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2007年6月29日 (金)

下町をねって渡るは千貫や

159 寺社集印=東京・台東

両国橋の一つ上の蔵前橋を渡ると台東区。蔵前交差点を左折(国道6号線)それのすぐ左側に銀杏の森が第六天榊神社(だいろくてん・さかきじんじゃ)下町八社の一つ。日本武尊(やまとたけるのみこと)東征の折に拠点とされた場所。榊の大神とは天照大神の祖父に当たる方というから、とにかく古い。当社のシンボルマークは七曜星、北斗七星を意味するという。
氏子組織である柳浅町会が中心となって毎年6月第一日曜にお祭りがあり、当然お神輿もでる。

161 6号線を北へ、一つ上の厩橋の手前左に入ったところに蔵前神社。こちらは五代将軍綱吉公が元禄6年(1693年)山城国(京都)男山の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)を当地に勧請(かんじょう)し、江戸城鬼門除の守護神とされたのが、始まりという。当寺は江戸時代から相撲と深い関係にあり、境内で勧進大相撲がたびたび開かれたそうだ。現在の「縦番付」はここの本場所から始められたとのこと。

163 蔵前交差点までバックして右折。少し行くと右側に鳥越神社。戦前は職人の町、戦後は製造・卸・小売商店の並ぶ町並みと、下町の雰囲気を色濃く残しているといえる。当社も日本武尊東征の頃からというから古い。
当社の例祭は毎年6月9日に近い日曜日、氏子十八ケ町睦会が受けもつ。ここの千貫神輿が有名である。写真をクリックすると拡大。

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2007年6月28日 (木)

昔から無縁供養の回向院

寺社集印=東京・墨田167_1

中央区湊(鉄砲州)から隅田川沿いに上ると永代橋のたもとに出る。橋を渡ると墨田区。川沿い東岸をさらに上ると清洲橋、新大橋、両国橋。JR総武線・両国駅の北側に相撲の国技館、南側に行くと京葉道に出る。その筋向いが江戸33観音第四番 諸宗山 回向院(えこういん)

166_1 回向院は明暦三年(1657年)に開かれた、法然上人を宗祖とする浄土宗の寺院。この年、明暦の大火「振袖火事」で十万人以上の死者を出し、その大半が身元不明者であったという。幕府はこの無縁仏を供養するため、当院に「万人塚」という墳墓を設けた。写真右上が明暦大火の供養塔。

168 江戸時代の回向院は「諸宗山 無縁寺 回向院」といわれ、あえて一宗一派にとらわれずに無縁供養を行う寺、という意味を込めてこう名付けられたのだそうである。

165 かかる事情でその後の火災、風水災、震災などの無縁仏を葬るならわしが、幕府、市民の間に生まれ「御府内総檀家」の寺として発展したようだ。そのため境内には写真左上のように多数の供養塔が建てられている。左下は万霊供養塚の上に、平成14年に建てられた聖観世音像。

かつては「開帳寺」として庶民の参拝で賑わい、また観音霊場巡り、弁天社参り、地蔵尊参りなどの札所としても庶民の信仰を集めたようだ。写真右下は塩地蔵尊。

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2007年6月27日 (水)

埋め立ての昔を偲ぶ隅田口

150 寺社集印=東京・中央区

梅雨の合間を見て隅田川河口の三社を訪ねる。
佃にある下町八社の一つ住吉神社。江戸湊の入口に位置し、月島、勝どき、豊海、晴海と埋め立てがすすみ、この地域の産土神(氏神)として信仰されている。毎年8月6-7日に例祭があり、八角形をした「八角神輿」が有名。写真右上が川沿いに立つ鳥居。

152
勝鬨橋を渡って左側、築地市場のど真ん中に鎮座まします波除稲荷神社。四代将軍家綱公が手がけた最後の埋め立て工事は、この築地海面で難工した。人々は毎夜海面を照らす光を不思議に思い、船を出してみると稲荷大神の御神体であった。早速現在の地に社殿を建てお祭した。その後、風波がおさまり、埋め立ても順調に進んだという。
151 153 写真左上は弁財天お歯黒獅子下は厄除天井獅子の巨大獅子頭で、上は右はご朱印。

八丁堀から川のほうへ入ったところに鉄砲州稲荷神社。足利義輝の治世(1554年から)に京橋地区一帯の土地生成の産土神。その後埋め立てが進み、新しい海岸となった現在の新京橋へ遷座になり、八丁堀稲荷と称した。

154 徳川幕府が開かれ、いよいよ埋め立てが進み、現在の鉄砲州に遷座。そこは湊であるからである。
155
米、塩、酒、薪炭をはじめ殆どの消費物資がこの湊に入ったので鉄砲州の名は海上守護神として、全国に広がったという。

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2007年6月25日 (月)

航海の疲れを癒すマラガ港

030914

My Picture

2002年春コスタ・ビクトリヤ号で地中海・大西洋をクルーズして、最終寄港地マラガに着いたものの、船体が長すぎて一部接岸したときの様子。5月21日号で、小品は紹介し、この日のタイトルにも使ったが、03年にこれを”突堤の唄”として展覧会に出展したもの。{制作番号030903}大きさP100号、162㎝×112㎝。仕様は綿キャンバスにリキテックス(アクリル絵具)想い出の一作ではある。

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2007年6月24日 (日)

都市の中神社はビルに取り込まれ

142 寺社集印=東京・日本橋

水天宮を出て新大橋通りを東へ。二つ目の左側路地の2-3軒目に赤鳥居が見える。完全にビルの中に組み込まれた松島神社。ビルの所有者である。日本橋七福神の大黒さん。その昔、この辺は東京湾で松の生えた小島があり、その一つに祠があり、それの名前を取ったのだそうだ。今はビルの中に鎮座。時代は代わったものだ。

144_1 そのさき遊歩道公園のなかを北に行き、途切れたところを東へ、清洲橋通りの手前、右角に笠間稲荷神社東京別社。江戸屋敷跡に建てられたという。日本橋七福神寿老人に当たる。本社は日本三大稲荷(茨城県笠間市)である。

146 西に戻って水天宮通りにいたる中間あたりに末廣神社。ビルに囲まれながら、紫陽花が可憐に咲いている。日本橋七福神の毘沙門天。かって沼地を開拓、江戸町1,2丁目、京町1,2丁目と定め、遊女町を開き、後の吉原へと引き継がれたのだそうだ。

148 東京メトロ人形町駅の交差点脇に、今回唯一のお寺、大観音がある。江戸33観音第3番札所。高台にあり石段は端を剥ぎ取られたように路地に、そそり立っている。ご本尊は聖観世音。合掌。

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2007年6月23日 (土)

茅場から小網に入る日本橋

134 寺社集印=東京・中央区

133 日本橋エリアの集印に向うが、まずは東京メトロ茅場町駅で降りて、株屋街の中心にある日枝(ひえ)神社から始める。ここは永田町の日枝神社(官幣大社)の日本橋支店?証券会社に立ち寄ったとき、時々、神頼みでお参りしている。

135 日本橋川を渡って日本橋小網町、ビルの谷間になるのは止むを得ない地域だ。小網神社下町八社、また日本橋七福神福禄寿にあたる。写真右。

138 蛎殻町交差点に戻り、水天宮交差点の手前の路地に当たりをつけて入ると、赤いノボリが立っていた。茶の木神社。本当の袋小路だ。日本橋七福神の布袋尊。写真左。不在で「ご朱印は水天宮で」とあるのでそちらへ。

140

水天宮は説明不要であろう。土曜日のせいばかりではないだろうが安産祈願、お礼参りと若いカプルであふれ、ご朱印をいただくのに、巫女さん4人の前に4列に、しばらく並ばされた。茶の木神社のご朱印は別のところと、大変だった。下町八社日本橋七福神の弁天さん。(つづく)

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2007年6月22日 (金)

ご朱印・群馬県

120 利根郡みなかみ町・ご朱印帖

泰寧寺 (たいねいじ)曹洞宗 群馬県利根郡みなかみ町須川98番地<TEL027-864-1131>参拝07年6月13日、記事07年6月19日参照。→

122←大峰山 嶽林寺 (がくりんじ)曹洞宗 群馬県利根郡みなかみ町月夜野1697番地<TEL027-862-6455>参拝07年6月13日、記事07年6月19日参照

124 参峰山 玉泉寺 (ぎょくせんじ)曹洞宗 群馬県利根郡みなかみ町下牧2391番地<TEL027-862-2192>参拝07年6月13日、記事07年6月19日参照。→

126茂左衛門地蔵尊 千日堂 (せんにちどう)群馬県利根郡みなかみ町月夜野491番地<TEL027-862-2380>参拝07年6月13日、記事07年6月20日参照

北群馬郡榛東村(追加)

062_1 東国花の寺34番 船尾山 柳沢寺(やぎさわでら)。群馬県北群馬郡榛東村山子田2535番地<027-954-3954>参拝07年5月24日、記事07年5月26日参照。

註①記事はカテゴリーの「寺社集印・関東」をクリックして日付を追ってください。②写真をクリックすると拡大。

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2007年6月21日 (木)

ご朱印・新潟県

107 南魚沼市塩沢エリア・ご朱印帖

大福寺 (だいふくじ)新潟県南魚沼市長崎811番地 <TEL025-782-3132>越後33観音十一番札所、参拝07年6月12日、記事07年6月16日参照。→

109雲洞庵 (うんとあん)新潟県南魚沼市雲洞660番地 <TEL025-782-0520>参拝07年6月12日、記事07年6月16日参照。

111

天昌寺 (てんしょうじ)新潟県南魚沼市思川39番地 <TEL025-782-0147>越後33観音十二番札所、参拝07年6月12日、記事07年6月16日参照。→

113_1龍沢寺 (りゅうたくじ)新潟県南魚沼市大字樺野沢 <TEL025-777-4671>参拝07年6月12日、記事07年6月17日参照。

115 薬照寺 (やくしょうじ)新潟県南魚沼市君沢851番地 <TEL025-783-2510>参拝07年6月12日、記事07年6月17日参照→

117関興寺 (かんこうじ)新潟県南魚沼市上野267番地<TEL025-783-2111>参拝07年6月12日、記事07年6月17日。

註;①最寄駅はいずれもJR上越新幹線 越後湯沢。JR上越線 石打。車は関越自動車道 塩沢石打インター。②順番は私の廻った順。③写真をクリックすると拡大。④参照記事はカテゴリイ=寺社集印・甲信越をクリック。

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2007年6月20日 (水)

茂左衛門ゆらいを聞けば涙あり

127 寺社集印の旅=群馬県・みなかみ町(2)

話題の千日堂・茂左衛門地蔵尊を訪ね、その由来を聞いた。写真右は千日堂。

およそ300年前、上州沼田領3万石の城主・真田伊賀守信直(さなだいがのかみのぶなお)は華美放漫の政治をしたため、藩の財政は窮乏、この立て直しのため、領民の苦境をも顧みず、寛文年間、再度にわたり約5倍もの増税をし、その上、凶作続きで困苦のどん底にある百姓に更なる諸税をかけ、滞納者には残酷な刑罰に処した。

128 この惨状を見かねて利根、吾妻、勢多177村の領民のために一命を捨てる覚悟で立ち上がったのが、月夜野の百姓茂左衛門であった。天和元年正月、領主の非行、領民の惨状をしたためた訴状を懐に、ひそかに江戸に上り、上野輪王寺宮から巧妙な方法で、直訴に成功。時の将軍(5代綱吉)は取調べの結果、罪状が明確として伊賀守は改易、沼田城は破却となった。

茂左衛門は本望を遂げたのを見届け、自首を決意して江戸に向かう途中で幕吏に捕らわれ、所成敗(ところせいばい)で天和2年11月5日、月夜野竹之下河原で処刑された。

領民はその死をいたみ、刑場あとに地蔵尊を建て、供養してその遺徳を偲んできたが、大正11年旧領地民をはじめ各地の篤志家の浄財により、茂左衛門を祀る現在の千日堂が建立されたのである。(月夜野町観光協会の文書より)

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2007年6月19日 (火)

みなかみの禅寺三つ訪ねけり

121 寺社集印の旅=群馬県・みなかみ町(1)

前回の関興寺にて紹介された「みなかみ町」の禅寺を訪ねる。水上インターで降り、まずは「たくみの里」近くの曹洞宗・泰寧寺へ。東国花の寺35番アジサイの寺のようだ。ご本尊は秋葉三尺坊大権現(静岡県袋井市秋葉総本殿より奉安)合掌。火防守護の霊場として広く信仰されているという。本堂脇に車を止めたため、拝見できなかったが当寺の山門は県重要文化財に指定されている。二階建てで文殊・普賢菩薩、迦葉・阿難の尊者を脇侍に、釈迦牟尼仏を中心に左右16羅漢像を安置しているという。

123 上越新幹線上毛高原駅西側、月夜野町、沼田市、それに赤城山、三峰山を一望できる高台にある。それが曹洞宗 大峰山 嶽林寺。明るい禅寺。ご本尊は釈迦如来。合掌。涅槃佛も気持ちよさそうである。次回紹介予定の義民・茂左衛門の菩提寺でもあるという。

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さきの泰寧寺の本寺にあたる 参峰山 玉泉寺(曹洞宗・写真右)を訪ねる。周辺の道路は観光?でかなり整備されているように見かけた。ここでも義民・茂左衛門の話が出て、次回この由来を紹介する。つづく。

写真をクリックすると拡大。

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2007年6月18日 (月)

沿岸をモナコに向けてセーリング

030909 My Pictures

2002年10月、帆船ロィアル・クリッパー号の地中海クルーズに出た。その時のコースと作品の紹介(3-4)。

写真右=第五の寄港地ポルト・ヴェネーレに到着。着港しても乗組員は大忙し。{制作番号030909}大きさ 42㎝×33㎝。

030910 写真左=ここも接岸できず、ボートで上陸。世界遺産チンク・エテッレをバスで見学、そのうちの海岸線を描く{制作番号030910} 大きさ42㎝×33㎝。

030911_1 写真右下=最後の寄港地モナコ。上陸して王宮地区を散策。{制作番号030911} 大きさ42㎝×33㎝。港までのだらだら坂を下ると、右下で小型車のモーター・レース行われ、その音たるや大変なものだった。

仕様はすべてマーメイド紙にホルベイン水彩絵具。註; 1、作品の問い合わせはコメント欄で 2、写真をクリックすると拡大。(つづく)

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2007年6月17日 (日)

味噌をなめ茶をすすりけり関興寺

131 寺社集印の旅=新潟・南魚沼市(2)

南魚沼市塩沢エリアの六寺、後半の三寺を紹介。

132 樺沢城は樺野沢集落の西側に張り出した高さ300㍍ほどの丘の上にあり、中世越後府内(春日山)から関東に抜ける要衝であった。(写真右上)

谷を挟んで上杉景勝公生誕の碑のある龍沢寺(りゅうたくじ・あやの文殊)=臨済宗のお寺。ご本尊は文殊菩薩(三人寄れば文殊の知恵の喩え)。合掌。

116 境内に樹齢400年、高さ40㍍、幹周り14㍍の大カツラのある真言宗の薬照寺。(写真右が大カツラの木)

118 宝物殿には東洋の芸術品多数展示され、戦後ビルマの宰相バー・モウが隠棲したお寺という。

写真左は前回に紹介した「味噌なめたか」の、600巻もの大般若経を味噌ダルに納めて戦火から守ったという経藏と石庭。「土踏んだか」の雲洞庵と並ぶ、こちらは臨済宗の古刹、最上山 関興寺(かんこうじ)。ご本尊は釈迦牟尼仏。合掌。

古来禅院では味噌は欠かせぬ119 重要な食品であった。関興寺でも数多くの修業僧のための味噌を独自で作り、貯えていた。天正六年上杉謙信没後、景勝、景虎の家督争いに巻き込まれ、諸堂が消失した際に大般若経は味噌ダルに貯蔵されて難を逃れた。爾来この味噌を頂く者、大般若経のご利益にあずかり、福徳が授かるとなった。写真右は仁王門と「味噌なめたか」のカンバン。

次回は帰途に寄った群馬・みなかみ市の三寺紹介の予定。写真をクリックすると拡大。

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2007年6月16日 (土)

じっくりと「土踏んだかよ」雲洞庵

寺社集印の旅=新潟・南魚沼市(1)108

同窓会が越後湯沢であり、この機会に南魚沼市塩沢エリアにある六寺を訪問できた。まず、うち三寺を紹介。

関越道塩沢・石打インターを出て、まず越後33観音・第十一番 金精山 大福寺(真言宗)。巻機山と金城山の懐に位置し、山門を入ると落雷により半分焼失したとはいえ、樹齢八百年という銀杏がある。ご本尊は阿弥陀如来。合掌。ほかに薬師如来像、三社託宣、十二尺画像など寺宝として保存されているという。上杉謙信関東管領のおり祈願所になった(写真右上)。

110同じ 金城山の麓、樹齢300年という杉の大樹林に覆われた曹洞宗の名刹 雲洞庵(うんとあん)。ご本尊は釈迦牟尼仏それに脇侍、迦葉尊者、阿難尊者、十六羅漢を安置している。合掌。写真左は赤門(仁王門)を入ると本堂正面まで石畳がつづき、法華経を一石一字刻まれている。「雲洞庵の土踏んだか」は次回紹介の「関興寺の味噌なめたか」と、この二大禅道場で修行しなければ一人前の禅僧とはいえない。またこの石畳を踏みしめてお参りすると罪業消滅、万福多幸のご利益にあずかると、この信仰が大変盛んであったという。

112 越後33観音・第十二番 飯盛山(はんじょうさん)天昌寺。曹洞宗のお寺。ご本尊は聖観世音菩薩。それに持国天王、多聞天王の三木像は鎌倉時代の作とされ県重要文化財指定。合掌。当寺は「北越雪譜=寺のなだれ」の舞台となり、雪国での伽藍維持に難渋した住職・檀信徒の苦労が偲ばれる。つづく。写真をクリックすると拡大。

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2007年6月15日 (金)

立ちいづる吾が行く末はいづくなるらん

33086_1 坂東33観音(29)

第十七番 出流山 満願寺 (いづるさん・出流観音)

栃木インターから北西へ15㎞ほど、石灰を積んだダンプが行き交う街道。左右に石灰石を掘り出した山肌が露出、これを加工する工場から噴出するホコリ・・・

やっと抜けると一変、写真右上の山門に達する。1735年の建立という雄大な構えである。

33087_1 左側には信徒会館やら建物が階段状に並列しており、写真左の本堂へと続く。ご本尊は千手観世音菩薩。合掌。6月9日紹介の中禅寺・立木観音の開基・勝道上人は、ここ出流山で修行された由。

33088 本堂右手から奥の院(観音霊窟)へ通ずる山道が始まるが、ご辞退。この山・剣ケ峰の中腹には七つの霊窟(鍾乳洞)があり、自然に造形された鍾乳石の現す容姿を観音として崇めるという。

帰途、左に変わった鐘楼があり(写真右)前面の池には噴水があり、大きな鯉がひしめき、水しぶきを上げていた。

写真をクリックすると拡大。タイトルはご詠歌から引用。

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2007年6月13日 (水)

名を聞くもめぐみ大谷の観世音

                          33083 坂東33観音(28)

第十九番 天開山 大谷寺(大谷観音)

宇都宮市内から西北西に約10㎞、東北道を潜り抜けて大谷地区に入る。大谷石の産地で採掘の跡が、見られるようになる。

33082 「内陣は山、外陣は御堂なり」と坂東霊場記にあるように、大谷石の山そのものを崇める自然崇拝からここの信仰が起こったという。

山門(写真右上)を入ると行く手をさえぎる高い岩壁、これをくりぬいて建てられた御堂(写真左上)、まさに「石の寺」である。

本堂には像高4.5mのご本尊、千手観世音菩薩が岩面に彫り込まれており、放射状に四十二本の御手が美しい律動感をもって配されている。合掌。続く脇堂には釈迦、薬師、阿弥陀の三尊が同じく彫り込まれている。合掌。

33085_1 お寺から出て大きな背中を見せる石像。左から廻ると昭和31年に造られたという、これまた大谷石の像高27mの観音像。太平洋戦争の殉難者の慰霊と平和祈念のために建てられた。合掌。

写真をクリックすると拡大。タイトルはご詠歌から引用。

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2007年6月12日 (火)

ふたあらやま日光と違う宇都宮

104 寺社集印の旅=栃木・宇都宮

日光湯元温泉から下山途中、「いろは坂」下りラインに入る一寸前、華厳の瀧に寄らずに通過する手はあるまい。相変わらずの迫力だった。

106 高速を使って宇都宮へ。宇都宮二荒山(ふたあらやま)神社。日光のそれとは全然別の神様で、下野国一之宮・国幣中社・名神大社とあり、由緒ただしい総氏神様として信仰を集めているという。

105 JR宇都宮駅から来る大通りに面して大鳥居があり、石段をかなり登る。正面が馬場通りの起点。裏は県庁通りを背負って、官庁街があり、まさに宇都宮の政治、経済の中心地にある。

これから坂東33観音第十九番大谷寺(大谷町)、第十七番満願寺(栃木市)とお参りして帰京する。ともに関東きっての名刹と聞いており、二回に分けて紹介する予定。

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2007年6月11日 (月)

ナポレオン本土を遠く偲びしや

030905 My Pictures

2002年10月、帆船ロィヤル・クリッパー号で地中海クルーズに出た。その時のコースと作品の紹介(2-4)。第三の寄港地ポルト・ロトンドは、接岸できず沖止め。写真右上は沖にあるロィヤル・クリッパー号{制作番号030905} 大きさ42㎝×33㎝。

030906 写真左=第四の寄港地はナポレオンゆかりのコルシカ島。そのポルト・フェラィオに今度は接岸。彼の住んでいた家に向かう。だらだら坂をのぼる。{制作番号030906} 大きさ33㎝×42㎝。

030907 写真右上=ナポレオンの居城 {制作番号030907} 大きさ42㎝×33㎝。ここから本土に睨みを利かせていたのか。港の入り口高台にある。仕様は3点ともマーメイド紙にホルベイン水彩絵具。

註;1.作品の問い合わせはコメント欄で 2、写真をクリックすると拡大。(つづく)

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2007年6月10日 (日)

中宮詞男体山への登り口

102 寺社集印の旅=栃木(中禅寺湖)

立木観音から湖を迂回する格好で日光二荒山神社中宮詞に参拝。

099 ここも石段を登り、丁度男体山を背負う格好の高台にあり、眺望はいいはずだが、天気が悪かったので、湖面も空も白く飛んでしまった。

100 左はここのご朱印。(中宮詞の「し」は「ネへん」なのだが活字見当たらず、「言べん」を使う)。右はここを登山口として頂上を目指し、日光二荒山神社奥宮で頂くのが本来だが、神主さんも居られぬ由、便宜上頂いた。

101 左も同様、湯元温泉の温泉神社のご朱印もここで頂く。何とか元気に「寺社集印の旅」を続けられるよう、まずは健康を祈念して、今夜は日光湯元温泉に泊まる事とする。

103 途中、「竜頭の瀧」でカメラ・ストップしたが、これまた天候不良で、新緑の美しさは撮れなかった。梅雨前でままならない。通りすがりで、いいものと撮ろうというのがおこがましいか?「戦場ヶ原」は止まらず通過。

写真をクリックすると拡大。期待薄だが・・・。

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2007年6月 9日 (土)

みずうみの歌ケ浜辺にたつは白波

33078 坂東33観音(27)

第十八番 日光山 中禅寺 (立木観音)

「いろは坂」の上りルートを一気に登って中禅寺湖畔に。湖に沿って左手に進むと山の中腹に突き出た朱色の本堂が見えてくる。

33081 ご本尊は立木千手観世音菩薩。合掌。開基勝道上人が中禅寺湖を周遊された折(延暦三年・784春)湖上に千手観音の尊容を感見され、桂の巨木を選び、立木のまま6mもの尊像を刻まれたのがご本尊といわれる。

33079 中禅寺湖は海抜1,300mの高地にあり、それまで馬返し、いろは坂、華厳の瀧と大変な難所で知られ、しかもこの霊場は女人禁制、女性は「いろは坂」の途中にあった「女人堂」から遥拝したものだという。

33080 本堂からの眺めは山と湖、四季折々、まさに絶景であろう。当日は曇りでいい写真が撮れなかった。辛うじて男体山の頂が雲間から、うかがえる時がある程度。

次回はここから来た道を戻り、湖の右側対岸の日光二荒山神社中宮詞に向かう。写真をクリックすると拡大。タイトルはご詠歌から引用。

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2007年6月 8日 (金)

広いぜよ世界遺産の二社一寺

095_2 寺社集印の旅=栃木(日光)

世界遺産「日光の寺社」を、指定後、初めて訪ねる。

091 日光市の山内地区にある下野国一の宮・国幣中社=日光二荒山神社(ふたらさん)写真右、別格官幣社=日光東照宮(写真右下2枚)の二社と輪王寺の一寺、103棟の建造物群と、これを取り巻く「遺跡(文化的景観)」が指定の理由だそうである。

097因みに建物の内訳は国宝9棟重要文化財94棟という膨大なもの。

092 まず日光二荒山神社(写真右上)の本殿・拝殿、別宮・本宮神社、別宮・瀧尾神社が国宝、別社・大国殿など重要文化財が多数ある。写真左上から二荒山神社、日光の原点=本宮神社、日光の聖地=瀧尾神社、幸運を招く=日光大国殿のご朱印を頂いた。

098_1

日光東照宮。写真右中が石鳥居、下が表門のはずである。

093 本殿・石の間・拝殿、正面・背面の唐門、東西の透塀(すきべい)、陽明門、それに東西の回廊が国宝と、これまた大変なもの。ちなみに登録遺産の面積は50ha,緩衡地帯面積373ha,合計423haという広さ(伊勢神宮に次ぐ全国二位)だそうである。

096 とてもとても、この紙面では紹介できるものではないので、ほどほどにして「いろは坂」を登ることにする。

094 なお、写真右は日光東照宮の一枚だけ、ご朱印をいただいた。次は坂東33観音 第十八番 日光山・中禅寺を訪ねる。

写真をクリックすると拡大になります。

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2007年6月 7日 (木)

わが身には最も近き福神さん

090 下谷七福神・ご朱印帖0024_2

元三島神社 (寿老人)東京都台東区根岸1-7-11<TEL 03-3873-4976>最寄駅JR山手線鶯谷駅北口。記事07年5月13日参照。→

0033_2入谷鬼子母神 (福禄寿)東京都台東区下谷1-12-16<TEL 03-3841-1800>最寄駅東京メトロ日比谷線入谷駅。記事07年5月13日参照。060

英信寺 (三面大黒天)東京都台東区下谷2-5-14<TEL 03-3872-2356>最寄駅入谷駅。記事07年6月5日参照。→

0031_2法昌寺 (毘沙門天)東京都台東区下谷2-10-6<TEL 03-3872-2591>最寄駅入谷駅。記事07年5月15日参照。079

寿永寺 (布袋尊)東京都台東区三ノ輪1-22-15<TEL 03-3873-2402>最寄駅東京メトロ日比谷線三ノ輪駅。記事07年6月5日参照。→

081 ←飛不動尊 正宝院 (恵比寿神)東京都台東区竜泉3-11-11<TEL 03-3872-3311>最寄駅三ノ輪駅。記事07年6月5日参照。

088 弁天院 (朝日弁才天)東京都台東区竜泉1-15-9<TEL 03-3875-0478>最寄駅入谷駅。記事07年6月6日。→

写真をクリックすると拡大になります。日付けの古い記事はカテゴリー「寺社集印・都内」をクリックして参照。

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2007年6月 6日 (水)

ひっそりと静まり返る鷲神社

084 寺社集印=東京・台東

「酉の市」で賑わう鷲(おおとり)神社下町八社・商売繁盛、また浅草七福神・寿老人だがこの時期、ひっそりと静まり返っている(酉の市の記事06年12月12日、バック・ナンバー12月をクリップ・アップしてご覧ください)

087 吉原神社(浅草七福神・弁財天)では写真左の千束稲荷神社=竜泉2-19にて、ご朱印がいただけると掲示がありそちらへ。

086 ついでといっては何だが、右のご朱印と写真(左)を撮って、本命の吉原神社のご朱印を頂く(写真左下)。

085_1 あっちこっちしている間に吉原神社の写真を撮り損なった。お粗末至極である。今日最後の朝日弁財天・弁天院(下谷七福神・弁財天)にたどり着けば、今度は留守。

089写真右が朝日弁天。ご印が置いてあったのでそれだけ頂く。ここで下谷七福神のご朱印が揃ったので、次回はご披露。

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2007年6月 5日 (火)

自転車で千束・竜泉ひと回り

061 寺社・集印=東京・台東

金杉通りからちょいと小路を入ると下谷七福神の大黒天英信寺。ここを皮切りに今日は、自転車で動く。

080 写真右は英信寺の本堂正面に吊るしてある巨大数珠。これが当寺のシンボルか?引張ると「しゃらしゃら」といい音がする。

写真左は三ノ輪の寿永寺(下谷七福神・布袋尊)。これは説明不要。なんともユーモラスではある。正面に東泉小学校があり二宮金次郎像もある。

082 南に下って海外旅行でおなじみ、飛行お守り(関連記事06年10月19日参照)飛不動尊・正宝院(下谷七福神・恵比寿神)。お参りするたびに気に入っている「洗心童子」右下を紹介する。(つづく)

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2007年6月 4日 (月)

帆船で地中海へと乗り出せり

030901_1 My Pictures

2002年10月、帆船ロィアル・クリッパー号で地中海クルーズに出た。その時のコースと作品の紹介(1-4)。

030902 南仏ニースから乗船。まずはコルシカ島に向け出港。写真右上=岡が見えてきた。コルシカ島だ。入港の準備が始まる{制作番号030901} 大きさ 33㎝×42㎝。

030903 写真左上=第一の寄港地カルビー(コルシカ島)の様子。暖かそうなたたずまいだ。{制作番号030902} 大きさ 42㎝×33㎝。

030904 写真右下=第二の寄港地ボニファチォ(コルシカ島)に接岸。港の反対側からの眺め。{制作番号030903} 大きさ42㎝×33㎝。

写真左=ポルト・チェルボの別荘地。{制作番号030904} 大きさ42㎝×33㎝。第三の寄港地ポルト・ロトンド(南のサルディニア島)である。バスでエメラルド海岸を回る。その時の寸描。

註1、仕様はすべてマーメイド紙にホルベイン水彩絵具。2、作品の問い合わせはコメント欄にて。3、写真をクリックすると拡大。(つづく)

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2007年6月 2日 (土)

「めぐりん」で区内を巡る集印路

073 寺社集印=東京・台東

今日は台東区が運行している循環バス「めぐりん」号で、北回りを利用して集印に出かける。⑱鶯谷駅→29終点。浅草で所用を済ませ、東北方向に歩いて、小高い丘にある待乳山(まつちやま)本龍院。ご本尊は十一面観音菩薩、大聖歓喜天(聖天さま)。浅草名所七福神<毘沙門天>大根をたくさんお供えしてある。(写真右上)

074 さらに北に歩いて今戸神社へ。下町八社の一つ、また浅草名所七福神<福禄寿>写真左。「招き猫」の発祥と聞いたが、なるほど本堂の入り口に大きな招き猫が二体並んで控えていた。

076 ④リバーサイドSS前→⑧清川一丁目。東へ10分ほど歩いて砂尾山・不動院(橋場不動)ここは関東36不動・23番札所にあたる。不動明王を本尊とし、現在の本堂は江戸時代のもので、関東大震災、また戦災をも免れたものという。浅草名所七福神<布袋尊>をまつる。

078 来た道を帰り、一寸先の東禅寺江戸六地蔵②)正面にドカンと、像高271㎝の「銅造地蔵菩薩坐像」が鎮座ましましている。

⑨東浅草二丁目→⑰根岸三丁目。これにて「めぐりん」北回りの旅はおしまい。 註; 写真をクリックすると拡大。

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2007年6月 1日 (金)

あじさいがひっそり咲けり薬師仏

0127

上野散歩

今日から6月、水無月である。今年の梅雨はどうなのか。そろそろ入りも間近いのか。アジサイが咲き始めている。(写真右上)

0124 これに誘われるように、前から気にしていたパゴダ薬師如来にお参りした。東照宮入り口の小高い丘の上にある。(写真左)合掌。その右手に上野大仏があって、これには驚いた。といっても尊顔を飾ったもの。

0125 写真右下がそれで、関東大地震で仏頭が落ち、寛永寺に保管中、仏体は昭和15年、第二次世界大戦に献納を余儀なくされたのだそうである。お顔の様子からかなりの大きさの大仏さんであったろう。

0126 上野・精養軒の駐車場に子供たちのはしゃぎ声がして、バスから降り立った。これから動物園に行くのだろう。垣根のツツジも負けじと、満開ぶりで園児を迎えている。

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