端1-25-1
<TEL03-3821-0976>
参拝08年6月28日
 記事7月6日参照

Photo_5 第五番 常楽院(じょうらくじ)
・天台宗
東京都調布市西つつじヶ丘4-9-1
<TEL042-484-0900>
参拝08年1月29日
 記事2月12日参照

Photo_6 第六番 常光寺(じょうこうじ)
・曹洞宗
東京都江東区亀戸4-48-3
<TEL03-3681-7023>
参拝08年6月28日
 記事7月6日参照

Photo_7 木余り 性翁寺(しょうおうじ)
・浄土宗
足立区扇2-19-3
<TEL03-3890-0967>
参拝08年5月27日
 記事6月7日参照

Photo_8 末木観音 昌林寺(しょうりんじ)
・曹洞宗
北区西ヶ原3-12-6
<TEL03-3910-2645>
参拝08年6月28日
 記事7月5日参照

ご朱印をクリックすると拡大。 

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2008年7月 6日 (日)

みなが今 この世で種を 蒔けよ田端に

寺社集印=東京・北区と江東区

0806_083 田端の宝珠山地蔵院・与楽寺関東六阿弥陀第四番である。阿弥陀堂は本堂左手にある。真言宗豊山派のお寺で、ご本尊の地蔵尊像は弘法大師の作、秘仏とされている。御府内88ヶ所伊予国泰山寺移し第56番として知られているという。このお寺も戦災にあい、復興したという本堂は戦後のものとは思えない重厚な威厳に満ちあふれていた。

0806_086 JR亀戸駅約1㎞、北十間川に沿ったところに関東六阿弥陀第六番西帰山常光寺がある。開山は行基菩薩と伝えられるが、戦国時代の天文12年、勝庵宗・最大和尚による中興開山という。このお寺も戦災に遭ったが、一週間前にご本尊の阿弥陀如来(六寸の坐像)を納骨堂に移して、難を逃れたという。近代的というかカーブのある本堂は特徴的で、庶民に親しみやすい曹洞宗のお寺である。
タイトルは与楽寺のご詠歌から

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2008年7月 5日 (土)

ありがたや 阿弥陀じょうどよ 西ヶ原

寺社集印=東京・北区

0806_077 本郷通りから西に入り、西ヶ原で何回か道を尋ねて関東六阿弥陀・末木観世音=補陀山昌林寺に辿りつく。三番への道すがらである。このお寺も戦災にあい、戦後いちはやく再興されたそうだ。ご本尊は行基菩薩が六阿弥陀像を刻んだ余った末木で彫られたという観音像で、大きさは7~8寸、台座は無いという。曹洞宗のお寺。

0806_079 昌林寺と背中合わせの格好で、狭い道から駐車場を見つけほっとする。関東六阿弥陀第三番仏宝山西光院・無量寺、寺号は徳川九代将軍家重時代に改名されたもので、以前は長福寺、何百年続いたかは定かでないという。
0806_080 ともあれ山門をくぐると吸い込まれるような静寂さだ。戦災をまぬがれたという現在の建物は江戸末期のものといわれ、その百年の歳月を感じさせる「寺らしい寺」という感じ。真言宗豊山派のお寺。昨今はやりのコンクリート造とは一味違う落着いた重厚な風貌であった。本堂入口の両側に立つ「小僧さん姿」の狸の焼物が可愛かった。(タイトルは無量寺のご詠歌から)

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2008年7月 4日 (金)

南の字から まわる元木に 縁となるらん

寺社集印=東京・北区

0806_075 JR王子駅から西新井方面へ約1㎞、豊島2丁目の交差点を右折して50mほど、細い道の奥まった所に関東六阿弥陀第一番三縁山・西福寺がある。
0806_076 戦災後復興したこのお寺は本堂・客殿・文殊堂などすべて完全耐火造と見受けられた。ご本尊だった阿弥陀仏(行基菩薩が元木で彫ったとされる)は一丈六尺もある木造で、国宝に指定されていたが、東京大空襲で焼失。阿弥陀如来の胎内佛といわれる小さな仏様だけが、防空壕のなかで類焼をまぬがれ、現在のご本尊であるという。創建は足立姫伝説のころ、聖武天皇と伝えられている。真言宗・豊山派のお寺。
なお、後で聞いたが、このお寺に有名な「よさこい節」の主人公お馬サンの墓があるという。五台山・竹寺の僧・純信と鋳かけ屋の娘・お馬との恋愛物語。お馬は明治18年に高知を離れ上京、この寺の近くに住んでいたらしい。明治36年に66歳で波乱にみちた生涯を閉じ、当寺の墓地内「寺崎家」の墓に合祀されていることが確認され、その菩提をともなうために「お馬塚」が建立されたという。
写真をクリックすると拡大。タイトルは西福寺のご詠歌から引用。

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2008年7月 2日 (水)

筆舌に 表わせないよ キラウェア

My Picture

081406 新作発表
★制作番号 081406
★画 題 キラウェア火山
       ハワイ島
★サイズ 55㎝×40㎝
★仕 様 マーメイド紙
   ホルベイン水彩絵具
   アキーラ・アルキッド

ハワイ四島のクルーズ(07年1月27日号参照)で最南端のハワイ島上陸の一作。ハワイ島は活火山の島で、ヴォルケーノズ国立公園にあるハレマウマウ火口は今でも活発に活動している。そのクレーターの内部はドロドロの溶岩が渦巻き、まさに地獄谷の様相を呈しており、筆舌に絶するもの。しかもそのクレーターのスケールたるや「見渡す限り」というしか、表現しようのない大きさだ。大自然のスケールとパワーの大きさを見せ付けられたものである。

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2008年7月 1日 (火)

梅雨空を 分けて迎える 文の月

上野散歩

0806_081_2 今日から7月=文月入り。今年も後半になる。
今年の梅雨は陽性だったのか、やたらと続いたような気がするし、雨量も例年より多かったそうだ。特に九州・四国の太平洋岸はドシャ降りが何度も伝えられた。これでそろそろ明けてもらいたいものだ。天候とともに陰険な同族殺人事件と、通り魔事件が報じられる。つくずく滅入る事件が多すぎる。

0806_082 今月はサミット月。せいぜい明るいニュースが欲しいところだが、期待するほうが無理というものだろうか。愚痴っても仕方ないので上野の山を今日も歩く。自然は関係なく移っている。木陰にひっそりと咲くアジサイはまだまだ清楚さを保っているが、そろそろ終わりになるだろう。つぎに咲くのは不忍池のハスの花。次は山を下りてみよう。
明日から元気をだして旅を続けよう。

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