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2008年4月30日 (水)

ご朱印帖・関東36不動霊場

第一番~第六番のご朱印

Photo 第一番雨降山・大山寺
(大山不動尊)
神奈川県伊勢原市大山724
<TEL046-395-2011>
参拝08年4月3日
 記事4月11日参照

Photo_2 第二番大雄山・道了尊
(清瀧不動尊)
神奈川県南足柄市大雄町1157
<TEL046-574-3121>
参拝08年4月3日
 記事4月20日参照


03_2 第三番成田山・延命院
(野毛山不動尊)
横浜市西区宮崎町30
<TEL045-231-4935>
参拝08年4月23日
 記事4月27日参照

04 第四番大聖山・真福寺
(和田不動尊)
横浜市保土ヶ谷区和田2-8-3
<TEL045-332-4671>
参拝08年4月23日
 記事4月28日参照


05_2 第五番清林山・金藏寺
(日吉不動尊)
横浜市港北区日吉本町2-41-2
<TEL045-561-2037>
参拝08年4月23日
 記事4月28日参照

06 第六番神木山・等覚院
(神木不動尊)
川崎市宮前区神木本町1-8-1
<TEL044-866-4573>
参拝お08年4月23日 
記事4月29日参照

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2008年4月29日 (火)

つつじ咲く 神木不動は マッカッか

寺社集印=横浜・川崎市

200804_194日吉から川崎に向う途中の港北区師岡町(もろおかまち)に師岡熊野神社(もろおか・くまのじんじゃ)があり、参拝する。地図をみると、丘の上にあり丁度この下を東海道新幹線が抜ける格好である。(写真左は境内から下の道路を見下ろしたもの。駐車場は急勾配で境内脇まで登ったところ)。
ご祭神はその名のとおり熊野三宮(本宮、那智、速玉)と一体である。聖武天皇の時代(724年)全寿仙人による開山といわれるから古い。歴代天皇の勅願所となり、また北条、徳川と代々の将軍家からご朱印地になるなど、崇敬が極めて高かったという。

200804_197 川崎市に入り、神木山・等覚院(しぼくさん・とうかくいん)通称「神木不動尊」を訪ねる。関東36不動霊場第六番札所である。折りしもツツジの満開期に出会い、山門の廻り、石段左右が真っ赤に染まっていた。ご本尊は大聖不動明王(絶対秘仏)天台宗のお寺。智證大師円珍がこの地にいたり、後述の日本武尊の話から霊木で一尺五寸の不動明王を刻み、一宇を建立、本尊として安置したのが当院の始まり。
その話とは日本武尊が東征の際、白鶴に導かれ泉水を得た。尊はこの泉を神の霊水と知り、御礼に一本の木を手植えられた。後にこの地を「神木」と、また泉の辺りを「鶴ケ谷戸」と称する様になったそうである。

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2008年4月28日 (月)

横浜の 西北にある 2不動尊

寺社集印=神奈川・横浜市

200804_185 三浦一族の傑物・和田義盛は源頼朝の重臣を努め、平家追討を悲願としていたが、ある夜夢に不動尊が現れ「我を勧請祈願すれば必ず悲願は成就せん」とのお告げをうけ、早速そのお姿=眼光鋭く、剣を前に突き出した大聖不動明王を刻ませ、安置した。治承元年(1177年)のことという。
200804_187_2 関東36不動霊場四番札所 大聖山・真福寺(しんぷくじ)通称「和田不動尊」である。200804_188_2 恐ろしい不動明王とは別に隣接する幼稚園の通園路の片隅に一休さん(写真右)と子育て地蔵(写真左)の石像の並ぶ様はなんとも対照的で面白かった。高野山・真言宗のお寺。

関東大震災で被害を蒙ったが、第13世・大見が自ら勧進を行い、本堂を千鳥破風瓦葺に改築した。推定350年前に建築されたという庫裏を始め、大書院、観音堂、水天宮などを占める近隣稀な大寺院、これが関東36不動霊場五番札所 清林山・金藏寺(きんぞうじ)通称「日吉不動尊」である。
200804_192 ご本尊は大聖不動明王(秘仏)天台宗のお寺。大梵鐘やキリシタン灯籠など文化財をはじめ日吉の生んだ第33代横綱・武蔵山の「遺愛の松」をはじめ、約二万坪の境内には桜、百日紅、銀木犀などの樹木が繁り、四季を通じて楽しめる「隠れ花どころ」となっているという。(写真は大門から臨まれるキリシタン灯籠と本堂)
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2008年4月27日 (日)

野毛山と 港みらいが 並び立ち

寺社集印=神奈川・横浜市

200804_178 関東36不動霊場巡りで、久しぶりに首都高横羽線で「港みらい」へ向う。出口から1㎞ほどの丘に上にある。第三番札所=成田山横浜別院・延命院(えんめいいん)通称「野毛山不動尊」である。ご本尊は不動明王、理源大師聖宝の作。徳川家累代の秘蔵仏、成田山中興開祖である照範上人が徳川家より祈願をされた際に本尊として賜り、奉安されてきたものという。真言宗・豊山派のお寺で、成田さんの横浜支店といったところ。

200804_181_2 道路を隔てて筋向いに伊勢山皇大神宮(いせやまこうたいじんぐう)がありこれを参拝する。ご祭神は勿論のこと天照大神はじめ伊勢神宮内宮と同じ神々である。
「関東のお伊勢さま」と親しまれるお宮は、かっては久良岐郡戸部村村にあったものが、明治四年に遷宮され、横浜の総鎮守とされた。境内は3900坪、神殿は唯一神明檜造で、太古の掘立造の面影を残している。

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2008年4月25日 (金)

ご朱印帖(西国)奈良県

奈良市の寺院

18 東大寺・戒壇院
(とうだいじ・かいだんいん)
奈良市雑司町406
<TEL074-222-5511>
参拝08年3月12日
 記事4月17日参照

19 法華寺
(ほっけじ)
総国分尼寺・光明宗
奈良市法華寺町822
<TEL074-233-2261>
参拝08年3月12日
 記事4月23日参照

20 海龍王寺
(かいりゅうおうじ)
真言律宗
奈良市法華寺町897
<TEL074-233-5765>
参拝08年3月12日
 記事4月23日参照

21 西大寺
(さいだいじ)
真言律宗総本山
奈良市西大寺芝町一丁目
<TEL074-454-4700>
参拝08年3月13日
 記事4月24日参照

22 西大寺・四王堂
(さいだいじ・しおうどう)
同所
参拝08年3月13日
 記事4月24日参照

23西大寺・愛染堂
(さいだいじ・あいぜんどう)
同所
参拝08年3月13日
 記事4月24日参照

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2008年4月24日 (木)

平城宮 東に対する 西大寺

200803_221 寺社集印=奈良市

寺社集印の旅「奈良」もとりあえず、最終回となる。
200803_223 西大寺の創建は奈良時代の天平宝字八年(764年)に称徳天皇が鎮護国家と平和祈願のために、七尺の金銅四天王像の造立を発願されたことに始まる。当時の境域は東西十一町、南北七町、面積三十一町歩、ここに薬師金堂をはじめ東西両塔、四王堂院、十一面堂院など百十数宇の堂舎が並んでいたそうだ。
200803_224 文字通り東の東大寺に対する西の大寺に相応しい官大寺であったが、平安時代に再三の災害に遭い、昔日の面影は無くなった。しかし鎌倉時代のなかばに真言律宗の根本道場として興正菩薩(1201~1290年)によって再興・整備された。
200803_225 写真右上が四王堂=創建期の由緒を伝えるお堂。再三の焼失で現堂は延宝二年(1674年)の建立。右下が本堂=単層四柱造、土壁を施さず総板壁によっている特異な建物なのだそうである。江戸時代宝暦二年(1752年)の建立。左下が愛染堂=宝暦十二年(1762年)に京都から移したもの。

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2008年4月23日 (水)

平城の 東北にあり 寺ふたつ

200803_211 寺社集印=奈良市

法華寺(ほっけじ)は平城宮の東北に位置し、聖武天皇の総国分寺の東大寺に対して、光明皇后による総国分尼寺として天平勝宝元年に創建された。かっては金堂、講堂、東西両塔、阿弥陀浄土院など、女人道場「法華寺御所」として荘厳の限りを尽くしたといわれる。
200803_212 云われると確かに寺院全体の雰囲気は尼寺の感じが強く、枝垂桜もその一例。現在は南大門、本堂、鐘楼など、こじんまりしたお寺だ。
200803_214 本堂内陣に桃山様式の須弥壇上に本尊十一面観音立像(国宝)が安置されている。ほかにも国宝、重文多数が祀られている。また本坊書院の脇には京都御所から移築したと伝えられる立派な庭園があり「史跡名勝」になっているという。

200803_217 背中合わせの格好に海龍王寺(かいりゅうおうじ)がある。縁起によれば天平三年(731年)やはり光明皇后により建立された。養老元年(717年)第八次遣唐使に加えられた僧・玄肪が在唐18年、智周大師について法相の教学を究め、天平六年帰国の途中、船団は暴風雨に襲われ、辛うじて種子島に漂着、翌七年帰京できた。
200803_219 このとき持ち帰った五千余卷の経論が、わが国仏教に大きく貢献したという。「海龍王経」を唱え、九死に一生を得た玄肪はその功により、僧正に任ぜられ初代住持として、当寺に住まい、聖武天皇から「海龍王寺」の寺号を賜ったという。鎌倉時代には律法中興の道場として繁栄したようだ。
現在は本堂を中心に、西金堂、経藏のみだが、写真右は西金堂に安置された国宝「五重小塔」が有名なのだそうである。

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2008年4月21日 (月)

大砂漠 オアシス見たり 岩の隅

My Picture

081401_2 新作発表
★制作番号 081401 ★画題:チュニジアのオアシス★サイズ:F60号 130㎝×97cm★仕様:綿キャンバスにアクリル絵具(リキテックス)

2006年一月にチュニジア・マルタ島を訪ねて、取材した時のもの。砂漠に中の水場。非常に大切な存在であろう。
久しぶりの新作発表になる。ということは難産の末の完成ということ?。結果はやはり「余りいいもの」とは云えないようだ。期日が迫ったので止む無く完成にする。秋の個展を目指して「ピッチを上げないと」とは思うのだが・・・。

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2008年4月20日 (日)

道了尊 樹海の中の 古刹なり

200804_032 寺社集印=神奈川・南足柄市

自然渋滞の246号線、秦野市から南足柄市までいささかクタビレたが、町を抜けて大雄山に入ると一変する。
200804_026 昼なお暗い鬱蒼とした樹海のなかに、壮大な伽藍が建ち並びその威容を誇る。関東36不動霊場 第二番札所大雄山・最乗寺(だいゆうざん・さいじょうじ)である。
200804_028参道には老杉・古松が累々と聳えたち、神秘的な境内は静寂に包まれている。ここ曹洞宗 道了尊は開山より樹木の伐採を禁じていたために素晴らしい美林が全山を覆っている。
200804_029 本堂(写真左上)のご本尊は釈迦牟尼如来、不動堂(写真右下は多宝塔、その左に清瀧と不動堂がある)には中央に本尊・清瀧不動尊 、両脇に天佑不動尊愛染明王が祀られているという。
200804_035 写真左中が御供橋結界門、それをすぎて右に登と御真殿に達する。左下の写真は大きな和合下駄、その周りに数多くの下駄が奉納されていた。
また境内には道了大薩錘(写真右上)のほか、大小の天狗を祀り、「小田原の道了尊」として天狗の御利益でも知られている。千古不斧の樹海の中の古刹であった。
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2008年4月18日 (金)

ご朱印帖(西国)奈良県

奈良市の寺院

12 東大寺・不動堂
(とうだいじ・ふどうどう)
「五大力尊」
奈良市雑司町406
<TEL074-222-5511>
参拝08年3月12日
 記事4月14日参照

13 東大寺・二月堂
(にがつどう)
「現自在」
同所
<TEL不明>
参拝08年3月12日
 記事4月14日参照
14
東大寺・三月堂
(さんがつどう)
「不空けん索観音」
同所
<TEL不明>
参拝08年3月12日
 記事4月16日参照

15 東大寺・四月堂
(しがつどう)
「普賢菩薩」
同所
<TEL不明>
参拝08年3月12日
 記事4月16日参照

16 東大寺・念仏堂
(ねんぶつどう)
「地蔵菩薩」
同所
<TEL不明>
参拝08年3月12日
 記事4月16日参照

17 東大寺・大仏殿
(だいぶつでん)
華厳宗大本山
奈良市雑司406
<TEL074-222-5511>
参拝08年3月12日 
記事4月17日参照

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2008年4月17日 (木)

大きいな 大仏さんと 四天王

200803_210 寺社集印=奈良市

いわずと知れた東大寺華厳宗大本山である。天平期の仏像、鎌倉期の建築物など、国宝29件、重文121件を数える。これらが「古都奈良の文化財」として世界文化遺産に登録されている。ご本尊「大仏さん」はROーSHYAーYANAーBUTU、まさに東大寺の象徴である。
200803_209 開山は良弁(ろうべん)僧正。728年聖武天皇が皇太子供養のため金鐘寺を建立したのが始まりで、741年護国信仰に基き国分寺建立を命じられた際、金鐘寺を大和国分寺として金光明寺と改称した。743年大仏造顕の詔を公布、金光明寺で造営が始まって東大寺となった。開眼供養は752年、伽藍完成は789年とされる。
200803_192 写真左が「南大門」二体の大きな金剛力士立像が睨みを利かしている。右が「大仏殿」(金堂)。創建いらい二度の兵火にあい、今の建物は江戸時代に再建されたもので、世界最大の木造建築物(間口57m、奥行50m、高さ49m)。大仏殿内はご本尊の大仏さんが大きいこと(像高15m、頭部5.5m)、また奥左右に立つ広目天・多聞天、それに踏まれる夜叉神も大きいし、すばらしい。

200803_207 戒壇院は西の奥にあり、受戒(僧呂として守るベきことを履行する旨、仏前に誓う厳粛な儀式)が行われる場。
200803_208 戒壇堂内には多宝塔を中心に、四隅に屹立するのが多聞天増長天広目天持国天四天王立像で、天平時代の傑作といわれる。

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2008年4月16日 (水)

大仏さん うらに連れ立つ 寺院群

200803_184 寺社集印=奈良市

二月堂と不動堂を降りたところに東大寺・法華堂(ほっけどう)=三月堂がある。開山の良弁僧正がこの地に山房をかまえ、のちに金鐘寺絹索堂となったとされる。ご本尊は不空絹索観音(乾漆像)合掌。

200803_186 東大寺・三昧堂(ざんまいどう)=四月堂。かつては普賢菩薩をご本尊としていたため普賢堂と呼ばれていた。治安元年(1021年)仁仙大法師助慶聖人が創建、法華三昧行を修めたとされる。

200803_189念仏堂・鐘楼・俊乗堂・行基堂は治承四年(1180年)東大寺炎上のあと、その復興に努力した重源上人にゆかりの深いところとされる。鮮やかな朱塗りの念仏堂(重文)は、もと地蔵堂といわれ、鎌倉時代の建物で地蔵菩薩坐像が安置されている。
200803_190 ひときわ天空に聳える鐘楼(国宝)は、わが国の茶祖として知られる栄西禅師が、承元年間(1207~10年)に再建したものとされ、大仏様にやや禅宗的要素を加味した豪放な建物。重さ26.3㌧もある大鐘(国宝)は東大寺創建当初のもので、「奈良太郎」と愛称され、日本三名鐘の一つに数えられている。

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2008年4月15日 (火)

ご朱印帖(西国)奈良県

奈良県の神社

01 橿原神宮
(かしはらじんぐう)
橿原市久米町934
<TEL074-422-3271>
参拝08年3月10日
 記事3月19日参照

02 大神神社
(おおみわじんじゃ)
桜井市三輪
<TEL074-442-0381>
参拝08年3月10日
 記事3月20日参照

03 春日大社
(かすがたいしゃ)
奈良市春日野160
<TEL074-222-7788>
参拝08年3月12日 
記事4月13日参照

04_2 若宮神社
(わかみやじんじゃ)
奈良市春日野160
<TEL074-222-7788>
参拝08年3月12日
 記事4月13日参照

05 夫婦大国社
(めおとだいこくしゃ)
奈良市春日野160
<TEL074-222-7788>
参拝08年3月12日 
記事4月13日参照

06 手向山八幡宮
(てむけやまはちまんぐう)
奈良市雑司町434
<TEL不明>
参拝08年3月12日
 記事4月14日参照

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お蔭様でわたしのブログ「明日も行こうぜ西東」が本号で400号を数えました。ご支援、ご協力ありがとう御座いました。


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2008年4月14日 (月)

二月堂 わかさの水を むかえたもふぞ

200803_169 寺社集印=奈良市

春日神社の駐車場に車を置いたまま、若草山に沿って、手向山八幡宮に歩いていく。このお宮は東大寺建立に際して、その鎮守のために宇佐八幡宮に勧請して建てられたという。東大寺を見下ろす格好の場所にある。200803_171 これに並んで東大寺・不動堂がある。これより東大寺の領域に入るのだろう。当堂には五大力尊をお祀りしている。まだ静かな佇まいである。

200803_176_2 いよいよ東大寺・二月堂だ。ご本尊は十一面観世音菩薩西国33観音霊場番外札所に当たる。確かにここは参拝者で可なり混雑している。右の写真は舞台造の回廊から見た東大寺のほぼ全景。正面ズーッと先に、あの大きな大仏殿の屋根だけが小さく見える。境内の広さが分かる。200803_180 下に降りながら、馬鹿に厳重に竹矢来で警護されていると思ったら、あの有名な「お水取り」本番が今日(3月12日)だと聞かされた。なるほど大きな「お松明」がセッティングされていた(写真左下)。
二月堂は天平勝宝四年(752年)東大寺の開山良弁僧正の弟子である實忠和尚によって建立され、毎年旧暦二月に修二会(しゅにえ=お水取り)が行われたので二月堂と呼ばれるようになったとある。寛文七年(1667年)二月に焼失、同九年(1669年)に再建され、現在に至っているという。
註;①タイトルは二月堂のご詠歌から引用。②写真をクリックすると拡大。

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2008年4月13日 (日)

かすが宮 山林・芝原 囲い込み

200803_164 寺社集印=奈良市

市内中心部の東南部に位置する春日大社(かすがたいしゃ)を参拝する。旧官幣大社、平城京の守護のために景雲二年(768年)に創建された。

200803_165 本殿右(東)から第一殿・鹿島神宮からタケミカヅチの命、第二殿・香取神宮からフツヌシの命、第三殿・アメノコヤネの命と第四殿・比売神(ヒメガミ)は枚岡神社から、それぞれ春日の地にお迎えしてお祀りしてあるという。

200803_166 境内は標高295mの御蓋山全域の山林、西方、飛火野、雪消の沢一帯の芝原、若宮おん祭の御旅所(おたびしょ)から一の鳥居にいたる参道の地帯を含む平野部、これら全域に及ぶのだそうである。

200803_167 春日大社の摂社である若宮神社は「おん祭り」が有名。長雨・洪水を治め、五穀豊穣、万民安楽を祈るお祭りは大和一国あげて盛大に行われるそうだ。

その筋向いに「縁結び・商売繁盛」の夫婦大国社がある。そこの土間に置かれた大竈(おおかまど)のワンショット。(左)
ご朱印をいただく。

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2008年4月12日 (土)

ここにみる 山嶽神道の 根源地

200804_015 寺社集印=神奈川・伊勢原市

大山ケーブルカーの終点「下社駅」でおりて、大山阿夫利神社に向う。山頂(標高1253m)にある山頂社との関係で下社と呼ばれるが、中腹にあって、長い石段を登る、どうしてどうして立派なお宮である。
200804_016 ご祭神は大山祇大神、高オガミの神、大雷神など。創立鎮座は2200年前の崇神天皇の時代、古来より山嶽神道の根源地とされる。天平勝宝4年(752年)前号紹介の大山寺開山の良弁僧正が入山以来、神仏習合の機が熟し、霊石の由縁で石尊大権現とも称せられた。源頼朝は幕府所在国の霊社として、また徳川家、なかでも家光公は18万両もの巨費を献じて本社、摂・末社を改築するなど崇敬が篤かったといわれる。
200804_018 本殿の脇から降りていくと霊水があると聞いて入ってみると、見事な名水が湧き出でて、綺麗なプールに貯まっていた。柄杓で頂いてみたが美味なものであった。
山を降りて南足柄市に向う。

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2008年4月11日 (金)

山腹に 東国最古の 勅願寺

200804_009 寺社集印=神奈川・伊勢原市

駐車場からおみやげ屋や旅館が軒を連ねるダラダラ坂を500mほど登ってケーブル・カーの追分駅へ(20分間隔運転)。それで中間駅の不動前で下車すると関東36不動霊場一番札所雨降山・大山寺はすぐ傍である。その途中に平和祈願の十一面観音像が200804_012 山中にたっていた。
通称・大山不動は真言宗大覚寺派のお寺で、ご本尊は鉄造不動明王(秘仏)。奈良・東大寺を開いた良弁僧正によって天平勝宝7年(755年)の開山とされる。聖武天皇の勅許の宣下を賜った勅願寺として東国最古の不動尊霊場である。
200804_013 山はまさにサクラの満開で、お天気もよいのでウイークデイにも拘らず、登山客、参拝客でにぎわい、ご本尊のご開帳も行われていた。

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2008年4月10日 (木)

偶然に 投げ込み寺に 足が向き

200804_002 寺社集印=神奈川・伊勢原市

関東36不動霊場の1、2番札所を目指して、まず伊勢原市大山へ。しかしカーナビが東側の日向林道にセットされて途中で通行止め。やむなく引き返す途中、一の沢沿いにお寺があったので「道を聞く」つもりで立ち寄ったのが「木食僧の寺浄発願寺(じょうほっがんじ)。道を聞き、ご朱印と資料を頂き、このお寺が「投げ込み寺」であっると分かった。
200804_003 開山は380余年前、木食弾誓上人、阿弥陀三尊(阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩)を祀る天台宗弾誓派の総本山という。木食とは「断穀の行」=穀物を絶って木や草の実だけを食するという厳しい修行。
200804_004 「駆け込み寺」とは極刑となる殺人・放火犯を除く一般の犯人は、寺域内に持ち物の何かを一つでも投げ込めば、救済されるという寺で、幕府から特別の格式が与えられていたそうである。

200804_008 南面を迂回して大山丹沢国定公園に入る手前に林に囲まれた比比多神社(子易明神)があり、安産守護神とのことで、お参りした。神主さんは不在、ご朱印は帰りに頂くことにした。ここのご神木はケヤキとされるが、特筆すべきはナギの大木(市指定保存木)。暖地に自生するマキ科の常緑樹で、熊野の速玉神社や伊豆の白浜神社、伊豆山神社などでは神木として崇められているという。
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2008年4月 8日 (火)

ご朱印帖(西国)奈良県

奈良市の寺院

06_2 興福寺・東金堂
(こうふくじ・とうこんどう)
奈良市登大路町48
(TEL074-222-7755)
法相宗大本山
参拝08年3月11日
 記事4月5日参照

07 南都興福寺
(世界文化遺産)
同所
<TEL同上>
参拝08年3月11日
 記事4月5日参照

08 興福寺「一言観音」
同所
<TEL同上>
参拝08年3月11日
 記事4月5日参照

09 興福寺「千手観世音」
同所
<TEL同上>
参拝08年3月11日
 記事4月5日参照

10_2 別格本山・新薬師寺
(しんやくしじ)
奈良市高畑福井町1352
<TEL074-222-3736>
参拝08年3月12日
 記事4月7日参照

11 真言律宗・白膏寺
(びゃくごうじ)
奈良市びゃくごう寺町
<TEL074-226-3392>
参拝08年3月12日
 記事4月7日参照

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2008年4月 7日 (月)

ゲスの身で 大元帥に あいまみえ

200803_144 寺社集印=奈良市

朝靄に包まれた平城宮跡の朱雀門(しゅじゃくもん)。古都・奈良の風情を満喫しながら一寸離れた市の北西部に向う。
200803_140 名前が面白くて訪ねた先は秋篠寺(あきしのでら)。宝亀7年(776年)光仁天皇の勅願になる古刹で、真言密教道場で隆盛を極めたそうである。しかし保延元年(1135年)の兵火で主要伽藍の大部分を失い、自然のままの樹林に、千古の歴史を秘めて佇んでいる。現在は単立宗教法人ご朱印はいただけなかった
200803_143 本堂には帝釈天、薬師如来、日光・月光菩薩、地蔵菩薩、伎芸天(ぎげいてん)など、すべて重文指定の多くの尊像がひしめいていた。
なかでも珍しかったのが別堂に祀られた大元帥明王(たいげんみょうおう=重文)。宮中のみで修められた鎮護国家の御修法(みしほ)を、このご本尊として重んじられたそうだ。境内の林間に生えた苔は見事だった。

200803_148 逆に奈良市の東南高台の新薬師寺を訪ねる。この「新」は「あたらしい」ではなく「あらたかな」という意味だそうだ。天平19年(747年)勅願により光明皇后によって建立。当時東大寺と共に南都十大寺に数えられたという。四町四方・七堂伽藍は落雷で、現本堂(国宝)を残してすべて焼失したそうだ。今は静かな佇まいである。ご本尊は薬師如来。

200803_153 すぐ近くに真言律宗・白膏寺(びゃくこうじ=一切経寺)がある。古い石膏壁が立ち並ぶ石段をかなり登る。草創はさだかでは無いが西大寺の流れをくむのだそうである。やはり度重なる兵火、雷火で塔堂を失う憂き目にあったようだ。
200803_158 ここにも平安から鎌倉時代にかけての仏像=阿弥陀如来坐像、地蔵菩薩立像、伝・文殊菩薩坐像、閻魔王坐像など重文として多数が保存されているという。
左の写真の閻魔王坐像は元あった閻魔堂のご本尊で、鎌倉時代の作、寄木造の彩色像、像高118㎝である。
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2008年4月 6日 (日)

ご朱印帖・西国33観音霊場

第六番~第九番・番外

3306 第六番 壷阪山・南法華寺
(つぼさかさん・みなみほっけじ)
奈良県高市郡高取町壷阪
<TEL074-452-2016>
真言宗
参拝08年3月10日
 記事3月19日参照

3307 第七番 東光山・岡寺・龍蓋寺
(とうこうざん・りゅうがくじ)
奈良県高市郡明日香村
<TEL074-454-2007>
真言宗
参拝08年3月10日
 記事3月19日参照

3308 第八番 豊山・長谷寺
(ぶざん・はせでら)
奈良県桜井市初瀬
<TEL074-447-7001>
真言宗
参拝08年3月10日
 記事3月20日参照

3309 第九番 興福寺・南円堂
(こうふくじ・なんえんどう)
奈良市登大路町
<TEL074-222-7755>
法相宗
参拝08年3月11日
 記事4月5日参照

3303 番外5 豊山・法起院
(ぶざん・ほうきいん)
奈良県桜井市初瀬
<TEL074-447-8032>
真言宗
参拝08年3月10日 
記事3月20日参照

04 番外4 東大寺・二月堂
(とうだいじ・にがつどう)
奈良市雑司町406-1
<TEL074-222-5511>
華厳宗
参拝08年3月12日
 記事4月14日参照

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2008年4月 5日 (土)

春のひは 南円堂に かがやけり

200803_129 寺社集印=奈良市

奈良市の中心部、世界遺産の一つ、法相宗・興福寺(こうふくじ)に入る。奈良公園から流れてきた鹿たちの群、それに観光客、修学旅行の生徒達となかなかの賑わい。
200803_131 釈迦三尊を祀った京都の山科寺(やましなでら)を始まりとし、その後飛鳥の厩阪寺(うまやさかでら)に移り、さらに都が平城京に移される時に現在地に移して興福寺(こうふくじ)と名付け、創建の年を和銅3年(710年)としたとされる。
200803_132 その後、皇族や藤原氏によって次々に堂塔が建てられ伽藍が整備され、奈良時代に四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられた。
現在は広々とした境内に東金堂、五重塔、南円堂、国宝館などが整備され、観光バスも乗入れている。
200803_134 興福寺・南円堂(なんえんどう)は西国33観音第九番札所、ご本尊は不空絹索観世音菩薩。合掌。

200803_135 三条通りを隔てて菩薩院(大御堂)を訪ねてみたが、不在でご朱印は貰えず、つぎの秋篠寺に向う。
註:タイトルは興福寺・南円堂のご詠歌を引用。写真をクリックすると拡大。

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2008年4月 4日 (金)

ご朱印帖・(西国)奈良県

奈良の寺院

01 唐招提寺
(とうしょうだいじ)
奈良市五条町13-46
<Tel074-233-7900>
日本律宗総本山
参拝08年3月11日
 記事3月28日参照

03_3登美山鼻高・霊山寺
(とみやまびこう・りょうせんじ)
奈良市中町3879
<TEL074-245-0081>
霊山寺真言宗大本山(単立)
役行者の霊場
参拝08年3月11日 
記事3月29日参照

02_3 薬師寺・金堂
(やくしじ・こんどう)
奈良市西ノ京町457
<TEL074-233-6001>
法相宗大本山
参拝08年3月11日
 記事4月3日参照

03_4 薬師寺・東院堂
(やくしじ・とういんどう)
同所
<TEL不明>
参拝08年3月11日
 記事4月3日参照

04_4 薬師寺・大講堂
(やくしじ・だいこうどう)
同所
<TEL不明>
参拝08年3月11日
 記事4月3日参照

05_3 薬師寺・大講堂
(やくしじ・だいこうどう)
同所
<TEL不明>
参拝08年3月11日
 記事4月3日参照

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2008年4月 3日 (木)

よみがえる 白鳳伽藍の たたずまい

200803_104 寺社集印=奈良市

霊山寺から市内に向う川端で薬師寺の二本の三重塔が見えてきたのでワンショット。(右の写真)
200803_111_2 薬師寺は天武天皇により発願(680年)持統天皇により本尊開眼(697年)文武天皇の代に飛鳥の地に堂宇が完成、その後、平城遷都(710年)に伴い現在地に移されたという。

200803_112 写真左が金堂(こんどう)竜宮造りといわれる美しいお堂で、ここにご本尊の薬師如来を中央に、右に日光菩薩、左に月光菩薩の薬師三尊(国宝)を祀る。(両菩薩は東京に出張中、前号参照)
200803_114_2 
写真右は唯一戦火をまぬがれた国宝・東塔、1300年の歴史を誇る。各層に裳階(もこし)を付けているため六重にみえるが、三重の塔だそうだ。この特異な形が全体として律動的な美しさを保ち、「凍れる音楽」と呼ばれ親しまれているという。
左が西塔。兵火で焼失、昭和56年に創建当初の白鳳様式で復興された。新旧両塔が並び立つ様は印象的な光景。
200803_127 右は大講堂。正面41m、奥行20m、高さ17m、伽藍最大の建造物。大勢の学僧が参集して経典を講讃したのであろう。本尊は弥勒三尊(みろくさんぞん・重文)裏側正面に仏足石(国宝)に左右に釈迦10大弟子像が安置されていた。東院堂には「祈りが昇華していく崇高なお姿」と賞される聖観音菩薩立像(国宝)が安置されているというが、これも東京へ。

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2008年4月 1日 (火)

雨風に 耐え忍びいる サクラかな

200803_271 上野散歩

今日から新年度。上野のサクラは9日早い満開とあって昨日の雨、今日の風で散り始めるかと、お決まりのコースを歩く。

200803_282 まだまだ耐えている。写真右は寛永寺・根本中堂に控えるサクラ。古木ながら今年も綺麗な花をつけている。

200803_284 左は動物園前の交差点。週末の土・日は例年どおり大変な人出であった。

200803_287 右は五条天神の早咲き。結構長く咲いているが、まだ8分がたピンクの花をつけている。すばらしい枝振りである。

左は国立博物館で、折りしも開かれている奈良の薬師寺展の看板を飾る花たち。先月11日に奈良を訪れ、薬師寺に寄って来たばかり。そのとき不在と聞いていた国宝の日光・月光両菩薩像それに聖観音菩薩像がここ上野に鎮座されている。早速28日に寄って平成館で、表から裏まで拝見してきた。立派なものだった。奈良の訪問記は次号紹介の予定
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