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2007年10月31日 (水)

ご朱印帖(西国)三重県

伊勢西国33観音霊場ほか

069
札番外 青峯山・正福寺(あおのみねさん・しょうふくじ)真言宗
鳥羽市松尾町519<TEL 059-955-0061>
参拝 07年9月20日、記事 07年10月25日参照。

078 第一番 潮音山・太江寺(ちょうおんざん・たいこうじ)真言宗
伊勢市二見町江1659<TEL 059-643-2283>
参拝 07年9月21日、記事07年10月30日参照。

041
第二番 勝峰山・金剛證寺(しょうほうざん・こんごうしょうじ)臨済宗
伊勢市朝熊町548<TEL 059-622-1710>
参拝 07年9月19日、記事 07年10月14日参照。

028 第三番 龍池山・松尾観音寺(りゅうちさん・まつおかんのんじ)単立
伊勢市楠部町156-6<TEL 059-622-2722>
参拝 07年9月19日、記事 07年10月11日参照。

001
第八番 岡寺山・継松寺(おかでらさん・けいしょうじ)真言宗
松阪市仲町1952<TEL 059-821-0965>
参拝 07年9月18日、記事 07年10月2日参照。

伊勢市追加
073 二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)
伊勢市二見町江575<TEL 059-643-2020>
参拝 07年9月21日、記事 07年10月29日参照。

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2007年10月30日 (火)

伊勢路にて参った寺社は二十一

079_4 寺社集印=三重・伊勢市(16-16)

ここ二見町には伊勢西国33観音霊場第一番札所があるので、今回の旅の締めくくりにする。それは一寸、鳥羽市方面に戻り、標識に従って右折、右手の小高い丘の上にあった(写真右)。

080 坂を登ると仁王門(写真左)、その正面が潮音山・太江寺(ちょうおんざん・たいこうじ)の本堂である。真言宗のお寺で、ご本尊は千手観世音。合掌。

081 写真右が観音堂。丘の中腹にあるこじんまりとしたお寺であるが、境内は綺麗に手入れされ、すがすがしい空気が漂っていた。まさに「潮音山」に相応しいと思った。

松阪から始めた伊勢路の旅は、無事に終わった。感謝。お参りした寺社は21、ご朱印は22。次はいよいよ西国「神あり月」を迎えた出雲の国にしょう。(完)
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2007年10月29日 (月)

蛙サン神の使いぞぞーろぞろ

074 寺社集印=三重・伊勢市(15-16)

大王崎を廻って伊勢市二見町まで帰って来た。お伊勢参りもここまで。写真右は二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)参道。
075 左手に海を見ながら進むと正面に、かの有名な夫婦岩があり、右手が本殿となる(写真左が夫婦岩)。あいにく晴天とまでは行かなかったので、いい写真ではない。男岩は高さ9m、女岩は4m、注連縄の長さは35mといわれる。

076 ご祭神は猿田彦大神宇迦御魂大神(うがみたまのおおかみ)それに綿津見大神(わたつみのおおかみ・竜宮社)。拝礼。
猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)については10月13日付で紹介の通り、善導の神として、また地主神として知られる。綿津見大神は海の守護神として信仰を集めている。境内に多く見られるカエルの置物は二見蛙、これは大神のお使いと信じられ、「無事かえる」「貸したものがかえる」「若さがかえる」などの縁起ものとして信仰されているという。(つづく)
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2007年10月28日 (日)

武蔵野の面影残す都心の杜

109 寺社集印=東京・杉並区

武蔵野台地東端、東京に流れ込む善福寺川の流域を「大宮」と呼ぶらしい。この地の大宮遺跡は初の方形周溝墓の発掘地として知られ、大宮八幡宮(おおみやはちまんぐう)鎮座の以前から「聖なる地」とされていたようだ。

110 ご祭神は応神天皇(おおじんてんのう・第十五代)とご両親。境内は約一万五千坪、武蔵野の面影が色濃く残る緑豊かな都心の杜。写真右上が神門、左が総檜流造りのご本殿。

121 この神域の広さから「多摩の大宮」と呼ばれ、秩父の大宮(秩父神社)足立の大宮(大宮・氷川神社)をもって武蔵国の三大宮と称される。

写真右下は、当日偶然に挙式の列の出会ったもの。嫁さんの顔が殆ど見えない失敗作。(写真クリックで拡大)。

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2007年10月27日 (土)

ご朱印帖(西国)三重県

志摩国七福神ほか

058_2
波切神社(なきりじんじゃ)
志摩郡大王町波切小山
参拝 07年9月20日
記事 07年10月23日参照。

062_2 大王崎・仙遊寺(せんゆうじ)
志摩郡大王町
TEL 059-972-0708
志摩七福神=毘沙門天・大黒天(ボケ封じの寺
参拝07年9月20日 記事07年10月24日参照。

063
大王崎・大慈寺(だいじじ)
志摩郡大王町
TEL 059-972-0089
志摩七福神=弁財天・布袋尊(がん封じの寺)参拝07年9月20日 記事07年10月24日参照。

064 正宝山・本福寺(ほんぷくじ)
志摩郡阿児町立神
TEL 059-945-2613
志摩七福神=寿老神・福禄寿(中気封じの寺
参拝07年9月20日 記事07年10月24日参照。

068
青峰山・正福寺(しょうふくじ)
鳥羽市松尾
TEL 059-955-0061
志摩七福神=恵比寿明神(厄災封じの寺) 参拝07年9月20日 記事07年10月25日参照。

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2007年10月26日 (金)

東岸に長く延びたるバハ・カリフォルニア

051104 My Picteres

2004年ダイヤモンド・プリンセス号のメキシカン・クルーズのつづき。太平洋東岸に細長く1,700㎞におよぶ バハ・カリフォルニア半島の先端 Cabo San Lucas。⇒
延々続くバハ・カリホルニヤ半島
{制作番号051104}大きさ F6号41㎝×32㎝

051105 カボ・サン・ルーカス港の沖留め中のダイヤモンド・プリンセス号
{制作番号051105}
大きさ F6号 41㎝×32㎝

仕様はいずれもマーメイド紙にホルベイン水彩絵具。
いずれにしても砂っぽさは否めない。

註 ①問い合わせはコメント欄で ②絵をクリックすると拡大。(このクルーズは終)

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2007年10月25日 (木)

はるばると登ればここに正福寺

070 寺社集印=三重・鳥羽市(14-16)

阿児町の立神口からパール・ロードを鳥羽に向って進み、一寸行き過ぎたが細い道(古道)を通って海上守護第一霊峰たる青峯山・正福寺(しょうふくじ)に到着。デッカイ大門から広大な境内に入ると鐘楼堂から金堂、聖天堂、大師堂、弁天堂、如意輪堂など多数の寺院群の集合である(写真右下)。
071 海抜336㍍、「雲青く気澄み、東海の天に聳える霊地」とされる。ご本尊は十一面観世音、1200余年の法燈を保っている。合掌。
072金堂、大門は30年の歳月をかけ、文化年間に完成したもので、「構造は堅牢、彫刻の美は稀に見るもの」といわれる(写真右上が大門、左が金堂)。
また、前記の志摩国七福神の恵比寿明神を祀り、四天王「厄災封じの寺」とされている。

(つづく) 註; ①写真をクリックすると拡大。②タイトルはご詠歌から引用。

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2007年10月24日 (水)

志摩の国七福神と四天王

065_2 寺社集印=三重・大王町と阿児町
               (13-16)

そのお寺は仙遊寺(せんゆうじ)。そこで志摩国七福神、四天王封じ寺を聞いた。当寺は水軍・九鬼嘉隆の先祖五代の菩提寺。さらに毘沙門天・大黒天を祀り、「ぼけ封じの寺」だという。合掌。

066 次が町に下りて大悲寺(だいひじ)。こちらは「志摩のあじさい寺」と呼ばれ、境内に千株のあじさいが植えられている。弁財天・布袋尊を祀り、「がん封じの寺」だった。

067 昼食もそこそこに鳥羽市に向う途中の阿児町の本福寺(ほんぷくじ)をお参りする。毎年春に開かれる「真珠祭り」が有名という。ご本尊の真珠観音は990個の本真珠を身にまとって居られるとか。残念ながら和尚が病気でお会い出来なかった。寿老人・福禄寿を祀り、「中気封じの寺」であった。
(つづく)

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2007年10月23日 (火)

合祀したご祭神は19柱

059 寺社集印=三重・大王町(12-16)

例の石段(写真右)をふうふう息を弾ませ郷社・波切神社(なきりじんじゃ)に到着。由緒によると明治40年、13の無格社、山祇社、琴比羅社、猿田彦社、白髭社を合祀したものという。祭神は19柱にのぼる。

060 ご朱印とお茶を頂き、雑談のうちに、古い伝説に由来する「わらじ祭」なるものを聞いて、微笑ましかった。写真左下が、それの説明であるが、拡大して、さらに虫眼鏡でご覧あれ。

061 またその折、山の中腹に寺があるのを聞き、お礼を述べて反対側の港に下りる道から、そこに向う。

(つづく)

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2007年10月22日 (月)

潮風が心地よく吹く大王崎

054_2 寺社集印=三重・大王町(11-16)

町中に車を置いて、まずは岬の灯台方面に向う。途中に小高い丘があり、そこから眺望を楽しむ。ここは写真右の波切九鬼城址公園とあり、灯台がよく見えた。055_2
写真左がそれで、絵描きの好むアングルと見た。光の具合も最高であった。
ここに昔、波切神社があったらしく、現在地を聞いて早速移動。
灯台に向って小道を登り、その脇を抜けて今度は坂を下り、振り返ると写真右下の灯台。こちらからは逆光となる。057
056 まだ涼しいとはいえないが、かっての酷暑から開放され、潮風が心地よく感じられた。
ところが、目前に迫る急勾配の石段、これを登らなくては「寺社集印」は成り立たない。それ行け。

(つづく)写真をクリックすると拡大

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2007年10月21日 (日)

勘わるし細道近道うろうろと

103 寺社集印=東京・港区

今日は難しい道を選んで歩いているようで、わき道からヒョイと泉岳寺(せんがくじ)の脇に出てきた。
104 当寺は赤穂四十七士の霊廟所で、余りにも有名で、説明は不要だ。
都営地下鉄泉岳寺駅で下車、坂を登ると左手にある。

106 泉岳寺で聞いてきたのだが、やはり行ったりきたりで、苦難の末に辿りついたのが来迎山・道往寺(どうおうじ)江戸33観音第27番札所。ご本尊は聖観世音菩薩と千手観世音菩薩。合掌。
107 入口が墓地と一緒というか、墓地を抜けて本堂へ。周りは駐車場とマンションばかり。土地柄已むをえないのかも知れない。
寛文年間の創立、観音講中の月参講の参詣で、また出開帳なども行われ、おおいに賑わっていたのだという。

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2007年10月20日 (土)

ありがたや高野の寺の観世音

096_3 寺社集印=東京・港区

品川プリンスホテルで野暮用を済ませ高輪三丁目に向ったが、ホテル群から一歩細道に入ると方向音痴になった。住居表示の番号を追って辿りついたお寺が東禅寺(とうぜんじ)。
097 境内は広く左手に三重の塔、正面には寺院群が整然と並ぶ。ご朱印をいただき、やっと名前が判ったと言うお粗末。禅寺のようだった。

099 そちらで場所を伺い細い路を上り下りして高野山・東京別院(こうやさん・とうきょうべついん)にいたる。江戸33観音29番札所、また関東88ヵ所霊場の特別霊場
100 ご本尊は弘法大師、札所本尊は聖観世音菩薩。合掌。
現在の建物は昭和63年春に落慶したものであるが、江戸に幕府が開かれた際に高野山の宝門・寿門の学侶方の在番所の寺として開創されたのが始まりであるそうだ。
写真右は堂々たる正門であるが、写真を撮りにきて隣が高輪警察署だと知つて、難しい路を辿ったものだと思った。
タイトルは高野山東京別院のご詠歌から引用写真をクリックすると拡大

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2007年10月19日 (金)

昔から覇権をかける争いぞ

051103_2 My Picture

2004年ダイヤモンド・プリンセス号、メキシカン・クルーズのつづき。メキシコ最大の港、マザトランより。

絵は Mazatlan 郊外のアルビカ村のサン・セヴァスチャン教会を訪ねたときのもの。ここにも宗派対立の傷跡が、生々しく残っていた。

{制作番号051103}
大きさ P20号
53㎝×73㎝
仕様はマーメイド紙にホルベイン水彩絵具。

註 ①絵をクリックすると拡大。
②問い合わせはコメント欄にて。

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2007年10月18日 (木)

ご朱印帖(西国)三重県

014 伊勢神宮外宮と伊勢市・松阪市


豊受大神宮・外宮(とようけだいじんぐう・げくう)
伊勢市豊川町
参拝07年9月19日、記事07年10月8日参照。

023_2 月夜見宮(つきよみのみや)
豊受大神宮・別宮
伊勢市宮後1-1006 
参拝07年9月19日、記事07年10月10日参照。

019_2
豊川茜稲荷神社(とよかわあこねいなりじんじゃ)
伊勢市豊川町724
TEL 059-628-5510
参拝07年9月19日、記事07年10月9日参照。

041 朝熊岳・金剛證寺(こんごうしょうじ)
伊勢市朝熊町548
TEL 059-622-1710
参拝07年9月19日、記事07年10月14日参照。

004_2  ⇒
本居宣長ノ宮(もとおりのりながのみや)
松阪市殿町1533-2
参拝07年9月18日、記事07年10月2日参照。

008_2 松阪神社(まつざかじんじゃ)
松阪市殿町1633
参拝07年9月18日
記事07年10月2日参照。

写真をクリックすると拡大。

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2007年10月17日 (水)

ご朱印帖〔西国)三重県

伊勢神宮内宮とその別宮037


皇大神宮・内宮(こうたいじんぐう・ないくう)
伊勢市宇治中之切町152
TEL 059-624-1111
参拝07年9月19日 記事07年10月13日参照。

010_2 瀧原宮(たきはらのみや)
皇大神宮別宮
度会郡大紀町滝原872
TEL 059-886-2018
参拝07年9月18日 記事07年10月3日参照。

025
倭姫宮(やまとひめのみや)
皇大神宮別宮
伊勢市楠部町5
参拝07年9月19日 記事07年10月10日参照。

030 月読宮(つきよみのみや)
皇大神宮別宮
伊勢市中村町742
参拝07年9月19日
記事07年10月11日参照。

050
伊雑宮(いざわのみや)
皇大神宮別宮
志摩市磯部町上之郷
参拝07年9月20日 記事09年10月16日参照。

034 猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)
伊勢市宇治浦田2-1-10
TEL 059-622-2554
参拝07年9月19日
記事07年10月13日参照。

註; ①カテゴリー「ご朱印帖・西国」を新設。西国とは三重、岐阜、福井県より西とします。②写真をクリックすると拡大

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2007年10月16日 (火)

こんもりと茂った森は伊雑宮

051 寺社集印=三重・磯部町(10-16)

一般に「イゾウグウ」と呼ばれる伊雑宮(いざわのみや)内宮・別宮。志摩市の入口に位置する。天照大神の遥宮(とおのみや)とも称される。

052 創祀は倭姫命が御供物を採るところを定めるため志摩国を御巡行になり、この地に当宮を創建されたという。風光明媚な志摩国は海産物に富み、古来、神宮と朝廷のご料を貢進した。

053

正殿の構造は内宮に順じ、唯一神明造、お屋根の鰹木は6本、千木が聳えている。写真右下は社務所脇にある御神木。楠の大木でかなりの古木である。根が浮き上がりすごい勢いを感じた。

(つづく)写真をクリックすると拡大

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2007年10月15日 (月)

伊勢路にも天の岩戸があろうとは

046 寺社集印=三重・伊勢市(9-16)

伊勢道を南東に伊雑宮を目指した途中に「天の岩戸」と看板が出ていたので、右折して立ち寄る。
047 天岩戸は高千穂にあるのではないかと半信半疑で細い路を入った。途中に駐車場があり、そこから歩き。
048 神話であるから諸説あるが、大体が天照大神と弟スサノウノミコトにちなむ話。道を行くとその雰囲気は出てきた。
049_2 突き当たり、左手の岩間から清水が流れ落ち、流れ降りていく。環境省選定の「名水百選」に選ばれたという旨い水だった。
正面に風穴があったが、ここは立ち入り禁止。
また天の岩戸は更に登るとあるので、ここでバックする。
(つづく)写真をクリックすると拡大

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2007年10月14日 (日)

伊勢参り朝熊かけねば片参り

042 寺社集印=三重・伊勢市(8-16)

「お伊勢参らば朝熊をかけよ。朝熊かけねば片まいり」と云われるので、霧雨の中、朝熊岳・金剛證寺(こんごうしょうじ)へと向う。昔はそれこそ難所であったろう朝熊岳も、今では伊勢志摩スカイラインなるものが出来て、約15分だった。写真右上は見上げる仁王門。

043 「心やすらぐ日本人の霊場」とうたわれる当寺は伊勢神宮の鬼門を守る寺といわれる。写真左は連間(つれま)の池と連珠橋。
044 写真右は本堂摩尼殿、ご本尊は福威智満虚空蔵菩薩。合掌。
孝源院(文殊菩薩)、望海院(普賢菩薩)、与楽院(矢負地蔵菩薩)、奥之院(延命子安地蔵菩薩)など寺院群(重文多数)が点在している。
045 本堂左に福丑(ふくうし)右に写真の智慧虎(ちえとら)の像があり、皆で「あやかりたい」と鼻先や頭を撫でるのでピカピカ光っていた。
(つづく)写真をクリックすると拡大

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2007年10月13日 (土)

神宮は千古の森に囲まれて

036_2 寺社集印=三重・伊勢市(7-16)

内宮に至る交差点の所に猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)がある。
035 主神は猿田彦大神。物事の最初に現れ、万事最善の方向へ「おみちびき」になる神様。建築、方除け、災難除け、開運、事業発展、五穀豊穣など、豊富な御神徳があるといわれる。
本殿は二重破風の妻入造で立派なしつらえ。重厚な空気が漂う。

038 いよいよ皇大神宮・内宮(こうたいじんぐう・ないくう)の参拝である。皇室のご祖神の天照大神を御祭りする、わが国で最も尊いお宮。五十鈴川の川上に千古の森に囲まれ、二千年の時を越えて古代のたたずまいを今に伝える。
039 宇治橋を渡り右へ、一の鳥居から左へ、二の鳥居を更に進んで一番奥・左手に御正宮。四重の垣根に囲まれ、唯一神明造(ゆいいつしんめいずくり)の古代様式。040_2 茅葺の屋根に10本の鰹木(かつおぎ)が乗り、4本の千木(ちぎ)の先端は水平に切られている。
手前には平成25年に式年遷宮の新御敷地(しんおしきち)が準備されている。広大な宮域内には神楽殿、荒祭宮、参集殿、子安神社などが点在している。
(つづく)写真をクリックすると拡大

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2007年10月12日 (金)

処女航海はるばる来たぜメキシコへ

051101 My Pictures

三菱重工・佐世保造船所で建造されたダイヤモンド・プリンセス号(11万㌧)の処女航海と聞いて、2004年4月ロスアンゼルスに飛んだ。ロスから出港して太平洋を南下、メキシコ東海岸への往復クルーズだ。

右の絵はプエルト・バジャルタ港の入港風景。{制作番号051101} 大きさF6号=41㎝×32㎝。
Puerto Vajjarta といえば「イグアナの夜」の舞台となったところとか。エリザベス・テーラーが好んで住んだ家に寄ったがあまり興味なし。

051102 左の絵は、とある街角。
宝石を売る店。
{制作番号051102}
大きさF8号=46㎝×38㎝

いずれも南国の空気あふれる、気だるさを感じる佇まいだったと記憶する。
仕様は双方ともマーメイド紙にホルベイン水彩絵具。

註①写真をクリックすると拡大。②作品の問い合わせはコネント欄にて。

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2007年10月11日 (木)

月読と月夜見ともに同一神

029 寺社集印=三重・伊勢市
          (6-16)

倭姫宮を出て内外宮を結ぶ広い通りを横切り、細い道を登ると日本最古の厄除け観音である龍池山・松尾観音寺に至る。ご本尊は十一面観世音菩薩。合掌。

当寺は奈良時代に高僧・行基の創建と云われ、本山も末寺も、檀家すら持たない、いずれの宗派に属さない単立という特異な形態で存在している祈願寺。伊勢西国33観音霊場第三番札所

031 次は内宮の別宮である月読宮(つきよみのみや)ご祭神は天照大神の弟神である月読尊(つきよみのみこと・月夜見尊と同じ)。

032 写真右は月読宮であるが、並んで右に月読荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや)左に伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)伊佐奈弥宮(いざなみのみや)と四別宮が並列して鎮座している。(写真右の下)。

033_2 また前面に次の遷宮で、新しく建てられるべく、新御敷地(しんみしきち)として、整地して、これも四つに区切って準備しているのも、面白いと思った。
(つづく)写真をクリックすると拡大

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2007年10月10日 (水)

倭姫神道説の先導者

024 寺社集印=三重・伊勢市
          (5-16)

外宮の別宮である月夜見宮(つきよみのみや)に詣でる。御祭神は月夜見尊(つきよみのみこと)、天照大神の弟神に当る。当日は丁度お祭りの日に当たり、幼稚園児たちが、神妙にお参りしていた。

026 次に向ったのが緑豊かな倉田山。ここには内宮の別宮である倭姫宮(やまとひめのみや)を取囲むように神宮徴古館(じんぐうちょうこかん)神宮農業館、神宮美術館、神宮文庫と、さらに皇学館大学などもあり、まさに神宮の総合施設の集まり。

027 御祭神は倭姫命(やまとひめのみこと)、天照大神の教えをうけ、現在の地に皇大神宮を創建された神様。中世以来、伊勢の神道説は正直・清浄を主徳とし、五部の神書をもって広く唱道された。ことにその一つ「倭姫命世記」は人々から尊重されて来た。また神宮の祭祀と経営の規模を確立された。

(つづく)写真をクリックすると拡大。

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2007年10月 9日 (火)

「あこねさん」一般人に崇められ

020 寺社集印=三重・伊勢市
          (4-16)

外宮の表参道火除橋を渡って右手に行くと、勾玉池(まがたまいけ)があり(写真右)、それに沿っていくと赤い鳥居が沢山並んでいる。通称「あこねさん」茜社豊川茜稲荷神社である。

021 左は茜社(あこねしゃ)で、古代より豊受大神宮の摂社として祭事を斎行されたと推察されるという。

022 右は茜稲荷神社(あこねいなりじんじゃ)。茜社神域内に稲荷と称する岩窟があり、一般大衆はそこを豊川明神、豊受稲荷として崇めた。海の神、地の神、商の神として近郊・近在、もた遠来の崇敬者をも集め、大変に賑わったようである。
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2007年10月 8日 (月)

豊受は衣食住の守り神

015_2 寺社集印=三重・伊勢市
          (3-16)

いよいよ心の故郷「お伊勢さん」伊勢神宮の参拝。外宮から始める。豊受大神宮(とようけだいじんぐう・外宮)写真右は御正殿。苔むしたお宮は「唯一神明造」(ゆいいつしんめいずくり)の様式である。鰹木は9本、千木が垂直に切られている。
外宮は豊受大神をお祭りしてあり、天照大神のお食事を司る神様で、衣食住をはじめあらゆる産業の守り神

016 正殿を下がり右手に3つの別宮がある。左は風宮(かぜのみや)。風の神をお祭りしている。鎌倉時代の元寇(げんこう)のとき、神風を吹かせた神様。

017 右は多賀宮(たがのみや)。豊受大神の荒御魂(あらみたま)をお祭りしている。

018 左は土宮(つちのみや)。古くから山田原(やまだのはら)の鎮守神。宮域(きゅういき)の地主の神。

宇治の五十鈴川の上流にある皇大神宮(内宮)と山田原にある豊受大神宮(外宮)とを中心として、14の別宮、43の摂社、24の末社の所管社があり、「神宮」はこれらの総称とされる(つづく)。写真をクリックすると拡大

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2007年10月 7日 (日)

愛宕山エレベーターで登るとは

089 寺社集印=東京・港区

天徳寺で「愛宕山はトンネルを抜け、エレベーターで登れる」と聞いて早速向かう。なるほど西新橋方面に抜けるトンネルが出来ていて、こちらから右、出たところに自動エレベーターがあった。上がって通路を行き広場に出ると、左がNHK放送博物館、右が愛宕神社(裏参道かな?)である。

090 これなら参拝は楽である。NHKには入らず参拝する。霧のような小雨が降り始めたなか、しっとりとしたお参りになった。091 写真左が参道裏門、右が本殿。

ここ愛宕山は「愛宕の山に入り残る月を旅路の友として・・・」と鉄道唱歌に歌われた名山、海抜26m、広さ6千坪、正面の男坂の石段は86段。かつて曲垣平九郎がこの坂を馬で登り降りしたという話も有名だ。

JR新橋駅に向かう途中に(新橋四丁目か?)木立の中に日比谷神社とあったので、お参りする。
093 昔は日比谷公園の大塚山というところにあったが、慶長年簡に江戸城・日比谷御門が造営されたときに当地に移転した。
094 この神社は新橋にあったお稲荷さんと合併したようで、鯖稲荷、また鯖明神とも呼ばれ、鯖(さば)がこの神社のシンボルとなっている。虫歯・虫封じとして霊験あらたかで、民間の信仰を集めているそうだ。

ここも道路計画に引っかかり、2年後には汐留の方に移転が決まっているという。変わっていくのだ。写真をクリックすると拡大

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2007年10月 6日 (土)

金刀比羅さん表通りは高層ビル

083 寺社集印=東京・港区

虎ノ門・桜田通に面した金刀比羅宮は地上何階建か?とにかく高層タワービルに生まれ変わっていた(写真右はビル・プレート)。
084_2 写真左は本堂から参道を通して桜田通を見たもの。高層ビルを支える太い円柱が並んで立ち、何とも不思議な感じであった。これも都心の行き方か?

085 参道から直角左奥に本堂。重厚な造りは以前と同じでホッとする。高層ビルの裏側とはいえ、十分な境内が確保されていた。社務所もビルの片隅に綺麗になっており、まさにオフィスの感じだった。

087 通りを西に三丁目まで歩いて何とか江戸33観音20番札所、明光山和合院・天徳寺を発見した。一寸奥まったところで静かな雰囲気。浄土宗・江戸四ヵ寺の一つといわれ、八角形・二層の本堂はすっきりした感じだった。ご本尊は聖観世音菩薩。合掌。

なお、このお寺には、安政6年樺太・北蝦夷国境問題で、ロシヤ使節ムラビエフとの交渉議定の会所になったという歴史があった。
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2007年10月 4日 (木)

牛育て深野の里の「だんだん田」

022 棚田百選=三重・飯南町

お伊勢参りの途中、国道42号を少し戻り、166号を西に進み(吉野に通じる道)、松阪市飯南町(いいなんまち・旧飯南郡)支所の地域振興課を訪ね、棚田の詳細を聞く(写真右は深野地区)。

023 飯南町深野地区は優れた松阪牛を育てる肥育農家が多くあり、だんだん田を続けてきたといわれる。現在は写真のように、よく整備され棚田百選・59に指定されている。

024 ここは伊勢の三峰(掘坂山・局ヶ岳・白猪山)と呼ばれてきた白猪山の南側急斜面に開けた棚田群で、室町時代中期から江戸時代初期にかけて開拓されたという。

城塞を思わせる幾重にも積まれた自然石が織り成す風景は、まさに石の芸術。先人の知恵・努力は想像を絶するものがあり、山村の貴重な文化遺産といえる。因みに石垣の段数=約120段、延長=約120㎞、石垣の総面積=約13万5千㎡、石の数=約300万個だそうである。

なお、古くから「深野和紙」とよばれる、和紙の生産でも知られているという。写真をクリックすると拡大。

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2007年10月 3日 (水)

広域に大杉繁る瀧原宮

寺社集印=三重・大紀町011_3 (2-16)

松阪市から南西へ国道42号線(かっての熊野街道で、殆ど紀勢本線と並行)を約20㎞行くと左に滝原宮の大駐車場があり、左折して鳥居を潜ってさらに奥にはいると写真右の正面口になる。いといよ「お伊勢さん参り」の始まりである。

012 瀧原宮の宮域は44ha、地勢は皇大神宮と極めてよく似ていて、雛形とまでいわれるという。後に山をひかえて南面し、すぐ前には枝川があり、大川に落合う。
参道は1㎞にも及ぼうか?域内の鬱蒼と茂る杉の大森林は「他に比類なし」といっても過言ではなく、これこそ自然林の典型とされている(写真左)。

013 皇大神宮別宮・瀧原宮(たきはらのみや)本殿は、皇大神宮に準じた構造といわれ、神明造、屋根の鰹木(かつおぎ)は六本、東西両端には内削ぎ(うちそぎ・水平切)の千木が高く聳えている。この左に並んで瀧原ならび宮が同じく鎮座。両宮とも思った割には質素で小さく映ったが(写真右)、神々しさは十分に感じられた。
写真をクリックすると拡大。(つづく)

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2007年10月 2日 (火)

国学の発信元よ「よいほ」の森

003 寺社集印=三重・松阪市(1-16)

東海道新幹線で名古屋へ、乗換てJR快速「みえ」で松阪にいたる。駅前レンタで車を借り、駅西北500㍍ほどの通称[岡寺観音」にむかう。

002 岡寺山・継松寺(おかでらさん・けいしょうじ)奈良時代に大洪水で流された諸堂を再建したという継松法師の名に因んでつけられたものという。
開創は古く聖武天皇の勅願に基づき、ときの代表的指導者、行基菩薩(ぎょうき・ぼさつ)によるとされる古刹だ。日本最初の厄除け観音でも知られる。伊勢33観音霊場第八番札所。写真右は本堂、左は門前からのもの。

005_2 次に松阪城跡の南、こんもりと茂った「四五百の森(よいほのもり)」にある本居宣長ノ宮。写真右中。
006 本居宣長(もとおり・のりなが)は古典古事記の研究で、わが国体と古道を解明して、「大和心」すなわち民族精神の自覚を促す思想学説で知られる。語学、文学、史学など、各方面の創見に富み、殊に国学に著しい社会的進展を与え、明治維新の原動力となった。写真左は彼の愛した「鈴」の石像、境内にあり。

007 同じ敷地内に松阪神社がある。室町末期の天正16年(1588)蒲生氏郷が「矢川の庄」の「宵の森」に築城(松阪城)、鎮守社として造営されたという。
009 この矢川の庄を松阪と名付け、城下町を造成、近在、それに近江の日野商人など招いて、楽市楽座を実施した。
後世、江戸に雄飛した伊勢商人の発祥の地が、ここ松阪の町であったという。

写真上は松阪神社本殿、右は御神木=樹齢900年を数えるという楠(くす)の大古木。写真をクリックすると拡大。(つづく)。
今日からカテゴリーに「寺社集印・東海」を追加。

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2007年10月 1日 (月)

神無月神の集まる出雲かな

日記0128  上野散歩

今日から10月、やっと酷暑から開放された感じ。神無月(かんなずき)といえば、全国の神様が留守になり、出雲に集合される。集印には出雲まで行かねばならぬ???

写真右は上野輪王殿境内のススキ??聞いてみると「パンパス・グラス」という名の、外来種・イネ科の植物とか。もう2ヶ月近く見事な穂を見せている。
0129 本殿入り口の大門(重要文化財)。昔は寛永寺寺院群の正面にあった物を移設したものだと聞いた。写真をクリックすると拡大

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