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2008年3月31日 (月)

壱千㌔ 島中巡って さようなら

200802_074 タスマニア紀行(最終回)
フレシュネ半島⇒スワンシー
ホバート空港

朝の運動でお腹がすき、海の見える「フレシュネ・ロッジ」のレストランで昼食。これで成田まで(機内食は別として)の食べ納めとなる。
200802_075 車はいったん北上してタスマニアン・ハイウエイに入り、それを一気に南下する。車窓の左手に東海岸を眺め、右手に広がる牧場を見ながらのドライブ。東海岸線は暖かく明るい。
200802_076 途中スワンシーの町で休憩。海水浴が出来そうな穏やかな海岸が伸びている。町は静かな佇まいである。
200802_103_2 しかし時折、木材を満載したトラックが走り去る。近くに木材チップの積み出し港があるそうで、そこに運ばれるという。タスマニアでも規制区域の外では、まだまだ木材伐採が進み、跡地の植林のためとはいえ野焼きが行われる。これが「タスマニア物語」に出てくるような、野生動物が行き場を失うという一つの自然破壊が繰り返されているようだ。改めて「産業推進と自然保護の難しさ」そんな想いを抱いてホバート空港に向った。
これで見慣れたこの地図の白線がすつかり繋がった。1000㎞に近い道行きではなかつたろうか。タスマニア紀行の終わりである。
(おわり)

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2008年3月30日 (日)

さようなら 野生動物 お見送り

タスマニア紀行(16)
ビシェノ⇒フレシェネ半島

最終日、右の地図白線の南東に延びたフレシェネ半島の中部にあるワイングラスベイを望む峠までハイキングの計画。ここも国立公園である。
200802_069 朝方降っていた小雨も途中から止み、青空が広がってきた。内海を海岸線にそって進み、美しいコールズベイ海岸、ビジターセンターに立ち寄る。
200802_070 ここで英気を養い岩山の急勾配の小道を、峠を目指してゆっくり進んだ。大きな奇岩群の織成す山道は、これまた楽しい、心地よい汗を含ませながら進んだ。
200802_071 30分も進んだろうか、前方が開け、峠の展望台に到着。美しい景色に夢中でシャッターを切ったものだった。
外海に向って湾曲したワイングラスベイ。登りの汗もふっ飛ぶ清々しさを味わいながらあたりを散策した。
200802_072 時間の制約があり、後ろ髪を引かれる思いでそそくさと下山。
200802_073_2 またまた野生動物を発見。カンガルーの小型のものと見受けられた。この見送りをうけたものだが、自然環境の保護は大切だとつくづく感じた。
(つづく)写真をクリックすると拡大。

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2008年3月29日 (土)

お見事よ 横一列に 八体佛

寺社集印=奈良市

200803_100 役行者(えんのぎょうじゃ)の霊場登美山鼻高・霊山寺(とみやまびこう・りょうせんじ)を訪ねる。1300余年前、右大臣であった小野富人(鼻高仙人)が、湯屋に薬師三尊仏を祀り薬草風呂にて諸人の病を治したとある。
200803_090 天平8年(736年)聖武天皇の勅命で、行基菩薩が伽藍を建立、ここの地相がインド霊鷲山に似ていることから霊山寺と名付けられた。
200803_101 霊山寺真言宗(独立)の大本山、ご本尊は薬師如来。赤い鳥居を抜けると右手に青銅製の大きな八体佛が横一列に並ぶ。壮観である。写真左。
200803_102 小高いところに本堂(国宝・写真右上)、小谷を隔てて三重塔(重文・写真左下)、その前に行者堂=神変大菩薩、不動明王、青面金剛を祀る(写真右下)。その他、山の斜面にいろいろな構築物が建てられていた。
註;写真左上の八体佛は左から阿弥陀如来、不動明王、大日如来、勢至菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩、虚空蔵菩薩、千手観世音菩薩。一枚づつ写真を撮らせていただいた。
(つづく)

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2008年3月28日 (金)

若葉して おん目の雫 拭はばや

200803_088 寺社集印=奈良市

桜井市から奈良市に入り、まず唐招提寺(とうしょうだいじ)を訪れる。唐僧・鑑真和上(過海大師)が天平宝字3年(759年)に開山。この辺は市の郊外といった感じだが、都が奈良にあつた当時は平城京五条二坊に当たり、いわば首都の中心街区であったという。

200803_083 200803_082 日本律宗の総本山、擁する国宝は17件、重文200余、まさに天平文化の大群落であり、かって「海東無双の大伽藍」「絶塵の名刹」と称せられたそうだ。ご本尊はRUSYANABUTU.(ご朱印参照)。
現在は平成の大修理が行われており、金堂はじめ、中心部は拝見できず、残念であった。写真左は旧開山堂?、右は経藏。

200803_086 鑑真和上(がんじんわじょう)は唐国楊州・大明寺の高僧、聖武天皇の招きに応じて来日されることになったが、実に12年間、5回にわたって航海に失敗し、大変なご苦労の末、754年ご到着の際には両眼を失明されていたという。
聖武・孝謙の両帝をはじめ多くの高僧に授戒し、画竜点晴の実を上げ、天平文化に非常に大きな影響を与えられた。当寺を建立されてから4年後、763年5月6日、76歳で亡くなった。写真左が鑑真和上の御廟。歿後1200年間、延々と香華が絶えないそうである。
註;①タイトルは芭蕉の句を引用 ②写真をクリックすると拡大。
(つづく)

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2008年3月26日 (水)

300㎞ 横断したよ 東海岸へ

タスマニア紀行(15)
ロス⇒ビシェノ

200802_065 左の地図、白線参照の通り300㎞のドライブで、東海岸のビシェノが間近に迫ったが、その前に一寸、フローホールを見物する。温泉地にあるような間欠泉に似た、潮の満ちるときに岩場の穴から「鯨の潮吹き」のように噴出すのであろう。
200802_066_2 大きなときには10mは噴くのではなかろうか。しばし見とれた。200802_067_2

ビシェノは小さな港町。ベストウエスタン・ビーチフロントという宿に泊まることにして、しばらく近くを散策した。広々とした海岸線が続き、静かな夕どきを迎えようとしている。
200802_068それにしてもいい空気だ。いい自然だ。タスマニアの旅も今夜で終わる。明日は南下して、慌ただしく去ることになる。毎度のことながら感傷にひたるひと時ではある。 中間で雨に祟られたが、総じていい旅であつた。
(つづく) 写真をクリックすると拡大。

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2008年3月25日 (火)

静寂が 周囲を取り巻く 北東地帯

タスマニア紀行(14)
アッシュグローブ⇒ワールマーズ・エステイト
ロス

200802_059_2 車は緩やかに南東の方向に国道1号線を進み、かつての、大地主の館であるワールマーズ・エステイトに立ち寄る。川のほとり、静寂につつまれた庭が展開する。
200802_060 その一角にレストランがあり昼食をとる。ラムの骨付きステーキは環境も手伝ってか、柔らかくとても美味であった。
200802_061 博物館、バラ園なども整備され一日中のんびりしたいぐらいの敷地内であった。

200802_062 そうも云っておれず、次の町ロスへむかう。どーんと大通りが一本通り、あすなろの大並木がそれを覆うように聳えている。左右に家々が点在し、まさに高級邸宅地の様相だ。
200802_063  なかに「魔女の宅急便」のモデルになったと噂される石釜のロス・ビレッジ・ベーカリー(写真左中)またウール・センター(写真左下)などアクセントのついた、シャレた町といった印象をうけ、住んでみたい気持ちにさせられた。
(つづく)

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2008年3月24日 (月)

えんえんと 延びる牧野を ひた走り

タスマニア紀行(13)
クレイドル・マウンティン⇒シェフィールド
アッシュグローブ

200802_054_5 久しぶりにお天気になり原生地域から東へ向う。壁画の町シェフィールドに立ち寄る。なるほど町中、到る所に壁画が描かれている。それも落書きではなく立派な作品ばかり。
200802_056 右の家など側面だけでなく、正面にも絵画が描かれているのには感心した。テーマも歴史的な物語風に描かれていた。

200802_055_2 この町にもう一つの名物があった。写真左、アルパカを連れた爺さんだ。㌦コインをアルパカの首に吊るした袋にねだられて、写真のポーズを取ってくれる。のん気なものだ。

200802_058 次に立ち寄ったのがアッシュグローブのチーズ工場。たしかにこの辺りは広々とした牧場が続いている。雨に祟られた森林地帯とは打って変わって、快晴の平原。遠くにハイランド高原も望まれ、昼寝でもしたいポカポカ陽気に、いい気分にさせられた。
200802_057 チーズの試食やら、買い物やらで賑わう店内とは別に、庭には「遊び心」の帆船が置かれ、その帆が風にはためいていた。静かな風景に浸った。
(つづく)

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2008年3月23日 (日)

瞬間に 主峰が見られ まず安堵

タスマニア紀行(12)
ドゥオブ湖畔のハイキング

200802_049_2  午後から小雨の中、シャトルバスでドゥオブ湖に向う。湖畔はクレイドル・マウンティンから吹き下ろす風雨に白いものまで混ざったキビシイ天候。それでも湖畔一周8㎞、約3時間のハイキングに挑戦。
200802_050_2  時計の針の方向に湖畔を巡るわけだが、みぞれ交じりの横風に顔もヒリヒリ、下を見つめて足元を確かめながら進んだ。
なんとか茂みの道に入り、ほっとして周りの草花などを撮影。

200802_051雨風が次第に収まって来て 、やっと周囲の景色など眺められる状態になり、右手山上に滝を発見。昨夜からの雨で出来たもので、日頃は見えないと説明された。(写真左)
200802_052
ほぼ三分の二ばかり廻ったところだろうか、待望の主峰グレイドル・マウンティンの全容を見ることが出来た。感激した。山肌には雪がまだらに付いていて、湖面に落とす影も風情満点であった。

200802_053 満足感に満たされて、足取りも軽く帰路についた矢先、木道の先に野生の小動物を発見。また感動して、静に、しばしその行動を観察した。草を無性にほうばっているさまは可愛いものだった。

お天気にやや不満が残ったが、とにかく目的達成で晴々した。野生の小動物の見送りまで受けた。
(つづく)
写真をクリックすると拡大。

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2008年3月22日 (土)

すっぽりと 自然にいだかれ 一夜明け

200802_102 タスマニア紀行(11)
ストローンクレイドル・マウンティン

200802_044 タスマニアの旅も「折り返えし点」に入り、右の地図の白線の東への移動となる。

クルーズから陸上に上がり、ストローンから西海岸線を北上、小規模ながら鉱山の町タラーで一服。写真左のかっての鉱山記念碑をワンショット。

200802_045 東に進路をかえて進むこと3時間,原生林地域の北部クレイドル・マウンティン・ロッジに泊まる。何はともあれ明日のお天気が気になる一夜である。雨はシトシト降り続き、気温もグーンと下がった気配。
200802_046 夕闇迫るロッジは森の中にスッポリ覆われ、お天気ならばと悔やまれ、また川も増水して茶褐色の荒々しさを見せていた。

200802_047 一夜明けてもお天気ははっきりせず、午前中はビジネス・センターや原生林のはみ出した裏山キングビリー・トラックの散策で天気待ちとなる。因みに、このロッジは原生林に寄り添うように2棟か3棟の長屋風の建物が分散して、雰囲気は最高だった。
200802_048 キングビリー・トラックは距離が短いとはいえ、原生林がそのまま保存され、針葉樹(パイン)広葉樹(ブナ)の混ざった、シダの生茂る手付かずの自然の宝庫をチョコリ覗かせてもらった感じた。
(つづく)

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2008年3月20日 (木)

いくたびも参るこころははっせでら

200803_063 寺社集印=奈良・桜井市

桜井市に入り、西国33観音第八番札所豊山・長谷寺(ぶざん・はせでら)を訪ねる。真言宗豊山派の総本山、全国に末寺三千余ヵ寺を誇る。ご本尊は十一面観世音菩薩、菩薩像は木造では国内最大級といわれる。開基は神亀4年(727年)徳道上人とされる。

200803_067 仁王門を入ると長い登廊が山腹の本堂に通じる。屋根つきの回廊形式で途中二度折れ曲がる。長さ200m、399段、天井からは丸い長谷型灯篭が連なって下がっており、極めて印象的であった。本堂は間口九間、奥行き五間、その表は広々とした舞台造。広い境内は変化に富み、「牡丹の長谷寺」とうたわれる牡丹は150種、7万株、また桜の名所でもある。

200803_071 長谷の里は「泊瀬」、「初瀬」とも書かれた。三方を山に囲まれ寺も山と一体になる。門前町は初瀬川(はせがわ)沿いに長く延びている。そこは伊勢参りでも賑わった旧伊勢街道。この門前町の一角に西国33観音番外札所開山坊・法起院(かいざんぼう・ほっきいん)があったので、お参りしてご朱印をもらった。

200803_072 大和国一之宮、旧官幣大社・大神神社(おおみわじんじゃ)に参拝。よく分からないが、由緒によると「御祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)本殿は設けず拝殿の奥にある三ッ鳥居を通し三輪山を拝するという、原初の神祀りの様が伝えられ、わが国最古の神社である」と。
200803_074また「 大三輪之神(おおみわのかみ)として世に知られ、神様の中の大神様として尊崇され、無比のご神格がうかがわれる」とのことである。

註;①タイトルは長谷寺のご詠歌から引用。②写真をクリックすると拡大。(つづく)

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2008年3月19日 (水)

飛鳥路に双璧ありや岡と壷阪

200803_035 寺社集印=奈良県・高市郡と橿原市

天気予報を頼りに春めいた西国の観音巡りに出かけた。高取町の西国33観音第六番札所壷阪山・南法華寺(つぼさかさん・みなみほっけじ)が振出し。大宝三年(703年)弁基上人の開基とされる真言宗のお寺。ご本尊は十一面千手観世音菩薩。
200803_051_4 広大な山の斜面に立体的に種々の伽藍が立ち並び、中でも石像・石灯篭の多さがやたら目立つた。
例の「失明回復祈願」にまつわる沢市お里の夫婦愛を描いた浄瑠璃「壷阪霊験記」が巷に大きな共感を呼び、「目の観音さん」として広く信仰を集めてきた。お天気がよければ北方への視界が開け、飛鳥の里も一望できるそうである。

200803_052 つぎに訪れたのが明日香村の西国33観音第七番札所東光山・岡寺・龍蓋寺(とうこうざん・おかでら・りゅうがいじ)。天智二年(663年)義淵僧正の創建、ご本尊の如意輪観音菩薩像は高さ4.6m、塑像(そぞう・土を固めた像)としてわが国最大・最古のもの、弘法大師の作とされる。
200803_054 楼門様式の仁王門を入ると左手には庫裏・書院など、右手には様々な草木が植えられている。四月中旬にはシャクナゲ3000株が咲き誇り、桜、さつき、秋には紅葉も美しいそうだ。
農地を荒らす悪龍を義淵僧正が法力によって小池に封じ込め大石で蓋をした。この伝説が当山の正式名称となり、以来「災いを取り除く」厄除け信仰に発展したという。

200803_059 橿原市の橿原神宮に参拝。旧官幣大社である。御祭神は神武天皇、天皇即位の宮跡に明治23年に創建されたという。
200803_060 拝殿左手に大きな池があり、周囲は公園に整備されていて、市民の憩いの場所になっているようだ。
しばし、運転の疲れを癒した。

(つづく)

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2008年3月17日 (月)

ぽかぽかと陽気に誘われ人出増す

200803_254 上野散歩

ここ10日ほどの陽気で上野公園の人出はグンと増えたようだ。桜の開花も間近にせまる。その前に、この時期の花を探した。

200803_256_2
都美術館の裏、動物園の柵に沿って植えられた椿。そろそろ花を落とすのか。

左は東照宮右奥のコブシ。1~2日に一斉に開花したような感じた。

200803_257_2
同じく東照宮の入り口に飾られている冬牡丹、名残りの二鉢。

200803_260_2 左は五条天神の枝垂れ梅。天神さんつき物の早咲きの梅は、はや散ってしまった。ここのコブシはまだ上の部分だけ。

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一方、両大師のは今が盛り、満開の状況。同じ上野でも東面にあるものは南面のものと一週間以上、開花に差が出るようだ。


それを現わすように、200803_265 並んでいる輪王殿の塀越しの椿は、時期をずらして満開を呈している。

以上のように、目にした花は結構多く、ソメイヨシノの開花を待っている。春はそこまで来ている感じ。そういえば今日は「彼岸の入り」である。
写真をクリックすると拡大。

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2008年3月16日 (日)

キビシイよ西の監獄セーラ島

タスマニア紀行(10)
最悪の監獄島セーラ

200802_040 長い桟橋を渡って小島に再上陸。ここがあの最悪といわれるセーラ島。小島全体がまさに監獄だ。
200802_041 雨の中。樹木やシダの生茂る小島の中のあちらこちら、自作のレンガで造られたという獄舎やもろもろの建物跡を見て廻った。
200802_042 遠い異国の地に、長い航海の末、しかもヘルズゲート「地獄の門」をくぐって、送られてきた囚人たち。どんな思いで役務に明け暮れて居たのだろうか。
200802_043 陸地は遥るか彼方である。たとえ脱出できても向こうがどんなところか、皆目見当が付かないだろう。絶望の毎日であったろう。
南のポートアーサーにつぐ2度目の監獄跡地の訪問であったが、こちらの方がはるかにキビシイものだった。暗い想いで島を去る。
(つづく)

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2008年3月15日 (土)

しんしんと更新続ける原生林

タスマニア紀行(9)
フランクリン・ゴードン・ワイルド・リバー
のクルーズ

200802_034 先日の地図、白線で示した左の端。ここがストローン。その下に伸びる入り江とその先が原生林に入るゴードン川。(写真をクリックすると拡大)そのクルーズだ。
200802_036 双胴船レディ・ジェーン号にのって、まず入り江の出口、ヘルズゲート「地獄の門」から外洋に。写真右。波風強く、まさに地獄の門。早々に旋回、入り江の奥へと進んだ。中に入ると波は穏やかになり、行く手右にはサーモンの養殖場が沿岸近くに数多く見られた。写真左。
200802_039 入り江奥まで侵入したところが、ゴードン川河口。第2次原生林への接近だ。川幅が狭くなり、水はタンニンで褐色に染まり、樹木が覆いかぶさるような光景。船はこれ等の植物を傷つけないように静かに進んだ。写真右中。
200802_037 いよいよ上陸。限られた木道を静に歩いた。小雨のせいで薄暗い中、足元を確かめながら歩く。空が開けたと思うと大きな倒木。
200802_038 その跡には着実に新芽が吹き出し、太古の昔から同じように自然更新が続けられる様を見てきた。
いい空気を胸いっぱいに吸い込んで船に戻り、復路につく。
(つづく)

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2008年3月14日 (金)

銅精錬島の中にも傷跡を

タスマニア紀行(8)
ロウソン滝(原生地区)⇒ストローン

200802_028 冷たい雨に打たれながら原生地区を抜けて平原にでた。樹木は小さくまだらになり、草むらのような荒れた原野が続いた。これはブタングラスといい、何でも光合成で根からタン200802_029 ニンを生成するのだそうだ。これが雨水で川に流れ、水を褐色に染めるのだそうだ。(人体には無害とのこと)。
しばらく進むとガラッと風景が一変した。名前は穏やかそうなクイーズタウンに入る左右の山一帯が写真の通り。まさに日本の足尾銅山を思わせる公害の足跡。今は殆ど操業を停止しているそうだが、銅精錬の動植物への大被害。破壊された自然の回復には何年かかるやら。こんな部分も見せ付けられて暗い気持ちにさせられた。

200802_031 ホバートから様々な風景の変化を見ながらの横断300㎞の行程をへて、とうとう西部の小さな港町ストローンに到着した。(左肩の地図の白線の止まった所)。
200802_030 どれだけの人が住んでいるのかと思わせる小さな小さな町。明日予定しているリバー・クルーズだけのためにあるような町だ。
宿はストローン・ビレッジ。幾棟か、からなる港の丘の上にあるロッジ。何はともあれ明日のお天気が気になる泊まりとなる。

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2008年3月13日 (木)

冷たい雨原生林のお出迎え

タスマニア紀行(7)
中心点⇒セント・クレア湖(原生地域)

200802_025 バスはいよいよ原生地域に入る。標高は700mに近づき、樹木も針葉樹(何種類かのパイン)それにブナに近い常緑広葉樹の巨木が、道路の両側に押し迫り、まさに人手の入らない原生林の姿をみせつける。
200802_024 一方、この地域は氷河の形成した湖が点在し、豊富な水源として小規模ながら、あちらこちらに水力発電所がみられた。タスマニアはその点で電力に恵まれ、自給は勿論、余剰をオーストラリアの別の州に供給しているという。
セント・クレア湖をすこし散策、昼食後、風と小雨の厳しい歓迎を受けながら西へ。
200802_027_2 途中で運転手サンが野生のエキドナ(ハリモグラ)を道端に発見、一時停車してくれた。大きさ20㎝ぐらい、のろのろと歩いていた。つぎにネルソン瀧まで入る。まさに原生林への第一歩。ぽっかり空が開らけたと思うと、上空から幾条もの滝が流れ落ちてくる。壮観であった。
200802_026 森に入って大きなシダが生茂り、樹木は太く、高い。まさに太古の昔から人間の侵入を拒み、自然のなすままに更新を続けたのだろう。よくも西部地区に抜ける、唯一の幹線・国道10号線を造ったものだと、逆に感心したりした。
雨がシトシト降り始め、寒さが増してきた。
(つづく)

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2008年3月12日 (水)

はるばると走ってきたぞ島の臍

200802_101 タスマニア紀行(6)
ホバート⇒タスマニア中心部

200802_022 ホバートを中心とするタスマニア南部からいよいよお目当ての原生地域へ向う。原生地域に通じる国道10号線をダーヴェント川沿いに西に進む。(左肩の道路地図参照)

200802_023 約2時間走ったところで休憩。ここは「タスマニア物語」の舞台となったハミルトン。周囲はまだ広々とした丘陵地帯が続き、殆どが牧草におおわれている。一部に青々とした部分があるのは、水利のいい部分で水をまいてマメ系の牧草を育てているのだそうだ。その他の殆どはイネ系の牧草で枯れて黄褐色。こんもりと茂る林はアカシア、ユウカリなどの広葉樹。まだお天気はなんとかもちそうである。

200802_032 それから又2時間ほど走った川のほとりでバスが止まった。周りにはこれといった物はなく、地図上ではブロンド・パークの手前のようだが、降りてみて、ここがタスマニアの「臍=ヘソ」であると聞いた。
200802_033 写真右の石標にGeographical Center Of Tasmania 「タスマニアの地理上の中心」南緯42度10分、東経146度30分 とあった。周りを見渡して、タスマニア島の中心に立ったという、感慨を味わった。しかしお天気が怪しくなり、風も出てきて寒さを感じた。ちなみに赤道の反対側の北緯42度は函館のあたりと思われる。左肩の道路地図の中間地点にいるはず。(クリックすると拡大になる)
次回はいよいよ原生地域に入っていく。

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2008年3月10日 (月)

ご朱印帖・武蔵野33観音

第9番~15番のご朱印帖

09
第9番 野老山・實蔵院(ところさん・じつぞういん)真言宗豊山派
埼玉県所沢市元町20-15<Tel042-922-2671>
参拝08年3月7日 記事08年3月7日参照

10 第10番 遊石山・新光寺(ゆうせきざん・しんこうじ)真言宗豊山派
所沢市宮本町1-7-3<Tel042-922-3058>
参拝08年3月7日 記事08年3月7日参照

11
第11番 上洗山・普門院(じょうせんざん・ふもんいん)真言宗豊山派
所沢市上新井189<Tel042-922-2814>
参拝08年3月7日 記事08年3月7日参照

12 第12番 梅林山・全徳寺(ばいりんざん・ぜんとくじ)曹洞宗
所沢市北野2508<Tel042-948-1439>
参拝08年3月7日 記事08年3月8日参照

13
第13番 吾庵山・金乗寺(ごあんざん・こんじょうじ)真言宗豊山派
所沢市上山口2203<Tel042-922-4258>
参拝08年3月7日 記事08年3月8日参照

14 第14番 光輪山・妙善院(こうりんざん・みょうぜんいん)曹洞宗
所沢市三ヶ島3-1410<Tel042-949-2918>
参拝08年3月7日 記事08年3月9日参照

15
第15番 吟龍山・松林寺(ぎんりゅうざん・しょうりんじ)曹洞宗
所沢市林2-147<Tel042-948-1839>
参拝08年3月7日 記事08年3月9日参照

ご朱印をクリックすると拡大。

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2008年3月 9日 (日)

あのくたら二世安楽を誓いおく

200803_09 寺社集印=埼玉・所沢市

右手に大きな幼稚園・保育所があり、子供たちの元気な声に押されて曹洞宗の光輪山・妙善院(こうりんざん・みょうぜんいん)に導かれる。
200803_10 ご本尊は白衣観世音、行基の作とされる。山門には仁王様と二階に十六羅漢様が安置され、左手に地蔵堂、右手に慈母観音像がある。武蔵野33観音第14番札所。天正年間(1570年代)源義家の後孫、徳川の旗本、沢次郎左衛門の開基とされる。

200803_11 吟龍山・松林寺(ぎんりゅうざん・しょうりんじ)は道元禅師を開祖とする曹洞宗のお寺。武蔵野33観音第15番札所
200803_12 ご本尊は松久朋琳作の釈迦牟尼仏、札所本尊は千手観音。
薬師六角堂の本尊・薬師瑠璃光如来は東京上野の寛永寺山内・成就院より奉祀されたものという。写真右下は駐車場から迎えてくれる六地蔵尊。

註;①タイトルは妙善院のご詠歌から引用。②写真をクリックすると拡大。

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2008年3月 8日 (土)

名将も願いをかけし山口や

200803_05 寺社集印=埼玉・所沢市

所沢市郊外の雑木林と狭山の茶畑の点在する丘陵地帯。古い梅の木と菩提樹のある曹洞宗のお寺、梅林山・全徳寺(ばいりんざん・ぜんとくじ)を訪ねる。武蔵野33観音第12番札所、ご本尊は釈迦如来と文殊・普賢菩薩の三尊仏、観音堂には普悲観世音菩薩が安置されている。開山は顧山明鑑和尚、永禄年間(1560年頃)とされている。

200803_06 西武ドームの真正面、狭山多摩湖畔の山口観音。武蔵野33観音第13番札所=吾庵山・金乗寺(ごあんざん・こんじょうじ)。
200803_07 ご本尊は千手観音菩薩(行基大士の作といわれる)、真言宗・豊山派のお寺。開基は弘仁年間、弘法大師によるものとされている。
写真左は新田義貞の霊馬の像が祀られている。
200803_08 また、当寺は武蔵野七福神・布袋尊がりっぱなお堂(写真左下)に祀られている。

(つづく)
註;タイトルは金乗寺のご詠歌から引用。

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2008年3月 7日 (金)

遠き世の布施屋のあとと市も立つ

200803_00 寺社集印=埼玉・所沢市

一ヶ月ぶりに車を走らせて所沢市に向う。旧市内元町にある武蔵野33観音第9番札所=野老山・實藏院(ところさん・じつぞういん)。
200803_01 真言宗豊山派のお寺で、ご本尊は大日如来、脇侍に聖観世音菩薩。合掌。
当寺は旧鎌倉街道に沿っており、「野老」とは所沢の古い名称といわれ創建もかなり古いと思われる。

200803_02 所沢観音と呼ばれる武蔵野33観音第10番札所=遊石山・新光寺(ゆうせきざん・しんこうじ)。真言宗豊山派のお寺で、ご本尊の聖観音は行基大士の作と伝えれれている。
200803_03 元弘3年(1333年)新田義貞が鎌倉攻めの際、戦勝を祈願したと伝えれれている。

200803_04 三ツ井戸の水は「疫病を除き、寿命無量の益あり」として無量寺と呼ばれる上洗山・普門院(じょうせんざん・ふもんいん)。武蔵野33観音第11番札所。真言宗豊山派のお寺で、ご本尊は不動明王、札所本尊は千手観音。右下の写真、門の左手前に北向六地蔵菩薩が祀られ、子供の守り本尊として親しまれているという。
(つづく)
註;①タイトルは實蔵院のご詠歌を引用。②写真をクリックすると拡大。

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2008年3月 5日 (水)

お天気でまばゆいほどの島巡り

タスマニア紀行(5)
 タスマン半島

200802_015流罪囚人の刑務所史跡で 暗い気持ちになり、昼食をとって気分転換を図る。
200802_016 海のほとりのレストランでのんびり寛いだ。この辺の海では牡蠣の養殖が盛んなようで、養殖棚があちこちに見られた。
200802_017 レストランの入り口に大きな篭があった。植木鉢に使われているが、この篭が牡蠣養殖の篭だそうで、これを海に吊るして牡蠣を育てるのだそうだ。

200802_018 それから訪れた玄武岩の断崖が波に浸食されできたタスマニアン・アーチ(左の写真)。自然のすさまじさを感じた。

200802_019 右はこれも海食によつて形成された玄武岩の断崖。デビルス・キッチンと名付けられているが何の意味かは不明。いずれにせよ、すごい岩肌ではある。

ここでいったんホバートに戻る。往復約200㎞の行程であった。
(つづく)

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2008年3月 4日 (火)

望郷の思いを偲ぶ流刑の地

タスマニア紀行(4)
 タスマン半島ポート・アーサー

200802_011 半島の突端、海の細道=イーグルホーク・ネックを抜けてポート・アーサーに入る。写真右は囚人の脱走を防ぐために放たれていたという番犬の像。世界最南端の刑務所の跡地である。

200802_012 左はビシター・センターで見た、かっての刑務所を含む監視人の事務所、住宅、その他諸設備の模型。イーグルホーク・ネックを除いて周囲が海に囲まれた逃亡不能な構造になっている。

200802_013 今では綺麗な芝生に囲まれ、花が咲き乱れた公園風になっている。右がメインの刑務所の建物で、四階建の部分が囚人棟、外観がほぼ残されている。これらはすべて囚人の労務で作られたという。
200802_014 中に入ると壁、天井の一部が残っており、1階が独房とのこと。鉄格子から外界を眺めて、(もっと荒れ果てた殺伐とした風景であったろうが・・・)遠く南の国に流された囚人達の望郷の想いを偲んだ。

何ともいえない気分にさせられポート・アーサーを去ったものだ。
(つづく)

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2008年3月 3日 (月)

残したい野生動物デビルちゃん

タスマニア紀行(3)
 ホバート タスマン半島

200802_009_2 写真右はホバート港の夜明け。2003年12月にはスター・プリンセス号でニュージーランドを一周しての海から訪問だった。しかも半日の下船観光で、リッチモンドだけのものだった。しかし懐かしいものだ。

200802_020_2 東へ、ホバート市を二分するダーウェント川に架かるタスマン橋を渡り、時計方向に右回りでタスマン半島に入る。農場や森、切り立つ玄武岩の崖、さらにタスマン海が見渡せる風光明媚なところ。国立公園に指定されている。200802_010_4 自然保護は勿論だが、特筆すべきは野生動物の保護。
200802_021_2 絶滅が伝えられる野生動物が唯一タスマニアには生存している。なかでも代表的なものが、世界最大の肉食有袋動物=タスマニアン・デビル。この保護に真剣に取り組んでいる。
右の写真の正面に霞むのがポート・アーサーで、次回に流刑刑務所の史跡を紹介する。
写真をクリックすると拡大

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2008年3月 2日 (日)

ボノロング動物たちの保養所よ

タスマニア紀行(2)
  リッチモンド

200802_005 この足でお定まりのコースというかボノロング動物園へ。ここは単なる動物園ではなく、負傷した動物、その子供、また鳥などを治療して原野に戻すのが役目だと聞いて成る程とおもった。
200802_006 飼育員によく慣れた小動物のデビル、ワラビー、ハリモグラ、もちろんコアラなどが、チョロチョロ出てきて愛らしかった。野生に戻しても車に撥ねられないか、一寸気がかりではある。

200802_007 夕方近くなり、やや涼しくなり雲も出てきたが、Mt・ネルソンに廻る。明日訪れる予定のポートアーサー、また川を隔ててホバートの町も眺望できた。
200802_008 この丘には信号所なるものがあった。また暗い話になるが、過去に刑務所が各所にあり(勿論ここリッチモンドにもあった)それらの監視のための信号所で、遠くポートアーサーへも烽火(のろし)か何かで連絡を取り合ったものと推察される。

(つづく)

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2008年3月 1日 (土)

懐かしや今も変わらず架かる橋

タスマニア紀行(1)
ホバートリッチモンド

200802_001 成田発20:20QF180便にてオーストラリア南部メルボルンに飛び、入国手続き。やはり植物検査は厳しく長蛇の列。
ほぼ半日を要した。それから国内線QF5707便12;50発にてバス海峡を渡って14:00にタスマニアの州都ホバートの空港に。所要時間1時間10分。五年ぶりのタスマニア訪問である。
200802_002 バスでリッチモンドに向かい、まずカソリック系のセント・ジョーンズ教会を訪ねた。脇に立つタスマニアン・ブルーガム(ユーカリ)の巨木。高く広くのびている。
200802_003 1836年に建てられたという当教会はオーストラリア最古のものという。コール川沿いのこの街には50を超える19世紀の建物があり、人口800、昔日を偲ぶに最高の場所だという。旅の疲れも忘れさせる。

200802_004 坂を下りると私にとつても懐かしいリッチモンド橋。(前回訪問の際に作品にした)1823~25年、流刑者たちによって作られたこの橋は最古のもので過去の暗い歴史がよみがえるようだ。

*写真をクリックすると拡大。  タスマニアの全貌については2月29日号参照。

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